杉原領事とユダヤ人救出

史実 1933年ドイツではヒトラーが政権を取るとユダヤ民族の迫害がはじまりました。このためユダヤ人は脱出を望みましたが、米英を含め受け入れる国がありませんでした。 この時日本は通過ビザを発行したので、欧州のユダヤ人はソ連経由で満洲国、日本、を通過し、当時国際都市であった上海に逃げることができました。杉原領事はソ連による領事館閉鎖命令により、日限まで列を作って並ぶユダヤ人難民のためにビザの発給を続けました。その数は六千通といいます。1941年太平洋戦争がはじまると、米国はユダヤ難民の受け入れを始めたのでユダヤ人は米国に脱出しました。
問題 史実が歪曲されて、杉原領事が日本政府に反対してビザを発行した。このため杉原氏は冷遇され戦後解雇されたとされ、反日宣伝に使われています。戦前の日本は悪いという決めつけです。
解明 1.人数と日本政府の方針:
上海のユダヤ人居留地区の人口は2万5千と言われます。ということは差し引き1万9千通のビザは、欧州の他の日本領事館から発行されたものです。在独ハンブルグ日本領事は800通発給したと言われています。これは杉原領事だけの行為ではなく、また日本政府が禁止したわけではなかったことを示しています。

また政府に反対して公文書を発行すれば偽造となります。偽造査証を通す国はありません。特に冷酷なソ連KGBは厳重です。

2.杉原氏の叙勲:
杉原氏は1944年に勲五等の叙勲を受けています。

3.戦後:
日本が敗戦すると在外公館は廃止され、勤務していた外務省職員は帰国しました。このため職員は余剰となりました。すると占領軍司令部GHQは日本政府に職員を減らすように命令したので、外務省は職員を大幅に減らしました。この中に杉原氏が入っていたのです。占領軍の命令でした。
背景 日本がユダヤ人に好意的であったのは理由があります。それは日露戦争当時戦費が不足した日本政府は国債を売りました。しかし敗戦必至の日本の国債を買ってくれる人はいませんでした。その中でユダヤ人金融家だけが購入してくれました。これはロシアで迫害を受けているユダヤ人の待遇が向上することを願ってのものでした。もしこの引き受けがなかったら満洲の日本陸軍は壊滅していたでしょう。このため日本政府、皇室、軍部はユダヤ人に感謝しました。
ソ連側に到着した2万人ものユダヤ人を満州を通過させたのは、のちの首相の東條英機でした。このように日本政府のユダヤ人対応は、恩返しの意味があったのです。
今後 上記の史実と背景から、反日宣伝の歪曲を排し子供たちに日本人の美挙を正しく伝えることが必要です。