「つまり、魔術士に必要なものは……魔術は当たり前だが、その前に己の力を自制するための精神力だ。強さとは……まぁ、いろいろとあるが、魔術士においちゃ魔術が最大の強さであり、武器だ」
「はぁ」
「魔術とはただの人間が使えるものじゃぁない。それ故に人間の中では最強の武器であり、それに見合ったほど危険なものだ。わかるな?」
「はぁ」
曖昧な返事が返ってくる。なんとなくわかっているのだろうが、完璧には理解しきれていない。そんな顔だ。弟子を見下ろしながら、オーフェンは溜息をついた。どうにもこの弟子は飲み込みが遅い。魔術の才能だけは立派なものなのだが……。
妙に静かな夜だ。夜になってから……つまり、太陽が沈んでからはまださほど時間は経っていない。耳を澄ませればまだ街の喧噪が聞こえてくる。が、そんなものはどうだっていい。つまり、この部屋のなかのこのメンバーで異様に静かにしている少女がいたのだ。
そちらに視線を移す。彼女はなにやら自前の愛剣をじっと見つめながら、何事か思案している様子だった。蝋燭の火に横顔を照らされている少女をというのは幻想的に見えなくもないが、剣を持っているところでその雰囲気をないがしろにしていた。
「……クリーオウ」
オーフェンが声をかける。彼女はちょっと視線をオーフェンに動かしただけで、すぐに元のところを見つめ続ける。
「まさかその剣で犯罪を起こそうってわけじゃねぇよな?」
「違うわよ!!」
たまらずに怒鳴って反論する。が、彼女はそれ以上何も言わずに剣を鞘に収めて、手に持ったまま外へと飛び出していった。
階段を騒がしく降りていく音を耳にしながら、オーフェンは呻いた。
「なんなんだ、あいつは?」
「何が最強の武器よ。そんなものなくたって強くなれるんだから!」
クリーオウは宿屋を出てから、裏路地へと来ていた。人気がないので、剣の特訓をするのに丁度いい。さすがに人目のつくところで真剣を振りかざしていたらまずいだろう。
頭の上のレキが小さなあくびをした。
クリーオウはレキを持って、頭から足下へと移動させる。さすがに剣を振りかざすときには邪魔だ。
「それに私を無視してマジクばっか……! 私がオーフェンのパートナーだってこと、忘れてるのよきっと!」
そして勢いよく剣を振り下ろす! ちゃんと力を入れなかったせいで、剣先が少しだけ土の地面に埋まってしまう。すぐに引き抜いてもう一度振るう。今度はちゃんと止められた。
(私だって役に立てるのよ)
そうして何度か剣を振るい続けている……と、突如甲高い悲鳴が裏道のさらに奥から聞こえてきた!
「なに!?」
クリーオウはすかさず反応してそちらに振り向く。道は曲がっていた。どうやら行かないとわからないらしい。興味を引かれた彼女は剣を鞘に収めずに、そのまま駆けていった。レキが後からひょこひょことついてくる。レキの場合は悲鳴が聞こえたから、ではなく、単にクリーオウがそちらに向かって走ったからだろう。
路地を曲がった先には、数人のいかにもといった風体の男達が数人、少女を囲んでいた。薄暗くて、表情をはっきりと読みとることが出来ない。
少女は怯えきっている。少なくともクリーオウの目にはそう映った。……真っ先に決めつけるのは彼女の悪い癖だが、それも彼女らしいところではある。ならば彼女の行動は一つだ。唖然とするぐらいの速さで彼女は声を張り上げる。
「何やってるのよ!!」
「?」
男達が驚いた様子もなくこちらに振り向く。ただ、怪訝な顔をしていた。
「なんだかわかんないけど、寄ってたかって女の子をいじめるのは良くないと思うわ!!」
ビシ! と剣を突きつけられた男達は、お互いに顔を見合わせ、一つ頷くとクリーオウに向かって駆け出していった。
口封じでもするつもりか……? もしそうならば、相手の行動も迅速だったろう。正しいか否か、それは別として。
「上等よ!」
クリーオウも男達の中へと飛び込んでいく!
一対一なら、いくら相手が男で腕力が上回っていたとして、こちらは武器を手にしている。剣の心得がある彼女が負けるというのはあまり考えにくい。相手が特殊な訓練を受けていれば別だが。
だが、数人相手にいくら武器を持っていたとしても勝てるものではない。
それでも彼女は果敢に攻撃を仕掛けていく!
