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私の住んでいる”スリリングな街”には決まった名前が無い。

正式名称は、あった様な気はするが、誰もその名で呼ばない。

山みたいな高層ビルの御蔭で、1年中不思議な薄暗さを保つこの街には、高層ビルのある街で、後ろ指を指された人間や

実際刃物で背中を刺された人間まで色々な・・・そう・・・色々な”生物”が住んでいる。


どこからどこまでが街で、どこからどこまでが人の住処で、死体置き場かもわからない。

道端で寝ている爺さんを放っておいたら、実はミイラになっていた、なんて話もある。

真偽はわからない。ただの噂話だ。

爺さんのパターンもあるし、坊さんだったパターンもあるし、中年の娼婦だったってパターンもある。

酒の肴に、そういう話をしては『明日は我が身だな』と笑うのが、この街の住民だ。

だから、噂話というのは、あくまでもそういう扱いで、誰も真偽を確かめようとするヤツはいない。

いわゆる・・・触らぬナントカに祟りなし、というヤツだ。

どんなに貧しくても、自分の生活が辛うじてでも成り立っているのならば、欲張らない事だ。

うっかり噂話の真偽を確かめて、何かを知ってしまったら、命の灯火を消されてしまう事がある。

・・・私も、実際噂話に手を出し・・・危うく灯火を消されかけた一人だ。



その噂話とは・・・『Blood Disc』。


そのディスクを入れたロボットは、人間の記憶や感情をを継承して、自我に目覚め…

やがてロボットは、本当に人間のように…なんていう、ピノキオのような夢の話…



『おはようございます、黒牢』

「…ん…今何時?」


『…午前9:00…今、午前9:01になりました。』


「そう…」

『本日は、情報屋様のコーヒーサーバーの定期メンテナンス。

人妻昇天倶楽部様からご依頼の”ノリカ”の引渡し…それから宅配センター様から”宅配ロボ”のメンテナンス5体が届く予定です。』

「そっかぁ…ばあさん所と、5体のメンテかぁ…」


ウンザリするような仕事の量だが、仕事はあるにこした事は無い。

私は首を2、3回ほどコキコキ鳴らすと、ベッドから起き上がろうとした。

起き上がろうとしたが…


「ちょっと、ミコどいて…つーか、私の上から下りて。」

『はい。黒牢。』


ミコ、とはコイツ…目の前のロボットの名前だ。

名前の由来は…黒髪で、前髪がきちっと揃っていて、巫女さんのようだったから。


神聖な巫女、とは程遠い”元・風俗用愛玩ロボット”だったミコは、今では私を主人と呼び、ここにお手伝いロボットとして色々してくれる。

たまにやって来ては、ブツクサ言いながら部屋を片付けろと怒る凜と違って、ミコはただ静かに働く。

一度作業に入ると、周囲の状況なんてどうでもよくなる私にとって、静かに作業をしてくれるミコは、便利と言っちゃ便利な存在だった。


ベッドから起き上がって、まず作業着を脱ぎ捨てる。

私は作業を始めたら、あまり眠らない。

その代わり、体力のギリギリまで起きて作業し、一度寝たら、深く眠り込んでしまうので、いつ着替えたのか記憶にない。


つまり、睡眠を取ったらまずすべき事は、風呂。


その間、ミコがベッドを片付け、作業着を洗濯する。



長い入浴を済ませて、洗濯済みの作業着を着て、部屋に戻るとTVの電源が入っていた。



『あなた・・・私は、あなたの妻です!他の男に身を抱かれるくらいなら…潔く死を…うっ!』

『……………舌を噛み切りおったか…。』



(・・・また、微妙なTV番組を観てるし・・・。)


我が工房のTVは拾い物だが、実によく映る。ちょっとした内緒の改造を施せば…アナログの文字も消える。

※注 このサイトは、地上デジタル放送に喧嘩は売っておりません。裸でアナログ観て何が悪い!


