仙道2

 

 
 
       「仙道内丹法」の基礎づくりをします

 
 
 

 

この仙道内丹法の功法は4つの段階に分かれています。第1段階の築基入手工夫は道術
と呼ばれ,基礎づくりを行います。
 
 
  1)煉己築基

 内丹の築基(基礎をつくる)段階では、人体の生理機能の衰えを補足し、同時に任
脈・督脈と三関の経路をとりあえず通じさせ、気や熱が体全体を通るまでにして丹を煉
り薬を運ぶ準備をします。病気治療や健身のための気功療法もすべて築基入手工夫に属
します。今日医療に用いられる気功のほとんどが内丹の築基段階の道術が変化したもの
です。気」を導き循環させるだけで、玄関も開かず、薬物・火候・鼎器もないのであ
る。

内丹法の築基段階は、まず部屋に入って静かに座ります。身体を調え、心を調え、念を
止めて竅(特定のつぼ)に意識をかけ、リラックスして、静かで自然であるようにし、
心と呼吸が助け合うようにします。

 
 

 内丹法の第二段階の「初関仙術」は「精」を煉ることであり、人間の性機能を煉るこ
とからはじめます。だから築基段階ではまず精を補い、性機能が健全であるようにしま
す。「精」は内丹功の土台であり、「精」を保ち腎(腎臓ではなく精に関わる器官)を
固めることは最も重要なことです。

その方法は、舌の先を上顎の天池穴に付け、唾液が生じるのを促し、唾液で精を補いま
す。精が枯れ陽が萎えてしまった老年の人にはこの方法は無理なので、性功の入静を用
いて命功が動き出すのを待つ方法を用いて真陽を喚起します。まり静が篤くなると

真陽を芽生えさせて「玄関一竅」が開くと、丹功の仙術を行うことができます。精を補
い精を生じる「陰気」という竅(特定のつぼ)は、非常に重要。この竅は会陰のことで
ある。「陰気」のつぼは上は天頂に通じ、下は湧泉に達している重要なつぼなのです。

真陽が生じる時に、この穴の経過に従って薬を生じ薬を採ると、腎機能と内分泌の作用
を調節することができます。内丹家は精が人間の生命の本であると考えています。バイ
タリティーにあふれているかどうかということは、生理的には性機能が健全であるかど
うかということです。青春を取り戻し、老いた者を若返らせ、白髪を黒色にもどし、歯
は落ちて生えかわる、これが内丹学の追求する目的です。

 「精」「気」「神」の三つは人間の生命を維持する「三宝」であり、築基の修練はこ
の三宝を補足することです。精が満ち、気が足り、神が旺盛であるようにして、その3
つが完全であるようにするのです。「精」が満ちていることは歯に現れ、「気」が足り
ていることは声に現れ、「神」が旺盛であることは眼に現れます。築基が完成すると、
歯は健全で、声はよく通り、目には光があるようになります。これは生命力が旺盛であ
る証拠であり、内丹を修練できるようになったという証拠です。

 


 煉己

 まず第一段階は「煉己」。つまり、煉己は心性に対する修練のこと。修行者は部屋に
入ると、外的には目と耳を閉ざし、内的には何も考えず、怒りを戒め欲を防ぐようにし
ます。一切の雑念を消し、識神(知性・理性)を退かせると、元神が再び現れ、本来は
何の兆しもない「真意」といわれる状態が回復します。

仙道の一派・北派では性を煉ることを第一に置き、築基の最初に修練しますなぜなら
「心」が清浄であり常に落ち着いていることが、今後の各段階の修練を深めていく時に
大変に重要な要素となるからです。心が安定し,清浄であると今後の行はどんどん進み
深まっていきます。

実際には、心を煉ることは終始一貫して重要な修練です。仙道修行で生まれつき「上等
根器」といわれる感情に左右されない人は、はじめから己を煉って虚に還ります。虚で
あれば優れた働きがあるので、急速に進む方法に徹して、直ぐに「無為」という最高の
境地に入れるのです。しかし、私情に左右される多くの人はゆっくり進む方法を用いな
ければなりません。まず怒りを懲らしめ欲を塞ぐことから始め、心を練って怒りを懲ら
しめたり欲を塞いだりする必要がないようにします。やがて、懲らしめたり塞いだりす
る念を忘れるようになると、煉己は達成します。

