「見て、クリーオウ。門の所。何かヤクザみたいな人がいるー…」
 友人にそう言われ、クリーオウと呼ばれた金髪の少女は、腰まである髪を揺らして振り返った。見ると、そこには確かに黒髪、黒目の男が一人。それは別に珍しくもない――というか、ごく一般的な容姿だ――のだが、門にもたれて立っている男は、とことん目つきが悪かった。着ている服も、黒のジャケットに黒いTシャツと、男の柄の悪さを際立だせるものでしかない。
 クリーオウは、怯えるような目をしている友人を一瞥すると、
「……ふぅん」
と、曖昧な返事をして、男に目を向けた。男はじっと空を見詰めたまま、微動だにしない。
 彼女はそれを面白そうに眺めると、くるりと振り返る。
「じゃあ、わたしはもう帰るわね」
「え? クリーオウ、今日はクラブ出ないの?」
「今日はね、クラブに出るって言ってなかったから。これ以上待たせちゃ怒っちゃうもの」
 まだ不思議そうな顔をしている友人に、クリーオウは笑顔を送って駆け出した。
「じゃあ、また明日!」



 ぽかぽかと、柔らかい日差しが降り注ぐ午後。爽やかな風が前髪を揺らしていくのを感じながら、オーフェンは体を門にもたらせ、空を見上げた。心地良い小春日和。数日前までの、肌をさす風が嘘のようだ。それでも空に浮かんだ、まるで幼児が描いた絵に出てきそうな雲が太陽を隠すたび、思わず腕をさすってしまうが。
 日当たりの良い部屋にでも居ようものなら、ものの数分で夢の世界へと旅立てそうな日差しに、オーフェンは空を見上げたまま目を閉じた。まどろみそうになった彼の意識を呼び戻したのは――
「オーフェンっ!!」
「ぅおわっ!?」
 ポケットに突っ込んでいた方の腕を急に掴まれて、オーフェンは何とも情けない声をあげた。そして、それから体勢を立て直し、自分の腕を掴んだその主を見遣る。
「クリーオウ! お前なあ、人に対する声のかけ方ってのをちったあ考えろ!!」
 しかし、クリーオウはえへへ、と笑みをこぼすのみ。
「大丈夫よ。こんな声のかけ方、オーフェンにしかしないから♪」
「自覚してんなら改めろ!!」
「イヤよ。面白いのに」
「俺はちーとも面白くねえんだよ!!」
「でもわたしは面白いもの」
「……だからなぁ!!」
 と、声を荒げたところで自分たちの周りを見渡す。
 下町の学校。下町というからには当然人通りも多いわけで。買い物帰りなのか、主婦らしい女性や、親についてきたらしい子供がじろじろと見ている。
 オーフェンはがしがしと頭を掻くと、くるりときびすを返した。
「帰るぞ。……なんにも用事ねえんだろ」
「うん!」
 クリーオウが並んで歩き出したのを横目で見ると、彼は大通りの方へと足を向けた。
 ……奇妙な視線を背に感じながら。



