あたしは、汀。喜屋武 汀。

天才肌とかよく言われてるけど……まあ、実際物事こなすのに、あんまり苦労した事、無いのよね。



・・・・・・ああ、よく考えたら、あったわ。苦労した事。


まず、泳げない事。

なんっか知らないけど…沈むのよねぇ…まあ、体脂肪率低いからだろうけど。



あと、剣鬼に剣盗まれちゃった時。


…あれも苦労したわぁ…

剣鬼には負けるし、手傷負わされるし………結構、今でも屈辱だわ、アレ。




それから………




『…汀の、馬鹿ーっ!!!!』



・・・なんであの人、毎度毎度、人の事、飽きもせず馬鹿馬鹿言うかなぁ…


こっちから見れば、あんたもツンデレの、馬鹿正直で、頑固頭、十分馬鹿っぽいと思うんだけど?



……っと、本人に聞こえたら、また怒られるわね…失言失言…。



…あー…で…”あの人”は、あたしの苦労、に入るのかしら…。





ただ、”あの人”こと…小山内梢子と出会ってしまったが為に、あたしは…失ったモノがある。



”それ”を取り返す為、今、あたしは非ッ常〜…に!苦労している。




ここは、山のど真ん中。

真っ暗闇の山の中。


あたしは夜空を仰ぎ、その場に転がっていた。


(…よし、息は大分整ってきた…あとは、どう攻略してやろうか…。)


夜の空気を肺に送り込み、体が冷えきらないうちに動こうと思う。



「寝ている暇は無いぞ、小娘。それとも、御魂までも、眠りにつきたいか?」


呆れたような低い声が、聞こえる。

背低いクセに…声と態度だけは、偉そうなのよね…


「…いやいや…良い子は寝る時間ですけどね…

 生憎と、あたし…悪い子なんで大丈夫で〜す♪今起きま〜す♪」


上体を起こして…その声の主、コハクさんにあたしは満面の笑みを浮かべてみせる。


コハクさんは、あの剣の一件以降、守天党の一員となった。

未来の鬼切りを教育する仕事をしている、との噂を聞いて、早速その胸をお借りしたわけですがね…


実力は、この通り…あたしは赤子同然。


で、このコハクさんは、修行という名の元に、あたしの手を捻るどころか、体ごとねじ切ろうとしているワケ。

いやいや、ねじ切られるあたしとしては、笑えない、笑えないって…。


「…戯言を聞いている暇も無い。お主…

 コレは、わしの”好意”で行っている事を忘れている訳では、あるまいな?」


・・・しかも、その修行ときたら、実戦形式の・・・超・スパルタときたもんで。

かれこれ、イイ年した鬼切り5名が脱兎のごとく逃げたそうな。かっわいそうに。



・・・いや。多分、このコハクさんの強さが規格外なだけだわ…。



その証拠に、あたしの体はズタボロ。

おまけに、さっき吹っ飛ばされた時、口の中を切ったらしく、血の味がしている。


「はーい…身体から”血ィ出る程”…感謝してまーす…♪」


(ああ、嫌だなー…味噌汁飲む時、しみるのよねぇ…)



4時間以上も戦ってると、足にも手にもガタがきていた。

体にガタはきてるけど、頭はフル回転中。


本来、これが本当の殺し合いなら、地べたに寝転がってる時点で、軽く5回は死んでる。



(・・・これだから、鬼切りは辛いよってね・・・。)



「…フン…だったら、さっさと、かかって来ぬか…汀とやら。」


肩にトントンと刀で叩きながら、チビ…いや、コハク”様”は、あたしを余裕綽々であざ笑う。

オサはこのコハク様を…”椿の精”とか言ってたけど


こんなに毒々しい妖精、聞いたこと無いし、見たこと無い。



一方、ボロボロのあたしはというと、起き上がって、軽く屈伸運動。


(やれやれ…やっと、あたしの名前覚えたよ…この人。)


さっきまでコハクさんは、あたしを”おい”とか”小娘”とか”猫”だとか、とにかく好き勝手に呼んでいた。

多分、逃げると思って、名前を覚える気はなかったんでしょうけど…。



あたしは逃げない。この場だけは、逃げる訳にはいかない。



棍を構えて、あたしは満面の笑顔でゆる〜く、言う。



「…んじゃぁ…まあ、軽〜く………」



・・・あたしは、”口八丁手八丁を以ってよしとする”。


軽くその場で、ステップを踏んで、草を踏みながら前進…そして。


”サクサクサク………ザッ…!!”


舞の手を使おうかとも思ったが、それはもう2時間も前に、コハクさんには攻略されている。


だから、一旦踏み込んで、その足を軸にして、半回転し、左側へ飛び込む。


…一気に自分から攻め込む事にしたのだ。


「……ふ…ッ!!!」

(どうだ…フェイント&下段からの奇襲攻撃…ッ!!)




”…ガキィンッ!!!”



いとも簡単に、あたしの仕込み刀は、受け止められた。


「・・・・げっ!?」

(ヤバ……あたしの渾身のフェイントが、効かない…!?)



ニヤリと嫌な笑みを浮かべて、コハクさんはあたしの刀をはじいた。


「…フン…軽く、じゃと?…力み過ぎだ……………この未熟者がっ!!!」



”ドカッ!”


「ーッ!?」


続いて、腹部に鈍くて重い衝撃。

思い切り蹴られて、あたしはまた吹っ飛び、喰らった圧迫感と苦しさに、のたうちまわる。


「…うぐっ!?…ぁ…ゲホゲホッ!…ゲホッ…ぐぅ…うぅ…ッ!」

(…バケモン相手に修行って…キッツー…ていうか…修行じゃないわ、コレ…

 もう、実戦だわ、コレ……そういうあたしも…自分でよくやるわ…)


酸素が、上手く入ってこない。


地面でのたうちまわるあたしを、コハクさんは新種の虫でも見つけたような目で…

さも珍しそうに、あたしを見下ろした。


「…どうした?…身体だけでなく、ついには、口も動けぬか?

