表 紙 |
本文:項目毎に短くまとめているので読みやすくわかりやすいと好評 |
附録: 第二次大戦の因果関係チャート図 「1929年の米国大恐慌が第二次大戦の二大遠因をつくり、それにスターリンが対応して大東亜戦争が始まった。この因果関係をわかりやすくチャートにまとめたもの |
附録: 反日宣伝 米国の人種差別の例 太平洋戦線の戦地の恋人から贈られた日本兵の頭骸骨を眺める米人女性の写真模写図 原写真は1943年ライフ誌に掲載された。 |
附録: 反日宣伝の事例と対応 世界の反日宣伝の狙いと構造、米国の反日宣伝の事例、蒋介石の反日宣伝の事例、現代世界の反日宣伝の事例を見やすく整理。 米国人外交官ラルフ・タウンゼント氏、仏人ジャーナリスト(アウシュビッツ体験者)A・スムラー氏、黄文雄先生の著書から引用する事実と反論。これを読めば反日宣伝に対する効果的な反撃が可能になる。 |
章 | 内 容 |
はじめに: |
一、歴史とは何か ●「歴史観の不満」二十一世紀に入り大東亜戦争が終わってからすでに半世紀以上が経過した。それにもかかわらずわが国は近隣諸国から依然として近代史を理由に盛んに非難され攻撃されている。これに対して日本政府は反論せずにひたすら謝罪を繰り返しているが事態は悪化するばかりである。というのは国際社会では単なる謝罪は和解どころか「有罪の承認」に過ぎないからだ。このため外国では日本人に対する民族迫害迄始まっている。しかし日本はそんなに悪いことをしたのだろうか。いつまでも続く日本非難に対して、「莫大な戦後賠償も支払い三百万人も殺された我々は勘定を済ませているはずだ」、「もともと自衛戦争で敗戦しただけではないか」、「お前たちはそんなことをいえるのか?」という素朴で自然な反発が生まれている。 ●「時代の変化」そこで絶えず持ち出される東京裁判史観を見るとその後半世紀の国際関係の変化により当時協力して裁判を行った米ソは激しく対立し長い冷戦の挙句ソ連は一九九一年に自滅してしまった。さらに当時の機密情報が米ソで公開されるようになると史実や価値観に多くの誤りがあることが分かってきた。そしてこの史観を強制した米国のマッカーサーは一九五一年に早くも日本の戦争は自衛戦争であったと訂正している。この結果東京裁判史観は明らかに時代遅れとなっている。そこで私たちは自分だけでなく家族や国を守るためにも大東亜戦争から今日に至る近代史を日本人の立場で正しく見直すことが必要である。・・・ |
第一章 各国と第二次大戦 |
一、大恐慌が生み出した戦争の二大原因 英国のチャーチル元首相は第二次大戦の遠因をドイツを過酷に懲罰しドイツ人の恨みを買った第一次 大戦の終戦処理の失敗に求めているが、より直接的には一九二九年の米国の大恐慌に原因を求めることができるだろう。大恐慌は第一次大戦後の経済復興が進んでいた世界を挫折させ新たに第二次大戦を惹き起こす次の二つの大きな動因を生みだした。 A「共産主義者の拡大」西側の高学歴者は大恐慌をマルクスの予言が的中したものと誤解し、「赤い十年」と呼ばれた三十年代に世界中で共産主義とソ連への信奉者が爆発的に増加した。 ●「二大原因の大戦への影響」前者はヒトラーを警戒するスターリンの国際謀略工作を発動させ、後者は各国政府の中枢に高学歴のソ連スパイが入り込みスターリンの指示を受けて政策を反日化しソ連の対独東部国境戦略であるアジアの支那事変、太平洋戦争を起こす原因となったのである。 二、大戦の概観 ●「国際戦略による理解」第二次大戦を総括するとドイツの自給自足を求めるヒトラーのロシア占領戦略とスターリンの対独生き残りのための国際謀略がぶつかり合い、それにソ連に騙されたルーズベルト・・・ |
第二章 大恐慌とヒトラーの台頭 |