 大通りに入ると、更に人が増えた。やはり夕方なだけに、いつもより人が多い。
 そんな中、ついて来ている奇妙な気配にオーフェンは眉をしかめながらこっそりと振りかえった。見ると、自分たちより僅かに離れたところの店先で、数人の男がこちらを見ている。
(……あれかよ……)
「……クリーオウ」
「なぁに?」
 そう言って振り向いたクリーオウの耳元に口を寄せ、彼女に聞こえる程度の声で囁く。
「男が3…いや、4人ついてきてる。……俺から離れるなよ」
 そう言われて、クリーオウはちらりと―――相手に気付かれない程度だが―――視線を後ろへと向けた。そして視線を前へ戻すと、囁くように言った。
「今通り過ぎた、花屋の辺にいる人たち?」
「そうだが……何で判った?」
 驚いたかのようにオーフェンは目を見開いてみせる。クリーオウは薄く微笑を浮かべて、楽しそうにウインクをした。
「伊達にクラブで鍛えてないわよ」
「…………お前ら、何やってんだ?」
「女の子のプライベートに首を突っ込むのってちょっとデリカシーに欠けるって思わない?」
「…………まあ、お前が別に何してようと俺にゃ関係ねえけどな。それより、もうすぐ人通りが途切れるぞ。いいか? この間みてぇに逆に喧嘩ふっかけたりするんじゃ―――」
 オーフェンはそこで、思わず口を閉じた。クリーオウが何かしたから、と、いうわけではない。
 表通りを少し離れたせいか、幾分人通りの少なくなった道。その、人と人の僅かな隙間から見えた、ボーガンを構える男の姿。にやにやといやな笑みを浮かべて引き金を引くのが、何故かスローモーションに見える。
 とっさに、何も考えずに彼は彼女の目の前に自分の左手を差し出した。
 僅かに離れたところから発射されたその矢は、通常よりも勢いが無かったとはいえ、それでも彼の左手を貫くには十分だった。
 その手に鋭い痛みが走る。クリーオウが引きつったような声を―――何人かの通行人が悲鳴を―――上げるのを聞きながら、オーフェンは歯を食いしばり、声を上げたいという衝動に耐えた。声を上げることは、時として致命的な隙を生む。
「……お……っ!オー…フェン…っ!!」
 真っ青で、泣き出しそうな顔をしているクリーオウを、自分の後ろに庇うと、手に突き刺さっている矢を引き抜き、術を使った。
「我は癒す斜陽の傷痕」
 呟くと同時、血を流していたその傷は癒え、消える。
 数度手を握り、傷が塞がったのを確認しながら―――僅かに皮膚が突っ張るのは仕方が無い―――男たちの位置を探る。自分達の少し前の店先に二人、その反対の脇道の影に、一人。
(……一人足りない?)
 片方の眉だけしかめて、もう一度気配を探った。
 その時―――不意に頭上で殺気が脹らむ。慌てて見上げるとひげ面の小汚い格好をした男が、2階建てのアパートの屋上で、やはりボーガンを構えていた。
「死ねぇ!!」
 そう言ったのだろう。唇が動き、男が引き金を引くのとほぼ同時。オーフェンは手を男の方へと向けると、構成を解き放つ。
「我は流す天使の息!!」
 ごう、と音を立てて突風が吹く。その風はボーガンの矢を弾き飛ばし、屋上の男も吹き飛ばした。風でアパートの窓ガラスが数枚割れたようだが、この際無視。今度はその風で悲鳴を上げる通行人をしり目に、クリーオウを庇うように駆け出した。
(……もっと人通りの少ないところじゃねえと……こいつを守れねえ)
 ここは人通りが多過ぎる。



 揃いも揃ってガラの悪そうな三人の男――もう一人いたのだが、黒髪の男の放った魔術で完全にのびていた――は、狭い路地に駆け込み自分たちが見失った二つの影を探した。しかし、どこを見てもその影は見当たらない。あんなに目立つ二人組、見失うはずが無いとタカをくくっていた為か。一人の男が舌打ちをした。
「………どうする。完全に見失ったぞ」
「見失ったんなら、屋敷に先回りすりゃいいだろうが」
 ふん、と鼻を鳴らし、別の男が侮蔑の視線を送る。そして、あの屋敷に向かおうと踵を返したときだった。
「よぉ」
 いつの間にそこに居たのか。彼は旧知の人物に声をかけるかのように、片手をジャケットのポケットに突っ込んだまま右手を上げて、不敵な笑みを浮かべてみせた。
 黒髪に黒ずくめの、やたらと目つきの鋭い男。先程、あの憎々しい男の娘を殺そうとした時に、間に入って邪魔をしてきた――魔術士。
「なんっか面白そうな話してるな……俺も混ぜてもらえねえか?」
「部外者には遠慮してもらいたいがな」
 男の後ろでボーガンを持った男が、じり、と一歩踏み出した。仲間を倒されたせいだろうか。
 それにちらりと視線を送り、静止するように目で促がして、もう一度その黒ずくめに視線を移す。しかしあいかわらず――あげていた手はジャケットのポケットへ入れてしまっているが――彼は大して構えているとも思えない。只、馬鹿な男なのか、それとも―――
 対峙していた男が結論付けるよりも早く、別の男が声を上げた。
「……あの、エバーラスティン家のもんなのか? 坊主」
「坊主って歳でもねえぞ。俺は。それにどのエバーラスティン家を指してんのかは知らねえが、この街のか、って訊かれりゃ……まぁ関係者、ではあるな」
「ならいい」
 待ってましたと言わんばかりに、ボーガンの男が声を上げた。
「あの娘を殺してやるんだ、おれ達は。邪魔する奴も、な」
「おい、待て」
「止めんじゃねぇ。……魔術士ってのは接近戦に弱いんだろ? せいぜい天国に行けるように神サマにでも祈ってな。クソ坊主!!」
 そう言って、ひとり、男を押し退けると、一気に黒ずくめとの距離を縮める。それに続いて、もう一人の男も駆け出した。押し退けられた男は再び舌打ちをして、懐に手を差し入れ、ナイフを取り出す。パチン、と刃が飛び出してくるのを見ながら、男もまた仲間と同じように黒ずくめの方へと駆け出した。


