日記





2024年11月


11月17日(日)
 ジャズピアニストにしてアケタの店・店主、CDレーベル・アケタズディスク主宰者の(そしてもちろんアケタ・オカリーナの社長でもある)明田川荘之氏が74歳で死去、との報が駆け巡り、日本ジャズ界とその愛好家たちを悲嘆に暮れさせている。日本ジャズの一ファンとしても本当にショックだが、私ごときがあれこれ言うことではないようにも思う。近くにいたはずの音楽家たちからウェブ上にアケタ評がなかなか出てこないのも、存在が大きすぎて軽々に論じることを躊躇させているのでは、と思わされる(同世代か少し下くらいの人たちの個人的な思い出話は、facebookなどにポツポツと、という感じか)。彼の演奏も、アケタの店も、唯一無二の佇まいだった。『Nearness of You』、『黒いオルフェ』、『わっぺ』などを聴いて往時を偲ぶ。

 アメリカの映画監督で好きな人を1人、と聞かれたら、自分の場合はフランク・キャプラ(1897-1991)と答えるのでは、と思う。『素晴らしき哉、人生!(It's a wonderful life)』(1946年)で、主人公が悪夢の世界に入り込んでしまう場面がある。何だか最近、現実の世界があの悪夢の世界に似てきているなあ、と思えてならない。


11月13日(水)
 授業振替日(月曜が祝日で休みになることが多いので、授業回数を平均化するために月曜授業となる)のため、授業が1回休み。一息つく。
 やはり4単位・週2回の講義は大変だ。水・金に授業があるので、前日の準備を含めると、1週間のうち火・水・木・金は多かれ少なかれ講義で頭の中を占領されている。土曜は溜まった家事と休息(と、時々映画を見に行ったりビールを飲んだり等)で時間が流れ去っていく。ようやく日・月に少し論文仕事に手を付けると、もう火曜でまた授業の準備だ。まだ講義ノートが完成していないため、準備なしで話せるところまでいかないのが最大の原因でもある。
 7年目の国法学、ようやく全体の構想が見えてきた。恐らく全部で3部構成になる。第1部が歴史、第2部が理論(学説史)、第3部が原理(憲法史と憲法学史の再解釈を踏まえた上で、古典的な国法学の諸テーマを現在どう考えるか)、という組み立てになる。第1部は、骨格がほぼ固まったように思う。活字にするときはもう一度勉強し直さなければいけないにしても、今後骨格自体が大きく揺らぐことはないのでは、と思う。第2部は、まだ半分程度の荒削りか。本当はそろそろ腰を据えて第2部を練り上げる必要があるのだが、実際の講義では第1部だけで全体の3分の2を使って、疲労と時間切れで力尽きてしまう。第3部はまだ足を踏み入れたことがない。今後、個別の論文で少しずつ取り組みながら、活字にするときはほぼ書き下ろしになるのだろう。…といったことに頭を奪われていると、差し迫ったはずの論文執筆が本当に進まない。毎年のことだが、つらい冬学期だ。


11月10日(日)
 ダチョウ倶楽部の往年のギャグに、「すみません、取り乱しました」というのがあったが、ちょっと取り乱し過ぎた。声高に天下国家を論じるのではなく、足下を見ながら目の前の一歩一歩を歩むことの中にしか、人間の悲惨と、その奥に隠された生きることの深みは姿を現わさない。

