日記





2024年12月


12月1日(日)
 夜になって、今年の残り2本の原稿債務のうち、軽い方をひとつ何とかほぼ終わらせる。疲れ切る。
 本当は、先に重い方を片付けてから軽い方をやるはずだったのだが、学期が始まってしまって見通しが立たなくなり、共倒れになることを避けるために、まずできそうな軽い方を何とか先に終わらせた(わずかに分量オーバーなので、今後調整でまたバタバタするかもしれないが)。軽いといっても、内容が軽いわけではなく(某法律雑誌の研究会企画で、樋口憲法学を総括するというテーマなので、内容的にはむしろヘビーと言える)、全く初めて考えるテーマではないのと、7月に既に研究会報告で話しているのと、分量制限が厳しくて1万1千字ちょっとしか書けないのが大きかった。普段は、全体の構成が頭の中で固まっていても、それを文字にする段階で精神的集中にかなり苦労するのだが、今回は淡々と研究会報告のレジュメを文章化していったら、あまり盛り上がらないまま最後までたどり着いてしまった。本来なら1.5~2倍の分量を必要とする内容を無理に押し込んだので、もはや悩む余地が残っていないのだ。
 それでも、10年前の自分には書けなかった内容だと思う。若い頃は、基本的に色々背伸びしていた。高い棚の上に手を伸ばすように、「何としてもあそこに到達したい」と必死に背伸びを続けないと、自分が望むところまで成長できない、と考えていた。今は、10年前に背伸びして届かなかった場所に、8割の力で届くようになっている、と感じる(この間の『芦部憲法学』もそうだ。もちろんどれも苦労して本気で書いた作品だが、ああいう余力を残した軽い書き方は以前はできなかった)。変化の乏しいつらい日常でも、1ミリずつでも進もうとした積み重ねの結果が、10年経つと少し目に見えるようになってくる、と思う。あと、あまり大声では言えないが、やっぱり研究所の研究環境の恩恵を受けているなあ、と改めて感じた。研究所というのは、実際には端で見る以上に苦労も多いと思うし、仮に授業負担が通常の学部の半分でも、そうなると1つの授業に通常の倍の準備時間をかけてあれこれ悩むので、見かけほど楽だとは思わないのだが、それでも「自分が研究者として本来やりたかったことについて考える時間」はやはり多いと思う。不健康な食生活が、一日一日では変化が見えなくても、10年経つと健康を損なっている、というのと逆のことを考えさせられる。
 と言っているうちに、残り1ヶ月で最後の1本を書かなければならないが、これが難物で、間に合うかわからない。何とかできるだけの地力がついているのか、もう10年修行が必要なのかわからないが…。