TVには、この暑い季節に暑苦しい着物を着た時代劇が映し出されていた。一応断っておくが、私はTVを観ていない。

私はロボット工房で、日々ロボットに囲まれた仕事をしている。

夏は、作業用ロボットがよく壊れる。そういう季節・・・高温多湿の状況は、ロボットでも油断すれば壊れるものだ。

蒸し暑い環境でも、私の工房の中は季節を疑われる程涼しい。

元々、この街には光が当たらないのだ。除湿機も、3台フル稼働。外にある発電機2台もフル稼働。

私は扇風機一台で十分だし、もう一人の方は身体の中に”冷却ジェル”を流し込んである。

・・・涼しそうだなと思いつつ、人間の体にそんなもの流したら、夏でも凍死だ。



TVを観ているのは、そのもう一人の方。”ミコ”だ。

一体どういう内容に興味がそそられて、コイツはコレを観ているのかは良く解らないが…。


『これ以上の戦いは無意味だ。…潔く切腹せよ…それこそ真の侍…違うか!?』


多分、人間の言語・コミュニケーションを学習するプログラムの機能だろう。彼らロボットは、そうやって会話のスキルを更新している。

・・・しかし、時代劇で何を勉強してるんだろうか。アイツは。


『…黒牢、質問があります。』

「なに?」


『…”切腹”とは、なんですか?』

「…腹を自らの手で切ること。」


『…つまり…自殺、なのですか?』


「んー…自殺、には違いなんだろうけどねぇ…。

さっきの女みたいに誰かに何かされたり、殺されたりするよりはマシ、とか…

自分が何かヘマをやらかして、そんで責任を取るって形で自分の命を絶つとか…

何かと自分の命を引き換えにするんだよ。まあ・・・切腹ってのは、そんな感じかな。」


『…では、切腹と自殺は似て非なるもの、と認識すれば良いのですか?』


そういう事を、説明出来る程、私の頭は出来がよくは無い。私は、思ったことしか口に出来ない。


「………あー…私ぁ、自殺に興味ないからねぇ…詳しくはわからない。大体、生きたい一心で、ロボ直してる訳だし。」


なんて、適当な事を口にしてみる。説得力に欠けると自分でも思う。

面倒だから、後でコイツ専用の辞書ツールでもDLさせようかと思った私の後ろで、ミコはこう言った。


『…それを聞いて、安心しました。』


「・・・ん?」


『黒牢は、私の愛する人です。黒牢が、自ら生命活動を停止されると、私は悲しみで行動が制限されます。』


ロボットは、真顔で発言するから時々対応に困る。



「・・・・・・・・・・・あー・・・うー・・・そっか。」




元は、不正改造の愛玩用・風俗専用ロボット。それが”ミコ”だった。

”悲しみ”という名のプログラムは、そのミコの中に生まれた”感情”・・・のようなプログラムだ。



人間には、当たり前のように備わっている”感情”だが、コイツはロボット。

勿論、普通のロボットには、そんなものはない。



だが、ミコの場合は…『Blood Disc』が入っていた為、人間の感情、に似たプログラムを学習してしまったらしい。

らしい、というのは原因がハッキリしていない、という事だ。

Discを作ったヤツはいないし。私は直し屋であって、開発者ではない。




そもそも『Blood Disc』は、都市伝説のようなDiscだった。

存在自体、あやふやなもので、噂だけが人から人へと渡り歩いていた。


その『Blood Disc』をロボットに入れると、ロボットに人間の記憶や感情が芽生えるとか、暴走するとか一時期、世間をにぎわせた。


そんなもの、ただの都市伝説であれば良かったのに。


ズタボロ状態だったミコを直した私は、ミコの中に赤いディスクがあるのを発見した。

それが…本物の『Blood Disc』だったとは、笑えない話だ。


しかも『Blood Disc』は元々は、生きていた人間の少女の感情・記憶・死の瞬間を閉じ込めたもので、挿入されるとロボット達に記憶が反映される

・・・筈だった。


だが、『Blood Disc』の製作者の思惑は外れた。

ミコを始めとするロボット達に挿入しても、その少女の感情・記憶等、全ては反映される事はなかった。

そこで『Blood Disc』製作者は、ロボットの身体を何度も傷つけ、罵り、壊し・・・体に幾度も死の瞬間を”学習”させた。

ロボットは体を変えられて、『Blood Disc』を挿入され、また同じ事をされては、死者の感情や記憶等を取得していった・・・。


勿論、どこまで学習すれば、人間の感情をロボットが得られた、といえるのかは、不明だし

『Blood Disc』の製作者が何を考えて、これを作り出したのか…は考えたくも無い。


・・・所詮、馬鹿馬鹿しい噂話の一片だったんだと思う。



とにかく。



あの『Blood Disc』のせいで、私は散々な目にあった。そして…どうにか生き延びている。

・・・思い出すだけでも、二度とは経験したくは無い出来事だが、ミコにとっては、貴重な経験だったようだ。

御蔭で”悲しみ”というプログラムを学習したんだから。



しかし、その学習した効果の結果が・・・



『黒牢、愛しています。』


・・・これだ。



「―ッ!?いきなり脈絡も無くそんな台詞を言うなッ!!」



ミコの感情プログラムの中には、そういうモノも生まれてしまったらしい。

…ミコ曰く、私は…ミコに”愛されている”らしい。


そんな・・・人間でも、どう定義したらいいのかわからない、難しくって、ややこしいモノが、コイツの中には入っているらしいのだ。


・・・そうだ。人間の私ですら・・・よくわかっていないんだ。




”愛”なんて、単なる言葉だと思う。



プログラムするまでもない。存在すら危うい、言葉だけのふわふわ浮ついた存在。

それ以外に、その意味も、それが存在する理由も、その価値すら・・・何も知らない。

人は『それは若いからだ』とか『真剣に人を愛するようになれば解る』とか、勝手な事をぬかすが…


”それ”を知った時、人間の私は…そこに何を見出すのだろうか。

そして、その価値とは、一体なんなのだろう。





「あー・・・それにしても、腹が減ったなぁ・・・。」




価値とか云々より・・・まず、今日の飯だ。






 [ Blood Disc 2 ]







「よ。黒牢、相変わらずイイ女だね。俺とイッパツやんない?」



『定食屋 兼 BAR ビリー』の店主トウゴの決まり挨拶だ。


トウゴは、私の幼馴染のようなヤツで、昔からガキみたいな事ばっかりやっては、周囲の大人達に呆れられていた。

ロングヘアーにバンダナを巻き、白いタンクトップには店の名物メニュー・ナポリタンのケチャップやら味噌がついている。

だが、トウゴの店の評判は良い。ナポリタンと味噌カツ定食だけは旨いからだ。

先程のトウゴの”イッパツ”については、YESかNOかは答えなくてもいい。

トウゴは、性別が女ならば、必ずそう言うのだ。

何も知らない女性客は、大抵苦笑しながら手を振るか、真に受けて言葉を失う。時々、本気で憤慨して殴りかかる女性や、女性の連れの男がいる。

だが、トウゴは懲りずに客にそう言う。


「味噌カツ定食。」

いつものように注文して、私はカウンターの席に座った。


暗い店内に、ビールやワインの樽や、酒瓶が並ぶ棚を見ていると、いかにもBARの雰囲気なのだが

テーブルの上には、御飯と味噌汁そして味噌カツ。なんともアンバランス。

昼は定食屋・夜はBARのこの店の従業員は、このトウゴともう一人しかいない。


「おっけぇー・・・あれ?」

トウゴは私の後ろの存在に気付くと、ややっと即座に反応し、ヤツなりの『いらっしゃいませ』の類義語を発した。

「お姉ちゃん、すっげえイイ女だね。俺とイッパツやんない!?」

トウゴは見ない顔の女性には、特に気合を入れた接客を試みる。

私は私で、コイツがどう返事をするのか、という好奇心に駆られてワザと放っておいた。


すると。


『・・・30分から8000円のプレイが可能です。ちなみに素股プレイですとその2倍、本番プレイだと3倍の…』


ああ、やっぱり、風俗プログラムが抜け切れてなかったか。

直そうかと思ったのだが…

やっぱり面倒だし、あのディスクの一件以来データの修正と管理は、コイツに任せようと思ったのでやはりそのままにしておいた。

油断すると、すぐコレだ。


「えぇ〜!?い、いいんスかぁ!?黒牢、オマエの友達、めっちゃくちゃノリいいのな!」


何も知らないトウゴは嬉しそうに笑っている。

ていうか、料金請求も同時にされてるのにそんなに嬉しいのか、お前は?と私は思う。


「・・・気付きなさいよ、風俗愛玩用ロボットよ。」


私が事実を伝えるとトウゴは、顎が外れるほど、ガクリと口を開けた。


「え…あ…ロボ…?…な、なんだよ〜!!俺せっかくモテ期キターッ!って思ったのによー!」

「…いいから、真面目にカツ揚げなさいよ。」


「俺はなぁ…黒牢…最終目標は結婚なんだよぉ…!

