心地よく冷たい手が、頬に触れた。
少女はその手に自分の片手を重ねてると、くすぐったそうに微笑む。
反対に所在無さげな顔をしているのは男のほうだった。
柔らかく白い肌に触れている手に、細い手がそっと添えられている。
この状況でどんな顔をしていればいいのかわからず、そんなことを考えていると余計に不自然な顔ができてしまう。
ベッドに横になっている少女は、その様子を眺めてくすくすと笑った。
「うるせぇ」
思わず子供のような口調で男が小さく漏らすと、少女はまた小さく笑った。
久々に寄った大きな町の通りを歩いていると、ちらちらとこちらに振り向く人が多かった。
珍しいことではないので、金髪の少年少女は気にしていなかった。
そもそも自分達を見ているのではないと、二人ともわかっていたからだ。
町の人が好奇の目で見ているのは、二人の後ろにいる男だ。
黒髪、黒目に全身黒尽くめという出で立ちをしたその男は、オーフェンという。
数歩前で楽しげに談笑しているのはクリーオウとマジク。
可愛らしいカップルと、それに妙にミスマッチした黒い男。
いったいどんな関係なのかと、いやでも興味を引くのは仕方が無かったが、しかし、どんな想像によってか、軽蔑しているような視線をぶつけてくる者もいれば、時折怪しい目つきをした者もいたりして、オーフェンの限界も近かった。
(……ぅぅぅぅぅぅぅぅううぅぅ……)
心の中で、叫んで暴れたがっている獣を持て余す。と、彼は前を行く二人に視線をやった。
今日は旅に必要なものを買い揃えるためのショッピングなのだが、いろんなところを回って見ていくことが好きなクリーオウは、始終笑顔できょろきょろと忙しなく顔を動かしている。
その少女より半歩遅れて横に並ぶマジクは、よく付き合わされていたらしく、クリーオウのテンションに慣れた様子で微笑んでいた。
このところ、オーフェンの中でなんとなく、二人の見方が変わっていた。別に“いじめっ子といじめられっ子”という関係では無いらしい。
よく彼女の怒りや八つ当たりを買って、ふわりとした長い金髪の上に陣取る黒い毛玉――レキというのだが――に、ひどいことをされていても。
(ま、こいつ等はずっと前からの友人だかなんだかなわけだから、俺にはわかんねえ線があって当たり前だがな)
視線を無視する形で一人ごちる。と、一瞬後に、まるですねたガキみたいだ、と思ってその思考は消した。
「ねー、オーフェンこれ! これなんか良くない?」
左側の店の硝子の前で、クリーオウが首を曲げて言って来た。
オーフェンはなんの気無しに近寄って、彼女の指指すものに目線を投げる。
「……タペストリーをどうする気だ?」
「お母様とお姉ちゃんにお土産送ろうかと思って」
「お前の金でタペストリーでもなんでも買って、お前の金で送料出して送ればいいだろ。俺は一切関与せん」
不満げな視線でじーっと見られても、オーフェンは気にした様子も無く、さっさと硝子から離れた。
クリーオウは仕方なく硝子から離れると、先を行くオーフェンの横に付く。
「なんか一個くらい買ってくれてもいーじゃない。オーフェンのケチー」
「誉め言葉として受け取っておこう」
さらりと返されて、クリーオウはむぅと額にしわを寄せる。同時に頭の上のレキも少しむっと表情を変化させた。
「マジクだって、なんか欲しいものあるわよね?」
急に会話に引っ張り出されたマジクは驚き、その話題に慌てた。
「えっ? ぼ、僕は別に……」
「この前新しい靴が欲しいとか言ってたじゃない」
「ま、まだもう少し持つよ。大丈夫ですからねお師様っ」
オーフェンはそんなこと言われなくとも靴など買う気はさらさら無いらしく、「そうか」と素っ気無くつぶやいた。
その態度にクリーオウはまたも文句があったようで、さらにマジクに言葉を向ける。
