日記





2024年6月


7月3日(水)
 院ゼミ、最終回。他の全ての案件を棚上げして非力ながらも全力で取り組んだ今学期、月並みな表現ながら、燃え尽きて白い灰となりました。


6月26日(水)
 院ゼミ。学期末が近づくにつれて疲労が蓄積し、「この機会に関連文献をここまで読み込まなければ」という目標まで、ついに時間内に読めなくなる。が、ようやく来週あと1回で終わりで、先が見えてきた(本当はもう1週あるのだが、院ゼミだし、これだけ濃い文献を毎回3時間前後議論しているので、最後は休講でも良かろう)。今の段階で可能な最大限の真剣さで取り組んで、新たに見えてくるものもあったし、初めてこの本に触れた学部生の頃の自分に対して、なにがしかの「供養」ができたのでは、と思う。というわけで、あと1週間、最後の準備をした上で(再読とはいえ読むべき文献がまだたくさんあって、最後まできついのだが)、ようやく本来の自分の仕事に戻っていかなければならない。


6月24日(月)
 体調不良で動けず。どうにもならない。


6月19日(水)
 院ゼミ。心身疲弊。ゼミの日程表を作る際に、このあたりに一度休講を入れておくべきだった…。


6月16日(日)
 この週末、疲労の蓄積でついにダウン。つらい。虚弱体質なのか、一学期間体力が保ったためしがない。次回の予習が間に合わん…。


6月14日(金)
 先週に引き続き新文芸座で勅使河原宏監督・安部公房原作脚本の映画、今日は『他人の顔』(1966年)。原作は未読(安部公房が「好きか嫌いか」と問われれば間違いなく「好き」なのだが、かといって網羅的に読むほどでもなく、未読のものがたくさんある)。仮面やアイデンティティをめぐる様々な洞察、様々な側面を浮かび上がらせつつ、どこに軸となる主題があるのかいまひとつわかりにくい出来で、『砂の女』ほどには映画として成功していない、という個人的印象。文章と映像では表現できるものが違うので、原作を読んでみないと何とも、ではあるが(それにしても、勅使河原・安部・武満徹という組み合わせ、この頃の新しい世代の芸術的高揚感みたいなものを少し感じるような気もして、それはそれで楽しい)。

6月13日(木)
 1993年に大学に入学して、一人暮らしを始め、テレビを自由に見られるようになった(それまでは、もちろん実家の家族と一緒だし、受験勉強はあるし)。中でも好きだったのは、たしか週末の深夜に放映された2つの関西系の番組、『探偵ナイトスクープ』と『らくごのご』だった。特に後者、桂ざこばと笑福亭鶴瓶がその場で観客からもらったお題でほとんど準備時間なしに即興の三題噺を披露する、という趣向で、とりわけ四苦八苦して七転八倒するざこばにいつも大笑いしていた。その頃だったか、NHKか何かでざこばの落語「天災」を聴いて、その面白さに驚き、ざこばの「天災」のCDを買い求めたのだった。それは、私がそれから10年以上後に割と真面目に落語と向き合うようになるまで、私が持つ唯一の上方落語のCDだった。落語という芸、演者が一人で様々な登場人物を演じ分け、どの人物とも等距離を保つところに良さがある場合もあるが、しかし演者だって自分の性格をそう綺麗に入れ替えられるわけではない。むしろ、演者自身のキャラクターが落語の登場人物と溶け合わんばかりに一体化した時に生じる可笑しさ(それは、演者自身のある意味での不器用さと、「自分の性格的な欠点を知っていても、自分ではどうにもならない」という登場人物自身の悲喜劇が重なり合うことで、時に爆発的な可笑しさを生む)、というものを私に教えてくれたのが、ざこばの落語だったと思っている(今の東京落語で同種の可笑しさを持っているのは、橘家文蔵の「天災」や「ちりとてんちん」だろうか)。有名人が亡くなると薄っぺらい追悼の辞がSNS上に溢れたりするので、いい年をしてこういうことは書くまいと思ったのだが、自分の青春時代とも関わっているので、つい書いてしまった。俺は寂しいぞ。

6月12日(水)
 院ゼミ。今日あたりがヤマ場か、これまでの疲労もたまり、準備に読むべき文献の量も多く、かなり疲れるが、自分なりの対決の仕方というか切り込み方が少し見えてきたように感じる。終了後、喉の痛みを感じる。疲労で体調を崩す前触れでなければ良いが。
 ゼミで輪読している文献が重要な先行業績として挙げている本のひとつがイタリア語のものである。独仏語までは何とかなるがイタリア語は以前に初級文法をかじっただけで、しかしこの機会に挑戦してみるのも良いのでは、と3月にドイツに行った際に古本屋でその本を入手しておいた。で、今まで時間がなかったものの、今日の午後、予定していた準備が終わりゼミまで少し空き時間ができたため、満を持して辞書と文法書、動詞活用表を手元に読み始める。が、案の定、1時間で1ページしか読めず。そもそも修業時代にも、「辞書を片手に毎日ひたすら机にかじりついて読む」という方法でドイツ語もフランス語も読み方を習得したので、ひたすら根性でこれを続ければいずれは読めるようになるはずなのだが、何しろ年を取ると体力と時間が足りない。1時間に1ページのペースだと、この本を通読するには265時間が必要なのである。

