日記





2024年7月


7月15日(月)
 蓄積した疲労がなかなか抜けない。年齢もあるのか、一日や二日休んだ程度では回復しなくなった(昔から睡眠に問題を抱えているので、よく眠れず疲れが抜けにくいのもある)。出かける元気もなく、かといって家でDVDを見るだけの元気もない。本当に疲れ切ると、家で休んでいても「無為を楽しむ」どころではなく、ただただ心身の不調感に耐えてじっとしている苦痛な時間が続くだけである。

7月13日(土)
 研究会報告、何とか乗り切る。全力を振り絞っても相手には期待したほど伝わらないのだし、疲弊し切るとこの後の諸々の仕事にも差し支えるので、8割の力で余力を残してやる、という仕事の仕方を最近少し試しているのだが、8割の力だったはずなのに終わったら完全に疲弊し切る。なんだかんだ言いながら、その時々の条件の中で全力に近い力を出しているのかもしれないし、それはそれで良いことなのかもしれないのだが。


7月10日(水)
 体調が異様に悪く、動けない。通り魔事件でも起こしそうなほど兇悪な精神状態に陥るが、気分が悪くて家から出る元気もなし。犯罪を犯すにも体力が必要であることを知る(そして体力が回復した頃には兇悪な気分は消えているはずである。…多分)。まだこの先に、研究会報告1件(もうこの土曜日だ)と比較的小さな原稿2件(これは雑誌なので締め切りを延ばせない)があって、それを乗り越えてようやく本来やらなければいけなかった論文(職場の義務として差し迫っているのが1本、既に締め切りを大幅に徒過していてさすがに何とかしなければいけないのが3本だったか?)の仕事が待っている。個人的には、ちゃんと準備して自分なりに(その時点で)納得のいく論文を年に1本だけ集中して書く、というくらいのペースが一番良いと思うのだが、何故そのようにいかないのか(答えはもちろん、筆があまり速くないため、仕事がどんどん溜まっていくのが最大の原因なのだが)。

7月9日(火)
 私の使っているクレジットカード、今年に入ってからセキュリティの審査が厳しくなったのか、「不審な支払いをブロックしました」というメールが来て支払いに失敗するケースがしばしば生じている。海外での支払いの場合が多い。amazon.deやamazon.frのようなメジャーなところでも生じるし、ずっと購読してきたLe mondeも急に支払いができなくなった。最初にこのトラブルに見舞われたのは3月のドイツ滞在中で、何の心当たりもないのにいきなり「不審な支払いをブロックしました」というメールが来て、「どこかでカード情報を盗まれたのか」と軽くパニックになったが(実は毎月の新聞の引き落としだったので、買い物をした心当たりがなく、メールにも「利用先:Master Card加盟店」としか表示されないので、何のことだかわからなかった)、その後もドイツで電車の切符を買う際に何度も支払いに失敗したりした。セキュリティの強化は良いことだけれども、さすがにちょっと精度が低いのでは、と思わされるし、海外に行く際はクレジットカードは何種類か用意しておかないと怖くて仕方ないな、と思う(新聞はその後、新聞社のウェブサイトから直接購読を申し込むのではなく、iPadのサブスクリプションに切り替えて、今のところうまくいっている。どうでもいいことだが、フランス語の勉強と思ってしばらくLe mondeを購読していたが、フランス語は読むのが遅いのでかなり無駄にしてきたし、ドイツ派として久しぶりにFAZに復帰しようかどうしようか、と考えていて、FAZの値段がLe mondeの3倍であることに改めて気がつく。国境をひとつ越えると新聞の値段がこんなに違うのだ)。

7月8日(月)
 この夏(まだ梅雨明け前のはずなのだが)は、大学院ゼミに全てを投入していた結果、準備が大変で大学への往復時間も惜しい状態に陥り、どうしても出かけなければいけない場合以外はずっと家に籠もって勉強していた。結果、最近の暑さに体が全く順応していないところに、今日は所用で大学と学外の仕事に出かけたところ、激しい発汗とめまいでフラフラして倒れそうになる。一口に「暑い」と言っても、35度を超えると別世界である。朦朧とした状態で全ての案件を片付けて帰宅するが、疲労困憊し、もう少し長く暑い場所で我慢していたら熱中症になっていたのかも、と初めて最近の暑さに恐怖を覚える。

7月7日(日)
 疲れ果てたまま、気力・体力回復せず。今年の院ゼミは、かなり挑戦的な主題を選んで全力投球したため、いろいろ感想や語りたいこともあるが、それを書く元気もなし。一言だけ述べれば、著者のW先生は大学2年生の時にゼミと講義を受けて(1994年だから今からちょうど30年前だ)、その恐るべき知性に「世の中にこんな凄い人がいるのか」と驚愕し、そのW先生の書いた本があるというので図書館から借りて読んだところ、難解すぎて何を言っているのか一言もわからなかった、というのがこの本との出会いである。もちろん、その後は何度も読み返して研究上も多大な示唆を受けてきたが、やはり一度細部に至るまでゆるがせにせずに本気で対決(などと言うとおこがましいが)しなければいけない、と今回ようやく取り組むことができた。もちろん「読む」といっても、本文に目を通すことが「読む」ことなのではなくて、註記・引用された文献やその他の関連文献などまで読んで、自分なりの理解を獲得し、これとも照らし合わせながら、著者がそこでいかなる知的作業を行っているのかを正確に解読しようと試み、かつこれに様々な問いを投げかけていく(この論拠は本当に結論を十分に支えているのか、これでは説明できていない問題があるのではないか、著者とは別の捉え方はどのような形で可能かつ説得的たりうるか、等々、というオーソドックスな問いから、自分はこの本のどこに魅力を感じ、どこに自分とは異質なものを感じるのか、自分は何をここから学び取ることができ、何は真似してはいけないのか、要するにこの著者とは何者で、これを読んでいる自分とは何者なのか、等々の割と個人的な問いまで)、というのがこの場合の「読む」ということなので、時間とエネルギーが必要な全人格的な作業で、精神と体力を大きく消耗した。自分がこの30年間でどのあたりまで来たか、今の自分に何ができて何ができないかも改めて認識できたし、様々なことを改めて理解したと思う。今から10年前なら自分はこれをやるにはまだ知的に熟していなかったし(まあ、今も未熟ですが)、今から10年後なら体力的に無理かもしれないと思うので、ちょうど良いタイミングに宿願を果たすことができた。本来、こういう自分を追い詰めるような厳しい勉強をもっと日常的にやらないと、力量というのは伸びていかないのだよな、とも反省させられた。


7月3日(水)
 院ゼミ、最終回。他の全ての案件を棚上げして非力ながらも全力で取り組んだ今学期、月並みな表現ながら、燃え尽きて白い灰となりました。