 煉己の目標は虚に帰ることです。虚というのは、純から静に変わり、静から影も形も
ないものに変わり、頭の中に思考のない状態が現れることです。この時、虚霊である
「元神」がはっきりと静かに意識されます。

 
2)煉精化気(小周天法)

 第二段階は「煉精化気」。つまり体内にある「精」を練って「キ」に換える修法で
す。「精」というのは,簡単に言えば生命力。「精力」の精はその一部です。そしてこ
の場合の「キ」というのは,本当は「気」とは別の字をあてますが、外気から取り入れ
た「気」を練って別の「キ」に変換したものです。

宇宙に普遍的な「光」を体内に取り入れて内気とし、生命活動の原動力とする行法がこ
の第二段階の「煉精化気(キ)」です。「気」ははじめ「光」であり気体のような形の
あにものですが,これを体内に取り入れ練っていけば「キ」となり、はじめ液体の形を
とります。正確には「気体」と「液体」の交じり合った状態。

この第二段階の初関仙術は別にいえば「小周天」の修法。「小周天」」は、「泥丸」
(脳)を鼎(かなえ・鍋)とし、下丹田を「炉」(熱源)として「「精」を煉って気
(キ)に変える丹法です。

この段階では「元精」が薬物で、「気」が動力、「神」が主宰者となります。最終的に
は精と気を煉り丹を生み出すもととなる気に変えます。内丹法を目指す者は「仙に成
る」ために、元精を引き止め(精を放出せず)、精を煉って気(キ)に変え、小周天の
功法を行って「精」を戻し「脳」を補います。
 



  調薬

 「精」の元である陽物が動こうとする時、武火(武息)を用いて、後天の呼吸を先天
の穴と結び付け、正念を気の動く場所に深く入れます。生じた精を丹田穴に入れ、神と
気を交わらせて一つに集め、そのすぐ後、再び文火(文息)を用いて温養し、呼吸する
ことも意念をかけることも忘れ、さりげなく意識していると、やがて薬が生じます。

 思ってもいないのに生殖器が動く時がチャンス到来。この時、「一陽」が初めて動
き、目の前に光が現れ(陽光一現)、元気が生成します。これを産薬と言いますが、
「小周天」で生じる薬は「小薬」と呼ばれます。小薬が生じる時、身体の周囲が融和し
たように感じ、手足はむずがゆく、心はぼんやりして酔ったようなほうけたような感じ
になります。また、陽物(生殖器)が勃起し、精が生じて気が動き、「任脈」と「督
脈」が自然と開きます。この時、急いで「採、封、煉、止」の「採薬」の法を行わなけ
ればなりません。

 
 

  採薬

 「小薬」が生成する状態が現れたら、驚いたり恐れたりしないで、時を待って薬を採
ります。固くもなく軟らかくもない、一塊の暖気が形成されたという感覚が生じます
と、元気がすでに満ちあふれ、薬が生じる時であることがわかります。時期を捕らえた
ら、速やかに武火(武息)を起こし、意識して呼吸し、「神」を凝らして(精神集中し
て)気と一つにして薬を炉(下丹田)に投入します。

 火を起こして小薬を下丹田に投入した後、炉(下丹田)の中で文火(文息)で温養し
「神」をかけて気を固定させます。

 


  煉薬

 小周天を充分に修め、「小薬」が生じたならこの「小薬」を採って下丹田に投入しま
す。その後、速やかに火を起こし、文火を武火にして柔らかな意念から強い意念に変え
ます。こうして火加減を強めて「小薬」を煮詰めて煉り、「精」を気(キ)に変えま
す。こうすることによって「精」が外に漏れるという患いを絶ってしまい、武火(武
息)のあと再び文火(文息)を行います。柔らかい意念にもどし、心と呼吸を助け合わ
せて丹田を常に温めます。火候(火加減)が十分に足り、真気が充満して散らなくなり
ますと、関が開く時。