「なに言ってるのよ、そんなにぼろぼろなのに。ちゃんと良い靴履いてなきゃ、こんな徒歩の旅は持たないわよ?」
「確かに。いい靴履いてるよな、お前」
ちらりとクリーオウの足元に目をやって、オーフェンはつぶやいた。瞳を半眼にして、平坦な声で。
「いつの間にか自分だけ新しいのに切り替えてるもんな」
「そのときマジクはまだそんなこと言ってなかったんだもの!」
「そういう問題じゃ無いと思うが」
オーフェンは平然と、クリーオウはふくれながら、しばし無言になる。
「ま……まあ、靴は旅の必需品なんですから、いいじゃないですか。その靴もちゃんとしたものですし」
そこに、マジクがフォローを入れた。いつものような怒鳴り合いでは無いため、ここで無視したら必ずクリーオウの鬱憤が自分に来るという、そんな計算があってのことだ。
「当たり前でしょ。何時間もかけて選んだ靴だもの。誰かのブーツみたいに、人を蹴って踏み付けるためだけの凶悪なものとは違うわよ」
「いくら靴が良くても、ふらんふらん歩いてちゃ、意味なんか無いがな」
やっぱり、怒鳴り合いには発展しない――マジクはそれに嫌な予感を感じて、再度フォローを入れた。
「二人とも良い靴履いてるんですから、そんなとげとげしいこと言わなくてもいいじゃないですか」
「……それは、自分だけぼろい靴を履いてる、っていう嫌味か?」
振り向いてオーフェンが尋ねると、マジクは薄ら笑いを浮かべていた。そして、なんだか事務的な口調で告げる。
「すいません、僕、用を足してきます。広場で午後三時にまた」
言ってすぐ様脱兎のごとく走り去るマジクの背を眺め、オーフェンはまた大通りへと視線を向けた。そこにクリーオウの声がかかる。
「機嫌悪いとすぐこれよ。弟子いじめして楽しいのかしらね」
「お前にゃ言われたくねぇ」
すぐにきっぱり言い返すと、クリーオウはなにか言いかけたようだが、取り止めて歩き出した。
レキは頭の上で器用に立つと行くマジクを見送り、オーフェンへと視線を戻した。
オーフェンとクリーオウが動き出すのと同時に、ふっと伏せる。
今度は金髪の少女と怪しい男の組み合わせになったが、離れて歩いているため、特に変な視線を向ける者はいなくなった。
「で、なんかケチなこと言ってマジクに靴一つ新調してあげないで、なに買ったのかしらねぇ?」
午後ニ時を回った頃、二人は休憩に噴水が中央に立つ広場へとやって来ていた。
あれからクリーオウは着いては来るものの、何一つねだらずにオーフェンの買い物を伺っているだけだった。
そうして今やっと、嫌味たっぷりに口を開いたのである。
噴水の淵に座るオーフェンの隣に立ち、クリーオウはのぞき込むようにして視線を下げた。
「オーフェン? ねぇ。なに買ったの? 袋を開けるのが面倒だって言うなら、私がやってあげるわよ?」
彼は言われて、さりげなく、しかしぱっと買い物した物が詰まっている袋を、彼女から遠ざけた。
それを見て一つ吐息した後、クリーオウは呆れたように言った。
「さんざん――何時間も見て回ったのに、買ったものが食料ばっかだなんて、マジクには言えないわ」
「それだけじゃねぇ」
「そうね。靴下とかロープとかね。でも結局は買うもの無くって仕方ないから買っただけでしょ」
「売り切れてたんだからしょうがねぇだろ。明日もっと詳しい店を探す」
ふてくされてそっぽを向くオーフェンを見て、クリーオウは心底楽しそうに続けた。
「どっちにしろ、余るお金があったんだから、靴の一つも買ってあげればいいのに。あ、でも師匠のくせに弟子の身を案じないどころか、いじめて遊んでるような人には、そんな心優しいことはできないかしら?」
「あいつの服物色して自分のものにしてるお前にだ・け・は、言われたくない」
「私はオーフェンみたいに気分良く踏んで終わり、ってことは無いもの」
