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ある日。

私は、知り合いから頼まれた飛行型探索用ロボットを修理していた。


小さいが、高性能。音もラジコンより静かだ。

迷い猫・犬の探索や、尾行用にも使える。


だが、このロボは小さいので、専門知識と専門の道具が必要だ。


作業が一段落した所で、外を見ると、夜になっていた。

やれやれ・・・今日は、普通の人間並に、夜に睡眠をとれそうだと私は背伸びをしていた。


そこへ、部屋の掃除を終えたロボットが、声を掛けてきた。



『マスター・コーヒーです』



ロボットは、コーヒーを淹れられるようになった。


愛玩用ロボットとメイド用ロボットは、基本行動プログラムが大きく違う。

だが、教育と丹念にプログラム修正さえ継続していけば…成果は出るようで。



「んー・・・ありがとーぅ。」



差し出されたカップを受け取り、私はそう言った。


疲れきっている脳は、その出来事にあまりにも鈍感だった。

それが、あまりにも自然で…まるでそれが、当たり前のように。



だから、自分の直したロボットが凄い進歩を遂げた事に気付いたのは、お礼を言った後。





「・・・・・・ん、美味い。」




『ありがとうございます・マスター』




ロボットが、はにかんでそう言った瞬間、偶然にもそれが私の視界に入ってしまった。

危うく、口に含んだコーヒーをキーボードに吹きこぼすところだった。



「…今、なんて言った?」


『ありがとうございます・マスター』



それは紛れもなく。


私の目の前で、少女が、一人、笑ってそう言った。

もうプログラム通りとか、自分がそういう風に見えたとか、造ったとか…



「・・・も、もう一回、言ってみ・・・?」



疲れているとか・・・

気のせいだとか・・・




『ありがとうございます・マスター』




屁理屈・肉体疲労・借金・・・とにかく、全部、脳から吹っ飛んだ。


言われた事しか出来なかったコイツは、自分自らの意思で行動し

私へコーヒーを淹れ…こんな自然な笑顔を浮かべられるようになったのだ。

人間でいう、気配り。

だが、ロボットのコイツが…ほぼ、ジャンク品の集合体のコイツが…


・・・ここまで・・・



「・・・は・・・はははは・・・」


『マスター?』




私は、笑った。


ついに、ここまできたか、と笑いがこぼれた。



・・・何?この達成感。



愛玩用元風俗ロボットが1体、ウチにいる。

それだけの変化だったハズが…。



「そーか!そーか!!オマエは、そこまで進化したか!!」



私ときたら…ロボットの両頬を両手で包み、額をつけて、思い切り笑っていた。


ロボットの進化具合が、これほど嬉しく感じるなんて…。


変わったのは、ロボットが工房にいる生活だけじゃない。

私の中身の一部が変わっていたのだ。




『マスターが・そんなに喜んでくれると・私も嬉しいです』



そう言って、今度は表情をくしゃっと崩して笑った。

良い表情だと私は心の底から思った。




「いい笑顔よ。ココに来た時、お前がそんな風に笑えるようになるとは、考えもしなかったわ」

『ありがとうございます・マスター・嬉しいです』



私は、彼女の頭を撫でた。

勢いに任せて撫で回す私の手によって、彼女の黒い髪の毛が、すぐにくしゃくしゃになった。

そこで、少し…埃っぽい事に気が付いた。髪の毛、というか・・・全体的に埃っぽい。


(…しまった。ここ数日…仕事に夢中で、コイツ洗うのを忘れていた…)


命令して、経験させないと、彼女は覚えない。

だから、自分が埃まみれという事も、それがあまり良くない事も気にしない。


「・・・ごめん。こんな扱いしちゃ、良くないわね。」

『・・・・?』


私は、彼女の洗浄をする為に、服を脱ぐように言った。

凜のお古のワンピースだ。(それまでは、私の作業着を着せていたが、サイズが合わなかった)

これも、一応・・・洗濯すべきか、と悩んでいると背中にぴとりと彼女がくっついた。


このクセだけは、何度注意してもどうにも直らない。


「・・・おーい・・・」


私は、注意しようかと思ったが・・・

先程の出来事と、私の肩に嬉しそうに頬をつけている彼女を見てしまった事で…黙る事にした。


『…マスターは・私を気に入ってくださってますか?』

「・・・は?何よ、急に。」


唐突な質問に、私はマヌケな声を出して、笑ってしまった。

しかし、質問者はいたって真面目だった。


『私の・本来の仕事を・マスターは・お喜びになりませんでした』

「・・・それは・・・まあ・・・」


コイツの本来の仕事 = 風俗。 = エッチ。

・・・女の私が素直に”そうですか、たまりませんね”と、喜べる筈が無い。



『…私は、エッチなロボットです・それが私の全てです・私はそういう目的で作られています

役目を果たせないロボットは、マスターの傍にいられません』


そこまで言われると、私はキッパリと言い返したくなった。



「・・・それは、違う。」


『・・・どういう事でしょう?』




「…お前のプログラムや、造られた理由は、そうかもしれないが、お前の生きる理由は、そうじゃない。

だから…お前は、そんな事を役目にしなくても、ココにいていいんだ。」



私の答えに、質問者は、首を左右1回ずつかしげた。


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』



「それに…大体、お前は一回ぶっ壊れて、全データ消去されて、私が一から組み直したんだ。

私は、性欲発散目的で、お前を造った訳じゃない。」



『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』



「・・・・・・・・。」


彼女の中の機械音が、段々大きくなってきた。

…マズイ。処理に困ってるな…。

このまま考えさせると、プログラムやディスクに負荷が掛かる…



「・・・あー・・・よし。・・・じゃあ、髪の毛から洗うから…座って。」


私は、話を逸らす事にした。

彼女は、素直にそれに従い、作業台に座った。


『…マスター・私…』


彼女が何かを言いかけた所に、電話の呼び出し音が響いた。

私は作業を中断して、電話に出た。



電話の主は、パーツ屋のとっつあんこと・・・凜の父親だった。



「あっ!とっつあん!良い時に電話くれた!聞いてよッ!ウチのヤツ、笑ってありがとうって!」


のぼせ上がったテンションに任せて、馬鹿みたいに私は喋った。

電話の向こう側からは、とっつあんの冷めきった声が聞こえた。


「・・・そおりゃ、良かったなァ。黒牢…


 だが、ありがとうなら、凜だって言うし、2丁目の薬屋のボストンテリアだって、笑うぞ。


 そんなに嬉しいか?」




「そりゃあ、そうでしょうよ!だって…だって・・・まるで、人間みたいに笑っ…」



(・・・あ・・・)






