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たとえば。

時間を止められるとする。


何をするかって問われたら、まあ大体人間っていうのは、ろくな事をしない。


学校にも行かずにゆっくりと寝る?

いつも自分に嫌な事をする人間に悪戯?

銀行に侵入して現金をありったけ奪う?

好きな人の部屋に不法侵入?

それとも、薄い本に描かれるようなえげつない行為?


羅列してご覧よ。

酷いもんだ。


ま、微笑ましい行為もあるだろうけれど、さ。


そもそも、時間が止まっていないと出来ない行為に、ロクなもんはないんだ。

だから、皆、時間が進んでる時はやらないんだしね。


…何故こんなアホらしい空想話から始めたかっていうと。


禁じられた行為って言うのは、それだけ魅力があるって事さ。

抗えない時間があって、人間の場合、人間同士で決めたルールがある訳だが。


逆に言えば、それらが無い状態になれば、禁じられた行為は容易に出来るのだ。


何をしてもバレない。自由にやれる。全てが思いのまま。


これら言葉を聞いて、心躍ったかい?

そういう人間は”解放”を求めてるんだろうね。普段から窮屈さを感じているのかな?

ダメだって束縛しているのは、自分自身だというのに。


ま、そういう状態になった時でも、やる奴はやるし、やらない奴はやらないんだ。


やるかやらないか。

ボーダーラインを越えるのは簡単さ。




キッカケさえあれば、人は簡単に…





そこで、だ。


…願い事はあるかい?


叶えさせてよ。

これも、良いキッカケになるかもしれないし、そうはならないかもしれないけれど、その時は、もう一つ願いを叶えましょう。



そうして、沢山沢山…沢山、沢山の…”色”を私におくれ。






・・・さあ、願いは?












朝7時。タイマーでカーテンが自動的に開き、朝日が部屋に差し込む。


気だるさが残る体を起こすものの、瞼が重い。


「…ふあ…。」


視線を隣に移すと、家主のお姉ちゃんがぐっすりと眠っている。

いつも思うけれど、普段が”あんな”だけど、寝顔が可愛い。

そっと横髪をずらし、お姉ちゃんの頬に少し指先をあてる。

長い睫毛は動く事は無い。出会った時より、私もお姉ちゃんも髪の毛の長さが伸びた。








(…失敗、しちゃったな…。)



私の学校の先輩で、桜井美雪という人がいた。

だけど、その人は、私の入学前に遺体で発見されていた。


桜井先輩の死んでしまった原因には、ミラージュという女好きの女が関わっているらしい。


私とお姉ちゃんは、今、そのミラージュという女を捜している。


お姉ちゃんは仕事として。

私は、篠原先輩の為だ。


私に親切にしてくれた篠原先輩は、死んだ桜井先輩と友達…だった人で。

桜井先輩は女が好きという共通点を持っていたであろうミラージュという女と会っていた、らしい。

マスコミに、篠原先輩のせいで桜井先輩が死んだみたいに言われたのを聞いた私は、篠原先輩の為にもミラージュを探そうと思った。


でも、そのミラージュって女の名前は、実はって言うか、勿論、偽名な訳で…。

顔も本名も何も知らない。


そもそも、お姉ちゃんにミラージュが偽物であると教えて、偽物を探してくれと依頼してきたのは、”本物のミラージュ”こと桐生泰子って人なのだ。

桐生さんは、お姉ちゃんの仕事相手らしくて、お姉ちゃんも嫌な顔をしつつもちっとも断ろうともしないし。


正直、桐生さんの事は…私は苦手だ。

だって、お姉ちゃんの事を口説こうとしたり、お姉ちゃんの事を襲おうとしたり、すごく下品な人で私はあまり好きじゃないんだもの。


で、その桐生さんの情報で、偽ミラージュが現れる店に行ったのだけれど、変な女の人にも襲われかけるし、見事に失敗してしまった。


変な女の人…犀島晴海って人も、好きじゃないな…。

凄く嫌な事ばかり言うのだもの。


篠原先輩と私をベッドに押し倒そうとしたのよ。未成年で、同性なのに!!

 ※注 火鳥さんも同じ事しましたよ?



『待って!わ、私だけでいいでしょ!彼女は、身体が弱いのッ!命にかかわるの!帰してあげてッ!!』


そうやって私を庇ってくれた篠原先輩に向かって、犀島さんは言った。


『ああ…私ね、そういうの嫌いなのよ。』

『え?』


『だって、それだと…”貴女達の記憶に焼きつかない”じゃない。』

『な…何、言ってるんですか…!?』


私は思わず、そうたずねてしまった。

こんな状況を、記憶に焼き付ける?