嫁一筋を装って、時々AVをコソコソ借りて、夜中に嫁と子供の寝顔の隣でこっそりヌくのが夢なんだよ!」


「・・・最っ低な夢ね。」


私は頬杖をつき、笑いながらそう言った。この街では”普通の幸せ”は、”最高の夢”だと言われていた。

結婚なんて、慰謝料の為にする儀式だというのが通説で。

子供を生んでだり、拾ったりして育てるのは、後継者を育ててもうすぐ引退の証。

人間同士の関係に確かなモノなど無いのだから、籍とか云々は街の住民の頭の隅にもない。


だが…トウゴの最低な夢は、人間同士じゃないとダメなのだ。

「あー・・・また、俺の夢が遠ざかったよ・・・。」

トウゴの落ち込み振りをみて、左右の目の色が違う女性型愛玩(元・風俗用)ロボットは言った。


『それは、残念です。またのご利用をお待ちしています。』

「……おうよ…」



(……あ〜ぁ…トドメを刺したな…ミコ。)





「ほい、おまっとさん。本当、最近のは良く出来てるよなぁ・・・」


トウゴは、私の前に味噌カツ定食を置くと、私の隣にいるそいつを改めてまじまじとみた。

私は、目の前の定食に箸をつけた。御飯の量が見事に山盛り状態で、おかずと御飯のバランスが明らかに違う。

・・・サービスのつもりだろうか?だったら、浅漬けか納豆くらいつけて欲しいが・・・。

「なあなあ、黒牢、この子名前は?」

トウゴは、ロボットだと解っていても久々の”女性客”に興味を隠せないらしく、彼女にではなく、私に聞いた。


「…ん?・・・ああ・・・”ミコ”。」


私がそう紹介すると、自分の名を呼ばれたミコは私の方に体を向けた。


『お呼びですか?黒牢。』

「いや、呼んだだけ。」


私はそう言って、味噌カツを口に入れると、ミコはニコリと笑った。


『そうですか。では、お食事をお続け下さい。』

「うん。」



「・・・・・・・・・。」


私とミコのやり取りをみていたトウゴは、まるでショックを受けたような、しょぼくれた顔で私を見ていた。


「・・・何よ、トウゴ。そういう顔で見られてると、食べにくいわ。つーか、殴るわよ?」


私がそう言うと、トウゴは頭を抱えながら言った。


「だってよ、羨ましすぎるだろぉ〜!そんな可愛いくて、敬語使ってるロボットと一緒なんてよぉ…毎日楽しいだろぉ?

・・・ていうか・・・ヤッてんの?お前とミコちゃん・・・。」


何を言うかと思えば、下らん事を・・・と私は箸を折る勢いで言い放った。


「言うな!…オマエの楽しみと私の楽しみは違うの!…一応、メンテとか色々大変なんだから。それに、風俗プログラムは使ってない。必要ないから。」


「・・・ふう〜ん。もったいねえの…なあ?ミコちゃん?」


だから、そういう話をミコに振るな、と私が睨む前にミコは丁寧に答えた。


『黒牢は、私を大切にしてくれています。メンテナンスもよくしてくれます。環境は極めて良好です。

黒牢が望むのならば、私は風俗プログラムの行動はしません。それで良いのです。』



うんうん模範的な答えだ、と頷きながら私は味噌汁をすすろうとした所に・・・


『私は、黒牢を愛しているのですから。』


トドメの一撃が。


「っ!?ゲホゲホッ!!」


むせ続ける私に、トウゴは笑いかけながら言った。


「っかー!ますます良い子じゃねえか!お前の事、愛してるんだってよ!」

「・・・ゲホッ・・・んなの、知らないわよ!」


「まったく、素直じゃねえなぁ…黒牢…ロボットとはいえ、大切にしてんだろ?


・・・・・・それって・・・・・・・・・・・・・・・・・愛だぜ?」


「ゲホッ・・・間を溜めてまで言う台詞か、馬鹿。…だから…知らないっての。つーか、蹴るわよ。」


「なんだよ。知らない知らないって…ムキになりやがって。黒牢、ミコちゃんの事、愛してるなら、抱けよ。もしくは抱かれろよ。」


「・・・トウゴ、愛してるの意味、解って言ってるの?ていうか、死ぬか?今、ココで。」


「お前はさ〜昔から、妙に深く考える癖があるからなぁ…考えるな、感じろって言うだろ?」


いよいよ腹が立ってきた私は箸を置いて、カウンターの向こうで体をくねらせているトウゴに言った。


「私の話、聞いてたか?おい。マジで、レーザー銃で撃ち抜くわよ。そのスカスカ頭。」


しかし、トウゴはトウゴなりに、私の現状が羨ましくてたまらないらしい。


「…だぁってよぉ〜!!…俺の相棒はアレだぜぇ!?」


情けない声を出すトウゴの指差した方向には、夜のBARで活躍するバーテンロボット『ビリー』がいた。


ミコは人間に似せて造られているが、ビリーはロボットそのままだ。

鉄むき出しの腕に、ドラム缶を細くしたような身体、そして、人物や物を認識するアイカメラが顔の中央に1つついている。

足は安定性を考慮されて、キャタピラ。背中にはビールサーバーやら、調味料やら、とにかく色々背負わされている。

手も機械丸出しだが、あれはカクテルを作るのに最適な動きをする。


ふと、ビリーのアイカメラが、キュインと動き、トウゴを捉えた。


『アレとはなんダ・相棒・大体ナ…ロボットに性別はねえのサ・不満なら・オイラのボディに風船を二つつけナ!』


見た目とは裏腹な流暢な言葉遣いでビリーは顔のスピーカーから、トウゴにそう言い返した。


「風船2つで女になれるか!馬ぁ鹿!」


人間のトウゴがそう言い返しても、ビリーは『馬鹿って言った方が馬鹿ダ。』と切り返す。


「…ビリーはいいロボだと思うよ。よく働くし、トークスキルも問題ない。何よりオマエの面倒を見られるロボットなんかそうそういないって。」


私がそう言うと、ビリーは『よく解ってル!黒牢様ステキ!』と両腕を挙げた。


・・・”そういうゲンキンな反応が、相棒にソックリだぞ”とは私は言わなかった。


私が再び箸を持つと、ミコが『黒牢』と呼んだ。


「ん?」

『私は、どうですか?』


箸を置いて、私はミコに尋ねなおした。


「・・・なにが?」

『私の働き方に、黒牢は以前から”するな”とか”やめろ”とか、拒否ばかりです。

私は本来の機能を黒牢の為に発揮できていませんが…それでも、お役に立てていますか?』


「お役にって…お前の”本来の機能”なんて、私は使えないし…役に立つとかナントカって、そういうの…どうでも良いんだってば。」


ミコの本来の機能、それは私が面倒臭がって直していない風俗ロボットの部分だ。


『…黒牢…それは、私が不要という意味でしょうか?』

「だから……!」


トウゴの前で言うのは物凄く嫌なので、私はミコを傍に呼び寄せて、耳元でそっと言った


「・・・何度も言わせないで・・・オマエは、私の傍に、いてくれるだけでいいの。・・・解った?」


私がそう言うと、ミコはコクリと頷き復唱した。


『…はい。私は、貴女の言うとおり、傍にいるだけで黒牢が良いのなら、私は黒牢の傍にいます。』




「ああああああ!聞いたかビリー!羨ましいぜ!チクショウ!!」

『アア!羨ましいナ。黒牢様みたいなマスターで。チクショー!』


ミコの言葉を聞いたトウゴは頭を抱えて叫んだ。ビリーも同様に叫ぶ。

ついでに、私も頭を抱えて叫んだ。


「あ゛ーッ!!ミコッ!わざわざ、私のいう事、繰り返さなくてもいいのっ!」


しかし、ミコはにこりと笑って答える。


『はい。黒牢。』


そんなやり取りをしていると、店に人が入ってきた。

黒いロングコートの女が入ってきた。ここら辺じゃ見ない女だ。


(・・・あー・・・前科者かな。多分一回目の刑期終えた感じ。)