 つまらんな………小山内梢子という娘の方が、よほど面白かったぞ?」



「・・・・・・。」



その名前を引き合いに出されて、あたしはスクッと立ち上がった。



…その名前を、今のあたしに向かって、他人が言うと、ここまで腹立たしいとはね…。



・・・自分でもビックリ。




「……ほう……一応、そのような顔も、出来るのだな?…その顔の方が、実に、鬼切りらしいぞ。」



「そりゃ、どーも。」



アンタのせいよ、オサ。あたしは、鬼切りで、アンタは一般人。




「…よりにもよって、ソイツと比べられると…無茶苦茶、ムカつくんですけど。」




アンタのせいなのよ、オサ。あたしは…強くならきゃいけないの。解る?



「ムカ…?……まあ、御託は良い。わしの機嫌が良いうちに、かかって来い。

 中途半端な気持ちでは・・・死ぬぞ?」




これは、全部アンタのせいなの、オサ。…だから…邪魔、しないでよね?




「………言われずとも…ッ!!」





・・・あたし、もう負けられないから。









        [Take The Wave ]






「・・・うぅ・・・痛ったー…

 ・・・あれで、手加減して愉しんでるなんて、ドSか、ホンット…バケモンだわ…」



擦り切れた肘や、脛に消毒薬を塗りながら、あたしは呟いた。

いや、呟くくらいなら、タダだし。


”山奥で修行”なんて、コッテコテの王道かつ典型的な修行を、現代っ子である自分がするとは思わなかった。



修行は、主に、コハクさんの気まぐれで、昼夜関係なく行われる。

コハクさんに呼ばれるまで、あたしはテントを張って、寝袋の中。



鬼切りという仕事をしている以上、この手の修行はやっておいて、損は無い。

今は諜報が多いけど、実戦が伴う仕事が、ココ最近多くなってきているのは、事実だ。



・・・若も人が悪いわ、と思う。まったく情け容赦がない。



あたしの成長を望んでるとか、将来を期待してるとか上手い事言って…


要は・・・ ”下っ端のまま、死にたくなかったら、強くなれ。” という意味だ。


だったら、強くなってやろうじゃないの、とノコノコやって来たは良いけど。


…自分の技がここまで通用しなかったのは、ちょっとあたし的にもショックかも…。


傷の手当てを終えて、あたしは空を見上げる。


(あー…もう夜明けだわ…)


闇を照らす太陽の光に、辺りの空は、青く染まり始めている。

今日も良い天気になるだろうな、とあたしはふうっと息を吐いた。



(…今の時間だと、オサはまだ寝てるだろうなぁ…。)



同じ空の下、でも全く違う場所に、小山内梢子という、あたしと同い年の女の子がいる。



まさか、こんな時間まで、こんな山奥で、このあたしが、地道に血反吐吐きながら

”修行”してるなんて、オサは思わないだろう。



・・・というか、今回の修行の事は、オサには伏せてある。



理由は2つ。



今いる山・・・オサの街と結構近いと言ったら、近い場所だから。

そして・・・オサにだけは、この修行の事を知られたく無いから。




「さて、と…寝ときますか…」


バッグの中に包帯をしまおうとすると、中で携帯が振動している音が聞こえた。


「・・・う、そ・・・」


こっちは、山の中だってのに、電波が入るのだから不思議な所だ。

まあ、人気が無い広い土地ってだけで、そんなに街からは離れてはいないらしいから、当たり前といえば当たり前かも。


夜明けだというのに、電話の主は、てっきり寝ていると思っていた、小山内 梢子。

オサからの着信に対し…あたしは、携帯の画面を見たまま、固まっていた。


出ようか出まいか…迷いはなく、あたしはそのまま、しらばっくれる方を選んだ。



やがて、電話は留守番メッセージをオサに告げる。


……しばらくして、メッセージを録音して、電話は切れた。


”ピッ…”


一応、緊急の用事だといけないので、確認はしてみる。



『…もしもし?……あの、私、小山内梢子です……連絡、下さい。』



低い声に、用件のみのシンプルな伝言。


…実に、オサらしい、とあたしは思わず笑った。


この声を随分聞いてない気がして、あたしはもう一度メッセージを聞いた。


『…もしもし?……あの、私、小山内梢子です……連絡、下さい。』



…何度聞いても、愛想の欠片も無いけど、実にオサらしい。



そういえば、この1週間、電話もメールも…連絡らしい連絡をしてなかったな、と気付いた。



(…あちゃー…だからか…なんか、声低かったの…。)



オサは怒ってるんだ、とあたしは気付いた。



かれこれ、オサと付き合いを重ねてわかったことだけど、あの人、意外と寂しがり屋っていうか…


定期的に連絡しないと、オサは、怒涛のごとく怒る。



軽く1時間は怒られる。



その後1時間は、連絡がなかった理由を根掘り葉掘り聞かれて、無事なのか?と心配される。


そして、最後の最後になって”貴女が無事ならそれが一番良い”と言われる。



・・・正直、その結論を先に言って欲しいんだけど・・・。



・・・まあ、オサは怒るのが、日課みたいな人だし。


(ま、今度も大丈夫でしょ…。)