この時丹田は発熱し、熱が極まると小薬は動き始めます。気が足りていると関に突き当
たるようになるので、小薬を急いで吸い取り、会陰から尾閭に引き入れます。つぎに小
薬を身体の後を走る「督脈」に沿って三関を通り真っすぐ頭のてっぺんの「泥丸」に上
げます。泥丸で少し停めた後,今度は身体の前面を走る「任脈」を通って下降し「丹
田」に戻します。

一度気が動き出したら、薬を採って督脈・任脈をまわし一周天を煉り終わらなければな
りません。動いてまた動き、煉ってまた煉って、回してまた回すようにします。何度も
何度もこの小周天を繰り返してうまい具合に修練が進むと、一回の吸気で「神」と
「気」が天頂に上がり、一回の呼気で神と気が丹田に戻せるようになります。さらに進
むと呼吸のたびに一回循環するようになります。こうなるとしめたもので、小周天の行
に入ったとたんに、「神」は「気」の動きに付き従って「任脈」と「督脈」の2つの脈
に沿って止むことなく巡るようになります。逆にいえば、そういう状態になるまで集中
して「神」を習慣づけることが必要なのです。

このようにしておよそ百日の間修練を重ね、さらにその上に「瞬間小周天」することが
三百周天以上に達すると、「精」は「気」に変わってしまってもう「精」が漏れなくな
り、淫根(生殖器)は動かなくなるります。こうして「漏尽通」といわれる「精」を決
して漏らさない状態が完成します。
 



  止火

 「小周天」をうまい具合に三百回回すと、生殖器が畏縮して勃起しなくなり(馬陰藏
相)、定(瞑想)に入ると、眉間に水銀のような一筋の白い光が現れます(陽光二
現)。これは火加減が足りていることを示しています。火が足りて丹が熟し、もし丹を
傷つけるようなら火を加減し、すぐに火を止めなければなりません。きっちり三百回回
しても、陽光二現が現れないようなら、さらに続けて煉ります。もし小周天を三百六十
回回してもまだ陽光が現れないようなら、定に入っても火を止めて待つようにします。
三百六十回も回していないのに陽光が現れるようなら、陽光の現れることを基準にしま
す。こうして第二段階の「煉精化気」の段階が完成すると火を止める合図となる状態が
現れ、この時すでに三百回以上の元気(外薬)が下丹田に蓄えられています。火を止め
た後、神(精神集中して)を丹田に入れ、蓄えた薬と一つにして、内薬が生じることを
促します。

 

 
  3)「煉気化神」(大周天法)

 

 第三段階は「煉気化神」。文字通り「気」(キ)を練って「神」に換える行。精を煉
って気に変える「小周天」の丹功が完成すると、「入環」という過渡の段階を経て、気
を煉って神に変える大周天の丹法へと入っていきます。「小周天」ではいかに「精」を
漏らさないかということが大切であり、内部の「精」を煉功して、これを「気」(キ)
に換える修法を繰返し行いました。

「仙道」で大切なことは、この「繰返し」です。最初に「気感」すらなかったものが,
繰返し何度も行うことによって「気感」が明確になり、「呼吸法」で強弱を使い分け,
繰返し意念を「下丹田」にかけることで、そこに「気」を生じます。さらにそれを繰返
し、督脈・任脈にいれて周回することにより「小周天」が達成されます。その期間は約
300日とされていますが、これはひとつの目安です。

「小周天」が達成され、「小薬」をさらに300回、督脈・任脈に通しますと「大薬」
が発生します。

「大周天」では「気」(液体状のキ)を漏らさないことに注意します。「気」(キ)は
「精」よりさらに漏れやすいので、大周天では「気」(キ)が散じていま一息のところ
で失敗する危険もあります。「大周天」の時には人体の「精」と「気」はすべて「キ」
(気)に変わってしまっているので、あとは「神」と「キ」(気)の二つの成分が残っ
ているだけです。

「大周天」ではもう督脈・任脈のルートを循環させず、「中丹田」と「下丹田」の間だ
けで運転し、「神」と「キ」(気)を煉って「神」にまとめてしまいます。これが「二
が一に帰る」といわれる中関仙術。実際は、中関は「煉薬」を一歩進めたやり方で、
「神」と「キ」(気)を凝結させ、有為から無為へ移行します。
 



