拭っても拭っても決して消えない傷――『絶望』という名の悪夢・・・
「僕は君に絶望を与えたかった・・・『死』という名の絶望を――」
死に行く身であるにも関わらず、ライアンはむしろ優越感に浸るような表情だった。
「ライアン、私――」
取り止めのない後悔の念にかられてクリ―オウは声をあげる。
(ライアン、私――あなたを助けたかったのに、死なせてしまった・・・)
そう続けたいのに後が続かない。クリ―オウはただひたすらその場に立ち尽くすしかなかった。
次の瞬間、突然目の前が真っ暗になる。閉ざされた視界・・・
「!?」
声にならない叫び声をあげてから、はっと目が覚める。
目に映ったのは知らない天井。そして、よく見知った人物の顔。
彼―オーフェンはじっとこちらの顔を見つめていた。
そして自分が目を覚ましたことに気が付くと、安堵の息を漏らしてから言った。
「目が覚めたか。もう、夜だぞ。・・・ったくようやっと元の姿に戻ったかと思えば、体力の消耗のし過ぎで気ィ失うもんだから驚いたぜ。・・・どうだ? 気分は。」
いつになく優しく問いかけるオーフェンにクリーオウは幾分か強がって答える。
「・・・うん。もう全然平気よ。」
そう言って起きあがろうとするが、思うように体が動かない。少なからず困惑の表情を見せるが、薄暗い部屋でそれに気付くはずもなくただその動作を見て取ってオーフェンは口を開いた。
「さっきも言ったが、お前はあんな無茶な闘いの所為で、体力を消耗しきっちまってるんだ。だから、無理すんなよ。」
そう言って、まだ起きあがろうとしているクリ―オウの両肩を軽く押さえてそれを止め、更に続ける。
「それに今ぐらいきっちりと休んでおかねーと、マジクも迎えに行けねーし、旅も続けられないだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、クリ―オウはぎくりとした。痛いところを突かれたような気分だった。
(私、また足手まといになってる――?)
自分は結局オーフェンの足手まといになっていて、しかも、たった一人の命さえ救う事ができないんだ、と思うとどうしようもなく胸が痛んだ。
と、そこへ唐突にオーフェンが告げる。
「・・・すまない、クリ―オウ。」
クリ―オウは驚いて声をあげる。
そんなふうに思いつめている中で突然に声を掛けられた事もそうだが、それ以上にめったに謝らないオーフェンが自分に向かって謝っている事、そして何故謝っているのか分からなかったからだ。
「え・・・?」
オーフェンは続ける。
「俺がもっと早く、お前の様子がおかしかった事に気付いてやってれば、お前がたった一人であんなややこしい事態を解決する必要なんてなかったのかも知れないのにな。」
(・・違う! 違うのー!! 私は何もしてないし、なんにも解決してないの!!)
彼の言葉に反応して、クリ―オウは心の中で叫んだ。
(それに――ライアンだって死なせちゃったし・・・!! 死なせた・・私が。)
自分のしてしまった事を思う事ではっきりと認識してしまったためか思わず身震いするが、オーフェンはそれに気付かずに少し照れながら続ける。
「――だがな、俺は決めたんだ。『俺は俺の守りたいと思ったものを守る』ってな。
だから・・・俺はこれから何があってもお前を守る。お前はそんな過労だとかで倒れちまってるより、いつもみてーに、じゃじゃ馬で俺やマジクや周りの人間に迷惑かけまくってる方がずっといいんだよ。」
「・・・・・・。」
普段のクリ―オウならオーフェンに『お前を守る』などと言われたなら、真っ赤になるか、
『何言ってんのよ! オーフェンなんかに守られなくたって私にはレキがいるんだから大丈夫よ!』
などと切り返すところだが、今はそのレキが傷ついているはずだし、自分自身もそんなふうに気丈に応対する余裕は無かった。
なので、代わりに思う。
(私は・・・結局一人じゃ誰も助けられなくて、オーフェンにも『守られる』側なの!? 私はやっぱりオーフェンのパートナーなんかじゃなくって、足手まといなの!?)