謝り倒せば、オサは大抵の事は許してくれる”甘い所”があるのを、あたしは知っている。


「よっぽど、暇してんのかしら?…どうしてんのかなー…」


と呟いて、あたしは頭を振った。

今はオサよりも、自分の事を考えるべき時だってのに。



(もしかして…あたし、甘ちゃんと接しすぎて、感化されたのかしら…)



嫌な傾向だわ、とあたしは思う。

オサとあたしは、育った環境も違えば、考え方も違う。



…あいつは、真っ直ぐにしか進めない奴で、物事を割り切るって事を知らず、自分に素直な奴。


…あたしは、曲がってでも目的地を目指し、物事を割り切って効率の良い方を選ぶ…嫌な奴。



オサが羨ましいと思った事はあるけど、アイツになりたいとは思わない。


(今更、身に染み付いたこの生き方を変えたら…きっとあたしは壊れる…。)


千差万別。生き方はどうあれ。


あたしは、変わらなければいけなかった。



…あたし自身が…今、自分の”弱さ”を痛感しているからだ。



昔、訓練をやればやっただけ、あたしは強くなった。

だから、一般的にいう”努力”なんてせずに、言われた事をこなせば、結果は自然とついてきた。





・・・剣鬼に剣を盗まれる、あの事件が起こるまでは。




あの頃、仕事は、諜報活動中心だったし、剣鬼がなまじ人の形を残していたので

”あれは人だ”という『一種の油断』が、あたしに敗北を招いたのだと、若は言った。



『今度こそ、油断しない。』意気込んで、あたしは剣鬼を追う事を自ら願い出た。



そして、あたしは辛うじて、剣鬼を斬った。



・・・いや、斬ったんじゃない、正確には、”斬る事がやっと出来た”のだ。



・・・一般人の協力のおかげで、しかも命まで助けられて。



カナヅチだから、海で溺れた時、またしても命を助けられて。


剣鬼との戦いにまで、その一般人を巻き込んで。

そして、門の封印まで、その人物に託してしまった。


門の封印の後、海に溺れそうな所を、またその人物に、助けられて。




・・・あろう事か、目的の一つである”剣”を紛失した。




その事件で。

死ぬほどの思いをして。


・・・やっとあたしは、痛感した。







……あたしは…弱い、という事。







普段から、周囲には自分は下っ端ですから、と言ってはいたが。

一度、自分の弱さを痛い程感じると…謙遜すら悔しくて出来なくなる。





・・・1年前の夏・・・あたしは、雑魚でも、剣鬼でもない、”人”に負けた。




…全力で、真正面からぶつかる事しか知らないあの”甘ちゃん”に、あたしは負けたのだ。



(……強くならないと…もっと…)




あたしは、あれ以来、どんどん弱くなっていく自分を感じていた。


それは


”ヴーン…ヴーン……”



「……ん…」


携帯の振動音に、薄目を開けて、携帯画面を見る。


『小山内 梢子』



「……いい加減…寝なさいよねぇ…」


あたしはどうしても、通話ボタンを押す気にはならなかった。

別に、避けてるって訳じゃないんだけど…


今、修行している間は…オサとはあまり話したくなかった。





あたしが、弱くなったのは…オサのせいだから。




電話が切れた後、伝言メッセージをとりあえず、確認した。

・・・今度のメッセージは、長く入っていた。


『…汀…あの、何度もごめん。私、小山内梢子』


(…知ってる。)


今度の声は、低い声じゃなかった。

何か、諦めたような、少し落ち込んだような声だった。


『…あの…実は…その…この間、剣道の師範代してる人と試合う機会があって…

 その、1本だけ取れました…でも、結局その後全部、あっちが取ったんだけど…』


(そう・・・オサは、強いよ・・・ホント。)


『…前のスランプの時…汀には、助けてもらったし…今回の事も直接、知らせたくて…それから…』


(違う違う…前のスランプの時は、アンタが自分で乗り越えたのよ、オサ…)


『…汀の、声…いや…最近、連絡ないから、忙しいんだろうとは思うんだけ』


(………………。)



あたしは、メッセージを最後まで聞かずに、携帯を切って、寝袋の中にもぐりこんだ。


潜り込みはするものの、ついつい携帯の画面を意味も無く眺めている。


携帯のデータのフォトには、何度やっても、しかめ面でしか写れない同い年の女の子。



「・・・ふっ・・・」



頬が緩む自分に気付き、あたしは首を振って、携帯をカバンの中に放り込む。




(……………ああ、こんなんじゃダメだわー…。)


あたしは寝袋から飛び出し、何かから逃げるように、振り切るように・・・走り出した。

まだ、薄暗い山道を全力で走り抜ける。


「はぁ…ッ…はぁ…ッ!…はぁッ!っ―あッ―!?」


途中で、派手にブチ転んだ。


「…うっ…」



『・・・汀、大丈夫?』



(・・・・・・オサ?)


耳に残っていたオサの声が、聞こえたような気がして、顔を上げる。


山道のクセにまっすぐ伸びた道が、あたしの目の前にあるだけ。

オサのように、まっすぐに一直線に伸びた道。


『…汀、しっかりしなさい!』


(・・・幻聴か?オサの声が聞こえる。)