言って、クリーオウは噴水の淵に腰かけた。横に居るオーフェンをくすくすと見ながら。
「俺はあいつに魔術を教えてる」
「ただ家庭教師してるだけじゃない。毎月貰ってる月謝は一体なにで得たのよ」
「じゃあ、お前はなにしてやってるんだ?」
そう聞かれると、彼女はきょとんとした。そして、勝ち誇ったような笑みを見せる。
「ひみつ」
「話になるか!」
彼はそれを聞いてがしがしと頭を掻いて、立ちあがった。
相当いらいらしているようだが、結局事実なのだから覆しようも無い。
その様子をクリーオウは「完璧に勝った」という笑みで見ていた。
「ちっ……宿に帰る」
「へ。だってマジクは?」
「三時過ぎていなけりゃ、勝手に帰ってくんだろ」
オーフェンは告げてとっとと立ち去ろうとし、荷物の入った麻袋を持ち上げる。その横でクリーオウもぶつくさ文句を言いながらも立ち上がっていた。
そこで、オーフェンが道へと振り返った。
と、持っていた紐を伝って軽くぶつかる感触が手にきて、彼は「まずい」と思って噴水へと視線を戻した。
位置的にどう考えても、袋が当たったのはクリーオウしかいない。
「きゃぁっ」
案の定、袋に当たられて、さらに立ち上がる途中という不安定な態勢のせいで、クリーオウはバランスを崩して後ろに倒れていた。
後ろ――つまり、噴水へ。
ばしゃぁんっ
「クリーオウ!」
深さ五十センチほどの水に落ちた彼女へ、オーフェンは慌てて声をかけた。「事故」だと弁解しなくてはならない。
「あぁ、平気かクリーオウ? 別に今のは故意じゃないんだぞ……ええと――」
彼女は水に落ちても騒ぎもせずに、ただじーっとオーフェンを見ていた。
と、頭に乗っていたため、すべって水底に落下したレキが、平然と気持ちよさそうにクリーオウの元へと戻ってくる。
彼女は戻ってきたレキの背を撫でつつ、彼に冷たく言った。
「……オーフェン? なにか、言うことあるわよね」
「あ、ああ……すまん、不注意だ」
彼は心底からそう言ったのだが、彼女はまったく納得の行かない顔だった。そして――
「レキ、追いかけっこしておいで。オーフェンと」
……それまでのどかだった午後の日差しに、爆炎と爆音と悲鳴が混じるようになった。
だが、たぶん、大空の下では大したことも無い話だった。
心地よく冷たい手が、熱のこもった頬に触れた。
少女はその手に自分のほてった片手を重ねて、くすぐったそうに微笑む。
反対に所在無さげな顔をしているのは男のほうだった。
柔らかく白い肌に触れている手に、細い手がそっと添えられている。
この状況でどんな顔をしていればいいのかわからず、そんなことを考えていると余計に不自然な顔ができてしまう。
ベッドに横になっている少女は、その様子を眺めてくすくすと笑った。
「うるせぇ」
思わず子供のような口調で男が小さく漏らすと、少女はまた小さく笑った。
「……もーいいだろ」
言って男――オーフェンが右手を頬から離そうとすると、ぱっと彼女の手がそれを掴む。
「ダメ。嫌なら氷枕作ってよ」
少女、クリーオウにそう言われて、オーフェンは喉を詰まらせた。
氷枕を作るために必要な物が揃っていないのに、クリーオウは濡れたタオルは嫌だと妙な我が侭を通すのだ。
そして、枕が無いなら手を貸せと言ってくる。
「熱が出てるときって、人の手が気持ちいいのよ。冷たくて」
ほぅ、と吐息を漏らす。確かに彼女の顔は赤く、触れているとその熱の高さがわかるが……
昨日、噴水に彼女を落としてしまった――事故――ことが原因らしく、今朝になってクリーオウはふらふらと起きてきた。
真っ先に彼の部屋に来ると、彼女は指差して咳き混じりに一言。
「責任取ってよね」
少し罪悪感のあった彼はその言葉に逆らえず、仕方なく看病していたのだが、クリーオウは我が侭な問題ばかりを突き付けてくるのだ。
