トモ君のコラム&日記


未来予想図

 いきなり、タイトルが、ドリカムの曲名、のパクリで申し訳ございません。
 私は、ふと、たまに次の瞬間や、次の週、次の月、次の年、次の十年・・・たまに次に起こることが,ふと、判ることがあります。2005年に5番6番さんの漫才と、ガッポリ建設さんのネタを観て、あー次にクルのは、5番6番さんとガッポリ建設の時代が来ると思ったのでした。今日、インターネットを見て愕然としました。5番6番、解散とあったのです。5番6番さんは、去年の9月に解散していたのです。NHKの爆笑オンエアバトルや、爆笑レッド・カーペットで彼らのお笑い(特に猿橋英之さんの速射砲のような話芸)ビート・たけしさんや島田洋七さんの全盛期の話芸を、そのまま継承したかのような畳み掛ける話芸を見た、ディレクターさんやプロデュサーさんは、何も感じなかったのでしょうか?彼らの事務所の先輩である、爆笑問題さんも、日の目を見るのも数十年かかったのですから、外野からの余計なお世話ですが5番6番さんも、もう3年とか5年、コンビを組んでいて欲しかったです。5番6番18番というDVDも買って、陰ながら応援しておりました。猿橋英之さんは、どうしてしまうのか?あの才能を埋もれさせてはいけない。どうか、もう少し、お笑いの世界で頑張っていて欲しいです。

 が、最近気になる芸人さんがいる。もうメジャーなんだろう。すでにブレイクしていたのか判らない。私の部屋にテレビはあるが、地デジ対応にしていないので、テレビが観られない。ラジオが唯一の情報源だ。そこで知ったのだった。
 ぴろき という芸人さん。本当に芸人さんのうような芸人さんである。明るく、陽気に、いきましょうが決まりフレーズ。
 なんか元気が出る。来年、本格的にブレイクするだろう。

 でも、このコラムを書いていて、ふと5番6番さんのDVDを久しぶりに観てみた。やはり面白い。ネタは一度観て、だいたいは判っているのに、また笑わされた。本当におしい、5番6番さんの解散。

 
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フランス語検定、漢検も受けてみようと思う。(平成23年10月10日)


 昨日、夢にうなされた。MENSAの試験で、一問も解けずに、試験が終了せず、起きるまで一問も
解けなかったという夢だった。なんて怖ろしい夢なんだ。課題が一つだけなのがイケないのだと思った。
 一つの課題にのめりこみすぎる性格が自分でも解っている。競馬やパチンコをしないのもその理由からだ。
 お酒も飲まない。タバコも止めた。楽しくないんじゃないのと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、
ワクワクである。村上春樹氏が『風の歌を聴け』でもちろん、あらゆるものから
何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない。

 とも仰られている。年老いることの苦痛。17際の頃から持ち続けたノイローゼ的傾向。
醜形恐怖。人間は若くして死ぬのが一番いいのだとも思っていた。夭折。
 中学生の頃、美少年の誉れが高かった。自分でも、この美を取り扱うことに不馴れだった。ぼおっーと
している間に、髭が濃くなった。第二次性長期を迎えていたのだ。中性っぽい男の子から男になる試練が
待っていた。けれど、その時期を先送りにした。中性ぽっい男の子のまま生きていたかった。けれど現実は
そうわいかない。口の周りは真っ黒な髭。剛毛のような髭。現実を呪った。当然、  勉学にも集中できない。
 そしてねかるみの日々。でも、今、考えれば、髭なんてなんだと思う。何故、人生が終わったと思ったのか・・・
 今の私の髭は、もちろんめだつが、歳、相応なんじゃないかと思う。それくらいの髭だ。大阪府の橋下府知事や
今田耕司さんくらいである。

 フランス語は芸術を志すものは、学び取らねばいけないのではないだろうか。漢検は、小説家の修行の一環で
やろうと思っている。フランス語は4級。漢検は準一級を目指している。
 英語は、もういいや。二度と勉強もするのもイヤだ。英語が出来ない、マルチリンガルを目指そうと思う。
 
 何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛でない。

 そういえば、NHKの人間講座で、美輪様が、ありとあらゆるものを学び取りたいが、時間がどれだけあっても
足りないとも仰っていた。

 時間が足りない。あらゆる言語を学び取りたい(英語以外の)、経済も、法律も学び取りたい。
 まだまだ、老いるには時間がある。優先順位をつけ、やっつけていこうと思う。

 まずは、MENSAとフランス語と漢検だ。
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MENSAの試験を受けにいこうと思う。(平成23年10月3日)