11月8日(金)
 あまりに心身不調なので更に余計なことを書くが(ここは私小説的空間なので、普段は社会や政治のことを書くつもりは毛頭ないのだが)、ウクライナ戦争が始まってからのこの2年半ほどは、自由主義陣営の予想外の脆弱さにガッカリさせられた、というのが私自身のごく素朴かつナイーブな本音だ。何か統計的データを持っているわけではないのだが、報道される情報をぼんやり眺めているだけでも、2000年代後半から2010年代(ドイツならメルケル政権の時代だ)は、ヨーロッパとロシア・中国との経済的関係が強化された時代だったと思う。もちろんそれは資源大国・ロシアや巨大市場・中国との取引が経済的利益をもたらすからだが(この時期、対極的に長期不況の日本はどんどん扱いが軽くなっていったように感じる)、一応の正当化としては、経済的相互依存が深まるほど非民主的・権威主義的体制といえども自らの利益を損なうことなしに国際政治上横暴な行為に出ることは難しくなるし、自由主義経済の広まりはリベラルな価値の浸透をも促進する、という観念もあったと思う。で、どうだったか。①経済的相互依存の深まりは、逆に権威主義体制が横暴な振る舞いに出た時に、自由主義陣営も同等かそれ以上の経済的痛みを伴うことなしには相手との関係を切れない、という弱みを浮き彫りにした。②しかも、そこで多大な痛みに耐えて導入した経済制裁は、期待したほどの効果を挙げなかった。稀少資源を多量に保有する国は、結局は制裁を潜り抜けて売る先があるのだ。③そして、今までの経済関係の緊密化は、改めて振り返るなら、リベラルな価値を相手国に浸透させるどころか、権威主義体制を側面から支える財閥や政商を富ませて、体制の強化を助けただけだった。④となると、今後は自由主義陣営と権威主義陣営の我慢比べとならざるをえないが、愛国主義的なイデオロギー教化や情報統制でそれなりに国民の忠誠心を調達できる権威主義体制と違って、政治が民意の変化に敏感に対応することを旨とするリベラルデモクラシーの下では、インフレなどによる経済状況の悪化が、いとも簡単に政治的不安定へと変換されてしまう(これはもちろん、長い新自由主義的政策の下で貧富の格差が増大して中間層が痩せ細り、経済的打撃に耐える力が落ちているという要因もあるのだろうが)。⑤そして、NATOやEUなど多国間の協力体制で様々な問題に対応しようとする試みは、その中の一部の国が政治的に動揺したり方向転換するだけで、全体の協力関係が乱され重大な危機に直面せざるを得ない。協力関係に参加するメンバーが多いほど、順調なときは全体の力が増大するが、逆境にあっては足並みが乱れて機能不全に陥るリスクも増大するのだ。
 というわけで、国境を超えた自由な経済と、多国間の政治的協力体制によって、平和で繁栄した国際秩序を実現する、というビジョンが、「実は全然駄目じゃん!」ということが露わにされたのが、今回の事態なのではないか、と個人的には勝手に感じている。トランプ政権発足後にウクライナがどうなるかも心配だが、それを超えて、リベラルデモクラシーが今後どういうビジョンに向かっていくのかが、気がかりでならない(という、日々の生活とは全く無関係なことに心を痛めざるをえないほどに、私の今回の不調は深刻なのであった)。

11月7日(木)
 この数年のコロナ禍やウクライナ戦争などを経て、各国で現職の政権が選挙で次々と負けているなあ、と改めて思う。今年だけでも、イギリスでは7月の庶民院選挙で政権交代、フランスでも7月の下院議員選挙でマクロン大統領の与党が多数を維持できず少数内閣を余儀なくされ、アメリカでは大統領選と上院選で与党・民主党が敗北し、ドイツでは支持率の極度の低迷にあえぐ連立与党がついに内紛で瓦解した(日本の与党の過半数割れもここに含めることができようか)。もちろん各国それぞれに固有の文脈が存在する問題だし、現状への不満の表明も民主的意思の現れだと思うが、では現状に代わるべきオルタナティブとして各国で何が浮上しているのかというと、時に暗澹たる気分になる。日本に関して言えば、自分は全く自民党政権の支持者ではないが(自分の政治的選好はほぼ一貫して中道左派だと思う)、自民党に代わりうるオルタナティブが十分成熟されないまま(今の野党は旧民主党政権の失敗という貴重な経験を、新たなオルタナティブを練り上げるためにこの12年間どれだけ活かすことができたのだろうか?)、自民党が一方的にぶっ壊れるという可能性は、ちょっとぞっとするところがある。このまま各国で政治的混乱が進んでいって、いわば世界史の新たなフェイズに突入するのか、どこかで収束に向かうのか、という大問題が気になって、授業の準備をしている場合ではないのであった(というよりも、本当は疲労のピークで体調が悪く、こういう下らないことしか考えられないのだ)。

11月6日(水)
 若い頃は、今と比べると体力はあったが、経験や知識は足りず、将来にいつも不安を抱えていた。そこそこ年を取った今、経験や知識はある程度ついてきたが、体力が足りない。自分の人生で一番良い時期というのは、いったい何時だったのだろう、と思わされる。
 ここのところ、たまーに銭湯に行くようになった。肩や背中の凝りには、やはり暖めることが効くようで、湯船が大きく、広くて複数の浴槽がある外湯の方が、内風呂よりも長時間浸かって暖めるには向くようだ。本来、不特定多数の他人と一緒に入浴するのは好きでないのだが、「治療」のためとあらば背に腹は代えられない。年を取ると自分の行動様式も意外な方向に変わるものだな、と思わされる。