まだ暗い道の奥から、確かにオサの声。

そして、風が、あたしの頬をするりと撫でた。


心地良いなと感じて、瞼を閉じかけて、あたしはハッとした。


「って…何和んでるのよ…!くっそ…こンの程度…っ!」


止まっている時間が、惜しいとあたしは歯を食いしばって、立ち上がる。




居る筈のないオサの声のする方へ、走り出す。





人は無意識のうちに、楽な方を選択する生き物だ。

居心地の良い方へと、逃げてしまいがちだ。




今までのあたしには、特別そんなモンなかった。


・・・楽なのは、大歓迎だけどね。


逃げるとかそんなモン以前に、逃げ込む場所も、心地良いと感じる場所も

自分の身を、自分以外の所へ預ける必要すら無かったし、これからもそんなモン無いと思っていた。



『自分の身は自分で守れ。』



鬼切りとして戦う事も、それによって誰かに恨まれる事も、自分自身が背負う事。



『迷いがあるなら、その迷いごと斬れ。』



そうやって、ずっと生きてきた。



だけど・・・あの夏。

小山内梢子に会ってしまったあの夏以来・・・あたしは・・・




自分の”弱さ”に気が付いた。

そして、どんどん…弱くなっていく自分を感じていた。







[・・・ピピピピピピ・・・]


携帯のアラームで、目を覚ます。


「…ん、あ……何時…?」


寝袋の中であたしは目を覚ました。

なんだか、身体がギシギシするけど、それは3時間前の走りこみのせいだ。


(…ん、睡眠なんか、生理学的には3時間で十分ってね…理想は6時間だけど。)


休んでる暇なんか、無いって…あたしは、試合控えてる選手じゃないんだから。

・・・これは、自身の限界を超える為の修行なんだから、ゆっくり寝てる暇なんかない。


・・・まったく、このあたしが、努力だの、限界を超える修行なんてね、と自分自身に苦笑をこぼす。


(これも、オサに感化された結果かな・・・)



手入れをしようと棍の仕込み刀を抜いてみると…あたしは、また気が滅入りそうになった。



「うわ…刃毀れしまくってるじゃないのよ…」



…鈍ら刀もいいところだと溜息をつきつつ、一応出来る限りの手入れをしてはみる。


こうなったのは、自分の未熟さ故の事。



携帯食料を水で胃に流し込んで、軽くジョギング。

そして、筋トレ…と、本当に王道の修行をしていたあたしは、山の中で大の字に寝転ぶ。


「っだぁ―!しんどー……」



また、あたしナイスバディに磨きがかかっちゃうってかーとか

ふざけた事を呟いてみるが、いつもみたいに、ツッコんでくれる人はおらず。


「…あー…一人ボケは空しいわぁ…」


休んでから、川へと水を浴びに行く。

これが、昼間の日課だ。


「冷たっ…そして、傷に…しみるぅ…!!」


夏といえ、川の水は冷たい。

…水風呂と思えば平気かも……って、やっぱり温かいシャワーと湯船が恋しい。


10代のうら若き乙女が、こんな所で水浴びなんて…こんなトコ…


(オサにだけは、知られたくないわー…)


沢山の生傷と、微妙な川の水の臭いをつけた自分は、一体どんな顔で

1週間も連絡もせず放置した説教女に、顔を合わせれば良いのだろう。





「……小娘。」


いつの間にかあたしの背後に立っていたコハクさん。

あたしは、隠す必要もないのに、胸をタオルで隠して言う。




「…いっやーん☆コハクさんのえっちぃー!(青い猫型ロボットアニメの某ヒロイン調で)」






「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」






・・・・・風の音だけが、川原にむなしく響く・・・・・・・。






「見られたくなくば、さっさと仕度をするがいい。」



コハクさんは、くるりと背を向けた。

予想してたとはいえ、あたしのボケは、無表情で、軽くスルーされた。



(…うわ、やっぱツッコミ無しですか…)


オサならきっと”誰がの○太よ!このバカ!”って、顔真っ赤にして、ツッコんでくれるのになー。



「…さっさと済ませた方が良いぞ。今宵は、客が来る。」



背を向けたまま、コハクさんはそう言って、空を見上げた。

”昔から変わらないのは、山の夜空だ”と言って、よく見上げてはニヤリと笑っている。


・・・夜空が好きなんて、意外とロマンチストの類なのかは、知らないけど。


「・・・え?もう一人鬼切り来るんですか?」


こんな山奥に来て、コハクさんに用事があるというのは、鬼切りだろう。


「…今は、まだ鬼切りでは無いが”候補”と言った所だ。」

「…へえー…じゃあ若いんですか?」


最近の鬼切りは、若い人も増えたらしいし、同年代の女の子なら嬉しい。

からかって遊べそうな、オサみたいな人なら、なおさら嬉しい。


・・・いや、会えるのが、オサじゃない人なのは、ちょっと残念かも。



「丁度、お主くらいだろう。…それより、無駄口を叩いていないで、仕度をしろ。」

「…へーい。」


身体の水気を拭き取り、味気ない携帯食料を、胃におさめて、仕度を済ませる。


あたしは、戦闘服に身を包むと、棍をくるりと回した。

いつもの草原まで移動した時、あたりは完全なる闇の中だった。


月明かりと、一本の松明だけが、辺りをかろうじて照らしていた。


「…では、始めるか。・・・先に言っておくが、昨日と同じ手は使うな。」

「…それ言われると思ってましたけど、言われるともう攻め様が、ありませんよー」


初日からこうだった。

『本気で来い』と『同じ手は使うな』


…だから、舞の手を微妙に使い方を変えてやってはきたけど…やはり、通用せず。

ストレートに攻めても同じ。フェイントも効かない。


(どうしろっていうのよ…)


