紅い夕陽が、町並みをも紅く染め上げる。果物や土産物や、日用品を売っていた露店も日が沈み始めるのを眺めながら、店をたたみ始めた。そんな中、かなり場違いな影が街の大通りを横切る。
(何よ何よ何よ! オーフェンのバカっ!!)
 一般には、貴族の証として知られている金の髪をなびかせながら、クリーオウは通りを駆けていた。その頭上にはいつものようにレキはおらず、その代わり、といっては何だが右手には、黒い財布が握りしめられている。彼女の仲間――『仲間』であるオーフェン曰く、彼女は『お荷物』らしいのだが――の、財布である。
 ――ともかく、彼女は怒っていた。この上ないほどに怒っていた。
 時は少し、さかのぼる。



 宿の階段を、なるべく音を立てないようにそろりそろりと下りながら、手に握った黒い財布にちらりと視線を送り、にやり――にこりではなく、にやりである――と笑みを浮かべる。
「オイ、こらクリーオウ、てめえ、それ持ってどこに行くつもりだ?」
 不意に後ろからかけられた声に、クリーオウはびくりと体を震わせた。
「な、何か用? オーフェン」
 僅かにどもりながらも、クリーオウは振り向き、声の主――オーフェンを見る。
 黒髪、黒ずくめの二十歳ほどのその男は、もともとつり上がっている目を更につり上げ、目つきに負けないほど険悪な声をあげた。
「何か用だぁ~? クリーオウ。俺は、俺の財布を持ってお前がどこに行くのか聞いてんだぞ?」
「そ、そんなのオーフェンには関係ないでしょ」
「大有りだっつぅの。何度も言うが、それはお・れ・の財布だって。……ったく、てめえはいっつもいっつも人の金で、服やら、ワケの分からんモンばっか買いやがって。誰の金だと思ってんだ。たまには、てめえで稼いだ金で勝手に好きなモン買いやがれ!」
 クリーオウは僅かに眉をつり上げると、腰に手を当て、言い返す。
「何よ、その言い方! そのお金だって、マジクのおじさんが送ってくれるのじゃない!! 自分で稼いだんじゃないでしょ!?」
「な……! バカ言え!! 俺はマジクに魔術を教えてるぞ!! 月謝貰って何が悪い!!」
「教えてるって、わたし、最近マジクが自主トレしてるのしか見たことないわよ! それで月謝貰ってるなんて、サギよ! 詐欺師!!」
「誰が詐欺師だ! 誰が!! お前、誰がお前ら養ってると思ってんだ!? 俺だぞ!? ちったぁ自覚しろ! お前は!!」
 と、その時、マジクがジョギングから帰ってきた。入り口に一歩踏み込んで、そのまま硬直する。そして、見なかったことにしようと回れ右をした。
 が。
「マぁ~ジぃ~クぅ~?」
「は、ははははは、はいっ!?」
 がっしと肩を掴まれて、地獄の底から響いてくるような声で呟かれては、さすがにマジクも見なかったことには出来なくなり、思わず返事をしてしまう。
「あんたはわたしの味方よねぇ?」
「何のっ!?」
 思わず聞き返して――マジクはしまった、と口を押さえた。こんな時、クリーオウに何かを言って、この場が好転したためしがない。
 案の定、彼女は更に声色を下げると、
「何の、ですってぇ? こういう時に聞き返す!? そんなこと自分で察しなさいよ! 仮にも魔術士でしょ!?」
「だから、そんな無茶苦茶なこと言わないでよぅ」
「うるさいわよっ! 分かんないなら分からせてあげるわ! レキ!!」