 ドイツとフランスを一応の参照対象としている身としては、ヨーロッパは今後当分内憂外患で大変だなー、と思わされる一日であった(ドイツの連立崩壊も現地時間で夜になってからの急な動きだったようだ)。
 研究以外でもなるべく日常的に外国語を読む習慣をつけなければ、と独仏共にいちおう新聞を購読しているのだが、研究その他で精神的余裕を失うと、すぐに読めなくなり、未読のものが溜まっていく。本であれば、すぐに読めなくても持っていればいつか役に立つ時が来る(かもしれない)が、新聞は時間が経ってしまうとほとんど価値がなくなる(誰が1ヶ月前の新聞を喜んで読むだろうか)。我ながら、金をドブに捨てているなー、と思うが、しかし翻って考えると、これほどまでに半減期の短い情報のために各家庭が毎月数千円を決まって支払うという「新聞」という制度自体が、まことに不思議なものだったのだなと思う。


11月2日(土)
 もう11月になってしまい、ここのところ進んでいなかった執筆仕事をさすがに何とかしなければいけない。残り2ヶ月でまだ2本書かなければいけないのだ。普段、まだ締め切りまで時間のあるときは、「自分が最低限到達したいレベルに達するために、何をしなければいけないのか」と考えるのに対して、時間がなくなると、「現在の自分の能力・知見の範囲内で可能なものを作るには、何をしたらよいのか」という発想になる。発想を切り替えるべきタイミングに来ている。
 吉田喜重特集、結局3本見る。以前見た『秋津温泉』を加えて計4本だが、個人的な評価では、『秋津温泉』(1962年)○、『情炎』(1967年)△、『エロス+虐殺』(1970年)×、『戒厳令』(1973年)○、というところか。表現の可能性の幅が拡大されると同時に、それまでの王道が見失われていく時代に生きた人、ということになるのだろうが、ある時代状況の中で前衛が果たした役割というものは無視できないにせよ、数十年後から見てそれが表現として成功しているのか否かはまた別の問題かもしれない、というのが(特に『エロス+虐殺』に対する)個人的感想である(『戒厳令』の方が遙かに、高い緊張感と緊密さで一貫したモチーフを描き切っている、と感じる)。

11月1日(金)
 今週は疲れがピークで(学期の最初は緊張するものなので、新学期から1ヶ月経った今頃はちょうど疲れが出る時期だ)、授業を休講しようかとも思うが、いやいや、まだ休講カードを切るには早すぎる、と何とか乗り切る。切り札をいつ切るか、という楽しみは、なるべく後の方まで残しておきたい。

10月31日(木)
 今週は京橋の国立映画アーカイブでは、開催中の東京国際映画祭との共催で、吉田喜重(1933-2022)監督の特集上映をするという。国際映画祭との共催なので、外国のお客さんも意識してか、全て英語字幕入りとのことである。吉田喜重は以前見た『秋津温泉』(1962年)が大変良かったので、この機会に気になるものをいくつか見ようか、と思って今日初めて出かけたのだが、まばらな客席のどこを見回しても、ほとんど白髪頭の日本人のジジイばかりである(自分もジジイの一員であることは否定しないが)。

10月30日(水)
 コロナ以前とコロナ後で、自分の中で何かが変わってしまった感覚があって(単に加齢の影響もあるだろうが)、以前のようにはジャズのライブを楽しめなくなってしまった。理由はわからない。が、ステージの上で展開されていることが、何か自分から遠くで起きている出来事に感じられてしまう。舞台と自分との間に透明な壁の存在を感じるとでもいうのか。それでも時々は出かけていくのは、忘れてしまった何かを思い出すため、という意味合いも強い。


