広い空間。敷き詰められた高級な絨毯。一見してそれなりの品物と分かる家具や室内の装飾品――
基本的に、自分がこういうところに合わないのは自覚していた。
(・・・もっとも、こいつにとっては本来こっちの方が日常だったんだろうけどな)
と、隣でお茶を飲んでいるクリーオウを見やる。やはり帰郷はそれなりにうれしいのか、金髪の少女は妙に明るかった。
オーフェンらは久しぶりにトトカンタに帰ってきていた――もっとも、これが初めての帰郷と言うわけでもない。これまでにも何回か旅の途中にトトカンタに立ち寄っていたし、そのたびにオーフェンはエバーラスティン家に顔を出すことを忘れていなかった。
しかし、今回の訪問は少々訳が違う。
「どうかしたの? オーフェン」
「いや・・・よくのん気にお茶していられるなと思ってな」
それはオーフェンの勝手な事情による皮肉であり、案の定クリーオウがほほを膨らませる。
「なによー。久しぶりに自分の家に帰ってきてくつろいで、文句あるわけ?」
「あー・・・いや、悪い」
「なんかさ、オーフェンって最近ヘンなのよね。そりゃ、わたしの所みたいな家はオーフェンの肌に合わないって知ってるけど・・・今回のはそれに輪をかけてっていうか、そんな感じ」
「・・・なんかヘンか、俺?」
「うん。少なくとも塩と胡椒ぐらいの違いはあるわね」
(やっぱ、こいつには見抜かれるか・・・)
なんとはなしに自分の顔をおさえてオーフェンは苦笑した。基本的に表情を消す訓練は受けてきたつもりであり、また自分がそれを習得していることも自負していたが、どうもこの少女には通用しない。
(いや、クリーオウだからこそか。考えてみりゃ、出会ったときからこいつには負けっぱなしだったのかもな・・・)
そのとき、扉が開いてマリアベルが入ってきた。
「オーフェンさん、お待たせしました。クリーオウ、お母様が帰ってきたわ」
「お母様!」
マリアベルに続いて部屋に入ってきたティシティニーを見てクリーオウがぱっと顔を輝かせる。
「クリーオウ・・・よく帰ってきてくれたわね」
「お母様ってば・・・帰ってくるに決まっているじゃない。ここはわたしのうちなんだもん」
(自分の家、か・・・)
早速旅の思い出などを語り始めるクリーオウとその母親を見ながら、オーフェンはふっと微苦笑をもらした。いっそこのまま、何も言わずに去るという手もある・・・
「オーフェンさんも、大変でしょう。いつもいつもこの子に振り回されているんじゃないですか?」
「え? ああ、まぁ・・・それなりにやってます」
いきなり話題を振られて――クリーオウが落ち着いて話している所を見るとそれなりに時間は立っていたのかも知れないが――オーフェンはあわてて返事をした。ティシティニーはあくまでにこにことこちらを見つめている。
「もちろん、泊まっていかれるんでしょう? 今日はもう遅いですから、マリアベルに今部屋の用意をさせますわ。詳しい冒険談は、また明日と言うことで」
「あ、わたし手伝う!」
ティシティニーにうながされて部屋を出て行こうとするマリアベルに続いてクリーオウも立ち上がろうとしたが――オーフェンはすっと少女の肩をおさえた。
「オーフェン・・・?」
「ちょっとだけ待ってくれ、クリーオウ」
(言うしか、ねえよな・・・どうせいつかは、言わなきゃならないんだ)
「ティシティニー。今日は大事な話があるんです。聞いてください」