私は、すぐにそう思った。

前科者に多いのは、トラブルや人目を避けようとして、必要以上に周囲の目を引かないようにしている態度。

せっかく刑務所から出たが、これからどうしようという不安を背負った、冴えない顔。

服装は、コートで隠れてはいるが、コートの下から出所前に流行っていたスカートが覗いていた。

年は40代くらい。痩せていて、髪の毛は痛んでいて、少し白髪も混じっているように見えた。



「いらっしゃい!・・・どう?お姉さん、俺とイッパツやんない?」



トウゴは女性客には、普段通りの挨拶をする。

女はトウゴの質問に少し驚いたようだったが、それには答えないで、トウゴをじっと見て、箸を咥えたままの私を見た。


「あの・・・あの人と同じものを下さい。」

「あいよ!味噌カツ定食ね!」


トウゴの質問には、答えても答えなくてもどっちでも良い。

トウゴは笑って、いつも通り、調理に取り掛かる。女はホッとした様子で、トウゴの背中を見ていた。


私は食事を再開し、ミコはそのまま座っていた。


『・・・・・・。』


チラリと横を見ると、ミコが黙って女を見ていた。


(珍しいな・・・。)


女はミコがじっと見ているのに気付かず、ただトウゴの後ろ姿を見ていた。

ビリーがキャベツを刻む音と、トウゴがカツを入れた瞬間、油の跳ねる音。


その油の音に何か思い出したのか、女は一瞬ハッとして、肩をびくりと跳ね上げた後、ミコの視線に気付いた。


「ミコ、水持って来て。」


私はすぐにミコに命令を出した。

ミコはこくりと頷き、椅子から立ち上がり、女は悲しそうな顔をさっと伏せた。


「おまちどう!・・・あ、ポテトサラダはサービスね!」


トウゴが満面の笑みで、味噌カツ定食と小鉢に入ったポテトサラダを置いた。

・・・何故、私にはポテトサラダが付かなかったのかを問い詰めたくなったが。


「え?サービス?」


「いや、何・・・お客さん、ウチは初めてだろ?」

『それに・良い女に・サービスするのは・この店の基本だからサ!』


「あ!ビリー!そういう台詞は俺が言うんだよ!」

『ウルセーナ!トウゴが言っても・説得力ナイ!このレディが・喜ばないダロ!』


ビリーがそう言って、手をあげると女はそこで、くすっと笑った。


「・・・ありがとう、二人共。」


この街で暮らすトウゴも、女が多分出所してきたのだと思っているんだろう。

適当な理由をくっつけてはいるが、トウゴなりのお祝いといった所だろう。



(・・・私は出所してはいないが、ポテトサラダも食べたかったな、と。)