  採丹

 「大薬」は「丹母」と呼ばれますが、「採丹」というのは、この「大薬」を採るこ
と。「大薬」が発生して七日間の修練が必要ですが、この期間に「大薬」の採集を行い
ます。

 熱が発生しているのを止めたあと、会陰から丹田に昇る「キ」(気)があって内薬が
生じます。この「内薬」と「外薬」を凝結させると「大薬」ができます。

 この時、瞑想していると眉間に電光のような光が突然現れ、部屋に白い光が立ち込め
ます。これが「陽光三現」といわれる現象。これは体内の真陽が完全に集まり、丹田内
に「大薬」が生じたことを示しています。また「大薬」が生じる時には「六根震動」(*
3)という状態も現れます。こうなったら、「神」を凝らし(意識をかけて)瞑想に入
り、日夜目で内視することによって中丹田に意識をかけなければなりません。こうして
すこしずつ「無為」の修練に入っていきます。

「大薬」は気体と液体の混ざったエーテル体のようなもので、どろっとしており、肛門
や鼻腔から漏れてしまう可能性があります。そのため 「大薬」を採る前には、「漏ら
さない」ように準備しておきます。まず「饅頭」のような形の木座を準備し上を綿の布
で覆います。これによって「肛門」を支えて大薬を通す。また鼻でおこなっていた呼吸
が内呼吸に変わるので、木のクリップで鼻孔をはさみ、内気が鼻腔から外へ排泄する危
険を防止します。

 生じる時には「大薬」は非常に活発で、心臓の方へ勢いよく駆け上がったり、前へ行
って陽関(生殖器)に触れたり、後ろへ行って尾閭に突き当たったたりします。結局
「大薬」は後ろへ行きますが、尾閭に阻まれて通れなければ、肛門から外の方へ逃げ去
ってしまいます。この時、肛門を外から木座でしっかり支え、肛門から「大薬」を出さ
ないようにするとともに、内には「大薬」を吸い上げるような気持ちで尾閭を越え、督
脈に吸い上げます。

「大薬」を軽く軽く引き上げ、羊が引く車のように尾閭を通過し、夾脊関(背中の窪
み)に至ります。「大薬」が夾脊関で阻まれて動かない時には無理に意念で引っ張らな
いで、「大薬」がまた自然に動く時を待ち、微かに意念をかけて軽く引っ張り、鹿が引
く車のように軽快に夾脊関を突き抜けて通り過ぎ、玉沈関(首のつけ根)まで昇ってい
きます。大薬は玉沈関でまた阻まれて動かなくなると、また牛が引く車 のようにゆっ
くりと「大薬」が自然と動いて大きな力で玉沈関を衝き開くのを待ちます。

玉沈関を過ぎるますと、直ぐに頭の脳の中を貫くので、再び引っ張って印堂(眉間)ま
で下ろします。「大薬」は印堂で阻まれて通らなくなると、鼻腔から容易に外に排泄さ
れます。この時木で鼻孔を挟んで閉じ、舌を上顎につけ、大薬を下に引っ張ります。や
がて大薬は気管を過ぎ、中丹田を通って下丹田まで降りてきます。

この第三段階の「中関仙術」では必ず「鼎」をこれまであった「泥丸」から「黄庭」
(へその上)に移し、中丹田と下丹田を合わせて一つの虚空の大境界にします。「大
薬」を採って服みこんだあと「大薬」は「黄庭」の中に入れ、目の光を使って常に意識
をかけ、「神」と一つにして煉ります。このようにして「神」と「キ」(気)が溶け合
って一つに固まったものを聖胎といいます。
 



  養胎

 「聖胎」は嬰児とも呼ばれるが、実際に形や質を備えた物ではなく、「神」と「キ」
(気)が凝結した物に対する比喩にすぎません。この段階では、まず「神」を「キ」
(気)に入れ、それから「神」を「キ」(気)で包み、十カ月の間神が気と一つにして
安定させます。これは、ちょうど神と気が交わり子宮に胎児を生み育てているようなの
で、「養胎」に例えられます。

