「 数学に目覚める 」


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以下本文ですが、内容紹介のテキスト文なので、画像が正しい位置に入りません。PDFでご覧いただければ幸いです。

 5年生の時、それまで誰にも負けたことの無い算数で、熊先生が勝てないライバルが現われた。中嶋君と言う生徒が転校してきたのだ。お父さんが郵政省の関係で転勤が多く、ここでもう3度目だと言う。
 何とかして、早く慣れさせようと、遊びに行って驚いた、自分専用の学習机があり、自分の部屋があるのだ、顔も愛敬があり、女子には特にもてた。「僕カッパちゃんです。」と人形劇のキャラクターの真似をするのが得意で、心配することも無く、あっと言う間にクラスに溶け込んだ。
 ビー球やメンコに誘っても、決して強くないが、適当に参加して時間だからと帰っていく。
 当時はまだ珍しい塾に通っていたらしい。
 学カテストの返却の日だ。守ってやらなければならない相手はいつしか強烈なライバルになっていた。といっても向うは何とも感じては居ないだろう。それが余計に歯がゆくて、彼の一挙手一役足が気になった。
 気にはなったが、実力の差は如何ともし難く、5年生の間はとうとう一度もテストで勝つことはなかった。
 6年生に進級して、ようやく彼の実力を素直に評価できるようになった時、こんな事が起こった。
 その日は宿題でみんなに当たっていた問題を発表する時間だった。例によって、宿題をやって来ていない仲間達が熊先生に相談してきた、仲間の柴田君の問題だけは、どうやってもアイデアが浮かばない。迷いに迷って中嶋君に相談した。「それは難しくってわかんないよ」との答えだ。「やっぱりそうか」
 中嶋でも無理なら、柴田に出来なくって当然だ。「出来ませんでした。」と言えばいいと言うのが、彼の出した結論だった。
 当然のように、柴田君は島田先生にゲンコツを喰らった。「誰か出来る者はいるか?」と先生が言うと、驚いた事に、中嶋が手を上げスラスラと答えた。先生が満面の笑みを浮かべて、彼の頭をなでた。何が侮しいのか分からないが、こらえてもこらえても涙があふれてきた。
 熊先生が泣き虫になったのはこの時からかも知れない。2学期に再び中嶋君が転校することになり、一生彼には勝てないことになった。
 授業中、判らなくて困っている者に教えていると、おしゃべりが多いと言われ、評価を下げられた。貧乏人の子はノートを取らないからと言って叱られた。そんな時代であった。
  「弱いもの同士助け合わなければ生きていけない時代に、大人はいざ知らず、子供同士が助け合わなければ、どこに正義があるのか。」そんな大それた言葉が頭の中を渦巻いた。
 先生をはじめとする大人は、みなずるく正義を託するに値しない、正義感を持ったままの子供が大人になり、世の中を変えないことには、みなが幸せになることは有り得ないのだと、心に芽生えた日々であった
。  晃ちゃんの英雄はネズミ小僧・怪盗ルパンであった。
 子供が立ち上がると言うことは、そういう事だろう。

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コンコンチュウチュウの似顔絵

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