昼間の空気も、夜のものとすっかり入れ替わってしまった真夜中。この宿のそれも例外ではなく、静かに虫の鳴き声が部屋の中に響いている。
 その男は、腕を組んでベットに寝ころんだまま、天井を睨み続けていた。彼のいる四人部屋には、彼の他に三人の寝息が聞こえている。
 彼――オーフェンの弟子であるマジクに、この宿で足を止める原因となったクリーオウ、そして、アーバンラマまでの通過点として立ち寄った街、ナッシュウォータで知り合い、彼女の夫、エド・クリューブスター――オーフェンの兄弟子にあたる、コルゴンを捜すため、同行しているロッテーシャ。……もっとも、ロッテーシャは本当に眠っているか分からないが。
 なんてアンバランスな組み合わせだろう、と思う。実際この宿に泊まる際、受付にかなり怪訝な顔をされた。その時の顔を思い出して、オーフェンは思わず苦笑する。いったい何の一行だと思われたのだろう。
(ま、今更どうでもいいけどよ)
 ごろりと体の向きを変え、斜め下に意識を移す。おそらく、今は幸せな夢の中にいるだろう彼女の方へ。
 そもそも、アーバンラマのすぐ手前のこの街で、数日間足踏みをしているのは、彼女が街道のど真ん中で倒れたことが原因だった。過労だろう、とのことだが、精神的な事もあったのではないかと思っている。
(……クリーオウの奴も、ギリギリまで我慢しねぇで調子が悪いなら悪いって言えってんだ。何でもねえ事なら1から100まで言うくせに)
 ナッシュウォータであったことについて、詳しいことは聞かなかったが、レキ――彼女に何故かなついている最凶のドラゴン種族、ディープドラゴンの子供である――が、どこかへ行ってしまいそうになった…と言っていた。ただでさえ、この半年近くでいろいろなことがありすぎた。それも普通の人間なら、一生に体験するかしないかという、極めて非常識な事ばかり、だ。それもあって、気が緩んだのかもしれない。
(大体、俺があいつを連れて歩く理由ってのがなかったんだけどな……いつの間にか、あいつがいるっつう前提で、俺も行動起こしてるし。まぁ、今更あいつがいなくなっても困るか……)
 その時、ふと空気が揺れた――いや、それはただの錯覚にすぎなかったのだが。 オーフェンが意識を向けていた方向……クリーオウが唐突に、むくりと起きあがったのだ。
 彼女はそのままふらふらと、腰まである長い金髪を揺らしながら部屋の出口へと歩いてゆく。
「……クリーオウ? どうした?」
 僅かに体をあげて、クリーオウを見る。彼女はたっぷり五秒はおいてから、
「ん~………トイレ………」
 むにゅむにゅと口を動かしてそう呟くと、ドアの向こうに消えてゆく。
「…………寝ぼけてんのか?」
 彼女が出ていったあとのドアを見つめ、オーフェンは呆れたように呟いた。



