「いーけないんだ、寝てる人にそういう、イケナイ事しちゃ。」




そう汀が呟いた。

そして、驚いて止まったままの私の横髪を、指先で、そっと私の耳にかけた。


「・・・汀、起きてたの・・・?」


私は、言葉を失う。


汀の指は、私の髪を毛先まで撫でて、そのまま下に落ちた。


私は、どうする事も出来ず、たださっきまで”目を閉じていた”彼女の上で、言葉を探していた。



謝ろうか。


それとも…。







           [ Love is Dreaming ]








夏の日差しが、今日もキツい。


しかし、昨日とは違って、コンクリートの照り返しは無い。(※ 前回 Shinin'on-Shinin'love 参照)


緑の多い公園で待ち合わせて、正解だったなと、私こと、小山内 梢子は思った。


夏休み中の汀は、私の住んでいる街に、遊びに来ていた。


今日は、公園で待ち合わせていた。

会ってとりあえず、私と汀は2人、ベンチに座っていた。



そして。


今日はどこへ行くか、と言った矢先に



「……はい、何かありました?」



汀の”鈴”が、鳴ったのだ。




汀の”飼い主”こと、守天党は、彼女にこうやって指令を出しているらしい。


1年前の卯良島での出来事で、私は彼女の正体を知っている。

だから、汀は私の隣で、鬼切りとしての仕事の電話をしていても、なんら問題は無い。


私は黙って、その電話が終わるのを待っていた。


「はい…はい…」

汀は、おどける事無く、相槌を打っている。


私は、なんとなくだが、雲行きが怪しいな、とは思っていた。

汀の表情が、真剣というより、不機嫌に近い顔になっていたから、だった。



「…はい、は……ええぇ!?そりゃ無いですよ!若!こっちは、久々の休暇で…


 …ああ、はい…はい…でも、それなら、別にあたしじゃなくても…」


そう言いながら、汀はチラリと、私の顔をみた。

そして、一瞬困ったような表情を浮かべて、即座に私に背を向けた。


(……やっぱり、か。)


その汀の”若”と”別にあたしじゃなくても”という台詞と、汀の態度で

私はなんとなくではあるが、これからの予定が狂うんだろうな、と思った。



「あーいや、違いますよ…”それ”は全然関係ないです。変な事言わないで下さい、そんなのじゃ…

 はい…はい、わかりましたー…じゃあ、明日戻ります。はい、失礼します…

・・・・・・・あーあ・・・。」



電話を切るなり、汀は携帯をバックに乱暴にしまいこんで、溜息をついた。

まるで、拗ねた子供のような顔をしている。


「……帰って来いって?」


私がそう言うと、汀は口をへの字にし、不機嫌そうな顔で、だるそうに首を縦に揺らした。


・・・どうやら、明日帰らなくては行けなくなったようだ。


(…明日、か…随分、急ね……もっといられるかと思ったけど。)


いずれ汀が帰ってしまうのは解っていた事だが、こうも急に告げられると

返って、何もする気が起きなくなる。


明日の別れを意識して、楽しもうとは思うのだが

明日の別れを意識し過ぎて、もうそんな気にもなれず。


私の手の届く距離にいた汀が、また遠くの地に、帰ってしまうのだから。


「…はぁ…冗談じゃないわよ、なんであたしが、第3者の尻拭いしなきゃなんないのよ…。

 ああ、天才故に、戦うほど力をつけていく、我が身体能力を呪うわ…」


頭を抱えて、汀が嘆く(?)。

それ、本当に落ち込んでいるの?と聞きたくなったが。


「・・・はぁ・・・。」



いや、一応、彼女なりに落ち込んではいるらしく。

折角の休み、しかも遠出中の彼女にとって、仕事が理由で、予定が変更されるのはやはり、嫌なようだ。


それにしても…いつも太陽みたいに、明るく笑っていた彼女にしては、物凄く落ち込んでいて…



「尻拭いって……誰の?」


その落ち込みように、思わず私は、汀の”仕事”に口を挟んでしまった。


…聞いてから、私は”あ、失敗したな”と反省した。


汀の顔が、一瞬…無表情になった。


チラリと、私の顔をみて目を閉じて、ふっと息を吐くと


「・・・あーいやいや、こっちの事よ。気にしないで。

 まったく…人使い荒いんだから…あーもう、今日は遊び尽くしてやるッ!!」


と、両手を挙げて言った。



(…やっぱり、そうだ…。)