●「ヒトラーの台頭」一九二九年の米国の大恐慌は世界各国に経済不況を起したことと共産主義信奉者を爆発的に増やしたことで重大である。 経済問題では欧米諸国は大恐慌の混乱から自国経済を守るため外国製品に高率の関税をかけて輸入を制限した。この結果過剰人口を抱え貿易で生きていた日本やドイツは輸出が止まり大打撃を受けた。日本にはまだ満洲や支那の市場があったが、海外市場を失った独は多くの企業が倒産し総人口の一割近い七百万に上る大量の失業者が国中にあふれた。失業は人間を不安にさせるので深刻な社会問題になり国民は失業問題の速やかな解決を求めた。しかし議会制民主主義のドイツは混乱が続き解決できなかった。そこで国民は意思決定の早い国家主義のナチス党に解決を託した。ヒトラーは首相になると直ちに高速道路の建設など大規模な公共投資を行いインフレを発生させずに失業者を吸収した。またベルサイユ条約の懲罰的な重荷から国民を解放した。このため「仕事とパン」と民族の誇りを求めていたドイツ国民は熱狂的に支持した。しかしヒトラーはドイツ民族生存問題の最終的解決を自給自足体制に求めそのために必要な領土と資源の獲得方法としてソ連の征服を計画していた。 ●「ロシア征服方針」ヒトラーは一九二四年ミュンヘンで武装蜂起(クーデター)に失敗し逮捕されたがその時獄中で著したのが「我が闘争」である。この中でドイツの領土拡大について次のように記している。「(中世ドイツでは)増加する民族数に合わせて労働とパンを確保するにはただ二つの道しか残っていなかった。殖民地を含む領土拡大政策か商業政策をとるかである。両者の中でより健全な道・・・ |
第三章 スターリンの警戒と国際謀略シフト |
●「スターリンの警戒」ソ連の独裁者スターリンはヒトラーが台頭するとソ連征服の意図を知り警戒心を高めた。そして単独では対抗できないと見て諸外国を利用すべく共産スパイによる謀略工作を開始した。これが日本では大東亜戦争に発展するのである。 ●「世界規模の戦略」当時スターリンは世界中に配置したスパイから櫛の歯を引くように届く機密情報をもとに国際戦略を指揮していた。その様子をフルシチョフは第二十回党大会で次のように述べている。同志の皆さん、スターリンはいつも地球儀を手にとって、地球儀の上で(独ソ戦の)戦線を辿っておりました」このためスターリンは世界的な政治問題や紛争についてルーズベルトやチャーチルよりも広範で深い理解をもっていた。ただその戦略を知るのはスターリンだけであった。 ●「ソ連スパイの特徴」一般にスパイの任務は情報を盗み出すことであるが、ソ連スパイはさらに各国の政策をソ連寄りに動かしたことが特異的である。三十年代の西側社会ではマルクス主義が大恐慌を予測したとして共産党の信奉者が爆発的に増えた。彼らはソ連やスターリンを理想化し、スターリン独裁下で理想主義的共産主義者が絶滅されたソ連の実態を知らなかった。このため多数の良家出身の高学歴者が誤った理想主義から政府や重要機関に就職すると進んでソ連の協力者になった。英国のケースでは有名なフィルビー、ケアンクロスらケンブリッジ大学の秀才がソ連工作員の教授に誘われてスパイとなり英国諜報部の中枢に入り込んだ。米国ではアルジャー・ヒスのようなスパイがヤルタ会議の大統領特別補佐官になり米国の国際政治に影響を与えたのである。こうしてスターリンは世界のス・・・ |
第四章 米ソの対日政策 |
