日記


2020年7月  



8月4日(火)
 近所の区立スポーツセンターのプール、7月初めから通い始めたところ、ちょうど最初の1ヶ月定期券が切れたので、この際思い切って6ヶ月定期券を購入する。これで2020年下半期の目標は、「研究を前進させる」から「健康を取り戻す」へと優先順位が移った(というか、真面目な話、こんな状況下で目先の研究成果を焦っても仕方ないところで、勉強も日常生活も長期的視野に立った基礎作りに重点を置くのが正しい、と個人的には考える次第である)。

8月3日(月)
 梅雨明けして初めて、自転車で出かける。大学に寄って事務処理をしてから日本橋まで。帰路も含め、暑いといってもこの程度なら、まだまだ爽やかで良い。…というようなことを糧にして、少しでも日常を保つよう努めるほか仕方ない。今年の8月は例年にも増して、油断すると、何もしないままあっという間に過ぎ去ってしまいそうだ。


7月25日(土)
 「珠玉の名演」を「埼玉の名演」と見間違えるくらい疲れておる。もう駄目かもしれない。

7月22日(水)
 改めて、正楽師匠は、細部に至るまで繊細な表現力をお持ちだなあ、と…(すみません、明日からちゃんと仕事します)。



林家正楽師匠作「寅さん」(2020年7月22日上野鈴本演芸場夜席にて)


7月20日(月)
 オムニバス講義の自分の回を収録。今学期の授業は大学院ゼミだけだったので(今学期ほど授業負担の少ない研究所所属の有り難さを感じたことはない)、オンライン講義は学期末にして今回が初めて。リアルタイムではなく収録・オンデマンド配信というやり方を選んだが、いやー、普段の講義と全然勝手が違って大変だった。冬学期はいよいよ「国法学」で週2コマ収録しなければならず、早めに構想を練って準備(少なくとも心の準備)をしておかないと大変だ。

7月17日(金)
 2件ほど告知をば。
 まず、高橋和之先生、高見勝利先生に中堅4人でインタビューし、1年間にわたって法律時報に連載したものが、ようやく単行本として刊行されました(宍戸・林・小島・西村編著『戦後憲法学の70年を語る―高橋和之・高見勝利憲法学との対話』日本評論社)。単行本化に際しての目玉は、4人の聞き手が各々「解題」を書き下ろした点で、一方通行的に偉い先生のお話を伺うのではなく、我々の世代なりの応答を返すことを試みている。自分の分に関していえば(執筆したのは1年半も前なので、既にやや遠い話ではあるが)、日本憲法学史に正面から向き合う必要をずっと感じてきた中、その手始めの一作という意味でも大事な作品になった。色々限界はあるにしても割と面白く書けたのでは、と思う。ひとつの肝は、最後に石川健治先生の戦後憲法学理解と小さな対決を試みている箇所で、この間つくづく考えるに、やっぱり石川先生は戦後第2世代(樋口陽一先生)の弟子だし、自分は戦後第3世代(高橋先生)の弟子なのだよな、ということだ。半ば無意識的に師から受け継いでいるものは意外と大きい、のかもしれない。今回は事情あってあまり幅広く献本しておらず(高橋先生・高見先生に近い方々に共同で献本するにとどめた)、よろしければ是非書店で。
 二つ目。法学セミナー8月号の巻頭言「法学者の本棚」で、ついに念願叶って萩尾望都先生の『残酷な神が支配する』について書くことが出来た。「男子の本懐を遂げた」とはまさにこのことか。内容的には宮沢俊義・日比野勤・萩尾望都の三題噺といった感じで、特にかつての日比野先生の『法学教室』での(小さな字で異様に熱の籠もった)巻頭言の数々に対するオマージュ(もしくは20年越しの応答)としての意味も込められている。私が学問的修行を積んだ1990年代終わりは、国立大学法人化も法科大学院制度もまだ遠い先の話、大学に経済性という原理が今ほど浸透していなかった時代で、のどかな時代だったとも言えるし、しかしその分、各人の人生に対する真剣な悩みが今よりももっとまっすぐに各人の学問のあり方に反映されていた時代だった、と思う。かつて自分を育ててくれて、しかしその後恐らくは永久に失われていった精神的環境に対する、私なりの挽歌である。

7月16日(木)
 午前・午後と遠隔会議2件。本当は夕方に更に遠隔懇親会があったのだが、昨日の夕方からずっとZoom続きで疲れてしまい、失礼をして、忘れたふりをしてしらばっくれる。
 これで今学期の公式行事はほぼ終了。とは言え、まだ仕事が何件か残っているが(オムニバス講義の1回分のオンデマンド教材を週明けまでに収録しなければならないし、等々)。ちょっと経験したことのない、フラストレーションの溜まる学期だった。日本中どこの大学でも同じだろう。
 夕方、ジャン・ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ監督の映画『Le jeune Ahmed(邦題:その手に触れるまで)』(2019年)。ベルギーのアラブ系コミュニティで、イスラム過激主義に傾倒し周囲から孤立していく少年の話。というと社会派的な主題に見えるが、むしろ思春期の少年の心の揺れを丁寧に描いた作品。叙情的な素材を非叙情的にドライかつ緊迫感のあるリアリスティックな手法で描く、といういつものこの監督らしさの発揮された、まずまずの佳作(どうでもいいが、この監督の作品は、その作風に対応してタイトルもドライなものが多いが、このドライなタイトルに叙情的な邦題を付けてしまうところが、やっぱり日本だなー、と思う)。