オーフェンはクリ―オウがそんな事を考えているとはつゆ知らず、何も応えてこないのは疲れている所為なのだろう、と割り切ると椅子から立ち上がりながら言った。
「――じゃあ、今日は、もう寝ろ。さっさと治せよ。」
そして部屋から出て行こうと、きびすを返す。が・・・
(行かないで!! これ以上私を置いていかないでー!!)
クリ―オウは瞬間的にそう思うと、無意識のうちにまだ思うように動かない腕に力を込めてかろうじてオーフェンの右手の指先をつかむ。そして声をあげる。
「待って・・・行かないで、オーフェン!」
オーフェンは、クリ―オウが腕を挙げられた事になのか、クリ―オウが呼びとめた事になのか、少々驚いて振り返って問う。
「クリ―オウ?」
クリ―オウは自分が起こした行動に驚いてから、自分がオーフェンの指先を緩く掴んでいる事に気付き、ぱっと手を離して言う。
「な、何でもないの! ・・・ごめんなさい。」
これ以上こんなダメな自分を見られたくない。自分の弱い所は見せられない。
クリ―オウはそう思うと、オーフェンから目を逸らした。
「・・・・・・。」
その時、初めてオーフェンは自分の目の前にいる少女が、何か大きな不安や辛い思いを抱えている事に気付いた。
(ったく・・結局俺はこうやって、こいつの気持ちに気付かずに見過ごしちまってたってわけか。これで今も気付いてなけりゃ、決めた事も守れてねえし、全然進歩がねえじゃねえか。)
苦笑すると、「よっと!」と掛け声を掛けて椅子に座りなおす。
そして、クリ―オウのおでこに優しく触れる。
「!? ・・・オーフェン・・・?」
困惑するクリ―オウを優しく見つめながら、オーフェンは口を開く。
「ここにいてやるから。だから、安心して寝ろよ。・・・俺はお前のパートナーだってのに今まで全然お前の気持ちも汲んでやれてなかったんだな。」
そういって微苦笑をもらしてから、いつもは見せない優しい笑みをこちらに向ける。
(パートナー・・・。オーフェンが、私の――)
じっくりとかみ締めるように言われた言葉を繰り返すと、クリ―オウは自分がオーフェンのパートナーとして認められている事に気付き嬉しくなった。
そして、クリ―オウもオーフェンに向かって微笑を向ける。
――その微笑は紛れもなくこの一件が起きる前の、クリーオウのいつもと変わらない笑みだった――
それから、ふとクリ―オウはオーフェンがグローブをはめていない事に気付いた。
あの時はそんな所を見ている余裕が無かったため、グローブのことには気付かなかったのだ。
「オーフェン、グローブはめてない・・・」
そういうと、オーフェンは「ああ、そーいえば」と今初めて気付いたような声をあげてから答える。
「今日、闘いの途中でダメにしちまった。また買わねーとなあ・・・」
はああ。とため息をつく。今回の一件で色々と損失したものがあったため、出費がかさむのだろう。
そんなオーフェンを見てクリ―オウはクスッと笑みをもらすとぎこちない動きで自分の右手を動かし 、今自分のおでこに触れているオーフェンの温かく優しい手に触れてから、言う。
「あったかーい・・・私、そのままのオーフェンの手、好き。だって温かさがじかに伝わるもの。」
そういって微笑む少女に、オーフェンは一瞬驚いて凝視するがすぐに照れたように言う。
「まあ、闘いの時にはグローブは必要だから仕方ねーが、とりあえず今日はこうしといてやるから、もう寝ろ。よくならねーぞ?」
クリ―オウは素直に、
「・・・うん。ありがとう、オーフェン。」
とだけ告げると、ゆっくりとまぶたを閉じた。その表情は穏やかではあった。だが・・・
(こいつはどうなるんだろうな、仕方なかったとはいえ人を死なせちまったんだ。)
オーフェンは優しくクリーオウに触れながら、独りごちた。
――そう。彼女の心には、ライアンが遺した『死』という名の絶望が巣食っているのだ。
それは、感じ取れぬほどにゆっくりと、彼女の心を覆わんとしているのだった。
――しかし、その絶望に直面してどうなっていくのかは、クリ―オウ次第である――