一、ソ連 ●「ソ連の日本敵視」ソ連は共産主義という破壊思想からもまた隣国という地政学的な関係からも日本を敵視し、日本攻撃のために共産主義思想を日本社会に浸透させた。ソ連政権成立直後の一九二三年には早くも皇太子時代の昭和天皇に対して共産主義者難波大輔による桜田門皇太子暗殺未遂事件が起きている。大恐慌による三十年代の西側世界の左翼ブームは日本も例外ではなく「赤い十年」と呼ばれ多くの良家の高学歴者が共産主義に傾倒した。公安警察の取締りでは当時のエリートである帝国大学生から多数の検挙者を出している。難波大助も父が代議士であり当時の上層階級の出身であった。 ●「ソ連の軍事力強大化」スターリンは五ヵ年計画により重工業の振興を図り赤軍の軍事力を飛躍的に増強した。その結果極東軍の常備兵力は日本の三倍以上に達し航空機、戦車、重砲などの数量も日本軍をはるかに凌駕するものとなった。このため日本軍はソ連を強く警戒した。 ●「スターリンのアジア謀略」スターリンは西部のドイツと挟撃されることを避けるために最重要戦略として東部国境の二大反共勢力である蒋介石と日本の無力化を狙った。それが得意の漁夫の利を図る両者の戦争工作であり支那事変になるのである。 ●「人種差別の米国」米国は当時世界最大の人種差別国家であり人種別に政治思想を使い分けていた。す・・・ |
第五章 戦前の日本 |
●「疑問」戦前の日本は戦後全否定されているが私たちの親の話では、今よりも落ち着いたよい時代であったという。本当はどんな時代だったのだろうか。 ●「日本」戦前の日本は世界的に見ると有色人種の最後に残された独立国であった。政治的には英国同様君主をいただく立憲君主国であり普通選挙を実施するアジア唯一の民主主義国家であった。歴史的に見ると二千年以上に及ぶ万世一系の天皇をいただく独自の国家でありこれは今もかわらない。日本は過剰人口に悩む資源のない国だったので世界経済不況の影響を受けて不況に陥り、満洲の開発に力を入れていた。対米関係は貴重な貿易相手として常に友好を心がけており米国産業界にとっても支払いで問題を起すことの無い世界三位の上得意の輸出先であった。国民は貧しかったが強く連帯し国民の愛国心、道徳心は世界一、識字率も世界一であった。科学分野では優れた発明発見が行われ、文化面でも多くの文学、美術、音楽などの優れた作品が生まれ今日も私たちを楽しませてくれている。若い人は大いに自信と誇りを持ってよい。戦前の日本非難は虚偽であるからだまされてはならない。 ●「天皇崇拝の意味」天皇は日本の有史以来続く日本民族の正統性の象徴である。日本人が何か分からなくても正しいものの存在を信じる気持ちの源は天皇にある。だから天皇を失えば暴力、金の支配する世界となり地獄となる。日本人は心に天皇の存在があるので混乱時に外国人のような略奪行為をしないのである。天皇を頂くことが日本民族が諸国民に比べて貴族的な性格を持つ理由である。 ●「英国人女性の印象」一九三十年代前後の日本の印象を英国駐日外交官G・サンソム夫人が随筆に書い・・・ |
第六章 支那事変(日本対蒋介石軍閥の戦争) |
●「支那事変とは」これは一九三六年十二月のソ連が糸を引く西安事件を伏線とし翌年の盧溝橋事件、八月の上海事変、さらに講和不調から全土の戦闘に発展し一九四五年八月の日本の敗戦に到った支那本土の戦争である。支那事変は戦後「日中」戦争と言われるが、その実態は日本と蒋介石・中共軍閥との戦いであり日本は南京政府とは戦っておらず「日・蒋」戦争というのが正しい。日本は蒋介石政府を山奥の重慶に追い込み、親日の国民党南京政府と人口二億以上、重慶を除く主要七大都市を含む一千近い都市、沿岸部など圧倒的に広大な地域を支配した。蒋介石は軍資金も武器もなく自力では戦争 が出来なかったので補給から見ても蒋介石を代理に使ったソ連と米国の対日戦争であったことを知っ ておきたい。 ●「複雑な支那事変」この戦争が分かりにくいのはなぜ蒋介石が支那統一目前に長年の戦略方針を放棄し て見当違いの自軍主力部隊を損ねる対日戦争を起したのか。また日本軍がなぜソ連という最大の仮想 敵国がありながら横道にそれ支那大陸の戦争に深く入り込んで行ったのかということである、ともに 自殺行為であったからである。事実蒋介石は戦後共産軍に敗北して大陸から追い出され、日本は八年 後に中立条約を侵犯されソ連に襲われるのである。 ●「黒幕スターリン」スターリンのこの戦争の狙いは東部国境の二大反共勢力である日本と国民党の蒋介 石をぶつけて無力化することであり見事に成功した。ただ日本が予想外に勝利したため、用心深いス ターリンはさらに日本軍を南下させるため米国の支那満洲進出欲を利用し太平洋戦争をそそのかした・・・ |