すると、犀島さんはまたニッコリと笑って言った。


『私はね、人の記憶に自分が残りたいの。

貴女達が死ぬ間際に、しっかりと”私”という存在を人生の一部として走馬灯に登場させたい位、しっかりと。

だから、貴女達の記憶に、より強く私を描き込む為に…

貴女の”救えなかった”という罪悪感が更に強くなるように…その子から先にするわ。』


犀島さんの目には、一切の光は無かった。


『く、狂ってるわ…ッ!!』と篠原先輩が言っても、犀島さんは、むしろ満足そうに笑っていた。


『ああ、そうそう!そうなのよ!皆、そう言いながらもあんあんとよがって、泣きながらイッちゃうのよねぇ…。』


・・・あのゾクリと寒気を誘う目は、忘れようと思ってもなかなか消えてくれない。

お姉ちゃんと君江さんが助けに来てくれて、本当に良かった。



後から聞いた話だけど、桜井先輩は篠原先輩に友達以上の想いを寄せていたのだけれど、篠原先輩はその想いには応えなかった。


…篠原先輩は、ずっとその事を悔やんでいるようだった。

そうじゃなかったら、桜井先輩は死ななかったって思い込んでいて…

篠原先輩だって、悔やんでいるからこそ、あの店にやってきたのだ。


犀島さんは『桜井美雪が死んだのは自分のせいじゃない、と罪悪感を払拭しに来たのだろう』と言っていたけれど、私はそうは思わない。


お姉ちゃんが言っていた。


『”友達とそんな事は出来ない”アンタはハッキリと自分の意志を伝えた。それが間違いだとアンタは本気で思ってるの?

傷つけるのが怖くて、そのまま自分の身体を友達に捧げてしまうのが、アンタの思いやりなの?

…違うでしょ?アンタの意思は、ハッキリと出ていた。”桜井は友達だ”ってね。』



篠原先輩は、自分の意志を示した。

結果、桜井先輩の想いは叶わなかった。

願っても、叶わぬ願い。


そして、桜井先輩は、ミラージュに会った。



それから・・・。



(死んでしまった…。)


死んでしまう前に、桜井先輩は…やり場のない願いや気持ちをちゃんと吐き出せたのだろうか。

そもそも、どうして死んでしまったのか…誰も知らないのだ。


私は、会った事もない桜井先輩の想いを想像している内に、泣いてしまった。



それは、”かわいそう”、とかじゃなくて・・・。




「…蒼。」



ふと名前を呼ばれて、視線を横にずらすとお姉ちゃんが、肘枕でぱっちりと目を覚ましてこちらを見ていた。

お姉ちゃんは、何も言わずに私の顔に手をあてたかと思うと、親指で何かを拭われた。

それが涙だと気付くのに数秒掛かった。

お姉ちゃんは、何も言わずにぐしゃぐしゃと2、3回私の頭を撫でると起き上がってドアに向かっていった。


「あ、お姉ちゃ…」


声を掛けようとしたのだけど、お姉ちゃんは背中を向けたまま言った。




「…アンタは止まってても、時間は進むわよ、蒼。」



時計をみると…15分以上もぼうっとしていた事に気付いた。




「・・・あッ!ち、遅刻しちゃうッ!!」





そうだ、私の時は動いているのだ。


…どっかの化け物が、願い事を聞きに来るオーダータイム以外は。









 
『 フルカラ − 黄 yellow −』





「はい、今日はクレソンとにんじんとりんご、その他の野菜ジュースですよ!はい、飲んでッ!」


「・・・・・・。」 ← 嫌そうな顔の火鳥さん。


ソファに座る私とお姉ちゃんの目の前に、グラスが二つ置かれる。


「…ねえ、その他って?」と私が疑問を口にしても「はいッ!飲んでッ!!」としか君江さんは答えてくれない。

お姉ちゃんは聞いても無駄だと、黙って嫌な顔をしたままグラスを持ち上げる。


一口、口に含む。


(…あ、他に、ほうれん草と桃、パイナップル?…後は……わかんない…。)