 肩をつかんでいる手とは反対の手に抱えていたレキを、クリーオウがマジクに向けて抱えるのを見て、オーフェンは慌てて制止の声をかける。
「コラコラコラコラ、ちょっと待て! お前、何脅しかけてんだ!!」
「お~し~さ~まぁ~……」
 後ろを向いたままなので分からないが、おそらく泣いているであろうマジクの顔を思い浮かべながら、オーフェンは一つため息をもらす。
「クリーオウ。マジクはどうしようとお前の勝手だけどな、その危険物に命令を下すな。宿壊すな。街破壊すんな。あと、財布返せ」
「そんなぁっ!」
 マジクが情けない悲鳴をあげるが、それを遮るようにクリーオウが口を開いた。
「いいじゃない別に」
 顔だけをこちらに向けて、あっさりと彼女は言い放つ。
「オーフェンがどうにかしてくれればいいんだから」
「俺は、お前専用の修理屋じゃねえっ!!」
 オーフェンは声を荒げて言い返す。
「だいたいなぁ! 旅してるのだって俺の事情で、お前の道楽のために、こんな事やってるわけじゃねえんだよ!!」 
「――――っ!!」
 一瞬――ほんの一瞬だけ、クリーオウは泣きそうに顔を歪めると、次の瞬間にはきっ、と眉をつり上げ、手に持っていた黒いモノをオーフェンに向かって投げつけた。
「おい! てめえ、何をいきなり……」
 クリーオウはそのまま彼に背を向けると、マジクの横を走り抜け日の暮れかけている街の中に消えていった。



「……お師さま……」
「……何だ」
 マジクは振り向き、オーフェンを見る。
「さっきのはちょっと…言い過ぎじゃないですか?」
「うるせぇよ」
 オーフェンは、ジャケットに張り付いているレキを、いささか乱暴にはぎ取りながら呟く。
「……ったく、あのじゃじゃ馬は……これを投げるんじゃねえってんだ」
「それだけショックだったって事じゃないんですか?」
「おまけに人を後処理係みてえに言いやがって」
「クリーオウとお師さま、物壊してる数は同じくらいでしょう?」
「………マジク」
「そういえば、もう日が暮れかけてるのに、クリーオウ大丈夫でしょうか」
 マジクはタオルで汗を拭きながら、そしらぬ顔でオーフェンを遮り、世間話をするように話し始めた。
「この街って、あんまり治安、良くないみたいですし。さっきぼくが走ってるときも絡まれそうになったんですよね。もちろん、絡まれる前に逃げましたけど」
 そこまで聞いて、オーフェンは首を掴んで持っていたレキをマジクに押しつけると、無言でドアに向かう。
「……散歩に行って来る」
「はいはい、散歩ですね」
 ドアに手をかけ、振り返ってマジクをじろりと睨んだ。
「……なんだ」
「散歩に行くんでしょう? そう言っただけですよ」
 にこにことしながらそう言うマジクに、オーフェンはちっ、と舌打ちをしてから、無言でドアを開いた。出ていこうとしたその背中に、マジクは思い出したように声をかける。
「あ、ちゃんとクリーオウと仲直りしてて下さいね」
「やかましい!!」



「オーフェンのお財布投げたと思ったのに、レキ投げちゃったみたいだし、それもこれも、みーんな確実にオーフェンのせいよ! ……でも、レキには帰ってから謝らなきゃ。オーフェンに仕返しもしなくちゃならないのよね。でも、まだ帰りたくない、かな……」
 綺麗に染まり上がった街の中を、クリーオウはゆっくりと歩く。だんだん、人通りもまだらになっていくのだが、彼女は、それにも気付かないように歩みを進めていく。
