それはずっと ぼくだけの秘密




  太陽に憬れた




 ぱきん、と靴が小枝を踏んだ音に我に返った。見ると、丁度良い感じに乾燥している木の枝。その端を踏んだらしい。
 脇に抱えている薪用の枝と一緒にそれを抱え上げてから、マジクはふう、と髪を掻き揚げた。頭についていたらしい枯葉がひらりと頭から落ちてくる。
(なんだって、あんな昔のこと思い出したんだろ)
 ―――年齢から言えば、昔という程前のことでもないのだけれど。
 掻き揚げた前髪をちょいと掴む。彼女と同じようで、違う金髪。譬えるなら自分の髪は黄色く染まった銀杏の色で、彼女のあの長い髪は蜂蜜の色だ。
 よいしょ、と薪を抱えなおして、再び歩き出す。
 森は色を変え始め、その根元に色付いた葉が薄く積もり始めている。ひらり、と目の前に落ちてきた黄色く染まった葉を見ながら、そういえば彼女―――クリーオウを初めて見たのがこの頃だったのだと、思い出した。


*****


 エバーラスティン家の、妹姫。
 姉のマリアベルはトトカンタでも密かに有名な、所謂美女、というやつで、その妹が下町のスクールに転入してくるというのは、生徒の中だけでなく、大人たちの中でも結構な話題になっていた。エバーラスティン家に出入りしている数人の商家の子供すら、病弱なその妹の話を、碌に聞いたことが無いと言う。誰が言い出したのかは判らないが、じゃあ妹姫とでも呼んでおくか、と面白半分の言葉が採用されて、合言葉のように言われ続けていたその言葉がぱったりと誰の口にも上らなくなったのは、彼女が編入してきたその日だった。
 今思うと情けないことだが―――同級生よりも小柄だったマジクは、逆に同級生より体格の良かったクラスメイトに小突かれるのが日課と言って良かった。その日も、ああまた服が汚れる、と割とどうでもいいことを考えながら、次の衝撃に体を硬くしたとき。
 鈍いような、硬いような妙な音と「ぎっ!」と良く判らない呻き声に、聞き覚えのない女の子の声が凛と響いた。
「ちょっとあんたそれってなんていうか卑怯なんじゃないの!!」
 疑問というより断定の口調で気持ち良いくらいにきっぱりと落とされた言葉に被って、また妙な呻き声。
 尻餅をついた状態のまま、顔を上げる。涙目になってうずくまっているクラスメイトの目の前に、自分の切りっぱなしの髪とは違う、肩甲骨辺りまである綺麗な金髪をなびかせながら腰に手をやり、胸を張って立っているのは見たことも無い女の子だった。
「そうよ!2対1なんて卑怯者のすることだわ!決闘なら同等の条件で正々堂々とするべきよ!!そんなことすら出来ないなんて人間失格って感じね!!」
 吸い込まれそうな位に蒼い瞳に、赤く見えるほどの闘志をたぎらせているその少女は、ため息が出そうなくらい、綺麗だった。
 尤も、そのクラスメイトと取っ組み合いをしたあと、「やられっぱなしでやり返さないのも不精だわ!」と、自分も思いっきり引っ叩かれたけど。
 ―――クリーオウ・エバーラスティン、というのは、そういう娘だった。


*****


 それから。マジクは自分でも不思議だが、何故かクリーオウに気に入られたらしく、何度死ぬかと思うような目にあったのか知れない。特に押し込められて何日も出してもらえなかったときはさすがに本気で死ぬかと思った。普通なら思いつかない突拍子の無いことを思いついては、マジクを実験台とばかりに使う。そういえば「戦争クラブ」なんてものを作ったのも彼女だ。
 滅茶苦茶で、周りを巻き込むだけ巻き込んで。
 その中でも本気で、言い過ぎなんてこともなく彼女の無茶の一番の被害者は自分自身だと胸を張って言える程だと言うのに。
「―――なんであんなことばっかされてて……好きだなんて思ったんだろう」
 これは誰にも言っていないことだ。クリーオウは勿論、父親にも、クラスメイトにも。そう思っていただけで、マジク自身もどうこうしようなんて気が、欠片も無かったのだから。
 クリーオウには、彼女だけの纏う空気のようなものがあって、それが多分周りの人間を惹きつけるのだと思う。
 もっとも、今ではもう、彼女に感じているのは少し違うが友情のようなものだと知っている。言うなら、憧れだった。誰にも出来ないようなことをあっさりとやってのける彼女に、憧れていた。憧れていたし、惹かれていたし、焦がれていた。そうなのだと思う。無茶な彼女に。

