太陽は昇り、朝を告げる。
休日と決められた日のこんな時間、朝九時に出歩く人間は少なかった。
だが、商人だけが一般人よりも休日は朝が早いという法則はこの街でも変わらないらしい。多くの店が開き、店主らしき人間が思い思いの商品を並べている。もちろん、花屋も開いていた。
そして、そんな商店街を歩く一人の少女。どうと言うことは無い普通の少女だ。
腰に届く金髪を揺らし、片手には花束を、もう片方には何も持たずただ前を見て歩いていた。
もし彼女を知る人間がそこにいれば異変に気付くだろう。彼女がいつも連れているはずの黒い子犬――と言っても見た目だけが子犬なのだが――がいないこと。そして、彼女の表情がいつもと違い、無表情であること。
少女はただ前だけを見ていた。その先にある、もっとも青空へと近い場所へ向かって・・・
「お師様!!! 大変です!!」
マジクの大きな声にオーフェンは目を覚ました。
大体10時くらいだろうか、勘で時刻を計る。はっきりいってこんな時間に起きるつもりはなかったので少々不機嫌だった。昨日は昨日で遅くなったため昼まで寝るつもりだったのだ。
オーフェンは仕方なく、ゆっくりと上半身を起こし、大きく伸びをする。
「ふぁぁぁ・・・」
伸びと一緒にあくび。目の端に浮き出た涙をこすりながらオーフェンは起き上がった。
ベッドの横に脱いであったブーツを履き、ゆっくりとドアに近づく。
「お師様!! 早く起きてくださいよ!!」
ドアのすぐ側から声が聞こえる。オーフェンはうるさそうに顔をしかめながらノブを回した。
「なんだよマジク。まだ10時じゃねえか・・・。もう少しゆっくり寝させてくれたって」
「『もう』10時なんです! 大体僕に早朝ランニングに行けって言うくせに・・・じゃなくて! 大変なんです!!」
「だから何が大変なんだよ。つまんねえことだったら俺は寝るぞ?」
まだ眠たそうに目をこするオーフェン。まだ頭は起きていないようでなんだか意識がはっきりしない。
「クリーオウが・・・」
「・・・寝る」
「待ってくださいよぉぉぉぉぉ!!!」
彼女の名前が出た瞬間オーフェンはきびすを返すとベッドに向かって歩き出した。そんなオーフェンに後ろから組み付いて必死に止めるマジク。
「いや、俺は寝るぞ!! もう嫌だ! あのじゃじゃ馬の厄介事に巻き込まれるのは!!」
「だから! 今回は違うんですってばぁぁぁぁ!!」
マジクが全体重をかけているにもかかわらずオーフェンの体はゆっくりとベッドに向かう。
「どうせまたなんか壊したり、爆破したり、変な料理作ったり、俺の財布を持って変なもの買ったり、黒い悪魔で街の一角を消し炭にしたって言うんだろうが! 嫌だからな! 今度こそ俺はかかわりが無いって言うぞ! 俺は無関係で赤の他人だって言うからな!!!」
「なんか、長い上にとんでもなく悲しい現実の再確認でしたね~」
なぜか落ち着いた口調のマジクだったが、すぐに表情を変えオーフェンの目の前に回りこむ。
「違うんです!! なにもしてないんですよ!」
「なにもしてない? だったらいいじゃねえか」
弟子の不可解な言葉に首を傾げるオーフェン。だが、マジクは首を振ると静かに言った。
「本人が、クリーオウがいないんです! どこにも!」
「は?」
「昨日は確かにロッテーシャさんと一緒に部屋に入っていったのに・・・朝起きたらいないんです。」
「ロッテーシャは?」
オーフェンの口調が真剣なものに変わる。以前にも同じようなことがあったので――あの時はロッテーシャだったが、誰であろうと思い出したくない――オーフェンは表情を変えた。
「今、宿のおかみさんに聞きに・・・あ、来ました」
2人が話しているところにロッテーシャが階段を上がってきた。表情はあまりよくないのでこれがマジクの冗談でないことと、たいした情報が無いことを物語っていた。
「あ、オーフェンさん。クリーオウが・・・」
「ああ、今こいつから聞いたよ。昨日何かあったのか?」
「いえ・・・べつに・・・たいしたことは・・・・・・・・・」
なぜか下をうつむくロッテ。オーフェンは怪訝そうに首をかしげた。そして
「あの・・・オーフェンさん。せめて着替えてから」
