Car information & Car life plan
東海オートモービル企画/細野一紀
広州自動車事情 2006.7.23〜7.27
7月23日(日)
 14時50分関空発、中国南方航空は広州国際空港に向け出発する。今回の取材旅行は、ACCジャーナルの森会長、三木さんと私の3人、3時30分後空港に到着する。
さぁーて、準備した「我要乗搭機場快速6号線肥土到珠江新城広場」の紙切れを案内嬢に見せ、バス乗り場は?(ガイドがいない我々は、安いタクシーにも乗らず、さらに安いバスで中国友人達との待ち合わせ場所、江新城広場へ行くバス乗り場を紙切れに書いて聞くのであります。)50分間の急行バスはほぼ満席で、もちろん外国人は我々のみ。20元(約300円)の料金は安いなぁ〜(成田-東京間の空港バスは確か、3,000円だった)こちらはじっと見られているようで恥ずかしいのに、森さん車内で早速中国人と話していましたよ。
約束場所のバスターミナルに到着、香港の陳さん達と再会か、あれ〜、誰もいないよぉ〜。
30分ほど付近をあちこち捜すも誰も見当たらず、言葉も解らず、今晩泊まるホテルも知らず、捜し回った国際電話からかけた陳さんの携帯電話も通じません。2時間以上も待ち、辺りも薄暗くなりかけたここは中国広州、どないしょう〜、助けてぇ〜。と悲鳴が聞こえたのか、陳さん来ました!彼の友人の張さんと遅れてゴメンゴメン。列車が遅れたとか、本当に陳さんと抱き合って再会を喜びました。
2人に誘導され、彼らが予約したホテルに向かう。やっと到着、一息と思いきや、今度はフロントで値段交渉(ホテルの料金って交渉できるの??)。数十分の交渉結果は豪華単人房(デラックス・シングルルーム)の338元(約5,000円)が168元(約2,500円)で成立。へぇー、こんなのあり?、(写真参照)。夕食は模型店主のフォン(馬)さん、紅旗クラブのホー(何)さん、模型会社主席の汪さん達と皆で交歓会、旅行疲れも忘れ、店の閉店まで頑張りました。隣席の汪さんとカタコトの英語と筆談でビックリ、何とあのメイクアップやセンチュリードラゴンの中国工場の社長「汪恩光 York Wong」さんでした、ヒェー(写真中央)。
   
 
7月24日(月)
 6時に目覚める、9時30分の出発まで時間がある為もう一眠り、がまた7時に目覚める。(今日のモーターショーに興奮してか?)フロントでビスケットと緑茶(何故か、加糖)を8元で購入、やっぱり安い。これが朝食、勿論、ホテルにはレストランはありません。何だって168元だから。
10時の開幕にあわせ、フォンさん運転のVWジェツタで出発、と思いきや、街の食堂へ、朝からラーメンをご馳走になり、有難うさん(でも早く会場へ行きたいよぅ〜、これでは間に合いません)。
「Guangzhou Automobile Exhibition 広州モーターショー」
 本当に広大な敷地です、超近代的なホールです。昨日のドタバタでゆっくり観察する暇も無かった広州市、日本からの直行便があること、人口が約1,000万人もいることも取材に来て初めて知りました。(食は広州に在りは知っていましたよ)。日本のトヨタ、ホンダ、ニッサンの工場があり、中国のデトロイトと言われるぐらい車社会の様相です。中国と言えば、洪水のごとく自転車やバイクに溢れている光景がこの広州では見られません、本当にびっくり。
中国メーカーとしては、吉利汽車、奇瑞汽車、上海汽車、福曲汽車、紅鈴汽車。天津汽車ではVitzもどきのViziや、Mazdaと提携のHAMAの323やプレマシーが、大グループの一汽汽車はVWと提携のゴルフ、ジェッタ、ボーラ、Sagitra、Caddy,それにトヨタ、マツダとも提携。欧米メーカーでは通用汽車がオペルとビュィクを、東風シトロエン、広州プジョー、南京汽車のフィアットもありました。韓国系メーカーも北京現代、サンヨン等。日系メーカーは地元に工場がある広州トヨタが新型カムリを宣伝すれば、広州ホンダはオデッセイを、ニッサンがフーガとクエストを、東風ホンダがシビックと言う具合に、メーカー、合弁会社、販売会社が入り乱れており、おまけにコピー車種が絡んで、本当に複雑な生産・販売体系に頭がこんがらって、理解不可能!(これが中国自動車産業です)。
ところが何処を捜しても我アルファのブースはありません(フェラーリ、ランボはあるのにね)。これって国際モーターショー??そうです、アルファはフェラーリより偉い(稀少な)のだ、ここでは!