第七章 独ソ戦 |
●「戦争経過」一九四一年六月ヒトラーがその著書「我が闘争」で予言しスターリンが最も恐れていた独 ソ戦がついに始まった。タイミング的にはソ連が独の石油の供給地である東欧に勢力を伸ばそうとして衝突したことや食糧などのソ連への依存を危険と見たことなどが軍事力に自信をもったヒトラーの戦争決断を急がせたという。しかしスターリンはすでに国際謀略工作により東部国境の日本軍を南下させており勝敗の鍵になる米国を味方に引き込むことに成功していた。このためソ連は緒戦で独に大打撃を受けたが伝統の焦土作戦と米国の天文学的な援助により反撃し、ついに四年後に首都ベルリンを含む独東半分を占領した。ナチスドイツはヒトラー総統の自殺で無条件降服し滅亡した。 ●「スターリンの対独戦争想定」スターリンは一九四〇年、彼のビスマルク全集の中で独に二正面作戦を避けるように戒めている箇所に「ヒトラーを尻込みさせる必要はない」と書き込みを入れている。独の攻撃を想定していたのである。(「知られざるスターリン」 メドベージェフ著 現代思潮新社) ●「米国の選択」独ソ戦の勃発にあたり米国には二つの選択があった。それはソ連支援の「参戦」と独ソ共倒れをねらう「静観主義」であった。共和党の前大統領フーバーらは米国が参戦してソ連を支援す れば必ず戦後ソ連を強大化させることになると考え静観主義を主張した。しかし民主党のルーズベルト大統領は参戦を選びソ連に莫大な援助を開始した。その結果はフーバーの心配した通りとなり戦後ソ連は米国を脅かす強大で危険な存在となったのである。 ●「スターリンはだまされたのか」独ソ戦では緒戦の大敗北からスターリンがヒトラーに不意打ちを食らっ・・・ |
第八章 太平洋戦争 |
第八章 太平洋戦争 ●「太平洋戦争とは」支那満洲進出を狙っていたルーズベルトは先行する日本を邪魔者視していたので一九三七年に支那事変が始まると日本の講和調停の依頼を断り翌年から蒋介石に大軍事援助を開始した。 そして三年後さらに日本を経済的に圧迫し、一九四一年になると必死に日米交渉で解決しようとする日本をはぐらかし、米空軍を中国軍に偽装してビルマの日本軍を攻撃した。そしてハルノートで日本に支那満州から即時撤退を要求した。このため日本はやむを得ず一九四一年十二月八日米国の圧迫的な政策の緩和を求めて真珠湾軍港を反撃した。戦争は四年間続き日本は必死に戦ったが一九四五年原爆まで落とされ敗北した。 ●「日本人の確認」日本人が知っておくべきことは当時天皇陛下以下東条首相も庶民も誰一人日米戦争を 望むものはいなかったということである。なぜなら百害あって一利なしだったからである。 ●「スターリンの戦略」スターリンは東部国境工作として蒋介石に支那事変を始めさせていたが独ソ戦が始まるので予想外に圧勝している日本を警戒してさらに南下させるために日米戦争を計画した。そのために米国の支那満州進出欲を煽り、具体的にも米国のハルノートに戦争を引き起こすための日本の絶対に受け入れられない条件をソ連スパイを使って盛り込ませ太平洋戦争を起こすことに成功した。米国政府の最高中枢にはすでに米人ソ連スパイが多数浸透していた。 ●「開戦理由がわからない」真珠湾事件については学校の歴史教科書では日本軍が突然米国を襲ったと記されている。しかし国家が理由もなく攻撃するわけはない。これでは誰もがおかしいと思うだろう。・・・ |
