-->
-->
「待たせたわね!貴女を許す旅は終わったわ!」
黒のライダースーツを身に纏った女が誇らしげにそう言った。
「だから!何の話ですかーッ!?アンタ、指名手配犯だろっ!?」
・・・ちょっと、待て。
今、とんでもない単語が聞こえたんだけど・・・。
「貴女との前世の記憶が私をここまで成長させたのよ・・・感謝してるわ!水島さん!あーっははははははは!!」
ヘリの轟音が響く部屋の中でもクッキリと迷惑なほど耳に届く声で、何か意味不明な事を喋っている。
・・・まずい。この女は、かなりヤバい方の女だわ・・・!
「み、水島!な、なんで指名手配犯が、ヘリ乗って、家の窓を蹴破って入って来てるのよッ!?」
「私が知るかッ!!」
知るか!で済んだら、警察はいらないのよ!水島!あの女は、ヘリに乗って来てるのよ!?
「・・・あの、火鳥・・・一応、言っておくけど・・・あの女は・・・・・・凄いぞ・・・。」
水島は何故か、落ち着き払った様子でそう言った。
その一言で、あの女がどのくらいヤバいのか、嫌なくらい伝わってしまうから、アタシは聞き返すしかない。
「な・・・何がよ・・・?」
のん気にヘリに向かって手を振っているライダースーツの女を見ながら、水島は、一段と重苦しい感じで一言、こう付け加えた。
「”色々と”・・・だ。」
「・・・い、色々って・・・!?」
アタシは言葉を失った。
あんな女難に水島が遭っているなんて、データにも無い・・・!
対処法も無いし・・・!
「冷静に考えてみなさいって・・・今、ここに私の女難はおろか、こうやって貴女の女難も来てしまっている。
こうなってしまった以上、今更、儀式もクソも出来ないでしょう?
火鳥、もうダメなんだよ・・・こうなったらあんな儀式は、もう諦めて、一緒に他の方法をちゃんと探そう!
大丈夫だ!私は・・・私は、いつもそうして乗り切ってきたんだから・・・!」
水島は縛られたまま、アタシに真剣な眼差しを向けながら言った。
この期に及んで、まだそんな事を言うつもりか。
「・・・アンタは・・・一体・・・」
”アンタは一体・・・何を考えてるのか。今、とんでもない女難が来ているのに、この状況で何を言ってるのか。”
とアタシは言いたくなったが、それより先に水島が口を開いた。
「・・・私は、只の水島。あ、下の名前は聞かないで。」
・・・・・・本当に、何を、言っているの?この女は・・・!!
「いや、アンタ馬鹿じゃないの!?こんな時に、クソややこしい女難を呼び寄せて!!」
思わず怒鳴ってしまった。
「・・・・・・・・・・・・。」
すると、ライダースーツの女がガラス片を手にして、水島の方へ。
そして、勢いをつけ・・・
”グサッ!”
「うぅわあああああッ!?」
水島が妙な叫び声を上げる。
ガラス片を深々と枕に突き刺しながら、ライダースーツの女は言った。
「水〜島さァ〜ん・・・今、その縄やその他色々、この私が解き放ってあげるわァ・・・!」
「ひ、ひいいいいいいいぃッ!?た、助けに来たのか、殺しに来たのか、どっちなんだよッ!?そして、解き放つなら縄だけにして!」
・・・こんな不気味な女、アタシも嫌だ・・・。
ライダースーツの女はニヤリと不気味に笑いながらも、勝手に水島の縄を切り、ベルトを外し始めたので、アタシは慌てて止めに入った。
「ちょ、ちょっと!何、勝手な事を・・・」
だが、すかさず、ガラス片がこちらに向けられた。
「あ〜らあら・・・貴女には”これ”がただの爪楊枝に見えるのかしら?貴女に用は無いのよぉ・・・?」
ライダースーツの女の視線は、静かで冷ややかなものに変わっていた。
・・・動くな、という意味で向けられたガラス片がアタシに向けられ、水島が大声を出した。
「火鳥!頼むからこっちの”コレ”に関わるな!余計ややこしくなる!私の命も危うくなるから止めて!!
