一式陸上攻撃機は、九六式陸上攻撃機として設計され、試作一号機の初飛行が昭和14年10月23日におこなわれました。当時の海軍の要求は偵察過荷重状態における最大航続距離4185Km、爆弾または魚雷搭載量800Kg の攻撃荷重状態における最大航続距離3704Km、という過酷なもので、まず航続力を増加するために主翼構造の一部を油密に造り構造をそのままタンクにする、インテグラルタンクを採用、主翼内に多量の燃料を搭載するようにしました。特長でもある葉巻型の太い胴体は爆弾倉を胴体内に設置し、空気力学的にみて十分抵抗を減少させており、独創的かつ卓越した設計により、軍の要求をこえた性能をもつ機体となりました。しかし、後にインテグラルタンクが、一式陸攻の弱点となり、主翼へのわずかな被弾でも発火し、空戦での被害が多くなりました。各型合計の総生産数は約2400機でした。
24型丁(G4M2E)について: 爆弾倉がはずされ中央部に桜花一一型1機を搭載可能にしたタイプで、操縦席、燃料タンクなどに防弾鋼板を設けたため桜花搭載時の全備重量が増大し、飛行性能が低下して、桜花発進前に撃墜されることが多く桜花の母機としての役割はあまりはたせませんでした。
データ:24型丁 乗員7名、全長19.630m、全幅24.890m、全高4.11m、正規全備重量15500Kg、最大速度396Km/h高度4600m、エンジン:火星25型×2、離昇出力1850hp、武装20mm機銃×4、7.7mm機銃×1
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