「まぁ・・・なんでしょうか?」
ティシティニーは微笑を崩さなかったが、それでも声に真剣さが混じった。マリアベルが気を利かせて部屋を出て行くのを横目に見ながら自分は今、どんな顔をしているのだろうとどうでもいいことを疑問に思う。
「前から言わないといけないと思っていたんですが・・・俺は・・・」
言葉が重い。この一言を言うためにここに来る決心をするために、どれだけ時間がかかったことか。
「俺は――クリーオウのことが、好きです」
「ちょっ・・・ちょちょちょちょっとオーフェンっ? な、何をいきなり言い出すのよ!」
クリーオウが一気に赤くなって立ち上がる。オーフェンは目線だけで彼女を制してから話を続けた。
「クリーオウも、俺のことが好きだって言ってくれました・・・今日俺がここに来たのは、クリーオウとの付き合いを母親であるあなたに認めて欲しいからなんです」
「――って、わたしそんな話聞いてないわよ、オーフェン!」
「言ってなかったからな。でも、別に嘘は言ってないぞ」
「それはそうだけど、こういうのって普通、わたしから言うもんじゃないの?」
「お前に任せると何年かかるか分からないだろーが」
オーフェンは半眼で彼女に答えてから、改めてティシティニーの反応をうかがった。彼女はにこやかな表情をなおも崩さず、『あらあら』といった感じで手をほほに当てていたが・・・
「オーフェンさん・・・それは、クリーオウと正式なお付き合いをしたい、という意味ですか?」
「そういうことです。出来れば・・・その、結婚を前提にした」
「お、オーフェン・・・」
クリーオウがとうとうこれ以上ないほど真っ赤になって再び椅子に腰を下ろす。ティシティニーは今度はクリーオウの方に話を向けた。
「クリーオウ・・・今の話は本当なの?」
「え、ええ? い、いやそのあの、ま、まぁ・・・」
どうしていいか分からないように手をぱたぱたさせるクリーオウに、ティシティニーが言葉を重ねる。
「本当のことを言ってちょうだい。照れてないで」
「う、うん・・・その、オーフェンが好きだってのはホントで、その、付き合いたいって思っているのも、嘘じゃないけど・・・」
(さすがにクリーオウでもこうなっちまうもんなんだな、こういう時には)
しどろもどろにティシティニーに答えるクリーオウにオーフェンは苦笑した。まぁ、予想はしていたことではあったが。
「つまり、あなたもオーフェンさんと結婚したいと思っているのね?」
「や、止めてよお母様・・・まだそこまでは・・・まぁ、でもいつかは」
「今すぐ結婚、と言うわけではないんです。ただ、俺達がそういう希望を持っていることを認めて欲しいだけで」
やむなくオーフェンは口を挟んだ。クリーオウは真っ赤になったまま、こくこくと首を上下させている。
「はぁ・・・どうしましょうかねえ・・・」
(・・・え?)
ティシティニーは笑みを崩してはいない。だが、声に少し厳しいものが混ざっていることに気づいてオーフェンは顔を挙げた。
こちらの反応を無視して、ティシティニーがクリーオウに再び話し掛ける。
「クリーオウ・・・あなた、恋はしたことがあったかしら?」
「え?」
クリーオウがきょとんとする。
「ど・・・どういう意味?」
「オーフェンさんを好きになる前に人を好きになったことがあるか、って聞いているの」
(・・・なんなんだ?)