卯良島での出来事があるとはいえ…やはり、汀と私には”決定的な壁”があるのだ。



(『鬼切り』と『一般人』の壁、か…。)



汀は、電話やメールで”仕事があった”という話は、私にするが

仕事の内容や、その仕事で具体的に何をしていたかは、話そうとはしない。


私としては、汀が安全であれば、それでいいかもしれない…と納得しようと思っていた。


しかし、鬼を切るという仕事は、決して、危険と無縁なわけではない。

だからこそ、気になるのであって。


あの夏のような危険な仕事は滅多にない、と汀は言ってはいたが

実際、鬼を切る汀をみたのと、鬼と戦った経験がある私は…気にならない訳がない。




『ん?仕事?・・・あぁ、気にしないで〜OK〜OK〜♪』


・・・と、汀は、前にそう言ったが、気にならない訳がない。



彼女の身が、安全かどうかくらい知っておきたいし、できれば…。


…出来れば、彼女の傍に…


・・・いや、そんな戯言に近いような事、この汀に言えるはずもない。




「…汀、”仕事”に差し障るわよ…私の事ならいいから、食事だけ一緒にして、ホテル戻ったら?」



…理解ある人間のフリをして、私はそう言った。



「えぇー!?やーだー!オサと遊びたーい!!」

「…どこの子供ですか?」


子供のようにダダをこねる汀を、私は口で戒めながらも、心の中で笑った。

けれど、汀の言葉に、私が同意できるわけも無い。


私が静かに言っても、この汀は引き下がらない。


「オサぁ〜下っ端の苦労と嘆きを慰めてくれるのは、もう遊ぶしかないのよ!?

 この夏は、一度しかやって来ないのよ?

 ・・・遊ぶのがダメなら、オサの優しい抱擁とキスでなぐさ…むむっ!?」


汀がそう言いながら、顔を近づけてきたが、私は冷静に手で押し返す。


「…後者は、却下。」


すると汀は、今度は肩をがっくりと下げて…ワザとらしく身をよじって

…よくもまあ、瞳まで器用に潤ませられるものだ…呆れるを通り越して、感心の域に達する。


「…梢子さん、あたしとは遊びだったのね…

 …昨日は89秒以上も、ネットリとしてくれたというのに…」


私を冷たいとでも言いたいのか、今時のドラマでも言わないような台詞を、平然と口にした。


「…ッ…それを言うなッ!!ホントに怒るわよ!?」


私が怒っても、汀はニコニコと笑ったまま。効く筈もない。


「まあまあ、冗談よ冗〜談。

 で、さ……気ィ遣ってくれるのは、大変有難いんだけど、そういうのは無用よ。」


汀は、ベンチに寄りかかると、腕を伸ばし、太陽を眩しそうに見た。


「…仕事の事、忘れてこ〜んなにはしゃげるの…ホンット、久々でさぁ…

 オサと今、遊んどかないと…ホントに後悔しそうだから。」



…後悔?汀が?

らしくない。そんなの、汀らしくない。




「…なによ、それ…まるで…」




”…まるで、もう、会えないみたいじゃない”