10月19日(土)
 国立映画アーカイブで、田坂具隆(1902-74)監督の特集上映をやっていて、これまでひとつも見たことがなかったので、出かけてみた。約2ヶ月の期間のうち前半で見たのは、年代順に、①『路傍の石』(1938年。山本有三原作。再現された明治の雰囲気が良い。身分制解体後の平等の理想と、金力や社会的地位による乗り越えがたい格差という相克のなかで苦闘し成長していく主人公を描く。他の作品もそうだが、この監督さんは子役の使い方が本当に上手い)、②『土と兵隊』(1939年。火野葦平原作。日本軍が全面協力して中国ロケで撮影された戦争映画で、兵士の目線から見た戦争のリアリティを捉えるのが目的か、我々が戦争映画と聞いてイメージするようなドラマティックな要素・ロマンティックな要素を極力排除して、長距離を黙々と歩いて移動するシーンと無機的に銃弾が飛び交う戦闘シーンが153分間ひたすら続く)、③『雪割草』(1951年。子役が大変に可愛らしい佳作!何故かインドでヒットしたらしい)、④『女中っ子』(1955年。田舎と都会の対比、都会生活で屈託を抱えた少年が仲良しの女中さんの故郷・秋田で気持ちを解放されるなど、私の目には『アルプスの少女ハイジ』と重なるモチーフが多いのが面白い。作中で「なまはげ」が重要な役割を果たす点では、日本なまはげ映画史に残る佳作、とも言える)、⑤『はだかっ子』(1961年。敗戦の傷跡を負った戦後社会の新しい理想を、純真な少年少女と若い教師に託した佳作。少々説教くさいとも言えるが、私は支持したい)、⑥『冷飯とおさんとちゃん』(1965年。山本周五郎原作の3つの短編のオムニバス。3つ全てで主役を演じる中村錦之助が素晴らしく、この人がこんなに魅力的な俳優であることを私は初めて知った)。全体に、派手さはないけれども、実直な作風の素晴らしい監督さんで、もっと早く見るべきだったし、今回見逃さなくて良かった、と思う。

 私はジャズや落語も好きなので、これらのジャンルを横断的に見ても感じることだが、世間的な知名度が高い、誰でも知っている作り手というのは、どの世界でもごくわずかである(映画なら黒澤・小津、落語なら志ん朝・小三治、ジャズならナベサダ・山下洋輔などか)。もちろん、彼らは基本的には有名になるだけの傑出した何かを持っている人たちだ。が、そのジャンルをもう少し深く広く見るようになると、実は有名になるための「何か」がほんの少し欠けているだけで、同じように魅力的で優れた作り手たちが他にもたくさんいることに気がつく(世間で知られているか否かと、表現が優れているか否かは、必ずしも常に一致しないという当然の理も繰り返し実感させられる)。その時に初めて、その表現領域がそもそもどのように成り立っているのか、何が良い作品を良い作品たらしめているのか、といったことが少し見えてくるし、そうした作り手たちのいわば「人間の営み」の姿がいくらか理解できるようになる気がする。そんなことをひとつひとつ新たに発見していく喜びがないと、私は生きていく元気が湧いてこない人間なのだ。というわけで、余裕がなく、疲れてもいるのに、性懲りもなく気晴らしに出かけるのである。


10月16日(水)
 今頃になって、夏の疲れが出る。この夏は、酷暑で冷房の効いた建物に籠もりがちになり(溜めた原稿債務を少しでも履行するために籠もらざるを得なかったこともある)、老化もあるのかどうにも体調が悪く、少し外に出るだけでフラフラしていた。結局、原稿は全部終わらなかったが、締め切りが少し猶予され、暑さも少し和らぎ(それでも10月中旬にしては異常な暑さだが)、授業も何とか滑り出した中、調子が戻ってくるどころか、逆にガクッと落ち込んでしまう。
 そんな中、せっかく論文の締め切りが延びたので、少し仕切り直しして勉強し直そうと、やや落ち着いた読書に取り組んでいる(不調でスピードは異常に遅いが)。これまで今ひとつピンとこなかった古典的著作に対して、自分なりの捉え方が少し見つかったように思い、「まだ体力のあった10年前に、今くらいのレベルに到達していたら、できることがたくさんあったのに…」、と思う。が、そんな平穏な読書もまもなく打ち切って、また執筆の苦しみに戻って行かなければならない。
 という、いかにも最近の心身の不調を体現した、オチも主張も何もない日記でした。


