「じゃあね、クリーオウ」

「うん、またね」

 

 牙の塔学園は本日、小等部、中等部、高等部それぞれが終業式を迎え、午後1時を回ろうかという今では学生の姿もまばらである。

 帰る方向が違う友人に校門前で別れを告げ、クリーオウ・エバーラスティンは通信簿の入った鞄を持ち直した。春の柔らかな風に目を細め、ひとしきりそれを受け流した後、ゆったりと歩き出す。

 何の変哲も無い1年間だった。

 確かに、新しい友人もできたし、月ごとにやってくる学園行事――この学園はどうにも奇抜なものが多かった――も楽しめた。成績も、……まあ及第点といったところか。取り立てて悪くはなく、けれど飛びぬけて良くもなく。

 とはいえ、彼女は学年50位以内には必ず入っているのだが。

「あら? マジクじゃないの」

 自分から15m程先に、中等部の制服を着た男子が歩いている。何故か、花束や紙袋といった大量の荷物を抱えて。

「マジクー!」

 名前を呼んで、クリーオウは小走りで彼に近づいていく。

 あと数歩という所まで来て、めいっぱいの荷物を落とさないようバランスを取りながら、ようやく彼は振り向いた。

「あ……クリーオウ。随分遅いね」

「あんたこそ。中等部の方が高等部わたしたちより早く終わったはずでしょ?」

「いやまあ、そうなんだけど……」

 と、クリーオウは改めて彼の荷物を見やった。男子にしてはやや細めの腕に、花束が大きいものから一輪のものまで数本。そして手には自分の鞄と紙袋がいくつか。紙袋からは色とりどりの包装紙だのリボンの端だのがのぞいている。

「……毎年毎年、あんたもよくやるわね」

「べ、別にぼくがやってるわけじゃないよ。先輩方がくれるっていうのに貰わないのは失礼だと思って……」

「しかもそれ、あんたわざわざお返ししてるんだって? マメよね」

「だって、貰っておいてそのままってわけにもいかないだろ」

「そんなもんかしら」

「そうだよ」

 そんなたわいもない会話をしながら、二人は並んで歩いていく。

 彼女と同じく金髪の彼――マジクは、クリーオウの3つ下の幼馴染みである。卒業生でもない彼がこれだけの荷物を抱えているのはひとえに、彼との別れを惜しむ――エスカレーター式での進学の為、同じ学園に通うことは変わりないのだが――諸先輩方からの熱烈なる支持の賜物、それ以外の何物でもない。

「そうだ、あんた成績どうだった?」

「え? あ、ああうん、まあ、ぼちぼちってところかな……」

 似たような金髪、同じ学園の中等部と高等部の制服を着た二人が並んでいると、さも姉弟のように見える。この学園に入学してから、間違われたことも数回ではない。

「あんた春休みどうすんの?」

「うーん、特に決めてないよ。短いし」

「そうなのよね。もうちょっと長くてもいいと思うんだけど。一月くらい」

「それだと新学期が5月からになるんじゃ……」

「いいじゃない。5月だってまだ春だし」

「でも桜は散っちゃってるよ。葉桜もいいとは思うけど」

「あ、それもそうね。じゃあ、始まるのを早くすればいいじゃない。2月の終わりくらいから春休み」

「それだと3学期が2ヶ月も無いよ……」

 幼馴染み故か、緩やかに、けれど滞ることなく会話は進む。やがて分れ道に差し掛かった。

「それじゃあね、マジク。寄り道するんじゃないわよ」

「しないよ……家はすぐそこなんだし」

「じゃ、またね」

「うん。またねクリーオウ」

 二人は手を振って――一人は花束を抱えた方の手の指先を振って――別れた。









 今度こそ一人だけになり、再度クリーオウは歩き出した。

(本当にあっという間なのよね、春休みって)

 何をしようかしら、とクリーオウは無意識で口元に手を当てた。

(まずは部屋の片付けかしら。1年のときのプリントとかは捨てちゃっていいわよね。あ、教科書って休みのうちに買っておかないとなんだっけ)

 頭の中にカレンダーを思い描き、思いつくがままに予定を書き込んでいく。気が付けば2週間足らずの休日は8割方埋まってしまっていた。

(やっぱり2週間じゃ短いわよ、絶対。……あ、そういえば、春のバーゲンって今月末じゃなかったかしら)

 先日商店街へ出向いた時にあちこちで見かけたポスターを思い出す。『月末大売出し! 春の祭典スペシャルバーゲン!』とか何とか、派手な文字が躍っていたはずだ。

(そうだわ。確か、冬のときに行けなかったから春は一緒に行こうってお姉ちゃんと約束したわよね。……うん、そうそう、あのときは偶々風邪ひいちゃったのよね、お姉ちゃん)

 赤い顔でベッドに横たわる姉と、指切りをした光景が頭の中でフラッシュバックする。あまり外に出ない姉は、それは嬉しそうに“嘘ついたらはりせんぼんのーます”、と呟いたものだ。

(お姉ちゃん、いつがいいのかしら? 帰ったら聞かなくちゃ)

 いつの間にか早足になっていたクリーオウは、そう決めた途端いても経ってもいられず走り出した。


 春休みは短いのだ。ゆっくりしていたら、何もしないうちに終わってしまう。

(それに……何だか、今年の春休みは何かが起こりそうな気がするのよね)



 一体この先に何が待っているのか分からないが、とかくそれは、胸を躍らせるに充分で。



「さ、頑張らなくちゃね!」



 金の髪をたなびかせ――春の風と共に、クリーオウは街を駆け抜けていった。











 3つ上の幼馴染みと別れ、マジクは自宅を目指して歩いていた。

 両手の荷物がその存在を主張するべく、重量を増してきた気がする。両手どころか両腕までもが痺れた感じがするのは、もう思い過ごしでは済まされなくなってきていた。

(ふう……あとちょっとだし、頑張らないと)

 一旦立ち止まりよいしょと荷物を持ち直して、マジクは自宅へ続く最後の曲がり角を曲がった。

(あれ?)