第九章 アジア白人植民地の解放 |
●「アジアの解放」日本軍は真珠湾を攻撃すると同時に米領フィリピンのマニラ基地やマレー半島の英領シンガポール軍港などアジアの欧米の大軍事基地を攻撃した。日本軍は欧米の植民地軍に比べるとはるかに兵力が少なかったが精強であり現地人の積極的な協力と支援を受け破竹の進撃を続けた。欧米の強大な殖民地軍は激しく抵抗したが英領マレー、英領ビルマ、英領香港、蘭領インドネシア、米領フィリピンは次々に日本軍に占領された。日本軍が欧米植民地軍を破り十万以上の白人兵を捕虜にすると百年以上もの長い間白人の残酷な植民地支配に苦しんできた現地人は日本軍を解放軍として迎え大歓迎した。オランダ軍のテルブールテン中将は部下のゲリラ戦の提案に対して現地人に憎まれていることから自信がなく不可能と判断し日本軍に降伏した。 ●「アジアの覚醒」日本はかつて日露戦争の勝利でアジア人に独立の希望と民族の自信を生み出したが太平洋戦争の緒戦の大勝利は米国やアフリカの黒人を含めて白人の圧制に苦しむ世界の有色人種の間にさらに大きな自覚と自信を抱かせた。このためルーズベルトは国内で無権利状態に抑圧していた黒人系米国民の反乱を強く警戒した。しかし日本敗戦後アジア諸国は再度来襲した宗主国と激しい独立戦争を戦いそれが米国の黒人系国民の公民権獲得運動に強い影響を与えてゆくのである。 ●「日本の大東亜戦争の意義」日本人は殖民地の解放という他の国民の絶対にできない世界史的な偉業を奇跡的に成し遂げた。大いに誇りに思ってよい。 ●「スターリンの利用」スターリンはこの戦争により日本軍の南下をさらに確実にし東部国境の安全を確・・・ |
第十章 |
●「会議の目的」一九四五年二月日本とナチスドイツの敗北が見えてくると米英ソはソ連のクリミヤ半島にあるヤルタで会議を開いた。その目的は戦後世界の設計であったが主な案件は三つあった。 @国連の創設と四大国支配 A米国による欧州のソ連占領地の承認 Bまだ始まっていないソ連の対日戦(満洲、樺太、千島、朝鮮)と米国の満洲支配の仕掛づくり 日本にとって重要なのは最後の問題である。これが原爆投下の伏線にもなっている。 ●「米ソのアジア戦略の経緯」支那満洲をねらって太平洋戦争を始めたルーズベルトは甘く見ていた日本軍の強さに驚き損害を減らすためソ連に対日戦への参戦を要請した。それに対してスターリンは日本 と日ソ不可侵条約を締結しているにも拘わらず一九四三年十一月モスクワを訪れていたハル国務長官に独ソ戦勝利後の対日攻撃を約束した。ルーズベルトは大喜びし独ソ戦を早く終わらせるために莫大な軍事援助を行いスターリンは最終的に総計百十五億ドルに上るトラック四十万輌、ジープ六万台、航空機一万五千機、戦車七千輌、その他四百万トンという天文学的な援助を手に入れるのである。 ●「ソ連の対米謀略」このため会議の時期にはソ連の勝利は確実であった。そこでスターリンは戦後アジアに勢力を拡大するためルーズベルトの満州進出欲を利用して代理占領を請け負うのである。 ●「米国の対ソ油断」一方手を汚さずに満州を占領しようと焦るルーズベルトはソ連が満洲を占領するとどうなるかは考えが及ばなかったようである。米国は単純に戦後ソ連が約束どおり蒋介石に満洲を引・・・ |
第十一章 |