毎日、ジュースの味を探るが完全正解した事は無い。




「「・・・(ゴクゴク)。」」



・・・今日は、ちょっと苦い。



「今日もこれだけは、マズイわね。」

お姉ちゃんは、苦い顔でしみじみそう言った。


(…そう言いながらも残さずに飲み干すんだから。)と私は笑いを堪える。


火鳥家の朝は、君江さん特製野菜ジュースと肉で始まる。


「はーい!朝食ですよ!」

席に着くと、既にテーブルには夕飯と朝食らしいメニューが並んでいた。


朝から不釣合いな”じゅー”という鉄板で肉が焼かれる音。

お姉ちゃん…朝からTボーンステーキなんて…見ているだけで重い…。

熱々の鉄板から、まるでシリアルをすくう様に簡単に肉を切って口に運ぶお姉ちゃん。

夜、あんまり食べてないから、朝しっかり食べさせるんだって君江さんは言ってた。


「いただきます。」



私は胃がもたれるから、ベーコンエッグで済ませてもらう。


「ん、美味しい。」

蒸し鶏とキャベツのサラダには胡麻ドレッシングがかかっているけれど、ちっともしつこくない。

ご飯の上には、梅干しが一個既に乗っていて、お味噌汁の具は豆腐と長ネギ。


「梅はその日の難逃れってね。」


君江さんなりの私への気遣いだ。

病み上がりのせいか、入学式で倒れてしまい、その次の日は微熱が出て休んだし。

登校へのハードルが上がってしまい、学校へ行くのが全く憂鬱じゃない、と言えば嘘になる。


完全に病弱キャラ、確定だ。

でも、遅かれ早かれ、そうなっていたのかもしれないのだから、体育の時は気張らなくても良さそうだ。



「蒼ちゃん、コレがバスの時刻表。これは定期。あと、これはお弁当に…昼に飲むお薬ね。」


君江さんはクリアファイルと手作りの巾着を差し出し、ピルケースも丁寧に見せてから巾着の中に入れた。

巾着はピンクのしましまで、どこかのお店で買ってきたんじゃないかと思うほど、縫製がしっかりしていて、赤い小さなリボンまでついていて、可愛い。


「ありがとう。君江さん。」


私がそう言うと、白いエプロンを揺らし、君江さんは私以上に嬉しそうに笑った。


「バスに乗り遅れたら、必ず電話してね?変質者がいるんだから。」

笑ったかと思ったら、今度は心配。君江さんってば、忙しい人。


「大丈夫だよ。」

「でも…ねえ?お嬢様、やはり送り迎えした方が宜しいのでは?」


大丈夫と言った私の言葉なんて放り投げて、君江さんはお姉ちゃんに訴えた。

お姉ちゃんはお姉ちゃんで、冷静に言い放つ。


「忍ねーさんが言ってたでしょう?これからどんどん普段通りの生活にしなくちゃダメだって。この爪楊枝を、少しでも割り箸に近づけさせないとね。」

「つ、爪楊枝じゃないもん!割り箸にもならないッ!!」



もうッ!いつか大理石の柱みたいになってやるッ!



「・・・それに、アタシの車での登下校はきっと悪目立ちするわ。」


きっとっていうか、もう悪目立ちしすぎて、入学式には多数の方々にドン引かれてました。


「入学式で、折角手駒になりそうな同級生も捕まえたんだしね。刃向かわない様にしっかり仕込みなさいよ?」

そう言って、ニヤッとお姉ちゃんは笑っていた。


「もう!お姉ちゃん!ストレートに友達出来たって言ってよーっ!!」


「ああ、そうですわね、お友達と登下校したいですものね。野暮な事言いましたわ。」

そう言って、君江さんは嬉しそうに笑った。



「ご馳走様!…行ってきますッ!」

そう言って、私は食べ終えた食器を持って席を立った。

君江さんが素早く食器を受け取り、ニッコリと笑った。


「はい、行ってらっしゃい。」


私は、お姉ちゃんの方を見た。

「・・・。」

「ん。」


お姉ちゃんは私の方を見ず、スマホの画面を見ながら、左手を軽く振った。

”早く行きなさい”って感じで。


んもう。

これだから人嫌いは…。



朝の空気は、割と好き。

この街、最近やたら緑化運動をしていて、花壇や木が植えられたりして、緑色が増えてきた気がする。


しっかりと城沢グループの宣伝までしてあって、日本の企業も抜け目が無い。


「なんで、平日にこんな事を…」

「今年の社員研修”植林”って…楽そうだと思ったのに…。」

「早朝から土いじりとか、マジ辛い…。」

「あ、そういえば、こういう時の為の水島はぁ?」

「あれ?さっきまで、女王アリが身体にどうのとか騒いでなかったっけ?」


大人も大変なんだなぁ〜・・・。


忙しそうにみんな歩いたり走ったりしているけれど、私は時間に余裕をもってゆっくり歩く。

急ぐと、ロクな事にならないって身体が知っているし。


(あった、コレだ。降りるバス停は…『杜若町13丁目』ね。)