 MENSA メンサの試験を受けにいこうと、思っている。人口の2%に存在するという、IQ148以上の人間。
 メンサとは、その試験だ。
 私はかねがね、大学入試の試験よりも、IQ試験で選抜される入試をと自論を述べてきた。大学入試は
愚問のオンパレードに見えていた。何故、このようなことを暗記しなければならないのか?不思議だった。
 当時、メンサの試験を知っていれば、救われたかもしれない。なぜ、この俺が、偏差値がかろうじて50なのか?
 学科試験なんてやるか、やらないかだと思っていた。そしてドロドロの受験地獄の世界にはまっていくのであった。
 教育の不平等。地方に生まれるより、東京で生まれたほうが、より質の良い受験教育を受けられるだろう。
 教育の格差。それらを、IQテストで選別すれば、親の経済状態に関係なく教育の格差は生まれずに済むだろう。


 
-話しは戻して、メンサは生涯で三回しか受けられない。三回目で試験に落ちると二度と試験を受けれないのである。
 メンサの過去問を取り寄せてみた。受験のテクニックである。まず、敵を知ること。図形が多く、理数系有利に思われた 万国共通であるから、数学の問題の多いのは仕方が無いかもしれない。
 私は勉強の為にタバコを止めている。集中力が求められるからだ。タバコのことを忘れようと思っている。
 世界共通の試験である。会員だけのサロンもあるらしい。過去問を解き、万全の準備が整うのは12月。それから
さらに準備をして、来春に受けようと思っている。今度の試験は大学入試のように簡単に負けないよ。

 桜は咲くか?緊張とともに身を引き締め精進しようと思っている。

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 やっちまったなー、独りカラオケ(平成23年10月3日)

 今日、カラオケに行ってきた。しかも独りで・・・私はマクドナルド、ファミレス、映画、なんでも独りでOKである。
 もちろん、カラオケも。大江千里のモノマネが出来るかもしれないと昨日、思ったのだ。『格好悪いふられ方』
 ばっちり決まった。最初に、目的を終わらせてしまったので、後でやる演目が見つからなかった。大江千里
 今の若い子が知る良しもないだろう。TUBE、松山千春、サザンオールスターズ、安全地帯、ひととおり、モノマネし
まだ使えるかと、ふと思った。しかし盛り上がらない。j独りなので当然である。若いころだったら、6時間くらい平気で
唄えたのだが。一時間半で予約を取ったが、あまりに淋しすぎて、一時間でチェックした。
 しかし、その料金の安さに驚いた。一時間半で、コールド・ドリンクバー、千五百円は覚悟していた。しかし、その料金
470円。いつから、こんなに安くなったのだ!一時間半で部屋を取ったが、一時間で出てしまった。当然、一時間半の
ルーム代を請求されると思っていたが、一時間で計算してくれた。何かの間違えじゃないかと思った。おそるそそる
定員さんにコールド・ドリンクバーも頼んだんですけど・・・と自己申告したが、ドリンクバーの料金も込みだという。
 これがデフレというものかと思ったが、気をよくして、また独りカラオケに挑戦してみようと思った一日だった。

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最近のサザエさん       (平成23年 8月23日)


 最近のサザエさんを観ていて、あることに気がついた。磯野家の家族はともかくとして花沢さんの
露出度が非情に多いのである。花沢さんは『ぶさいく、強引な性格。カツオ君迫る厚顔無恥の何者でも
ない』としてカツオ君は思い、迷惑をしているように描かれている。
 こんな花沢さんの扱いに、フェミニズムの活動家が黙っているのが不思議である。
 女の子は容姿がよくなければいけないみたいな描き方を花沢さんはされているのである。
花沢さんは不器量なのに自分にすごく自信がある。私の推察では、幼少期に母親の愛情を一心に
受けて『養育されたのであろう。』と思っていたが、花沢さんの家は父子家庭ではないのかとも思っていた。
今まではどうか知らなかったが、花沢さんには母親がいたのである。最近私は花沢さんの母親の顔を
見てしまった。不動産業を営む、とうちゃんがいるが、とうちゃんばかり出てきているので花沢さんは
男手一つでそだてられたものと思っていたのだ。

 カツオ君が迷惑がるのはマー、よしとしても磯野家の良心とも言うべきワカメちゃんまでもが、
花沢さんの器量があまりよくないので蔑視した発言が多くなっていると思う。

 私が学生の
頃、世田谷サザエさん学会の『サザエさんの秘密』なるものが大流行した。
ここ二十数年、サザエさんは視聴率が二十パーセント以上をはじき出している。

 最近のサザエさんは、クイズ問題や常識問題を問う番組などの流行で、サザエさんの番組で、
知識や教養を問う場面が多くなってきたことにも私は気づいた。山吹伝説などを解説したり、・・・
この前はカール・ブッセ作、上田敏訳の『山のあなた』をサザエさんが暗誦しながら布団を干して
いた。
教養主義のあをりをうけたのか?
話は変わるが、23,4年前、マスオさんが女性誌でもてはやされていた。結婚するなら、
マスオさんみたいな男性が良いというものだった。だが時は変わった。
今度は男性側が結婚に求める異性として、サザエさんみたいな女性を好むのではない
だろうか?
『サザエさん現象』なるものが起こると思う。サザエさんのように善良で、働きになどでず、
愚痴一つも言わず家族の為に家事をする。ちょっとドジだけど愛嬌があり、明朗である。
男性側は、そんな女性を求めているの
ではないだろうか?
そして話は唐突に飛ぶのだが、エヴァンゲリオンの葛城ミサトのプロトタイプはサザエさんのような
気がしているのは私だけだろうか?