男2人が剣を警戒しながら、左右からクリーオウを捕まえようとしてくる。クリーオウはすかさず腰を落としてから、相手の死角である足を狙って、まずは自分から右の相手の膝に剣の腹を叩きつけた! 変に手応えがないが、気にせず体重をかけて威力を強める!
「……!」
悲鳴を上げずに男が1人、地面に蹲る。左のほうも右が倒れたのを見て、思わず足を止めた。その隙を逃さずにクリーオウはさらに剣を突きだした! 男はなんとかしゃがんでやり過ごすが、そこへクリーオウの蹴りが飛んでくる!
二人目も動けなくなるのを確認し、クリーオウは顔を上げる。が、いきなり腕を掴まれた! 剣を持っている利き腕のほうだ!
「しまった!」
小さな悲鳴を上げるが、すぐに苦悶の声へと変わる。凄まじい力だったからだ。そのまま腕を掴まれたまま、足が地面から離れる間隔を覚える。
「うっ!」
クリーオウは足をじたばたさせて、なんとか逃げようとしたが、どうにもならなかった。踏ん張りの効かないところでは何をしようとも大してダメージを与えられない。
男がにやりと笑う。
クリーオウはさらにもがくが、やはり無駄だった。
「うっ……、レキ!」
彼女は使いたくなかった切り札を使う。なるべくなら自分の力で……、そうは言ってられないことに左の手に力が入る。
レキの深緑の瞳が輝きだした。
「……やっぱり、私ってまだまだね。レキ、ありがと」
爆発したはずなのに、全く傷のついていないクリーオウはレキの頭を撫でながらそう呟いた。
爆発に巻き込まれたのは、男達だけだった。その他の人や物には一切何も起こっていない。ディープ・ドラゴンならではの技なのだろう。
クリーオウはちらりと少女を見た。少女もクリーオウを見ている。その目は感謝しているとも、怯えているともつかない目だ。強いていうならば、何かを考えている瞳……、あるいは、ただ何も考えていない瞳か。
「えっと、もう暗いのにこんなところに居ちゃ危険よ。ほら、おうちに帰りなさい。ね?」
促すような口調にも、少女は何も答えない。家がないのだろうか、とも思ったが、それだったら逆にこんなところに来はしないだろう。
「そうそう、怪我はない? 大丈夫だった? 先に聞くのはこっちからだったよね」
「あ、はい……ありがとうございました」
やっと口を開いた。表情からはわからない、意外と感情のこもった喋りになんとなく心が落ち着く。
「全く、どこの街にもいるのよね、あーいう奴らって。こんな夜に1人で歩いちゃダメよ。……まぁ、私も人のこと言えないけど」
そう言って、クリーオウはばつが悪そうに頬を人差し指で軽く掻く。
「あの……すごいんですね、えっと」
「ああ、レキのこと?」
「いえ、えっと……」
「あ、私はクリーオウ。そしてこの子はレキ」
「わたしは……は、リルって言います。……あの、クリーオウさん?」
「クリーオウでいいわよ」
クリーオウは笑ってみせた。彼女は緊張した顔から少し緩やかな表情へと変わる。
「……クリーオウ?」
それでもやはり躊躇いがある。
「うん」
「あの……お願いがあるんです。いい……かな?」
「お願い?」
きょとんとして、聞き返す。彼女はこくりと頷く。
「ええ」
「どんなお願い? あ、でも、お金を貸してとかそういったことはちょっと無理。この間オーフェン……あ、一緒に旅をしているんだけど、オーフェンから勝手に金をとって新しい服買ったばかりだから金がないのよねー」
「違うの。お願いとは……。……!?」
少女の顔が強ばる。
「? どうしたの?」
クリーオウが首を傾げる。リルはおもむろに彼女の手を掴むと、早口で言った。
「クリーオウ、また明日同じ時間にここに来て。待ってるから」
そして手を離すと、そのまま闇の中の裏路地へと駆け出していった。
「え、ちょっ……」
クリーオウが聞き返そうとするが、すでに少女の姿は闇に消えていた。
どうしようもなくその場で呆然としていると、いきなり肩に誰かの手が乗ってきた。
「ひゃ!?」
「うわっ!」
悲鳴に、驚いた声。クリーオウは剣を持ち直してそちらに振り返る!
