ワークシェアリング

(Jan. 26 ,2002)

 高校時代、夏休みや冬休みなどにアルバイトをしました。

 高校生では特別な技能は何も持っていませんから、飲食店の厨房で簡単な補助作業とか、皿洗いとかでした。最初に働いた時の時給は450円。今と比べるとかなり安いですね。

 で、アルバイト中に感じたのは、早く休憩時間にならないかな、とか、早く終わりの時間にならないかな、ということでした。時々、時計を見ると、思ったよりも時間が経っていなくてがっかりしたこととかもありました。

 普通は、夏休みとかの休みというのは、長ければ長いほどいいわけです。早く終わればいいな、とは考えません。

 休み中のほとんどの日をアルバイトで過ごしたこともありました。アルバイトをしていて、仕事中、早く時間が過ぎないかな、と感じるというのは、早く休みが終わらないかな、と考えるというのと一緒なわけです。

 高校生ともなると、少しは将来のことも考えます。この時に考えたのは、その時にアルバイトをしていたような、早く仕事時間が終わらないかな、と思って時計を見るような仕事には就きたくない、ということでした。

 毎日の仕事の中で、早く仕事が終わらないかな、と考えながら、何十年も仕事をしていくのはちょっと耐えられないかな、と思いました。何十年もの間、時計を見て、時間があまり経っていなくてがっかりする、という生活はしたくない、と思いました。当時考えたのは、極端なことですが、何十年も、毎日、早く時間が過ぎないかな、と考える、ということは、早くトシをとらないかな、と考える、というのと一緒だ、ということでした。

 だからといってどんな仕事に就こう、というところまでは分かりませんでしたが、早く時間が過ぎないかな、と思わないで済むような仕事が何かないか、と思いました。

 アルバイトの時給が安く、せっかく稼いだアルバイトの給料はすぐに使ってしまいましたが、この時に考えた将来の仕事についての考え、ということは、その後もずっと考えたことでした。

 で、そんなことを考えた結果、私が就いた仕事は、自営業というか、自由業なので、仕事が終われば、午後5時前でも帰ってしまってもいいですし、やらなければいけない仕事があれば、深夜2時でも3時でも仕事をしますし、土日や祝日も関係なく仕事をします。

 もちろん、中には、時間で頼まれる仕事というのもありますので、そういう時には、早くこの仕事が終わる時間が来ないかな、と思うこともありますが、それは私がやっている仕事のうちのごく一部です。

 ふだんの仕事の中では、仕事の処理は、一分でも一秒でも早くこなす、ということを目指しています。なるべく早く仕事をこなして早く帰ろう、と考えますので、時計を見て、もうそんなに時間が経っちゃったか、と考えてがっかりする、ということがあります。早く時間が過ぎないかな、と考えながら時計を見る、というのとはちょうど逆の生活をしているわけです。その意味で、私が高校時代に考えていたことは一応かなった、ということになります。

 10年ほど前、「ナニワ金融道」の作者の青木雄二さんの初期短編集というマンガを読んでいたら、工事現場で、一生懸命働いている主人公に、年輩の作業員が、「おい兄ちゃん、そんなに一生懸命働かなくていい、みんながお前みたいに働いたら、それだけこの現場の仕事、早く終わってしまうじゃないか、適当に働いて、長い期間働けた方がいいじゃないか。」というようなセリフを言っていました。

 青木さんの作品は、自分の体験と、綿密な取材に基づいて書かれるものですから、実際にこのようなことが行われている現場もあるのでしょう。

 早く時間が過ぎないかな、と考えながら働こうが別のことを考えながら働こうが、内心どのように考えているかで変わるところはありません。でも、一生懸命働けば、例えば10の作業をすることができるのに、適当にさぼって、7とか8とかの仕事しかしない、ということをすれば、その作業員の仕事の日数は増えて賃金はたくさんもらえるのかもしれません。でも、雇い主の会社にとってはその分、経費がかかることになります。また、社会全体の観点から考えても、遊んでいる人材がいれば、人材という資源の無駄遣いをしているため、その分の損失が発生したことになります。

 最近、導入が検討されている、ワークシェアリングというのは、例えば5人の従業員のうちの1人の首を切る代わりに、5人の作業員を週休2日ではなく週休3日にして、1人あたりの従業員の仕事時間を2割減らす、そして1人あたりの賃金も2割減らす、というものです。

 従業員にすれば、給料が減るというマイナス面の代わりに首になる人がでないというプラス面があります。会社にとっては、1人あたりの給料を減らす代わりに1人あたりの作業量を減らすわけで、プラスもマイナスも特にありません。社会全体ではどうでしょうか。やはり、人材という資源を有効に活用せず、遊ばせてしまうわけですから、マイナス面があります。もちろん、失業者がでない、というプラス面もあり、その点から導入が検討されているものです。

 国内で、ある資源の余剰があれば、普通はその輸出を考えます。人材も資源であるとすれば、同様に考えられないでしょうか。私としては、ワークシェアリングという方法で人材を遊ばせてしまうのであれば、むしろ海外で活躍する日本人を増やせばいいのではないか、と思いますし、それが現状を打破する唯一の方法かと思います。

 人材が海外で働く、といっても、2つの形態があります。1つは単純作業。例えば、香港の家庭で働くお手伝いさんは、周辺のアジア各国の女性だ、と言われます。

 もう1つは、より高度な仕事。例えば中国では、台湾のビジネスマンやエンジニアを、台湾本国と同じ条件で、しかも国内の従業員とは別の従業員宿舎を作ったりして、雇用する、というものです。引く手があまたであるため、人を集めるために待遇をよくしているわけです。

 日本人が、単純作業をするために海外に行っても仕方がないと思いますので、海外から、ぜひ来てもらいたい、というオファーに基づいて海外に行く、ということが増えればいい、と思います。

 今後の日本の教育では、海外からオファーを受けるような人材をどのように育成するか、ということを考えるべきだと思います。生産拠点の海外移転という産業の空洞化が進んでいるわけですから、ワークシェアリングという対症療法ではなく、人材の海外進出ということは急務だと思います。