ティシティニーの意図が読めず、オーフェンは自問した。なにやら、嫌な予感がする・・・
「え、えーっと・・・友達はたくさん居たけど、好きになった人は特にいないような気がする・・・でも、なんで?」
クリーオウの問いに答えず、ティシティニーは椅子に座りなおした。しばし沈黙してから、ゆっくりと言葉を搾り出す。
「クリーオウ、ごめんなさいね・・・わたしは、あなた達の関係をすぐに認めるわけにはいかないわ」
「え・・・えええぇぇーっ!」
クリーオウが信じられない、といった表情で絶叫する。声には出さなかったものの、オーフェンも正直意外だった。ティシティニーの性格から考えて、あっさりと認めてくれるものだと思っていたのだが。
(いや、そもそもが俺の楽観的観測だったか・・・普通、いきなり『結婚させてくれ』なんて言っても、認めてくれる親なんて居ないもんだよな。ましてや)
と、なんとはなしに胸元をさぐる。本来そこには大陸最高峰の魔術士であることを証明するドラゴンの紋章があるはずだったが、今はつけていなかった ――ありていに言ってしまえば、つける資格もない。『塔』を除名された人間が紋章の効力を使用することは場合によっては同盟反逆罪につながる。
「クリーオウ、あなたは仮にもエバーラスティン家の娘なのよ・・・その場の思い込みで『結婚』などと、軽々しく口に出しては駄目よ」
「お・・・思い込みなんかじゃないわよ! わたしとオーフェンはちゃんとお互い好きになって――」
「黙りなさい」
クリーオウの抗議をティシティニーがぴしゃりとさえぎる。彼女がそのような態度を自分の娘に見せたのは、少なくともオーフェンの前では初めてだった・・・
「クリ―オウ、多分あなたには『恋』と『愛』の違いが分かってないのね・・・確かにオーフェンさんにあなたは恋しているのでしょう」
「そ、そうよ! だからわたしは・・・」
「でも『恋』だけでの結婚を認めることは出来ません。あなたの母としても、現・エバーラスティン家の当主としてもね」
「・・・・・・」
救いを求めるように、クリーオウがオーフェンを見つめる。だがオーフェンの方も何を言えばいいのか、また抗議すべきなのか分からなかった。
「オーフェンさん、あなたにも聞きたいことがあります」
こちらが切り出すより先に、ティシティニーに――文字通り――射すくめられる。決して敵意を持った視線ではないが、今までに経験したことのない感触。
「あなたは・・・本当に、クリーオウと結婚したいと思っていますか?」
「・・・もちろんです」
一拍置いてから、ゆっくりと息を絞り出す。ティシティニーはいいとも悪いとも言わず、さらに質問を重ねてきた。
「今まで、結婚しようと思ったことは?」
「いえ・・・いや、一度だけ。ただし、それこそ若気のいたりでしたが」
と、頭に浮かんだ一人の少女の顔を思い浮かべながら答える。クリーオウが何かショックを受けたように顔をこわばらせたが、彼女を気遣う余裕が今の自分にはないことをオーフェンは痛感していた。
「では・・・そのときと今の気持ちを、どう違うのか説明できます? もちろん、わたしはその人の事は知りませんが・・・」
「それは・・・」
オーフェンは答えることができなかった。確かに、あの時の少女と結婚しようという気持ちがまるきり嘘だったとは言えない。だがそれはオーフェンにとって旅からの『逃避』に過ぎなかった。だからこそ、彼女とは別れたのだ――と、自分なりに納得している。
そして、今の気持ちはその時とは違う。だが、しかし・・・
(くそ・・・どういえばいいんだ? 言葉が見つからねえ・・・)
今ほどかつての親友のボキャブラリィをうらやましいと思ったことはなかった。もっとも彼――赤毛の少年の恋が長期間続いたという話は、いまだに聞いたことがなかったが。
「誤解なさらないでくださいね。あなたのことが嫌いなわけではないのですよ。出来れば、わたしたちといつまでも友達で居て欲しいと思っていますわ」
沈黙してしまったこちらを責めるような形になってしまったと思ったのか、ティシティニーが気配を和らげる。
「だったら! なんで! お母様・・・!」
「ただし」
震える声で叫びながら、再びクリーオウが立ち上がる。だが、ティシティニーは今度も少女の言葉をさえぎった。
「娘の結婚する相手となると、話は変わってきます。オーフェンさん・・・分かっていただけるでしょう?」
「ええ・・・」
かろうじて、うなずく。改めて『現実』というものを突きつけられた気分になりながら。
「ちょっとオーフェン! なんでそこで引き下がるのよっ! わたしは納得できないわ!」
「クリーオウ、落ち着け。ティシティニーの言うことにも一理はあるんだ」
はっ、とクリーオウの動きが止まる。
「オーフェン・・・?」
そして彼女が、その瞳に涙を浮かべて――
「嫌い・・・お母様も、オーフェンも・・・だいっ嫌いっ!」
「クリーオウ!」
オーフェンの静止を無視して、部屋を飛び出していった。
「ティシティニー、あなたは・・・」
「長旅でお疲れでしょう、オーフェンさん。今、マリアベルに部屋を用意させますわ」
ティシティニーはあくまでにこやかに――ただしぴしゃりとオーフェンの発言をもさえぎった。
(くそっ・・・!)