 彼女の頭にあるのは、先ほど投げかけられた言葉のみ。
「わたしだって……別に、道楽、とかって、思ってる、ワケじゃ……」
 その時、ふと目の前に壁が立ちふさがった。
 慌ててよけようと足を止めるが、勢い余ってぶつかってしまう。そしてぶつかってから、それが壁ではなく、人であることに気が付いた。
「ごめんなさい」
 そう言って、立ち去ろうとした手を不意に掴まれた。
「ごめん、じゃすまねぇよなぁ……お嬢ちゃん」
「ああ、骨が折れたみてぇだな」
 にやにやと、イヤな笑みを浮かべた男二人が、クリーオウを見下ろしている。見るからに町の破落戸、といった風体のその男たちは、彼女を品定めするように、上から下へと視線を移動させながら、
「で、ごめんなさい、って言うからには誠意ってモンを見せてもらいてぇよなぁ」
「そうだな……ちっとついてきてもらおうか?」
 じり、と近寄ってくる男たちを睨みあげながら、クリーオウも負けてはいない。もっとも、少しずつクリーオウも後ずさってはいたが。
「どうして? 謝ったでしょ。それに、わたしがぶつかったぐらいで骨が折れるわけないじゃない。そのくらいも分からないの? いい大人のクセに」
「――このガキ――」
「まぁ、待てって。なあお嬢ちゃん、宿が見つからなくって困ってんだろ? オレらがいい宿紹介してやるからよ、ついてこいって言ってんだぜ?」
 クリーオウは、男たちの思惑が分からずに首を傾げる。
 彼女は気付いていないようだが、金髪の少女が、Tシャツとジーパンで財布を持って歩いていたら、どこをどう見てもいいところのお嬢様が衝動的に家出をして途方に暮れている、としかうつらないだろう。 
「何言ってるのかさっぱり分かんないし、わたし、もう宿取ってるから――」
 ともかくこの場を離れようと、その二人の間を抜けていこうとしたとき、クリーオウの真後ろの壁に、片方の男が手を伸ばし、退路をふさぐ。彼女は驚いて、思わず壁に背をつける。
「なあ、お嬢ちゃん。なんもいわずについてこいって言ってんのがわかんねぇか?」
「分かんない! って言ってるでしょ!?」
「お嬢ちゃん、あんま駄々こねてると、その綺麗な顔に傷が付くことになるぞ?」
 そう言って、壁に手をついている方の男がポケットから光る物を取り出した。 ――ナイフである。
 それを見て、クリーオウは身体を小さくして、俯く。
「どーぅしたんだー? さっきの威勢はどこにいったかなぁ?」
 下卑た笑みを浮かべて、その顔を覗き込もうと、ナイフを持った男とは別の男が身を屈める。
 その時だった。
 クリーオウはおもむろに右足を振り上げる。その直線上には、男に左足があった。そして彼女は右足を、男の向こうずねに振り下ろした。
「――――っ!!」
 男は顔を歪め、目の端に涙をためながら足を抱えてうずくまる。
「おい! 大丈夫か!?」
 それをしり目に、クリーオウはうずくまった男の脇を通り抜けようと、持ち前の瞬発力で駆け出した、が、その足を掴まれ、堪えきれずにその場に倒れ込む。
 かろうじて手をついて、慌てて身を起こすと、彼女の顔のすぐ脇を鋭い風が通りすぎた。ちりっとした痛みが右の頬に走る。見ると、先程の男が血走った目でクリーオウを睨んでいた。
 その手には、ナイフが握られている。
(――しまった!)