嫌な言葉が頭に浮かんで、私の胸を締め付ける。



私の顔を見た汀が、一瞬だけ”あ、マズイ”という表情を浮かべた。

ほんの一瞬。

私が顔を伏せていたら、きっと見逃していただろう。


「…あ、いや…オサともう、2度と会えないって訳じゃないんだけど、さぁ」


汀は、いつものように笑顔を浮かべる。

一瞬見せた表情のせいで、それは”ごまかし”である事は、容易に想像できる。


そして、それが、ますます…あの”嫌な言葉”を肯定するような気がして。


私はジロリと汀を見て、問いただす。


「・・・だけど、何?」


汀は、やはり笑顔で言う。



「さあ?なんでしょ」「だけど、何?」



笑顔の汀の台詞を遮って、私は再度同じ質問を繰り返す。

焦りに似た気持ちが、私を苛立たせる。

そして、汀の変わる事のない、この笑顔が…何よりも私を焦らせるのだ。


油断すると、あの1年前の夏の時のように。

汀が笑顔のまま、『ちょっくら、失礼』とかほざいて、どこかへ行ってしまう気がして。



「いやいやいやいや…ちょっと、オサ。顔、マジ過ぎて恐いって。

 あ、さては…そ〜んなに、あたしが恋しかったり」




「…誤魔化さないでッ!」




「…お…?」



大声で私がそういうと、汀は驚いたような顔をして、黙った。

彼女の笑顔が消えて、私はハッとして、慌てて謝る。


「…あ…ゴメン、怒鳴ったりして…。」


どうかしている。

汀は夏休み中に、こっち来ているだけであって、いずれ帰ってしまう事は解りきっているのに。


それに。



私は一般人。汀は鬼切り。



汀の仕事が忙しくなって、私にも私のやるべき事が出来たら、いずれ……



(いずれ…きっと…それは自然と…私達は…会えなくな)



考えたくない。

その先の言葉なんか、考えたくない。


賑やかな公園の人々に対して、黙り込む私達。


ああ、本当に私って…どうしてこうなんだろう…。

汀といると、どうも私は、感情的になってしまう。

こんなハズじゃないのに、と、私はなんとなく気まずさを感じて、下を向いた。



「………いやぁ…百ちー達は偉いなぁ〜」



黙り込んだ私に対して、汀が感心したような口ぶりで、話し始めた。



「・・・え?百子?」


何故、今…百子達が出てくるんだろうか?


「いや、今みたいなオサのカミナリ、毎日喰らってるんだもんねぇ〜?

 姫さんも、百ちーも、やすみんも…
 
 さぞや、怖くて、辛かろうねぇ…なんまんだぶなんまんだぶ…」


そう言って、私を拝み始めた。

まるで私が毎日、怒っているような言い方だ。


「…ちょっと、それ、どういう意味よ?」

「オサが、鬼みたいに恐いって意味ー♪」


睨む私に、満面の笑みで、あっさりと言いきる汀。

にっと、白い歯を見せて。



「…よくも、あっさり言い切ったわね…?…もういいッ!!」


そう言うと私は、ぷいっと汀に背を向けた。


(・・・人が、人が真剣に・・・!)


人の気も知らないで、まったく汀ときたら、いい気なものだ。


口を真一文字に閉めて、私は公園の景色を視界に入れる。

公園には、大きい犬を連れた人や、子供と手を繋いだり…楽しそうに笑っている人たちで溢れている。


…私だって、本当ならば、汀となんだかんだ言いつつも


笑い合って過ごしたかったのに。


(……もう…どうしてこうなるのよ…)





怒りつつも、自己嫌悪。


最悪だ。





私は、汀の理解者でいたいのに…そうでなければ、いけないのに。


私の口から出てくるのは、いつも、説教臭い台詞や、感情的な言葉や、素っ気無い返事ばかりだ。


そうして数分間の、長い沈黙の後。



先に、沈黙を破ったのは汀の方だった。



「…オーサー……ごめーんちゃい。」

「反省と気持ちが足りない。」


私は振り向かずに、即座に言い放った。


「うわ、怖…いや、わかりました・・・・・・ごめんなさい。反省、してます。」


その言葉と共に、私の背中に汀が、ぴたっと額をつけたのが、わかった。

それは、私に寄りかかるように。



「…ねえ、オサってば…」

「・・・・・・・・。」


その手は喰うものか。

私は、黙ったまま、もう一度くらい謝ったら許してやろうかと、考えていた。


「ねえ、オサってば…こっち、向いて…」


汀の声の静かさに、私はハッとした。

たった一言なのに、その一言で伝わる。


あの汀が…汀の声が、沈んでいる…?


