パチパチ、パチ・・・
燃え盛る火を、どうということもなくオーフェンは眺めていた。
タフレムを出発してから数日。オーフェンたちは北へ向かって旅をしていた。これより北は魔術士にとって禁断の領域――すなわち魔術士撲滅を公言してはばからないキムラック教会の領域である。
(アザリー・・・いったいあんたはそこで、何がしたいんだ・・・?)
もう幾度となく胸中で繰り返した疑問。トトカンタで別れ、タフレムで再会した姉。「天魔の魔女」の字を持ちながら、魔術の失敗により『塔』からその存在すら抹消されてしまった天才魔術士。
タフレムで長老たちの暗殺という暴挙に出た彼女は、『キムラックへ行く』と言う言葉だけを残して消えた。
そしてオーフェンは今、彼女を追って旅を続けているのだが・・・
(そう、言ってみりゃこれは俺が勝手に危険なところへ跳び込もうとしているだけなんだよな。なのにこいつらときたら――)
と、少し離れたところで寝ているクリーオウを見る。(マジクは明かりの届く範囲には寝ていなかったので見えなかった)探して火の番を交代させようかとも思ったが、何となく気が乗らないので放っておく。
それよりも気になるのは、自分がなぜこんな時間に目を覚ましたのかということだった。
「ったく、なんなんだこの感じは・・・?」
「眠れないの? キリランシェロ」
ぎくり――として、オーフェンは背後からの声に身をこわばらせ、同時に自分が目を覚ました理由を悟った。こちらが黙っていると『彼女』が近づいてくる気配がする。
「・・・何の用だ? アザリー」
牽制するようにオーフェンは振り返らないままつぶやいたが、声の主は気にも止めなかったようだった。そのままこちらの隣まで近づき、微笑んでくる。
「キムラックに行っているんじゃなかったのか?」
「そう邪険にしないでよ。私たちの仲でしょ?」
いたずらっぽく、彼女が微笑んでくる。変わらない――昔から変わることのない、彼女の微笑み。だがその意味は悲しいほどに変わってしまっているのかもしれない。
「今は冗談に付き合える気分じゃねえんだけどな・・・まさか、ヒマつぶしにやってきたなんてことはないだろうな?」
むしろその方がいいのかもしれないと思いつつオーフェンは尋ねた。が、アザリーはすぐに笑みを消す。
「もちろん、用はあるわよ・・・キムラックに行く前に、大事な用がね」
「それは・・・俺に関係することなのか?」
顔を背けてオーフェンは小さくつぶやいた。できれば彼女とあまり話をしたくなかったのだが。
「もちろん。あなたと・・・あなたの連れに関してね」
さりげなく放たれた言葉に動きが止まる。無意識の内にオーフェンは戦闘態勢を作り、いくつかの構成を編み上げていた。
「安心しなさい。わたしはあの『キリランシェロ』とは違うわ――あなたに話があるだけ」
「・・・信用できるんだろうな」
別段皮肉ったつもりはなかったが――彼女の表情が一瞬こわばる。が、結局彼女はそれに関して返事をせず、こちらにくるりと背を向けた。
「少し、歩きましょうか」
「冷えるわね・・・キムラックが近くなってきているせいかしら」
月明かりの下――荷物を置いている場所から少し離れた街道を歩きながら、アザリーがつぶやく。だがオーフェンは答えず、黙々と彼女の後ろについていった。
「知ってる? キムラックはね、空気がすごく乾燥しているの。1日の気温さも激しいのよ――まあわたしたちには魔術があるからいいけど、一般人は大抵あのあたりには行こうとしないわね」
