「 大阪からの転校生 」


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以下本文ですが、内容紹介のテキスト文なので、画像が正しい位置に入りません。PDFでご覧いただければ幸いです。

 熊先生クラスと言われる小1の頃からの仲間も4年生になると14人のクラスになった。勉強だけでなく、決闘で培われた仲間意識は絶大で、完璧な信頼で結ばれていた。熊先生が問題を解く過程で発問すると、みんなが一斉に一人の誰かを見る。
 この程度の質問は誰に答えさせようとしているか、暗黙の内にみんなにわかるのだ。 
 だからこのクラスでは殆んど手を上げる必要が無い。
 特にナンバー1ナンバー2は苗字と漢字は違うが、2人とも「よしたか」と言う名で、たかちゃんコンビと呼ばれていた。極めて仲が良かった。
 吉山義隆君は、クラスの要で、誰かの答えられる問題には絶対手を上げない。誰も答えられない問題になると、初めて静かに手を上げて答える。いつしかこの態度がクラス全休の雰囲気になり、みんなが自分の位置を自覚するようになった。
 その年、勉強会から本格的な塾へと進化し、進学クラスを作る事になった。5Cと6Cだ。義隆は4年生レベルでは無いと言う事で、5Cクラスに入れた。しかし彼はみんなと離れたくないと言って、レギュラークラスにも参加していた。1ケ月もしない内に、5Cのトップに成ってしまった。
 こうなると、やっかみ半分、勉強外で陰湿ないじめが見られるようになった。
 塾長先生の判断で思い切って更に上の6Cに編入させた。さすがに6Cでは楽について行ける状態ではなく、レギュラークラスには出られなくなった。
 人数が一人減って寂しい所に、大阪から田沢君が転校して来た。全体の雰囲気の分からない彼は、活躍したくって、ハイハイと何でも手を上げた。またいろいろな事を良く知っている。みんなが秀麻呂の為に取って置いた問題まで指されもしないのに答えてしまう。
 こうなると面白くないのが義隆と親友の梅田良孝。頑張って彼の上になろうとするが、テストで勝てない。思い余って・・・・・
 「お前なんてなぁ、隆ちゃんがいたら絶対に勝てないんだから。」
 その時、突然熊先生が吼えた。「馬鹿野郎、義隆がCクラスでどんな思いをしてると思ってるんだ。」「生意気な下級生と言われて、皆が敵の中で頑張ってるんだぞ。」「田沢だって大阪から引っ越して来て、どれほど不安か判らないのか。」「もし義隆がいたら、田沢を助けこそすれ、お前のようにライバル視して、傷つけようとするはず無いだろう。」「あいつは、6年生の中にいても、いつもお前達のプライドを賭けて頑張ってるんだ。」一気に捲し立てた。
 もちろん、義隆の頑張りを百も承知のクラスだ。怒られた良孝を誰も責めないし。良孝自身「悪い。ごめん。」と素直に謝った。
 もともと賢い田沢が、第二の義隆になり、良孝とも親友になったのは言うまでも無い。
 アカデミーの雰囲気がもとに戻った。
 義隆に負けまいとして頑張った6年生の赤山君が、開成中学に合格したのはその年だ。
 彼も義隆に影響された一人であろうか、合格通知を貰った夜、塾に報告に来ながら、「熊先生、お願いがあります。」と言う。母を説得してくれと言うのだ。
 「自分はお母さんを喜ばせたくって、頑張って開成に合格したが、本当はここで頑張った皆が好きだ。皆と同じ地元の中学校に行きたいから、進学を辞退したい。」と言った。
 そう勉強は、どこでもどんな環境でも出来る。自分がどんな気持ちで望むかである。
 もちろん喜んで使者を買って出た。教師として誇らしく最高に幸せな一瞬であった。

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コンコンチュウチュウの似顔絵

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