心の中で意地汚い恨み言を言っても、トウゴの馬鹿には伝わらない。

大盛りのご飯を味噌汁と味噌カツの味噌で、黙々と胃袋に押し込む。



「ごちそうさん。」

「おう!また来いよ!!」


ミコを連れて、店を出る。





今日も、スリリングな街は空気が淀んでマズイ。

この街は、機械と人間とゴミで構成されている。その境界線はあやふやで、だけどどこか明瞭で。


時に命が失われ、生まれの繰り返し。喜びと悲しみの繰り返し。

時に、悲鳴と怒号に似た男女の喧嘩や、オカマ同士の喧嘩、女同士の喧嘩もある。

毎日、生きる事に必死過ぎる人間が、誰かを殺していても、自分を殺してしまっていても。


絶えない人々の・・・声・声・声・・・。


だが、この街は、そんな声がどんなに多かろうと、大きかろうとも・・・機械の轟音が時間と共にかき消していく。

何事も無かったように、今日も誰かが死に、誰かが誰かを捨て、誰かが産声をあげる。





そんな事など普通だと感じてしまう感覚。・・・このスリリングな街の住人である、いい証拠だ。



「さあて、仕事だ。」



空腹は満たされた。明日の空腹を満たす為の仕事をする。





「・・・そういや、アンタの馴染みの・・・定食屋のガキ・・・アレ、なんて言ったっけねェ・・・あたしも歳だよ、まったく。」


ある日。

コーヒーサーバーのメンテナンスに来た私に、寂びれた喫茶店の皮を被った情報屋のばあさんが、ふと思い出したように話を切り出した。

いつも通り薄暗い筈なのに、コーヒーの匂いがしないだけで、ただでさえ寂れている喫茶店が、こうも暗くみえるとは、と思う程暗い。

そんな店内に、床に座り込んで、作業をする私の隣には、ライトを持って私の手元を照らす役目をするミコと、ブツブツ独り言を言う店主のばあさんしかいない。


そもそも、セルフサービス式のコーヒーすら無いのだ、人がいないのも無理は無い。

ましてや、本業の情報屋も私とミコがいては、邪魔な印象を客に与えるだけなのだろう。やはり人は来なかった。


「あの角の・・・定食屋のガキ・・・アレ、なんて言ったっけねェ・・・あたしも歳だよ、まったく。」


さっきから、名前が思い浮かばないらしくブツクサ言ってたと思ったら、そんな事かと私はドライバーを置いて答えを言った。


「・・・トウゴ?・・・ミコ、もう少し右照らして。」

『はい。』


私の答えに、ばあさんはピクリと動きを止め、噛み締めるように”そうだった、そうだった”と繰り返した。


「・・・そう、そうだ・・・トウゴ。そのトウゴってガキの親、最近、出所したらしいじゃないか。」


しわがれ声が、弾みをつけて私の耳に飛んできた。


「・・・え?」


”それ”は、初耳だった。


トウゴは、確か私と同じで、この街に捨てられ、私と同じように生まれた時についていた名前を捨てた。

ただ、私と違う点は、私は名前を何度も変えたが、トウゴは1度しか変えていない。


それに、お互い親の話など、した事は数回程しかない。

それは「もしも、親に捨てられてなかったら、どうなっていたか」という絵空事に近い、子供らしい話だった。

だから、トウゴの親がどこにいるか、どういうヤツなのかも、ましてや・・・刑務所に入っていた事など、まったく知らなかった。


「・・・ちょっとばあさん、その話詳しく聞かせて。」



トウゴとは・・・なまじ”幼馴染”という関係があっただけに、今回、この話に首を突っ込んでしまったのが・・・

”そもそもの間違いだった”と今にして、思う。











『・・・今日の黒牢は、トウゴさんの事をよく気にかけていますね。』



ミコに静かにそう尋ねられ、私は言葉をこぼした。


「・・・うーん・・・ばあさんから、あんな話聞いちゃうとなぁ・・・。」


ばあさんの喫茶店からの帰り道。相変わらず、昼だか夜だかわからない薄暗い街を私とミコは工具を担いで歩いていた。


私が口には出さずとも、トウゴの事を考えているようにミコには見えたらしい。

普通の人間なら、傍で聞いていた会話の流れの後、私が黙って考え事をしていると大体の内容に見当が付く。


確かに、私はトウゴの事を・・・トウゴの心配をしていた。

指に食い込む紐が工具の重さを物語る。だが特に気にせず、私は話を始めた。


「あいつは、さ・・・ある日突然、この街に流れ着いてきたんだ。私と同じように、最初は一人だった。

いや、この街の連中は最初・・・誰もが一人なんだ。運のいいヤツや本当に誰かを求めているヤツだけが、一人にならずに、生きていける…。」


『・・・。』


別に今、ロボットであるミコに教える必要もない単なる情報だったが、なんとなく私は口を開いていた。



「まぁ、おかしな出会いなんだけどさ・・・アイツ、最初はドレスを着てたんだ。よりにもよって、この街で。」


『・・・ドレス、ですか?』


「…そう。今でも覚えてるよ。元は白とピンクらしかったんだろうけど・・・どこをどう歩いてきたんだか、全部こげ茶色になっててさ。

うちの工房の前をトロトロ歩いていたんだ。で、まだその頃生きてた奥さんが、慌ててトウゴを引き止めたんだ。

・・・”そんな格好してると襲われちゃうわよ”ってね。」


『この街を子供がそんな格好して歩いていると・・・危険、なのですね。』


「・・・ああ。この街じゃあ、子供だろうとなんだろうと自分の金になるなら、平気で襲うんだ。ルールなんか、ほぼ無いからね。

それもドレス着た子供なんかが歩いていたら、金持ちの子供だろうと思い込んで襲いに来る。

もしくは・・・バラバラにして臓器を売って、自分の糧にする。

・・・それを知ってる奥さんは、トウゴをすぐにうちの工房に引き込んだんだ。」



私は、昔話を始めた。

話相手はロボットだったが・・・ミコ以外に、この話をする事はないだろうと思った。

大体、この街で思い出話なんて、一文にもならないし、飯の種にもなりはしない。

いや、それ以前に・・・誰も聞く耳も持たないのだ。



だから、聞いて欲しかった・・・のかもしれない。

ミコは真っ直ぐに私を見つめて”続きをどうぞ”と静かに言った。











トウゴが初めてこの街に来たとき、私は既にこの街の住人だった。

いつものように、師匠と一緒に仕事をしていた私は、外に明らかに、この街の住人ではない子供を見つけた。

奥さんが私の後ろからやってきて、”まあまあ大変”と言いながら、外に出たのをよく覚えている。



奥さんは、工房の前を通り過ぎようとしているトウゴの目の前に立ち、目線を合わせるため、しゃがみ込んで笑った。

トウゴは目を背けて足を一歩踏み出したが、奥さんの顔を見てピタリと足を止めた。



「・・・おばさん、前歯無いの?馬鹿みたいな顔だよ。」


トウゴが、いきなりそう聞いたので、私は思わず立ち上がり、一発殴ってやろうかと思った。

だが、奥さんは笑って頷きながら言った。


「そうよぉ、一本だけね、無いの。貧乏だから。でも、奥歯はあるから、御飯は食べられるし、馬鹿でも生きていけるわ。」


奥さんは前歯が一本無いが、気にする事無く歯を出して、トウゴに笑いかけた。

おまけに身なりも師匠と同じで薄汚れている。髪はくせっ毛が強くて、歯が抜けているせいも悪い相乗効果を発揮して正直、あまり美人とはいえない。

だけど、奥さんは笑う。

誰かが歯抜けだ、マヌケだと嘲笑っても、怒られて殴られるよりも、笑いかけてくれる方がいいのと言って、歯を出して笑う。


師匠も私も、そんな奥さんの笑顔が、奥さんが大好きだった。

だから、奥さんを馬鹿にするヤツを奥さんが許しても、私は許せなかった。


やがて、トウゴは変な顔と言って少し笑った。

いよいよ私が殴りかかろうとした時、奥さんは、トウゴの右手をそうっと、まるで小さな生き物を扱うように、両手で包み込んだ。


「・・・さあ、こっちにいらっしゃい。着替えて、御飯を食べなくちゃ。明日の為に、今日を生きなくちゃね。」


トウゴは、その言葉に俯いた。そして、奥さんが”ね?”と聞くと、黙って頷いた。


私は、改めてトウゴの格好を見た。ボロボロで汚いドレスに、一種の・・・何か嫌なモノを感じて、殴る気が失せた。