●「スターリンの陰謀」スターリンは日本が敗戦寸前になると日本との中立条約を侵犯して日本の領土や満洲を襲い、火事場泥棒のように領土や資産を盗み多くの日本人を殺し奴隷化した。この犯罪行為は 表面的にはヤルタ協定の米国の依頼によるが、スターリンはもともと満洲の支配に関心があったので、 米国を騙して満洲を手に入れると最後に違約して共産化してしまったのである。 ●「日ソ不可侵条約の締結」日本はすでに張鼓峰事件、ノモンハン事件でソ連の攻撃を受けソ連を警戒していたが、支那事変中であり米国の強い圧迫を受けながらソ連を敵にすることはできない状況にあった。そこで一九四一年四月松岡外相は米国の対日圧力が強まる中で日本の対米交渉力を強化するためにスターリンと日ソ不可侵条約を結んだ。一方スターリンはスパイの報告でドイツの攻撃の近い(六月予定)ことを知っていたので、東部国境が安全になる日本の不可侵条約提案は願ってもないことだった。このためスターリンは松岡外相を大歓迎し、異例にもモスクワ駅まで見送りに来たことはよく知られている。当時スターリンは神秘化された謎の指導者を演出していたのでこの大歓迎は世界の大き な話題になった。 ●「歴史の証言:スターリンの見送り」 (モスクワで松岡外相と随員加瀬俊一はクレムリン宮殿でのスターリンとの会談を終えて帰国の準備 をする)「松岡外相はスターリンさんの目は柔和で良いという。私は三百万人を処刑したという大粛 清の時スターリンの目は柔和だったのかと密かに疑った。私の手記には「(クレムリンの会談で)ス・・・ |
第十二章 日本の占領と破壊 |
●「降伏調印式」ミズーリ号上の調印式に出席した外務省随員の加瀬俊一氏は次のように記している。 「事前にミズーリ号について海軍に聞くと特攻機が沖縄で一機命中しているという。私は英霊たちと甲板を踏む覚悟でいた。甲板に上ると壁に日章旗が十数個記されているのに気づいた。祖国のために 死を急いだ特攻隊の青年たちだった。もし君たちに霊があるならこの降伏の光景をなんと眺めることだろうか!私は自問した。目頭が熱くなって涙がこみ上げそうになるのを必死になってこらえた。敵の目の前で涙を流してはなるまい」(「あの時昭和が変わった」加瀬俊一著光文社 抜粋要約) 一、占領政策の概要と流れ ●「概要」一九四五年八月日本は軍事力が破壊され非人道的な原爆攻撃まで受けたので降伏した。すると米国は日本を占領し軍政をしいた。日本は戦争で国土を失い主要都市は破壊され国民に三百万もの犠牲を出していたが敵の真の破壊と弾圧はこれからであった。米国は占領軍総司令官マッカーサーの絶対権力の下に日本政府を傀儡とし「民主化」、「反封建化」の名目で日本の徹底破壊を始めた。占領軍が早速日本を再建したというのはウソである。この結果日本は固有の生命システムである生存、生活、再生のシステムを破壊され公職追放による日本社会の乗っ取りまで受けた。しかし運よく米ソ冷戦の対立で米国が占領方針を破壊から日本利用のための復興に大転換したので破壊はとりあえず中断した。しかし日本人には敗戦の衝撃と冷戦の価値観の大転換があまりに大きかったこととその後の左翼の史実隠蔽歪曲で占領統治の悪意性が国民によく知られていない。占領政策による破壊は今も続・・・ |
第十三章 東京軍事裁判 |
一、日本人の考え方 ●「経緯と被害」一九四五年日本軍が降伏すると連合軍は政治指導者や日本軍人や軍属などをアジア各地で捕らえて虐待し裁判を装って処刑した。欧米による死者は裁判前の虐殺死を入れると一千名以上に上る。ソ連は日本人六十万人を捕らえ軍事裁判で過酷な奴隷労働を課したので虐殺された死者は六万人以上に上る。日本の政治指導者七名は一九四八年に東京軍事裁判により処刑された。しかし東京法廷はその後直ちに解散され二度と開かれることはなかった。戦後冷戦が始まり米国の政策はアジア支配の日本破壊から日本利用のための復興へ百八十度転換したからである。これに伴い一九五一年マッカーサーは米国議会で日本の戦争は自衛戦争であったと三年前の東京裁判当時の東條英機らを処刑した告発を訂正した。日本政府は一九五三年独立するとすぐに国会の与野党の満場一致決議で被害者の名誉を回復し遺族への年金支給を開始している。 ●「大東亜戦争の思想的総括」大東亜戦争は思想的に見ると白人植民地主義に襲われた日本民族主義の自衛反撃であった。支那事変はソ連による蒋介石を使った対日謀略戦争であり太平洋戦争とアジア解放戦争は白人植民地主義に対する日本の正当防衛であり、日ソ戦争は共産主義の日本に対する侵略戦争と見ることができる。 ●「軍事裁判は軍政の政治ショー」軍事裁判は敵の軍政下の政治宣伝ショーであった。その無権威性、一・・・ |
