「わたし、やっぱりオーフェンに謝ってくる。ひどいこと言っちゃったような気がするし……」

 足早に、けれど全速で走っていける気力もなく――少しばかりの行きたくない気持ちを無理やり押し込めて――クリーオウは厨房を後にした。



*****



 近いところから順番に部屋を覗いていった。足音を飲み込む絨毯をなぞるように、廊下を移動する。
 4部屋目のドアを閉めたとき、ふと、人の気配を感じた。そちらの方へ小走りに向かう。
(食堂?)
 進む先にあったものを思い出して、心持ちスピードを上げる。食堂へ続く扉が見えると、開け放したそこに人が入っていくのがわかった。自分と同じ、金髪の頭。
(……マジク?)
 彼が入っていったということは、おそらくオーフェンもそこに居るのだろう。そう見当をつけて、クリーオウは食堂の扉の影に隠れた。
(って、何で隠れるのよ)
 堂々と入っていっても何の問題もないはずだった。が、話の最中だったら気まずいというか、むしろ謝罪に来た自分の姿を幼なじみに見られるのが嫌だというか――本能的に体が判断したのだろう、たぶん。
 適当に理由付けていると、会話が始まる。
「お師様は、反対なんですか?」
 マジクはそんなことを言った。一体何の話だろうと訝ると、その疑問に答えるかのように彼の言葉が続く。
(弟子をやめるって話……)
 本当だったんだ、と他人事のように思う。実際他人事ではあるが。
 館が静かなせいか、食堂の天井が――食堂だけでなく館内全体のそれが――高いせいか、二人の男の声はこもることなく耳に届いた。
 この話は長くなるのだろうか。出直してきた方がいいか。ロッテの元で気まずい空気を吸うのも避けたい気がする……。
 浮かぶ選択肢を一つ一つ打ち消して、クリーオウは壁に背をもたせかけた。
 自分の番になったとき、どう切り出そうかを考える。頭の半分ほどを会話に向けているせいか、うまくまとまらない。
 そこへ、どこかで聞いたようなやりとりが飛び込んできた。
「一人前って、どんな奴を一人前だと思うんだ?」
「役立たずじゃないってことです」
 思わず身を起こし、相手の返答を待つ。
 しかし期待していたような回答は出てこなかった。微妙に論点がズラされたまま――自分にも当て嵌まる内容へ発展しないまま、話が進んでいく。
(マジクも同じこと考えてたんだ。何かしゃくだわ。……でも、結局違うのね。役に立つ人じゃないんなら、一体何だって言うのよ)
 自分たちに足りないものは何なのか。旅の中心人物はそれを教えてくれない。
(卑怯よね。わたしたちはオーフェンみたいに凄くないんだから、わからないものはわかるわけないじゃない)
 再度壁にもたれて、天井を見る。ここの廊下はやや薄暗く、天井の模様まで判別できない。無地一色なのかもしれない。
(それとも、同等と見てくれてるってこと?)
 ふと思いつき、喜びかけて――直ぐに、そんなところで平等扱いされてもちっとも嬉しくない、と考え直す。
 自然、ため息がもれた。
「……逆立ちしたところでレキに勝てるわけはないな」
 友達の名前に反応して、会話への集中度を高める。流して聞いていたので話題がいまいち掴みにくい。彼の話し方は時折回りくどくなる――少なくとも彼女はそう思っていた――せいもあるだろうが。
 対するマジクの声がどんどん弱気になっていくのを感じる。クリーオウは、まるで教師に叱られているようだ、と思った。
(って、当たり前じゃない)
 彼らの関係は師弟なのだから。オーフェンが師匠、つまり教える立場には違いない。
 ――そうして、ようやく自分たちが求めていた回答――らしきもの――が、外見はちっともそれっぽくない教師から発せられた。
「分からないか? 特別なものなんてなにもないってことに関しては、誰もが同じなんだ」
(特別なものなんてなにもない?)
 思わず復唱する。じんわりと理解が及ぶ。ただし納得までは到達しない。
(オーフェンもマジクもレキも……わたしも、みんな同じだって言うの?)
 本物の教師を思わせる長い論説の中、できることだけをすればいい、というセンテンスが頭に残る。
(それが、答え?)
 模範回答なのか、的確な正解なのかはわからない。けれど、今まで切望してきたそれ――自分たちがなすべきこと――に、一番近いものであるのは確かだ。
 小さな確信は、正当性を増すのに役立った。
 心の中で噛み締めるようにつぶやく。できることだけをすればいい。そのつぶやきは彼の語尾と重なった。
「だがそれはな、本人が思ってるほど大それたことができるわけではないんだよ。それを勘違いした輩が死に急いでいく。俺はもうそんなものを許すつもりはない。アーバンラマでな。決めたんだよ」
 何か――何かがすうっと、氷解していくような。がんじがらめに縛られていたものが、あっけなく、しかしゆっくりと緩まっていくような。
 明確な言葉では言い表せない奇妙な感覚。それはほんの数秒でクリーオウを支配した。
(……わたしも、勘違いしてた)
 同じくアーバンラマで――レキが辛そうだったから、代わると申し出た。けれど結果は惨憺たるもので、知り合いが一人命を落とし、一歩間違えば自分も死にかけた。
 そして今、大事な友達は契約を履行するべく森へと向かっている。自分のために。おそらくは、命の危険を伴って。
(わたしが勘違いしてなかったら、こんなことにならなかった……ライアンも、レキも、「絶望」も)
 自分にできることだけをしていれば、それで良かったのだ。
 自分ができる範囲で。
 自分が何でもできるのだという愚鈍な思い込みなどせずに。
(やっぱり、賢くなかったんだ)
 賢くなれば、それができる――「誰かを傷つけることなく、自分のしたいようにできる」――父の言うことはやはり正しかったのだ。
 記憶の底の父親の姿に、言う通りにできていなかった自分を反省し、正しい道理を説いてくれていたことに感謝する。
(なら、わたしができることは――)





 そして、クリーオウは食堂に足を踏み入れた。



...ends,and she started advance.