報道関係者向けのプレスキットやグッズ類もあまり無く、名刺がホッチキスに留めてあるカタログ(パンフレット)程度で、資料的な収穫も無く、会場を去りました。その後ホーさんの案内で、彼の事務所(相当な資産家か?)に出向き、自動車関係の本やカタログ等資料が山積みされた部屋を拝見、当方の遠慮もあり夕食のお誘いも断り、ホテルへ向かうが、先方はよほどご馳走したかったようで、少し機嫌を損ねていました(ゴメンね、気を使い過ぎて)。
7月25日(火)
 重い本やカタログを日本へ送ろうと、陳さんに案内され近くの中国郵政・China Postへ朝から向かう。中国の郵便局は緑を基調にしたオシャレナ建物、普段日本人とあまり接する機会が無いのか、黙々と仕事をこなす。15Kgの料金は航空便で8,000円ほど、あまりの高さに(中国の物価から考えて)ビックリ、船便に変更し312元(4,600円)でした。帰りがけ窓口の娘に「バイバイ」と手を振ると、向こうもニッコリ「バイバイ」と、やっぱり「バイバイ」は世界共通語か。待ってました!いざ、ミニカー店へ。フォンさんの模型店は、市内の「国際玩具文具精品広場」の一角にあるこじんまりとしたお店、あれも欲しい、これも欲しいと店内を漁る。世界共通ブランドは結構高いが、さすが生産本場の中国無印はとって〜も安かった。お土産をたっぷり抱え、フォンさんの奢りでラーメン昼食(森さん曰く、我々3人の買い物で、フォンさん今月、遊んで暮らせるね)。
食後、「中国香港紅旗車(紅旗クラブ)」顧問であるホーさんと模型会社主席の汪さんの招きで模型工場に向かう、道中何度も迷いながら、深セン方面へ3時間ほど走り、ようやくフォンさんのジェッタは5時過ぎに到着。工場周りを紅旗で試乗後(気分は既に毛沢東さん)、広大なガレージに鎮座する3台もの紅旗を鑑賞する。
「紅旗・HONCOI ホンチについて」
 1958年から1982年にかけて、1,371台が生産、中国製ボディーのCA700系が長く中国要人の公用車として使われた。その後AudiベースのA7220系となり、今年からご存知、クラウンマジェスタベースHQ系となる。本来のCA770系紅は1958年から1982年にかけて873台が造られ、写真の紅旗は1979年製、746台目の車だそうだ。エンジンはV8 5800cc、総重量は3,290kgもあるんだって。
あっ〜た〜。工場入口にある「メイクアップ、センチュリードラゴン」の看板、ここが中国の生産工場だ。(感激!感激!)社長の汪さん出張中の為秘書の徐さんの案内で見学、残念ながら撮影禁止のため、しっかり目に焼き付けました。あの「フェラーリF40 LM」製作過程を本当に興味深く見学し、やはりあの値段は妥当かなぁ。さらに紅旗のミニカーまでお土産に頂き、本当に有難うございました。
工場を後にし、一路広州市街へ飛ばす。歓迎された今晩の夕食は市内の高級飯店。ホーさんの4WDクラブの会員達との豪華な夕食会は車の話で盛り上がり、食後ホーさんのガレージ・オフィスへ行く、ガレージに収まる紅旗やジープ、古いランクルを堪能し、今度は自宅へ。膨大な車資料、ミニカー、おまけに奥さんの集めたコ−ラ、マンション全部がコレクションだらけ、よくまぁー集めたものだ。ホーさん我々をなかなか帰してくれず、ホテルへ戻ったのは夜中の2時を過ぎていました。疲れたよぉ〜、お休みなさい。
7月26日(水)
陳さんの案内で、今日は彼の彼女(と彼が一方的に思っている)の勤めているトヨタのディーラーへ。彼の知り合いの店とあって結構待遇良く、楽しく時間を過ごす。地元広州トヨタのお膝元だけあり、クラウン、リーツ(Reiz・マークX)、プリウスの精鋭車が揃う。値段はいくらかな?はい、正解はそれぞれ35万3千元(約530万円)、25万2500元(約380万円)、28万2200元(約420万円)、何、日本よりそんなに高くない?そうです現地生産は安いのです。でも考えて下さい、平均初任給が2万円・月給の国ですよここは(日本は20万円・月給として、約10分の1)、ひぇ〜高い。
陳さん彼女と何処かに雲隠れ、仕方なく我々3人は近くの食堂へ行き、日本語を勉強中という可愛い娘の勧めで、5元(75円)のラーメンを、いつもながら安くて美味しいね。
食後はタクシーに乗り、「中山紀念堂」へ。中国革命の父とされる孫文(の字は中山)の業績をたたえるために造られたこの堂は、これまた日本で勉強したことがあるガイドさんによると、現在多目的ホールとして利用されているとか。
24日の夜、我々がホーさんの夕食を断ったのがよほど気になったのか、広州最後の夕食は是が非でもとホーさんの奢りで広州料理の宴会となりました。本当に何時も有難うございます、中国最後のご馳走をゆっくり、楽しくいただきまぁ〜す。



7月27日(木)
 結構早い出発にもかかわらず、朝早くよりフォンさんの奥さんが、我々のホテルまで見え、空港までのタクシーを手配していただきました。丁寧にお礼を述べ(と言っても謝謝・シェシェ、シェシェのみしか喋れませんが)、タクシーは広州国際空港へ。今回も中国の方々との本当に充実した5日間でした。終わり
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