・・・馬鹿か、私は。


いくら、笑顔と挨拶が自然に出来ても…


・・・いくら人間みたいに、笑っても・・・






コイツは・・・人間みたいな・・・・・・・ロボットなんだ。



それに気付いた瞬間…私の舞い上がった心は、一気に冷めていった。





「・・・・・ああ、ごめん。とっつあん・・・寝不足で、テンションおかしいみたい。私。」


私がそう言うと、お前もまだまだ若いな、と言いたげに、フッという笑った息が聞こえた。



「…みたいだな。いや、悪い事じゃないさ・・・・・さて・・・黒牢、そろそろ本題に入るぞ。」


「ええ。」


「例のディスク…結論から言うと、お前の勘が当たったよ。」


赤いディスク。

あれが、噂のBlood discなのか。

それとも、それ以上のヤバイ物なのか。


「やっぱり・・・Blood disc?」



「・・・俺が聞いた噂のBlood discとは、中身がいささか違うがな。だが、符合する点もある。

まあ・・・あれはBlood discに限りなく近いものだと、言えるだろうな。」


「まあ、所詮は、噂だものね…多少の食い違いはあるでしょうけど…Blood discと呼んで良さそうね。」



「・・・Blood discは、人間の記憶や感情をロボットに与える魔法のディスクって話だったがな」


「…ああ、とっつあんはそっちのパターンの噂を聞いたのね。 …で、中身は?」


いつになく歯切れの悪いとっつあんの喋り口に、私は余程のものか、と覚悟を決めた。


「魔法どころか・・・酷いもんだ。」


溜息混じりの落胆に似た声だった。


「確かに、あのディスクには、人間の記憶が記録されていた・・・ただ、プロテクトが嫌に頑丈に掛けられていてな…

全部は見られなかったが…少なくとも俺の見たデータは、名前の通り…なんとも血生臭い記憶だったよ。」



とっつあんの話が進むにつれて、落胆から怒りを含む声に変わるまで、そう時間は掛からなかったと思う。

私は、それを黙って聞いていた。



「うん・・・うん・・・わかった・・・。」



「と言う訳で・・・黒牢、俺はそのディスクを自分の手元に置いておきたくない。

だから、これから凜に届けさせる。

中身が中身だけに、ディスクは受け取ったら、即処分しちまった方が良い・・・と俺は思うがね。

・・・まあ、決めるのは、お前さんだがな。」



とっつあんは、職人らしい意見を言った。

私は、目を開けてお礼を言った。



「・・・ありがとう。じゃあ。」





電話を切った私は、そのまま椅子に座った。





ふと視線をずらすと、裸のままこちらを静かに見ている彼女と目が合った。

無表情だった。

私も、それを黙って見つめた。



『マスター・お顔の色が優れませんが・どうかいたしましたか?』

「・・・ん、大丈夫だ。・・・さ、洗おうか。」



椅子から立ち上がり、私は洗浄作業を始めた。


『マスター・質問です』

「ん?」


霧吹きに洗浄剤を入れ、ぬるま湯で薄めながら、私は作業台の上に座るロボットを見つめた。


『先程・マスターは・私を性欲発散目的で・お造りになったのではないとおっしゃいましたが』

「…うん。…首下げて。」


会話をしつつ、私は洗浄剤をロボットにかけた。


『では・私はどのように・マスターのお役に立てば・よいのでしょうか?』


どのようにって…


コイツの本来のお役目を果たさせる必要というか、役立つって訳でもないし…。




「・・・・・それは…あー…えーと…うーん…考えておく。…頭あげていいよ。」



頭を上げたロボットは、それからもうひとつ、と続けて質問をした。



『私は・一回ぶっ壊れて・全データ消去されて・マスターが・一から組み直されたんですよね?』


「うん。・・・うわ、蜘蛛の巣ついてる・・・」


コイツを洗ったのは、いつの事だろうか。いや、そんなに日数は経っていない…

多分、ロボットが工房の掃除をしていて、汚れたんだろうな…



『…しかし、その情報には誤りがあります』


「ん?そうなの?」


『・・・全データは消去されたとありましたが、私の中には・断片的なデータが・存在しています』


「・・・あァ・・・壊れてて消去しきれなかったデータか。大丈夫、私のPCの中にも、お前のデータはあるから。」



『それとは・また別のデータです・マスターは・私におっしゃいました


”・・・いいか?私はね、壊れっぱなしのロボットが目の前にいたら、直したくなるんだよ・・・

・・・・・いいか?直すからね・・・必ず。”


・・・と』




「・・・へえ・・・・・・・って、オイ・・・それ・・・!」




一度、それは凄いなーと納得しかけたが・・・すぐにそれはオカシイと気付いた。


あの時、その台詞を言った時…コイツは全機能を停止していたからだ。



「・・・なんで、記録されてるの・・・?」


『わかりません・断片的なデータです』


…一体、どういう事だ?

こんなロボット…今まで出会った事がない。

起動していなくとも、記録機能が働くのか…?いや、そんな装置はついてなかったハズだ…

もう一度、メンテナンスを…中を確認すべきか…?