6月11日(火)
 珍しくインタビューの仕事を受ける。普段、基本的にこの種の仕事は来ても断るのだが、ふと気が向いて今回は受けてしまう(専門家が少ない問題領域でもあるし、先月末に少し関係のある主題について小さな場所で話した際に、少し考えさせられたこともある)。どういう形で使われるのかは知らないし、どう使われても余程のことがない限りは「この世界はそういうものだろう」と思うようになったので、実のところそこまで関心はない。

6月10日(月)
 2007年に寄席に行き始めてから7~8年は、落語の世界・寄席の世界を知るためにかなり頻繁に演芸場に通ったのだが(この時期はまた小三治最後の円熟期でもあり、円丈・川柳らもまだ元気な姿を見ることのできる、ひとつの時代が終わる直前の良い時期だった)、だいたい自分なりの捉え方・ものの見方が固まった後は、それほど頻繁には行く必要を感じなくなって足が遠のいてしまった。近年、落語ブームが来て、少し浮かれている雰囲気があるのも、私の好みにそぐわない。で、今年はまだ3回しか寄席に行っていないのだが、やはりたまにはああいうところで何も考えずボケーッと過ごさないと疲労が取れないのかもしれない。
 コロナの時期、寄席はお客さんが来なくなり、窮余の策かメディアでも知名度のある「客を呼べる」一握りの噺家がトリを取る(主任を務める)ことが増えて、「何だかなあ」という番組編成が多かった印象があるが、さすがに去年の5月以降は番組も正常化して、地味だけれど実力のある中堅や、まだ未熟だが今後が期待される若手も出番が増えているように感じる。自分にとっては、例えば今席鈴本の昼夜のトリを取っている甚語楼や馬石なんかが一番面白い(派手さはないけれども、考え抜いた工夫が随所に凝らされていて、落語という芸能の味わい深さをしみじみ感じさせてくれる)のだが、しばしば自分の感じ方と世間の風潮との距離を感じざるを得ない。

6月9日(日)
 疲れてダウン。ここのところ、授業と学内・学外の雑用を除いた自分の自由になる時間は、ほぼ院ゼミの準備とその周辺の勉強に吸い取られ、その合間にたまの気晴らしに映画館へ、という単調極まりない生活を繰り返しており、じっとりと心身の疲労感が蓄積している。それ以外のやるべきことはさっぱり進んでいない(ひとまずここを乗り越えないと、別な仕事に進めないのだ)。少し生活のリズムを変える必要を感じる。
 先月、清水宏といういわば忘れられた巨匠の映画を初めて見て大いに感心し(見たのは遺作の『母のおもかげ』1959年)、もう少しいろいろ見てみたいのだが、なかなか果たせない(今日は国立で珍しく上映機会があったのだが、疲れてどうしても出かける元気が出ず)。

6月8日(土)
 国立映画アーカイブで内田吐夢監督『自分の穴の中で』(1955年)。石川達三原作の映画化。1950年代、日本映画黄金時代の作品は、もちろん駄作もあるが、それほど名の知れていない作品でも水準が高くて感嘆することがあり、本作も内容自体にそれほど深く感心したわけではないが、ちゃんと密度の濃いドラマになっていることにいろいろと考えさせられる。ルネサンス絵画にせよ1950年代のジャズにせよ、「黄金時代」というものは皆そうだろうが、個々の作品もさることながら、それを可能にした時代という「場」をもっと知りたい、という欲望に捉えられる。

6月7日(金)
 池袋・新文芸坐で勅使河原宏監督『砂の女』(1964年)。言わずと知れた安部公房原作の映画化、同年の賞を総なめしたとのことで、期待して見る。が、夜7時半からの上映、仕事帰りなのか何なのか、上映開始後に遅れてやってくる人が多数、「すみません、そこは私の席なんですが」、「えっ、それはおかしい」、「このあたりの誰かが間違えているぞ」、「いったん外に出よう」といった騒ぎが私の周りで繰り広げられ、思わず「おまえらいい加減にせんかい!」とキレそうになる。映画は、岡田英次の主人公は人物造形が少し俗で軽すぎるように感じるが、岸田今日子が実に魅力的な役者であることに感動する。若い頃の私にとって、岸田今日子といえば「たまにテレビに出てくる、オバQによく似たお婆さん」にすぎなかったが(あとはやはりアニメ『ムーミン』の声ですよね)、お見それいたしました(そもそも岸田国士のお嬢さんで、実は文筆でも評判が高い多才な人である、ということを私が知るのはかなり後年になってからだった)。