「考えている暇は無いぞ…猫。」

「・・・げっ・・・奇襲!?」


考えていた一瞬の隙に、コハクさんはあたしの背後に回りこんで刀を振り上げていた。


「…今までのが、本当の戦闘ならば、お主は、かれこれ34回は死んでいるぞ。

 そして、そのうち10回は”今のように”苦しむ事無く、即死だ…。」


そう言って、ゆっくりとあたしの額当てに、峰打ちのつもりか、コツンと軽くあてた。



・・・物凄く、馬鹿にされた気がした。



「……ってやろうじゃないのッ!!」


足払いをかけるが、コンマ1秒あっちが早く避けた。


あたしは、らしくないと思っても、なんでもやろうと思った。

あたしは、らしくないと思っても、考えるよりも先に体を動かした。


…体術・剣術…あたしの数十年しかない人生で得た全てを、数百年以上生きてるの先輩(?)に、ぶつける。




・・・己の限界を越える為に、なんて、聞こえは良いけど・・・



「うああああああああああ!!」

「フン…」




・・・所詮は、ガキの悪あがきのような気がしていた。



まざまざと見せ付けられる、コハクさんの圧倒的な強さ。



…あたしは、所詮は下っ端。


これ以上やっても、実力は伸びないんじゃないか、っていう、勝手な”諦めの芽”が、にょきにょき出てくる始末。



(でも、引くわけにはいかないのよね…!コレが!!)




・・・意地だ。これは、喜屋武汀、個人の意地だ。





悔しいから。

負けたくないから。





鬼切りの仕事で無事で帰ってくるのは、当たり前の事で。

当たり前すぎて、誰も口にしない。


心配なんか、されない。心配よりも、大事なのは、事を済ませたか、否か。





『…汀…私、貴女が無事なら、それが一番良いと思ってるから…』




でも、オサは違った。

いつも最後は…あたしを、心配する。


ずっと前に、電話で『仕事が済んで連絡できるのは、生きているって事だから心配無用よ』と言ったら、怒られた。


オサは、仕事の事よりもまず、あたしの怪我がなかったかを心配する。

そして、次回の仕事へ行くあたしの怪我を心配する。



あたしは、オーバーだなんて、笑ってはいたけど。

それが…嬉しくて、心地が良くて。




『…汀、次…いつ、会える?あ、いや…無理ならいいの。

 電話だけでも元気そうなのは、わかったから…でも…その…』


耳から心地良い声が聞こえる度にあたしは、思う。

ああ、今回も生きて帰れて良かったな、と。


だからこう言う。


「…大丈夫、今度の仕事済んだら、休暇貰えるから、会いに行くわ。」

『本当?』


約束が、あたしとオサを繋げるんだ、と自分に都合の良いようにあたしは思い込んだ。


「あたしが嘘言った事ある?」

『・・・いつもですけど?』


…この約束の糸が、あたしの生命線なんだと、思い込んだ。


「うっふっふっふ〜…ミギーさん、この件に関しては、嘘つかなーい。」

『・・・じゃあ、それ嘘だったら、剣道の相手付き合ってね。』


貴女の声で、よりそれを太く強く、結びつけるんだって思い込んだ。


「うへぇー…勘弁してよーオサの相手すると、夜の体力まで奪われちゃう〜」

『夜の……バッ…バカじゃないのッ!?』


「うん、馬鹿よ?」

『開き直るなっ!』



オサは、あたしが死ぬかもなんて、信じてない。

オサは、あたしが帰って来ると、信じて疑わない。


だけど。



”…キインッ!!”




それが、結果、あたしを弱くしている。





飼い猫になった山猫は…





”使えない。”






「……だから…これ以上、負けられないのよッ!!!」

「…ふむ、少しはマシな目になってきおった…なッ!!」



棍の仕込み刀の刃はもうボロボロだった。元々、仕込み刀の強度は、日本刀のそれとは違う。

刃毀れしようとも、あたしの中の刃はギラギラと鋭さを増していく。



…限界まで研ぎ澄ませて…あたしは”弱い自分自身”を断ち切ってみせるッ!!



「…動け、猫。…また動きが鈍くなったぞ…」


”キィンっ…ドガッ!”



「……うぐっ……!」

また吹っ飛ばされて、あたしはくらくらする頭を振りながら、笑顔で立ち上がる。


「・・・限界ならば、今宵は止めておくか?」


優しさの欠片もない社交辞令の台詞が、聞こえてくる。


(・・・よし、膝は笑ってないぞー・・・まだいけるハズ・・・。)


「ぅ………あらぁ大丈夫ですよー?…あたしは、問題ないですよー?」


…正直お手上げ。

これ以上、バケモ・・・いや、コハクさんを追い詰める手なんか……



やっぱり。


下っ端は、下っ端のまま、か…?

どんなにあがいても、あたしは…鬼切り役の”お供”程度止まりってワケ…?

身長と一緒で、一度ストップしたらもう、終わりなのかなー・・・


・・・瞼を閉じ、あたしはギブアップを言おうか悩んだ。

だけど、瞼を閉じて浮かんだのは…純黒おかっぱ頭の同い年の女の子だった。


(・・・こんな時にまで・・・オサって・・・どんだけよ・・・もう・・・)


あたしは、呆れた。

どこまで、あたしの中にオサが入り込んで、あたしはどこまで、それに、甘え続けていたのか、に。





「……汀っ!」




あたしのヘタレた根性を一喝するような、聞き慣れた声が、聞こえた。




(・・・ありゃまぁ・・・また幻聴、ですか?・・・いよいよヤバイって感じ・・・)




続いて、聞き慣れた…今、最も聞きたくない名前も聞こえてきた。



「・・・ふむ、やっと来たか・・・・・・梢子。」



そう言ったコハクさんの視線の先に、あたしは目を向ける。



(・・・・・・う、そ・・・・・・・)



視界に、今、最も会いたくない人物が一人。



「…これ、一体なんなんですか!?コハクさん!汀に何を…!!」


オサこと、小山内梢子。


森の中から、リュックを片手に担いで

いつもみたいに、何が気に入らないのか、いつも怒ったような愛想の無い顔で、こっちに歩いて来る。

そして、着くなり、早速コハクさんにこれは何事だと問いただしている


「…なんだと聞かれたら・・・この娘の修行、だろうな。」


そう言って、コハクさんは、あたしを指差した。


(ちょ・・・ちょっと、カンベンしてよぉ・・・)


あたしは、思わず、顔を伏せた。

オサと視線を合わさないように、混乱と動揺でグラグラする頭をパシンを叩いて、持ち直す。


「…汀の、修行…ですか?」



…今、あたしどんな顔してると思ってんの?