「?」
そこでオーフェンは初めて自分の格好を見た。寝た状態のままだったため・・・上半身は何も着ていなかったのだ。
「!!!!」
オーフェンはすぐにドアを閉め、椅子にかかっているシャツを取り大急ぎで着る。同じように掛けてあったバンダナとペンダントをつけた。ジャケットを羽織らずに肩に掛けるとオーフェンはゆっくりとドアノブをつかむ。
そして、改めてドアを開けると顔を少し赤くしてうつむくロッテーシャと冷たい目を向けるマジクが迎えてくれた。
「お師様ぁ・・・」
何か責めるような目でこちらを見るマジク。そんなマジクにため息を一つついてからオーフェンは拳を固める。
「お前も一言くらい言え!」
「うう・・・そんなぁ・・・」
頭に拳を落とされて涙目なるマジクを尻目にオーフェンはロッテを振り返った。
「で、ロッテーシャ。クリーオウの奴がいなくなったのはいつだ?」
「はい、私が素振りでもしようと思って起きたときにはもういなかったです。確か・・・朝の九時前だったと」
「くそっ、少なくとももう一時間は経ってるってことか・・・レキは?」
ふと思い出してオーフェンはロッテに聞いた。するとロッテは自分の胸元まで両手を掲げる。
「ここにいます。剣も荷物と一緒に部屋にありました」
「ってことは、あいつは何も持たずに出たって事か」
「散歩じゃないですよね」
痛みから復活したマジクが口を挟む。彼の言葉にオーフェンは首を振った。
「だったらレキを連れてくはずだ」
「そうですよね・・・だったらどこに行ったんでしょう・・・」
「とりあえずこっちに来てください」
そう言ってロッテは自分たちが泊まっていた部屋へと戻る。後について部屋に入るオーフェンとマジク。
「ほんとだな。荷物と剣は昨日のままか・・・」
部屋の片隅には黒いリュックサックとそこにかけられた少々大きめの剣。中身を出された様子も無く綺麗に置かれてあった。
「・・・あ、これはなんです?」
そう言ってマジクが床に落ちていた一枚のメモ用紙を手に取る。どうやらベッドに備え付けであるダッシュボードから落ちたものだろう。
「えっと・・・あ、これクリーオウの字ですよ」
「なんて書いてあるんだ??」
そう言ってオーフェンはメモを覗き込んだ。と同時に目を見開く。
「・・・『オーフェン、ごめんなさい』?」
そこに書かれてあったのは『オーフェン、ごめんなさい』と一言だけで、しかも文字がいびつにゆがんでいた。まるで、震えた指で書かれたように・・・
「ごめんなさいって・・・お師様心当たりあります??」
「いや、謝ってもらいたいことは山ほどあるが・・・そんなことであいつが謝るわけないし・・・」
「もしかして・・・『オーフェン、ごめんなさい。私、他に好きな人がいるの。だから貴方とは結婚できないわ』って書きたかったんじゃ、ぐえ」
言葉の途中でオーフェンがマジクの首を捕らえる。じたばたもがくマジクをとりあえず無視してオーフェンはロッテのほうに視線を移した。
「昨日のあいつの様子はどうだったんだ? 何かおかしかったか?」
「え・・・? あ、いえ、いつもと同じでしたけど」
すこしだけ何か言いたそうな目でマジクを見るロッテーシャだったが、すぐに諦めたようにオーフェンに答える。
「そうだよな・・・じゃあ、なんなんだ? ごめんなさいって・・・」
そこでオーフェンはマジクの首から手を離した。咳をしながら床に転がるマジクだったがオーフェンはとりあえず無視することにした。
「とりあえず探しに行くか」
「そうですね。じゃあ、私は商店街の方を見てきます」
そう言ってロッテーシャは階段を下りていった。
彼女の後姿を見送ってからオーフェンは床に転がっている――なぜか険悪な目でこちらをにらんでいる――マジクのほうを向いた。
「マジク、お前は住宅街に行け」
「え? お師様は??」
「俺は観光名所を回る。クリーオウが行きそうな場所だからな」
「なんだか僕だけ面積広いんじゃないですか・・・」
「気のせいだ。行くぞ」
そう言ってオーフェンはジェケットを羽織った。
その場所は何よりも青空に近かった。
風は少し強めで少女の金髪を揺らしている。