大周天は督脈・任脈を回さず、ただ二気を黄庭と丹田の間に充満させるだけです。その
火候は爻の表象で計らないが昼も夜も中断することなく、常に落ち着き(意念は無きご
とく)常に覚醒し(きちんとした行動をとる)、心や考えを洗い、綿密に静かに意識を
かけ落ち着かせることで、「元神」は発育・成長していきます。十カ月の間に、微かに
動いていた気は動かなくなりすべて「神」に変わってしまいます。これまで目で見るこ
とによって意識をかけていたのを、意識しないようになり、火加減においても意が触れ
ないようにし、元神の落ち着きに影響しないようにします。「大周天」の修練自体は、
実際には入定功夫(神を落ち着かせる修練)です。

 「大周天」の入定功夫(瞑想)の目的は「陽神」を煉ることであり、その丹法は「抽
鉛添汞」(つまり「外丹法」で鉛を抽出し水銀を添加するように、丹を練ります)とい
われます。

「キ」(気)が動き「神」が散ることが陰であり、「気」が落ち着いて「神」が純であ
ることが陽であると考えられています。だから気が落ち着くということは、陰が消え、
陽が増えることです。二気が完全になると、もうろうとしたものはなくなり、虚霊[虚
の働き]の「陽神」だけが残ります。そして、純粋に陽に満ちた「胎」が完成するので
す。

1カ月目は二気はまだ活動していて昇ったり降りたりします。2カ月目には気は微かに
動いています。3カ月目以降は気は中丹田と下丹田だけで微かに動くだけ。4〜5カ月
目にはもう動かなくなり、陰は減り陽が増えていきます。6〜7カ月目には修練は安定
して熟し、気は神に変化します。8〜10カ月後になると、長い間静かに意識をかけて
いたので、性功は完成し、「神」は完全になります。これ以降は方法を変えて胎を上丹
田に移し、上関に入っていかなければなりません。

第三段階の中関仙術の養胎段階では丹功が進むに従って次のような効果が現れます。
 



 (1) 辟穀現象

 およそ3カ月が過ぎると、神と気は落ち着き、人体に元気が満ちあふれます。そし
て、飢餓感が消え、食事を取らなくなります。もともと食糧は後天に属する物なので食
糧を食べることは陰。だから体内の陰が消えると食べることを考えなくなるのです。辟
穀現象が早く現れるか遅く現れるかは人によって異なります。これは定力[落ち着く能
力]と関係しており、辟穀が早く現れるということは定[落ち着くこと、安定するこ
と]を得るのが早いということであり、そのあと定を出るのも早い。辟穀は定に入った
効果であって、無理に求めるものではありません。 自然にまかせあまり、いろいろ考
えないほうがいいでしょう。

 (2) 昏睡することがなくなる

 およそ6〜7カ月が過ぎ、定の修練に熟達すると、「元神」が胎の主となります。こ
の時には意識がぼんやりすることがなくなり、睡眠をとる必要がなくなります。意識が
ぼんやりとしていることは陰に片寄ることであり、陽神が旺盛であると昏睡することが
なくなるのです。

 (3) 胎息脈住

 「養胎」が8〜9カ月目になると、「キ」(気)はすべて「神」に変わり、脈[経
絡]は止まり、体で呼吸するようになります。この時、すべての経絡はあるのかないの
かわからないほど和やかになり、口や鼻では呼吸しなくなります。これは母親の子宮の
中にいた時と同じような状態。

 (4) 六通の験

 養胎がうまくいって10カ月目になると、身体は純陽になり、「神」は非常に安定し
ます。「神」が安定しているとさまざまな知恵や能力が生じ、いわゆる「六通の験」が
現れます。
 



まず小周天の功法の時に達成する「漏尽通」は、再び童真の体に返ること。「精」が再
び洩れなくなります。「天眼通」は天地の間のすべての事物を見ることができる能力。
「天耳通」は十方の話を聞くことができる能力。「宿命通」は世の中の出来事の因果を
知ることができる能力です。「他心通」は他人の考えを知ることができ、「神境通」は
よく行ったり来たりして、秘密を見抜くことができます。