苛立ちが襲い掛かる。オーフェンは再び部屋の壁を殴りつけた。
(ティシティニーの言うことにも一理はあるんだ。落ち着け・・・今ここで暴れることはないんだ)
自分の自制心がこれほどまでに弱いものとは思ってもみなかった。高級な建築材を使用したエバーラスティン家の壁も、同じところを何度も殴りつけたせいで少々ゆがんできているようである。
気が付くと、自分の握り締めた拳からも血がにじみ出ていた。
「我は癒す斜陽の傷痕・・・」
小さくつぶやいて、傷を癒す。魔術で傷はいやせるが、ティシティニーの心を動かすことはできない。出来てもしてはならないし、意味がない。
「おまけになんだよ・・・このいかにも『いきなり用意しました』って感じの部屋は」
これまでティシティニーはいつでもクリーオウがオーフェンの部屋に遊びに行けるように、またはその逆が可であるように、客室の中でも比較的彼女の部屋に近いところを用意してくれていた。
しかし今日、オーフェンにあてがわれた所はいつもと違う部屋だった。クリーオウの自室から、かなりの距離がある。
(まぁ、警戒させちまうのも無理はないか。いきなりあんなこと言われたんじゃな・・・)
この分では、次の旅にクリーオウを連れて行くことは出来ないかもしれない――漠然とした不安感が襲ってくる。オーフェンはしばしためらってから。客室を出た。
人気のないエバーラスティン家の廊下を歩きながら、ティシティニーの言葉を反すうする。
『あなたは・・・本当に、クリーオウと結婚したいと思っていますか?』
(あたりまえだろ。でなけりゃ、わざわざこんなこと言いに帰って来るわけない・・・)
自分の気持ちは分かっている。それだけは確実に言える。
(だが、クリーオウにとって俺と結婚することは本当にいいことなのか?)
エバーラスティン家は今はそれほどでもないとはいえ、有数の名家である。ティシティニーが身分制度などというつまらないものに拘っているとは思えなかったが――市民権もロクに持たないはぐれ魔術士ごときにそう簡単に娘を預けられる訳もない。
(結局、あいつの幸せが一番なんだよな・・・とりあえず、クリーオウと話そう。俺が一人で悩んでもしょうがない)
廊下は暗く、見通しが悪かったがオーフェンは既に目隠しでも歩ける。そのままクリーオウの部屋まで進み、ノックをしようとしたところで――
「オーフェンさん?」
呼び止められた。
「ティシティニー・・・」
「・・・こんな時間に、クリーオウに何か用ですか?」
ティシティニーは紅茶とカップを載せたトレイを持ってきていた。クリーオウとお茶でもするつもりだったのかもしれない。
オーフェンが黙っていると、彼女は大きくため息をついた。
「昼間も言いましたが・・・オーフェンさん、こういうのは、ちょっと」
「ティシティニー。聞いてください」
今度はオーフェンがティシティニーの言葉をさえぎった。彼女は不意をつかれて動揺したかのように一瞬ぴくり、としたが、すぐに元の柔和な笑顔に戻る。
「・・・なんでしょうか?」
「俺は・・・やっぱり、クリーオウと結婚したいです。思い込みでも、焦りでもない・・・ずっと、あいつのそばに居たい」
否定されるかと思っていたが、ティシティニーは黙っていた。オーフェンはさらに言葉を重ねる。
「確かに、俺達・・・特にクリーオウには恋愛経験がないかもしれない。でも、だからと言って若気の至りだと言う事にはならないでしょう? クリーオウは俺を愛してくれてます。俺も・・・」
と一旦言葉を切る。呼吸を整えてから、オーフェンは言葉をつむぎだした。
「俺も、クリーオウを愛しています。世界中で、誰よりも」
「・・・・・・」
ティシティニーはいつのまにか少しうつむき、こちらから表情を隠している。それでもオーフェンはじっと、彼女を見つめつづけた。かつての師の友人の妻であり、恩人であり、そして何より――最愛の少女の母である女性を。
「・・・駄目ですよ、オーフェンさん」
(――え?)