だ、大体!儀式なんか、本音言えば、そっちだってやりたくないんだろ!?だったら、やらなきゃいいじゃないか!!」
・・・そうだ。あんなふざけた儀式なんか、本音を言えばやりたくなんか無い。
でも、仕方が無い。それ以外に今のところ、方法も無いのだから。
”ブチっ”という音を立てて、縄が切られる。
「私は諦めない!それに妥協も嫌だ!自分の好きな道を生きて、死ぬんなら、私はそれでもいい!でも・・・!
私は最後の最後まで、諦めるつもりは一切無い!!」
勢い良く起き上がって、自由の身になった水島はそう言い切った。
確かに、水島の意思は固い。
だが、それだけでは呪いは解けない。
「ふっ・・・逃げまくって、誰かの力にすがって、助けてもらってる力の無いアンタの言う事なんかに説得力なんか無いわよ。」
大体、水島は何もしていない。
ライダースーツの女が、水島を支えるように背中に手を当てて、こう言った。
「じゃあ〜・・・貴女に、同じ真似が出来る?
馬鹿だなんだと解っていても、人に手を差し伸べる事が出来る?
ここで言わせて貰うけれど・・・遠い前世から彼女を見守ってきたこの私が、この場でハッキリと言っておくわ!!
貴女に出来ない事が、彼女は出来るのよッ!!!」
アタシに向かってビシッと人差し指を差し、女は言い切った。(・・・それにしても前世って一体何の話かしら?下手に聞かない方が良さそうね。)
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「フフフ・・・アハハハ!!声も出ないようね!!アーッハハハハハ!!」
・・・確かに。アタシに出来ないような事をこの女・・・水島は、やってのけている。
時に無様で、とても真似をしようとも思えないし、この小心者のお人好しは女難から逃げているだけで、利用も何もしなかった。
女難に人生の時間が侵食され、状況が悪化していく中、この馬鹿は、まだアタシと一緒に呪いを解く方法を考えようなどと言うのだ。
でも。
考えて、何も出なかったらどうする?
考えて、その間に本当に死んだらどうする?
いや、やはり、そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、とっとと儀式をしてしまった方が良いに決まっている。
・・・アタシの心の中にはまだそういう考えが残っていた。
「認めます。・・・私は・・・・・・偽善者ですよ。」
突然、水島は片手を挙げてそう言った。
「・・・は?」
「前に貴女が言ったとおり、私は偽善者だって言ったんです。馬鹿だって言うんなら、そうなんでしょう。オールOK。認めます。」
「・・・何を言うかと思えば・・・今更・・・」
「そもそも、貴女は人はこんなモンだと悟ったような口調で語ってるけど・・・実際の貴女の方は、どうなんですか?
黙って聞いてりゃ、人を馬鹿にすることしか、してないじゃないですか。
他人を利用して、都合のいい世界で楽に生きようとしてるだけじゃないですか・・・いや、私も偉そうに他人の事は言えないんだけどッ!
だけど・・・!」
まただ。また”あの目”で語り始めている。
・・・さっきまでヒイヒイ悲鳴を上げていたクセに。
あの目で、まだ薄ら寒い言葉を吐く気なのか。
「だけど・・・何?」
・・・イライラする。
「・・・確かに貴女は馬鹿じゃない。けど・・・馬鹿にもなれない。」
「はあ?何言ってるの?そんなモノ、ならなくて結構じゃないの。馬鹿げた事は、ただの馬鹿がやればいいのよ。
アタシは馬鹿とは違う。あんた達、馬鹿を使う側の人間なのよ。・・・アンタらとは、違うのよ!!」
コイツと話していると、頭の中の何かがチクチクと疼く。
「今まで、私もそうでした。周囲の人は…ただのモノとか、そういう・・・自分とは無縁の、単なる動く生き物って感じで、そんな風にしか見ようとしなかった。
・・・でも、そんな馬鹿やってる周りを、いつも遠くから見ているだけの自分は一体、なんなのか・・・貴女は考えた事ありますか?」
「・・・・・・そ、そんなの知ったこっちゃないわよ・・・!考えてどうなるっていうの!?」
・・・そうだ。そんな事、考えても無駄だ。
他人の事より、自分の事も満足に出来ないんじゃ、お話にならない。
優先順位はいつだって、自分が先に決まっている。
「貴女だって、自分は人嫌いだからと、言い訳にして逃げて。・・・でも、結局の所、気にしてるんじゃないですか?」
「・・・・・・・・何をよ・・・?」
窓から冷たい風が室内へと入ってくるが、寒さは不思議と感じなかった。
さっきまでヘリの暴風にバサバサと揺れていたカーテンが、打って変わって静かに風に揺れる。
「気にしてないフリをしていても、生きていたら頭の隅に、一度は思い浮かんだ筈です。
他人の自分への評価を・・・自分が、本当は他人からどう見えているのか・・・とか。