この「六通」は、実際には、修練していく過程で開発される人体の潜在能力がほとんど
です。その中の千里眼、透視、超聴覚、予知、テレパシーの類は実験されすでに報道さ
れています。しかし、内丹家の潜在能力に対する姿勢は他とは違い、彼らはこうした潜
在能力の顕現を「煉丹」の過程で必然的に現れる効果であると考え、喜んだり恐れたり
しないで、ひたすら内丹を煉り、完成することを最終目的として人体の実験を続けま
す。

ただし「神境通」に対しては、このような識神の知力の開発が逆に元神を覆い隠してし
まうことを危惧して、特に気をつけます。仙道書にも「神境という通は識神が事を行う
のである。もし心君を保ち支えることができなかったら、識神が転ずるところとなる…
…ただ聡明にして行い、識を転じて智と成さなければならず、そうして始めて胎が完全
になるという結果を得るのである」と書かれています。

 そのほか、大周天の定に入ると多くの幻覚が現れる。丹家はこれを外景あるいは魔と
呼んでいます。これには六欲魔・七情魔・富魔・貴魔・恩愛魔・災難魔・刀兵魔・聖賢
魔・楽魔・色魔があるが、実際はすべて現実の社会の中で常に沸き起こる世俗的な想念
であり、内丹家は、定(瞑想)に入ったら、魔にかかわりあったり応じたりしないでそ
れを見るようにし、すべて正念によって取り去ります。10カ月目に陰が消えて陽だけ
になると、「神」は完全に安定し、呼吸は胎児と同じになり、経絡は静止し、魔も自然
に消えてしまいます。こうなれば、「神」を煉って「虚」に戻るという次の「上関仙
術」に進みます。

 
 

 (4)煉神還虚

 「内丹学」では道は虚無であると考え、虚を「〇」で表します。宇宙の中では「〇」
だけがいつまでも壊れることなく存在し続けるというのです。「神」が「虚無」に帰る
と、俗に「三が二に帰り、二が一に帰り、一が〇」に還るといわれる内丹法の過程すべ
てが完了します。つまり「気」と「精」と「神」の三つを練って「キ」(気)と「神}
の二つにする「煉精化気」。「キ」(気)と「神」の二つを練って「神」にしてしまう
「煉気化神」が完成するのです。

第四段階の「煉神還虚」は丹功の最高の段階であり、性功(瞑想)に専念して約9年か
かります。最初の3年は「陽神」に乳を飲ませ、あとの6年には「神」を外へ出しま
す。
 



 出胎

 「煉気化神」の功が完成すると、静かに意識をかけている「神」だけが残ります。元
神は長時間中丹田や下丹田に留まることができないので、まず方法を変えて「神」を上
丹田(脳の中の泥丸)に移します。

そのあと上丹田で「陽神」に静かに意識をかけ、虚霊[虚の働き]に溶け込ませて「陽
神」を養います。これは乳哺と呼ばれますが、これは陽神がまだ安定していないから幼
い嬰児には乳を飲ませてやらなければならないという考え方です。乳哺の基本丹法は定
に入ること。つまり「瞑想」すること。定に入って「神」を煉ればますます洗練され、
「性」(定)を理解できるようになると言われています。定に入るのが長ければ長いほ
ど、定の力は大きくなり、「陽神」は健全になり、「神通力」も大きくなります。

 「陽神」の乳哺を続け、六通が完全になりますと、性は虚無と一つになります。この
時定に入っていると、突然目の前に雪や花の粉のようなものが飛ぶのが見え、天から花
が降り注ぐ光景が現れます。

この時「脳門」は自然と開くので、胎を外へ出します。脳門はもともと嬰児の時には開
いていたものです。この時頭のてっぺんの骨のつなぎ目が嬰児のように開き、金色の光
が四方に放たれ、香気が部屋に充満し、「陽神」は自然と泥丸から抜け出ます。もし適
切な時に胎を出さなかったら、長い間形にとらわれていた神は、解脱し虚霊に戻ること
ができず、落ち着きを失って頻繁に動き、危険な状態になります。

場合によれば急死することもあり、仮に道士の場合の「尸解」(急死)や和尚の場合の
坐化(急死)のような「急死」がなかったとしても、神は身体に制限され無知で愚かな
ままで、結局は「天地と寿を同じくする一愚夫」で終わってしまいます。陽神は人間の
精神の最高のエッセンスであり、虚を極め霊を極め形もなく質もありません。