お姉ちゃんの家から、バス停は10分程度離れているが、これはこれで良い運動。

バスは5分程待っていると10分遅れでやって来た。予定時刻より6分遅れている。

”ぴー”という音と共に中央のドアが開き、並んでいた人々に続いて乗り込む。

ICカード式の定期券を機械にかざし、乗り込む。

立って吊り革を掴んでいる人が4人ほど、優先席は一人分ありそうだけど、私はもう重病人じゃないから座らない。

後部座席なら座れるかな、と見るけど、空席が見当たらない。

…あるにはあるけれど、二人分の席に足を広げて座っている大きなおじさん、座席の上に大きなブランド物のバッグを置いているお姉さん…と言った具合に座りにくい。


(・・・ま、いっか。)



「おはよう、蒼。こっち。」

氷室琴深がそう言って、私につり革に掴まるように促す。


「あ、ありがとう。あれ?琴…あ、そっか。琴はバス通学だったんだね。おはよう。」

「蒼、具合どうなの?」


琴は、相変わらず包帯をしたままの手でつり革を掴み、私を心配そうに見てくれる。


「ああ…ごめんね、ご心配おかけしました。大丈夫。」


私はそう言って、包帯の事には触れずに会話を続ける。

人にとって、目に入ってしまっても踏み込んで欲しいモノと踏み込んで欲しくないモノがあるのを、私は知っている。

それに、琴が骨折しているのを私は知っている…知っているけれど、骨折している方の手でつり革を掴むのは…いや、コレに関してはツッコむのは止めておこう。


「ノート、後でいる?まあ、授業はそんなに進んでないけどね。」

「ありがとう。琴。」


(そうそう、やっぱり友達とのやり取りってコレよね!)


「あのさ…蒼、篠原先輩と結構仲良くなったの?」

「ん?・・・ああ、まあ、入学式の時に色々お話したしね。」


「あの人…蒼に変な事を言ってなかった?」

「え?」


変な事?


「桜井美雪先輩の事でさ…ちょっとした噂があるんだよ。」

琴が少し眉間に皺を作って、そう言った。


「ああ…うん…。」


それは、良くない噂だとすぐに予想はついた。

多分、桜井先輩と付き合ってたとか桜井先輩を振ったとかそんな感じかな。


でも、篠原先輩本人から聞いた状況は、夜の女同士で色々出来るお店の帰り、だなんて言えないし…。

ミラージュの事もお姉ちゃんには言うなって言われているし。


「・・・蒼、もしかして知ってるの?」


聞きたそうな琴に、私は少しだけ笑ってみせた。

これ以上、噂に尾ひれ背びれをつけたりなんかしない。


「私が知ってても知らなくても、篠原先輩は優しいし、私嫌いじゃないから。」

大事なのは、そこだけなのだ、と私は言い切った。



「ま、そうだね。」

「あ、そうそう!琴のアドレス教えて!」


私は、話題を変えるのと連絡先を交換しておこうとスマートフォンを取り出した。


「そうだね、蒼ともまだ交換してなかったね。」

琴と私はその場でアドレスを交換した。


バスは、学校の校門の近くの道で停まる。

制服姿の女の子達がぞろぞろと降りていき、私も運転手さんに軽く会釈をして降りる。

そこから少し歩いて、ゆっくりとレンガ造りの校門をくぐる。


(なんか、久々な感じがする…。)

通い慣れていないせいで、違和感を感じる校門を抜け、制服の女の子達の中に溶け込む。


チリンチリンと自転車のベルが聞こえ、その方向に向くと私に向かって手を振る津久井さんがいた。

「はぁ〜い☆」

初めて会った時から変わらぬ高い声で、手を振る津久井さん。


「あ、おはよう!つく…エーコちゃん!」

思い切って、彼女の希望通りの呼び方をしてみる。


「!!!」


するとエーコちゃんは急に自転車を止め”がしゃん”とその場に自転車を乗り捨てるようにして、そのままこちらへ走ってきた。


(え、何?ちょっと・・・?)

走ってくる。・・・物凄い勢いで。

まるで、主人公を殺しに来る冷酷なロボットのように、真っ直ぐ走ってこちらに迫ってくるので、私は思わず後ずさってしまった。



「ちょ・・・すんごい勢いつけて走ってくるけど…蒼、どうしてその名で呼んだ?」

琴も私につられて後ずさる。


「え、だって…エーコちゃん、名前で呼んでって言ってたし…ふごおうッ!?」


エーコちゃんが勢いよく私に体当たり攻撃に近い強さで…抱きついてきた。


「う〜〜〜れ〜〜し〜〜い〜〜〜!!やっと本名で呼んでくれたのね〜!!!」




エーコちゃん、よっぽど嬉しかったのかも。

凄く痛いくらい強く強く抱きしめられて。

痛いけれど、こんなに喜んでくれるなら呼んで良かったなんて思えてくる。


誰かに私がした事で喜んでもらえるのって…なんだか久々かもしれない。

ああ、そっか…。思い出した。こんなに嬉しいのか。



「うっぜー…。」「ていうか、キモイ。」「耳痛いんですけど。」


ボソッと周囲から言われても、エーコちゃんはぎゅっと抱きついたまま…


(あれ…泣いて、る…?)