6月5日(水)
 院ゼミ。15年かそれ以上前に、「いつか何かの役に立つのでは」と復刻版を買っておいた、Rudolf Sohm, Kirchenrecht(ゾーム『教会法』第1巻1892年、第2巻1923年)が、今までの長い眠りから覚めて、今回ようやく役に立つ(というか、買ったことすらずっと忘れていて、危うく2冊目を買ってしまうところだった)。

6月4日(火)
 映画館は、コンサートやオペラに比べて料金が安い分、客席で「ちょっと困った人」に遭遇する確率も若干高い。この日、予約した端っこの席に座ったら、5~6つの空席を挟んで同じ列の真ん中あたりに座っている中年の女性(最初男性かと思ったが、やはり女性のようだ)が、ずっとブツブツ独り言を言っている。直感的に「関わり合いになってはいけない」と思うものの、つい何を言っているのか聞いてしまったところ、「おい、おっさん!おまえらにはフェロモンっていうものがないんだよ!」と、周囲の席にいる男性(というか、もしかして私?)を罵っている。その後も様々な罵声が続くものの、最終的には、「どうだ、私は足が長いだろう!」と自慢しながら、自分の席の背もたれをまたいで乗り越え、後方の空いている席へと消えていったのであった。この日の映画は、びっくりするほどの駄作であった。

6月3日(月)
 ここのところ、しんどい日々である。基本的に余計な雑用はあまり引き受けないのだが、それでも引き受けてしまった仕事が例年4月から6月に集中していることに加え(今日は一日その雑仕事で潰してしまう)、今年はやはり院ゼミの準備にかなり時間を取られている。準備時間そのものというよりも、やはり気持ちの負担が大きい。自分が学生時代に「これはとんでもない作品だ」と圧倒された本を今改めて院生さんたちと読む、という趣向なので、「当時自分がこの本に対して、半ば無意識のうちに感じていた魅力とは一体何だったのか。何かの見間違えではなかったとすれば、あの頃に直感的に感じていたことの正体を、今なら明晰に言い当てられるのか。その後の自分の歩みは、あの頃の自分を裏切っていないか」、等々、要するに「この本を正確に読解する」というゼミの直接的目的を超えた余計な問いが様々に胸を去来するせいで、やたらと気疲れするのだった。で、気がついたら、やらなければいけなかった執筆仕事が、執筆どころか準備作業すらさっぱり進んでいない。鍛えられるけれども、なかなか厳しい日々であった。

6月2日(日)
 京橋の国立映画アーカイブに成瀬巳喜男『コタンの口笛』(1959年)を見に行く。成瀬は、ちょっと理由があり、機会があればなるべく見られるものは全部見たい、という気持ちでいる。が、傘を忘れて出かけてしまい、帰りに雨に降られてぐしょ濡れで帰宅する。
 国立映画アーカイブに「キャンパスメンバーズ」なる制度があることを初めて知る。これは、映画アーカイブを含めた国立博物館について、大学単位で加入するメンバー制度で、メンバー校の学生や教職員は原則的に該当する博物館・美術館の常設展示は無料、企画展示は団体割引料金で見ることができる、という制度だという。で、この制度が映画アーカイブに適用されるとどうなるかというと、映画アーカイブが所蔵するフィルムの上映は「常設展示」と同等と見なされる、つまりメンバー校の関係者は無料で見ることができるのであった!今まで毎回ちゃんと料金を払っていたが(それでも民間の名画座よりずっと格安だが)、このご時世にまさかそんな気前の良い話があろうとは(でも、席だけ予約しておいて結局行かない、といった類の無責任な事態を避けるためには、たとえ100円でも料金を取った方が良いのでは、と思ったりもする)。

5月31日(金)
 私は人間嫌いなので、可能な限り他人との接触を避けて生きていきたいと日々願っているが、つい珍しく出来心というか義侠心を発して、ノコノコと小さな集まりに出て行って、もっともらしい顔で「専門家」(でも何でもないのだが)としての見解を報告する、というお仕事をする。で、誤魔化し誤魔化し話しつつ、やはりやり慣れないことはするものではないな、と思う。こういうことはなるべく上手な人に任せておきたいものだ。