いや、落ち着け。これは…汀のいつもの…口八丁の類…かも…


「……な、何よ?」


私は、とりあえず返事だけ返してみる。

大丈夫。動揺は、汀に悟られていない。


「……とりあえずさ。ご飯食べに行こうよ。どこでもいいから。」



その汀の声は、やはり、いつになく沈んでいて。


…御飯なんか、本当に食べたいの?って程…元気が無くて。



公園には、人の賑やかな笑い声が溢れるばかりに、たくさん響いているのに。

私には、背中からの汀の声だけが、一番、深く響く。



「…連れて行ってよ、オサ…。」



まるで、何かを早く忘れたがっているような…何か懇願に近いような汀の声を聞いた私は、考えを巡らせる。


…なんだかんだで、私は結局、汀に弱いのかもしれない。


それにしても、あと、どれくらい、汀を連れて歩けるのだろうか…。

公園の時計は、11時を指している。



私は、あと何時間、汀と一緒にいられるのだろう。




「……汀、明日…何時に発つの?」



確認しておきたい。

何が出来るかは、わからないけれど。


時間の許す限り、汀の好きそうな場所に、私は連れて行きたい。





汀は、静かに私の背中に呟く。


「…明日の朝には、ホテル発たないといけないかな…あぁ見送りとか無用よ?
 
 ・・・ホラ、あたしって、しんみりするの、あんま好きじゃないから。」


しんみりするのは、私だって好きじゃない。

それに、今しんみりしているのは、汀の方だ。


「…そう…。」


でも、今はそんな事よりも…


(何よ…早くいつもみたいに、笑って軽口叩きなさいよ…調子狂うじゃない…)


数時間後


私は、汀に置いていかれる。

汀は、私を置いていく。


時間は待ってはくれない。



今は考えるよりも…動く事が大事だ。




(1分1秒でも、こんな…張り合いの無い貴女を、私が放って置けると思ってるの?)




私は、頭を軽く振って、ベンチから立ち上がる。


「……行こう、汀。和食で良いなら、安くて美味しいトコ知ってるから。」



私が振り向くと、いつもの笑顔で汀がニッコリと白い歯を見せて笑っていた。



「…おっ!やっとノッてきたわね〜♪オサ!