 男の一人がこちらに向かって来る。ボーガンを構えたその男の攻撃に耐えられるよう、オーフェンは僅かに膝の力を抜き、どちらに避けるべきか男の次の行動を見極めようとした。
 突然、男がボーガンを投げ捨てた。代わりにその手に握られているのは―――
(前!!)
 それが何か見止める間もなく、オーフェンは一歩、男に向かって踏みこんでいた。自分の胸元で、銀のペンダントが揺れる。その時、自分とは一番離れた場所にいた男――が、はっとしたように声を上げた。
「おい、戻れ!! そいつは、『牙の塔』の―――!!」
 目の前にいる男がそれを聞いたのかは判らない。ただ、それとほぼ同時に、オーフェンは目の前に突き出されていたナイフを持った手を捻り、鳩尾に深々と拳を叩き込んでいた。
 ぐえ、と、決して心地良いとは思えない呻き声を上げ、男が僅かに嘔吐する。それを被らないよう、少し身体を捻り、すぐ傍へ迫っていたもう一人の男を見遣る。その男は声が聞こえたらしいが、勢い付いた体はそうすぐには止まらない。半ば勢いで突き出されてきたナイフをひょいと避け、オーフェンは男の腕をかいくぐり、右手で胸倉を掴んで体を密着させると、やはり鳩尾に今度は膝を叩き込んだ。やはり呻き声を上げ嘔吐する男を、最後の一人――ナイフを構え、距離を詰めて来てはいるが、どこか呆然とした眼でこちらを見つめている男――の方へと放る。反射的にその体を男が受け止めている隙に、オーフェンはくるりと体を反転させ、最後の一人背後へと廻り込み、その首筋に手刀を入れた。
「――――っ!」
 僅かに息を吐き出した後、白目を向いて仲間共々倒れこむ。