私は、好奇心を丸出しにして、ロボットに他の情報が記録されていないかを、聞いた。


「・・・ほ、他は?」


『…他には…』




その時、タイミング悪く、電話の呼び出し音が鳴り響いた。


電話の主は、またとっつあんからだった。

娘も娘なら、親も親で、本当にタイミング悪いな。



「おい、凜はそっちにいるのか?」


開口一発目から、苛立ちMAXのとっつあんの声が。



「・・・いるのかって・・・凜なら、こっちに来てもいないわ。」


「・・・そうか。・・・黒牢、お前最近、犯罪に手を貸したか?」


「ちょっと何、その言いがかり。…何もしてないわよ。どうしたの?そんなに慌てて。」


私の問いに、とっつあんは早口で答えてくれた。


「いや、最近、お前の事を聞きまわっている男がいるらしい。

ただの噂かと思っていたが、さっきウチにその男が来てな…しきりにお前のトコのロボットの事を聞いてきた。

俺は、しらばっくれたが…そっちへ行くのは、時間の問題だ。」


ロボットの事を…?

じゃあ、その男というのは…私にロボット預けて、警察にとっ捕まった、馬鹿主人か。

保釈金たっぷり払っても、そうは簡単に檻から出られるはずはないと思っていたが…


「・・・男って・・・どんな?まさか、コイツの主人?引き取りに来たって訳?」



そう言っては見たものの…私は、自分の間違いに、すぐ気がついた。


もし、とっつあんのいう男が、あの客ならば、とっつあんに話を聞くなんて事無く、真っ直ぐ私の工房に顔を出しただろう。


つまりは・・・。



「違う。その男じゃない。…なんというか、神経質そうな男だった。

だが…あれは多分ヤバイな。この街で暮らしているヤツなら、敏感に感じ取れる…」


ロボットの主人の男じゃない。

じゃあ、誰だ?・・・あの男の仲間か?


刑務所にいる主人の代わりに、その男がロボットを回収しに来たのか…



「・・・ゴメン。こっちでなんとかする。」



「ああ・・・お前に何か遭っても構わんから、凜だけは死んでも守れ。いいな?

凜に何か遭ったら・・・世界の果てまで追い詰めて、お前を解体するからな?」


地鳴りのような、低い声が私を脅す。



「・・・わ、わかったわよ・・・それもなんとか、する・・・。」


そういわざるを得ない。


電話を切ってから、私は改めてロボットを見た。

ロボットは無邪気に左右違う色の瞳で、私を見ていた。




いよいよ…このロボットを、手放す時が来た…ようだ。



(なんだか・・・育ての母の気分ね。)



いや、それもなんだか違うような気がする。

だって、殆どパーツは入れ替えたし…プログラム修正だって、私がやったし、PCの中の元のデータは全く使っていない…


今のコイツを造ったのは、私と言ってもいい。



(いや、だから・・・どうだっていうんだ・・・)



私は黙って、ロボットの洗浄を続けた。

洗浄が終わると、私は椅子に座った。




目の前のPCには、ロボットの元のデータが入っている。


引き渡す時は、この工房で過ごした時間を、私の事を消去して、このPCの中に眠る、元のデータをコイツに再度入れなくてはいけない。


コイツを元の風俗愛玩用ロボットに、戻す作業をやらなくてはいけない。


それは、悪い事じゃない。


元々・・・そういうロボットなのだとコイツ自身も言っていたじゃないか。



ロボットは、元に戻るだけ。



そして、私は・・・



『・・・マスター?』


「・・・・・・ん?ああ、ごめん、ぼーっとしてた…凜のヤツ、遅いなァ…。」


独り言のように、私はへらへらと笑って、ペラペラと喋った。



しかし、ロボットは、こんな時に、こんな私に、こんな質問を、ぶつけた。




『……私は・貴女の傍にいても・良いのですね?』




「・・・・・・・・・・。」





ロボットにそう質問されて、私は黙り、背を向けた。




傍にいてもいい、だなんて言ったのは、口先だけだった。


所有権など、本当は私になんか無いんだ。

このまま、ロボットを自分のモノにすれば、直し屋の看板なんて掲げられない。



コイツは、元々・・・客の品なんだ。

私が勝手に、改造しただけなんだ。


私が勝手に、コイツに感情移入しただけ。



ロボットは、ロボット。

コイツは、客の品。

客がロボットをどういう用途に使うかは、直し屋には関係の無い事。



私は、直すだけ。

私は、ただ直すだけ。




私が勝手に、コイツに感情移入しただけ。





ロボットは・・・私のものでは、ない。





・・・解っている!


なのに・・・どうして・・・








 ”渡したくない” だなんて、思うんだ!!





机を拳で叩いた。

大きな音が、工房に響いた。

その音にすら、私は怒りを覚えた。





…職人として、あるまじき行為をした報いなのか…?