少しだけ、湿り気を肩に感じた。

私がエーコちゃんの顔を見ている事に気付いたエーコちゃんは、ふっと緩く笑って小声で言った。


「…マジで、ありがと…。」


そんなに?って言いたかったけれど、喜んでいる時にそんな事をわざわざ言うのは野暮だ。


「自転車置いてくるわ。」

そう”普通”に言って、エーコちゃんは駐輪所へ向かっていった。


「蒼、津久井の奴のテンション、あんまり上げない方がいいんじゃない?」


琴が面倒そうな顔で周囲を見るように促しながら、言った。

周囲にいたのは、冷たい視線でこちらを見る女生徒達。

でも、どうしてそんな視線を向けられるのだろう?私は友達の名前を呼んだだけだ。

私達が騒ぎすぎたのだとしても、あんまりな反応だ。


「琴…津久井じゃなくて、エーコちゃんだよ。本人、多分…すごく本名に愛着があるんだよ。」

「いや、そうじゃなくてさ。津久井は、あの通り非現実的キャラだろ?結構、ウザがらててさ、周囲もあんな感じでさ。僕も正直ちょっと、ね。」


「そう?呆気に取られる事もあるけれど、私、別に気にならないよ。」

「…演じてる感じがして、僕は正直嫌だ。」


確かに、演技に近い何か…違和感は感じる。

先程の通り、普通にお礼言ったり、自転車置いてくるなんてすんなりと言えるエーコちゃんは”あのキャラクターを演じている”のは間違いないとしても、だ。


「ん〜…じゃあ、どうしてあのキャラを演じてるんだろ…。」


その疑問が浮かんでくる。


「知ってどうすんの?」と琴が周囲の人間と同じように冷めた感じで言うので、私は少しだけ残念に思えた。

琴なら、個性に関してきちんと認めてくれそうな気がしたのに。

…いや、琴みたいに個性を重要視しているからこそ、余計”キャラクターを演じる人”が嫌いなのかも。

でも、私はあえて琴を征するように言った。


「知らないままで、あんまりどうこう他人の事言うの、私は嫌だから。」


私がそう言うと、琴は黙ってしまった。

…怒らせてしまったのだろうか。


教室までゆっくりと歩くつもりでいたのだが、琴はどんどん階段を上がってしまった。


(やっぱり、怒らせちゃったのかな・・・)


息が上がって、少しだけ足を止める。


「高見さん。」


階段の踊り場で足を止めている私の頭上から、声が振ってきた。

顔を上げると黒いタイツ…そして…心配そうな顔をした篠原先輩がいた。

先輩、今日は三つ編みだ。緩めの三つ編み・・・いいなあ、私ももっと髪の毛のボリュームがあればなぁ・・・髪の毛細いんだもん。


「篠原先輩、おはようございます。」

「おはよう。高見さん・・・えっと・・・。」


朝の挨拶が済むや否や、微妙な沈黙。

桜井先輩と偽ミラージュの一件で、私と篠原先輩には共通点が出来た。

あまり歓迎出来ない繋がりなのだけれど、入院していた私にとっては…今、人と繋がってるんだって実感できる事が嬉しい。

あ、この場合はちょっと不謹慎だけど。




「あの、高見さん、あれから…何か…。」


ああ、やっぱり、桜井先輩の事だ。


「あ…あの、お姉ちゃんが調べているみたいなんですけど…今の所、新しい情報はないみたいで。」


お姉ちゃん曰く、もう少し情報が必要だし、今は囮の必要は無い、との事。


「そう…ごめんなさい。本来なら私がもっと調べなくちゃいけないのに…。」

「だ、ダメですよ…!この間の危ない女の人だっているんですし…!お姉ちゃんに任せた方がいいですッ!」


私と篠原先輩は、危ない女の人に二人揃って襲われている。


「ええと・・・あの、貴女のお姉さんって・・・一体何者、なの?」


「あぁ…で、ですよね…。うーん…なんというか、その…」


ああ、なんて説明しようか…。あんまりペラペラとお姉ちゃんの事を喋ると怒られそうだし…。

人嫌いで…女の人から好かれやすくって、お金持ちで、結構なんでも出来るし、人脈は広いんだけど、物凄く…敵を作りやすい人………くらいだろうか…。


ああ、なんだろう…説明すると意味がわからないし、非現実的な存在過ぎる…!!


