想片拾遺折々の記２００３年４月

私の教育観の背景
2003年4月

　'03･3･26の夜，札幌市のアカデミー・フォーラムという団体からのお招きを受け，「人格の教育」についての講演をした。
　内容は，一言でいえば「自主・自立の心を育てる私の実践」というような体験を中心とした話になった。硬派の教育実践報告と言ってもよい。
　講演の後，数日を経て大略次のようなご質問を当夜ご出席下さった医師の川野先生から戴いた。
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　(1)　先生の話を聞きながら，このように逞しい人間観あるいは教育観（ある意味では基本的なことかもしれませんが）を構築されたその背景は一体どのようなものであろうかということです。それは，ある人物の影響でしょうか。それとも境遇でしょうか。いずれともでしょうか。
　(2)　先生は今後日本の教育（あるいは日本の子供たち）にどのような期待や希望をお持ちでしょうか。また，そのための具体的活動内容（私自身の修練のために学べる内容がないかと思いまして）で参加可能なものはありますでしょうか。

　先生の教えを聞きながら私自身（信仰的にも）大変勇気づけられまして，新たに目が開かれた思いが致しました。内村鑑三の如く「あらゆる真理は宗教を超えて相通ずる」の感を強く持った次第です。野口先生，これからも私のように信仰心を持ちながらも悟りの乏しい愚かな者に「命の言葉」を下さいませ。実践と経験の中から生まれた生きた言葉が必要な時代です。何卒宜しくお願い致します。
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１．誠実なご質問に感激
　勿体ないお便りを戴き，恐縮している，というのが実感である。真剣に拙講に耳を傾けて下さったのだと心から有り難い。この誠実なご質問に私は答えたいと思った。というよりも，このご質問に出合わなければ私はこのようなことに考えが及ばなかったろうと思うので，これを有り難い好機ととらえて私の考えを認め，お答えに代えたいと思う。

２．私の教育観の背景・師匠
　一人の人間がある教育観なり人生観なりを形成するまでには実は極めて多様な要因が絡みあうのではないか。あるいっときとか，ある人物とか，ある書物とか，ある事件というような単一な要因で「観」が形成されるということは一般的にはないだろうと思う。もし，あったとすれば，それはまた次のある出会いによって簡単に変わってしまうかもしれない不安定さを孕むのではないだろうか。
　私の「観」もまたいろいろな先達や書物や事件によって徐々に形成されてきたものである。しかし，その中でも大きな影響を与えた出合いはいくつか特定できそうに思う。
　第一は，私の生涯の師であった平田篤資先生である。平田先生は東京帝国大学医学部を出られてから，満鉄の内科医として終戦まで外地で過ごされ，戦後郷里に帰られて私との出合いになる。私と平田先生との出合いは，衆人環視の中で平田先生に私が怒鳴りつけられるという劇的なものだった。怒鳴りつけられた私はやっと目が覚めてその夜自分の非と至らなさを悟り，謝罪に先生のご自宅に参上したことに始まる。
　平田先生は大変な読書家であり，思想家であり，科学者であって，世俗を超越した卓越した見識をお持ちだった。私は先生の話を聞くのが楽しみで毎土曜日に先生の膝下を訪い薫陶を受けた。私に若干世俗の常識を超えた考え方があるとすれば，大きくそれは平田先生の感化である。平田先生との思い出は拙著『名人への道』（現在絶版，目下改版の予定）にやや詳しい。
　第二の師は，私に書道の手ほどきをして下さった斉藤翠谷先生である。先生は学歴は高等小学校卒業だが，大志を抱いて文検に挑み，旧制中等教員の免許を取得された立志伝の持ち主である。先生は，体を張って学び，近郷近在に並ぶ者のない書家として敬慕された。
　私は斉藤先生に５年の手ほどきを戴いたが，その間に受けた教育観，人生観の教訓は大きくかつ深い。その間の事情も前著にやや詳しい。
　私の人生観，教育観を大きく形づくったもう一人は私の父である。私は長男であり，父からは格別の期待を持って育てられたと思っている。父のふと漏らす言葉や，あるいはまともに訓す言葉やらを，私はかなり印象深く覚えている。
「師を持ち，師に学ぶ」
「良き師，良き友，良き書物」
　これらの格言は私の大好きなものであり，まったくその通りだと思うし，そうありたいと私は努めてきた。
　平田先生にも，斉藤先生にも，父にも，そこに共通しているものは「自分の眼，自分の言葉」で私に語ってくれたという一点のように思われる。借り物や流行に甘んずるのではなく，自分に正直な，自分に誠実な生き方を三人とも求めていたように思われる。そして，それが私の大きなあこがれとなって今も生きているようだ。