だけど、その疑問が湧いた時、心の中でこう言い聞かせる・・・。
『どうせ、他人同士。解り合えない。誰が何をどう考えようと自分とは関係ない。大体、自分は人嫌いだし、他人も自分が嫌いだろうから、関係ない。』
・・・なんてね。
どうせ、心の底から自分なんか好きになってもらえない、と思っていても・・・
どうせ、自分の事なんかロクに理解もされないまま、せせら笑われていても・・・
だけど・・・本当は、貴女だって・・・」
その先を聞きたくなくて、アタシは口を開いた。
「・・・何よ?まさか、このアタシが馬鹿達の輪にでも入りたかったんじゃ・・・なぁんてつまんない事、言うんじゃないんでしょうね?」
「・・・そうですけど。」
「フッ・・・そんな訳ないじゃないの。馬鹿の輪に加わって、馬鹿の仲間に入って、馬鹿踊りして、自分の価値を下げろっていうの?」
何を言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。
髪をかき上げ、アタシは笑った。
「アンタだって・・・散々見てきたんでしょう?他人がいかに馬鹿か。輪に入ったら最後、馬鹿に染められる。
馬鹿は馬鹿でしかないのよ!それ以上でも、それ以下でもない!
自分たちと同じ馬鹿に染まらなきゃ、奴等は”敵”とみなして、猟犬みたいに攻撃を仕掛けてくる・・・。
誰かを頼り、もしくは踏み台にして、それを笑いながら生きていける汚い奴らばかりなのよ!
もしくは、そこの女みたいに、こっちの迷惑も考えずに自分の想いをぶつけるだけぶつける馬鹿も沢山いて・・・アタシの人生を滅茶苦茶にする!」
いつだって、アタシの足を引っ張り、邪魔をするのは周囲の馬鹿達だった。
だから、アタシはそれを蹴散らしただけだ。
「そう、他人なんて本当に自分の事しか考えてない!どうしようもない!救いの無い馬鹿な奴らなのよ!
アタシは、そんな馬鹿を大勢見てきた。アタシはそんな馬鹿を見て、聞いて、よくよく知っている。
ウンザリしてるのよ!出来る事なら、関わりたくも無いの。」
そうしなければ、アタシはアタシでいられなかった。
馬鹿に染まり、馬鹿と一緒になってどんどん自分が地の底へ落ちていくような気がしてならなかった。
そんな人間になって、あの人が喜ぶとは思えない。
『決して・・・染まるんじゃないよ。』
アタシは誓った。
決して、馬鹿に負けて染められて、自分の色を見失わない、と。
だから、少しだけ水島の存在が、新鮮に思えた時もあった。
「・・・だから、アタシはね・・・アタシと同じ人嫌いの水島という人間は、そんな馬鹿達とは違う・・・
アタシと同じ考え方の同じ側の人間・・・そう思ってたわ。」
・・・もしかしたら水島はアタシと同じかも、と当初はそう思ってしまった。
「でも結局、アンタは違ったのね・・・アンタは、すっかり周囲の馬鹿に染まってしまった・・・残念だわ。
そういう馬鹿はね、アタシは単なる”道具”にしか見られないの。
そもそも、馬鹿になり下がった分際で、このアタシを説得しようだなんて思わないで!無駄なのよ!」
アタシの言葉に、水島が珍しく険しい表情をして食い下がった。
「わ・・・私は女難の女になってから・・・色々な人に会って来ました。
確かに、迷惑極まりなかったけど・・・少なくとも、彼女達を馬鹿だなんて思えません。
みんな・・・こんな私を好きになってくれた。
確かに、それは迷惑極まりなかったけど・・・少なくとも、私は彼女達を道具だなんて思えません。
それが、馬鹿の考え方だっていうんなら、私は馬鹿で結構ですッ!!」
アタシはフンと鼻で笑った。
「・・・言い切ったわね・・・いや、開き直ったというべきかしら?」
「私は単に・・・他人がどうこうして、それに対して、ぐじぐじ考えて逃げ回るしか出来ない自分が嫌いなんです。大嫌いなんです。
人間関係、ど〜〜〜うしようもなく、くっだらねえ人付き合いに、自分の脳みそグジャグジャになるくらい悩むのが、悩む自分が嫌で嫌で仕方なかったんです。
だけど・・・」
・・・水島の目は変わらない。いや、どんどんアタシの嫌いな目になっていく。
「だけど、吹っ切れました!私はそういう自分を受け入れる事にしました!」
「・・・フ−ン、それで?」
「え・・・あ・・・そ、それで・・・・・・・ええっと・・・なんだっけ・・・ああ、そうだ・・・」
水島は言葉を切るとそそくさとベッドから降りて立ち上がり、改めてアタシの両目をしっかりと見た。
「貴女は…確かに馬鹿じゃない。
馬鹿の一言で片付けるほど、自分は簡単な人間じゃないと言いたいんでしょうけどね・・・。
馬鹿に染まるとか染まらないとかなんとか・・・私には、その違いはわかりません。
わかりたくもないっていうか、わかった所で何がどうなるっていうんですか。
人の気持ちを道具のように利用して、嘲笑って、それが”馬鹿じゃない人”のやり方なんですか?