…今、汗やら川の水の臭いやら、血出てるわ、満身創痍だわ…

…近くにいて、いつでも会える距離にいながら、一週間もアンタの事、放っておいたのに…




(あたし、今・・・カッコ悪過ぎて、サイテーサイアクなんですけど・・・)



穴があったら入りたいって、まさに、コレよね。



「ちょ…ちょっと、大丈夫!?ねえ、汀…汀ってば…!」



駆け寄ってきたオサが、あたしの顔を覗き込んでくるので、嫌でも視界に入った。

見間違いであって欲しかったが、残念ながら・・・間違いなく、今、目の前にいるのは、オサだ。



「・・・あー・・・や。オサ・・・。」


それだけ、やっとこさ言葉に出来た。きっと、怒鳴られるだろうな、と思っていた。


しかし。


「汀…怪我、してるじゃない!ちょっとみせて…!」


オサは、あたしの前に跪いて、あたしの汚れた身体をベタベタさわり、他に怪我がないか調べ始めた。

夜の空気に冷やされた体の皮膚に、オサの温かい掌が触れる。



(ああ…ダメだ…)




人は、楽な方へ…居心地良い場所に、逃げる生き物。




「……オサ、悪いんだけどさ…あたし修行中なんだわ…ちょっと、どいてくんない?」



オサを押しのけてあたしは、前へ進み出る。

コハクさんは黙って、あたし達をみていた。



「何言ってるのよ!こんなの修行じゃない!やり過ぎよ!…怪我、してるのに!」


「…いきなり後から出てきて、何なの…。ちょっとは、空気読みなさいよ。オサ。」


あたしは、オサを押しのけようとした。

でも、オサは退かない。




「読まない!汀が怪我してるのに、黙ってみてるなんて、出来ない!」




オサのまっすぐな瞳と強い口調。




本当に、オサは、強い。




その強さで、不可能も可能にしちゃう、漫画のヒーローみたいな奴なんだから。



あたしと違って、本当の強さを、オサは…知っている。






そして、あたしは・・・弱い。



このままじゃダメだ。



こんな弱いあたしを、オサには見せたくない。




瞼を閉じて、ゆっくりと息を吸い込む。

ゆっくりと息を吐き捨て、あたしは口を開いた。





「・・・・・・一般人の甘ちゃんは、すっこんでなさいよっ!!」





あたしはオサを一喝した。


「…なっ…!?」


その瞬間、オサは当然だけど、傷ついた表情を浮かべた。


(…ごめん、オサ…)

「…お待たせしました、コハクさん…再開しましょうか?」


あたしは、前へ進みながら、棍を構える。


コハクさんは、軽く溜息をつきながら



「・・・・・お主がそれで良いのなら、わしは、それでいいがな。梢子、怪我をしたくなくば、下がっていろ。」


と言って、あたしに刀を向けた。


オサの返事を聞かずに、あたしはコハクさんに斬り込んだ。


「……ふっ!!」


”…ガキィン!!”


刀と棍がぶつかる。おいそれと、仕込み刀は抜けないので、弾くので精一杯。


「…同じ手を…使うなと言ったはずだが…?」


余裕綽々、無敵のコハク様から、厳しい嫌味。


「これから、変わりますから…ご安心くださいなっと!」



会話をしながら、あたしは刀を抜いて、切り込んだが…


”キィンッ!”

読まれていたらしく、コハクさんには簡単に受け止められる。


(やっぱり、太刀筋、完璧に読まれてるわー…ヤバ…ほんとに技のネタが無いわ…。)


”ギリギリ………ピキッ!”


「・・・!?」

(…ヤバ…あたしの刀に”ヒビ”が……こっちも、もたないってワケ…!?冗談!

 刀を捨てたら、どう攻撃する…?一旦間合いをとるか…?)



「…汀っ!!」


オサの一声で、頭の中のプランが吹っ飛ぶ。


「…うっさい!修行中だって言ってるでしょっ!?一般人は口出すな!

 こっちは色々考えてんのよッ!」


・・・刀のヒビは、更に進行する。あたしの心の刃まで折れそう…。

・・・どうする?どう切り抜ける・・・?




「何よ!この馬鹿汀!負けっぱなしのクセに!

 諦めて目が死んでる今の貴女なんかに、鬼1匹も斬れる訳無いじゃない!!


 ・・・諦めてんじゃないわよっ!このバカっ!」




オサの一喝が、再びあたしの耳に届き、ハッとする。



「・・・!!」


(諦めるな、なんて…今時、ベタな台詞ね…


 …ったく……若以上に…好き勝手な事、言ってくれるじゃないの…オサ!)




ベタな台詞であるものの、今のあたしにこれ以上相応しい台詞は、無かった。




「やかましいっ!ヘタレオサのクセにッ!!


 ……妙なギャラリー呼んでくれちゃって…っ!!恨みますよ…コハクさん!!」



「…どうした?……梢子の前だから調子でも狂うか?…では、今宵はやめておくか?」


(…どいつもこいつも言いたい放題か…!)