 私が学生時代に履修した、教育学を担当されていた教授が『サザエさん』は、家族の者達が
鋭い観察力を持っていて監視しあっていると」仰っていた。「だれかが暗い顔をしていると、家族の
者達がいちはやく察し、悩みをもつ登場人物をなんとか解決しようとしている。」と仰っていた。
サザエさん。古き良き日本の家族や文化。日本のGNPが世界で第二位になった年に私は生まれた
ので諸先輩を差し置いて、昭和が懐かしいなどといえる資格は私には無いが、昭和に戻りたいなどと
思う私は生意気だろうか?いや、不遜だろうか。
昭和はもっと世間の人々が優しく、しくじりに対しても寛容だった気がする。
                                 
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がんばれTVBros. (2011年4月20日)

 
最近、TVBros.が買いにくくなった。TVbros.とは隔週に刊行されるテレビの番組案内誌である。以前は一週間たってもTVBros.をコンビニで買えたのに、今では買えないのである。先週号も、雑誌の多い中規模の書店で買わざるを得なかった。
 何故、買いにくくなったのか?解らない。私はTVBros.は、廃刊の憂き目にあったと錯覚し、とても残念だと思った。他のテレビ番組の情報誌で代用すれば良いのじゃないかとご指摘いただくかもしれない。でも、駄目なのである。
 そのへんを上手く説明するのは難しい。伊東美咲、田丸麻紀はOKであるが、吹石一恵は駄目なのかを説明するのと同じくらい難しい。どうして吹石一恵は駄目なのか?上手くは説明できない。それと同じで他のTV雑誌は駄目なのである。唯一、説明出来るのは、コラムの充実ぶりだ。私はテレビをあまり観ない人である。それが何故、TVBros.を買い求めるかというと、最初から最後まで、サブカル魂を揺さぶられるからあろうか?読者の投稿欄も素晴らしい もちろんコラムを寄せている方々。
 その中でも、松尾スズキ氏のコラムは秀逸である。そのコラムを読む為に買っているようなものだ。劇作家ということで最初は目もくれなかった。劇作家の方々に申し訳なく思うのだが、笑いのセンスがどっかずれている気がしたのだ。どうせ劇作家のお笑いなんて・・・ところが数年前、たまたまTVBros.の松尾スズキ氏のコラムを読んだ一発KO。これまで読まずにいた自分に怒りさへ感じた。とにかく凄いのである。
 劇団主催者、劇作家、映画監督、役者、そして芥川賞候補にもなった作家でもあるのだ。私は、その松尾スズキ氏のコラムを読んでから、速攻で5冊の文庫本を買った。もちろん『クワイエットルームにようこそ』を買って拝読した。速い、うまい、まるでどこかのチェー店のキャッチフレーズみたいあが・・・ただ、あまりに速く、上手すぎるので、もう少し考え込ませる出来事や、哲学的考察があてもよかったのにとおもうのであった。もちろんいいがかりである。
 話が外れてしまった。

 ここに三冊の平成21年4月のTVBros.がある。実用と、準保存と、永久保存のために三冊購入したのだ。遠まわしの美学 春だから春樹ということで村上春樹氏を紹介している。しかも滅多にお目にかかれない村上春樹氏の写真。一発KOであった。そして、TVBros.のライターだと思われる方が、こんな場合として、(状況下を設定して)村上春樹氏ならどう書くかとして一つの物語を書いている。あーこんな頭脳集団があるのだと思うと嬉しくてしょうがなかった。さらに冬樹も絶賛!として村上春樹氏の『ノルウェイの森』をモト冬樹氏に取材し、その感想を掲載している。春樹と冬樹という大胆な企画。KOというより試合放棄を私はした。どこまでもTVBros.に、付いていきますと。
 それだけではない。CDの情報も掲載されていて、(青木優氏)が怒髪天さんのプロレタリアン・ラリアットを紹介されていた 嬉しくてしょうがなかった。私はこのCDを予約して買ったほどだったのだ。怒髪天さんをはじめて知ったのは、いつだかは
正確には忘れてしまったのだが、数年前、NHKの(三崎高校で行われた)ロックの学園というのを偶然見たのだ。
 そこで、怒髪天さんのロックの講義に、「ロック、それはやべー」と、増子直純さんが講義をし演奏になった。
 ここでも一発KO
 これから怒髪天の時代になると確信した。もう、今ではメジャーだ。シングルをだせば、30位以内にチャートインする。
 それを2009年に取り上げた、MUSIC Culture BOOK.これもTVBros.なのだ。コンビニで買えないのなら書店にいくさ。
 そこまでTVBros.に心酔しているのだ。


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がんばれ豊川悦司氏(2011年4月18日)