それが頭の良い人のやり方だとしても、それが正しいんだって言われても・・・私は、それを全力で否定します!」
否定する?逃げてばっかりだったアンタが・・・このアタシを?
「・・・怖かったんでしょう?」
その言葉にアタシは何故か反応した。
「・・・少なくとも、私は怖かった。
今の自分を失う事が。
周囲に流されて、自分が揺らいで、変わってしまう事が。」
・・・自分を失う事が、怖い・・・?
「でもね、火鳥・・・変わる事を恐れるあまり、自分が嫌な自分に変わってしまった事に気付かなくちゃ・・・
私達は、変わらない代わりに、成長もしないんだと思う。それって・・・どうなの?」
まさか、水島の口から”成長”なんて言葉が聞けるとは思わなかった。
いや、そうじゃなくて・・・
変化を恐れるって・・・アタシが?
アンタなんかに、アタシの何が解るのよ・・・!?
「水島・・・もう止めなさい。説教なんかたれても、アタシは動かない。・・・自分の立場、わかってんでしょう?」
まだ、コイツは諦めていないのか。
まだ、アタシを説得出来ると思っているのか。
まだ、アタシと手を組みたいだなんて事を言うのか。
「・・・確かに、貴女は馬鹿じゃない・・・。
・・・でも、貴女って人は・・・私に言わせれば、馬鹿にもなりきれない”中途半端”な位置にいる・・・」
アンタは、アタシの事を何も知らない筈。
「やめなさいよ・・・その目と・・・その言い方!ムカつくわ!」
”まるで・・・のようで。”
「・・・いや、単なる”かわいそうな!”」
「やめなさいってば・・・!」
『決して、染まるんじゃないよ。』
”ええ、決してアタシは染まらない。”
「・・・”一人の世界に浸ってるだけの!”」
「やめろって言ってんのよ!!!」
”アタシは馬鹿を知っている。お前らなんかとは違う。”
「貴女は、特別でもなんでもない!!”馬鹿以下の人嫌いの女”だッ!!!」
”アタシは、お前らとは違う。”
「・・・・・・・・ッ!!!」
”パチパチパチ・・・”
ゆっくりとした拍手が耳から入って、頭の中に響く。
「素晴らしい演説だったわ!さすが私の!私の水島さぁん!!」
「・・・だ、誰のモノにもなってませんけどッ!?ちょ、ちょっと今は黙ってて!ちょ、抱きつかないで!ガラス!ガラスが当たって危ない!!」
普段、無表情なクセに、急にあの目になったかと思えば、すぐに情けない顔になったり。
いつもアタシの予想を超えるような事を簡単にやってしまい、また逃げる。
変わらないのは、いつも水島は自分でいる事を諦めていない。
アタシのように、見切りをつけて、捨てたりしていない。
”まるで・・・過去の自分を見ているようで。”
アタシは、水島を見ていると、自分が変わってしまった事に、すでに自分を失ってしまった事に・・・気付かされる。
「・・・い・・・」
「ん?」
声を搾り出し、アタシは笑顔を作りながら言った。
上手く声が出ない・・・震える。
「・・・いつから、そ、そんな暑苦しい馬鹿に染まったのよ・・・水島・・・。」
今まで自分で作り上げた自分を必死に繕うのが、ミエミエで、自分でも情けなくなってくる。
水島は首を少し傾け、考えてからこう言った。
「・・・さあ?染まったのかどうかは知りませんけど、これは、元から私の色じゃないですか?