台詞ではなくティシティニーの声色にオーフェンは首をかしげた。ティシティニーは・・・微笑んでいる。偽りではなく、心から。
「そういう言葉は、わたしではなくあの娘に言ってあげてくださいな。きっと・・・喜びますから」
「あ、あの・・・それは・・・?」
恐る恐るオーフェンは聞き返してみた。ティシティニーの反応があまりにも予想と違ったからだ。
「クリーオウは、幸せですね・・・そこまで想ってくれる人が出来たんですから。母親として、これ以上うれしいことはありませんのよ、オーフェンさん」
「え? ま、まあ、そうですね」
(何を言ってるんだ、俺は・・・もっと気の利いたことは言えないのか?)
おそらく自分はかなり間抜けな表情をしているのだろう――そんなことを考えながら、オーフェンは状況を整理しようと必死になっていた。しかし、ティシティニーの方が先に言葉を続けてくる。
「昼間は、意地悪をしたみたいな形になってしまって御免なさいね。でも・・・わたしはさみしかったのです。クリーオウが、この家から出て行ってしまうことが・・・」
「ティシティニー・・・」
「あの娘のこと、よろしくお願いしますね。今度は・・・あなたの、最愛の人として」
ティシティニーが軽くこちらに頭を下げると、再び歩き始める。そのままクリーオウの部屋も通り過ぎて、彼女は去っていった。
(ティシティニー・・・ありがとう。そして、すみません・・・)
オーフェンが無言で頭を下げたとき・・・
きぃ・・・
(――!)
部屋の扉が開いた。振り返ると、クリーオウが寝巻きのまま姿を見せている。
「クリーオウ・・・」
「オーフェン・・・」
少女の表情を見てオーフェンはぎょっとした。クリーオウは泣いていたのである。
「ど、どうかしたのか? どこか痛むとか、そーゆー・・・」
「ううん・・・違うのっ」
クリーオウはゆっくりとかぶりを振ってから、いきなりオーフェンに抱きついてきた。とっさのことにバランスを崩しそうになりながらも――かろうじて、受け止める。
「お、おい!」
「うれしかった・・・お母様が・・・そしてオーフェンが、そこまでわたしのことを想ってくれてることが分かったからっ・・・! わ、わたし・・・」
「・・・・・・」
オーフェンはしばし泣きじゃくる彼女を唖然と見ていたが――やがてクリーオウの髪にぽん、と手を乗せた。ずっと前から癖になっていた、この動作が彼女への好意だと気が付いたのはいつからだったのだろうか・・・
「オーフェン・・・?」
「ティシティニーに言われたんだ・・・お前にちゃんと言えってな。だから・・・聞いてくれ」
「ええっ、わっ、その、あのねっ!」
これまたらしくなくバタバタと暴れるクリーオウを抱きしめ、オーフェンはクリーオウの耳に口を近づけ、ささやいた。
「クリーオウ・・・愛してる」
「――っ!!」
ぼっ、とクリーオウの顔が異常なまでに赤くなる。同時に彼女の抵抗がやんだが――オーフェンはそれでも腕の力を緩めなかった。
「・・・返事は?」
「・・・・・・うん・・・わたしも、その、オーフェンのこと・・・愛してるから」
長い沈黙を挟んで、やっとクリーオウが答えを返す。オーフェンは満足して、ぱっと彼女から離れた。
「そんじゃな」
「うん・・・って、えええ?」