 昨日、焼酎のトライアングルの話になった。そのCMに出ていたのって誰だっけと私は思った。
 いつも、そうなのである。3〜5年周期で豊川悦司さんの名前をわすれてしまうのだ。露出度といえば
原田知世さんのが俄然低いのに、原田知世さんは簡単に思い出せる。芸名が悪いのかもしれないと
思う。なにせ私は、(今の時代、コンピューターで何でも調べられる時代の前に生まれた)母をたずねて三千里
のサルのようなりすのようなマルコのペットの名前を思い出すことが出来たのである。一休さんの桔梗屋の
娘さんの名前さへ思い出せたのである。それがどうしても豊川悦司さんが覚えられない。覚えられないというのは
誤謬があるかもしれない。一度はキチンと答えられるのだ。そして、3〜5年経つと、だれだっけ、あの俳優さんは
ってことになってしまうのである。インターネットを使ってしらべりゃーいいじゃんとご指摘をいただくかもしれない。
だが、私にもプライドがあるのだ。暗記のトモ君としてのプライド。
この前も、秋吉久美子さんを自力で思い出した。

 いいや、こんなことを言いたいんじゃなかった。天知茂氏の後、明智小五郎を演じられるのは豊川悦司氏しかいないと
私は思っている。小学生の頃、初めて映像化した江戸川乱歩氏の明智小五郎を観た時は、驚いた!!!天知茂氏の
明智小五郎にである。イメージと違うと勝手に思っていた。少年探偵団を引き連れての明智は名高達郎氏や
三浦友和氏 そして俳優さんではなく、時代も違うのだが巨人の原辰徳選手みたいなイメージがあったのである。
 そのころの私は、まだウニの美味しさや、サンマの苦いところの旨さがわからない小僧だったのである。ニヒルの意味さへ解らない小僧であった。だが、だんだん天知茂氏のニヒルさに心惹かれていったのである。あーんな俳優さん、二度と現れないよなーと思っていた。それがトライアングルのCMにでていた豊川悦司氏。参った。そこで思った。太宰治役と明智小五郎が演じられるのは豊川氏だけだと。金鳥のCMとソイ・ジョイのCMを観た時は、ウーンと考えてしまった。ショックだった。今は芸の肥やしになさっているのだと前向きに捉えようとしている。
 でも念願が叶い、豊川悦司氏が明智小五郎をやっても、きれいなお姉ちゃんが入浴し、シャワーを浴びているときに最初の殺人事件が起こるんだろうな?

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書き出しっぺ

(2009年 3月24日(火)

 小説を読んでいると、たまに病院の描写に出合う。主人公が医者だったり、或いは病人だったり、或いは
看護師だったりする。様々だ。しかし、私がいつも気になるのが、作家の先生方の病院の描写に???と
すごく疑問に思うことがある。
 それは、「リノリウムの床」と「クレゾールの臭い」という描写だ。これらを先生方は,定番のように病院を
描くときに使われるのである。でも、私は、「先生方は建築学科や薬学部や医学部をお出になったわけではないでしょう。」と突っ込みたくなる。(例外の先生もいらっしゃいますが) それなのに、どうしてリノリウムの床とクレゾールの臭いが一発でわかってしまうのか?
 リノリウムの床って、いったいどうゆう床をいうの?リノリウムの床があるということは、そうでない床も
存在するはずだし、それとどう区別して、リノリウムの床と描写しているのでしょうか?私はいつか質問したいと思っております。あと、クレゾールの臭い。現在では医療機関で使われることはすくなくなっているそうです。
 私なりに病院の描写に挑戦してみた。
   
              (未題)
 病院の敷地の外れに設けられたゆるやかな白いスロープをたどりながら、私は、自分の気持ちを
確認するように慎重に歩を進めた。風薫る五月。日差しが眩しすぎて直視できないほどであるが、
見上げる青空には雲ひとつない。唯一、南の方角に中型のセスナ機が飛行していて、それが
オフ・ホワイトの飛行機雲の母になっている。絵に描いたような五月晴れと病院の白い建物に、
私は辟易している。
 太宰治先生がこのこの光景をご覧になったら。「あまりに俗で、まるで駄目だね。俗で、俗すぎて
絵にもならないね。」と仰るだろう。
 さらに四方から鳥のらのさえずりまでも聴こえてくる。なんなんなんだ。この幸福の四面楚歌は!!!。
 彼等は楽しいのだろうか? と私はフト思う。だが、結局彼等は楽しいに違いないと思った。
 鳥のくせに生意気な!「チッ!」と舌打ちをした自分に対し嫌悪感を抱く。
 最近、こんなのばかりだ。身を持ち崩した三十女のひがみなのか?
 