 ―――クリーオウが警察を伴ってそこに現れたのは、それから暫く後のことだった。



 オーフェンは困惑していた。目の前を歩いている少女からは怒りのオーラが漂っている。
 男たちを警察に引き渡してから今まで、一言も話さない。屋敷へと戻る道へと入っても、それは一向に変わらなかった。
「……クリーオウ?」
 一人でずんずんと歩いて、名前を呼んでも振り返りもしない。オーフェンは離されないように歩調を合わせながら、頭をかく。怒っているのは判るが、全く心当たりが無い。
「クリーオウ。……おい、クリーオウ」
 何度目になるのか。その呼びかけでようやくクリーオウは足を止めた。オーフェンは彼女のすぐ後ろで立ち止まると、首を傾げつつ、尋ねる。
「クリーオウ。お前、一体なんで怒って……」
「何で怒ってるのかって訊くの!?」
 そう言ってこちらを振り向いたクリーオウは―――間違いなく怒っていた。
 真っ青な夏の空を思わせるその瞳を、怒りの色に染め上げてクリーオウはオーフェンに詰め寄る。
「なんで怒ってるって、決まってるじゃない!! オーフェンが……!!」
 クリーオウはここで一度息を吸った。
「オーフェンは! どうして、自分の体を大切にしないの!? どうしてそんなに体をはるの!? そりゃあ仕事だし、仕方ないのかもしれないけど、そんなに体、張らなくたって良いじゃない!! この手だって!!」
 言うと、クリーオウは彼の左手に手を差し伸べた。―――小さな花をプリントしたハンカチを巻いている方の手を。先ほど、彼女か彼の手に(些か乱暴に)巻き付けたものだった。癒えた、とはいえ、半ば無理矢理に治したものだ。見た目では癒えていても、どうなっているか判らない。彼女はそう言って聞かなかった。
「……この手だって……! オーフェンなら、避けられたんでしょう!? わたしがいたから、オーフェン、避けなかったんでしょう!? ……わたしが、いたから!! オーフェンが怪我、したんじゃない!!」
「クリーオウ」
「わたし……わたしは! 怪我してまで守って欲しくない!! 守って欲しくないの!! 守られるだけの私でいたくないのに……!! わたしが弱いせいで、人が傷付くのはいやなのよ!!」
 血を吐くような叫び、とは、こんなものだろうか?
 オーフェンは自分の目の前で激昂している少女の事を、どこか遠い所での事を見るかのような目で見つめる。
 何かから彼女を庇ったりしたあと、彼女は必ずと言っていいほど彼に怒りと悲しみが混ざり合ったかのような、曖昧な視線を送ってきていた。
(……あれは、自分自身に対して、だったのか……?)
 そう考えれば納得がいく。最初に会った時、何故あんなに自分に敵意を丸出しだったのか。……いつだったか、自分が彼女に助けてもらった事があった。忘れていたぐらいだから、ほんの些細な事だったのだろう。礼を言うと、クリーオウは初めて彼に笑顔を見せたのだ。いつもどこか他人行儀な笑顔ばかりだったため、その笑顔がひどく眩しかったのを覚えている。
(それからだな。こいつと一緒に行動するようになったのは……つうか、なんでこんな事忘れてたんだ、俺は)
 多分、自分は彼女が心の深いところで恐れている事をしてしまったのだろう。あまりの馬鹿さ加減に頭を抱えそうになる。
 短い沈黙が流れ、再びクリーオウが口を開いた。
「……このままじゃあわたし、オーフェンの足手まといでしかないじゃない……!!」
 多分、彼女は自分が理不尽な事を言っていると判っているのだろう。膝の辺りでぎゅっと握り締められている拳が、それを物語っていた。
「…………足手まといで、いいんだよ」
 ぽろり、とそんな言葉が口をついて出た。
「いいんだよ、お前は足手まといで……じゃねえと、俺がお前の傍にいる理由が無くなっちまうだろ」
 そこまで言ってから、あれ? と、今自分の言った言葉を反芻する。そして、慌てて口を押さえた。
(ちょ……ちょっと待て!! 今、俺一体何を―――!!)
 雰囲気のせいなのか、ぽろりと漏らしてしまった本音に、オーフェンは赤くなりながら青くなるという器用な事をやってのけた。そして、未だに彼女と向き合ったままだという事に気付いて、慌てて視線を逸らす。
 その寸前、クリーオウがもともと大きな瞳を更に大きく見開いていたのが見えた。
 やばい。まずい。完全に失態だ。しばらく静止して、苦し紛れに口を開く。
「………あー…今のは…取り消しだ! 気にすんな!! 聞かなかった事にしろ!! て、いうかむしろ聞くな!!」
「イヤよ」
 あっさりとクリーオウが言い放つ。ただ、少し頬に朱をはしらせていたが。
「わたしが考えていた事、オーフェンに話したじゃない。これであいこよ、ね?」
 僅かに首をかしげ微笑を浮かべると、くるりと踵を返した。大地を踏みしめ、歩みを進める。
 今度はオーフェンがしばらく呆然として、はっと我に返った。額に手をやり、微苦笑を漏らす。
「……かなわねぇよなあ、やっぱ」
 彼は、空いてしまった彼女との距離を縮めるため、少し早めに歩を進めながら彼女の華奢な背を見つめる。その背を彩るかのように揺れる金の髪が、陽の光を浴びてきらきらと輝いた。この光を守りたい。只、そう思った。
(……誓って)
 魔術士である彼には、信じる神など居るわけも無いが、それでも、彼は誓いたかった。自分の中に留めておくにはあまりに勿体無い気がしたから。この、他人の事でも自分のことのように怒ることができる彼女の事を。いくら壁を作っても、何も無いかのように、無防備に心の中へと入ってくる、この少女を守るという事を。


「――――――――」
「……何? 何か言った?」
 クリーオウが振り返る。オーフェンはそれに微苦笑で応えると、彼女に追いつき、ぽん、とやわらかな光の上に手を置いた。
「……何でもねぇよ。早く行くぞ」
「あ! 待ってよ、オーフェン!!」
 そんな声を背に受けながら、今度は心の中で呟いた。

(俺だけが、守るさ―――ずっとな)


 まるで、誰かの零した微笑みのような風が、彼の頬を撫で、過ぎていった。

あとがき : 碧川雪輝さま
読んでくださり、ありがとうございましたー…もはやオリジナルと化しつつあるボディーガード篇でございます。……期待した方(いるのか?)すみません。今回は青でせめてみました(何)書いて思ったのは…下手に青春モノを書くもんじゃない、という事でしょうか(コラ)
そういえば、アザリーお姉様が出てきていません…てか、私の書くオークリは大抵アウトドアですね(笑)戦闘シーン、苦労するから二人とも家で大人しくしてて下さい(苦笑)
ええと…後半部分、微妙にちぐはぐなところがあるかもしれませんが、気にしないで下さい(おい)妙に青臭いオーフェンも、気にしないで下さい(待て)
それでは。短くするつもりがやはり結構長くなってしまってちょっと頭を抱えてしまったお話ですが、受け取っていただけると幸いです(汗)文章構成力が欲しい碧川でした☆
碧川雪輝さま、ありがとうございました!