師匠は、ロボットを直す時は、かわいそうだとか、人間特有の心は持っちゃいけない。と私に言った。

ロボットに対しては、ロボットのように接しなければ…。


今の私のようになる。


こんなもの、単なるロボットへ対する愛着じゃない。

ただの醜い執着だ。


拳を叩きつけた事で、机の上の写真立てがカタンと音を立てて、倒れた。

私は…写真立てを立て直して、それを見た。


・・・ついこの間まで、埃まみれで写真立てなのか、ただの埃置き場かわからなかったが。


多分、ロボットが掃除したんだろう…久々に見た。


写真の中には、半開きの目の師匠と、半開きの目の師匠の奥さん、そして、同じく半開きの目の私。

揃いも揃って半開き…これがこの工房唯一の記念写真なのだから、笑ってしまう。


…昔を思い出す。


死んだ私の師匠がまだ生きていた頃、師匠には奥さんがいた。

その頃が、多分・・・幸せ、だったな、と思う。



私は、幼い頃…このスリリングな街に捨てられた。

そして、師匠の夫婦に…正確には、奥さんに拾われた。


奥さんは、元・娼婦。舌足らずな喋り方が特徴的な女性で、前歯が1本無かった。

娼婦をしていた頃、何度もヤブ医者の堕胎手術を受けて、子供が出来ない身体になった。


師匠は、無口な人で冗談も言わない。背が低く、太っていて、極度の近視で瓶底のような分厚いメガネをかけていた。

ロボット職人見習い時代に、同僚や先輩から嫌がらせを受け、そのストレスから、身体を壊し子供を作れない身体になった。

私は私で、アホを絵に描いたような鈍臭い子供で、何もない所で転んで、日が暮れるまで泣いていた。



そんな人間が集まり、家族になった。



私は、師匠の弟子になったつもりは無かったが、楽しいからという理由で工房にいた。

師匠の腕は、3流だと言われていた。作業が、遅いからだ。

だが、ロボットの修理は早ければ良いという訳じゃない。直りましたと言った直後、不具合が出たら、リピーターは来ないのだ。

作業は遅いが、確実に直る…だから、人間が3人生活していくのに、苦労は無かった。


師匠の身のまわりの世話は、奥さんが全て行っていた。

彼は、作業に取り掛かると、身なりなんてどうでも良くなる。髭もボサボサに、カビのように生え、綿菓子のように膨らむ。


だから、奥さんは、作業が終わると食事よりも何よりも先に、髭を剃っていた。

夫婦喧嘩しても、奥さんは師匠の髭が伸びたら、必ず剃っていた。

髭が無い方が、あの人はいいのよ。と奥さんは笑っていた。




ある日突然、奥さんが倒れて、医者が来る前に、あっけなく死んでしまった。



奥さんの葬式の日、師匠は初めて自分で髭を剃ったが、顔中血と傷だらけになっていた。

その日から、師匠は髭を剃る事をやめた。

何も知らない近所の子供からは、髭魔人とか、髭に食われたジジイなんて呼ばれていた。

それでよく、私は子供に向けて、ロボット停止用のレーザーガンを威嚇射撃したものだ。


師匠は師匠で、それまで酒なんて飲まなかったのに、時々浴びるように飲んでは、奥さんの写真を眺めていたのを私は知っている。


それからの師匠の背中が丸まったのは、年のせいでも、職業病でもない。

人と顔を合わせて、会話しなくなったせいだ。


工房の中は、みるみる埃にまみれていった。

掃除くらいなら、私も出来たが…師匠の髭は、死ぬまでボサボサに生やしたままだった。


奥さんが死んでから、師匠は変わったと他人は言った。

私には、変わったようには見えなかった。

変わったんじゃない。師匠の行動が、増えただけだ。



そして…ある日師匠が、見た目が奥さんに似ている掃除用ロボットを拾ってきた。



ある他人は、それを失った奥さんへの愛着から起きた奇跡だと言い

またある他人は、奥さんへの執着からの事故だと言った。


だが、師匠の背中は丸まったままで、ロボットを直視する事は少なかった。

たった数日で、師匠はそのロボットを廃棄処分した。

理由を聞くと、師匠は、壊れて使い物にならなかったからだと言った。


私には解っていた。

師匠は、奥さんが死んだ日からちっとも変わっていない。

ずっと、ずっと…師匠は、変わってなどいなかった。


ロボットを廃棄処分にした後、奥さんの葬式の日と同じように、師匠は自分で髭を剃った。

そして、やっぱり顔中、傷と血だらけになり、仕事もしないで、ぼけっと廃棄処分工場の方角の空を見ていた。

汚い煙を、ただ未練がましく、空をみていた。


だったら、何故廃棄処分なんかにしたんだ。

どうして、意地でも直してやらなかったんだ。


・・・子供の私はそう思った。


あんまりにも情けない師匠の姿を見て、私は叫んだ。



”悲しいなら、素直に泣けよ!クソ髭ジジイ!”・・・と。



勿論、すぐに拳骨が飛んできたが、師匠は後にも先にも仕事以外の事で私を殴った事は、無かった。


そして師匠は、静かに言った。


直し屋になるのならロボットを直す時は、かわいそうだとか、人間特有の心は持っちゃいけない。と。


お前が言うなと思ったが、拳骨のあまりの痛さに、私は無言を貫いた。



・・・・・今になって思う。


あの時の師匠は…奥さんの代わりが欲しくて、あのロボットを拾って来たのか?

あの時、本当にあのロボットは壊れたのか?

あの時、師匠は、本当に直せなくて、廃棄したのか?



・・・本当は、壊れてなど、いなかったんじゃないか?

・・・本当は、直せたのに、直さなかったんじゃないか?




師匠が、本当に欲しかったのは…




いや。

それは今となっては、想像でしかない。




じゃあ、今の私は…どうだろう?



私の傍には、ロボットがいる。

ただのロボットだ。

誰に似ている訳でもないし、いちいちメンテナンスやら、プログラム修正しなくてはならないし…。


いても、いなくても、どっちでも…私自身が変化する事は無いと思っていたし。

いても、いなくても、どっちでもいい存在だった。



だが…コイツを手放さなくてはならないかもしれない可能性を

イザ、目の前に突きつけられた私は、動揺した。



今までの私の職人人生の中で、最も手間が掛かったからという理由で、ロボットに愛着が湧いただなんて。

それを、下らない金儲けや、サディストの餌食にされて、ぶち壊されるのが嫌だなんて。


他人のロボットを、勝手に一から組み直して…一から教育したんだから、元の主人に返したくないなんて。



”悲しいなら、素直に泣けよ!クソ髭ジジイ!”と叫んだ子供の私なら…今の私に何と言うだろうか?



”ソイツが大切だと、素直に認めてしまえ!この、クソ女!”