 離れにある敷地を通り抜け、病院の本館に着いた。病院の正面玄関から外来の窓口に一歩、
足を踏み入れると何の臭いもしなかった。病院のあの臭いがしない。なにか変だなと思った。
 保険の外交員をしていた二十代の頃、私は、敏感に他人の家の臭いをかぎわけてしまっていた。
 でも私の臭覚が異常に良いからといって、それを武器に暮らしてはいけない。
臭覚の国家資格試験があるわけではない。私は何回か履歴書の特技の項目に、『臭覚が
人一倍良い』と記入しようとしたが、その度に記入をするのをやめていた。
 私には二人の親友がいるが、何故、今日、病院にお見舞いに来た理由とともに臭覚のことは
話していない。病院の臭いは臭覚というよりも記憶の中に残っているのかのしれないと思った。残存記憶というより残存臭覚。病院の臭いがしないことは、どうでも良いことだと思いなおした。そのように病院の臭いに気を取られたのは、私の母が看護婦だったからだ。幼い頃、特に用も無いのにもかかわらず一人で病院に行ったりもしていた。あの時の臭いがしない。
 そして私は「ふふふ・・・」、と笑いがこみあげてきたのだが、場所が場所だけに我慢をした。
 私のほうが男を誘惑させるような 否、男を誘惑するために夜の服を身につけ、たっぷり香水を
つけてきたのだから・・・
 不謹慎ね!と言いたいばかりに、何人かのご婦人がチラリと私を見た。私は日本の平均的な女性の身長より15センチメートル程高い。さらにヒールを履いているので180を超える。真昼間から病院でディオールの臭いを撒き散らし、夜の女のような服で身をかためている。御婦人方にチラリ・チラリ批判的にというより侮蔑の表情で観られているので、私は仕方が無く足元に視線を移し、病院の床を見た。これがリノリウムの床と称されているものであろうか?と思った しかし建築学科とは無縁の文学部卒の私には、その正体はなんとも判らなかった。病院の床は鏡のように光沢をたたえ輝いてはいたもののグレーの落ち着いた色の床の責なのか、南側の窓から差し込む光が強すぎる責なのか、床に映る私の顔は乱反射して波打ち、まるでボナールの絵のようにぼんやりしているように観えた。 そしてその顔は、マルトのような表情ではなく、いまにも泣き出しそうになっている迷子の少女のように観えた。私は胸元に抱いていた黄色いチューリップの花束を持ち直した。

 黄色いチューリップの花言葉  望みの無い恋、かなわぬ恋 実らぬ恋・・・

                    (未題 おわり)

 病院の描写をする際にクレゾールの臭いとリノリウムの床というのは、誰かが、病院の描写をする際には
『こういうものとして書く』と確立されてしまったんだと思う。

 話は変わるが、ハイキングウォーキングさんの(鈴木Q太郎さんの持ちネタ)「卑弥呼様ー」という一発芸がある。長い髪の毛を両手でそれぞれ半分持ち、そして「卑弥呼様ー」と叫ぶ一発芸だ。私は最近、邪馬台国の時代の髪型や、服装ってどうしてわかるの?と思ってしまう。奈良時代の文化なら、正倉院御物から判るだろうが、弥生時代の民衆の風俗なんて資料として残っているの?と疑問を持つ。ただ、さらに私の疑問は深くなるが、あの時代の人々は髪型をどうしていたか謎である。理容師さんや美容師さんもおらず、はさみ等もないだろう。やじりの刃などで髪の毛を切っていたのだろうか?そもそも、髪を切るという行為自体がなかったのか?のばしぱっなしだったのであろうか?そして、これは自論なのだが、原始人は、男性性器、女性性器などをを隠してはいなかったのだと思う。寒さ以外は別だろうが・・・夏は、男女ともども、すっ裸で暮らしていたと思う。その一方で、ハリセンボンさんの「エジプトの壁画の女」という一発芸があるが、あれは理解できるし納得する。実物の『エジプトの壁画の女』をこの目で見たわけではないが、世界史の資料、TV等、で壁画の絵を、この目で観たからだ。まー邪馬台国や、弥生時代の風俗は『埴輪』などからわかるかもしれないが、あれはデフォルメしすぎだと思う。もしも人形などからその時代の社会、風俗を調査しようと思いたったら、数百、数千年後の日本人の子孫は、この日本という国に昭和や平成なんて、ありえなくない大昔の時代があって、インターネットなんて超古典的なもので情報をやりとりしていて、関東の一角からは、大量の森高人形が発見されて、平成時代の日本女性は、ミニスカだったと思うのだろうか?その数年後には綾波レイのフィギアが大量に発見され・・・20, 21世紀初頭の日本人の目は赤かったという資料になるのかもしれない。
 だれかが、時代のイメージを作るのである。
 気をつけていないと、誰かが時代を書き換えようとすることも可能なのである。イメージにとらわれてはいけない。大阪人であっても、笑いや、お好み焼きや、たこ焼きが嫌いな人もいるだろう。黒人であってもバスケや、陸上競技が苦手なばかりか、ダンスも物凄く下手という方もいらっしゃるだろう。イメージに流されてはいけないのである。              