顔にかかる髪を時折、手で払いのけながらも少女は青空を見ていた。
その目に映るのは青のみ。どこまでも続く青空は彼女の心に染み渡るように、そして、彼女を溶け込ませていくようにただ遠くへと広がっていた。
そして、その青空を眺める少女の瞳は、ただ空だけを映していた。
「どうだ。いたか?」
「いえ、住宅街は入り口に警備員がいたんですけど『そんな女の子は見なかった』と」
「・・・こっちもだ。観光名所をほとんど回ったんだが誰もいねえ。あとはロッテーシャか・・・」
そう言ってオーフェンは舌打ちをした。
オーフェンとマジクがいるのは街の中央に位置する公園。そして、その公園の中にある噴水前のベンチに二人そろって腰掛けていた。いくらか情報が集まったらここに集まる予定だったのだ。
この街の名所といえば三つある。
一つがこの噴水だ。名のある芸術家が手がけたものでパンフレットにもでかでかと載っている。クリーオウがこの街に着いてから一番見たいといっていたのもこの噴水だ。
二つ目は時計台。街の北側に位置し、かなりの高さである。一時間ごとに鐘が鳴り、まさにこの街の時計として役立っている。音量と鐘が数年前に鳴らなくなってしまったことを除けばだ。時々なんの予兆もなく鳴り響くことがあるらしい。
そして、三つ目はなんと言っても商店街。数多くの店が開き、その数に比例して豊富な品揃えである。食料はもちろんのこと装飾品、武装、漢方屋、中にはいかにも怪しい雰囲気の店まであった。もちろん、そんな場所をクリーオウが見逃すはずは無い。可能性としてはここが一番高かった。・・・のだが
「そうか・・・そっちもいなかったか」
「はい」
暗い表情のロッテーシャの返事にオーフェンもつられるように表情を暗くする。
時間は10時40分。人気も多くなり、道は通行人であふれ始めていた。
「でも、それらしき人は見たって・・・」
「なに!? どこでだ!?」
おもわずロッテーシャの肩をつかむオーフェン。一瞬、驚いた表情をした彼女だったがすぐに元に戻ると今さっき聞いてきた話をはじめた。
「九時を少し過ぎたころに花屋にそんな女の子が入って行ったと」
「その花屋は?」
「商店街の一番手前にある花屋さんです。中のおばさんにも話を聞いてみました。そうしたら確かにそんな少女が花束を買っていくのを覚えていたそうです」
「間違いないな?」
「はい。それから北に向かって歩いていったそうですけど・・・その・・・」
何かをためらうような表情でうつむくロッテーシャ。まるで何か話したくないことを聞いてきたかのようだった。いや、実際そうなのだろう。
「どうしたんだ?」
「・・・その、花屋のおばさんの話なんですけど」
その次に続いた彼女の言葉にオーフェンは表情をこわばらせた。
「まさか・・・」
そう呟くと同時にオーフェンは走り出した。
「お師様!」
「お前らは別のところに当たってくれ! 俺はあそこへ行く!!!」
そう言ってオーフェンは公園の北の出口から出た。
後ろからマジクの声がしたが内容までは聞き取れなかった。おそらく了解の返事でもしたのだろう。だが、オーフェンの耳には何の音も入ってこなかった。
(冗談じゃねえぞ・・・あいつ、立ち直ってたように見えたのに・・・)
うめくように心の中で呟くと、オーフェンはまた地面を蹴った。
『クリーオウ、元気が無かったそうです。まるで・・・これから死にに行く人みたいに・・・』
オーフェンの脳裏にロッテーシャの言葉がよみがえる。
そして、彼の頭の中に一人の少女の姿が浮かんだ。クリーオウだ。
鮮やかブロンドをまるで花のように開きながら宙を舞う少女。落下して、段々小さくなっていく彼女が向かう先はどこまでも深い暗闇。そして、彼女をつかもうにも届かない無力な自分の手。
そんな情景がオーフェンの頭の中で鮮明に映し出された。
目を見開き、下唇を噛む。想像してはいけない・・・そう自分に言い聞かせた。
(そうだ! まだ決まったわけじゃねえ! ・・・あいつが・・・あいつが・・・)
彼女が向かった先は時計台。
そして、彼女がそこに向かった目的・・・それは・・・
(あいつが・・・クリーオウが自殺だと!?)