「て、て、敵!?」
「ちち、違! わぁぁぁぁ!!」
答えを聞かずにクリーオウが剣を振りかざす!……と、そこで動きが止まる。
「あれ?」
そこにいたのは、ごく普通の中年の男だった。地面にへたりこんで、完全に怯えきっている。
「あ、ごめんなさい!」
クリーオウは慌てて剣を引っ込めた。
「うう、怖かった……」
謝られたおかげか、なんとか平常心を取り戻した男はゆっくりと立ち上がる。
「ところで、何してたのここで?」
「それはこちらの台詞だ。お嬢さんこそ何やってたんだ?」
やや不機嫌そうな口調で言ってくる。当たり前なのだが。剣で襲われそうになって機嫌のいい人間などいないだろう。
「剣の稽古」
「物騒な……。まぁ、最近この辺りは特に物騒になっているけどな。おかげで俺達が夜の街を見回るハメになっちまったんだ。今日もそうだったんだが……いきなり剣で襲われそうになるとは思ってもみなかった」
男は苦笑した。
「仕事の後に見回りっていうのもキツいもんだよな」
「でも剣でそんなに怯えてるんじゃ、見回りとして役に立つの?」
「どうせ本職じゃないからいいんだよ」
憮然として言い返してくる。
「それより、1人で剣の稽古というのは危険だな。もう帰ったほうがいい。それに今回は見逃してやるが、この街での抜刀並びに帯刀は禁止だぞ。わかったな、お嬢さん?」
「1人? もう1人いたでしょ? このぐらいの女の子」
「いや、見なかったな。こんな暗闇だ。見えなくても不思議じゃないさ」
肩をすくめている男の言葉を頭の中で反芻しながら、クリーオウは首を傾げたのだった。
今そこに、倒れているはずの男がいないことに、彼女は気付くべきだった。
いや……、気付かないことが案外良かったのかもしれない。ただし、あくまでその場でのことだったのだが……。
彼女が唯一気付いたことは、強い力で掴まれた腕に何の跡も残っていなかったということだけだ。
翌日……、まだ朝ということで、本格的に街は動き始めていない。朝食の時間だというのもあるし、朝から活発なのも大して意味がないからだ。
「オーフェン!」
まだ半分眠っているオーフェンの頭に、トーンの高い声が脳を直撃する。
「……あん?」
「もう一日、ここに泊まっていきましょ!!」
「ダメだ。金がない」
あっさりと拒否される。
「お金ならきっとなんとかなるって! ね、だからもーちょっとここにいよ! ね?」
「根拠のない言葉は信じないことにしてるんだ。確かにあと一日ぐらいなら泊まる程度の金はあるが、後々の余裕って奴を考えたいんでな」
「ケチ。だから釣り目の極悪破綻性格向上心の持ち主って言われるのよ! わかる!?」
「わかるか!! それになんで急にここに居たがるようになったんだ? 昨日はさっさと行こうみたいなこと言ってたじゃないか」
「うっ……、そ、それはその……とりあえずそんなことはどうだっていいじゃない! ね、レキ?」
「変な誤魔化しかたするな!」
「あのー、ちょっといいですか?」
階下へ新聞を取りに行っていたマジクが、やや困惑気味に部屋へと戻ってくる。
「昨日、なんか近くで崖崩れがあったみたいで、先に行く道が閉ざされちゃってるみたいなんです。一日で復旧するってことですが……」
オーフェンが小さく絶句した。クリーオウがこっそりとガッツポーズを取る。
「決まりね、オーフェン!」
「仕方ねぇな……」
さすがに諦めて、オーフェンはそう呻いた。
(……)
妙に喜ぶ彼女を、オーフェンは怪訝な顔でちらりと見る。
「じゃ、ちょっと街でも見に行ってくるね~」
クリーオウは外へと飛び出していった。オーフェンの視線に気付かずに……。
夜……。
夜は闇。ただ暗いだけの闇。光り輝く太陽が無くなれば、そこは自然と……逆らうことなく夜へと変貌し、人々の活動を制止する抑制力ともなる。ただ、その闇に紛れて動く者もいるが、あくまでそれは違う世界に生きる者だ。
そういう点で、彼女の行動は奇異と言えるかもしれない。たった1人で一本の剣をぶら下げ、夜道を歩いているのだ。端から見れば、彼女は一体どう写るだろうか?