あそこの山の木の実が食べたいから取って来いだ、この材料を集めて病人食を作れだなんだと、看病している筈なのに外を走りまわされて返って来れば、人の手を氷のう代わりにする。
彼はほとほと疲れた様子で、しばらくベッドの隣の椅子に座っていた。
もちろん片手は彼女の頬にある。
ふと、彼はマジクに頼んだ病人食のことを思いだし、立ちあがった。
「メシ見てくる」
「うん」
あっさりとクリーオウは手を離した。
訝りながらも部屋を出て行くと、少ししてマジクが鍋と小皿を持って入ってきた。
「クリーオウ大丈夫?」
「……オーフェンは?」
問いを無視して質問され、マジクは元気そうじゃないかと胸中でぼやき、答えた。
「ちょっと風に当たるって」
「ふーん……ま、いいか」
そのつぶやきにちょっと意味深な響きを感じ、マジクは部屋にあるテーブルに鍋を置いてから、彼女に問い掛けた。
テーブルには部屋から出そうとしたレキが乗っかっている。
クリーオウの言うことも聞かなかったため、とりあえず同じ部屋でも遠い場所にいるように言っておいたのだ。
マジクはそのレキが見ている横で、鍋から小皿へと病人食を取り分ける。
「ねえクリーオウ。なんでそんなにお師様に変なことばかり頼むの?」
「んー……わからない?」
クリーオウはマジクのほうへと顔を動かして、愉快に微笑んだ。
「? わからないよ」
「んふふ。まず、適度に運動させて疲れさせるでしょ。次に温度のかなり違うこの部屋に入れる。疲れたままの状態で私の看病をさせる。できるだけ近くでね。そしてまた温度の違う外へと出て……」
クリーオウのその説明を聞いて、マジクはなんとなくわかった。小皿とスプーンを持ってベッドの横の椅子に座る。
「熱を移してどうするんだよ? そんなことしても治らないと思うけど」
「熱を移してやることに意味があるの。私を噴水に落としたうえ、風邪を引かせた罪は重いわ」
「それを看病することになる僕は?」
マジクの半眼の突っ込みに、彼女は身を起こしながら考えて――
「頑張ってね♪」
と、にっこり笑って手を合わせた。
少年は乾いた笑いを見せながらも、クリーオウに小皿とスプーンを渡した。「いただきまぁす」と言って、食べ始める。
「ん。おいしい。マジクいいお嫁さんになれるわよ」
「誰のさ?」
少年の悲痛なつぶやきなどお構いなしに、クリーオウはさてどうして移してやろうかと、おいしいご飯を食べながら思案した。
オーフェンが十分ほどで戻ってくると、クリーオウは小皿をマジクに渡して、嬉々として冷えた彼の手を掴んだ。
「ちゃんと手は洗ってきたみたいね」
「当たり前だ。風邪なんか引きたくねぇからな」
わざわざ移してやろうとしているクリーオウの胸中など知らずに、オーフェンは答えた。
と、マジクは自分が移されないようにか、さっさと部屋を出て行く。
「ちょっと熱上がったかも」
クリーオウはそう言うと、ほらと言ってオーフェンの手を額に当てる。
「そうか? ま、夜になってくと熱上がるとか言うしな。まだ昼過ぎだが」
「そうかじゃないわよ」
彼の素っ気無い態度にむかっと来たのか、彼女は起き上がって彼の頭を引っ張った。自分の額と合わせる。
「なっ」
「これが一番わかるんだって。お母様が言ってた」
オーフェンはそんなことは知ってると言おうかと思ったが、なんだか答えにくい切り返しをされそうな気がして止めた。
この態勢だとどうしても顔が下を向いて、目をつぶる少女の顔が細部までよく見える。
こっちまで目をつぶるわけにも行かないし、かといって引き離すとやっぱり何か言われそうで、仕方なくオーフェンはされるがままにした。
実際には大した時間は経っていないとはわかるのだが、妙に長く時間が感じられる。
ようやく――だと思った――額を離すと、クリーオウは咳き込んだ。
「お、おい。平気か?」
「平気じゃない」
