ぞくりと。
 命が危険に晒されているわけでもなく、むしろ最大の危機は過ぎ去っていて、目的までも達成していたというのにも関わらず。
 目の前の光景に、ぞくりと。酷く気分の悪い――何かが、脳内に広がる。支配される。
 
「誰もいらないわよそんなもの! 人を傷つけてまで! レキだって傷ついてた! そうやって馬鹿なことをしていればいいわ。あんた以外のみんなが、あんたのこと笑うようになるまで!」
 
 白い肌も金の髪も黒く煤けさせ、ぼろぼろで、狂ったように泣き叫ぶ少女。
 その中で目に付くのは――逸らすことができない何かを持った――鋭利な刃物を思わせる、消えることを知らない意志の光。
 
 言葉は通じない。自分の持つ言葉では彼女を納得させることができない。
 何故なら彼女は拒否しているからだ、ぼくを――「絶望」を。そんなぼくの言葉は受け入れてくれない。
 ならばわからせるまで。ぼくを受け入れさせるまで。
 彼女にはぼくを理解してもらう。「絶望」の存在を肯定してもらう。何処にいても、いつであろうと、未来(さき)に待っているのは「絶望」でしかないのだと。
 その純粋な心に、ざっくりと刻み付けて。



 エドが去ってから、ぼくは笑い続けた。

 何を血迷っているのか。たかがこんなことで。
 こんなことで、ぼくは――これまでの自分を否定するのか。疑うのか。全てを。「絶望」の存在意義を。
 何てばかばかしい。何てくだらない。だからこそおかしい。笑いが止まらない。
 
 何を今更。
 「絶望」はいつだってそこにあり、決して無くなりはしない、完全無欠の最後札。自分たちを、この大陸に住まうモノ全てを陥れる最凶の死神。


 それが実は間違っていた、だなんて。
 どうにもひどい、世迷言を。



*****



「我々のほうは、もっと困難な役割を受け持ちます」
 かぶりをふって、続ける。
「――女ふたり、子供ひとりを殺します。替わりますか?」
 そう、あんな暗殺者に比べたら、彼女を殺すというのがどんなに――


「突然生じた"彼ら"という要素が、本当に重要なものなのか……それに対して最もはっきりとした返答をしてきたのは、お前だ、ライアン」
「それに関しては、持論を変えるつもりはないサ」
 彼ら、いや彼女。
 それによって、ぼくの信念が否定されている。ぼくらの信じる未来を否定されている。
 我々が進むべき道標を否定する彼らがもし、自らが正しいと立証してしまったならば。
 
 
「我々はひとつの選択をしなければならない。ただしこれは、どちらにしようと悩んで決める類の選択肢とは違うと考えている」
「それは選択とは言い難いのではないかな?」
 選択される前に、選択すればいいだけのことだ。
 
 
「……非常に簡単なことなのサ」
 それは酷く単純で、簡潔すぎる行動選択。
 
 “そしてライアンの答えは、夜に存在する誰よりも傷つきやすく見えた――”
 
「誰が正しくて、誰が間違っているのか。我々はこれから、正しく在るのか、間違って在るのか。それを選ぶのサ。運命によって、ね」
 別に選択の余地がないわけじゃない。
 ただ、ぼくと彼女の意見は既に決まりきっていて、これまでもこれからも、何一つとして変わることがないだろうということ。
 だから、決着は「運命」に任せるしかない。ぼくも彼女も譲るつもりはない……困難なことに。
 
 
「……決して、選択ではない」
「審判だよ」
 他人から見れば、そう見えるのかもしれない。
 けれどぼくらに――ぼくにとっては、それは選択でしかありえない。
 どのような結末になるのかを、運命に従って、選び抜く。その方法もあきれ返るほど明快だ。

『好機を見逃さず、ただ待っておく。それだけのことだ。最良の努力と、せめてもの結果を望みたい』

 ぼくはただ待つだけでいい。彼女に理解させるその瞬間を。
 いつしか消えて無くなる自分のことを、一つくらいは理解してもらわなければ。
 そうしたらきっと、ぼくは不満なく未来へ進み――最後を迎えられる気がするから。





 さあ、クリーオウ。
 君にぼくの全てを教えてあげよう。
 何も全部を理解しろなんて言わない。
 ただ、たった一つだけ。
 一つだけでいいから、僅かな一欠けらでもいいから。


 ぼくを受け入れてくれるだけでいい。
 ぼくがそこに居ると――そこに居てもおかしくはないのだと認めてくれれば、いいのだから。