無論、本当の理由はキムラック教会の徹底した外界隔絶主義によるものであり、アザリーもそのことは十分承知しているはずだった。いぶかるようなこちらの視線に気づいているのかいないのか、彼女は他愛のない話をし続ける。
「まあ、魔術で暖がとれるといってもいっつも魔術を使っているわけにもいかないんだけど・・・」
「アザリー」
自分の意図した以上に大きな声が出てしまったような気がして、オーフェンは慌てて口を押さえた。彼女は会話を中断されたことに特に不快感も示さず、無表情に振りかえる。
「まだるっこしいのはなしにしてくれ――いったい話ってのはなんなんだ。クリーオウとマジクがどうしたっていうんだ?」
オーフェンの問いに彼女はすっと目を細めた。
「じゃあ、単刀直入に言うわよ――あの子たちと別れなさい。できるだけ、早く」
「なっ・・・」
思わず絶句する。何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
「・・・どういう意味だ」
「言葉どおりよ。本気でキムラックに来るのなら、今からあの子達をタフレムに帰しなさい――いえ、それだけじゃ駄目ね。あのマジクってあなたの弟子はともかく、クリーオウは――」
アザリーはそこでいったん言葉を切り、こちらの表情を伺うようにしてから言いにくそうに続けてきた。
「クリーオウは、実家に帰すべきだわ。私の記憶が正しければ、トトカンタの令嬢なんでしょ、あの娘? タフレムからは定期船も出ていることだし、一人でも無事に帰れるはずよ」
「ちょ、ちょっと待てよ。いきなりそんな冗談のようなことを言われても・・・」
「冗談だと思っているの?」
きっ、とアザリーが視線を険しくする。こちらが黙り込んでいると、彼女はふっ、と息をついて見せた。
「キムラックがどれだけ危険な場所か分かっているんでしょう――たとえ魔術士や貴族の血を引く人間が訪れるにしてもね。正直わたしやあなたでも自分の身を守り切れないかもしれない・・・そんな所にわざわざ足手まといを連れて行くなんて、馬鹿げているとしか言いようがないわ」
(足手まとい、だと――!)
反論しようとしてオーフェンはかろうじて言葉を飲み込んだ。かつて自身がクリーオウに対し『足手まといでいい』と言ったことを思い出したから――というわけではなかったが。
「反論したそうね? でも自分でも分かっているんでしょう、キリランシェロ。このまま彼女を連れて行くことは、彼女自身の身を危険にさらすことになるのよ。あの娘は・・・魔術士じゃないんだから」
「クリーオウは・・・ディープ・ドラゴンの子を扱える。まったく自分の身を守れないわけじゃ・・・」
むなしく反論しながらも、オーフェンは自分で自分の発言を否定していた。確かにレキの力は強力だが、それを失った時彼女は自分の身を守るすべを持っていない・・・
「わたしの言いたいこと、分かってもらえたかしら」
「大きな・・・お世話だ」
かろうじてオーフェンは切りかえした。アザリーが少し驚いたように眉を動かす。
「キムラックでだろうがなんだろうが・・・あいつにはいろいろ助けられてきたんだ。今度だってなんとか守り抜いてみせるさ・・・別にあんたの力を借りなくてもな」
「そう、なら・・・こういう場合はどうするのかしら?」
がさり――背後で草を踏み分ける音にオーフェンはすばやく振り返った。視線の先には、剣を持った少女――
「クリーオウ? どうしてここへ――」
なんとなくアザリーを自分の体で隠すようにしながら、少女の目がうつろなことに気がつく。
(――白魔術か!)