(……クリーオウも、もう大体本調子に戻ってきてるし……まあ、大事をとってあと二、三日ってとこか……)
 やはり天井を睨みあげながら、考える。
(……アーバンラマに行けば、まだいい医者がいるだろうし。まだ悪いようなら診せればいいしな……)
 彼は、いつのまにか本題がクリーオウに移っていることに気付いていない。
 その時、再びドアが開いた。クリーオウである。
 オーフェンは少しだけそちらに意識を向ける。彼女は何故か、ふらふらとこちらに向かってくる。クリーオウのベッドは、オーフェンと正反対の方向にあるのだ。
(……何?)
 そう思うと同時に、ぎしり、と、ベッドが加えられた重さに応じて音を立てる。
 オーフェンは、額に冷や汗のようなものを浮かべながら、ベッドの沈み込んだ方に、ゆっくりと顔を向けた。
「オイオイオイ……」
 思わず声が漏れる。
 彼女は長い自分の金髪に顔を埋め、幸せそうな顔をして目を閉じていた。
「……おい、クリーオウ。お前のベッドは向こうだろ。起きろ、起きろってコラ」
 肩に手を置いて揺すってみるが、起きる気配は全くない。
「おぉい、クリーオウ! 寝ぼけんなよ。お前のベッドは向こうだぞ!」
 声を抑えながら、今度は幾分激しく揺すってみる。が。
「……む~……」
 と、僅かに眉根をよせて不服そうな声を漏らすが、それでも目を覚まそうとはしない。
(……マジかよ……)
 目を逸らそうとするが、目に付くのは透けるように白い肌と、金色の髪。髪より僅かに濃い色をした長いまつげに、淡く、春の花を思わせる唇にばかり。
 ――思わず彼女の唇に手が伸びて……
「……ん」
 その唇から漏れた声にはっ、と我に返って、慌てて手を引き戻す。
(ちょっと待て! 俺は何してんだ何を!!)
 かあっ、と顔に血が上るのが分かる。
(いや、何でそこで赤面するか!? 俺!!)
 オーフェンはもう一度、クリーオウを見る。彼女は、顔を埋める場所を探しているらしく、オーフェンの肩口にすり寄っていくと、柔らかく微笑んでその場に落ち着く。
(いや、お前もちょっと待て! クリーオウ!!)
 心の中で絶叫に近い叫びを上げるが、クリーオウは幸せそうな顔のまま、それに気付くことはない。
(て、いうか。こいつはクリーオウだぞ?何で俺が慌てなきゃならねえんだ。……そうだ、あの悪魔の暗黒魔術が俺は嫌なだけであって、絶対こいつの寝顔に狼狽えてるとか、そういう事じゃねえんだよな、うん)
 弁解としか言い様のないことを、つらつらと頭に並べてみる。そして、ようやくあることに気付いた。
(……よく考えたら、クリーオウのベッドが空いてるんじゃないか?)
 オーフェンはそれ以上考えずに、逃げるように起きあがろうとした。しかし、人生はそう甘くない。
 ベッドに座って立ち上がろうとすると、何かにTシャツの端を引っ張られた。 しばらく静止して、ゆっくりとその方向を向く。すると案の定、クリーオウがしっかりとTシャツの端を掴んでいる。
「お願いだから、止めてくれよ……」
 おもわず泣きたくなって、そう呟く。取りあえず、足掻いてはみようとTシャツを掴んでいる指に手を伸ばすが、全くほどけない。
 オーフェンは諦めてそのままベッドに腰掛けた。ふとクリーオウを見ると、眉をひそめている。顔にかかっている髪の所為かと、彼はゆっくりと髪を払った。
「……う、ん……」
 そう、声を漏らすと、にこりと微笑む。
 オーフェンは無意識で彼女の顔に手を添える。薄く、外から明かりが差している。ぼんやりと月が出ているのかと考えた。
 遠く、虫の音が響く中、オーフェンはゆっくりと体を屈める。彼の黒い髪が、彼女の前髪に僅かに触れるほどに近付く。そして――
「お師さま~……少しは手加減して下さいよ~……」
 その声に、オーフェンは、慌てて顔を離し、声の主である、マジクの方を見る。 しかし、耳を澄ませても、聞こえるのは寝息ばかり。寝言だったのだ、と思いあたって、小さく舌打ちをする。
「……いいところで邪魔しやがって……って、違うだろうが!!」
 思わず叫んでしまい、慌ててクリーオウの方を見る。やはり起きる気配はない。 彼はほっと胸をなで下ろした。
(それに、今のはアレだ! 雰囲気に飲み込まれたんだ!! それじゃねえとあいつになんかしようって気が起こるはずがねえ!!)
 しかし、心臓の動悸が激しいのも本当で。
 その気持ちがある、というのも本当なのだが、オーフェンは認めずやはり弁解としか言い様のないことを並べ立てる。

 それは、クリーオウがもぞりと動く度に続けられることとなる。……つまりは彼女が目を覚ますまで。


 そして――『我が心求めよ悪魔』へ続く――

あとがき : 碧川雪輝さま
 申し訳ございません(汗)
 すみません、以前のものに輪をかけて二人が偽物なのですが……(あう)そして、『悪魔』見直してないです(爆)……なので辻褄が合わないところがあるかもしれないのですが……(いい加減な話作り、やめろや自分)
 ちなみに、オーフェンはクリーオウにかなりの報復を受けてます(笑)当たり前ですが。
 けど、甲斐性なしが狼狽える話は書いてて楽しいです(笑)私の中のオーフェン像がいかんなく発揮されてたと思うんですが……いかがでしょう?(聞くなや)楽しんでいただければ幸いです♪それではこのへんで。碧川でした~
碧川雪輝さま、ありがとうございました!