意外だとでもいうようにクリーオウが叫ぶ。オーフェンは平然とした表情で続けた。
「明日あたりまた出発するから、早めに寝ておけよ。お前、寝起きは結構悪いからな・・・お休み」
「え、わっ・・・ちょっと・・・それだけ?」
「それだけだけど・・・何か?」
「何かっ・・・って普通あるでしょ! ここまで来たら、その、会話の流れで・・・」
クリーオウは恥ずかしそうにうつむいてから、小さな声でつぶやく。
「ぷ、プロポーズとか・・・」
「あん? 結婚?」
オーフェンは軽く肩をすくめてから、
「結婚なんてまだまだ先の話だろ・・・第一俺は最初からティシティニーに『結婚させてくれ』とは一言も言ってない」
「え・・・で、でも、さっき!」
「『結婚を前提としたお付き合いをさせてくれ』って言っただけだろ? ちょっと話が飛躍してしまったみたいだけどな」
「な・・・な、な・・・だ、騙したわねっ!」
クリーオウが今度は怒りと恥ずかしさで真っ赤になる。そのまま彼女は部屋に戻り、バタン! と扉を閉めてしまった。
「お、おい、クリーオウ!」
(しまった、からかいすぎたか・・・)
この悪癖はどうにかしないとな、と自嘲しながら彼女の部屋に掛けより、扉をノックする。
「すまん、悪かった! 機嫌直してくれ!」
「知らないわよ! オーフェンの馬鹿馬鹿馬鹿大馬鹿っ!」
「そ、そこまで馬鹿を繰り返さんでも・・・とにかく、謝るっ! 俺が悪かった!」
必死にノックを続けていると、しばらくしてやっと扉が開いた。胸をなでおろしたオーフェンに、クリーオウが半眼で告げる。
「オーフェン、うるさい」
「う・・・ど、どうしたら許してくれるんだ?」
「どうしたらって・・・」
と、クリーオウが不意にいたずらっぽい笑みを浮かべ、オーフェンの腕をとると部屋の中へ引っ張り込んだ。
「お、おい、クリーオウ?」
訳が分からずうろたえるオーフェンにクリーオウはにこやかな表情のままで切り出してきた。
「罰として・・・今夜はわたしと一緒に寝ること!」
「――はぁ?」
「た・だ・し! 誤解しないでよね! なんかヘンなことしたら・・・即半殺し&恋人宣言撤回!」
思わず間抜けな声をあげてしまったオーフェンに対し、クリーオウが釘を刺すようにぴっと指を立てる。状況を理解するのにしばしの時間を要し――その間にずるずるとクリーオウのべッドまで引きずられる。
「ちょ・・・ちょっと待て! お前、自分が何を言ってるのか・・・」
「お・や・す・みっ♪」
「うどおわっ?」
こちらの腕をしっかり抱えたまま布団に飛び込むクリーオウに引っ張られ、ベッドに倒れ込む。ぼすっ、と厚いクッションに顔をうずめたまま、オーフェンはしばし道徳と世情について心の中で問答してから・・・
「おいクリーオウ、いい加減に離・・・」
「すー、すー・・・」
(嘘だろ? マジで寝てやがるっ?)
クリーオウはオーフェンの腕をしっかりとつかんだまま早くも熟睡していた。軽く揺さぶってみるが――狸寝入りでもなく、また目を覚ます気配はない。
「・・・ったく、無防備にも程があるだろ」
結局オーフェンは苦笑し、あきらめて彼女の隣に横になった。こうしていると出会ったときとなんら変わらない少女のように思えるが・・・
(幸せになろうな・・・クリーオウ)
静かに眠る少女の髪をなでながら――オーフェンは優しく微笑んだのだった。