英語を入試科目から外すべき

(May. 06 ,2002)

 高校入試・大学入試から英語を排除すべきである、と考えます。

 こんなことは私の感覚では当たり前のことで、今さら言う必要もないと思うのですが、新聞やら雑誌やらに書いているものを読んでも、こういうことを書いているのを読んだことがありません。

 英語を入試科目から外すべき、と書くと、「現在でも十分でない日本人の英語力がなおのこと下がる。」という反論もあるかもしれません。

 でも、今の日本人の英語力ってどのぐらいのものなんでしょうか。アジア諸国の中では最低で、アメリカと国交のない北朝鮮と肩を並べるぐらい、と聞いたことがあります。今が最低なわけですから、いったん今までのしくみを壊して、新しい制度を作るしかないのではないかと思います。

 現在、中学や高校で教えられている英語というのは、いわゆる受験英語というもので、実用性のあるものではありません。高校入試でも、大学入試でも、英語が試験科目になっているため、受験英語という英語が教えられているわけです。

 受験英語ができるようになっても、英語を使いこなすことができません。

 中学英語は英語の基本で役に立つ、これから英語をやり直す人はまず中学の英語の教科書を使うといい、と言われることもあります。

 私は大学生時代などに、中学生相手の塾で英語を教えるアルバイトをしていました。教えるためには生徒よりも高いレベルにある必要があります。初めて見る高校入試の英語の問題、普通は1時間ぐらいで解く問題を、15分ぐらいで解答を出して、もちろんそれは1問も間違えがなくて、しかもその時間で、どの問題ではどのように教えるか、ということまで考えてしまう、ということができました。

 もちろんそんなことは誇るべきことではありません。私がオフィス街にあるハンバーガー屋さんでアルバイトをしていた時には、ランチタイム時には、ばんばん入ってくるオーダーを聞いて、15種類や20種類もある自分が担当するメニューについて、一回聞いただけで何をいくつどんな順番で作らなければいけないかを瞬間的に判断して、手が三本か四本あるんじゃないかというぐらいのスピードで作っていく、ということをしていましたが、そんな作業と特に違いはありません。

 で、そんなふうに塾でアルバイトをやっていた私が、英語を使いこなすことができるか、というと全然だめです。現在、英語が使えなければいけない仕事のオファーとかがあっても、自分は英語が使えないから、と言って断っています。

 受験英語ができるようになっても英語が使えない。そうであれば、高校入試・大学入試から、英語をなくすべきです。

 入試から英語がなくなれば学校は英語の授業をしなくなるのではないか、とか、生徒が英語の授業を手を抜くのではないか、と考える人もいるかもしれません。

 もちろん、受験科目からなくなる、ということが、授業をする必要がなくなるということを帰結するわけではありません。

 私は通ったことがありませんが、英会話学校というのはどこにでもあります。入試を受ける必要のない大人が、自分で授業料を払うなり会社が払うなりして学校に通っているわけです。日本人が英語を勉強するのが好きな国民なのか、英語の必要性を痛感しているからなのかは分かりませんが、入試という要素がなくても日本人は英語を勉強します。英語が入試科目から外れても、学校が英語を教えなくなるわけではありませんし、生徒が英語の勉強をおろそかにしてしまうことにもなりません。

 英語を入試科目から外すことで、受験英語、という日本独自の英語がなくなります。入試英語から解放されることで、学校の教育方針や教師の個性を発揮した指導が可能になります。




 入試英語を脱却するためには、英語を受験科目から外すのではなく、現在の入試問題を、現行の文法中心のものから、コミュニケーション中心のものに変えるべき、という意見もあります。

 でも私は、それはどうかなと思います。

 コミュニケーション中心、とした場合には、帰国子女が圧倒的に有利になります。大学入試であれば、入試の目的は、高校までに勉強したことのない分野について、学習していく能力があるかどうかを判定することにあります。例えば経済学部に入るのに、なぜ英語・国語・社会(通常は日本史又は世界史)の3科目が入試科目になっているのかは分かりませんが、高校までの学力の高い者が、大学に入っても学習能力が高いのではないか、という推定のもとに入試が行われているのでしょう。

 そうであれば、入試においては条件の公平さが求められます。現在の、入試英語という日本独自の制度であれば、帰国子女についてもさほど有利なわけではありません。でもコミュニケーション能力を見る試験ということになると、外国に行ったことのない受験生は帰国子女に英語の試験では太刀打ちできないことになります。

 コミュニケーション中心の試験を行うということになれば、中学時代や高校時代に海外に長期又は短期の語学留学をする学生が増えるのかもしれません。それはそれで、日本人の英語力向上には役立つのでしょうが、普通の家庭で、子供を海外留学に出せる経済的な余裕はないと思いますし、中学生や高校生が、留学費用を自分でアルバイトして費用を捻出することも無理ではないかと思います。結局、語学留学できるのは裕福な家庭の子女に限られることになります。

 受験生の中で、ごく一部の、帰国子女と、裕福な家庭で中学時代や高校時代に語学留学できた人だけが入試で上位の成績をとる、ということがいいこととはあまり思えません。




 文部科学省が、最近、英語教育を重点的に行う学校をスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールとして指定し、英語教育を重視したカリキュラムについての実践的研究を行うことになりました。

 同様に理数系について重点校を指定するというスーパーサイエンスハイスクールというものもありますが、そちらはともかくとして、英語教育についての重点校というのは問題ではないかと思います。

 英語というのは、これからの時代、誰でも必要とされるものです。ごく一部の人だけが重点的に教育を受ければいいというわけではありません。

 入試から英語を外し、そうした中で英語の授業では何を教えるか、ということを考える中で、今までとは全く違った英語の教育が行われるものだと思います。