拭いきれない不安がまたオーフェンの心を締め付け始めた。
『わたしたぶん勝手なことしてライアンのこと死なせちゃったんだね』
彼女はそう言ったのだ。自分が殺したと。
『どうしたらいいのかな?』
彼女は笑いながらこう言った。しかし、彼女は震えていた。
そして、オーフェンはそれに答えた。今までと変わらないように振舞えと・・・
その言葉を彼女がどう受け取ったかは分からない。その後、彼女の微笑みは今までと変わらないものへと戻っていった。・・・少なくとも表面はそうだったのだ。
前のクリーオウ。何も変わらないように振る舞い、ロッテーシャにもマジクにもいつもどおりに接していた。もちろんオーフェンにもだ。
そして、オーフェンも安心していた。彼女は立ち直ることが出来たと。自分の言葉に彼女が応えてくれたと。
だが、それは違っていたのかもしれない
(くそっ! やっぱり俺は何も分かっちゃいないんだ!!)
心の中で自分自身を罵倒しながら、オーフェンは立ち止まった。荒い呼吸をゆっくりと整えながら上を見上げる。
そう、オーフェンは知らぬ間に時計台の元へとたどり着いていたのだ。
そびえる時計台。街の人間も定期的に来る管理人以外は近寄らない。そんな場所だった。
門はさび付き、少し押しただけでギィーと嫌な音を発する。周りを取り囲む塀も、整備された石畳も今ではしっかりと緑のこけに埋め尽くされていた。塀だけでなく時計台自体も、つるやら葉っぱやらでもともとのレンガの色を隠してしまっている。まさに、荒れ果てた建物だった。
そして、その誰も入るはずの無い建物の入り口が開いていた。間違いなくクリーオウだろう。
とりあえず辺りを見回し、金髪の少女の姿が地面に無いことを確認してからオーフェンは塔の中へと入っていった。
内部はほとんど吹き抜けだった。
中央に大きな柱がそびえ立ち、それに沿うように果てしなく続く螺旋階段がはるか上空へと伸びている。階段数はもしかしたら大陸一かもしれない。少なくともオーフェンは今までこんなに長い階段を見たことが無かったのだ。
その途方も無い高さにオーフェンはめまいを覚えた。
(一段一段登ってたらきりがねえな・・・だったら!)
「我は駆ける天の銀嶺!」
オーフェンは呪文を唱えると同時につま先で強く地面を蹴った。
体の重力が消え、オーフェンの体は見る見るうちに上昇していく。
そして、階段の手すりにつかまり、一呼吸置いたところで重力が戻った。
「おっと・・・」
一瞬バランスを崩しそうになるオーフェンだったが、腕に力をこめ、無理矢理体を手すりの内側へと押し込んだ。
「・・・落ちたら洒落にならねえな・・・」
そう言ってオーフェンはゆっくりと手すりに手をかけ、もう一度手すりを乗り越える。
腕で反動をつけ、また構成を展開した。
「我は駆ける天の銀嶺!!」
また大きく跳躍したオーフェンはそのまま最上階を目指したのだった。クリーオウがいるであろう・・・時計台の最上階へと・・・
少女は何もしなかった。ただ空を見ていた。
右手に握られた花束は、今は床の上に置かれている。ときおり風に吹かれて転がって行きそうになるのを止める以外、少女は何もしていなかった。
少女が空に祈ったのはなんなのだろうか
少女は空を見て何を思っているのだろうか
そして、空は少女に何と答えてくれるのだろうか
それは誰にもわからないのかもしれない。
そして、時間が来た。
11時まで数分。少女は足元に置いてあった花束を取り、ゆっくりと歩き出した。
一歩ずつ、一歩ずつ、少女の体は進んでいった。
あと数歩で地面がなくなるところで、少女が足を止める。
息を吐き、小さく深呼吸してから少女はまた一歩踏み出そうと・・・
「クリーオウ!!!」