「あの、お姉ちゃんは…色々出来る人、としか…あんまり、自分の事話さない人なんです。」

「そう…。」

「…あ、もしかして…お姉ちゃんの言葉、気に障ってしまったでしょうか?」


お姉ちゃんと一緒にいる時間が多いから私は多少は理解出来るのだが、お姉ちゃんはモノの言い方が物凄く、キツイ。


「いいえ、貴女と貴女のお姉さんの言葉で、私は…前向きにこの件と向き合おうって思えたから。」

「そう、ですか…。」


「私が気になったといえば、あの犀島って人よ…。」

「ああ…酷い人でしたね…。」


「でも、その犀島さん…貴女のお姉さんを知っているようだったじゃない?だから、私…。」

「お姉ちゃんは、何も言ってませんでした。本当に知らないのか…それとも忘れているのか…うーん…。」


「他人の記憶に残りたいって言ってた人の前で”覚えていない”なんて、挑発以外の何物でもないわ。その…大丈夫なのかしら?」

「…お姉ちゃんは大丈夫です。むしろ、お姉ちゃんの敵になる人の方が…大丈夫かなって感じで。」


事とお姉ちゃんの機嫌次第によっては、話しかけただけでも顔踏まれるんじゃないかな、と思う。


「…そ、そう…凄い人なのね、貴女のお姉さん。」

「そうです。(色んな意味で。)」


私の答えに、篠原先輩は苦笑しながらも納得してくれた。



「じゃあ、安心ね。犀島さんが貴女の事をどうこうしようとやって来たらって不安でしょうがなかったんだけど…」




「サイジマ…?」



呟くような、か細い声が後ろから聞こえ、私が振り向くと同時に、エーコちゃんは黄色いリボンのついた通学鞄がドサリと落とした。




「あ、エーコ…ちゃん?」

「……。」


エーコちゃんの目は見開かれたまま、宙を見ていた。

さあっと青白くなっていく顔色にただならぬ予感がして、篠原先輩と一緒に駆け寄った。


「…貴女…大丈夫?顔色…」


先輩の言葉が終わる前に、エーコちゃんがその場にへたり込んだ。


「エーコちゃん!?」


ガタガタと震えるエーコちゃんの肩に私が触れようとした時


「いやぁッ!!」


叫びに驚いて、私は思わず手を離した。


「「!!!」」


エーコちゃんは心の底から”触られる”のを怖がっていた。

廊下の壁に背中をぴったりとつけて、エーコちゃんは何度も何度も横に振りながら怯えた目で私を見つめ返した。



「エーコちゃん…!」


その時、私と篠原先輩は多分、同じ事を考えた、と思う。



エーコちゃんは、多分犀島さんを知っている。…多分、悪い意味で…。



「エーコちゃん…。」


犀島さんの事を聞こうかと思いしゃがんだのだけど、篠原先輩が私の肩に手をそっと置いて、首を横に振った。

聞かない方がいい、と言う事か。


「…保健室に行きましょう。鞄、持つわ。」


篠原先輩に促されるまま、エーコちゃんは鞄を先輩に預け、先輩について階段を下りた。



一人。たった一人の人間と関わっただけで、明るかったクラスメイトの別の一面を見てしまった。

そもそもミラージュの件に首を突っ込まなければ、こんな事にならずに済んだのかもしれない…。



(いや!そんな事よりも!)



私は、すぐに携帯電話を取り出し、お姉ちゃんにメッセージを送った。



『お姉ちゃん、犀島晴海って人の事、本当に知らないの?』


犀島さんは、私と篠原先輩が桜井美雪さんと一緒の学校の生徒だと知っている。

もしも、犀島さんが私達に会いに来たら、エーコちゃんが先程以上の反応を示すに違いない。

そうなる前に、犀島さんの事を知って、予防策を打っておかなくちゃ。


と思って打ったのに。



>『知らない。仕事中。』



返事は、いつも通り素っ気無い。

仕方ない。私は丁寧に文章を打って、情報の必要性を訴えてみる。


『私のクラスメイトが、名前出しただけで凄い怯えてる。

私と篠原先輩は桜井先輩の件で、桃乃瀬学園の生徒だってバレてる。

今、犀島さんが私達の前に現れたら、と思うと怖いの。お願い。教えて。』


これで、どうだ!!



>『わかった。』



よし。



・・・・・・・・・・・・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



・・・え、それだけ!?



『いや、犀島さんの事教えてってば!』



>『その怯えてるって生徒の名前は?』



『津久井瑛子。犀島さんの事教えてってば!』



>『調べさせる。待ちなさい。』



調べるって…本当に知らない?でも、あっちは…



―― でも、その犀島さん…貴女のお姉さんを知っているようだったじゃない?



そうだ…火鳥って名前まで犀島さんは知っていた。



―― 他人の記憶に残りたいって言ってた人の前で”覚えていない”なんて、挑発以外の何物でもないわ。その…大丈夫なのかしら?