そして、奥さんもよく人を拾うよなぁ、と思いつつ、師匠が練習用にくれたロボットを解体して、直す作業に戻った。


その頃、師匠は暇さえあれば、私を練習用のロボットの解体と組み立てを繰り返しやらせた。

少しでも面倒臭がって手を抜くと、何故かバレてしまい、よく拳骨を喰らったものだった。

その代わり、私が完璧にロボットを組み立てると「レベルUPだ」とニヤリと笑う。思い返せば、師匠なりにあれは一応褒めているつもりだったのだろう。

私には、不気味な笑みにしか見えなかったのだが、拳骨よりはマシだったし、師匠の機嫌も良かったので、それなりに嬉しかった。


師匠は師匠で、鬼のような形相で工房の台につきっきりで作業をしていた。

奥さんのやる事に文句は一言も言わずに、ただ仕事に没頭しているのが日課みたいなもんだった。

トウゴは、そんな師匠を横目で怯えた目で見ながら、奥さんの後ろを通っていった。




やがて、工房の奥にある狭い浴室から、声が聞こえてきた。

「ねえ!この服、セリのだけど・・・良いわよね?セリ。」


振り向くと、奥さんの細い腕でビニールのカーテンから、私の服をヒラヒラさせていた。

私の服はほとんどが、奥さんの手作りだ。作業しやすく、少しぶかぶかしているのが特徴的だった。

スカートの類は女の子を強調してしまい、この街では危険なので、奥さんは私にスカートを履かせたがらなかった。

子供の私だって、スカートを履いたらどういう事になるかくらい大体解っているので、文句は言わないし、履きたいとも思わなかった。


それは当時、この街ではスカートを履く女は娼婦と相場が決まっていたからだった。

今は、スカートを履いている女は娼婦のフリをした強盗だったりするので、スカート=娼婦なんて図式は幻となった。


「別にいいよ。・・・でも、それ膝とケツ破れてんじゃないの?」

と私が言うと、奥さんは高い声で答えた。

「あーら、ホント。・・・もう、セリも早く言ってくれたら、私直したのに。」


・・・ちなみに”セリ”とは、当時の私の名前だ。

奥さんが春の七草の”芹”から取った名前だった。花言葉は「貧しくても高潔」で、奥さんは気に入っていた。

だけど当の本人の私は貧しいは似合っても、高潔だなんて、名前負けもいいところだと思う。それは今も思う。


やがて、シャワーの音が聞こえてきた。




だが、その直後。




悲鳴のような泣き声が浴室から工房まで響いてきた。






それには、さすがの師匠も顔を浴室に向け、私に顎で”いって見て来い”と指図した。

私はロボット停止用のレーザーガンを持って立ち上がって、浴室に向かった。


そっと、浴室のドアを開けると、トウゴが全裸で服を着たままの奥さんの膝に突っ伏すように悲鳴を上げて泣いていた。

”どうしたの?”と聞こうとしたが、とても声を掛けられる状況じゃなかった。

奥さんは私の方を向くと、首を横に振った。私はそれを見て、レーザーガンをズボンの後ろに突っ込んだ。


トウゴの白い体には、赤い痣と誰かが噛んだ痕が所々にあった。


「・・・もうダメだ・・・洗ってもとれない・・・汚れてるって言われた・・・汚れてんだ・・・汚いんだ・・・!」


トウゴの涙声で発せられた台詞で、私は顔を背けた。

何処かのクズに、トウゴが何をされたのかは、腹が立つほど解った。


奥さんは、泣き続けるトウゴに言った。


「・・・人はね、誰かに人生を変えられても、汚されるものじゃ無いのよ。

体は誰かに汚されるものなんかじゃないの。

人が汚れるのも、綺麗に出来るのも心だけよ。体はその心の受け皿なの。誰も、汚したりなんか出来る筈ないでしょう。

・・・だから、アナタがアナタ自身を汚れているなんて、認めないで頂戴。」


奥さんの言葉にトウゴは顔を上げて、叫んだ。


「綺麗事言うな!お前ら大人は、助けてもくれなかったくせにッ!」


トウゴは押さえ込んでいた感情が爆発して、混乱しているのか、奥さんに喰ってかかかった。


・・・工房に連れ込まれなかったら、別の大人に何をされるのかわからなかったと言うのに

奥さんに怒りをぶつけるトウゴに私は再びレーザーガンを向けようと思った。


だが。


「そうよ、アナタからすれば私は助けてくれなかった大人の一人だったし、今のは綺麗事に聞こえるかもしれない。

私の言う事は、ただの言葉でしかないわ。

でもね・・・私は嘘はついてない。心の底からそう思っているわ。」


・・・奥さんは元・娼婦だ。

トウゴの身なりを見て何をされたのか、多分見ただけでわかったのだろう。

解った上で、工房に連れ込んだんだろう。



奥さんはそう言うと、静かに涙を流してトウゴを見つめた。



「・・・それから、アナタは、もう一人じゃないわ。一人ぼっちを望まなければ、アナタは一人じゃない。一人にはさせないわ。」


その言葉で、トウゴは奥さんの服を掴んでいた手を離し、肩の力をふっと抜いた。


「・・・どうしてこうなったのか、なんて考えなくて良いの。明日を生きる事、明日する事を考えましょう・・・その方が、ずっといいわ。」


奥さんはシャワーでずぶ濡れになりながらも、トウゴの背中を撫で続けた。

トウゴはまた悲鳴のような泣き声を上げた。


私は、そのまま浴室のドアを閉めて、工房へと戻った。

師匠がこちらを見ているので「なんでもないって」と言うと、師匠は髭を撫でて「そうか」と背中を向けた。

1時間以上経ってから、トウゴは私の服を着て出てきた。

そして、そのまま奥さんに髪を短く切られた。ボサボサだった長い髪が、さっぱりとして、トウゴは鏡を見て少しだけ微笑んだ。


その日の晩、夕食はナポリタンが出た。

奥さんの料理はいつも適当もいい所で、特にナポリタンの麺は大皿に山盛りになって、具なんか見えない。

ケチャップとトマトが好きな師匠と奥さんはとにかく、真っ赤なナポリタンをよく食べていた。

具が時々舌に触れるだけ、あとはひたすら麺の量が多いナポリタンは、トマトの匂いと味が濃くて、不思議なくらい美味かった。

私も師匠も口の周りを真っ赤にして、その日の食事を食べた。


「・・・さあ、食べて。いつもより多く作ったのよ。はい。」


(・・・確かに、いつもより具が見えない・・・。)


奥さんは、大皿のナポリタンを見つめるだけのトウゴに、ナポリタンを取り皿に分け、赤くなったウインナーの端っこをちょんとのせて、差し出した。

トウゴはしばらく見ていたが、やがてフォークを取ると、ゆっくりと口に入れた。

ゆっくりと咀嚼して、いかにも不味そうに飲み込み終わると同時に、物凄い勢いで食べ始めた。

その勢いに、思わず師匠も私もフォークを止めた。


「良かった・・・これで、明日も生きられる。」


奥さんがそう言って、トウゴの頭を撫でるとトウゴは泣きながら、取り皿のナポリタンを食った。

そして”おかわり”の言葉の代わりに「美味い・・・」と鼻をすすりながら言った。


それを聞いた私は奥さんと目を合わせて、笑った。


私の食卓の中心には、いつも奥さんがいて、その傍に師匠がいた。


他人のトウゴがいる食卓でも、関係なく、その日の夕食はやっぱり美味かった。

いや、元々ここにいる皆は、他人だ。

綺麗とはいえない部屋に、他人が集まり、それでも食べるものは美味いと感じ、不思議と笑みがこぼれる・・・そんな食卓だった。

そして、トウゴは泣きながらナポリタンを食った。泣いていても、そのがっつき具合で、美味そうに見えるから不思議だった。



その後、しばらくトウゴは工房に時々だが、顔を出した。


始めは奥さんにだけべったりと張り付いていたが、しばらくするとトウゴは、私にも馴れ馴れしく話しかけてきた。

奥さんと話す時だけ笑顔だったヤツは、段々普段からヘラヘラ笑うようになった。

トウゴは、考え方も奥さん並に前向きになり、トウゴを知っているヤツは皆、トウゴをお調子者野郎と呼んだ。


・・・多分、それがヤツの元々の性格だったんじゃないか、と今は思う。


正直、私は最初、トウゴに話しかけられても単に作業の邪魔だと思っていたが

この街の事を知らないヤツが何をするかと思うと危なっかしくて、見ていられなかった。

だから、トウゴに遊びに誘われたら、奥さんに”行っておいで”と言われたら素直に遊んだ。(師匠は何にも言わないから。)