 丁〜度、和の気分よ♪」



その汀の笑顔に、怒るどころか、少しホッとする自分がいる。





「さぁて、御飯の後は、何してやろうかな〜♪」

「・・・観光、じゃないの?もう、昨日みたいに、買い物とか、プリクラとかはしないわよ?」


「ん?・・・ああ、それはだね、小山内君。
 
 君が、若者ウケのする観光名所とか、あんまり詳しくなさそうだから・・・」


「…それ、私が、老けてるって言いたいの?」


私の問い対して、汀は腕組をして、言いにくそうなフリをしながら陽気に答えた。


「うーん…オサって、体はぴっちぴちの17歳なんだけど…

 ちょ〜っと、精神年齢が、ね〜…17歳とは思えな…い゛っ…!?」


汀の答えに対して、私は汀の足をグリっと、踵で踏んだ。


「…汀、今度変な事言うと……みぞおちに、肘入れるから。」



「イタタ……オーサー…最近、ツッコミが雑で、ひどーい。」

「ツッコミじゃありません。抗議です。」


汀に不満を漏らしつつも、私は黙って汀の右側について歩いた。




 ー 2時間後 ー



「…で、どこ連れて行ってくれるの?オサ。」

「…こっち。」

「オサー?聞こえてるー?ココ、どーこーでーすーかー?」

「良いから、黙ってついて来なさい。」


私と汀は、食事を済ませると、場所を移動して、長い階段を上がっていた。

それは、汀と出会った、あの咲森寺を思い出すほどの長い階段だった。


「凄い長い階段ね…まるで咲森寺の階段じゃない。」

「あ、覚えてたんだ…」


汀も同じ感想を持ってくれていたのと、あの夏の事を覚えていたんだという

嬉しさに似たものが、私に不思議とこみ上げる。


一段一段、石段を登るたびに、あの夏の思い出が私の中に溢れてくる。

横にいる汀を見ると、なおさらだ。


「…懐かしいのは結構だけど、食後の運動にしちゃ、コレは、いただけないわねー…

 良かったわねー?本日のデート相手が、ミギーさんで♪

 やすみんや姫さんだったら、卒倒モンじゃない?」


「…はいはい、そうですね。

 体力だけはあるから、保美より安心して危険なトコ連れて歩けるわ。」


出会った当初は、苦手だった汀の軽口にも

私はいつの間にかツッコミ(?)とやらで応戦できるようにもなったし。


「…ちょっと、オサ?観光案内よね?

 あたしの事、このまま崖から突き落としたりしないわよね?」

「さあ、どうかしら?すると思う?」

「…いや、オサ、一応否定はしていこうよ、ソコは。」

「あら、どうして?」

「・・・・・おー、笑顔が怖・・・。」


こうして、汀との会話を愉しむ(?)余裕も身についてきた。



私も汀も、長い階段をスタスタと上る。

不思議な事に私達は、負けず嫌いという共通点がある。

そのせいで、私達はほぼ同じ速度、タイミングで、休む事無く、階段を上がっていく。


「息、切れてきたら言ってね?おんぶしてあげるわよ、オサ。」

「遠慮しとく。」


私がそう言うと、汀が階段を上がる速度を速めた。


(・・・コイツ・・・!)


やはりきたか、と私は足を上げる。

ニヤッと笑う汀の横顔を見た私は、汀よりも早く階段を上がった。




    ー 2分後 ー



”ダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダン!!!”


汀と私は、階段を駆け上がっていた。


真夏の真昼に、全速力で、階段を駆け上がる10代の女子2名。

他の人から見たら、さぞ奇妙に写るだろう。


だけど。

こうして”競う事”が楽しいと感じる事ができるのも、相手が他の誰でもない、汀だからだ。


「はぁ…はぁ…!」

「はぁ…はぁ…!」


互いに目を合わせて、”負けないわよ”と目で笑う。

階段の終わりはもうすぐ。


私はラストスパートをかけ、それを見た汀も、追い込みをかける。



(あと、3段…!)


そう気が緩んだ瞬間、私は、カクンと足を踏み外した。


(・・・あ・・・!?)


落ちる・・・そう思った瞬間。


”パシっ”


私の手首を強く掴む、グローブ特有の感触。


「…みぎ、わ…!?」



強く引き寄せられて、私は硬い石段ではなく、柔らかい汀の胸の中に落ちる。



「馬鹿オサ…すぐムキになるから…

 …って、あたしもだから、おあいこだけど。

 にしても、危なかったわー…」



息を切らせた汀の声が、私の頭の上で聞こえる。

汀の心臓の音が、すぐそばで力強く鼓動を打っているのが、聞こえる。


「・・・ごめん。」


呼吸を整える汀の胸からは、まだ心臓の音がドクンドクンと聞こえる。

私も呼吸を整えながら、黙って汀の心臓の音を聞いていた。



「いいって、いいって。先に勝負仕掛けたの、あたしだから。

 デート中に、彼女が転落死なんて、洒落にならないわよ。」


”カノジョ”と言う単語を認識して、何を言うかという事よりも先に

嬉しいと感じてしまう自分がいる。

それは、やはり…そういう、感情であって…悪い気は全然しない…


「・・・・・うん、ありがとう、汀。」


石段に座って、ただ汀の胸に寄りかかっている私と、私を支え続けている汀。


人気のない場所で、本当に良かったと思いつつ、人が来ない事を、願う私。


「オサ、立てる?」

「……うん、もう大丈夫。」


汀の立てるか?の問いに、私は、素直に汀から離れようと思った。

しかし、汀は一向に私を離してはくれず。


「違〜う。”立てない”って言って。」


汀は、拗ねたような口調でそう言った。


「・・・え?」

「もうちょっと、こうしていたいから。……折〜角、助けたんだもん、役得役得。」


ぎゅーっと抱き締めながら、汀はこれは”自分の権利”だと、主張する。

汀の呼吸は、完全に整っている。


「……あ、暑苦しいわよ…まったく、すぐ調子に乗るんだから…」


一方、私の呼吸は…乱れたまま。

いつも、汀にこんな風に乱されるのは、私だけ。


(・・・ズルい奴・・・)


