日本悪者史観からの解放

これはソ連崩壊後に公開された米ソ歴史情報から見れば明らかである。完全な日本の自衛戦争であった。それなのにいままで史実が隠蔽、歪曲、偽造されてきた。そこで支那事変、太平洋戦争、アジアの解放、日ソ戦争の因果関係を概観してみよう。


支那事変 独ソ戦争 太平洋戦争
アジアの解放 日ソ戦争

支那事変


原因:スターリンの動機はヒトラーとの戦争に備えて東部国境を安全化するため、東部の反共勢力である蒋介石と日本を戦わせて無力化することであった。

1936年の蒋介石は9年かがりの国共内戦に勝利し、支那統一の五分前といわれ延安に逃げ込んだ共産党撃滅を前に日本と協力していた。

西安事件:

1936年12月蒋介石は油断して西安事件で囚われ脅迫に屈して対日攻撃を約束。ソ連の三億ドルの支援で翌年七月から対日戦争を開始した。近代戦は補給戦であるから小競り合いが発展して大戦争になることはない。戦争はすべて準備されており偶発は無いのである。蒋介石も上海郊外に半年かけて7万のトーチカからなる大要塞を建設していた。スターリンはソ連赤軍の軍用機、兵器弾薬、将軍、飛行士、整備兵などを大量に送りこんだ。盧溝橋事件は主戦場の上海から目をそらすための陽動作戦であった。

米国の動機と参戦:

一方米国は19世紀以来太平洋を西進し、支那満洲への勢力伸張を狙った。このため満洲国を建国した日本は邪魔だった。そこでルーズベルトは、日本の支那事変講和仲介要請を断り、それどころか戦争が長引き日本が衰退するように、蒋介石に莫大な支援を始めた。日本を滅ぼし戦後蒋介石を傀儡に支那満洲を支配しようと狙ったのである。この米国アジア政策の戦略が戦後隠蔽されてきた。

講和不調:

このため日本の再三の講和提案も蒋介石は受けることは出来なかった。しかし自分の主力が損害を受けるので対日戦を嫌がった。このため業を煮やした米国は中共に接触するのである。スターリンと毛沢東は口裏を合わせて共産主義者であることを隠し、農地解放主義者を偽装した。愚かな米国人はこの嘘を信じ込んだ。

日本の勝利と支那統治:

日本は上海の緒戦で大敗したがその後杭州湾上陸で逆転し、首都南京を占領するとヒトラー経由で講和を提案した。蒋介石は講和したかったがスターリンの傀儡になっていたので受諾できず戦争は拡大した。蒋介石を相手にせずという近衛声明は実質的に正しかったのである。日本の占領地域は支那大陸の半分、人口の半分以上、一千都市、重慶を除く七大都市、工業生産の九割以上となった。わずかな日本軍が二億以上の支那人を国民党南京政府と七年以上統治することができた。これは現地人と共存していた証拠である。

敗戦と復員:

八年後日本が米国に襲われて敗北すると、支那では日本軍、蒋介石軍、毛沢東軍の三つの武力が残った。蒋介石は日本軍が中共軍に武器を渡し、参加するのを恐れて、早期復員を提案した。それが恨みに恩で酬いるという偽善的な声明である。自分が戦争を起こしたことなど隠蔽している。しかし日本軍にとっては幸いであったからこの声明は歓迎された。

実際の復員は米軍の支那派遣軍総司令官ウェデマイヤー将軍が手配して完了した。

日本軍の死者五十万人、支那側の死者は国民党の調べで150万という。日本人はすべて前途ある青年たちであり実にもったいないことであった。