「へぇー。思ったより広い」
「そうか?」
 部屋をぐるりと見渡し、クリーオウは呟いた。踵を返し、戸口に立つオーフェンに向き直ると、唇の両端を持上げさせる。
 船の大きさにしてみれば、確かに此の部屋は大きな部類に当たるかも知れない。それでも、設備は最低限のものしか完備していない。長期間過ごす為に使い勝手を追求している、と言えば聞こえは良いが。どうにも手狭で窮屈な雰囲気は否めない。
 それでも広く見えるのは、恐らく、己の荷物の少なさだろう、とオーフェンは胸中で独りごちる。
 取り敢えず、他の乗客に危害を加えない存在であることを説明し、それならば私が此処で見張りましょう、とそれはそれなにこやかな笑みの船長に、よし任せたと丸投げし船内に入っての今である。それなりに騒ぎが鎮静化したとは言え、存在が存在なだけに、どうしたものかと考え倦ねいていた為、渡りに船で一安心。なのだが、擦れ違い様、彼女をきちんと紹介して下さいね、と交換条件とでもいうように告げられたのが、妙な気分を生んで仕方なかった。
 と、クリーオウは、一つ大きく頷いてから。
「うん。これなら」
「待て。まさか、此処に寝るだなんて言うんじゃないだろうな」
 自信ありげに告げようとした科白を先に口にし、半眼の眼差しを返した。
 すると、正解、ときぱりと言い、にんまりと笑顔になるクリーオウ。
「だって、わたしの部屋を急遽用意出来るわけないでしょ」
「まあ、そうだが」
 何処か歯切れの悪い言葉後に、更に大きく頷きながら。
「これなら、レキも大丈夫!」
「それこそ、待て。確実に、無理だ」
 あのサイズだぞ、と付け加え、オーフェンは、甲板で横になって居るであろう存在の方向を指差す。
 唇を僅かに窄めさせ、眉間に小さく皺を刻み込んだクリーオウは、簡素な決して大きくなど無いベッドの前に立ち。
「レキを枕にすれば、このベッドでもいけると思うんだけど」
 彼女の脳内で展開されているであろう図を、どうにか思い描いてみるのだが。無理が在り過ぎる其れに、頭を抱えたい心情に狩られる。
 ふっと短く息を吐き出させ。
「俺に外で寝ろと。つか、間違いなくベッドは潰れるぞ」
 そうかもね潰れるかも、と小声で呟いたクリーオウに、俺が外で寝る件はスルーか、と心内で突っ込みを入れるオーフェン。
 すると、クリーオウは、ぴっと人差し指を立て、さも名案とでもいう顔をし。
「レキ枕に一緒に並んで」
「寝れるか」
 長々と息を吐き出させ。
「いいから、さっさとシャワー浴びて服を着替えろ」
 ほら、と鞄からシャツとズボンを取り出し、クリーオウに渡すオーフェン。
 受け取りながらに。
「えー。オーフェンのー?」
「露骨に厭な顔をするな。心の広い俺でも、しっかり傷つくぞ」
「分かったわ。オーフェンの心が広いかどうかは、後々言及することにする」
 そそくさとシャワー室に入って行ったクリーオウを渋い顔で見送ると、扉向こうから軽快な鼻歌が聞こえてきた。
 その音の心地よさに、頬が緩む。扉に背を預けさせ、オーフェンは静かに告げる。
「やけに嬉しそうだな」
「うん。嬉しいわよ。だって、間に合わないかもって思ってたし」
 弾む声に、自然と目尻が下がるのが分かる。
「だから、すごく嬉しいの」
「………そうか」
「そうよ」
 暫くの間続いていた鼻歌は、次いで聞こえてきた水の音の最中にも変らず。掻き消されることなく、彼の耳をくすぐったのだった。

「にしても、少し癪だわ」
 シャワー室から出て来たクリーオウは、ぽつりと呟く。
 頭からタオルを被り、こちらを見上げてくる視線を受け止め。
「何がだよ」
「だって、オーフェン。わたしが来たことに、あまり驚いてないみたい」
 シャワー室で洗った自身の服をベッドの縁や椅子に掛けながら、不満の声を上げるクリーオウ。
 やはり大きかったか、と己の服を着た彼女を一瞥した後、オーフェンは、ふっと口許を緩め。
「………これでも、驚いてるぞ」
「そうなの?」
「ああ」
「そっか。うん。なら、いい」
 クリーオウが顔を傾けた拍子に、床に小さな雫がこぼれ落ちた。
「って、おい。髪、ちゃんと拭け」
 タオルごと彼女の頭を掴み、無造作に手を動かすオーフェン。その荒っぽさに、下から悲鳴が上がる。
「まだ途中だっただけよ」
 騒ぐ声をはいはいと二度返事で聞き流す最中に、ふつりと生まれたもの。
 軽い感覚。足りないような感触。
 彼女の髪の短さを改めてタオルごしに感じ、何となく手が止まった。
 突然止まった動きに、クリーオウは、双眸を瞬かせながら。
「なに?」
「いや。なんでもねえ」
 視線に、数度軽く頭を叩いて返す。
 と、クリーオウは、タオルを首に掛けてから髪を手櫛で整え、オーフェンに向き直った。
「オーフェン」
「なんだ?」
「また、よろしくしてくれる?」
 告げられた科白に、過去の記憶が思い浮かんだ。
 あれは、トトカンタを出た直後。馬車で、彼女が己に告げた科白。『じゃあ、よろしくしてくれたんだ?』
 あの時の表情も容易に思い出され、小さく笑う。
「………ああ。よろしくしてやるよ」
「これからも?」
 次いでの問いは、己が彼女に告げた科白の意を含んでのもの。
 二度目となる言葉に、違う意味を乗せて。
「これからも、だ」
 互いに笑い合い、部屋を後にした。

かずさ。さま、ありがとうございました!