そうだ。


直したロボットを、手放したくないだなんて、思っている自分は、もう直し屋なんかじゃない。





・・・写真立てを机の上に置いて、私は思った。



随分前に、亡くなった私の家族。

血も繋がっていない、赤の他人同士の集まりだが…決して、消える事無い思い出をくれた人達。





(・・・私、家族の代わりが、欲しかったのか・・・)





その結論に達した時、少しだけ・・・ああ、なんだ、そういう事かと安堵した。

勿論、問題の解決には何もなってはいない。





私は、溜息をついて、時計を見た。


(…凜は、まだか…)



私はふと、ロボットの方を見た。

ロボットは先程から動かず、私をずっと見ていた。



「…おいで。」




私は彼女・・・いや、ロボットを傍に呼んだ。

私の声に反応して、ロボットは傍にやって来た。


洗浄剤の匂いが、少しする髪の毛を撫でる。

私の表情を見て、ロボットは言葉を選ぶ。



『マスターは・お疲れのようです・マッサージはいかがですか?』



「・・・いい。もう、いいんだ。」



私は、ロボットの腰に手を回し、抱き締めた。


見た目よりも、重い。

耳を澄ませば、僅かな機械音が聞こえる。

左右色の違う瞳は、私が自ら組み込んだ。



どのくらいの間、そうしていたかわからない。



『…マスター…』




椅子に座った私の頭を抱えるように、ロボットは体を曲げて抱き締めた。


私は、目を瞑った。




「・・・・・お前は、錯覚する程、温かいね・・・・。」



私は、ポツリとそう言った。

ロボットには、通じる筈もない独り言だ。当然、返答はなかった。







家の外から、バタバタとこちらへ向かってくる足音が聞こえた。

馴染みのある音だ。


『…マスター・お客様のようです』


ロボットの声の後、ドアが開いた。


「…やっとご到着か…凜。」


息を切らせながら、なだれ込む様に、凜が入ってきた。


「ん?待ってたの?…いや、なんかさぁ、変な男が後ろについてくるもんだから、撒くのに手間取っちゃって。」


悪びれる様子もなく、凜はそう言った。


「・・・変な男?」


そう言われて、とっつあんが電話で知らせてきた神経質そうな男の事を思い出した。


「携帯にお父さんから35件も留守電が・・・あーヤダ、ウッザぁ・・・36件に増えてるわ…とりあえず、はい。」


凜は、メ―ルを打ちながら、赤いディスクの入った小さな袋を私に投げた。

私はそれをキャッチすると、話の続きを促した。


「・・・ありがとう。それで、変な男って?」


「ん―?・・・顔は見てないけど、一定の距離を保って、ずっとついて来るの。もうこの時点で、怪しいでしょ?