 神を調え身体から出すと三年乳哺の功は完成し、続いて六年温養の功を行います。こ
の時には修行者の身体の周囲2〜3尺ぐらいに金色の光が現れます。これは元神(法
身)を温め養う乳液です。その方法は、まず法身(聖胎の変化したもの)を光の前に近
づけ、それから念を集中して法身の内に光を取り入れる。その後、法身を身体の中に戻
す。虚空が法身の抜け出す場所であり、泥丸が法身を守り養う場所です。

最初の間は、陽神が出て行ったまま戻れなくなり本性を見失うことを防ぐために、出し
たら短時間ですぐに戻し、「養うことを多くし出すことを少なく」しなければなりませ
ん。はじめのうちは少し出してすぐに戻し、遠くに出さず近くに出し、時間は短くする
べきで長くしてはいけません。それから、遠くまで出して戻すようにします。徐々に遠
くまで出すようにすると、陽神は次第に経験を積み、次第に出て行くことに熟練するよ
うになります。

 陽神が殻(身体)を出た後も幻覚が現れることがあるが、これに引かれて誘われると
陽神は戻れなくなります。これはもともと煉己(基礎の性功)が不十分であったため
に、陰神が外であちこち動いて作り出したものです。こういう場合にはやむをえないの
で、「煉虚」という1段階を修練し、煉心の不足を補います。

これはさらに定の修練によって神を煉る行です。神をどんどん煉ってさらに優れたもの
にし、「道」(タオ)の境地へ入っていきます。こうなったら、陽神を放つと地に達し
天に通じ、千変万化し、山を移し海を超え、神通は広大になります。また、法身を分け
て多くの分身をつくることもできます。これは「身外有身」と呼ばれます。
 



  還虚

 最後の行法「還虚合道」は、内丹学の最後の修練です。これは、陽神を再び身体の中
に戻して祖竅(丹田)の中に入れ、それをどんどん煉っていく。神を煉って虚に戻し、
さらに虚無に処するようにこれを煉ります。陽神は煉れば煉るほど優れたものとなりま
す。どんどん煉っていくと陽神の慧光の中に神火が現れて身体の百竅(つぼ)を貫通
し、陽焔が天空に勢いよく上がり、頭のてっぺんも足も突き抜けていきます。

色身(身体)を煉って法身(陽神)の中に溶け込ませ、神光で全面的に照らします。最
後には神火が全身に及び身体は崩れ散り、粉砕して有でも無でもなく、形も跡もない先
天の祖気となり、〇に戻ります。そして、「虚に還り道と合する」のである。この最後
の一歩を「虚空粉砕」といい、これが完成すれば集まれば形を成し散ずれば気となる仙
人の本質を理解できるといわれます。

 内丹の修練の全過程は道教哲学の宇宙生成論と内丹学の原理がよりどころになってい
ます。神を煉り虚に戻るということは、神が神を煉ることではありません。道法を修め
ているとか神仙を目指しているとか考えずに、形も神も忘れ、無極に帰り、空無に還
り、天地と一つになり、宇宙と体を同じくし、後天と先天が一つになった境地に到達す
ることが最終的な姿なのです。

内丹学では、宇宙の自然の根源は道であり、道はすなわち虚無で、宇宙の中で唯一永遠
に存在する〇であると考えられています。内丹学は人間と道が一つになることを追求す
るが、「長生成仙」という概念も実は虚無の概念の一つです。俗人は現実の社会の中で
名声や利益や権力を求めるのと同じように内丹を煉ることを「長生成仙」の方法である
と考えているようだが、これは道教の内丹学の理論とは全く正反対です。仙道書には、
「丹を煉ることは、何かをすることではない。何もしないことを煉丹と言うのである。
人間は、何もしなければ、心が清まって無我の境地に入れるのに、どうして丹を煉る必
要があるだろうか。丹というものは、煉る必要のないものが、煉るのによい丹である」
と書かれています。また次のようにも説かれている。「そもそも無上の道は、もとは道
ではなく、無上の丹は、もとは丹ではなく、形状に執着してこれを求めることは、道か
ら遠く離れることである」。



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