それが、自分以外の他誰かの影響だとしても、私は誰かに染められたんじゃなくて、今の現在の自分を選んできただけだと思います。
大体、染めた染まったで、人はそんなに根本から簡単に変わりませんよ。」
人は根本から簡単に変わらない、と水島は言い切った。
その言葉を聞いて、アタシは何故かふっと肩の荷が降りた気がした。
それと同時に、情けなくなった。
「・・・それとも、貴女はそんなに簡単に誰かに影響を受けやすい人だったんですか?そんなに自分自身、揺らぐもんなんですか?」
「・・・・・・・・・・っ!!」
アタシは更に情けない事に動揺してしまい、水島の問いに答えられなかった。
・・・呪いなんて、信じてもいないモノに屈していたのは・・・
自分の意思を曲げて、馬鹿に染まり始めていたのは・・・アタシの方だったのか・・・?
周囲に、馬鹿に染められまいと必死になるあまり、アタシは自分で自分を染めかけていたというのか・・・?
アタシは必死になって自分を守るあまり、自分自身を見失っていたのか・・・。
水島は、いまだ諦めていない。
憎らしくなるほど、コイツは諦めるという言葉を知らないらしい。
”まるで、過去の自分を見ているようで。”
アタシは、心のどこかで、アイツの目を見る度にそんなことを考えていた。
力もなく弱いと思って、捨ててしまった過去の自分にいやに重なって見えた。
弱いクセに。
大切な人の笑顔すら悲しみに染めるしか出来なかったクセに。
それでも、どうにかなると信じていた・・・あの頃のアタシの目にヤツの目は似ていた。
・・・いや、そんな気がしただけだ。
実際、アタシと水島は・・・。
「私は、私自身を誤魔化せるほど器用じゃありません。・・・とにかく、そういう訳ですから、私は絶対、儀式なんかしませんから。」
こんな状況になっても、惨めだと思えるような状況になっても、コイツは自分の意思だけは曲げていない。
だけど、つくづく思った。
水島は、アタシなんかと少しも似ていない、と。
結局、変わってしまったのは、不変を望むアタシの方だった。
それが、悔しくもあり・・・ほんの少しだけ、水島が羨ましいとも思った。
アタシは、また力が抜けた。肩にも手にも力は入らず、フッと溜息混じりの笑いをこぼすしかなかった。
「・・・・・・フッ・・・つくづく本当にアンタって人間は、こっちの予想をいつも越えてくる。
アンタくらいよ、このアタシにそこまで言ったのは・・・。ホント、理解に苦しむわ。ホント、アンタって人間は何をしてくれるか、わからない・・・
それが”可能性”ってヤツなのかしら。ほんの一瞬でも思ってしまったわ、アタシはアンタとだったら・・・」
”・・・ドンッ・・・”
「ぁ・・・?」
何かが身体にぶつかり、アタシの足はかくんっとバランスを崩した。
何が起きたのか解らなかったが、やがて、激痛が身体に走り、あたしは状況を把握した。
(ああ、なんだ・・・雪か・・・。)
目に涙を溜め、アタシを刺している関口雪の目をアタシは見た。
何か大事なモノをなくしたような子供の目をしている。
アタシが大切な人を失った時と似ている。
(なんだ・・・アンタとも共通点なんかあったのね・・・)
・・・とはいえ、雪の心の拠り所を知った上で奪ったのは・・・アタシだ。
だが、まさかアタシを刺すまで追い詰めているとは思わなかった。
・・・ああ、そうか。
これが・・・アタシの”末路”って訳ね。
アタシか水島が死ぬ・・・死ぬのは、アタシの方か・・・。
何故か、アタシはその結果に納得していた。
勿論、満足はしていない。
アタシは今の自分が、もうとっくに自分の望む自分の姿ではなくなっている、という事に気付いてしまった。
だから、現状を維持する必要は無かった。
そう思うと、張り詰めていた気が、楽になった。
・・・そして、この期に及んでアタシは、らしくもない事を始めた。