トウゴには、この街のルールも教えてやった。

この街で危険じゃない場所はなかったが、ルールさえ守れば子供といえども、街の住人だと認めてくれてる。

住人に認められて、顔を覚えてもらえたら、危険はある程度、回避できるし、仕事だってもらえる。

・・・勿論、その仕事は綺麗とはいえない仕事も多いが。


この街の住人は、街の住人以外の人間をあまり好まない。

もし好意的に接する時があれば、それは自分の糧としてしか見ていない、いい証拠だ。

大抵、住人からかけられる安全な挨拶は「よお、クソガキ、死にてえか?」だ。

”やあ、どこに行くの?”、”お腹空いてないか?”・・・なんて親切に聞かれたら、まず疑った方がいい。


ただ、例外がひとつ。奥さんだ。

奥さんみたいに、ただ無言で笑って目を合わせるだけで、誰でも信用させてしまうのは、不思議な事に奥さんにしか出来ない事だった。

ただ笑っているだけなのに、その笑顔にほっとする。師匠も多分そうだったから、赤の他人の奥さんを傍において、ずっと仕事をしてたんだと思う。


奥さんは、私と同様に時々遊びにくるトウゴを可愛がって、飯まで食わせた。

師匠は相変わらず、無口でぶっきらぼうだったが、私とトウゴが悪戯やヘマをやらかすと拳骨を同じ数だけ喰らわせた。




「セリ、すげえよ。一人で自分よりデカイロボット組み立てるなんてさ。・・・俺ダメだ、部品、全部同じに見える。」


ある日、トウゴがそう話しかけてきた。


「いつの間にか覚えた。・・・ま、黙ってこういうのいじるの、好きってのもあるけどさ。生きてく為には何か覚えないとね。

・・・お前もいずれ何か仕事しないと、生きていけないわよ。何か特技とか、自分でやれそうな事とか無いの?」


私が、そう言ってトウゴからネジを取り上げると、トウゴはしばらく悩んだ。


「・・・・・・じゃあ・・・俺、料理だな。」

「・・・喰うの専門?」


そりゃ確かに生きていけるわと笑って私がそう言うと、トウゴは自分の手を見ながら言った。


「・・・いや、奥さん見てて思ったんだ。」

「なんで、奥さんが出て来るのよ。」


「いや、俺・・・飯が美味くて、生きてて良かったって思ったの、奥さんの料理が初めてだから。

俺もそういうの作りてえなって。まあ・・・出来るかどうか、わかんねーけど。」


確かに、泣きながら喰ってたな、と私は思い出し笑った。

そして、”それによ”と付け加え、トウゴは照れ臭そうにこう言った。


「・・・奥さんの料理する姿、俺好きなんだ。ああやって、嬉しそうに笑って何か作れる大人になりたい。」


自分から何かをしたい、と言ったトウゴは初めてだったし、トウゴの言う事に私は同意した。


「・・・・・・うん、わかる。」



その後、トウゴが自分から働きたいと言い出してから、数日後。

師匠が、どこからか調理場の仕事があるから、トウゴに一言”行って来い”と言って地図を渡した。

その後、奥さんが詳しく説明して、トウゴは、やっとこの街で生活するために仕事が与えられた事に気付いた。

子供だったトウゴの仕事は、皿洗いと床磨きから始まった。

調理場の先輩によくブン殴られて、時々奥さんの顔を見に来ては泣いていた事もあるが、トウゴは仕事を続けた。



・・・そして、トウゴはこのスリリングな街の住人になった。












「よ、セリ♪ブラジャー何色?」

「・・・死ね。」


「やだ。へっへっへ。」


トウゴがある日、また頬を真っ赤に腫らしてやってきた。

この頃から、挨拶はこういうセクハラめいたものが定番になっていたが、私は笑ってかわしていた。


「ったくもう・・・あ、奥さんだったら、師匠と買い物に出てるよ。

 ・・・あ、奥さんにパンティの色は聞くなよ、今度こそ、師匠にトドメ刺されるぞ。」


「なあ、セリ、俺とデートしない?」

「しない。忙しい。ガキじゃないし。馬鹿じゃないの?」


「お前さー…もう少し、柔らかく断れよぉ。思春期なんだぜ?俺達。」

「はいはい、思春期だからこそ、働かないとね・・・。私が仕事をしておかないと、怒られる。だから、また今度。」


「・・・まるで家族みたいだよな。だからかな、この工房来ると、俺安心する。」

「・・・ふうん。」


私は、師匠からメンテナンスを言いつけられていた工具を拭いていた。


「あのさ・・・セリ・・・俺が、この街に来た時、覚えてる?」

「・・・うん。・・・どうしたの?急に。」


「言わなかったっけ?・・・俺の親さ・・・実は、両方とも女なんだ。」

「・・・は?」


危うく大事な道具を落としそうになったが、私は手を止めてトウゴを見た。

トウゴは笑っていた。


「正確に言うと、母親Aの卵子と全然関係ない男の精子から、俺が出来てさ。

 生まれた俺は、母親Aと母親Bで俺を育てて・・・・」

「ちょっと待ってよ・・・何よ、急に・・・。」


何故、急にトウゴがそんな話をするのか、理解に苦しんだ。

だが、トウゴは話を続けた。笑いながら。


「でさ・・・母親Aと母親Bは、別れちまったんだ。んで、母親Aも母親Bも、2人共、俺はいらねえってさ。」

「・・・トウゴ・・・もう、いい。そんな話、私にしなくても・・・」


ただでさえ、この街では過去の話なんか一文の得にもならないというのに。

いや、トウゴの過去の話を受けとめられる程、私は大人じゃなかった。

正直言うと、知るのが少し怖かった。



「・・・いや・・・聞いて欲しいんだ。聞くだけで、いいからよ。」


そこで、トウゴの声はトーンダウンした。

聞きたいとは思わなかったが、私は了承した。


「・・・・・・わ・・・わかった・・・。」


「別に親が両方女でも俺は構わなかった。

小さい頃から、親は親だし、そんなモンだと思ってたし、別れる前はすげー可愛がってくれたからさ。不満なんかある訳なかった。


・・・でも・・・所詮、俺は、女同士のカップルのペットみたいなモンだったのさ。

愛の記念に子供作っておきましょって感覚だったのかもな。小さい頃、俺は2人の愛の結晶だなんていわれた記憶がうっすらあるんだ。

愛に性別は関係ねえだの、なんだの言ってた割に、あっさり別れてやんの。ざまあねえよ。・・・で、愛の結晶を犬みたいに捨てたんだ。あいつら。」


「・・・・・・。」


「そこからは地獄だった。俺は、施設行き。俺の親は3人くらいいるんだが、どこにいるかわかんねえ。

施設のオッサンが、またド変態でよ・・・俺にヒラヒラのドレスなんか着せて・・・オッサンを相手にしなきゃ、飯も食えねえ。

・・・・まあ、正直、周囲の大人全員大嫌いだった。」


トウゴは私の顔をみて、施設での内容を話すのをやめたようだった。

・・・言われなくったって、大体想像がついていた。

トウゴの周囲の大人は、トウゴをモノのように弄んだだけだった。


「・・・勿論、そんな状況に追い込んだ母親達も恨んだ。

