「 カラス喰った話 」


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以下本文ですが、内容紹介のテキスト文なので、画像が正しい位置に入りません。PDFでご覧いただければ幸いです。

 塩田君の収入源は他にもある。それは伝書鳩だ。
 みなさんは、鳩の習性として帰巣本能と言うのがあることをご存知であろう。
 この本能を利用して鳩レースと言うのが、各地で開催される。優秀な鳩は何百キロも離れた所から家に帰ってくるのである。この能力は遺伝によって大きく左右されると言うことで、由緒正しい血統書付きの鳩は、昭和40年ごろでさえ20万円30万円と言う鳩はざらにいた。
 塩田君自身、鳩を600羽も飼っていた。この600羽の鳩が、自らの餌代どころか、時には小遣いを生み出すのだ。と言っても、レースに参加して賞金を稼ぐほど優秀な鳩を持っているわけではない。
 とにかくとても大事に育てている、毎日の散歩?(散飛)もかかさないし、特に、呼び戻す時はピーッと指笛を鳴らし、同時に大量の餌を撒く。 600羽の鳩が餌を求めて一斉に屋根に舞い降りる姿は圧巻である。
    実はこれが金儲けのための大事な訓練であった。
 鳩には、帰巣本能の他にも、リーダーを中心に集団で飛ぶと言う本能がある。各地で行われる鳩レースの多くは東京がゴールであり、またそうでなくとも、長距離のレースの場合、海上を飛ぶほどの羽力もないので、多くの鳩は、東京上空を通過するし、かなり疲れているのである.  塩田君は素晴らしい目をしていて、一羽で飛んでいるはぐれ鳩の飛び方で、レース鳩か土鳩のはぐれ鳩か一目で見破るのである。  これと目をつけた鳩が上空に差し掛かる寸前。600羽の鳩を一斉に解き放つ。大きな渦を巻いて舞い上がる鳩の群れに、先はどのはぐれ鳩が合流したらしめたもの、例の指笛を吹いて一斉に呼び戻す。 レース鳩もつられて一緒に小屋の中へ。やったーの一瞬。鳩釣りと呼んでいた。
 大切に、個室付きの小屋に入れ、1週間ほど餌をやって養う。これが第二のポイント。すぐには連絡しない。
 鳩の飼い主が、心配して諦めた頃を見計らって、電話をする。レースに使われる鳩には足管といって、血統を表す番号のついたアルミ製の輪と持ち主の住所や連絡先を書いた輪を、ヒナになった時、左右の脚に付ける習慣がある。
 取り外しの出来ない輪の場合、持ち主は決まって裕福で、鳩をとても大切にする人である。また塩田君はそういう鳩しか狙わないから不思議だ。  「傷ついて紛れ込んだ鳩を養っていたら脚に住所が書いてあったので連絡しました。」とさりげなく言う。飼い主は大喜び、お礼ですといって「餌代2万円」とか包んで取りに来る。 これを大体週に1・2度するから相当の金額を稼いでいる。大量の餌代を補って余りある。
 ある時、クロと言って、彼の副将格のカラス鳩を分けてくれた。これは全身真っ黒で、鼻コブも大きくとても賢い奴だった。親友になった熊先生にも同じ稼ぎをしろと言うことである。
 早速こわれたドアを3枚拾ってきて、屋根の上に半畳ほどの鳩小屋を建てた。自分の手から餌をとるまで外に出さず大事に育てるように言われた。指導は微に入り細に渡り、夢は大きく膨らんだ。
 1週間ほどしたある日、学校から帰って餌をやろうとしたら、何と鳩小屋が無い。ご近所から、洗濯物が汚れる、泣き声がうるさいと苦情を言われた父が、居ない間に鳩小屋を解体しクロを放ってしまったのだ。
  「子供に小遣い一つくれられない親が何て勝手なことを・・・」腹が立ってそのまま家を飛び出した。
 と言っても、中学2年生が行く当てもなし、クロと同じに塩田君の家に転げ込んだ。
 6畳一間に、両親と塩田君を頭に3入の子がいる家で、もう一杯なのに、理由も聞かず黙って置いてくれた。
 その日の晩御飯はメザシであった。 ご両親で1匹、晃に1匹、3兄弟で1匹である。何と貧しい食卓かと思ったが、後で間いてみると、バタ屋の仕事は、人様が壊れていらなくなった物を貰うか、わずかな値段で買い求め修理して親方に売り、わずかな差額を収入とするのだ。1目歩き回って、やっと120円ばかり。雨の日は収入Oだから、月に3000円ほどの収入では、確かにこれは破格のご馳走で有った。
 訳を知らなければ平気で食べられたが、胸が詰まってしまい食事が喉を通らなくなった。その様子を見かねて6日目にはネズミ色の肌のトリ肉の塩焼きを出してくれた。間いてみるとカラスの肉だと言う。かなり臭かったが味は淡白でまずいものではなかった。雨で仕事に出られなかったお父さんが、屋根に止まった奴に石を投げて落としたのだと言う。
 匂いは嫌だがしっかりと食べた。久しぶりにきちんと食事をしたので、お母さん達が喜んでくれた。
 翌日のタ食に今度は何やら白っぽい肉が出てきた。食べるとかなり臭い。
 この日はどうしてもカラスが獲れないと、塩田君が飼っていた鳩をひねって食べさせてくれたのだ。
 あまりの事に唖然とした。鳩が飼いたくて家出をしたのだ。
 赤の他人にここまで心配かけていいのか。学校は休まず通っていたとはいえ、1週間も家出をしている息子を、家族も探さないのに、他人にここまで迷惑かけていいのかと、世の中に思い知らされた。
 しかし、本当のショックは、この後、家に帰った時だ。
 憔悴して玄関の戸を開けると、すぐ上の輝夫兄がいた。黙っていると不思議そうな顔をして「あれ、晃、しばらく見ないけど、いなかったか」と言うのだ。
 自分の食べる分を削ってまで、弁当を持たせてやっていた兄貴が、弟が居ないことに1週間も気づかないとは何ていうことだ。 14歳の怒りは家出ぐらいのことでは表現できないのだ。意味の無い賭けであった。
 馬鹿な行為、奇異な行為と言うものは、本来傷つけてはならないものだけが傷つき、傷つけたい相手には何の傷にもならないという事を、思い知らされた1週間であった。
 その後、何度となく失恋の痛みで自殺しそうになった時、踏みとどまる事が出来だのは、この体験によるものが大きかった。悲しませては成らない人だけが悲しむのだと。
 主張するものは、正しいやり方を身につけないと、傷つけては成らないものだけを傷つけることに成る。世の中の多くの不幸はこうして作られることに、
 14歳で気が付いたのは幸せであったかも知れない。

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コンコンチュウチュウの似顔絵

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