「……そろそろ戻ろうかな」
 誰ともなくそう呟いてから、マジクは、上から降ってくる落ち葉を見つけて肩をすくめた。



「はい、これマジクの分」
「ありがと」
 受け取った皿の中身を見て、小さく唸る。……これは一体なんだろう。
「……クリーオウ、お前、今日は何作った?」
 同じように手渡された皿の中身を見つめて、唸るようにクリーオウに尋ねたのは、オーフェンだ。
「何ってシチューだけど。見たら判るでしょ?」
「ンな、いかにもヤバそうな色したシチューがどこの世界にあるのか言ってみろっ!!」
「大丈夫よ、キノコ入れたらちょっと色が変わっちゃったけど」
 ねー、と座っている自分の膝の上に丸まっているレキと顔を見合わせながら言うクリーオウに、オーフェンはがちゃんと音を立てて皿を地面に置きながら怒鳴った。
「これのどこがちょっとだ!!」
「ちょっとじゃない。大丈夫よ、美味しいから。多分」
「その多分が信用ならねえんだよ!!」
「信用ならないってなによ!!」
 喧々囂々。終わりそうにない言葉の応酬を見つめながら、マジクはくるりと皿の中をスプーンでかき混ぜる。いろいろとありえない色のシチューは、色さえ除けば野菜にも火が通っていて、とても美味しそうに見える。その色が全てを台無しにしていたが。
 試しに中のにんじんをかじりながら少し移動して、立ち上がっている二人をこっそり見上げる。

 きっと自覚していないのだろうが多分、クリーオウはオーフェンのことが好きなのだろう……と、思う。決して短くない時間、クリーオウの傍(不本意なときもあるけど)にいて、彼女がこんな風に接する人間はいなかったと思う。そして、これもマジクの勝手な予想というか、憶測となるのだが、オーフェンも、彼女のことを好きかどうかは別として特別に、思っているのではないかと思う。もっとも師の場合、ここ二年ほどの事になるのでそんなに知っているとは言えないが。
 それでも、彼が他人に引いている一線は、クリーオウに対するそれとは随分と違うように思う、勘だけど。
 上手くいけば良い、と思う。二人には世間一般における『上手くいった』は当て嵌まらないような気がするけど、それでも二人が二人らしく、『上手くいけ』ば良い。……それに、彼女が悲しまないのならば、なんでも。

「大体お前はいつもいつも無駄なことが多過ぎるんだよ!!」
「無駄?何が無駄だって言うの?だったらオーフェンのその、無駄なところで使いまくってる無駄な力は無駄じゃないって言うの!?」
「誰が無駄だ!稼いでるんだ俺は!!」
「あのさ、クリーオウ?」
 料理の論争からワケの判らないところにまで発展してしまっている言い争いに、マジクはタイミングを見計らってクリーオウに言葉を投げる。じっと、オーフェンを睨むように見上げたまま「なに!?」と言ってきた彼女に、マジクはオーフェンの足元を指差しながら言った。
「足元。お師さま、シチューのお皿ひっくり返そうとしてるけど」
「えっ!?」
「馬鹿マジクてめ…!!」
 クリーオウとオーフェンはほぼ同時に声を上げ、オーフェンは一歩後ずさり、クリーオウはその彼の足元を見る。
「…………オーフェーン?」
「いや、これはなんつーか、なんだろうな。不思議なこともあるもんだ。っつーことでコレは不可抗りょ」
「もーあったまきた!!レキっ!!」
 叫び声と、爆音。叫び声の方はマジクを罵っていたような気がするが、よく聞こえなかった。土埃が入らないようにと風上に移動して(多分巻き込まれると思うが)、にんじんを飲み込む。シチューは見た目と真逆の味だった。多分ばたばたしていたし、急いで作ったんだろう。
「美味しいのに。勿体無い」
 爆音と、爆音と爆音。それを聞きながらマジクは少しだけ肩を竦めた。
(これくらいの嫌がらせなら、許してくれても良いよ、きっと)



 ひらり、と一枚、紅い夕陽に照らされた銀杏の葉が目の前を舞った。

碧川雪輝さま、ありがとうございました!