オーフェンが最上階の扉を開いたとき、そこにはオーフェンが見たくなかった情景があった。
クリーオウが一歩ずつ空へ向かって進んでいく姿。揺れる金髪は頼りなさを、ゆっくりと踏み出される足は弱々しさを感じさせていた。
「クリーオウ!!」
オーフェンは知らず間に彼女の名を叫んでいた。
彼の言葉に彼女の足が止まり、ゆっくりと彼の方に振り向く。
「オーフェン?」
疑問符を浮かべるクリーオウ。オーフェンがここに来たことが意外だったのだろうか、口をぽかーんと空けて彼を見ている。
「オーフェン、どうしたの? こんな――」
「クリーオウ! いいから動くな!」
クリーオウが何かを話そうとした瞬簡にオーフェンは被せるように声をあげた。
有無を言わさないようなオーフェンの態度にクリーオウも思わず口を閉じる。
「クリーオウ・・・確かに辛いのは分かる。そうだ、すぐに立ち直るなんて不可能だ。俺だってできるわけが無い。それはこの前に言った通りだ」
「・・・・・・・・・・・・」
クリーオウは何も答えない。彼女の表情はちょうど逆光になっているのでオーフェンから見えないのだが・・・なぜだか彼女がどんな表情をしているのかがオーフェンには分かった。
「生きたまま苦しみを背負うことは死ぬことよりも辛いのだって分からないでもない! でもな、死んだら何も残らねえんじゃないのか!?」
(これだけか? 俺が言いたいのはこれだけか?)
「死んじまった奴はまだいい! でもな、残された奴には残っちまうんだよ! 思い出とか、悲しみとかが・・・」
「・・・オーフェン」
クリーオウが声をあげる。わかっている。今のは自分だ。アザリーと言う大切な姉の存在を失った・・・過去の自分に残されたのは思い出と悲しみ。だからこそ、それを埋めるために五年前に塔を出たのだ。大切なものを見つけ、姉との思い出を取り返すために。
「クリーオウ・・・お前がいなくなったら、俺らにも残るんだよ。悲しみが」
(そうだ・・・だからクリーオウは・・・)
「・・・・・・・・・お前には死んで欲しくないんだよ。ロッテーシャも、マジクも・・・俺も」
オーフェンは最後の言葉を言うのに少し戸惑った。理由は決まっている。
「・・・・・・パートナーなんだろ? 俺のそばにいて俺のサポートをするんじゃなかったのか?」
(違う! これだけじゃない! パートナーだからとか、ロッテーシャやマジクがどうだからじゃない!)
「・・・俺にはお前が必要だ。お前のサポートが・・・。もう、お前は俺にとって大切な人間なんだよ!」
「えっ・・・オーフェン?」
『大切な人間』そんな言葉にクリーオウは驚きの声をあげる。オーフェンはすでに彼女から視線を外していた。これから言うことを、面と向かっていえるほどオーフェンは強くなかった。
「俺は・・・・・・俺は・・・・・・」
(パートナーだから、仲間だから、大切な人間だから・・・そうだ。俺にとってクリーオウは!)
「俺はお前が―――――――――!!!」
ガラーン、ガラーン、ガラーン、ガラーン・・・・・・
オーフェンの言葉は突然起こった大音量の鐘の音にかき消された。
驚き、振り返るオーフェン。ふいに街の人から聞いた話を思い出した。さび付き、鳴る事の無くなった鐘は一日に一回ほど、何の突拍子も無く鳴り響くと言う。
そして、そんな鐘の音を聞きながらクリーオウは花束を抱えあげ、大空へと放り投げた。
色とりどりの花が宙を舞い、ゆっくりと地表に向かって落ちていく。
その様子を見るクリーオウの後姿を、オーフェンはただぼんやり見るしかなかった。
「・・・クリーオウ?」
自分の声が情けなく聞こえる。その声に振り向いたクリーオウの表情は・・・いつもの笑顔だった。
「どうしたのよオーフェン。いきなり走ってきたと思ったら『死ぬな』? 誰が死ぬのよ」