第十四章 昭和天皇の国民慰問 |
●「昭和天皇」昭和天皇は二千六百年に及ぶ長大な日本の歴史の中で民族の最も危険な時代に政府を指 導されその後国民と苦楽を共にされ国民の心の拠り所となられた偉大な天皇である。戦前昭和天皇は 常に平和を望まれたが外国の攻撃をうけたのでやむなく日本は自衛戦争に入った。しかし敗勢が濃く なり原爆攻撃まで受けたので政府が苦悩し混乱する中で天皇が敗戦を受け入れられた。 ●「天皇陛下の激励」日本人は占領軍独裁の破壊と弾圧の前に抵抗できず苦しんでいたが、昭和天皇は各地を行幸され傷つき苦しむ日本国民を励まされた。このため日本は諸外国のような内乱も起こらず我慢強く時局の好転を待つことができたのである。このような難しい仕事は天皇陛下以外の誰も出来るものはなく、昭和天皇の偉大さをよくあらわしている。「御製に仰ぐ昭和天皇」(副島廣之著 善本 社)から抜粋要約する。 ●「臥薪嘗胆のご教示」 昭和二一年に作られた御製は次の通りである。 この趣旨は降り積もる深い雪にも耐えて常に緑の色を変えない松のように占領の苦しみに負けず日本人としての誇りを守り再独立の時を待とうという国民へのご教示と激励である。 ●「米軍の外れた思惑」占領軍は日本人における天皇の特別の存在を理解できなかったので天皇が行幸で・・・ |
第十五章 米国の反共大転換 |
●「鉄のカーテン演説」戦争中チャーチルはソ連の欧州中央部進出を警戒していたが米国はソ連を使ってドイツを倒すことに夢中でソ連に利用されていることに気づかなかった。そこでチャーチルは一九四六年三月米国フルトンでトルーマン大統領の許可を得た上で有名な鉄のカーテン演説を行った。 「ソ連が何をしようとしているのか誰もわからない。しかしバルチック海のステッテンからアドリア海のトリエステまで欧州大陸を横切って鉄のカーテンが下ろされた。その内側に中部、東部欧州のすべての首都、古都が飲み込まれてしまっている。これまで(各国で)微々たる勢力であった共産党は全域で全体主義的統制をしきつつある。・・われわれが戦ってきたのはこのような欧州を実現するはずではなかったはずだ」この演説はルーズベルト夫人など米英の親ソ派の間に驚きと憤激とを巻き 起こした。しかしその後の米英の基本政策となり反共のNATO(北大西洋条約機構)が設立されるのである。(「チャーチル伝」ルイス・ブロード著 恒文社) ●「マクマレーの予言の的中」戦後の極東は戦前マクマレーが予想したとおり日本の撤退した空白にソ連が大々的に入り込み支那では国共内戦が再開し米国は思惑が外れ大混乱に巻き込まれた。このため米 国ではさすがに民主党政権の失敗が問われることになった。 ●「日本破壊の停止」一九四八年米国国務省の高官でソ連問題の専門家のG・ケナンが来日し日本占領政策を調査したが、極めて過激なものであり、共産主義反乱の下準備になっていることをマッカーサーに指摘した。そこでマッカーサーはすぐに破壊政策を停止し総司令部内民生局に巣食う左翼を追放した。ケナンは視察の結果、対日占領政策の見直しをトルーマン大統領に建策し採用された。・・・ |
第十六章 |