7月15日(水)
 大学院ゼミ、最終回。感染状況の様子を見ながら開講を1ヶ月遅らせたが、結局諦めて5月から遠隔授業をすることになり、どうなることかと思ったものの、何とかつつがなく終了。回数は少ないが、その分1回分の時間を延長しているので、時間数としては必要な長さをクリアしている(最終回は4時間近くになってしまい、さすがに反省する)。
 対面のゼミと何が違うかというと、非言語的な(表情、雰囲気等を含めた)コミュニケーションが制限されているところでは、「成り行き任せ」の進行という方法が採りにくい(例えば、沈黙が支配している時、それが各々沈思している、意味のある沈黙なのか、白けた無意味な沈黙なのか、判別が難しい)。結局、進行役が多く話すことでスムースな進行を確保する、という形になりやすく(恐らく会議でも同様で、議長役の責任ないし精神的負担が重くなる)、そのマイナス面は否定しがたいように感じる。今回、参加者が熱意を持って積極的に参加してくれたので、それに助けられた面が大きい。何にせよ、せめて演習くらいは安心して対面で出来る状況が早く戻ってほしいものだ、と願う。

7月13日(月)
 梅雨に入り、蒸し暑いし雨は降るしで、自転車散歩が出来なくなり、運動不足が甚だしい。先日、ふと思いついて検索してみたところ、区のスポーツセンターが自宅から徒歩10分以内の場所にあり、しかも6月から再開している、ということを発見する。これは利用しない手はない、と今月に入ってから週2~3回のペースでプールに泳ぎに行っている(一度に長時間泳ぐと疲れるし、どうせ近所なので、1ヶ月定期を買って、気が向いた時にフラッと行って30分~1時間ほど軽く泳ぐ)。遅い時間に行くせいもあるが、客は少ない(夜8時過ぎで、6レーンの25メートルプールに客が10人前後というところか)。あの広い空間にこの程度の人数だとさすがにリスクはあまり感じないで済むが、どこも本当に「恐る恐る」という感じの活動再開だな、と思う。
 今日から大学の警戒レベルが更に一段階引き下げられて、「レベル0.5」になる。ようやく通常の50%程度は大学で仕事をして良いことになる。感染が再び拡大しつつある中で警戒レベルを下げるのは一見奇異な感じもするが、いわば非常ブレーキを引いて全活動を停止した段階から、リスクの高い活動と低い活動を区別して後者は再開する段階へ、というのが大きな方向性なのだろう。問題は、全社会的に見た場合に、高リスク活動と低リスク活動の境界線が今ひとつ不分明だし、前者が十分抑え込めていない、と感じるところではあるが。

7月12日(日)
 長いこと読んできたドイツの教授資格論文をようやく読了。俊英とされている人の作品だが、最初は「普通だな」と思って読んでいて、最後まで読み切って「これはなかなかの佳作ではないか」と認識を改める。この手のモノグラフィーには、「最初から最後まで非凡さを感じさせるもの」、「最初から最後まで平凡なもの」などいくつかタイプがあるが、最後まで読んで初めて真価がわかるタイプもあるんだよなあ、と思う(これは著者が、独自の鋭い切り口で最前線を切り開くというよりは、過去20年ほどの学界の新しい発展傾向を見事に総合することで、古い問題に新たな光を当てる、という点に長所を有するためでもあろう)。
 それにしても、好調時なら10日ほどで読める本に、1ヶ月かかるような状態が続いている。生活と仕事のペースがいったん乱れると、元に戻るのに時間がかかる。

7月10日(金)
 まことにどうでも良いことですが。Ferdinand Tönnies (1855-1936)というドイツの社会学者がいるが(主著『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』)、このTönniesという名前、昔のものだと「テニエス」と表記されていたのが、近年は大体「テンニース」に統一されているような個人的印象がある(もっとも、自分の印象はあまり当てにならないので、試みに大学図書館のOPACを検索してみたら、「テンニース」、「トェンニース」、「テーニス」、「テンニェス」、「テンニエス」など百花繚乱だ。英語版Wikipediaを見ると発音記号がついていて、カタカナに直すと「テニース」というところか)。
 で、話は飛ぶが、最近ドイツの食肉加工場で新型コロナウィルスの大クラスターが発生し、これをきっかけに食肉業界の劣悪な労働条件が社会問題化している。このクラスターを発生させた食肉加工会社がTönniesというのだが、どのニュースを聞いても皆ほぼ「テニエス」と発音しているように聞こえるのだ。ドイツ国内でも同じTönniesという綴りで「テニエス」さんと「テンニース」さんの2種類がいるのか(それどころか、地域ごとに微妙な発音差があって、「テーニス」さんや「テンニェス」さんも実在するのか)、それともドイツ語のカタカナ表記自体が混乱している中に英語風の発音が流入して更に混乱したのか。社会学者の人はドイツ人と話す時にどう発音しているのだろう(「ではお前だったらどう表記するのか」と問い返されそうだが、これまでの先人の日本語表記を全て折衷すると「トェンニェース」というところか)。

7月9日(木)
 大変ご無沙汰しております。まあ、ご多分に漏れず、あまり元気がなく…
 そんな中、実に約4ヶ月ぶりの寄席へ。本日の収穫。



林家正楽師匠作「ジャズ」(2020年7月9日、上野鈴本演芸場にて)

というわけで、とりあえず近況まで。