「え・・・いや、だってお前・・・」
「あのね、オーフェン。私はただ、お墓参りに来ただけよ?」
「墓参り!?」
クリーオウの口から飛び出た単語にオーフェンが驚き声をあげる。
「・・・じゃあ、なんで花なんて買ったんだ?」
「だって墓参りにはお花が必要でしょ?」
「死にに行くような表情で歩いてたって聞いたぞ!?」
「墓参りに満面の笑顔を浮かべていくのはおかしいんじゃない?」
「じゃあ、何でこんなとこなんだよ。誰の墓参りなんだ?」
するとクリーオウは少しだけ表情を変えた。
「・・・・・・・・・空がいいと思ったの」
そう言ってクリーオウはオーフェンに背中を見せて歩き出した。
「お父様が言ったのよ。『空ほど癒しを与えてくれるものは無い』ってね」
「・・・お前の親父もたまにはいい事言うんだな」
「そのあとに『だが、人は手に入らないものほど欲する生き物だということを忘れてはいけない』だって」
「もういい・・・やっぱりそうだ・・・」
頭を抱えたくなったが、オーフェンはそれに耐えた。つまり「空は癒してくれるがそれは人間が空を手に入らないと分かってしまったからなのだ」といいたいのだろう。
「だったら・・・誰なんだ? その墓参りの相手は」
聞いてみたものの、ある程度は予想がついていた。いや、どちらかというと確信していたのかもしれない。彼女が弔うべき人間・・・それは
「絶望とかに捕らわれて、死んじゃった人」
予想は当たっていた。だが、なんとなく認めたくはなかった。
「私、お父様が言ったこと分かる気がするの。空を見てたら癒されるって言うのかな? いやな気分とか全部吹き飛んじゃって、明日もがんばるぞー!って思えるの。オーフェンはそんなこと無い?」
「? ・・・別にどうとも思わねえけどな」
頭を掻きながらオーフェン。すこしだけ彼の口調は不機嫌だったのだが、クリーオウは気がつかなかった。そして、彼の答えに不服なのか眉を寄せるクリーオウだったが、すぐに気を取り直して続ける。
「小さいとき病弱で、ベッドでずっと寝てたって前に言ったでしょ?」
「ああ・・・そうだったな。今からじゃ想像できねえが」
「オーフェン、真剣に聞いてる?」
半眼でこちらをにらむクリーオウに肩をすくめながらオーフェンは先を促した。
「そのときね、ちょうど窓側だったのベッドが。それで毎日空ばっかり眺めてたの。空に憧れたって言うのかな?」
「鳥に憧れるってのはよく聞くが・・・空に? また、どうして」
首をひねるオーフェン。
空を自由に舞う鳥のようになりたい、と願うのは不思議なことではない。世間一般に多いほど当たり前のことなのだ。人間は翼を持たないがために空を飛べないのだ。例え魔術を使えても本当の意味で飛べたわけではない。
「うーん、それもちょっと違うかな? 空に・・・空の向こうに行きたかったのよ。同じ部屋の中で寝てばかりの私が自分の足であの果てしない空の向こうまでいけたらいいのに・・・なんて思ってたの」
「空の向こう・・・か」
キエサルヒマ大陸の空の向こう。そこに何があるかはオーフェンすら分からない。誰も知らないその場所に、目の前の少女は憧れを抱き、いずれその地に立とうとしているのだ。
「だから私にとっての空って・・・普通の人とか、オーフェンとかが思ってる空と違うのよね。だから、その空のいいところをライアンにも教えてあげたいな、って思ったの。絶望とか暗い考えなんてみんな吹き飛んじゃうって」
「・・・・・・・・・なるほど」
安らぎの場所。自らの夢の一つ。彼女の空とはそんな意味を持つのだろう。時に癒しを与えてくれ、時に自分を奮い立たせてくれる。それがクリーオウの『空』なのだ。
(ん? 待てよ・・・空の向こうってことは・・・あいつ、大陸の外までついて来るつもりか!?)