某コンビにで、たまに買い物の額に応じたくじびきがある。私は、それを断っている。店員さんは、「「お客様は○○○○円のお買い上げですので、くじを五枚引いてください。」などとぬかすのである。
 なんで指図されなきゃならねーんだと思う。くじを引く権利があるということは、その権利を放棄する権利があると思う。だから私は、「くじは引きません。お断りします。」というとたいがいの店員さんは、表情をひきつらせる。きっと怒っているんだろうなーと思う。ワルイと思うが・・・店員さんは、「くじをお引きください。」→
客はくじを引いて当然。死語だが『お約束』というものだろう。私は、そういうお約束のような場面に出くわすと、物凄いアレルギーを感じるのである。
 店員さんたちは、「くじをお引きください」とお客さんに勧めても、くじを引かない人間もいることを認めて欲しい。 操作された情報や、時代のムードにぼんやりと従う恐ろしさに、もう少し、神経を配らねばならぬ時代はきている。私にはファシズムの音がズシズシとあるいはザザッと時代の軋む音が聴こえてくる。
 只の私の幻聴であって欲しいと切に願う。 このコラムのお題は、『書き出しっぺ』として書き出したが、これでは『言いだしっぺ』である。
                                              
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  受験英語
 (2009 2月17日)

 私は、これでも一応は英米文学科卒である。なぜ、私が英米文学科を選んだかというと(話は最初から外れるのだが・・・お許しいただきたい)大学受験の際に、受験英語で散々苦労させられた。トイレに英語の動詞の活用を書き出したものを貼りつけて覚えたり、湯船の中で英単語カードを持ち込みお風呂の中でさへ英語の勉強をしていたほどだった。焦りと、プレッシャー、空回り、そして空中分解・・・
 道にそれ、大学受験をやめて、パチプロになろうとかなり真剣に考えていた。
 二月の終わりになり、気が変わって受験しようと思ったのだが、その時期になると、無名の大学か、夜間部の大学しか募集が無かった。そこで私は在学中に『受験英語』を体系化して、受験英語の攻略法を徹底的に大学で研究し、受験参考書を出版させたかったので、英米文学科に願書を出した。大学在学中に『これだけ、単語・熟語』 通称コレ単、コレ熟、『おまかせ構文、解釈研究』の出版をしようと英米文学科の試験を受け、合格し、希望に燃え、心躍らしながら上京した。
 そして五月病ならぬ四月病。こともあろうに英米文学科の授業に『受験英語』の研究コースどころか、『受験英語』の授業さへも無かったのである。

 或る人にそれを愚痴ったら、「だって、受験英語って学問じゃないじゃん。」 とのお答えを頂いた。
ズッキュん
 そして酒に溺れ、多くの大学一年生と同じくして、坂口安吾著『堕落論』を読んだのであった。

 梅雨の季節、もう大学を止めようかと思った。個人的な趣味でお許しいただきたいが、私はオスカー・ワイルド以外の英米の作家さんに興味を持てなかった。そのかわり日本の近・現代の文学の素晴らしさに驚いた。それで苦肉の策で日本語で書かれた三島由紀夫先生の小説を英語に翻訳されたものを購入し、それを和訳して、英文解釈の力をつけようと思ったのだ。

 話は変わるのだが日本語の?漢字の意味が解らなくなったら、英語に訳すると、案外、意味がわかり易くなるというアドバイスを受けたことがあった。
 最近、勉強中の『論語』、そこで繰り返し説かれている 『仁』
 日本語ではなく、古代中国の孔子のお言葉であるが、』『仁』を英訳するとどうなるか調べてみた。

   仁  (儒教の)perfect virtue   人間愛  humanity
  virtueは、徳、善、美徳などの意味。そしてperfectというのだから徳・善・美徳が完璧、そして humanity 人間愛ということになるのだろう。
 浅学な私のような者が乱暴な言い方をしてはいけないと思うのだが、和英辞典と英和辞典で遊んでみた
 たまに、ふと。それは本当に気まぐれに思いつくことがあるのだが、この日本語を英訳するとどうなるのかなー?と思うことがある。刑事ドラマでよく使われるセリフ
 「あいつを、もう少し 泳がせておいてみましょう。」の泳がせてみる。 今日、和英辞典で調べてみた。

 《比喩的》 <世の中を>  get along

 彼は政界を巧みに泳いでいる
 He is getting along well in the political world.

 犯人を逮捕しないでしばらく泳がせておいた。
 We left the culprit at large for some time before arresting him.

 という例文を発見。でも《泳がせておく》という概念を英作文によって説明しただけではないだろうか?
 英語には、日本の刑事ドラマの『泳がす』という概念をあらわす、そのものズバリの表現はないのだろう。

 今後の英語教育はどうなっていくのであろうか?