「ハッ…ギブアップなんてする訳ないでしょー……がっ!」



オサは、真っ直ぐに向かっていく。

あたしは、物事を斬り捨て、効率の良い方を選ぶ。



「汀っ!左ッ!」

「わかってるって!」



”ガキンッ!”

オサの声の後、コハクさんの刀を、棍で受ける。


「…誰が…諦めるもんですかっての…!

 アイツの前で…これ以上、カッコ悪い所、見せられませんからっ!!」


(…刀では、勝ち目が無い…もうこの刀はダメだ……刀が使えないのなら…

 いや、動きはあっちが早い………”動き”………!


 …そうか…!!…だったら…ッ!!)



「小娘・・・そう強がるな・・・お前は・・・」

「強がってなんかッ!」


”ギインっ”


あたしは、コハクさんと間合いを取った。



「…守天応仁流が舞の手…」


再び素早く、間合いを詰め始める。



「…”舞の手”は、通用せぬと…」

舞の手と聞くと、コハクさんは、鼻で笑って剣を構えた。


あれは、あの構えは、あたしの刀を受けて弾くパターンだ…。


(よし…いける…!)

あたしは、舞の手を繰り出さず、棍をコハクさんに投げつけた。




「・・・”なんちゃって♪”」



「――――何ッ!?・・・くっ!?血迷ったか!?」


…あたしの意味不明な行動に動揺して、コハクさんに、一瞬でも隙ができれば、それで十分。


(一か八か…!)



あたしは、両腕を素早く動かし、引いた。



「……む?…なんだ…”コレ”は…?」


コハクさんのいう”コレ”とは…ワイヤーの事だ。

ワイヤーは小柄なコハクさんの体に巻きつき、体の自由を奪う。


「…ま、蜘蛛の糸みたいなモンです…よっ!!」


一瞬の隙さえあれば、こんなあたしでもワイヤーをコハクさんに掛ける事くらい出来る。


(これで動きを封じて…一気に…)


あたしは、グイッとワイヤーを引いたが、一方のコハクさんは、余裕のままだった。





「…ククク……面白い…蜘蛛の糸とはな…。」



その顔は、本当に面白そうというか、嬉しそうだった。

・・・Sじゃなくて、Mなのか?この人…!


「…うわ、その余裕っぷり…ホント、ムカつく…!」


「…まあ、悪くは無かったぞ。」


コハクさんの生意気発言に、もっと絞めてやろうかと、あたしは力を入れたが

ソレより先に、コハクさんが宙を舞った。


「う…うそっ…!?」


普通の人なら、ワイヤーで縛られてたら…飛べない。


・・・でもこの人は飛ぶ。バケモンだから。


「汀!上ッ!」


オサの声が聞こえて、上を見ると、ワイヤーの糸が月明かりに照らされて、本当に蜘蛛の糸のように見えた。



(あー…武器、捨てんじゃなかったか…



 ”ドカッ・・・ドサっ。”



 …も…。)



・・・・そして、あろう事か、あたしはコハクさんの蹴りを背中にモロに喰らって倒れた。


オサの目の前で。



「汀ーっ!!」




「・・・ふむ・・・とりあえずは合格じゃ、喜べ。喜屋武汀。」


オサの叫び声に、コハク様の落ち着いた合格のお言葉。


「…ど、どーもぉー…」


あたしは、草むらに突っ伏したまま、苦笑いをうかべる…。





…なによ…蹴りの”合格祝い”って…ない…ありえない…(泣)




(もー嫌、もー立てない、もー限界です。)




「汀っ…大丈夫!?ちょっ…ちょっとコハクさん!何処行くんですか!」


そうやってあたしを抱き起こしたのは、オサだった。

オサが叫んでいる方には、コハクさんがいた。


「…少し休んでいろ。梢子…話は後にしよう。それまでしばしの間、汀とじゃれあうがいい。」


ワイヤーを解くと、いつものようにコハクさんはニヤニヤ笑って空を見上げていた。


「・・・なッ!?」

「コハクさん・・・他にもっと言い様があるでしょうが・・・。」


あたしのツッコミもなんのその。

無敵のコハク様はクククッと笑うと、あっと言う間にどこかへと行ってしまった。



というか…



こんな時に、2人きりにされてもあたしは、すご〜く困るんですけど…。


「汀……怪我、みせて。」

「心配ご無用。」


あたしは、オサを押しのけ、立ち上がって、地面に転がっている自分の棍を拾い上げた。


「・・・コハクさんなら川にいる筈だから、話あるなら、行って来たら?」


棍をトンッと地面につけて、あたしはオサの方を見ずに、黙って月を見て言った。


「……汀…どうして…ココにいるって言ってくれなかったの?」

「修行中だから。」


素っ気無く答えて、あたしはそのままオサに背中を向けていた。



「……そう……ねえ汀、それより怪我、みせて。包帯くらい巻けるから…消毒もしないと…」



沈んだオサの声が、草を踏む音と一緒に近づいてくる。



(…さっきまで、人が、怒鳴ったりなんだりしたってのに…どうして…来るのよ…)


オサとあたしは正反対の性格のはず。

少なくともオサは、初対面のあたしに良い感情なんか持ってなかったはずだ。


でも、いつも、気付いたらそこに、オサはあたしの傍に居た。

傍どころか、どんどん近づいてきて…


(おかげで、あたしは・・・)



甘ちゃんのオサは、こっちの気持ちも知ってか知らずか、近づいてくる。



(・・・最悪だわ・・・。)



「・・・あーオサ?ちょっと、来ないでくれるかな?」



「え・・・?」



草を踏む音が止まる。



「だから・・・こっちに、来るなって言ってんの。気分的に、今人と話したくないの。」


「汀、さっきの気にしてるの?コハクさん、合格って言ってたし、あくまで修行なんでしょ?