大丈夫、だよね…?

いつもの事、だよね。人嫌いだから、お姉ちゃんは他人の事、興味ないから覚えていないってだけで…。




『調べるって…お姉ちゃん、本当に犀島さんの事知らないの?』



桐生さんみたいに私の知らないお姉ちゃんを知っている人がいても、まだ私が知らないお姉ちゃんの何かがあるのだとしても…。


私は、お姉ちゃんを信じてる…。




・・・・・・・・。



信じてるから、ね…。



・・・・・・・・・・・・・。



信じて……。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。






(既読無視ですか…ッ!!!)




こうやって他人からの信用を落としていくんだからッ!

とき●モだったら、爆弾大爆発かつ好感度ダダ下がりなんだからね!!

大体、お姉ちゃんは…



(あ、返事キタ!やっぱりね!!) ← 結構単純。





 >『授業を受けなさい。』





(キイィ――――ッ!!!!)

 ※注 ヒロインです。




お姉ちゃんとのメッセージのやり取りは、そこで中断。





「次、23ページを開いて。…えー…この文法は…」


授業はあっさりと始まり、淡々と進んでいる。わかりやすいけど、結構進むのは早いな、と感じる。


結局、エーコちゃんは、一時限目を欠席した。

やっぱり琴は、何か怒っているみたいだし。


佐泉さんは、というと…


「zzzzzzzzzzzz…」


(寝てるし・・・。)


でも、先生は佐泉さんの事を注意しなかった。

寝息は静かだけど、こんなにも堂々と寝ているのに。

皆も不思議に思っているだろうけれど、誰も佐泉さんに関わろうとしない。


無関心。

エーコちゃんに関してもそうだ。

先生は出席をとるだけで、誰にも何も聞かない。


…私が具合悪い時もこんな感じだったのかな…。


それとも、これが普通の対応なのかも…。


(そう、だよね…高校だもの。出席するのも休むのも自己責任って奴だものね。)


でも、なんだろう…このもやもやした感じと…胸の奥に積もっていく寂しさは…。


「・・・・・・。」



私はシャープペンシルの消しゴムの部分で佐泉さんの背中を突いた。



「…ん。」


佐泉さんが起きて、上体を起こした。

ゆっくりと周囲をみて、私の方を向くと、ニッコリ笑ってから…また突っ伏して寝た。



「…ちょっ…!」

寝るんかい!!ってツッコミをしかけたけど、今は授業中だ。

そっと起こしてあげるのが情けというもの。

そして、また突いて起こそうかとした時、先生は「ヴヴンッ!!」と咳払いをした。


(え?)


顔を上げた私を見て、再度「ヴヴヴヴンッ!!」と不自然な咳払い。


起こすなって事…?


周囲のクラスメイトの目も『何しようとしてるの?』と冷ややか。

私はたまらず手をゆっくりと引っ込めた。




(なんなの?なんなの、このクラス…!)



それとも、私が…間違ってるの?



私だけ、なのだろうか。

友達が喜ぶように名前で呼んであげたり、こうやって授業中に寝ているのを気にしたり…。

みんなは、どうして気にならないんだろう?