 センター試験の英語の問題で、毎年ヒアリングテストでの際の機器、機具のトラブルをニュースで伝えてくる。馬鹿なんじゃないかと私は思う。あんな、リスニング試験なんてやめればいいじゃん!と私は思う。英会話重視だからヒアリングテストを果たす。その発想の貧困さと安易さ。受験科目は愚問のオンパレードだ。
 私は高校生の頃から、こんな愚問の為に労力を使う愚かさは百も承知だった。が、入試の問題を解けなくては合格できない。だまし、だまし、やっていた。
  今、思うのは発音なんて、どうでも、かまいやしないと思う。文法も同じである。よく、発音の重要さをしらしめたいのかflight(空を飛ぶこと)、fright(恐怖)を引き合いに出すかたがいるかもしれない。多分、そういう主張をする人は英語圏の人を馬鹿にしていると思う。それか自分は英語ツウと思わせたいのか?
 だって前後関係で、その単語では意味が合わず、類推して、あーあ、発音の似ているあれか!と解るからだ。
 外国の方が、日本語で話すとき「弐本に留学していた時、二本のでご飯を食べるのが難しくて、あの時のキャンプで渡ったを、もう一度、あなたと渡りたいというのは、たないことでしょうか?」と外国の方が『はし』の発音を間違えても、大多数の日本人は、弐本は日本で、橋は箸で、箸は橋で、梯は、端と、発音が違うけど、類推し理解できるでしょ。 それが類推能力というものではないだろうか!と思う。だから、この飛行機のfright(恐怖)をお楽しみ下さい。とflightをfrightと発音が間違えても、(馬鹿じゃないんだから、)怖くなって青くなったりしないのである。結局、コミュニケーションをとるのに言語がひつようなのだから、受験英語なんてナンセンスなのである。将来受験英語をマスターして、あーあ受験して受験勉強は役にたったと思える、逆に、将来受験英語を身につけたら、社会で役に立つから受験英語をマスターしようという問題作成が必要だと思う。この平成の時代に、(私が受験の時に英語でこういう愚問があったのだが)
 音節が区切られていて、どこの箇所を一番強く発音しますか?とか、この動詞を名詞にすると何か?などという、(どういう意図でこういう問題を果たすのかさっぱり判らないのだが)問題は、このような愚問は、まだ存在しているのだろうか?
 例えば、interestingの単語が音節によって区切られていて、そのどこを強く発音するか?を問うもの。
 そうではなくて、interestの日本語にした意味を問うべきだと思う。interestに、利子や利息という意味もあることを受験生に問うたほうが、どこを強く発音するかよりは良いと思うが、如何であろうか?
bookもしかり。本という意味だが、動詞になると、予約をするという意味もあるのだ。
 
 これは身勝手な自論なのだが『受験の際に、今までのような受験科目はまったく無く、IQテストだけで高得点を取った者だけ合格させる学校を創設するべきだ』と思う。そして小論文なんてやめて、頭が良くないと答えられない論述問題を出す。たとへば、このような論述問題の出題だ。
 
 『あなたの性別を答えなさい』そして、『あなたが男性であったら男性であること、女性であったのなら女性であることを、あなたの名前や身分証や容貌、音声以外、つまり文章だけで自分の性別を証明しなさい』などの、頭を使う論述問題を出題をしたほうが良いと思う。

 ゆとり教育は間違えた政策ではなかったと私は思っている。ゆとり教育を推し進めようとしたいのだったら高校と大学の入試問題を物凄く易化すべきだったのだ。授業と受験問題の易化という両輪で(ゆとり教育も易化した入試問題)を推し進めるべきだったのではないだろうか?
 ゆとり教育は失敗ではなかった。学生の能力が低下したのではない。入試問題を考える出題者の創造力、推察力、類推能力、などのセンスが昔からないのだ。
 
 一般市民が裁判に参加する裁判員制度がはじまる。私は大学入試の問題を作る際にも、一般市民が出題に参加・企画する『作成委員制度』を始めるべきだと思う。別に、英語や数学や物理などの今までの入試問題の作成を一般の人々が作るワケではなく、(つくりたいのであったら、作成していただくが)入試問題の作成を市民の方にお願いし、世間の智慧とか、雑学力などを問う入試問題を一般市民に委託するのはどうだろうか?例えば人間の血液は、体のどの器官からつくられるのか?とか、今年の日本のプロ野球の日本一になった球団と監督は?誰か?とか、四月の誕生石は何か?とか、カクテルのレッド・アイとはビールと何をまぜたものか?とか、ボッテガべネタとサマンサダバサのブランドが共通に扱うものはなにか?・・・と、問う出題はいかがであろうか? 何を言いたいのか解らないかもしれないかもしれないが、センスの悪い出題が多すぎるのだ
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NHKの逆襲 カンゴロンゴを中心に (日曜日午後23時)NHK第一放送
  (2009年 2月3日)