クリーオウは昨夜、少女と出会った裏道へ来ていた。
ひっそりと静まり返る闇の道。生き物、いや、人間を拒んでいるように感じ取れる。寒気すらするような場所だったが、彼女はなぜか怯えというものを感じられなかった。なぜだか、あの少女に会わなければならないような、ある種の使命感らしきものが心に残っているのだ。
表情の乏しい娘……だと、あの時は思った。よくよく考えてみると乏しいのではなく、寂しかったのではないか?
確信こそ持てないが、今日一日頭から離れない少女の顔を思い浮かべ、そんなことを考える。まぁ、今考えたところで答えがわかるわけでもないのだが。
「とはいえ、寒いことは寒いのよねー」
両肩を抱えるように腕で身体を抱く。
「早く来ないかなー?」
「クリーオウ」
聞き覚えのある声がした。……の、前に肩を叩かれる。
「うっひゃぁぁぁ!」
「わっ」
お互いにお互いの悲鳴を上げる。
目を見開いたままの少女が、昨日と何一つ変わらずにそこにいた。リルだ。
「あ、お、脅かしてごめんなさい」
「あ、あはははは、いいのよ別に。あははー」
パタパタと手を振るクリーオウ。
「それで、お願い事ってなに?」
「あ、その前に……、ほんとに来てくれてありがと、クリーオウ」
少女は少し笑ってみせた。クリーオウの目にはなぜかそれがひどく滑稽に映った……理由はやはりわからない。
「約束だもの。ちょっと一方的だったけど」
「それで、お願い事っていうのは……、こっちに来て。そうすればわかるから」
少女はクリーオウの手を取って走り出した。クリーオウはワンテンポ遅れながらもついていく。
「どこに行くの!?」
「すぐにわかります」
仕方なく、クリーオウはついていくことにしたのだった。
「あれは……?」
クリーオウとリルの様子を一部始終見ていたオーフェンは、困惑していた。昨日の夜からやにやら様子のおかしかったクリーオウに疑問を覚え、今夜こっそりと後をつけるようにしたのだ。
(まさか……、いや、でも……とても信じられない)
困惑している間にも、クリーオウ達との差が広がっていく。これ以上はこの暗闇の中で見失う恐れがあった。
(マジクには帰るまで番をまかせてあっから大丈夫だろ。……行くか)
決心して、オーフェンもなるべく音を立てないように駆け出した。クリーオウを追って。
クリーオウの息が切れ始めて来た頃、ようやくリルの足が止まった。
クリーオウはしばらく呼吸を整えると、改めて顔を上げる。
そこには、古ぼけた洋館が建っていた。辺りには何もない。遠くのほうに家々があるだけで、この辺りにはまるで戦争でもあったかのように何もないのだ。
……その洋館は、見ようによっては教会に見えなくもない。ただ、暗闇なのと、あまりにも寂れているせいで、はっきりとしないだけだ。
「ここは?」
とりあえず尋ねてみる。リルはこくりと頷いてから、口を開いた。
「ここにみんなが捕まっているの」
「捕まってる?」
「わたしだけなんとか抜け出して、みんなを助けようとしたんだけど……昨日の奴ら、いたでしょ?」
そこで、ようやく事態を飲み込み始める。
「もしかして……」
「そう、私を追いかけてきたの……あいつらの仲間よ。お願いクリーオウ! あなたの力ならみんなを助けられるの! だから……」
「うん、わかったわ」
彼女の切羽詰まった瞳に、クリーオウは笑って答えた。力強い笑みだった。
リルの顔が明るくなる。
(いざとなったらレキが……、でも、それじゃ強いってことにならない……、レキ抜きでいってみるわ)
当のレキは彼女の頭の上であくびしている。
「そういえば、みんなってどのぐらいいるの?」
クリーオウが尋ねると、彼女は少し思案したように間をおいてから……
「たくさん」
「それじゃ、あいつらってどのぐらいいるの?」
やはり少しだけ間をおいて、
「たくさん」
「……う~ん、ぜんぜんわかんない」
少女の言うことに違和感を感じるが、それよりも彼女は困っているリルを放っておくことは出来ないと思い、剣を持ち直す。だが、男達の人数ならともなく、知り合いの人数を例え正確にではないにしろ、5~6人といったふうに答えられないだろうか?
