「 女であるということ 」
以下本文ですが、内容紹介のテキスト文なので、画像が正しい位置に入りません。PDFでご覧いただければ幸いです。
とにかく三崎大学での同僚は女性ばかりだ。暇ができれば、ヒトの批判・陰口。開いていれば腹が立つし、間かなければ今度は自分が言われる。子供たちのいじめの構造だ。
しかし、妃殿下から薫陶を受けているので一つだけは守りぬいた。
本人の居ない所ではマイナスを言わない。言った人の言葉を絶対に否定しない。 しかし、いない者の立場はこう言う可能性もあると必ず弁護する。この方法は妃殿下がいつも自分にしてくれる事だ。不思議と怒りが収まり、自分の欠点に気がつく。
誰とも味方同士にならないという事は、誰とも敵にならないという事。実は、人を味方にする最も近い方法。多くの人は自分を守っているつもりで味方を作ろうとして、それに倍する敵を作っている。
そんな何かで、結構頼られる存在になり、夏休みには一緒に旅行に行くようになった。
男は教務課員の尾張君と熊ちゃんだけ、5人の先輩女子と山陰旅行に出かけた。喜んで荷物もちを買って出たが、米子に近づいて驚いた。
「次の乗換えどうするんですか」
「うーん、50分に到着して51分発だから1分しかないわねぇ」と言う。
「それじゃぁ、向側まで飛び乗らなきゃなりませんね。何番線ですか」
「1番線よ、あら到着は12番線ね。間にあうかしら?」
とんでもない間に合う訳ないだろう。何考えてるんだ。ホームで最低5つ離れていて階段の場所も知らない。次の電車は2時間後。これに乗るしかないのに。
荷物を全て尾張君に任せて、ホームに到着寸前ドアを自分で開けて飛び出した。1番線まで走っていって汽車のドアを押さえた。後から悠々と歩いてきて
先輩の一言。「ほーら、間に合ったじゃない。」
何言ってるんだ。と怒ったが、考えてみれば、男である自分の計画では、きちっと乗換え時間まで考えて計画し、初めから無理な所には行かない。失敗も無いがハプニングも無い。
女性の発想は無茶苦茶だが、それによって得られるものは想い出深く大切な物になる。
世の中、女性だけでも男性だけでもつまらないものになってしまう。お互いに良い所を出し合って、バランスが取れるものだと思う。
女性が女性らしさを失って、計画性を持ち、緻密になったらそれはそれで面白いかもしれないが、やはり真似事である。
そんな意地っ張りの女性が増えてしまったのは、男がだらしなく自分に自信が持てないので、任せて何とかするゆとりがなくなったせいかも知れない。
男と女が助け合い、本当の世の中を作りたいものだ。
……
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