 最近、NHKの番組が面白い。特にNHKの木曜午後八時に放送されるドラマから、私は目が離せられない
 私は自分勝手に『木八』と呼んでいる。『乙女のパンチ』、『キャットストリート』、『七瀬ふたたび』等々
 私は木曜のドラマにスマッシュ・jヒットを決められ続けている。
 私だけかもしれないがNHKには、いくつかのホットラインがある。と、いっても私が自分でカテゴライズした
のだが・・・
 火曜日のホットラインは『プロフェッショナル 仕事の流儀』から、『爆問学問「爆笑問題のニッポンの教養』だ。
 そして日曜日が、今日のお題にしたカンゴロンゴだ。正確には『世直しバラエティー カンゴロンゴ』という。
 カンゴロンゴを簡単に説明すると、ラーメン屋の二階に住むカンゴロンゴ(平 幹二郎さん演じる)という
人生相談師がいる。カンゴロンゴの娘役は(夏川純さん)が演じ、その娘は,二階では父のカンゴロンゴ師と
一緒にいたり、一階のラーメン屋の厨房に有吉弘行さんとともにいる。夏川純さん演じる娘さんと、有吉さん
演じる厨房に居るコックさんは若夫婦なのか、雇い主と、従業員の関係なのかは不明。
 お客さん役にダンディー坂野さん(すごくいい味を出している)、宗文洲さん(日本に詳しい中国人 元バリバリの経営者 村中玲子さん演じる(謎の女スパイ)も現れる。 カンゴロンゴが迷える現代人に,孔子、老子、などの古代中国の思想家の教えを、お言葉と称して、寄せられた悩み事に指針を与えてくれる。言葉の処方箋だ。悩みを抱えた人々のお話は再現ビデオで構成されている。
初めてこの番組を観た時は、『なんなんなんだーこのふざけた番組は!』と、上から目線で観てしまった。音楽もなんか変だったし・・・
  カンゴロンゴ氏がお言葉発射の時に、サンダーバードのように二階の部屋の龍の絵を描いている木製の扉がバタバタと開き(物凄くチープ)、お言葉の書かれてある巻物が夏川純さんの手に渡り、それからカンゴロンゴ氏も手元に渡される。そしてお言葉を読みながら、少し雑談をする。だいたいこのような番組構成である。 最初は、馬鹿にしていたけれども、これがだんだん癖になってくるのである。音楽も微妙にハマル。最近、よく自分では意識していたわけではないのだが、♪カンゴロンゴ♪ ♪カンゴロンゴ♪と口ずさんでいるから怖い。洗脳されてしまったのかもしれない。
 そこで、私は閃いた。これから、一、二年の内に、孔子の『論語』を初めとして、中国の古代思想家の著書が注目を浴びると・・・思い立ったら吉日。先日、『論語』(ワイド版 岩波文庫)を購入。図書館から過日、マンガ『論語』完全入門(講談社)と論語の名言115選(大和出版)を借りてきた。 マンガ『論語』完全入門がわかりやすい。これは私のただの戯言なので恐縮だが、マンガで全てが言い尽くされてしまう時代がくるかもしれないと思う。交通法規、日本史・世界史 日本の経済 などマンガで説明されている本は多岐にわたっている。 そのうち全部が漫画になってしまうんじゃないかと思う。そして唯一の活字だけの本は、漫画家志望の方々が、漫画を学ぶ参考書(構成理論や、プロットの組み立て方・・・等々)だけが活字だということにもなるかもしれない。さらに余談だが、この番組で夏川純さんのオーラが普通になっているので安心した
 夏川純さんは、志村けんさんの深夜のお笑い番組で運送屋さんの事務員を演じていたが、私は、なんか
この娘のオーラがイヤだなーと思っていたのだ。今は、スッキリ、サッパリしている。 カンゴロンゴでは、
チャイナドレスを着て登場というシーンもあるが、それがイヤラシさを感じさせずにキチンと着こなしている。

  ♪カンゴロンゴ ♪カンゴロンゴ    やべー,はまりすぎだ。

 そしてこの後の日曜のホットラインは23時45分からNHK衛星第二放送の『週刊 ブックレビュー』という
番組だ。合評にゲストが三人招かれ、それぞれが三冊の本を持ち寄り、その各自三冊の内の一冊を皆で
(その本を事前に読んでくる)合評する。三人いるので三冊は読まなければならない。ゲストだけではなく
MCもその本を(最低三冊)読み、進行しながらも感想・批評などをディスカッションをする。MCの中江友里さんは毎週出演しているので、最低でも毎週三冊は本を読破しているのである。オフィシャルサイトに行ったら年間300冊以上の本を読んでいるそうだ。
 私も学生の頃は、毎日三冊以上の小説を読破しようと思い、また読破していたのだが・・・・イマは一週間に一冊読破をしたら良いほうだ。昔の集中力がイマは、もう無い。話は突然外れるのだが、芥川龍之介さんの読書力についてこんな話を耳にしたことがある。或る人が、「あのー芥川っていうのは物凄い秀才だけれど、それでも一日に三冊くらいしか本を読まないらしいぞー」と言ったら、「馬鹿!芥川の三冊っていうのは、
全部英語の原文で、それを三冊読むんだぞー。」って教えれれたそうである。教わった人は、たいそう驚いたという。本当なのか、ただの噂だったのかは不明。

     ♪カンゴロンゴ   ♪カンゴロンゴ
                                (トップに戻ります)