「アザリー!」
と、姉を睨み付ける。彼女はこちらの非難もまったく介さず、ただうなずいてみせた。
「あなたの考えどおりよ。彼女は今、私の支配下にあるわ」
「何をする気だ・・・?」
口の中が急速に乾燥していくのを忌々しく思いながらつぶやく。アザリーは相変わらず表情を変えない。
「あなたが守る・・・と言ったわよね――なら、こういう場合はどうするのかしら?」
まるで見えない手に操られているかのようにクリーオウが動き――力のない腕で剣の切っ先をすっと自分の喉に押し当てる。
「アザリー、止めろ! 冗談にしても度が過ぎるぞ!」
「あながち冗談でもないのよ、キリランシェロ。これは起こりうる未来の一つ。たとえキムラックを切り抜けたとしても、あなたと一緒にいる限りこうなる可能性があるわ・・・あなたがキリランシェロだってことは変えられない」
「だから・・・クリーオウと別れろっていうのか・・・」
震える声で――怒りか恐怖かは自分でも分からなかったが、かろうじてオーフェンは言葉をしぼりだした。アザリーが小さくなにかをつぶやくと、クリーオウが初めと同じように静かに剣を下ろし、棒立ちになる。
もとよりアザリーにクリーオウを傷つける意志などないことは分かっていたが、自分でも密かに懸念していた事実を突き付けられた気分だった。
例えばキンクホール・ビレッジでの1件。オーフェンがヒリエッタに連れられてフォノゴロスの屋敷に行っている間に、彼女はクリーチャーに取り付かれて仮死状態になった。あの時はクリーチャー=サミイの特異性のためにクリーオウは無事だったが、オーフェン自身危うく彼女に斬られるところだったのだ。
また先日の偽キリランシェロの事件。あの時もクリーオウは人質になっていた。オーフェンのみを目的とする『人形』が相手でなかったらこうしてクリーオウはこの場にいなかったかもしれない・・・
(駄目なのか・・・あいつと一緒にいちゃ、いけないのか・・・?)
「キリランシェロ、一つ聞いていい?」
いきなりアザリーがいたずらっぽい笑みを浮かべ、オーフェンはきょとんとした。数瞬前の彼女の気配とあまりにも違いすぎて反応しきれなかったのだ。
「あなた・・・その娘のこと、好きなの?」
「なっ・・・!」
ハンマーで殴られたような錯覚を感じる。間違いなく、彼女の質問はその夜で一番自分に衝撃を与えていた。
「な・・・何を言い出すんだいきなり・・・」
動機が早くなるのを実感しながらオーフェンは焦って答えた。アザリーはからかうような声で続けてくる。
「理屈では分かっているけど離れたくない・・・それは、あなたがこの娘のことを好きだからじゃないの? だから一時でも別々でいたくない・・・違う?」
「お、俺は別にそんなんじゃ・・・」
「私にまで見栄を張らなくてもいいでしょう、キリランシェロ。約束したじゃない――好きな人ができたら教えるって」
恐らく誕生日を祝うときの取り決めについて言っているのだろうが、オーフェンは揚げ足を取る気にはなれなかった。クリーオウの精神支配が未だにとかれていない状況にも関わらず、なにやら和やかな空気が漂っている。
「・・・・・・分からない」
かなりの沈黙をはさんでオーフェンはつぶやいた。
「クリーオウのことは・・・正直、じゃじゃ馬でわがままでどうしようもないやつなんだが――俺がつまづいた時にいつも支えてくれたのはこいつなんだ。そういった理屈抜きでも、守ってやりたいと思っている。もしあんたがこれを「好き」っていうんなら・・・そうなのかもしれないな」
次第に胸の奥でもやもやしていたものが消えていき、オーフェンは顔を上げてアザリーの瞳をまっすぐにとらえた。
「だから、クリーオウに手を出すやつを俺は許さない――たとえあんたでもな」
(アザリーなら、俺が本気だということが分かるはずだ・・・)
力強い構成を向けられ、言わば喉元に剣を突き付けられたような状況で――彼女が見せたのは、やはり微笑だった。
「やっと素直になれたわね、キリランシェロ」
「・・・え?」
思わずつんのめり、構成を崩す。アザリーはくすくす笑いながら側の木にもたれかかった。
「まったくあなたたちって、何時まで経っても進展しないんだから・・・まあ、あなたの意地っ張りは昔からだけどね。こうでもしないと自分の気持ちに素直になれないなんて、お姉さんちょっぴり悲しいわ」
(えっと・・・つまり、その・・・あれ?)
