「 ただ乗り事件 」
以下本文ですが、内容紹介のテキスト文なので、画像が正しい位置に入りません。PDFでご覧いただければ幸いです。
小学4年生の時、晃は子供たちの間で一応顔役になっていた。
当時の楽しみは、今日はあそこの家の無花果、明日はこっちの家の甘柿と、大人の目を盗んでは果物狩り。みんなの腹を満たすのがガキ大将の条件だった。わざと見つかって、追い駆けられながら家人の目を引きつける役、本格的に収穫する役と、作戦を立てると見事に図にあたった。
サルビアの花の蜜などは、ご馳走で有った。カタバミの実も食べた。ちょっと酸っぱい味がおつだった。
そんな暑い夏、池袋に世界初流れるプールが出来た。大盛況であった。
当然のように「みんなで池袋マンモスプールヘ行こう」と言うことに成る。勿論子供たちだけなど、学校が許すわけも無い。しかし、晃ちゃんは大人たちに絶大な信用が有った。
「池袋までの電車賃が往復20円、プール代が450円、貸しロッカーは100円だが5人で一緒に使うから20円、一人500円でお釣りが来る。」と細かい数字を突きつけられ、「晃ちゃんが一緒なら」としぶしぶ許してくれた。とは言っても、当時の大人は自分で面倒見られるほど暇ではなかったせいかも知れない。結構すんなり許可が出た。
マンモスプールは当時はやりの流れるプール、悪仲間でワイワイと楽しくないわけも無い。へとへとになるまで大賑わい。「さあ帰ろう」と言う段になって、みんなお腹ぺこぺこ。持っているお金は残り20円。
駅までの道すがら「一杯20円ラーメン」の印旗。「帰りの電車賃がなくなるけど…」が、誰かが言い出した。「何とか成るでしょう」それは、・・・・・・・
池袋から中板橋まで大人20円、子供10円であったが、大人と一緒の未就学児童はただだった。何とか池袋の改札口を入れれば、降りる事は何とかなるのである。中板橋の駅は改札がホームの東の外れにある誇線橋を渡った外側にあり、西の端から柵を越えて、何度も無賃乗車をした覚えがあった。
総勢20人、どう考えても無理だ。しかし、腹から出るよだれと相談したら、無理が通って道理が引っ込んだ。
そのラーメンの美味かったこと。五臓六厨に染み渡るとはこのことだった。
さて、ようようと駅についたがここでひと問題。 3・4年生は無賃乗車などお手の物だが、2年生が2人一度もやった事がないと言って泣き出した。
「お前達は小さいから、よその大人の子供のフリをして背広の後ろにつかまっているような格好をすれば必ず通れるよ」と教えた。が、何となく不安だ。 自分達だけが先に行って、チビが残ったら大変なので、まず一番先に行かせた。これが最悪。
堂々とやれば一番安全パイの二人がびくびくして、隠れたはずの大人に振り返られ何か聞かれ始めた。あわてて飛び出し、「どこ行っていたんだ。弟です、おじさん有難う」と連れ戻したが、衆人の目を集めてしまった。
流石にもう一度やり直すわけには行かない。池袋から4.5qの道のりを歩いて帰る事になった。日も落ちて暗くなった川越街道を、とぼとぼと歩いた。折悪しく雨まで降ってきた。
中板橋に着いた時は、すっかり真っ暗。休は冷え切ってしまった。それでも、一軒一軒の家に、「ロッカー代が足りず、無理して雨の中を歩かせてしまった。御免なさい。」と謝って廻った。本当の理由など話せるわけも無く、ボロボロに成った。
翌日は風邪をこじらせて高熱、とうとう学校を休んでしまった。ところが、このことが逆に大人たちの信用を買うことになったのだから驚きだ。冷や汗三斗、今ここで話せてホッとしていると言う心境だろう。
……
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