まず、雪の手をナイフから離した。
「・・・早く離れなさい。後は、アタシがなんとかするから・・・」
「火鳥さ・・・!」
雪を突き飛ばすと、アタシはバランスを崩し、膝をついた。
”・・・ドサッ・・・”
「・・・チッ・・・!」
舌打ちをして、アタシはざまあないわね、と思った。
痛みで立っていられない。
・・・雪は手を真っ赤に染めて、呆然と座り込んでいた。
ポタリ、ポタリとナイフを伝って絨毯の上に落ちる赤い雫。
(あーあ・・・絨毯にこんなに広がって、汚れ取れるかしら・・・。)
「・・・か・・・火鳥――ッ!?」
水島の声に、アタシは迷惑そうな顔をして、自分の血液が染みた絨毯の上に座り込んでいた。
「・・・うる、さい、わね・・・」
徐々に力を失っていくアタシの体を水島は支えた。
こんな時にまで、コイツはなんてお節介で、お人好しなヤツなんだろう。
「なんで・・・なんでこんな事を・・・ッ!?」
「・・・あ・・・あ・・・。」
雪は、水島の問いに答えず、アタシの方を見ていた。
「火鳥さんは・・・誰のものでもない・・・火鳥さんは、誰のものでも・・・」
その時、午前0時を告げる時計の音が部屋に響いた。
「・・・こんな筈じゃ、なかった。」
水島が時計の音に混じって、ボソリと呟いた。
「・・・ざまあ、ないわね・・・」
アタシは、そう言うしかなかった。
他に適当な言葉なんか思い浮かぶ筈も無い。
「喋るなッ!今、忍さんを呼ぶから!」
水島はアタシの傷口をシーツで押さえながら、携帯を取り出し、下にいる忍に連絡を取ろうとしていた。
この上、コイツに助けられるなんて、なんて無様な姿なんだろう。
「なるほど・・・こ、これが・・・呪いの結果ってワケね・・・死ぬのはアタシって事か・・・。」
「くどい!長台詞、喋るなって言ってるでしょうがッ!・・・・・あ、忍さん!?今すぐ部屋に来てッ!火鳥が刺されたんです!早くッ!!」
『・・・わかったわ、まず落ち着いて!傷口をおさえて、絶対動かさないで!救急車は私が手配するから!』
電話を切った後、水島は必死な顔をしてアタシの傷口を押さえ続けた。
「・・・水島・・・やっぱり、これはアンタのせいよ・・・早、く・・・儀式、しないから・・・」
アタシは最後の最後で、馬鹿みたいな台詞しか言えないでいた。
視界がどんどん暗く、狭くなる。
呼吸をする度に身体に痛みが走り、苦しくなってきた。
「馬鹿言うな!死なせるか!!いいか!?火鳥、よく聞け!私達には、自分の運命を変えられる縁の力が」
「まだ、そんな馬鹿な絵空事を・・・」
・・・まだ、諦めていないのか。
そのしぶとさは、呆れを通り越して、もはや尊敬に値する。
それが、コイツとアタシの違いなのか。
「いいから聞きなさい!私と貴女は、縁の力が強い!
その気になれば、運命だって変えられるんだ!人の運命だって・・・なんだって変えられるんだ!!」
「ホント・・・夢みたいな話ね・・・寒気がするわ・・・」
もう、いい。
「だから!私がいれば、貴女は死なない!それに今、忍さんが来る!絶対に、助かるから!!」
「フッ・・・ど・・・どこまで、お人好しのお馬鹿さんなの・・・。」
もう、いいわ。
「・・・そうだ!例え、今死んでも、大丈夫!天使と悪魔が現れる筈よ!
それから、あれだ!自分の頭の上にある輪っかを投げつけて、こっちに戻って来いッ!!」
・・・訳が解らない。最後まで、アンタは本当に・・・
「・・・何よ、ソレ・・・アンタ、ホント・・・馬鹿、じゃ・・・ないの・・・。」
「なんとでも言え!私はそうやってきたんだ!諦めないで、足掻いて、もがいて!どんなに惨めでも、馬鹿だと自分でも思っても・・・
・・・もう・・・もう、ウンッザリなのよッ!!私の周りで、誰かが泣くとか、死ぬとか、そんな面倒な展開ッ!!