３．私の教育観の背景・境遇
　私の人生観，教育観を根底から支えているのは境遇であろう。平田先生や斉藤先生や父にあこがれるということそのことがすでに境遇の然らしむる所だとも言えそうだ。
　私は十歳までの間に，祖母と母と妹を亡くしている。十歳の折に新発田市から継母が嫁いできてくれた。異母弟妹が七人いる。代々農業を営む我家で，私は今も１．４ヘクタールの水稲を作っている。
　農業という一次産業は基本的に「保護産業」であり，採算ベースには全く乗らない赤字なのだが，さりとて荒れるに任せて先祖伝来の田畑を粗末にする訳にはいかない。今日も，昨日も，一昨日も私は終日田圃に出た。農業という仕事を通して私は「理屈」いうものの無力を学んだ。自然というものは実に正直で，ちょっとでも手を抜こうものなら，物の見事にそのしっぺ返しをやって見せてくれる。教育界には「理屈」が多い。屁理屈に近いものが時に大手を振るう。「嘘つけ！」という反骨の心が首を持ち上げてくるのは私の「境遇」にも明らかに起因する。
「本音，実感，我がハート」というのは私の生き方のキーワードの一つであるが，このキーワードは，私の師匠や境遇が合わさって紡ぎ出されたものだと思う。そして，私は我ながらこのキーワードが気に入っている。これまでもそうだったし，これからも，いつでも，どこでも私は「本音，実感，我がハート」を貫く生き方をしていきたいと思っている。

４．日本の教育への期待
　福岡県中間市の某氏から伺った次の格言の重みをいつも思う。

　好きか嫌いかは，自分が決める。
　良いか悪いかは，社会が決める。
　正しいか正しくないかは，歴史が決める。

　好きなことは良いことで，それはそのまま正しいのだと思いがちである。しかし，そうではないとこの格言は喝破する。個人的判断と社会的判断は別物である。好きだからと言ってそれが良いことだとは限らない。常識や流行で社会的に良いとされることが，そのまま「正しい」と単純に思いがちだが，それは違う。「正しいか，正しくないか」は「歴史が決める」のだ。
　教育界の流行にいろいろと私もつき合ってきたが，正直なところ失望している。当てにならない。戦後教育，戦後民主主義は「良いこと」とされて久しいが，果たして「正しい」と言えるのか。私は今かなり懐疑的である。
　一言で戦後の社会思潮を特色づけるなら「利己の公認，エゴの是認」ということになるのではないか。「権利」が前面に出て「義務」は退き，「主張」が前面に出て「責任」が退いた。
　その行きついた果てが現在の混迷である。この打開はいかにして可能なのだろうか。
　世界の人類が片時も忘れることなく求めてきたことが三つある，と私は考えている。一つは「貧困から富裕へ」，二つは「戦争から平和へ」，三つは，「拘束から自由へ」という願いだ。この三つともが叶えられている希有の国がある。日本だ。
　世界の人類のユートピアが実現しているこの日本は，今新たな混迷に喘いでいる。この矛盾は何に起因するか。それは，「エゴ，利己」の肥大である。
　人心の建て直し，心の教育，人生観の教育が今強く求められている。全くその通りである。
　私も微力をそれに注ぎたいと考えている。それが愛する日本国への私にできるささやかな恩返しであるからだ。

５．今後の私の具体的な実践
　私は，いま大きくは三つの実践をしている。
　一つは，大学や専門学校の講義である。日本の若者としてどうあることが幸せか，どのように生きることが本物の人生なのか，私の考えをもとに大いに討論を深めていきたい。そして，国家意識，愛国，公徳というようなことにも意識的に取り組んでみたい。日々が楽しみである。
　二つは，私に声をかけ，私と共に学ぼうとする全国の一線一級の教師諸賢との勉強会の充実である。「授業道場・野口塾」「鍛国研・○○ゼミ」「野口先生と学ぶ会」などなどが全国各地で三十近く開かれている。ここでは色濃く私の「本音，実感，我がハート」を提言し，批判を受け，互いの考えを深め合っている。
　三つは，（財）モラロジー研究所の活動への積極的な参加である。モラロジー研究所は全国に支部を持ち，生涯学習のモデル的な実践，推進を展開している。私は現在教育者を対象とした啓発を任とする「教育者講師」という役割を担っている。名に恥じない仕事をしたい。
　夏休み中に全国全県で開かれる研究所主催の「教育者研究集会」の他に，各地で随時に開かれる研修会にも積極的に参加したいと思う。
　この団体は中庸かつ穏健，日本人としての誇りを共有する活動を展開している。
　以上が私の実践の主たるものだが，もうひとつ私の最も大切な仕事として「出版」がある。ここのところ三年ほど，目先のことに追われてほとんど出版活動ができなかったのだが，今年こそはどうしても具体化したい。とりあえず「家庭教育の復権」というシリーズを５冊ほど出版する。旧版に若干の手入れをして新装版で世に問うつもりだ。
　教師向けには模擬授業シリーズを四冊ほど出したい。夢でなく，現実にしたい。今年も忙しくなりそうで嬉しい。

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