お昼休みになってもエーコちゃんは戻ってこなかった。

私はお弁当を持って、保健室に向かった。


すると、保健室の前で篠原先輩に会った。

先輩もお弁当を持っていた。


「あ、篠原先輩!」

「あぁ、高見さん…貴女も彼女を?」


「ええ…結局、あれからエーコちゃん、教室に戻ってこなかったから…」

「そう…残念だけど、彼女は3時限の途中で早退したそうよ。私、今さっき保険医の三田村先生に聞いたの。」


帰った…。

4時限目の先生、何も言わなかったな…。


「あぁ…そうなんですか…。」

「…そうだわ。折角だから、栽培室行く?水と光で、本当に綺麗よ。」


「あ!行きたいです!」



私は、篠原先輩についていった。



「空気も心なしか綺麗な感じがして、私はここで食べる事が多いの。」


「わぁ…。」


そこは、本当に、綺麗な場所だった。

目に刺さるような蛍光灯の白い光はなく穏やかな光がレタスの葉っぱの緑を照らし、水の音が小川のせせらぎのように聞こえる。



「すごい…本当に、ここ…学校?」

「結構凄いでしょう?」


そう言って、先輩は部屋の奥にある、丸くて白いテーブルまで案内してくれた。


「ここで、美雪とよくお昼を食べたの。…彼女もここが好きだった。」


「そう、でしたか。」


それは、ここにいる篠原先輩が好きだったからじゃないですか、とは・・・言わなかったけれど。


「高見さんも気に入ってくれたなら、嬉しいわ。」


そう言って、レタスを見て微笑む篠原先輩の横顔は、本当に綺麗だった。

大人っぽいし、こんなに穏やかな気持ちになる笑顔の持ち主ってなかなかお目にかかれない。


お弁当を広げようとして、私はふと篠原先輩に質問をしてみた。


「あの、先輩…私って変でしょうか?」

「どうしたの?突然。」


今朝の事から、私は一つ一つ話した。

エーコちゃんを名前で呼ぶ事、クラスメイトが居眠りしているのを放っておく事、それらを許してしまっている周囲への疑問を持つ自分。



「うーん…そうね…確かに、そんなに知らない他人だったり、仲良くない人に対して、気はかけないかもね」

「でも、クラスメイトですよ?」


「そうね…でも、もう”人付き合い”は義務教育の範囲内じゃないから。もう皆、自分で取捨選択するんじゃないかしら?」


「…そんな…。」

モノじゃあるまいし…。



「勿論、それが良い事かどうかは別よ?自分だけが選ぶ立場じゃないし、他人から捨てられる人間にもなり得るんだから。

美雪みたいに、誰とでも仲良くなれたら素敵な事だけど……それはそれで辛いんじゃないかしらね…。」


「私は……楽しく、過ごしたいだけです。変…個性的な人ばっかりだけど…

エーコちゃんだって、キャラを演じているって言っても、名前で呼んだだけで泣くほど喜んでくれたり、犀島さんの事であんなに動揺したり…

何か理由がある筈なのに、知りもしないで…。琴なんか、変に怒っちゃうし。」


「高見さんは、きっと知ってもらえない辛さを知っているのね。」

「…はい。」


病院に入院していた時、私は死ぬと思っていた。

こんな気持ち、誰もわかってもらえないと思っていたし、諦めていた。

でも、本音は知って欲しかった。話を聞いて欲しかった。

理解者とまではいかないけれど、お姉ちゃんは話を聞いてくれたし、私に違うものは違うと教えてくれた大人だった。



「高見さんは知っているけれど、他の人は知らないのよ。知らない事を教えるって、大変なことなのよ。」

「知らないからって…私、それでもあんな冷たく出来るのが不思議でたまらないです。知る努力も必要だと思うんです。」


「そうね、貴女のように考える人が増えてくれたら、もっと良くなっていくでしょうね。」


そう言って、篠原先輩は少しだけ顔を伏せてから、再び顔を上げて微笑みを絶やす事無くこう続けた。


「でもね、高見さん。これだけは聞いて欲しいの。貴女を否定したい訳じゃないんだけど…。

人間同士の…しかも、感情に関わる事に関して言えば…努力をしても報われる事は少ないわ。

知ろうとしても解り合えない事もあるし、知ってもらおうとしても理解されない事だって、多々ある事よ。」


「……」


「私が美雪の想いを理解できなかった事と同じように…。」

「…先輩…。」


「…これはね、あくまで私の考え方よ?

私は美雪を理解しきれはしなかったけれど、私は、私の事や私の考え方を理解しない人を出来る限り許していこうと思うの。」

「許す?」


「知らなくても、知らなかったんだから許す。理解されなくても、理解できなかったんだから許す。」

「は、はあ…」


「そしたら、貴女みたいにちゃんと話を聞いてくれて、この部屋の良さも理解してくれる人が一人は現れる。

例え、多くの賛同を得られなくても、ね。その僅かな人がいる事こそ、私にとって大事な事だから。

でも、他の人にとっては、果てしなくどうでもいい事かもしれない。

だから、私は自分や周囲への理解を他人に押し付けはしない。押し付けてまで理解されても、きっとそれは理解じゃない。」


「……。」


押し付け、という表現がいやに心に刺さった。

そんなつもりは無いのだけれど、他人からしたらそう映るのかもしれない。


先輩は、ごめんねと微笑みながら続けた。


「高見さん、貴女はエーコちゃんの事を名前で呼んでも良いし、誰も起こさなくても無関心でも佐泉さんの事を貴女は気にかけ続けても良いのよ。

それが貴女にとって、彼女達をよく知る為の手段の一つなんでしょう?変なんかじゃないわ。」


「そう、ですか…。」


私は曖昧な返事をしながら、お弁当箱の蓋を開けた。


(納得出来るような…出来ないような…。)




ふと、思う。

こういう所が、まだ私…子供なのかな、と。




(お姉ちゃんだったら…なんて言うんだろう?)




 『 他人が他人を理解するなんて、最初から無理に決まっているでしょ? 』



 ・・・とか?


なんか、お姉ちゃんまで振り切って考えてみたら、逆に小気味良いのね。


そう思ったら、笑いがこみ上げて来た。





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