だから、だから!絶対!貴女は私が助けますっ!!」
・・・アンタは、本当にアタシとちっとも似てないのね。
「・・・・・水島・・・。」
「火鳥!頼むから、喋んないでよッ!!」
他人の事に馬鹿みたいに必死になる水島をアタシは笑った。
アタシは今更、どう足掻いても、こんな風になれそうもない。
「あ・・・アタシ・・・」
そして、水島の襟を血まみれの手で力なく掴むと、囁きに近い声で言った。
「・・・アタシ、アンタの事・・・やっぱり・・・大嫌いよ・・・!」
アタシは、自分が嫌いだ。
だけど、水島はもっと嫌いだ。
「ああ、ああ!それで構わんって!私だってな・・・嫌いだ!!大嫌いでもなんでも良いから!もう喋るなッ!!」
「・・・もう・・・いい・・・・・・。」
本当に、もう沢山だ・・・。
「・・・ちょっと・・・火鳥?」
「・・・・・・・・・。」
もう、休ませて。
「ちょっと・・・返事してよ・・・!火鳥・・・!火鳥!!」
「―― しっかりしてぇ―ッ!!」
それから、寒気のする長い夢をみた。
山羊臭い悪魔だと名乗る女と鶏臭い天使がアタシの魂を奪い合う、なんてシュールで下らない夢を見た。
アタシが意識を失う前に水島の言っていた通りだった。
とにかく、そんな悪夢から覚めて、アタシは生きているって事に気付いた。
何?・・・夢の内容をもっと詳しく?
・・・はあ・・・思い出したくも無いわ・・・。
アタシが、天使と悪魔に向かって頭の上の輪っかを投げて走って逃げている姿を想像したら、良いんじゃない?
それに・・・どうせ、夢だもの。
大体、あなたに関係ないでしょう?
・・・アタシの名前は、火鳥。
下の名前?・・・その質問は、必要かしら?
あなたとアタシの間に、それ以上の関係が生まれるなんて事ないでしょうし、苗字だけで十分でしょう?
アタシは、無駄な時間と人間は嫌いなの。
事は手短に済ませましょうよ。
・・・手短に、ね。
「・・・まあ、医療行為っていうのはね、そうそう手短にって訳にもいかないのよね。これが。」
「あぁ、そ・・・。」
まず・・・以前にも増して、烏丸忍が上機嫌なのが、アタシは気に入らない。
「それにしても貴女、やけに大人しいじゃない?」
「・・・忍ねーさんは、前にも増してうるさいけどね。」
それ以上に。
「良かったじゃない?良いコンビだし。」
「・・・怪我人に、喧嘩売ってるわけ?忍ねーさん。」
あの”水島”とコンビ扱いされているのが、何よりも癪だ。
確かに、アタシは水島と”一時的に組む”という意味でああ言ったが、コンビだなんて言われたらいかにも長続きしそうで癇に障る。
アタシは、このくだらない生活を終わらせたいだけだ。
アイツ(水島)もそう。
だから・・・
『もうやめよう、火鳥。私とこんな馬鹿儀式してる場合なんかじゃない。他にも呪いを解く方法がある筈なんだから。
・・・その可能性がある限り、私達は諦めちゃダメなんだと思う・・・。』
・・・・・・だから、それだけ。
まあ、その可能性ってヤツがあれば良いんだけどね。
もう、アタシはアンタ(水島)と、ああだこうだとやり合う気が失せただけの話。
儀式云々のくだりを水島とやっていると、また面倒な事になりかねない。
だから、アタシ達は”一時的に”組む事にしたのだ。
理由は、それだけでいい。後腐れ無い関係に変わりないのが、ヤツと組んでも安心だといった所だろう。
「そんな反応しないの。・・・まあ、確かに貴女達、当事者にとっては、この状況を楽観視なんか出来ないんだろうけど・・・。」
そう。状況は最悪なまま、変わってなどいない。
アタシが送ってきた普通の・・・普通の生活を取り戻したい、という思いは、ヤツの吸っていたタバコの煙のように消えてしまった。
こんな目に遭っても、全然、全く、これっぽっちも取り戻したとは言いがたい。
「・・・理解されようだなんて、最初から思ってないわ。期待もしてない。」
「・・・まーた、そんな言い方して・・・。」
「・・・アタシは、アタシの邪魔をするヤツが嫌いなのよ。人を嫌う理由なんか、それだけで、十分よ。」
・・・たとえ、それが自分自身であってもね。
もう、とにかく・・・色々、アタシの中で吹っ切れた。
アイツが諦めない、他の方法がきっとあると言い張るんだったら、アタシもその方が良いと思った。
「・・・まあ、貴女らしいといえば、らしいわね。」
忍は呆れているように、わざとらしく大きな溜息をつきながら、笑ってみせた。
「でも、たまには素直になってみたら?水島さんも心配してたわよ、それにホラ。お見舞いに、ってコレ持って来てくれたんだから。」
そう言って、忍はアタシに見せ付けるようにブラッ〇サンダーの箱をポンポンと叩く。
・・・アタシがコレ好きだって、いつわかったのかしら・・・?