で、あたしが走ったら、あっちも走るの。尾行バレバレ。だから、撒いてやったの。」


「そう…じゃあ…この街の住人じゃないわね。」


この街は、スリリングな街だ。

ただし、街の住民同士が、争う事は少ない。

理由は・・・貧乏だから。

そして、凜に手を出す男もいない。

理由は・・・とっつあんに殺されるからだ。



「そういう事。子供でも、そういう事には用心深くて有名なのに

 この街であんな尾行されたら撒いて下さいって言ってるようなモンよ。


 …それより、黒牢…ディスクの中身、なんだったの?」


凜にそう聞かれても、私が答えてしまったら、とっつあんの気配りが台無しになる。

赤いディスクの中身は…目の前の少女には好んで聞かせたくは無い。


「・・・企業秘密。」


「ケチ。ま、だと思ったけどね。・・・じゃあ、あたし帰るわ。

早く帰らないと、イラついたお父さんが黒牢の工房にショベルカ−で乗り込んでくるわ。」


そう言って、凜は玄関へと向かおうとしたが、私はそれを引き止めた。


「・・・待って凜。送っていく。」


私は、上着を手に取った。

すると、凜はこちらをぽかんと見つめて、やがてモジモジし始めた。


「・・・え?え、なんで・・・急に・・・いや、良いんだけど、さ。なんなのよ…いや、別に、良いんだけど…」


戸惑いながらも、モジモジと腰をくねらせる凜。見ているコッチが恥ずかしい。

本当に、コイツの思考はわからんな、と思いながら私は適当な理由をつけた。



「…単に、コンビニ行くついで。月刊ボルト買うから。」


「・・・・・・・チッ。」


笑ったと思ったらまた不機嫌か・・・なんなんだ、コイツは。

私はバッグに財布等を入れて、準備をした。

それを見ていたロボットが、私の隣に立った。


『マスター・私は・・・』

「お前もおいで。」


私は、ロボットが言い終わらないうちに命じると、ロボットは笑顔になり、凜はますます不機嫌な顔をした。


『はい・喜んで』


「・・・・・・・・チッ。」


・・・本当になんなんだ、コイツは。


私は、一応、外へ出る前に確認した。

正面玄関方面の監視カメラの映像をTV画面に出してみた。



「・・・凜、尾行してきたの、コイツ?」


TVモニターに映っていたのは、帽子を深々と被り、工房の玄関の様子を伺っている男がいた。

どうやら、監視カメラには気が付いていないらしいが、様子がかなり…挙動不審だ。

尾行には適さない人物だ。


「顔は見てなかったけど……ああ、この帽子…間違いないわ。あたしを尾行してたのは、コイツよ。

何?黒牢の知り合い?スト―カ―癖のある友達なんてやめちゃいなよ。」


凜は、何も知らないから、のん気に冗談を言っていた。


「……まっさかぁ…友達イナイのが、私の自慢なんだよ。」


私は、凜に詳しい説明をする事は避けた。


私の周りで、ロボットと工房の事を聞きまわる神経質そうな男。

凜を尾行して、工房に来た挙動不審男。


ロボットの元・主人は塀の中にぶち込まれるような犯罪者。


以上を総合して考えると・・・なんとも、きな臭くなってきた。


私だけなら、どうにかなるだろうが、外にこんな奴らがいるのに凜を一人で帰して

もし…凜に何かあれば、私は世界の果てで、とっつあんに殺される。



・・・・ならば、円滑に、安全第一に・・・それを回避しなければ。



私は、凜とロボットを連れて、台所へ向かった。



「黒牢…電気、つけっぱなしで出るの?」

「うん。私、地球に優しくないから。」


留守だと解れば、奴らは入ってくるかもしれない。

ロボットが来て、せっかく片付いているこの工房を、かき回されるのはゴメンだ。


「・・・で・・・どうして、裏口から出るの?まさか、アイツ…借金取り?」

「…違うけど、ややこしいんだよ。・・・ここからは、静かにね。お前も。」


『はい・マスター』


私は、台所の床板の一枚外すと、その中にあるボタンを押した。

工房の台所の冷蔵庫は二つあり、右側の緑色の冷蔵庫が、裏口の入り口になっている。


ここまで来ると、裏口と言うよりも、抜け道に近い。


裏口の存在は、ごくわずかな者しか知らない。


地下を通って、工房から20メ−トル離れた小屋から出る。


こんな街に住むからには、このくらいの事をしてもやりすぎとは言われない。

現に、凜の家にも裏口は三つほどある。


通路は狭くて、かび臭い。

とにかく早く、とっつあんの元へ凜を送り届けて…心の中のモヤモヤに決着を、と私は急いだ。


「…ねえ、黒牢。」


私の前にいる凜が、口を開いた。


「ん?何?」


私は聞き返すが、凜の喋り口が途端に鈍くなった。


「あの…その…ロボット……普段、使って…るの?」

「…ん?使うって?」


再度聞き返したが、どうにもハッキリしない。


「…いや…その…だから…」


ついでに、足もモジモジして、遅々として進まない。


ああ・・・未成年よ・・・。何を思うか・・・。



「・・・・・・凜・・・私とコイツで、変な想像、しないでくれる?」



「バッ…馬鹿じゃないのッ!?」



「しぃッ…大声、出すなって。ほら、進んで。」


そして、図星だな。凜。



『それは・本当です・マスターは・私を使ってはくれます・しかし…』


突然、ロボットが、会話に参加した…。


「・・・ま、マジ?ねえ、マジなのッ!?」


それにより、未成年の脳内は混乱に陥ったのは、言うまでも無い。


『本当です・しかし・私の本来の実力は・未だ十分に発揮出来ておりません』


「そ、そん・・・そんな、じゅ、十分に実力を発揮しなくてもッ…十、十分ヤッてるんでしょッ!?」


『・・・?・・・その質問には答えられません・エラーです』


「な、何よッ!答えられないって!つ、都合の良い時だけエラーなんて…ちょっと!黒牢!どういう事!?」


かび臭く狭い通路で人間とロボットのややっこしい会話が交わされている…私を挟んで。



「あ―・・・お前ら、頼むから、変な会話しないでくれる・・・?」


そう言うと、凜は私をギッと睨んで、進み始めた。


前方に木の梯子が見えた。

通路の終わりだ。


裏口に到着した私は、先に梯子を上った凜に周囲の様子を伺わせた。



「・・・大丈夫よ、黒牢。静かなモンだわ。」


「うん・・・おい・・・大丈夫?上れる?」


『…問題…ありません…』


梯子を上る動作は初めてなのか、ロボットの動きが鈍い。

私はロボットに手を差し伸べ、手を握ると引き上げた。


「・・・っく・・・重いな・・・」


当然だ。何せ、ロボットなんだから。

少女一人を持ち上げる感覚で力を入れても、持ち上がる訳がない。


・・・それでも、この程度の重さを持ち上げられない自分に苦笑いが零れた。


膝をつき、上半身を乗り出し、今度は両手でロボットの腕を掴む。



『・・・ごめんなさい・マスター』


(ん?・・・申し訳ありませんじゃないんだな・・・)


薄暗い中、ロボットの声が、更に暗い闇の中から聞こえる。

私はロボットを引き上げながら、ロボットに指示を出した。



「…謝るより…上がって、くれ、たら…それで…良い…!

 ・・・足を、載せろ…そう…そうだ…ゆっくり…」


後ろから、凜の「よくやるわね」という呆れ文句が聞こえたが、私はロボットを引き上げた。


『…マスター・ありがとうございます』

「…いや…私も、少しは運動しないとな…」


ロボットはケロリとお礼をいい、私は息を切らせて、ひらひらと片手を振った。


「…お疲れ様。マスター。」


凜は凜で、相変わらず…よく解らない所で、不機嫌になる。

見てるんなら、手を貸してくれても良いだろうに。

一体、何を拗ねているんだか…。



・・・・・・・ああ、裏口がトイレなのが、気に入らないんだな・・・




「…よし、とっとと、出よう。とっつあんに殺されはしないが、奥歯を折られる。」


モップやバケツを避けながら、私は、掃除用具の扉を開けた。

私を押しのけるように掃除用具スペースから一番先に出たのは、凜だった。



あまり警戒はしていなかった。


まさか、あのオンボロ工房に隠し通路があって、それが公衆女子トイレの掃除用具入れに通じているとは、普通は考えないだろう。

謎の男など、完全に振り切ったと思っていた。



それが、甘い考えだといえば、歯が溶けるほど、甘かったのかも知れない。






「・・・待ち合わせにしちゃあ・・・随分と、ナンセンスな場所だね・・・。」



出入り口から声がした。


気付いた時には、もう遅いってのは、定番中の定番と言ったところか。





「……!」





…あいにくと…その相手は、普通じゃなかったらしく。





「…ヒ〜ドイじゃないか。直し屋クローン。評判以下だねぇ…人の持ち物を持ち出すなんてさぁー。」




トイレの出口には、ムカつくほどスラリと長い足で、通せんぼしている白いロングコ−トを着た


・・・髪の長い女が、一人いた。




女は、サングラスをかけて、何がおかしいのか口元がニヤついていた。不気味な笑みだ。

さらに片手は、コートのポケットに突っ込んだまま。

女は名乗りもせず、カツカツとブーツの音をたてて、私の目の前までゆっくりと歩いてきた。




「・・・黒牢よ。

 ・・・あと、そこどいてくれる?それから、声伸ばさないで、普通に喋ってくれる?イラッとするわ。」



近くで見ると、またデカイ。

口は動くが、私は女の放つ威圧感に、負けそうになる。



スリリングな街で育ってきた私は、一目見て解った。


・・・・・・・コイツは、ヤバイ・・・・・・かも。


・・・逃げる・・・いや、もうこうなっては、逃走は無理そうだな・・・





「・・・私に2つも命令するんじゃないよ。たかが直し屋の分際で。・・・イラッとするわ。」



そう言い返す白いロングコ−トの女から、笑みが完全に消えた。



「たかが?じゃあ何で修理になんて出したんだ?