こんな汀を、憎いのか、好きなのかも…

もう、走って上昇した体温でのぼせ上がった頭で考えても無駄かもしれない。



「……あ、やっぱり。」

ふと、汀が周囲を見回して、そう言った。


「何が?」

「…いや、オサの観光案内だから、神社かな〜と思ってたんだけど

 本当に神社だったな、と思って。」


そう、長い階段の上には、神社。

高台にある神社で、あまり人が訪れない事で、有名な神社


「不満?」

「いやいや…意外と好きよ、神社って。」

私は、当初の目的を思い出して、汀から離れて歩き出した。

「……来て、汀。」


いささか不満そうな顔の汀の手を引いて、神社の境内に入り、私は真っ直ぐお守りの売り場に向かう。

小さい窓から、私は売り場の中にいる巫女さんに話しかけた。


「すみません”身代わりお守り”を1つ。・・・その、赤いの。」


私が指をさすと、巫女さんが白い袋にお守りを入れて渡してくれた。


「はい、800円お納め下さい……どうぞ。」


白い袋に入ったお守りを私は、汀の胸元にグイッと押し付けた。

「はい、汀。」

「…何、これ?」


キョトンとした顔で、汀はとりあえず受け取ってくれた。


「怪我とか、そういう災厄から、守ってくれるの。文字通り、身代わりね。」

「ほう……あ、心配してくれてるの〜?」


汀は、ニヤニヤしながら私に”当たり前の事”を聞いてくる。


「…しないとでも?」


私がそう言うと、汀はビックリしたような顔をした。


「・・・あらら・・・結構、ストレートな返しね・・・ミギーさんちょっとビックリ。」

「…心配くらい、するわよ…」

「そっか。んじゃ、あたしもー♪…………すいませーん♪」


汀は、私と同じように巫女さんの所へ行き、何やら二言三言…

いや、それ以上に…なにやら楽しそうに話し込んでいる。


(…汀って…本当に…人懐っこいわね……)


呆れ顔の私に、満面の笑みを浮かべて汀がやってくる。

「お待ちどう♪はい♪」


はい、と彼女から渡されたのは、白い袋。

袋の中には…狛犬らしき2匹のマスコットのお守り。


・・・これは・・・。



『縁結び御守り』(カップル用)



「…これ…縁結び、よね…」

「…そうそう♪で、片方はオサ、片方はあたし♪」


そう言って、汀は袋から指で、白い狛犬を出して、プラプラと私の目の前で振った。

袋の中に残ったのは、朱色の狛犬。


「…赤い色、汀が好きなんじゃ…」


「…だから、オサに持ってて欲しいの。」


ざあっという音をたてて風が、神社の木々を揺らす。


(…そうだ…汀、あと数時間で、帰っちゃうんだ…。)



