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■「北アルプス」号からの引退 |
名古屋鉄道キハ8500系は、1991年3月16日、二代目「北アルプス」としてデビュー。これまで運行してきたキハ8000系の老朽化や高山本線を走るJR東海キハ85系「ひだ」との車両格差を無くす事を目的とされました。当初は多客期の臨時列車のみJR車との併結運転でしたが、晩年は利用客減少により単独列車が無くなり、全て特急「ひだ」に併結されるダイヤとなりました。その後も利用客の減少が進み、ついに2001年9月30日で運行を終了。新製後、わずか10年で用途廃止となってしまいます。 |
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■会津鉄道へ |
名鉄線内でも間合い運用では使用実績がありましたが、全線電化されている路線で気動車は不要。そうした中で、同年12月、会津鉄道が全車購入することとなり、引退から3ヶ月ほどで第二の人生を歩むことが決まりました。
会津鉄道入りに際しては、特に大きな改造などはされず、塗色変更の案もあったようですが、同車のイメージなどが損なわれることなどから、車号を含めそのまま存置されることになります。
こうして12月22日〜25日にかけて甲種輸送が実施され、会津若松経由にて全5両が搬入されました。当時の会津鉄道には、開業当初からの軽快気動車ばかり。ひときわ輝いた存在でした。 |
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■再デビュー〜急行「南会津」との関係 |
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翌2002年3月23日、浅草からの急行「南会津」の接続列車として、会津田島〜会津若松間の快速列車でデビュー。一般公募により『AIZUマウントエクスプレス』の愛称も付きます。名鉄の元特急車に料金不要で乗車できるとあって、大きな話題を呼び、熱心な名鉄ファンも現地を度々訪れたそう。
さらなる活性化を求め、2003年10月1日より、土休日の喜多方までの延長運転が実施されます。
一方で、東武の直通急行「南会津」は、利用客の減少が進み、ついに2005年2月28日限りで廃止となります。(詳細はこちらの特集へ)これと引き替えに、野岩鉄道を経由して速達列車の役目を果たすのがキハ8500系です。 |
翌日の3月1日より、東武鉄道との接続駅である野岩鉄道新藤原までの直通運転が開始されます。乗務員は全区間会津鉄道が担当という異例のスタイルでの運行となりました。ダイヤ構成は旧「南会津」のスジを踏襲する形で、停車駅も変更ありませんでした。しかも野岩線内においても料金不要の列車とされ、ますます利便性が向上されます。
暫定的に新藤原発着で残されていた元「南会津」こと急行「ゆのさと」。当然ながら長く続くはずもなく、翌年のJR新宿発着特急列車新設の際に、種別変更と運行形態変更のもと、全区間で廃止となります。日光線急行は新設以来、時代の流れに翻弄され続けます。 |
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■躍進を続ける〜早すぎる引退 |
そこでキハ8500系の出番です。東武鉄道の鬼怒川温泉まで延長運転を行い、JR新宿〜鬼怒川〜会津の列車旅ルートを確立することとなりました。もちろん東武線内においても会津鉄道乗務員による運行となります。が、東武線内において、気動車による旅客営業列車が行われるのは熊谷線以来。
華やかな活躍にも見えるキハ8500系。しかし、ハイスペックな走行機器類は、三セク路線では思うように性能を発揮できず、加えて一日の走行で一両あたり1000gの燃料を消費。故障も目立ち始め、維持費が嵩むようになってきます。一度はリニューアル計画がされますが、続々と投入される軽快気動車との車種統一へ変更され、2010年5月30日。再デビューから8年あまりで二度目の引退を迎えました。 |
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編成別履歴 |
車号 |
新製 |
メーカー |
廃車 |
解体 |
備考 |
8501 |
1991 |
日本車両 |
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キハ85系併結対応 |
8502 |
1991 |
日本車両 |
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キハ85系併結対応 |
8503 |
1991 |
日本車両 |
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8504 |
1991 |
日本車両 |
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8555 |
1991 |
日本車両 |
2007.3 |
2010.1 |
機関提供廃車 |
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