「 剣の達人 」
以下本文ですが、内容紹介のテキスト文なので、画像が正しい位置に入りません。PDFでご覧いただければ幸いです。
熊先生にとって正規の運動部員はみんな目の敵であったが、剣道部の香野君と言うのもその一人だ。勉強では絶対負けないが、彼にはスポーツでなかなか勝てない。熊先生の仲間は、みな体も小さく勉強も出来ないから、いつも彼らに馬鹿にされていた。それだけに、彼には、負けたくなかった。
人を馬鹿にするのは、弱い自分を隠したいからだ。と言うことにまだ気づかなかった。
当時、体育で柔道剣道は必修科目であった。冬になると毎年必ず剣道をする。
もともと剣道部で上手いのに絶対に負けたくない彼は、下位の者と試合う時、わざと防具の無い腕と肩を何度も打つ。間合いも外れているし、反則なのでポイントにはならないが、何度も遣られていると、腕に力が入らなくなり正しく上げられなくなる。そうしておいて、得意の技を決めるのだ。
その日も、例によって何度も二の腕を叩かれた。そろそろ来るなと思ったら案の定、面打ちに振りかぶった「突きー」と叫んで喉元に乾坤の一滴、中学では反則の突きを入れた。見事に泡を吹いてひっくり返った。
担当の向山先生が飛んできて、「馬鹿者、それでいいのか!」ともの凄い形相で怒嗚られた。訳を聞かれなかったのは、意味をご存知だったに違いない。
「侮しかったら私の面を打ってみよ。」と防具も着けていない先生が言われ、指南棒を構える。
何の事か判らず、とりあえず竹刀を振り上げて「面」と打ち込むと、あれれ、いたはずの所に先生はいない。「こっちだ」と言われ振り向き、今度はかなり本気で打ち込んだが、竹刀を振りかぶった時には確かに先生はいるのに、振り下ろした所には誰もいない。名人とはこの事だ。適う訳もなし、最期にグワァーンと一発面を受け気絶した。
向山先生には叱られてばかりだ。毎日女の子と手をつないで帰る友人が羨ましくって、男女(おとこおんな)と言ってからかった。
この時も通りかかった先生に「人として恥ずかしい」と右の頬を殴られた。家に帰って膨らんだほっぺたを兄に見せると「誰に遣られたんだ」と聞いてくれる。
慰めてもらおうとの助平根性で「向山先生に」と言った途端「なにーっ」と今度は左の頬を思い切り殴られた。理由を聞かなくとも向山先生が殴るんだからよっぽど悪いことをしたのだと言うのが、常識になるほどの先生だった。思えば当然の馬鹿だった。
向山先生の小気味良い話はいくらでもある。
ある年の卒業式の帰り、柔道担当の篠原先生が卒業生の闇討ちに合った。卒生生5人で校門の脇に呼び出し、
100mほど離れた石神井川まで担いで行き、川に放り込んだのだ。この光景を校門のところで見ていた向山先生が「何をするか」と怒鳴ると、逃げるどころかその5人が正座して自首したというのである。
日頃、勝手な暴力をふるう篠原先生に恨みは晴らしても、思を受けた向山先生に背を向けては、自分に胸を張って生きてはいけない。悪には悪の正義が有ったと言う事である。
熊先生にとって、岡長先生についで3人目の先生である。
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