「…汀、こっち。」

「ん?何々?」


私は、汀の手首を掴んで、神社の境内を駆けた。

木々の間を、走り抜けて私と汀は、目的地に到着した。


「…この神社…高台にあるから…よく見えるのよ。」

「ああ…確かに、これは一見の価値ありね。」


私達の目の前には、街がみえる。

視点を上からに変えただけで、こうも街並みが変わって見えるものだろうか。


木々を揺らす風の音と、緑の香りしかしない、この場所。

木の陰で、暑い日差しを気にする事無く、私達はのんびりと風景を眺めた。


…単に私が、この景色を汀に見せたかっただけで…汀には退屈なのかもしれない。


「これで、椿の花があれば…まるで、沙羅の森か…卯良島ね…」


汀は懐かしそうに目を細めて、景色を見ていた。


「…前、一度だけ来た時、私もそう思った。」


ここは、あの場所に似ていた。

汀と初めて出会い、過ごしたあの場所と…


「あぁ、オサ、来た事あるんだ。」


「全国大会の前に、願掛けしようって、剣道部のみんなで…」


「じゃあ、さっき買った御守り、ご利益あるわね…

 あの時のオサの神がかり的な強さは、この神社の守護パワーのせいか…」


汀は、そう言って笑っていた。

私は、というと…そんな汀を、見つめていた。

白い狛犬が、汀の携帯からプラプラ揺れているのを見て、私は思う。

今度は…変に怒る事なく、素直に、自分の言葉で、自分の気持ちをきちんと…。


「…今度試合したら、勝てるかどうかわからないわ…あの時だって…

 ”負けたくない”って気持ちもあったけど…それ以上に、ね…

 さっきの階段ダッシュも、そうなんだけど…負けたくない気持ちよりも、先に…」


「”楽しかった”。」


汀は、私の台詞を先に言い当てた。


「・・・え、あ・・・うん。」


もしや、汀も…同じ、気持ちだったり…?


負けたくない、よりも…楽しいと思える相手。

一緒にいれば、もっと強くなれる相手。

好敵手であり、それ以上の…存在。


それが、私の…喜屋武汀だ。


その汀が、口を開く。


「…それにしても、オサって、ホント解りやすいわね〜。

 さっきの階段ダッシュも、ホント楽しそうな顔してたわよ。構ってもらって嬉しそうな子犬のような…」


汀は、ニッコリと楽しそうに笑う。

・・・期待した私が馬鹿だった。


「…それ…つまりは、私が感情が顔に出るほど、馬鹿正直だと言いたいの?」

「いやいや。あたしは、オサのそういう真っ直ぐなトコが、羨ましいくらいよ?」

「……ものは言いようね。」


それに・・・どこまで、本当なんだか。



「いやいや、ホントホント。褒めてる褒めてる。

 そうね…例えて言うなら、オサは、空に向かって、まっすぐ一直線に伸びていく”木”ね。

 しかも世界遺産クラスの樹齢でー…どっしりと構えてて…あーつまり解りやすく言うと

 年寄くさ…う゛っ!?…痛いっ痛っ!?……ごめ、ごめんって…」


汀の右腕をぎゅっと摘む(抓る)。


「ゴホンッ!…で……そういう汀は?」


「っかー…加減してよねー…ん?…あー…あたし?……あたしはね…うん……


 ・・・あたしは”蔦”ね。つる植物の。」


「・・・蔦?」


…私は、汀は向日葵、という感じがした。

太陽を浴びて、明るく咲いて・・・いつも太陽の方へ、顔を向けていて。


その向日葵は、手すりに寄りかかりながら街並みを見下ろし、静かに続けた。


「そう。他の植物やモノに巻きついて、やっと高い所へ、葉を伸ばせる、つる植物。

 自分で行きたい所があっても、高い所へ行きたくても、自分の意思ではそれができない。

 巻きつくモノがなけりゃ、高い植物が生えてくるまで、ずっと地面で、光合成。

 そんで、一度巻きついたら、それにず〜っと・・・絡みつくだけ。」


いつもの汀には珍しい、静かな口調と態度。


”自分の意思では出来ない”というのは、きっと…汀につけられた”鈴”のせいだろう。



蔦は、背が高い植物に絡みつくか、背の高い植物の葉の隙間から漏れる光で、光合成を行う。


確かに”漁夫の利”を語っていた汀らしいとは思ったが。


でも、話の内容からして。蔦に雁字搦めになっているのは、汀自身では無いのか?と思う。


それは、不自由な印象を受け…そして、それは、汀には似合わない。



・・・だったら。




「……じゃあ、”私”に巻きつけば良いじゃない。」


「…は?」



「汀は蔦で…私は、木なんでしょ?