「なあ、クリーオ・・・」
「私ね、オーフェンならきっと連れてってくれると思ったの」
オーフェンの言葉をさえぎるようにクリーオウ。彼女の言葉にオーフェンは目をぱちくりさす。
「この人だったら・・・この人と一緒にいたらあの空の向こうにいける。自分の知らないことが一杯見れる。今の単調な日々から連れ出してくれる。そう思ったの。だから馬車に乗ったのよ?」
「ったく・・・俺を大陸の外に連れまわす気だったのかよ」
そう言いながらオーフェンは苦笑した。それにつられるようにクリーオウもクスッと微笑みをもらした。
(やっぱり、こいつは笑顔が一番だよな)
こっそり心の中でオーフェンはそんなことを呟いていた。
「ところで、なんであんなややこしい書置き残したんだ?」
オーフェンは隣に並んで歩いているクリーオウに聞いた。
そこは時計台から商店がへと続く道。少々田舎道のようで周りに人も見えない。まあ、あと少しすれば商店街が見えてくるだろう
「書置き?? なんのこと?」
怪訝そうな表情のクリーオウ。オーフェンは無言でポケットに入れてあったメモ用紙を取り出す。
「・・・・・・・・・・・・・・・こんなの書いてないわよ? 私。」
「え? じゃあ、誰がこんな・・・」
頭を抱えるオーフェンだが、追い討ちをかけるように続けるクリーオウ。
「大体オーフェン、『何も言わずに』って言ってたけど、ちゃんとロッテに伝言頼んだわよ?」
「ロッテーシャに? あいつ、何も言わなかったぞ?」
「えっと、確かロッテが素振りしてるとこに行って『ちょっと出かけてくるね。正午には帰ると思うから心配しないで』って」
「あの女・・・いや、マジクもか。あいつらはめやがったな・・・」
クリーオウから返してもらったメモ用紙をくしゃくしゃに潰し、道にたたきつけ数発ヤクザキックを蹴りこむ。
「じゃあ、オーフェンは本気で私が飛び降り自殺をするとでも思ったの?」
「・・・悪かったな。勘違いで」
「あのね、私は自分で自分をどうにかしちゃうほど弱くないわよ?」
「あー、はいはい。俺がひとりで騒いだだけだったんだよな。ったく」
すねたようにオーフェンはむすっとした顔で答える。そんなオーフェンを真剣な目で見つめるクリーオウ。
「オーフェン。私ぜったい死なないわよ? オーフェンといる間は絶対」
「だろうな、お前は殺しても死なねえよ」
クリーオウのセリフに一瞬、頬の筋肉が緩みかけたオーフェンだったがすぐに表情を引き締める。
全く馬鹿みたいだ。全速力で走り、魔術を駆使して時計台を駆け上り、クリーオウにあんな事まで言って・・・
そこでオーフェンはあることに気がついた。時計台の最上階に着き、そこでクリーオウにかけた言葉の一つ一つ。どれでも十分爆弾発言なわけなのだが・・・
(!! ま、まさか、あいつ最後の言葉聞いてないよな・・・)
「な、なあ。クリーオウ?」
「なに?? 聞きたいことでもある・・・」
そこまで言ってクリーオウは顔に笑いを浮かべた。だが、それはほほえみなどではなく、とっておきのいたずらを思いついた子供のような笑顔だった。
「そーだ、オーフェン。わたしも聞きたいことがあるんだけどな~」
「・・・なんだよ」
「あの時、ほら、鐘が鳴ったときオーフェン言ったじゃない。『俺はお前が・・・』って」
「!」
オーフェンの表情が崩れる。同時に脂汗が吹きだし、涼しい秋なのにバンダナがうっすら濡れてきている。
そんなオーフェンの変化を見透かしてかクリーオウが指を突きつけながら問い詰める。
「なんのかしらね~。オーフェンは私が何なの?? 聞きたいな~」
そこまで言ってクリーオウがオーフェンの胸板を軽くつつく。少し、いや、かなり表情を壊したオーフェンは観念したようにゆっくりと口を開き・・・
「し、知らねえな!! 俺はそんなこと一言も言ってねえからな!!!」
そう言ってきびすを返すとオーフェンは一目散に街へと駆け出していった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ~! はっきり言っていったらどうなの!! ねえ、オーフェェェェン!!!」
おもわずそれをぽかんと見ていたクリーオウだったが、すぐにオーフェンの後を追って走り出した。
(いえるわけねえだろ!? 俺がお前のことをどう思ってるかなんて!)
顔を真っ赤に――走ってるせいでは無いようだ――しながらオーフェンは心の中で苦しそうに叫んだ。
後ろのクリーオウの足音がやけにはっきり聞こえてくる。時計台でみた彼女の最高の微笑みも一緒に。
もちろんそれは、クリーオウに届くわけの無い叫びだった。
クリーオウ。俺はお前が――――――