 そう思ってももう遅い。
「このくそガキがっ!!」
 男がナイフを振り上げるのが見える。いつものレキはいない。半ばパニックに陥りながらも、クリーオウは思わず顔をかばうように腕で覆う。そして、次の瞬間に訪れるであろう激痛に耐える心の準備をして――
「あんたら、人の連れに何やってんだ?」
 聞き慣れた声と、肩に乗せられた手に驚いて、彼女は声のした方――上を見上げた。まず、目に入ったのは銀色のペンダント。
「てめぇ、いきなり割って入ってきやがって、何モンだ!?」
「こいつの連れだっつっただろ」
「オーフェン!」
 思わず涙が出そうになって、堪える。
 そんな彼女の様子に気付いていないのか、オーフェンは、男の腕を掴んでいる手に、更に力を込めた。
「こんな物騒なもん、気軽に振り回してんじゃねぇよ。小娘一人に」
「いてぇっ!」
 軽く手をひねって、男の手をねじりあげる。男が小さく悲鳴を上げて落としたナイフを、オーフェンはクリーオウの肩に乗せていた方の手で拾い上げると、それを自分の後ろへと投げ捨てた。
「クリーオウ、お前、後ろに下がってろ。」
「オイ、そのガキはオレたちが――」
 台詞半ばで、クリーオウに襲いかかろうとした方の男は吹っ飛んだ。
 もう一人の男も、何が起こったのか理解できていないようで、ナイフを持ったまま、ぽかんと口を開けている。
 ――そして、勝負が決まったのは一瞬だった。



 完璧に目を回している二人の男をしり目に、オーフェンは俯いているクリーオウに話しかける。
「……お前はなぁ……何かやっかい事を起こさねーと、気がすまねえのか?」
 しかし、クリーオウは俯いたまま、何も言わない。オーフェンは頭をかきながら、クリーオウから視線を外す。
「……まぁ……なんだ。俺も…言い過ぎた。その、悪かったな」
「別にそれはいいの」
 クリーオウは呟いて、オーフェンに財布を差し出す。
「はい。返しとくわね」
「あ、ああ」
 オーフェンを見上げながら、再びクリーオウは口を開いた。
「あのね、わたし、言われたことはもういいの。ただ、オーフェンにそう思われてたって事がイヤだったの」
「だから、謝って――」  
「違うの! 謝って欲しいんじゃなくて……」
 思わず、クリーオウを見る。その青い瞳には、何かの決意の色が見えた。
「わたし、オーフェンに認められるように頑張るから。オーフェンが、胸を張って、わたしのことをパートナーだって言えるぐらい。そんな人になるの」
 それを聞いて、オーフェンはにやりと笑い、クリーオウの頭にぽん、と手を乗せた。
「分かった。……まあ、楽しみに待たせてもらうか」
 クリーオウもにこりと笑い返す。
 と、その時、オーフェンはあることに気付いてクリーオウの頬に手を伸ばした。
「何?」
「ここ、切れてるぞ」
 先程、男のナイフがかすめたのだろう。僅かに血がにじんでいる。クリーオウもそれに気付いて、その傷に手を伸ばそうとするが、それをオーフェンが押しとどめた。
「触ると傷が悪化するぞ。じっとしてろ」
 彼はそっと手を伸ばす。
「我は癒す斜陽の傷痕」
 オーフェンが呟くと同時に、その傷はまるで何事もなかったかのように塞がった。
「……ありがと」
「そう思うんならこれから気をつけるこったな」
 どこかすねた表情のまま、クリーオウはオーフェンに背を向け、歩き出した。
 オーフェンはふと思いついて、クリーオウの横に並んで歩く。
「クリーオウ。お前、血が付いてる」
「え?」
 言われて、クリーオウはオーフェンを見上げた。
 目に入ったのは、妙に近い黒髪と、赤いバンダナ。そして、右の頬には温かい感触。
 ぼうっとしていると、いつの間にかオーフェンが人の悪い笑みを浮かべている。
「とれたぞ。……帰るか。日も暮れてきたことだし。マジクも待ってるだろうしな」
 それを聞いて、クリーオウはやっと理解した。口をぱくぱくとさせながら、顔を真っ赤に染めて――夕陽のせいかもしれないが、それ以上に真っ赤だ――オーフェンが背を向けて、歩き出してからしばらくして、ようやく彼女は口を開いた。
「――オーフェンのバカ!!」


 ちなみに――――  後日、それなりの報復をオーフェンが受けたことを記しておく。

あとがき : 碧川雪輝さま
あいやー(中華風叫び)  うあー!ホントにすみません!こんなに長くかかっておきながらこんなくだらんネタで!しかも無駄に長い(汗)ぎゃー!どうしましょう!!(オイ)  ええと、言い訳をさせていただくならば、どうもスランプのようでして。文章思いつかないわ、陳腐な台詞しか思いつかないわ、かなり深みにはまってました(がふ)思いついたあげくが、セクハラ魔術士(蹴)いや、なんか傷舐めたりするのって萌えませんか?(聞くな!)  ……ああ、なんか支離滅裂です。修行してきます。では(こら)
碧川雪輝さま、ありがとうございました!