だったら、私に汀が、巻きつけば良いじゃない。

 ……多分、上、真っ直ぐしか…いけないけれど。それでも、いいなら。」


私がそう言うと、汀はこちらを見たまま、目をパチパチとしていた。


自分でも、たかが例え話に、こんな風にムキになって話すのは、どうかしているのかもしれないと思う。



でも、もし私が木で、汀が蔦ならば…

私は…いや、私ならば、汀の行きたい方向に、枝を伸ばすことだって、できるはずだ。



「…あ…これは例えば、の話よ?」

私は、慌ててそう付け加えた。



そうでもしないと、きっとコイツは、すぐ目を板カマボコみたいにして、ニンマリ笑って


”やだ、オサってば〜♪それ、あたしの事口説いてるの〜?きゃー♪”


とか。


”う〜わ〜…今時、そんな台詞アリ?オサってホ〜ント、メルヘンさんねぇ♪”


とか。


私をからかうのだろう。


ところが。


「・・・・・・・。」


いつまでたっても、汀は私の顔を見たまま、目をパチパチ瞬きしたまま、口を開こうともしない。


「・・・な、なによ・・・。」


いつになく、変な感じがして、私は横目でなによ?と聞いた。




すると、蔦は何も言わずに、突然私に…”絡みついた”。




「ちょ、ちょっと…汀っ!?」



汀の腕が、いつになく強く、私を捕らえていて、離してくれない。


(あ………温かい…。)


その心地良さに、目を閉じたら、そのまま溶け込んでしまいそうになる。

あの夏より、私は少しだけ背が伸びたけれど、汀もそれは同じだったらしく。

やっぱり、まだ少しだけ、汀の方が、私より背が高いまま…


「…ちょっと……なに、してるのよ…汀…」


私は、汀のシャツの背中部分を、ツンと引っ張る。


「何って…絡み付いて良いって言ったじゃない。」


声はいつものように、ケロッとした陽気な声。

だけど、私を抱き締める腕の力が、不釣合いなほど、強い。


「絡むじゃなくて、巻きつけって言ったのよ…それに、た、例え話って、言ったでしょ。」


「いやいや…例え話でも。

 あたしね…滅多に感動とか、ナントカなんか、しないんだけど、さ…。


 今の台詞…結構、あたしの中に、キタかも。…なんか、惚れ直したわ、オサ。」


そう言って、汀はフフッと笑いをこぼしながら、更に私を抱き締める。

きつくて、少し…苦しいくらい。


(……惚れ”直した”って……)


いや、汀の事だ。きっと言葉のあや、だろう。


「…今は、人間なんだから離れなさいよ…。」

「…人間でも、絡みつきたい時ってあると思わない?」


「・・・・・・・・・無い。」

「今、間があったわよ?オサ。」


「無い。離れろ。」

「オサのツンデレー。萌えちゃうぞー。」


「…いい加減にしないと、殴るわよ。グーで。」


「はーいはいはい。ムード壊すのが、お好きですね〜。」


そう言って、汀はやっと私から離れて、空に向かってうーんと、体をのばして


「…あー…帰りたくなーい…めんどくさーい…。」


とボソッと呟いた。



「・・・・・・・汀。」



帰りたくないなら、ココにいればいい、なんて、私が言える立場でもなく。

また、言えるはずも無く。



「んー?」



「…自分の仕事、でしょ?」


と、釘を刺す事くらいしかできない。


私が少し笑いながら、肘で軽く小突くと、汀はまた猫みたいに笑った。


「そうね、失言でしたー。」

「ホントは、ちっとも思ってないクセに。」


「へー…オサ、あたしの心読めるんだ?」

「…読まなくても、大体わかるわよ。」



そう、私は…釘を刺すしか出来ない。


汀じゃない、自分に、だ。




”行かないで”なんて、汀に言うんじゃない、と。




     END   ・・・後編へ・・・




 ーあとがきー


力尽きました。エライ中途半端できりましたけど。

ココで切っておかないと、いくらなんでも長すぎる。という事で、とりあえず。

序盤のやり取りが、後編にまた出てくるので、どんな展開になるかは…とりあえずお楽しみに…と。


あー妄想全開!!です。


・・・テストでどれだけ抑圧されていたか、がお分かりいただけたかと思います・・・