「うだうだ考えてても仕方ないわよね! こうなったら正面突破よ!」
……だからといって、かなり無謀な性格もどうかとは思うが……。
リルがおろおろしながらレキを見るが、レキはまるで彼女のことを何でも知っているかのように前足を振る。
つまり『言っても無駄』だと。
見張りも何もなく、クリーオウはあっさりと中に入って行く。
かなり大きめの正面の扉(玄関とも言うが)を開くと、中には待ちかまえていたかのように6人程度の男達がそれぞれの獲物を手に、クリーオウを睨んでいた。どれも体格のいい、それでいていかにもゴロツキらしい『無表情』の男達だ。
クリーオウは改めて剣を構える。
「レキ、手出し無用よ!」
相手が動く前にクリーオウは駆け出した!
一番前の男を、あらかじめ隠し持っていた小石で、ちょうど目の辺りを狙う! 男は慌てて避けるが……避けたことでバランスを崩し、次のクリーオウの攻撃を避けることが出来なかった。
1人目が沈黙したのを気配で察し、次の男を迎え撃つ! どれもクリーオウより遙かに大きい奴らなので、真正面からは不利だ。ならば小回りを利用し、相手を翻弄しながら戦うしかない!
相手の拳が唸る! 大振りの一撃なので、予想は楽に出来た。クリーオウは寸前でかわすと、すっと相手の懐へと入り込み、その足を剣で切る! 完全に切ったわけではない。肉の嫌な感触が手に伝わる。軽く切っただけなのに、相手が動けなくなるのを見て、人間とはなんて弱いんだろうと場違いな事を考える。
「はっ!」
さらに来る男の鉄パイプを剣で受け止める。金属がぶつかり合い、痺れが腕に襲いかかる。
クリーオウはわずかに後退する、が、背後には別の男が待ちかまえていた。その腕には短剣握られている!
(……!)
後ろに下がってしまったせいで、避けることが出来ない!
クリーオウは思わず目を閉じる! そして来るであろう鋭利な刃物の感触を想像し……
「我は放つ……」
声がした。誰かの声。
(……え?)
クリーオウの両目がわずかに開く。
「我は放つ光の白刃!」
力強い言葉だった。その言葉の意味を実際に具現化するとこうなるのだろうと思うほど、美しい一筋の輝きが暗い部屋を光で満たす。
濛々と立ちこめる煙の中で、クリーオウはとっさに目の前の男の脇腹に、剣の腹で一撃を加える!
「……オーフェン!」
(結局、助けられること、望んでたのかな? 私……。強くなりたいのに……)
オーフェンを見て輝いた顔に、一瞬影が見えた。オーフェンはそれを見逃さなかったが……あえて見て見ぬ振りをする。
「クリーオウ……」
「気を付けて! まだいるのよ! 敵は!」
「……もういねぇよ。お前こそよく見ろ」
ぶっきらぼうに言ってのける。オーフェンは腕を構えた状態から自然体に戻り、扉からゆっくりと歩いてくる。
「……あれ? 誰もいない……」
「ていうか、誰もいなかったんだろ、ここには……なぁ、リル、だっけ?」
オーフェンは、先程から部屋の隅でクリーオウの動きを見ていたリルを見て、腕を振り上げた。
「クリーオウ、俺も信じたくはないが、今からこいつの正体をみせてやる」
「な、なに! 何するつもりなのよ! オーフェン!」
オーフェンが次に取る行動を察知し、クリーオウがつっかかる。だが、それをオーフェンは無視する。
「我は放つ光の白刃!!」
オーフェンの右手の平から純白の閃光が生まれる!
先程よりは若干弱いが、それでも簡単な壁ぐらいならあっさりと貫通するほどの威力だ。それが少女へと突き刺さる!