●「日本の再独立」一九五〇年代に入ると米国は支那満洲の喪失、朝鮮戦争そしてアジア諸国の民族独立により戦前からの西進殖民地主義を放棄し反共主義に転換した。そこで失った支那に代わる新しいアジアの軍事拠点として日本を利用することにした。このため占領方針をポーリー報告に基づく徹底破壊政策から早期復興に切り替え米国の指導の下連合国は一九五二年サンフランシスコで日本に対して 講和条約を締結した。 ●「日本に有利な講和条約」ダレス国務省顧問は吉田首相に次のように語った。「三年前であれば講和の条件はよほど悪条件のものになっていただろう。しかし今は勝者として敗者に対する講和条約を作ろうとしているのではなく、友邦として条約を作ろうとしている」たしかに第一次大戦のベルサイユ条約のように再軍備を禁じておらず講和条約で占領政策を恒久化するようなことはしていない。また戦犯をこれ以上訴追せず刑の赦免、軽減の道を開くなどが了解された。しかし米国の本意は表面的な友好ではなく冷戦の始まったアジアにおける日本の軍事能力の再利用にあった。ソ連は調印しなかった。ソ連はさらに日本の破壊を深化させるために占領支配を続けたかったのである。日本人の臥薪嘗胆の占領時代は幸運にも六年間を経て終わったのである。 ●「講和条約の調印式」「明ければ九月八日。一片の雲もない日本晴れである。かなり暑い。定刻正十時、舞台に林立する最後に見よ今や日章旗が樹てられるのである。白地に赤のあの日本の旗が、懐かしいわれらの国旗が再・・・ |
第十七章 日本人の課題 |
本章では今までのまとめと今後日本人の取り組むべき問題を考えてみたい。 @民族の歴史を正しく知る A現在の危機の認識 B解決の方針 C破壊されたものの回復 Dだまされない E行動 一、民族の歴史を正しく知る ●「東京裁判史観の否定」今までの歴史分析で東京裁判史観の誤りが分かったと思う。 ●「正しい歴史観へ」そこでこれに代わるものとして本書で分析した歴史観が日本人にとって分かりやす いだろう。 ●「誇りと連続性の復活」日本人はやはり正しかった。それどころか実に偉かった。日本悪者論の宣伝か ら解放されれば誇りと民族の連続性を取り戻すことできる。 ●「民族の記憶」日本人は共同体として民族の栄光と悲劇を正しく子孫に伝えることが必要である。 そこでキーワードとして次の言葉を覚えて欲しい。・・・ |
あとがき: |
私は小学生高学年から歴史に関心があり「プルターク英雄伝」や「大空のサムライ」を読んで感激したものである。社会人になってからは海外出張を利用して、タイのカンチャナブリや北アフリカのエル・アラメインなど第二次大戦の古戦場を訪ねた。そこで考えたのは大東亜戦争とは大変複雑な問題であったということである。 このため戦後の一方的な日本悪者論には疑問を抱いていた。そんな折に反日史観が外国人犯罪者のイデオロギーに利用されていることを知り日本人の立場に立った新しい歴史観の必要性を痛感した。なぜなら正しい民族の歴史観はもはや一部歴史専門家だけのものではなく全国民にとって必須の問題になってきたからである。そこで近代史の専門家に総合的な近代史を期待したがいつまでたっても出てこない。そこで止む無く自分で作成することにしたのである。 分析の手法としては、縦軸に事件を発生順に並べ横軸に各国の国際政策を記して相互の関連を考えてみた。しかし共通する論理はなかなか見つからない。 一方一九九一年のソ連が崩壊するとあのハルノート原案はソ連が作ったなどソ連時代の驚くような機密歴史情報が公開されるようになった。そこでこれらをヒントにスターリンの国際戦略に着目してみると、各事件の謎が解け相互の構造や関係が見えてきた。 これはロシアのマトリョーシカ人形(入れ子人形)に例えることが出来る。 すなわち、支那事変は蒋介石の人形の中にスターリンがいる。太平洋戦争はルーズベルトの人形のなかに・・・ |
本書を写真と各章の初めの部分で紹介します。 |
本文の最初の部分を紹介します。 |