まあ、それは置いといて。
「・・・・・・・。」
気になる事がもう一つ。
いや、気にしなきゃいいんだろうけど、白い部屋なので無駄に目に付いて気になる。
・・・タバコを取り出した忍の左手の小指には、やはり”それ”が付いていた。
それ、とは・・・ぼやけているが、うっすら赤い紐のようなもの。
ようなもの、と曖昧な表現するしかないのは・・・まだ確信は無いのだが、その紐は、どうやらアタシにしか見えないらしいものだからだ。
・・・馬鹿馬鹿しい、といつもなら無視を決め込む所なのだが、どうも嫌な予感がするのよね。
病院で目が覚めてから、アタシは何度もうっすらと赤い紐を小指に付けている人間を何人も見た。
太さや長さや数はその人間によって様々。
1cmくらいの太い紐を一本小指に付けている忍やら、細い紐を何本も付けている人間も見た。
アタシは、それに触れようとした。だが、手で掴む事は出来なかった。
紐も、まだぼやけるので、目を凝らさなきゃちゃんと見る事が出来ないし、見ようとすると疲れる。
病室にいると暇なので、ここ2、3日、その赤い紐に触ろうして、触る事も出来たが、それは辛うじてアタシの小指に引っかかる程度だった。
どうやってもアタシはその紐に触れられるのは、自分の小指だけ。
忍の小指についている紐をアタシは小指で引っ掛けて軽く引いてみた。
ここまでは、出来る。
さて、小指に謎の紐を引っ掛けたはいいけれど、後はどうしようか。
(・・・鬱陶しいコレを切ったら、どうなるのかしら?)
ふと、浮かんだ疑問。
アタシは、好奇心に身を任せ、小指に軽く巻きつけて力を入れて引っ張る。
その瞬間。
ぐんっという重さを小指に感じて、アタシは軽く前のめりになった。
その重さが身体中に伝わってくる。
(・・・重ッ!?)
アタシは、たまらず紐から指を離した。小指が紐に持っていかれるかと思った。
「ん?・・・どうしたの?りり。」
「・・・な、なんでもない・・・。」
・・・どうやら、忍はこの紐を全く知らないらしいし、見えてもいないらしい。
不思議なモノでも見るような目でアタシを見て、のん気にタバコを咥えている。
アタシは、ふと思った。
小指に赤い紐がついているなんて、まさに”運命の赤い糸”みたいだ
・・・なんて、下らない連想が浮かんだ。
(だけど・・・もしかして・・・)
・・・この紐が、もしかしたら・・・
アタシが今、巻き込まれている他人とのややこしい”縁”の類と何か関係があるんじゃないか、と。
そう、もしかしたら、今のアタシの女難と何か関係あるのかもしれない。
そうだとしたら、連絡をとるべき相手は決まっている。
頼りにはならないだろうが、謎の紐の存在を素直に受け入れてくれるのは、アタシと同じ境遇の、あの無表情女しかいない。
それにアタシだけ、こんな状態なのはゴメンだ。・・・どうせなら、ヤツも道連れにしてやりたい。
アタシは水島の持ってきた見舞いの品を手にとって考えた。
水島もこの紐が見る事が出来たのなら、縁の力とやらに関係すると判断していいだろう。
でも・・・
「やれやれ・・・また、面倒な事にならなきゃいいけど。」
ぽつりと独り言をこぼしてはみるが、どうも嫌な予感がする。
面倒な事になるに決まっているとは、薄々解ってはいるがこぼさずにはいられない。
ふと視線に気付き、アタシが見ると忍は何が面白いのか、笑ってこう言った。
「ホント、楽しいコンビですこと。これからも見守らせてもらうわ♪」
「・・・うるさい。」
― 火鳥さんは暗躍中 その10 ・・・ END ―
→ 水島TOPへ戻る。
→ その9へ戻る。
あとがき
その9、10と続き、長くなりました。第2部も無事終わりました。