 あと・・・アンタの2倍、イラッとしたわ。」


「修理は所有権を持っていた男が、勝手に出したのよ。こちらで修理するって言ったのに。

仕方が無いから、そのロボットの所有権は、ムショの中の男から、私が買ったのよ。だから、どう扱おうと、もう私の自由よ。

修理代なら、十分な金を払ってやるし、こんな場所にまで、わざわざ引き取りに来てやっただけでも、ありがたく思いなさい。

あと・・・お前の4倍イラッとしたわ。」


女はそう言うと、ポケットの中から小切手のような紙切れを私の胸に押し付け、その上から銃で抑えつけた。


女が言いたいのは、死にたくなければ、金を受け取り、ロボットを渡せ。・・・それだけだ。



「こんな真似しても、ロボットはあの通り・・・私好みに改造済みだけど、それでも良いの?お客さん。」


好みというか・・・ありったけのパーツを詰め込んで作り直した、と言った方がいい。


「・・・奇遇ね。こういうロボット、私も好みなの。」



私は、女と会話をしつつ、頭の中では必死になって考えていた。


(どうする・・・?どうする・・・?)


「・・・その為に、色々聞きまわったみたいね?ロボット1体に、ご苦労な事で。」


「ああ、それは失礼。使えない男ばかりでね…だから、男は嫌なのよ。

元・主人も元・主人で、馬鹿過ぎたのよ。私は、そのロボットじゃなければ、ダメなの。

それなのに勝手に修理に出した挙句、工房の場所といえと言っても…行けばわかるだの、地図一つも書けないんだから。」



ハッキリ言ってしまえば…ロボットなんて、小切手を使うほどの金を積むより、新しいのを買った方が良い。




このロボットでなければならない理由が、あるのだ。



この女の趣味はともかく。

狙いは・・・なんとなくだが、察しがついていた。



察しがついているだけに…だからこそ、この場で捕まってしまうのが・・・悔しかった。



「・・・・じゃあ、貰っていくわ。」



交渉は勝手に成立してしまった。

女は、私の横を颯爽と通り抜けると、凜の腕をとった。


「・・・え?ちょ、ちょっと!?何するのよ!オバサン!」


(・・・え?)


・・・どうやら、女は凜をロボットだと思っているようだ。



・・・なるほど。


てっきりいると思っていた肝心のロボットは、まだ掃除用具の中だ。

何やってるんだか…。



「…ふうん…大分…”自分好み”に修正したのね?直し屋。」


女は凜の手首を持ったまま、私の方をみて微笑んだ。

凜が、私の好みかどうかは別問題として・・・



私は、その瞬間・・・自分でも大胆な計画を思いついた。



「・・・良かったら、キャラを元に戻しましょうか?ウチに、元のデータはありますよ。」


私がそう言うと、女は再び凜を見て、ニヤリと笑った。



「・・・いいわ。これはこれで、可愛いと思うし・・・楽しめそうだわ。」



その笑みは心底楽しそうで、凜の恐怖心は一気に引き出された。


「ちょっと!あたしは違ッ…黒牢ッ!?」


青ざめた顔で私の名前を呼び、逃げようとするが、女の力が強いらしく、逃れられない。


「あら、先程とはうって変わって…こういうの・・・ああ”ツンデレ”っていうの?」

「良くご存知で。」


「誰がツンデレよ!離せッ離せってばッ!黒牢ーッ!」



私は、凜に片目を瞑って、落ち着くように、と合図を送った。


・・・が。


半パニック状態の凜に、それが通用する事はなかった。


「黒牢っ!黒牢ーッ!」


「あらあら…ご主人様の名前をけなげに呼んで…こんな性格プログラムもあるのねぇ…」



涙目で私の名前を呼ぶ凜に対し、なんだか申し訳ない気分になってきた私だが…。



「…ああ、そうだ…マスター登録、まだ私のままなんですが、貴女に変えましょうか?」


「何言ってんのよっ!いい加減にしなさいよッ!黒・・・ッ!?」


バチリと音がしたかと思うと、凜はガクリとその場に倒れた。

女が手にしているのは、小型のスタンガンだった。

主に人間に使用されるが…ロボットの一時停止を目的にも使われるようにもなった。


(・・・銃にスタンガン・・・何でも持ってるな・・・。)