10月9日(水)
 50歳の誕生日を迎える。人生を25年サイクルで考えるなら、2ターンが終了して、3ターン目に入る。あまり明るい気分にはならないが、終焉が近づくというのは解放が近づくことでもある、と前向きに考えたい。
 論文にせよ講義にせよ、一見したところ単一のテーマを論じているものでも、表題に掲げられたテーマの背後で複数の様々な論点やモチーフが複雑に絡み合っている場合が多い。このため、限られたスペース(時間)の中に様々な主題をいかに配置するか、いわば全体のデザインをどのように組み立てるかが重要になる。試行錯誤している段階のものは、どこか形がいびつだったり、ごちゃごちゃしていることが多く、「これだ!」という解決に到達したものは、割とシンプルな印象を与える形になっていることが多い。自分が到達したいと思っている完成態がいかなる形をしているのか、イメージが明確につかめた段階で、作品は半分出来上がった(頭の中でだけ、ではあるが)、と言ってもよいし、そこに至るまでが大変だ、とも言える(この意味で、「何かを理解する」というのは、論理だけには収まらない、もっと直観的で感性的な部分があると思う)。試行錯誤段階のものを公表せざるをえない場合(締め切りを大幅に徒過していて、出来の良し悪しに拘わらず提出しなければいけない場合とか、コロナ期間中のように酷い精神的スランプに襲われた場合とか)は非常に苦痛だし、私が授業など人前で話をするのが好きでないのも同じ理由からだ(その場で即興的に綺麗なデザインを描いてみせる才能のある人は、全然感じ方が違うのだろうが)。普段は人目を避けて隠棲しながら、1年に1本だけ作品を発表する純文学作家、のように生きることができたら、幸せであろうと思う。


10月2日(水)
 今年も「国法学」の講義が始まる。教科書が存在せず、何をしたら良いのかわからないまま、完全な手探りから始まったこの講義も、早いもので今年が7年目だ。今年あたり、ようやく全体の構造が固まってきた気がする。これを練り上げて完成させ、50代のうちには本にする、というのが今後の目標になる。とは言え、講義自体は石川先生からのたっての依頼で引き受けたもので(法学部で日比野先生が退職した際、後任を採ることができず、憲法の教員が1人減員になったが、これまで提供してきた講義を削減するのも避けたいため、私に助力が求められたもので、私自身は本当は研究所の利点を活かしてなるべく講義負担から自由に勉強したかったのだが、再三のお願いに負け、「天が与えた試練」だと思って引き受けた)、石川先生が退職するまでの約束なので、私がやるのは最長でも今回含めあと3回だ。本来、人前で話すのはあまり好きでないため、あとは書斎で静かに完成させる方が自分の性に合っている。「毎年少しずつ改良しながら講義を完成させていく」とは、言い換えれば「まだ自分の考えが固まっていない未完成なものを人前に晒さなければならない」ということで、相当な精神的苦痛なのだ。この点、自力で一から自分の体系を作らなければならないこの種の講義は、実定法の「憲法」のように既に教科書が存在する科目とは、根本的に性質を異にしている。
 今年は、少し体系が固まってきた結果として、去年よりも少し楽に話せるような気がするが、こういう年は得てして前の年よりも学生の反応が悪いものだ。去年は何だか例年になく学生の反応が良く試験の出来も良かったが、今年はどうなるか、基本は「向こうは向こう、こっちはこっち」ではある。

10月1日(火)
 結局、論文が全く進まないまま新学期が始まってしまう。締め切りは猶予してもらえたが、これを含め年内にどうしても書かなければならないものが残り2本、まだ見通しが立たず年末まで心身ともに苦しい日々が続く(こういうことが続くために、この数年ずっと懸案になっている村上淳一論などは、本当に心苦しいのだが、なかなか手を着けられる状態にならないのだ)。
 いくつか論文が公刊される。『芦部憲法学』のものは、2月にドイツ行きの前に書いたもので、締め切りと分量制限が非常に厳しいため、意図的にそれ相応の力の入れ方で「参加することに意義がある」という感じの仕上がりにとどめている(もっとも、過去の経験上、力が漲った作品は読み手に意外と伝わらず、少し力を抜いた作品の方が評判が良かったりすることもあるので、今回もそんなところかもしれない、と思う。内容的には、去年書いた「「政治」という他者」の応用編である)。岩波で芦部本なので、一般読者層も手に取るのかな、と思い、なるべくわかりやすく書いたら、税込み1万円を超えるとのことで、院生すら躊躇する価格だ。それならもっと難しいことを書けば良かった、と思うが、既に増刷が決まったとのことで、意外に売れてるらしく、結局どう書けば良かったのかはよくわからない。
 法律時報の論文(研究会企画の応答論文)は、これも意図的に、ギリギリと詰めた論文ではなく、もう少し「開かれた」書き方を試みたもので、成功しているかどうかわからないが、こういう文体の文章を面白く書けるようになるための修行の一環、という趣旨もある。