「!?」
その時、クリーオウは我が目を疑った。
閃光は、彼女を通り過ぎた。いや、抜けたのか? どちらにしても、リルには当たらなかったのだ。彼女の後ろの壁が破壊され、爆発する。石造りの館なので、燃えることだけはないが。
リルは少し悲しげな顔でこちらを見ている。
「どういう……こと?」
「残留思念ってやつだな。ただ残留思念だけなら幽霊と変わらないが、生憎俺は幽霊を信じないんでね。お前、白魔術士だろ?」
「……うん」
諦めたのか、あるいはこうなることを予め予測していたのか、少女はあっさりと頷いた。
「特定の白魔術士は己の肉体を捨て、こういった半幽霊状態になることができる。俺は前に見たことあるからな。クリーオウが触れることが出来たのは、白魔術で感覚を操作していたためなんだろ? あの男共だってそうだ。だが……俺のこの仮説には一つだけ疑問が浮かぶ。それは……」
「意味がわからない。意味がない。そうですよね?」
少女は笑った。
「ああ、そうだ……。なぜクリーオウを巻き込んだ? お前の目的はなんだ? 今の見る限りじゃ、俺には全くわからない。ここまで無目的なのは初めてだな」
「意味、あるんですよ。ちゃんと」
リルはクリーオウの目の前まで歩いていく。リルの身長はクリーオウよりも低い。まだ十代半ばいってるかいってないかほどの年齢だろう。クリーオウよりも歳下なのは間違いなさそうだ。
「リル……」
「壊して欲しかったの。あなたと、あなたのレキの魔術で」
「なにを?」
「わたしの思い出」
リルが、ふいに顔を俯かせる。まるでクリーオウに見せたがらないかのように。
「これこそ信じられないかもしれないけど、わたしはもう……死んでるの。でも、完全に死ねなかった……。どうしても、死ねなかった」
声が震えている。
「わたしは……この屋敷で生まれて、ここで育ったの。でも、火事で……。わたしはまだやりたいことがあった。友達と遊びたかった。お父さんとお母さんと遠くへ遊びに行きたかった……。だから……白魔術で身体をこんなふうにしたの」
その時、少女の身体が透けたのが見えた。しかもはっきりと。
ハッとして、クリーオウは少女の肩を掴もうとする。だが、通り抜けてしまう。
「ほんとは死んでるんだけど……。もう同じ時間は生きられないってわかっているから……ここを壊したかったの。私じゃ……弱いから……壊せない……」
最後の言葉がかすれて聞こえる。
クリーオウは触れることの叶わない少女を、それでもやさしく抱きしめる。
弱かったんじゃない。だからといって強かったんじゃない。逃げたんだ。まだ幼い故に耐えられない事実をその小さな身体で受け止めるには、どんなに強くても、どれほどの白魔術の力があっても、全くの無意味だということだ。
「わかった……。あっちの世界……っていうのもおかしいよね。でも、お父さんもお母さんもあっちにいるんでしょ?」
頷く少女。
「だったら……私が壊す。あなたの望み、叶えるから。だから安心して」
「クリーオウ……ありがとう」
少女は笑った。今度は悲しいという言葉を含まない、その歳の少女独特の明るい微笑みだ。クリーオウが見る、初めての笑顔だ。
「レキ、お願い」
薄れていく少女の気配を確かに胸で感じ取りながら、クリーオウは小さく小さく呟いた。
薄暗い夜道を、力無く歩く。
クリーオウとオーフェンは無言で歩いていた。足下すら見通せないほど暗い夜道を、オーフェンの魔術で照らしながら二人で歩いていく。
「あ~あ、私って強くないなぁ」
クリーオウはわざとらしく言ってみせた。
「折角強くなろうとして、剣の練習してたのに、オーフェンに助けられちゃうし」
「いいんじゃねぇか、それで」
「え……?」
クリーオウは振り返る。オーフェンは夜空を見ながらこう言った。
「いいんだよ、無理に強くなろうとしなくたってな。それに力だけが強さってわけじゃねぇだろ? 上手く言えないが、人それぞれの強さがある。クリーオウだってそうだろ? じゃなけりゃ、あそこで決心は出来ないさ」
「うん……」
「背伸びして強くなったって、後で絶対後悔する。だからいいんだよ、お前はお前で。十分俺のパートナーなんだからな」
「へ?」
ここで初めてオーフェンが夜空を見ている理由がわかった。クリーオウより背が高い彼が顔を上げれば、彼女から顔を見ることが出来ない。彼女にわざと表情を見せないようにしているのだ。
「うん、そうだね」
でも、彼女にとって珍しくそこで頷いただけだった。
「私だって……それほど強くないから……宿屋に帰る間だけでも、ほんのちょっとだけでも、泣いてていいかな?」
「見なかったことにしといてやるよ」
「ありがと」
初めて、クリーオウはそこで涙を、ほんの少しだけ、頬に伝わらせた。
今度からは決して泣かない強さを持とうと決心しながら。