…凜には悪いが…少し、時間稼ぎをしてもらおう。


いや・・・コイツの”狙い”は、わかっているんだ。


私は黙って、女を見ていた。

・・・なんとなく、この女・・・どこかで見た覚えがある。


女がサングラスを外し、こちらに向き直った。


「ありがとう、直し屋・黒牢…マスター登録や、その他の調整はこっちでやるわ。

 それに、今のままでも…十分楽しめそうよ。あら、思っていたより随分と軽いのね・・・。」


そう言うと、女は指をパチンと鳴らした。


すると、女子トイレの中に、男が2人オドオドしながら入って来た。

女が顎で、合図すると、男2人は凜を担いでトイレから出て行った。

満足そうに、女はそれを見ている。



「・・・つかぬ事を聞くけど・・・ロボットの破壊が貴女の楽しみ、ですか?」


たどたどしい敬語だなと我ながら思う。使い慣れていないせいだ。


私の問いに、女は黙って目を細めた。


視線の方向は、どこか遠く、いやここではないどこかを見つめているようにも見えた。



そして、ぽつりと言った。



「・・・つもりは、なかっ・・・」



「・・・・え?」


気のせいだろうか、一瞬、女の表情が哀しそうに見えた。


私が聞き返すと、すぐに視線を私に向けて、サングラスを再びかけ

口元には、あの不気味な微笑みが浮かんだ。


一体何が楽しいのか、そして、何を考えているのかわからない。

女は、やや早口で喋り始めた。


「・・・いつも壊すつもりは無いのよ・・・でも・・・結果的に、いつも壊れちゃうの。」


女の姿勢が前かがみになり、どんどん早口になっていく。

口元は笑いで歪み、震える両手で自分の肩を抱き締めた。


「私だって…愛しいからこそ、愛したい…その一心でいつも接しているの。

優しい言葉をかけたり、一緒に食事をしたり…肌を触れ合わせたり…


・・・だけど・・・違うのよ。違和感を感じるの。愛しているのに、何かが違う…

こんなに、愛おしく想っているのに…愛しても…愛しても…愛しても…どんなに愛しても…結局は…いつも同じ…」




後半はほぼ呼吸をするたびに、引き笑いをして会話とはいえない台詞になっていた。

そんな女の情緒的な台詞の途中で、私は結論を言った。




「・・・・壊してしまう。」




それを聞くと、女の笑みはスッと消えた。



「・・・結果的に、ね。」



それは、自分はまったく悪くないと主張するような口ぶりだ。

工房に運ばれてきたロボットの姿を見ている私には、とてもあれが”愛した結果”とは見えなかった。


…単なるサディスト…で片付けば、いっそ楽なのだろうが…。



私は、直し屋として、聞いてみたかった質問を当事者にぶつける事にした。




直し屋だから、というよりも…私個人の疑問だった。

世の中、理解出来ない事は多い。だから、疑問を持つべきだ。そして、それを…解消すべきだ。

そのための情報は、目の前の女が持っている。私は、その情報次第で・・・結論を出す。


この女が、私の直したロボットをどう扱おうが・・・私の知る所ではない。


・・・なんて・・・


・・・もう、そんな風に考えることも、出来なくなっていた。



「…指や腕を折ったり、他人に輪姦させ眺めるのも、貴女の愛ゆえの行為の結果だと?」


女は”あら、直し屋は、そこまでわかるの?”なんて笑っていた。


「…痛みや苦痛の表情は、ロボットも人間も結構似ているのよ。声もね。

最近のロボットは、実によく出来ているわ。錯覚するくらい・・・とても、よく出来ている・・・。」


ロボットは、そういう風に出来ている。

人間が、人間の代わりに、人間に似せて、人間が最も信頼できる形で…そういう風に作られただけだ。


だが、言える事は一つ。



 ”それは似て非なるもの。”


「…ロボットは、アンタの求めている人間じゃない。・・・そもそも、ロボットも人間も、一つしか存在してないんだ。」



・・・らしくない台詞だと自分でも思う。

だが、ここで言わなければ。今、この相手に言わなければ、ならない気がした。


それは・・・ロボットの為なんかじゃない、私の為だ。

私の感情が、それを優先したのだ。



「・・・直し屋さん的には、こういう人間がいた方が、商売に困らないんじゃない?」



悪びれる筈も無い、と思っていたがやはり女はそう言った。


確かに。以前の私は、そう思った。

その通りだと思っていた。



だが、今は思わない。

少なくとも、私の後ろにいる・・・ロボットに関しては、だ。


「・・・・・・。」


黙ったまま、私は女を見つめた。

女は、私が何も言えなくなったと思ったのか、勝利の笑みを浮かべた。


「…フフフ…じゃあね…直し屋さん。」


女はカツカツとブーツを鳴らしながら、ゆっくり女子トイレから出て行った。


(………さてと。)


私は、掃除用具の扉を開けた。


「オイ、今の話、聞いていたか・・・・・・って・・・あれ?」



しかし。



てっきり、そこにいると思っていたロボットの姿が無かった。

私は、もしやと思い、床の穴を覗き込んだ。


見ると、ロボットは梯子の上り下りを繰り返していた。


「・・・えーと・・・お前は、どうして梯子を上り下りしてるの?」

『マスターに・褒められました・この行動を更に円滑にすべく・データを採取しています』


うーん・・・マイペースな子だ。

いや、なんとコメントしたらいいのやら・・・




「・・・真面目、だね・・・」

『ありがとうございます』



私は、ロボットに地上に上がるように指示した。


あまり、時間はない。

凜は、ただの時間稼ぎとはいえ・・・あの女の”趣味”の事がある。

解体まではされないだろうが…のんびりしてはいられない。


「だけど…私、とっつあんに殺されるかもな…」


凜を危険なヤツに手渡したのは、間違いないし…とっつあんに知れたら、ボルトもくれないだろうな…。



(・・・・まあ、いいや。)



「…とにかく、行こう。」


『マスター』


「ん?」


私を呼び止めたロボットが、私を心配そうに私を見つめている。



『あの・・・マスターは・・・私を・・・』



ロボットが、私の服の端を掴んで、普段よりも言葉を選んでいるようだった。

それに加えて、いつになく服を掴む力が強い気がする。



「・・・何も言うな。それは、わかってる。もう、わかってるんだ。」



私は、私の服を掴むロボットの手をそのままにして、ロボットの頭を撫でた。

ロボットは、目を閉じて私の手をそっと握った。



…私もロボットもお互い…知らなくても支障なく生きていけたのに、それを知ってしまった。



ロボットは記憶を消去できる、が・・・多分、それももう”不可能”だろう。

私は人間だから、一時的に忘れる事はできても・・・すぐに思い出せる。






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