 勝敗なんか関係ないじゃない。汀は、よくやったって思うし…

 それに…その怪我、やっぱり放っておける訳ないでしょ?私は…汀が」



(・・・”心配だから”って?)




オサの手があたしに触れる前に、あたしは、棍を思い切り地面に突き立てて、叫んだ。





「来るなって言ってるでしょ!!」




「・・・ッ!?」



「あたしが、なんでこんな修行してるか、って言ったらね…

 元はといえば、アンタが関わったあの夏の事件のせいなのよ。」


「・・・・・え?」


「そもそも、あの件、一般人の協力で、片付けちゃいけなかったのよ。

 あたしの実力不足で、剣を盗まれて、あの時もあたしが弱かったから、苦戦しただけの話。

 …あんなの、もうウンザリなのよ…っ!

 だから、あたしは、こうして地道に修行に励んでるワケ。わかる?」



「・・・汀・・・。」



「それから・・・なんか、勘違いしてるようだから、この際ぶっちゃけるわね…


 あの時、あたしが剣鬼を斬ったのはね…アンタに身内斬らせない為なんかじゃない。


 あの時のオサが、弱くて、ヘタレで、どうしようもないからで。

 んで、あたし自身、剣鬼の縁ごとブッた斬りたかったからよ。


 アンタの事なんか、1ミリだって考えて斬っちゃいなかったわ。」


余計な言葉が、次々と出て行く。


(…うわー…誰か、止めてー…。)


あたしの意思とは裏腹に、らしくもない言葉ばかりが、オサにぶつかる。



「・・・汀・・・何を、言ってるの?」




(ああ…そうね…昔の事堀り返してまで、何言ってンのかしらね…あたし…)



「…だ、だから!それもこれも、全部あたしの為なの!

 一般人のアンタがいると、大事な修行の邪魔なの!解ったら、帰りなさい!

 …今のあたしは”鬼切り部・喜屋武汀”なの!


 今のあたしに触れたら・・・オサ・・・アンタでも許さないから。」



「・・・なに、よ・・・それ・・・」



(確かに”何よソレ”よね…うん、あたし自身もそう思う…でもね…とにかく…オサ…)




「頼むから、早く帰って…!」



あたしは、それだけは、心からそう思っている。

早く、この場から、オサがいなくなる事を、望んでいる。


「・・・っ・・・わかった、わよ・・・!」


草を踏む音が遠ざかるのが、聞こえる。





「……………行ったか……」



・・・あたしは、鬼切りだから・・・ってのは、言い訳。



これ以上、肝心な所でアンタに、助けられるのが多いと、あたしは・・・



きっと、肝心な時に、一人で立ち上がれなくなる。

きっと、心のどこかで、オサの登場を、期待してしまう。




現に、今さっき、ちょっと揺らぎかけた。





あたしは、オサを求めている。


だから、弱いままなんだ。




それは…甘えだから。


自分で出来る事も終えないうちに、オサに甘えるなんて、甘え以外の何物でもない。



一度、寄りかかることを覚えてしまったら…もう、戻れない。

これ以上、オサに甘えたくない。



これ以上弱くなりたくない。そんなの…あたし自身が、許さない。




あたしは強くなるんだから。もう、何にも負けない。


負けたくない。


強くなって…オサの所に生きて帰るために…いや、矛盾してる…


あーもう…やっぱり、あたし、オサに甘えてる…。






・・・こんな自分、大嫌い・・・。






こうでもして離れないと……自分で自分を支えられなくなりそうで、怖い。



あたしは、誰かを支えに…なんて出来ない。



だって…その”支え”がいつか、なくなったら…きっとあたしは…自力で立てなくなる。


「・・・ん・・・」


風に煽られて、あたしはぐらりと体のバランスを崩す。



「……あ…やっぱダメだ…限、界…」



あたしは、もはや棍で身体を支える事すらも、出来なくなっていた。

睡眠時間を削って、限界まで体を痛めつけるドM行為の報いって訳だ。



(まさに、自業自得…いや、本末転倒か……)



あの甘ちゃんを傷つけてまで、あたしは自分が強くなる事を選んだってのに…。



(・・・これで”いつものあたし”完成・・・だと・・・思ったのにな…)



オサと出会う前の、あたし。


それは、自分の中で”完璧”だと思っていた自分だった。


・・・でも、剣鬼に負けた事で、それは崩れた。


今まで、諜報も鬼切りも…全部、自力でやるのが、当然だった。



……でも…オサに出会って、あたしは背中を一時でも預ける相手を…


…”支え”を知ってしまった。



誰かの手を、借りる事。

誰かを求める事。


帰りたい場所を、得てしまった。

安らぐ場所を、知ってしまった。




いつも、しかめっ面のあの人の傍で…笑っている自分が好きだった。



…あたしは…オサの傍で…笑っていたかった。


そんな自分の居場所を守る為に・・・”強さ”は必要だった・・・。




(・・・なんだ・・・結局、あたし・・・なんにも変われてないじゃない・・・・・・)




強くなることもなく、オサすらも、あたしは・・・ただ、傷つけて、手放しただけ・・・。




(…オ、サ…)





信じても信じなくてもいい。


この言葉が、アンタに届いても、届かなくてもいい。




(…あたしね…)





足の力が抜けて、あたしは、地面への衝撃を顔に感じると同時に、暗闇に意識を奪われていった。


重たい瞼を閉じる瞬間が、心地良くて、開ける事はしようともしなかった。



(…ホン、トは…会えて、嬉しかっ……)




すうっと、消えていく意識に、あたしは恐怖を感じる暇もなく


ただ、深い暗闇に落ちていった。







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