しばし頭の中で状況を整理し――オーフェンは一気に赤くなった。思わず彼女に詰め寄り、すさまじい目つきで睨み付ける。
「騙したな? 騙したんだな? 俺は本っ気で心配しちまったぞこん畜生!」
「ま、まあ多少はやり過ぎかな~、なんて思ったけど・・・なにも眼に涙まで浮かべなくても」
さすがに一筋の汗を垂らしながらアザリーが視線を背ける。が、すぐに彼女は表情を戻して、
「でも、大切なことなのよキリランシェロ――今の気持ちを忘れないことね。わたしが言うのも何だけど・・・いえ、わたしが経験しているからこそ、あなたには大切な人を守りぬいて欲しいの」
「・・・アザリー?」
聞き返すより早く、彼女は懐から例の天人の遺産を取り出し、文字を書き始めた。すぐに彼女は光に包まれ――
「まて、アザリー! まだクリーオウが・・・」
「すぐに彼女は元に戻るわ。あまり強い精神支配はかけてないから・・・またね、キリランシェロ」
一方的につぶやいて、アザリーの姿が消える。しばし虚空を見つめ、オーフェンはようやく肩の力を抜くことが出来た。
「ったく・・・昔からアザリーはヘンなことにばっかり気が回るんだからな・・・」
「オー・・・フェン・・・?」
聞きなれた声に振り向くと、クリーオウがきょとんとこちらを見つめていた。どうやら精神支配がとけたらしい。
「え? なんでわたし、こんな所にいるの?」
きょろきょろと周りを見回すクリーオウを見ながら、オーフェンは先ほどのアザリーとの会話を思い出し少し赤くなった。
(ったく、なにを意識しているんだろうな俺は)
「あ、ところでオーフェン」
と、思い出したように、クリーオウがこちらを振り返る。
「・・・何だ?」
「誰が『正直じゃじゃ馬で我がままでどうしようもない奴』ですって?」
ぶっ――思わずオーフェンは吹き出した。動揺のあまり、よろめきながら叫ぶ。
「な・・・聞いていたのかっ?」
「あーっ! やっぱり夢じゃなかったのね! 人が聞いていないのをいいことに好き放題言ってくれていたみたいじゃない!」
(アザリイィィィッ!!)
オーフェンは心の中で絶叫した。彼女のことだからきっとわざとクリーオウの意識を半分残しておいたのだろう。
「ああああああの、もしかしてその後の台詞も・・・?」
これ以上ないほどに赤面しながらオーフェンが震える声で尋ねると、クリーオウはしばし宙を見上げて考え込み、
「ん~、それがよく覚えてないのよね。なんか意識がぼんやりしてて、オーフェンが誰かと話をしていたのはなんとなく分かったんだけど・・・」
クリーオウの返答にオーフェンは胸をなで下ろした。まったくもって、聞かれていたらどんなことになっていたか――
だが、すぐにクリーオウが再びこちらに激しく詰め寄ってくる。
「さあさあさあ白状しなさいっ! その後何を言っていたの?」
「だああああっ、なんでもねえっ! この話はこれで終わりだ!」
本人は意識していないのだろうが――クリーオウの顔が必要以上に近づき、オーフェンはあわてて背を向けて野営地へと戻り始めた。背後でクリーオウがぶー、と抗議の声を上げて追いかけてくる気配がする――
「オーフェンっ!」
「うおわたたっ?」
衝撃と共に背中に重量を(実際にはそれほど重くも無かったのだが)感じてバランスを崩しそうになり、かろうじて踏みとどまる。クリーオウが跳びついてきたのだと判断できたのは体勢を立て直した後だった。
「白状しなさいったらしなさい! でないとこのまま絞め落とすわよ!」
「ちょっ・・・待てクリーオウ、本気で入って・・・」
「あ、なんかわたし段々パワーアップしてきたみたい♪」
「止めろっつってるだろーがっ!」
二人はもつれ合い、叫び合いながら月明かりの中を野営地へと戻っていった。
――ホントはね、全部聞こえていたのよ。
でも、なんか盗み聞きしたみたいだからオーフェンには黙っておこうっと。
・・・いつかちゃんと、オーフェンの方からわたしに言ってくれる時まで。
基本的にわたしって辛抱強い方だけど――
あんまり待たせないでよね、オーフェン♪