5月30日(木)
 久しぶりに新宿ピットインへ。約1年前に、コロナ後初めて会員証を作ったが、結局この1年でそれほど来られなかったな、と思う。もう若い頃のようにどんどん出歩いて新しいものを貪欲に吸収する時期ではないのだろう。今日は、かつてElvin Jones(ジャズ史上最大のドラマーの一人だが、2度目の奥さんが日本人だったため、日本びいきで度々来日していた)のJapanese Jazz Machineのメンバーだったミュージシャンの再会セッション、とのことで、高橋知己(ts)、向井滋春(tb)、板橋文夫(p)、井野信義(b)、江藤良人(ds)。最高のリズムセクションで(井野さんを聴くのも久しぶり、Elvinの代役の江藤さんは現在の日本ジャズ界でベストの一人だろう)、堪能する。個人的に、板橋さんはこの辺のスタイルの曲をやっている時が一番好きかもしれない、と思う。

5月29日(水)
 院ゼミ、第3章まで読み終える。私に常識というか基礎的素養が欠けているため、新たに読んだり再読したりするものが多くて、この5月はそれでかなり疲弊してしまった。

5月28日(火)
 国立映画アーカイブで、成瀬巳喜男『驟雨』(1956年)。倦怠期の夫婦が互いに毒のある言葉を投げかけ合う、『めし』(1951年)と同趣向の一作。繊細かつ丁寧な家庭劇で、最後はそれなりにハッピーエンドに落ち着く、という作りなのだが、こういう作品を見ていると、もしかしたら成瀬は本当は「人間嫌い」だったのでは、と思えてならない(「人間嫌い」と言って悪ければ、人間の持つエゴイズムや醜い部分を糊塗したり美化したりせず、ドライかつ冷静に見つめ続ける視線、というのか)。これなんか、時代や創作環境が少し違っていれば、イングマール・ベルイマンみたいな方に行っても不思議はない(これだってある意味では50年代日本版の『ある結婚の風景』だろう)し、漱石の『明暗』のような世界とも通じる、と言えなくもない。良質なホームドラマを量産する職人としての成瀬は、「神に見捨てられたこの世界で、果たして人間に愛が可能なのか」とか「則天去私」などの大仰なことを言わなかっただけで、もしかしたら見つめていたものは案外に近いのでは、と思わなくもない。

5月27日(月)
 いつものことではあるが、物事がなかなか思ったように進んでくれない、試練の5月である。


5月18日(土)
 数年ぶりに横浜・桜木町へ。最近、何となく老いを感じていて、これまで自分が好きだった音楽家といつ今生のお別れになるか知れず、聴ける機会に聴いておきたい、という気分でいる。で、久しぶりに森山威男を聴きに野毛のドルフィーまで。川島哲郎(ts)、守谷美由紀(as)、佐藤允彦(p)、坂井紅介(b)、森山威男(ds)。「美しく枯れる」とはどういうことか、など考える。

5月15日(水)
 今日は授業振替日で、院ゼミがないため、研究室を抜け出して神保町シアターへ。成瀬巳喜男『噂の娘』(1935年)。没落する一家の気持ちのすれ違いや愛憎などの人間模様を描いた本作、わずか55分とは思えない密度の傑作。1935年は成瀬にとって大事な年で、不遇だった松竹からPCL(後の東宝)に移籍し、自身にとって初のトーキー『乙女ごころ三人姉妹』を皮切りに立て続けに5本を監督、このうち『妻よ薔薇のやうに』が同年のキネマ旬報第1位、この『噂の娘』が同第8位と評価を確立する。で、私はここに挙げた3本を見たが、個人的には『噂の娘』が一番好きだなあ、と思う。
 成瀬は、『妻よ薔薇のやうに』と『噂の娘』で主演した女優千葉早智子と1937年に結婚し、1940年に離婚している、とのこと。映画監督と女優さんがくっついたり離れたりするのはありふれたことで、何の興味もなかったのだが、ふと夜寝る前に『新版 成瀬巳喜男演出術』に収録された千葉早智子インタビューを読んでいて、ずいぶん切ない話でボロボロと泣いてしまう。映画の中の物語よりも現実の方が時としてよほど切なく悲しいものだ。しばらく腰を据えて成瀬を見なければいけない、との気持ちになる。


5月6日(月)
 神保町シアターで、活弁付きで小津安二郎の初期サイレント作品『落第はしたけれど』(1930年。活弁は坂本頼光)。こういうご陽気な小津も悪くないね、と思う。

5月4日(土)
 読まなければいけない本を1冊読み切り、いくつかの書類書きをして、後は校正と若干の作文をすると、本来やりたかった研究や執筆がさっぱり進まないまま連休が終わってしまう。連休とはそもそもそういうものかもしれないが、やはり物事を処理する能力が落ちているのを感じる。