力なくつぶやく彼女の肩を押して、彼はベッドに寝かせた。
「むやみに起き上がるからだ、おとなしくしてろ。薬は?」
「もう飲んだ」
となると、やることが無い。オーフェンは立ちあがりかけた腰を下ろした。結局、手を取られる。
どうも――彼女が熱を出しているせいだろうが――調子が悪い。
「…………」
「なんか文句ありそうね?」
言い当てられるが、あるとか当たり前だとか、そういった言葉は今は飲み込む。
「無ぇよ」
「目一杯あるって顔してるくせに」
確かに、彼の顔は文句の山だった。が、そんなとこまで直せない。
それがわかってるのか、クリーオウはそれを見て笑った。
「ね、オーフェン」
「んだよ」
「噴水に落としたこと、すっごく悔いてるでしょ?」
「だから事故だっつってんだろ?」
と言いつつも、かなり自分の不注意を悔いていたりするのだが。
また、見透かしたようにクリーオウは笑う。
「ね」
「いいからもう寝ろ」
いらいらと言うと、彼女は両手でぐっと彼の腕を引いた。
「あとこれだけだから」
「……なんだよ」
ぶっきらぼうに答えて横を向く。が、クリーオウはもうちょっと顔を寄せて耳を貸すように命令した。
吐息を一つしてから、ベッドに肘をついて、寝ている彼女に顔を近付ける。
「人に熱を渡すと、早く治るって言うんだけど……移し方わかる?」
「は?」
疑問符を浮かべてクリーオウの顔を見ようとする。と、彼女はすっとオーフェンの頭に手を回して、顔を近づけさせる。
少女が目をつぶっているのを見て、オーフェンは焦った。
「ば、馬鹿! んなことで移る――」
「――けほっ」
クリーオウは思いきり、咳きをした。しかも立て続けに。
「な……なにしやがる! ほんとに移ったらどうする気だ!」
オーフェンが慌てて椅子から立ちあがり、扉へと遠ざかると、クリーオウは少し起き上がってそちらに咳きを撒き散らす。
「けほけほっ。知らないみたいだから言うけど、咳きは三メートルは飛ぶのよ」
「移して本気でよくなるなんてねーんだからな!」
「ふふん、そんなの移してみなきゃわかんないでしょ。ってああ、逃げるなんて卑怯よ!」
オーフェンはすばやい動作でドアの取っ手を掴み、廊下へと出る。クリーオウは逃げられたのを確認すると、ばたんっとベッドに倒れ込んだ。
「あーあ……ま、至近距離で合計五、六回は浴びせたから、うまく行けば移ったと思うんだけど……次に来たら、逃げられないようにドアをちゃんと閉めないとならないわね。レキ、そういうことできる?」
クリーオウはテーブルに鍋と一緒にいる黒い生物に目をやった。
レキは暫しじっとしていたが、首を傾げてしっぽを上げ、ふらふらと数度振る。
それができるという仕草なのかは、クリーオウくらいにしかわからないが――彼女はそれを見ると何を言うでもなく、その思考を「彼がマスクをしていたらどうするか」という、対策会議――心の――へと移していった。
「あ、お師様。どうしたんです?」
隣に借りた部屋に戻ってきたオーフェンを見て、ベッドに寝転がって本を読んでいたマジクが声をかけた。
「マスクを買いに行ってくる」
「まさか、移されたんですか?」
マジクは本の間にしおりを挟み、起き上がった。なんだか怒った様子で彼は「用心のためだ」と答えてくる。
「ならいいですけど……でも、なんか顔が赤いですよ、お師様」
オーフェンの顔を見て素直にマジクが告げると、彼は一瞬きょとんとした後、はっとして怒鳴った。
「うるせぇっ!」
怒鳴られた意味がわからなくて、マジクは呆然とした。その間に彼は部屋を出て行く。
乱暴にドアが閉められる。
一人残された少年は、がくっと肩を落とし、疲れた瞳でつぶやいた。
「……いったいなにしたのさ、クリーオウ……」
こんなことがまだ続きそうな予感を胸にして――
マジクは泣く代わりに、深いため息を一つ、吐き出した。