・・・そんな生活が続くのかと思うと嫌で嫌で、俺は死ぬ気で逃げた。

いや、もう・・・逃げられるなら、死んだって良いとおもってた。だから・・・」


「・・・・だから、この街に・・・・?」


私がそう言うと、トウゴはしゃがんで笑った。


「ああ、自暴自棄ってヤツだな。スリリングって噂だけは有名だからな、この街は。

・・・希望も無かった訳じゃねえけど・・・良い思いをしようなんて考えも無かったな。

ただ、どこでもいい。こんな人生を生きてるのが、嫌でそれから逃げたかった・・・でも・・・逃げられるワケねーよな。俺一人しかいねーし。

だけどさ・・・。」


地面に落ちてるボルトを拾い上げて、トウゴは掌で転がしながら言った。


「俺さ・・・奥さんに会って、初めて・・・上手く言えねーけど、人って良いなって思えたんだ・・・。

あ、勿論・・・お前もな。」



私も同じだった。奥さんと師匠に拾われて、良かったと思った。

汚い空でも、汚いヤツの言葉が飛んで来ても、奥さんはそれから守るように包み込んでくれた。

師匠は、生きる術を教えてくれた。私の家族は・・・間違いなく、あの2人だ。

それから、トウゴは・・・こういうのもなんだが、この街では貴重とされる”信用出来る友達”だ。


「俺さ・・・奥さんに会って。母親って、普通、あんな感じなのかなって、思ったんだ。

奥さんが、俺の母さんだったらって何度も思った。辛い時も優しくって温かい言葉をくれる人が・・・。」


そこで、トウゴの言葉が、詰まった。


「・・・・・・俺、なんで・・・母さん達に・・・捨、てられ・・・た・・・ん・・・だろ・・・

俺が、喧嘩のたびに泣いたりしたから、悪かったのかな・・・」



「・・・トウゴ・・・」


「・・・俺・・・一体、何の為に・・・誰の為に、生まれたんだ・・・?俺は・・・」







『生きていて、いいのか?』





当時、その問いに、私は答えられなかった。

その問いは、あまりにも重すぎた。



ただ、その時の私は言える事が一つだけ、あった。



「・・・生まれるモンに、正解も不正解もないよ・・・。

どうしてこうなったのか、なんて考えなくて良い、明日を生きる事、明日する事を考えろって・・・その方がずっと良いって、奥さんが言っただろ?」


私は、奥さんの言葉を借りた。

友達の真剣な問いに、自分の言葉で返せなかった事が、少し悔やまれたが・・・他には何も言えなかった。



「・・・・・・・・・・・・ああ・・・そう、だな・・・。」


トウゴは、ボルトを私に手渡すと”悪い、重い話しちまってさ”と笑った。








「・・・とまあ、それがトウゴと私の話だ。・・・長くなったね・・・聞いてくれて、ありがとう。」

『いいえ。黒牢が、何かを話されるのは珍しく、私にとっては嬉しい事です。』


「あ・・・いや、ただの世間話みたいなもんだから。」

『それでも、構いません。』


「あー・・・だからー・・・さっきのばあさんの話に戻るけどさ・・・。」

『トウゴさんの母親の件、ですね?』


「うん・・・トウゴは、母親達を憎んでる。

憎しみを親の存在ごと必死に忘れようとしてたヤツに、ばあさんから聞いた話は出来ない。

それに、今のトウゴにとって、ビリーだけが家族なんだ。やっと・・・アイツにも心を許せる家族が出来たのに・・・。」


『ビリーさんは、黒牢が作ったのですか?』


「ん?あぁ・・・正確には、殆ど師匠製作。私は、補助。

メンテナンスは出来ても、私は作れないよ・・・ビリーは、見かけはああでも、中身が結構、技術詰まってんだ。これが。」



私も師匠の仕事を手伝わせてもらえるようになった頃。私は、師匠と奥さんとたまにトウゴのいる店に顔を出した。

そして、奥さんが体の調子を崩し始めた時、トウゴはわざわざ店を休んでナポリタンを作りに来た事は今でもハッキリ覚えている。

奥さんほどじゃないけど、とトウゴは苦笑していたが、ナポリタンは美味かった。


それからまもなく、トウゴが働いているオーナーの爺さんが肝硬変で死んで、爺さんの息子は店を土地ごと売りに出し、トウゴは働く場所を失った。


落ち込むトウゴに、師匠が珍しく言葉をかけた。

「独り立ちするチャンスじゃねえか。」と。

その言葉に後押しされるようにトウゴは、自分で店をやると言い、まず汚いボロ小屋で一人、店を始めた。

店かどうかも怪しいその小屋を見て、私は不安になったのを覚えている。



「・・・で・・・その時だ。奥さんの提案でさ、師匠と私が、あの”ビリー”を作って、トウゴにプレゼントしたの。」



その時のトウゴの喜びようときたら、なかった。こっちが苦笑してしまうくらいだった。

ビリーという名は、トウゴがロボットを見るなり、すぐに付けた。


まるで昔からの家族のように、ビリーとトウゴは2人で店を続けた。


・・・あの日、自分の親の事を話しながら、声を詰まらせたトウゴの事を思い出すと、私は改めてビリーを作って良かった、と思った。



店の小屋もいつ崩れるのか不安だったが、もっと不安だったのは、一人で店をやるには、トウゴの経験は浅すぎる、という点だった。

だから、師匠はビリーに、ありったけの技術を放り込んでやった。師匠の優しさ、というヤツか、職人としてのプライドかは知らない。

その御蔭で、ビリーはトウゴに負けず劣らずよく喋り、よく働いた。


その後、運の悪い事に台風で小屋が飛ばされてしまったが、トウゴはビリーと青空の下でも構わず店を続けた。

屋根なんか無くても、ビリーがいたらトウゴはビリーのメンテナンス代の為にフライパンを振った。


料理は美味かったし、ビリーのキャラクターも街に馴染んで、それなりに客はついた。

勿論、苦労がまるで無かったわけじゃない。客に喧嘩を売られて、ビリーを壊されかかった事が何度もある。

その度に、私と師匠はトウゴに呼びつけられて、何度も何度も直してやった。

壊される度に、ビリーは頑丈になって、口も達者になっていった。


「・・・やっぱさ、師匠はすごい技術者だったんだよ・・・私なんか、直し屋っていっても・・・。」


そう言って、私は空を見上げた。



『でも・・・黒牢は、私を作ってくれました。』

「・・・それ、褒めてるつもり?」


『感謝です。』


「・・・ふふっ・・・ありがとう。言葉通り、素直に受け取るわ。さて・・・帰ろうか、ミコ。」


『はい、黒牢。』








次の日。


嫌な予感がした。


的中しなければいい。


そう思ったが・・・



私の工房の電話が鳴った。


・・・電話はトウゴからだった。






『黒牢!頼む・・・ビリーが壊された!早く来てくれッ!』





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・・・とりあえず修正が終わったものからUPしていきます・・・続きは、また後日・・・