「 勉強会 」
以下本文ですが、内容紹介のテキスト文なので、画像が正しい位置に入りません。PDFでご覧いただければ幸いです。
大学も4年目ともなると、助手の先生や大学院の先輩と仲良くなる。 しかもまだ1年生だ。助手の先生から、現代の教育事情の悲惨さを考えて生徒のための塾を開くから手伝わないかと誘われた。名前も勉強会と言う。喜んで参加した。驚いた。家庭教師どころではない、こいつは本気で取り組んでもどうなるかと思った。
小学2年生から中学生まで、50人ほどを公民館の部屋を借りて教えた。勉強に来ているのに落ち着いて座っていられない。子供好きの晃先生、運動不足の解消にと休み時間に庭でSケンや靴隠しを教えた。柔道と称して、転び方転ばせ方を教えた。やがてこれが受けて、「決闘」という名の遊びに発展した。2・3年生など10人がかりで懸かっても、コロコロと転ばされる。いつも無精ひげの顔で大きな声。子供だちから熊先生と呼ばれるようになった。
通勤のために、町を急いでいると、いきなり後ろから「隙あり」と飛び蹴りを喰らう。小学2年生の秀麻呂だ。
さっと避けて、転びそうになる首筋を捕まえて「まだまだ。」と言う。
こんな塾であった。
11月に入って来た3年生は通称黒ちゃん。陸上の選手で名前もそうだが、真っ黒に日焼けして、古文で言うなら「なまめかしきめざし」。おかっぱ頭の髪を後ろに長く伸ばしている女の子だ。無口で挨拶もお辞儀だけ。
この長い髪が難敵だった。話を間いているのかいないのか、うつむいてノートを取る姿勢をされると、前髪がカーテンになって全く中が見えない。質問も返事もしない。判っているのかいないのか、イライラした。
12月の声を間く頃、合を煮やして聞いてみた。「高い金払って何しに来てるんだ?」と。学校の先生なら絶対に言えない言葉だ。しかし、型破りを売り物の塾だ。経営者から許可を得ているのでずばり聞いてみた。
10月まで陸上に打ち込んでいたので、勉強など全くやった事が無く、1年生の内容も判らないから、はじめから進学は諦めていたと言う。座っているだけで苫痛だと言う。
なるほどとは思うがそんな程度で諦めるなら、勉強会はやらない。
「関数の問題は必ず出る。2ヶ月で連立方程式とグラフの書き方、40点分だけ教えるから、それだけやってみろ。」と言って分数の約分通分から教えた。
目標が小さくなって安心したのか、手が動くようになり、質問までできるようになった。
2月には模擬試験で60点も収れるようになった。塾の真価が問われる代表的な生徒だと言われた。
いよいよ公立試験の発表の夜。合格していれば真っ先に知らせてくれると思っていたのに何時までたっても知らせが無い。心配していたが授業の時間になった。
1時間目が終わった休み時間に、塾の入り口に佇む二つの影。彼女とお母さんがボロボロと泣きながら静かに入って来た。
(しまった〜〜)と思ったが、表面は平静を装って、「どうなりましたか?」と問くと
本当に幽霊の声かと思うような震える声で「受かりました〜〜」と言う。
「馬鹿野郎〜やったか――]と思わず抱きしめた。今ならセクハラで訴えられる位ぎゅっと抱きかかえた。涙があふれてとまらない。 もうどうでもいい状態だ。
親も子も絶対に落ちると思っていたので、結果を見に行けず、中学校から知らされてやっと今、確認して帰ってきたそうだ。信じられない結果にどうしていいか判らない状態でとりあえず塾に来てくれた。まだ中学校には挨拶にも行っていないそうだ。
教えると言うのは、一方的には自分では何もできない。受け止める生徒がいてこそ出来る行為なのだ。世の中の多くの先生が気が付かないから、塾が必要なのであろう。
……
「PDF」
をクリックすると、印刷用画面になります。