後退青年研究所    (大江健三郎著)新潮文庫見るまえに跳べ


 批評の最高にして最低の形態は自叙伝形式にほかならぬ。とは、オスカー・ワイルド著『ドリアン・グレイの肖像』の序文である。若干の自叙伝が混ざるのをお許しいただきたい。
 
 アメリカ人の社会心理学者のミスター・ゴルソン氏が(どういう目的で、挫折した日本人の青年のインタビューを集めるために研究所を開設したのかは曖昧模糊としてわからない。)政治的、或いは思想的に挫折した青年の告白をきくという研究所である。後退青年研究所とは、そこでアルバイトをしているこの小説の主人公である『僕』の仲間達のつけた別称である。正式名はゴルソン・インタヴュー・オフィース(GIO)というものである。GIOは、60年安保闘争のころであろう。政治的、思想的に現実に打ちのめされ挫折を強いられた青年のインタヴューを集めるのが目的である。

 私が学生の頃、現実に、その研究所が存在し、それを知ったら、いの一番にそのGIOに駆け込んだであろう。僕達は受験戦争や受験地獄と言われた世代だ。僕の高校生の頃の夢は、美容師さんか、官僚になるだった。官僚になるには、どこの大学が一番卒業生を輩出しているか調べてみたら東京大学だった。東大、大蔵省。まさにそれを目指した。風呂場でさへ勉強時間にあてた。4当5落と言われていたが、深夜の3時まで勉強し6時に目を覚ました。3時間睡眠だった。高校一年生の春休みなどは17時間は勉強していた。だが自分は数学が凄く苦手だと高1の時に解った。当時の共通一次には数学は必須であった。そこで挫折を味わった。私立専願にしたが、早稲田も遠かった。浪人するも途中で放棄、バラ色に輝いていた高校生の頃を思い出してはため息ばかりついていた。ぬかるみの日々、果てしない虚無と、自己喪失感。大学生になったら、なにか変わるかもと思い直し、受験。面倒を観て頂いた塾長先生の励ましや指導を受け、勉強は全然しなかったが、二つの大学に合格できた。
 キリスト教を設立理念にした大学のほうを選んだ。もうひつの大学は、学生運動が激しそうだし、建物も古く汚かった。
 さー大学、勉強するぞと奮い立つものの、時代がそういう時代ではなかった。バブル全盛期。オールナイト・フジなんかもあって、また文学部なのに小説を書こうとしている学生が同じクラスどころか学年全部でも僕一人しかいなかったと思う。
 挫折を余儀なくされた。受験戦士の報酬は、虚しく、苦しい、挫折感に打ちのめされた青年期であった。今考えても、その心の闇の深淵に寒々しさを感じる。

 話は戻るが、隆盛をみたもののGIOは衰退していく。そこで、主人公の僕と同じアルバイトの女子大生、とゴルソン氏は、演者としてさくらの学生を捏造する。その7番目の演者が・・・

 何気ない日々の日常に真の幸福はある。

 森田童子 『ぼくたちの失敗』、中島みゆき 『アザミ嬢のララバイ』・・・暗黒の深淵に立たされたとき、心の琴線に触れるのであろう。また聴いてみようと思う。

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