着替えを終えて、岩窟の外へ出る。
それほどきつくないはずの日差しも、暗がりから出てくれば目元を覆いたくなるぐらいにその強さを増す。思わず2、3回まばたきをしてから、
「オーフェンはさ、ロッテーシャのこと、気にならない?」
何となく気になったことを続けてみた。
というよりは、単に順番で話題を選択しているだけかもしれない。自覚はないが、それを否定する要素は見当たらない。
旅の新たな同行者――新しい順に、ウィノナ、次いでロッテ。残念ながらその次はない。話題がなくなってしまう。
そして実際、ロッテに関する話はあっさりと終了した。
別に次の話題は今日のお天気だっていいし、今は見当たらないマジクのことだっていい。極端に会話を止めるという手だってある。
けれど会話は続けなくてはならない。おそらく、わたしもオーフェンも何かを恐れている――例えるなら、静寂を装った均衡の崩壊だとか、そういうものを。
切り出したのはオーフェンの方だった。わたしが口を開かなかったのだからオーフェンが開くしかないのだけれど。
「どっちかっていうと、お前のほうが心配だけどな、俺は」
「そう?」
オーフェンの言葉がどこか歯切れが悪く感じるのは気のせいだろうか。思わず悩みかけるがすぐに気のせいだと思うことにし、明確な即答はせず相槌だけに留めておく。
「落ち込む時にゃ、落ち込んだほうがいいんだ。あんなことがあった後だしな」
オーフェンは多分何か勘違いをしている。
その勘違いは半分くらいは当たりで、残り半分はきっと外れ。
「わたし、落ち込んだけどさ」
さて、どこまでをどう説明したら良いだろう――思考をまとめつつ両手の艶やかな毛並みへ顔を埋める。
そこはとても心地よく、機会があれば直ぐにでも逃げ出しそうになるわたしをそっと癒してくれる……そんな気がするから。
わたしは無意識に癒しを求めながら、組み上がったものを口にする。
「でも、ライアンが言ってることも分かったような気がするから。だからなおさら、わたしは一歩もそれを受け入れることはできないし」
「……ああ」
「オーフェンもいるし、マジクもいるしさ、いいことも悪いことも、楽しければいいじゃんて、あれ?」
噂をすれば何とやら、ということだろうか。
マジクが猛スピードでわけのわからない悲鳴をあげながら突っ込んできて――そのまま走り去っていく。
事態を飲み込めないまま、そちらはどうかと顔を見合わせる。オーフェンもわからなかったらしい。
やがてオーフェンが視線を動かした。いつものように追従しようとして――よくわからないが、気分的に従えず、マジクが走り去った方、つまりオーフェンとは反対方向を見やった。
開けた視界にはマジクの後姿すら確認できない。見えるのはマジクが巻き上げたであろう砂塵、そしてだだっ広い荒野だけだった。
「たぁすけてぇー」
そんな情けない声と共に、すぐ側で風が巻き起こる。何かが高速で移動することにより発生したそれは、
「なんで逃げるの。あんたまで」
……という、どこか聞き覚えのある女性の声で終息した。
確認するべく振り向いて、現実と記憶との合致に成功する。
「ティッシ!」
「はあい」
*****
……結局のところ、それからどうなったのかはよく覚えていない。
あの後地人たちまで到着して、姫だとか戦争だとかマイナーだとか益々わからなくて、ロッテを探そうとしてウィノナと一緒に行くことになって――
それくらいだった。
今、自分は夢を見ている。
眠りから覚める直前の、現実の感覚と夢とがごっちゃになりかける不安定な空間。既視感の原因になりそうな不自然な歪み。
寝ているけれど、思考は起きているときと遜色ない。そんな感覚。
……ああ、あと一つ。覚えていることがある。
オーフェンと別れるときに、確認を取った。
またわたしは一人で――オーフェンなしで行動するけれど、大丈夫よね?、と。
何が大丈夫かなんて言うまでもない。
ただオーフェンに伝わったかどうかは怪しいものだが、おそらくは伝わってはいないのだろう。何しろ、わたしはまだオーフェンの中途半端な勘違いを正していなかったのだから。
(オーフェン、わたしはね)
聞こえるはずもないのに、でもとりあえず言っておかねばならない気がして、今は近くにいないであろうオーフェンに向けて釈明を始める。
(ライアンの言う「絶望」を否定したかったんだけど……できなかった。だって今、わたしの中にその「絶望」があるんだもの。それはわたしも違うって言えないし、だから認めるわ)
もしオーフェンが目の前にいたらどんな顔をしただろう。
変に心配していたみたいだから――それはそれで嬉しいけれど――きっと心苦しい表情をするような気がする。それで心苦しいのはわたしも一緒だからやめてほしいのに。
(でもね、それはライアンの言うように「絶望」に絶望するってわけじゃなくて……それは違うって証明するためにあえて認めざるをえないって言うか、そこにないものに対して否定をすることはできないっていうか、とにかく、うまく言えないんだけど)
後から後から別の言い方が浮かんできて、終わりが見えてこない。
かえって、目の前にいない今のうちに練習しておくのも悪くはない、そんな風にも思えてきた。
(ライアンが持ってた「絶望」を、それを受け取ったわたしがわたしの中で”ライアンの「絶望」”じゃないものにしたら……、そうしたら、ライアンの「絶望」は違うって、そんなのは絶対なんじゃないって、証明になるわよね?)
もしかしたらこれは、詭弁というやつなのかもしれない。
(わたし、これがライアンにとって、一番いい弔いになるんじゃないかって……そう思ったの)
白状するなら、頭のいいオーフェンに反論されるのが怖くて、告白する幾つかの機会をわたしは全て放棄してきた。
ちなみに、この場合の「頭がいい」は、「こういうことに関して、間違ったことは言わない」という意味で、他のことに関しては馬鹿だと思う点がたくさんある。わたしのことをぞんざいに扱おうとするところとか、本当にたくさん。
と、話が逸れたが――もしかしたら、その怯えこそが間違いだったのかもしれない。
こうして未だオーフェンへ伝えられずにいる。オーフェンの見解も聞けていない。オーフェンは勘違いをしたままだ。
一応、わたしはもう大丈夫なのだ。
オーフェンが思うほどわたしは沈んではいないし、けれど浮かんだ状態を保てているわけでもない。それをわかってもらえてない。
まあ、わかってもらったからといってどうとなるわけでもないけれど、わかってもらえてないよりかは幾分マシだと思う。ただそれだけのこと。
「絶望」の昇華。
わたしに出来るだろうか?
いや、やらなくてはならない。いつも通りに振る舞って、一生懸命頑張って、「絶望」から「絶対」の称号を剥奪する。
それはわたしにしか出来ないことだから。
(だからオーフェン。わたしは大丈夫だから、でもまた間違いそうになるかもしれないから、万が一を考えてその時は――)
わたしを助けて――ううん、支えてくれないかって。
そう伝えておければ。
良かったのかも、しれない。
そうして目覚めたわたしを待ち受けていたのは――紛れもない「絶望」であったのだから。