 ゴールまで残すところ数メートルというところで、マジクは見慣れないものを目にした。

 自宅の門から出て行く人の姿。体格からするに男性で、年の頃は10代か20代といったところか。黒髪にラフな――というと聞こえがいいが、微妙に着古した感じの――服装で、少なくともこの付近の住民ではなさそうだった。

 マジクの家は小さいながらもアパートを経営している。6部屋あるうち、現在は2部屋しかうまっていないが。時折、父親の昔馴染みという人物がウィークリーマンションよろしく数日滞在していくこともあったりする。

 しかし、そうしてアパートに出入りしているのはどれも壮年と言うが相応しい、俗に言う『おじさん』の部類に入っていた。もし見間違うにしても、先程の若者とでは少し無理がある。

 また、若者が彼ら入居者を訪ねてくるというのも見たことがない。あったとすれば、宅配業者か新聞の勧誘くらいだ。

(もしかして……でもまさかそんな)

 ごく自然に導き出された結論にマジクは苦笑して、きっと道でも尋ねに入ったのだろう、と――それはそれで無理がある理由で――自分を納得させた。

 もし自分の考え通りだとしたならば……

(……何て言うか。色んな意味で同情するなあ。そりゃ、その方がうちは助かるんだけど)

 苦笑を消せぬまま、マジクは男が出て行った門をくぐった。塞がった両手でどうやって玄関を開けようと思っていたら、春風が気持ちいいのか玄関がドアストップで止められ開け放しになっていた。

「ただいまー」

 靴を脱ぎ、どさりと荷物を玄関に置いて居間へと向かう。まずは貰った花を生けなければ。確か、花瓶は居間にあったように記憶していた。

「花瓶花瓶……あ、あった」

 テレビの上に挿される花も無く佇んでいたそれを手に取る。次は洗面所だな、と体の向きを変えたとき、机の上の白い紙が目に入った。それと、二つの――普段使っていない、ちょっと風流な感じのする――お客用の湯飲み。

「あれ、これって……」

「お、帰ってたのか」

 顔を上げると、急須を持った父親が台所に続く襖から顔をのぞかせていた。

「父さん。ただいま」

 と、父親の視線が腕の中の花束に移る。

「うん? お前、今年が卒業だったか?」

「違うよ父さん。先輩から記念にって貰ったんだ。それより、これ……」

 マジクは机の上の用紙を指差した。白い用紙にはいくつかの記入項目があり、それらが全て手書きの文字で埋まっている。一番上には、『入居契約書』と書かれていた。

「ああ。新しく入る人だ。4月からな」

「やっぱりそうだったんだ……若いのに珍しいなあ」

「何だ、会ったのか?」

 父親は手のつけられていない湯飲みを取ると、おそらくは冷めてしまっているだろうお茶を飲み干す。お茶は後で熱いのを淹れることにしようと思い、こちらは契約書を手に取った。

「ああ、ううん、さっき門から出て行くのを見ただけ。……えーと、オーフェン、さん?」

「そうだ。この春から大学生なんだそうだ。お前と一緒の学校じゃなかったか、あー……」

「牙の塔学園? ……あ、ほんとだ、この4月に入学予定って書いてある」

「ここからなら近いしな。まあ、この時期じゃ学生街の方は一杯だったんだろうな」

 学生街とは駅前の商店街付近に位置する、学生向けのアパートやマンションが乱立している区域のことだ。

 というより、学生は普通こんな住宅街に住まおうとは思わない。交通や買い物の便は明らかに向こうの方が良質だからだ。勝っているとすれば通学距離くらいか。それもほんの3〜4分であるが。

「安いしね、うち」

「そうだな。それがうちのウリでもある」

 今時にしては古い造り。勿論、壁にヒビが入ってるのはご愛嬌。1DKの6畳一間。バストイレは別。部屋にしつらえてある電話は何故かピンク電話。

(……物好きな人だよね、このオーフェンって人も)

「3日後に越してくるそうだ。もし暇なら手伝ってやれよ」

「3日後? ごめん、その日はちょっと用事が入ってるから無理かな」

「まあいいさ。入居したら挨拶くらいはしておけよ」

「うん、そうするよ」






 明日から続くデートの予定を頭の中で整理しながら、マジクは自室へと向かっていた。手には勿論大荷物。

(どんな人だろ? 悪い人じゃ……ないとは思うけど)

 後姿だけでは断定どころか曖昧な判別も難しい。どことなく漂う何かは感じ取れたが。

(何て言うか……貧乏臭い感じはした気がするけど。まあうちを選ぶくらいだし……)


 自室のドアを開けると共に、取り留めの無い予想は打ち切る。

 それよりも今考えるべきは、明日のデートの服装をどうするかだ。



「うん、頑張らないと」



 頭を切り替え、マジクは明日から始まる怒涛の春休みの予定に、全力で取り組むことにした。







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