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翌日。
ベッドの上で目が覚めた瞬間に折角、昨日振り切ったはずの”昨日の事”を洗いざらい思い出してしまった・・・私の悪いクセだ。
先輩OLの顔とやられた事を思い出した後、出勤が一気に憂鬱になってしまった。
(あ〜行きたくないなぁ…。)
行けば、何か嫌な事をされそうなのは明白だ。
しかし、今日出勤しなければその次の日がもっと憂鬱になる。
休む、という事はそれだけハードルを上げる行為なのだ。
私は、のそのそとベッドから這い出て、テレビのリモコンを取り、電源を入れた。
『え〜続いては、下衆井芸能デスクのコーナーです。』
”ゲッスーイ!”という声で、TVのワイドショーのコーナーが始まった。
私は、芸能情報や番組宣伝なんて興味は無い。
『い〜〜〜やはや〜、意外な展開となってしまっております!岬マリアさんの初スキャンダルですよ!』
興味は無かったのだが、名前に反応してしまった。
「あ?岬さん?」
知っている人間の名前に私は反応し、TV画面の中の写真と書かれているテロップで一気に瞼が開いた。
『岬マリアの婚約者Kさんが対戦相手ジャスミン選手と密会!?岬マリア 夜の公園にて大号泣!!!』
「あ?」
TVの映像には、邦彦さんと妹(非公認)の写真と、岬さんと私が映っている写真が…!
そして・・・私の目に刻み海苔が張り付いている・・・だとッ!?
細い刻み海苔のせいで、ほぼ私じゃないか!!見えてる!バレてる!
一般人なんだからしっかりモザイクかけろよッ!だから日本のマスコミはダメだとかマズゴミって言われるんだよッ!!
「え?ええーッ!!?」
TVの中の芸能レポーターは、嬉々とした顔で写真をカツカツと棒で突きながら解説を始めた。
『え〜こちらの写真からご覧下さい。
この男性、岬マリアさんの婚約者Kさんと・・・なんと、こちらは対戦相手であるジャスミン選手です!
この二人が仲睦まじくコンビニから出てくる所を撮影されましてねぇ〜!
こ〜れ〜は〜いけませんよ!婚約破棄も噂になってます。』
「え・・・!?」
婚約破棄?
そんな事、岬さん一言も言ってなかったし…この間、私が二人に会った時は、そんな雰囲気は微塵も無かった!
『いや〜大事な試合前なのに、その試合相手と親密になっているなんて、これはもう異常としか言えませんね〜!
Kさんが岬マリアさんを裏切ったのか!それとも岬さんの為に対戦相手に”あえて、手を出して”…失礼。”偵察してた”、かもしれないんですけどねぇ〜!
あッはははは!この写真を見る限り、偵察って感じはしませんなぁ〜!あははははは!」
わ、笑い事じゃねえよ!下衆がッ!!
『そ〜〜んな言い訳通用しますかぁ!?もしかしたら、試合を盛り上げる為の演出なんじゃないか、と我々取材陣も思ったんですが〜ねぇ!
まあ、一般常識的に考えたら、こんな事は大事な試合前にする事じゃないでしょ?そこで、岬さんの取材も進めてみたんですねぇ〜!
そうしましたら!岬さんは、というと〜夜の公園で女性と一緒に何かを振り切るように一心不乱に走った後、女性に抱きついて泣いていた…というね!
走った後に、女性の胸で泣く!これは、普通じゃないですよ!そもそも、この女性…岬さんのご友人ではないのですッ!
みなさん、友人でもない女性の胸で泣けますか!?』
(・・・泣けるでぇッ!!)
※注 某仮面ライダーD王風に。
いや、確かに私と岬さんは友人じゃない!
だからってそんな表現されたら、いかにもそんな仲になってしまうではないか!邪推もいい加減にしろ!
『な〜〜んとも意味深な話になってきたわけです!』
意味なんか深くもなんともないよ!そっちが深読みしてるだけだろ!!
大体、岬さんは泣いてないし!!
こんなふざけたズサンな報道してるんだから、岬さんの婚約者の邦彦さんと妹(非公認)の関係もどこまで本当か分からない。
『事務所に問い合わせた所、岬マリア選手、ジャスミン選手両者共…
”今、大事な試合を控えているので、そういったプライベートな事にはお答えできない”、との事でした!
さあ、どうなるんでしょう!決着は・・・リングの上に持ち越されるんでしょうか!女同士の戦いは、もうすぐですッ!』
只の格闘技の試合が、まるで女同士の因縁めいた泥沼試合のように報道されてしまった…。
そんな風に煽る必要は無いのに…!
マスコミは盛り上がればいいと思っているのだろうが…岬さんにとっては、こんなの不必要だ…!
何より…顔に刻み海苔が一本あるとはいえ…あの姿は、バチコ〜ンと私だって分かってしまう気がする…!
こういう時・・・JAR●?BP●?に電話するんだっけ?
「あ・・・あああ・・・!」
言葉が出なかった。ドラゴンボールのように、身体は固まり、言葉は『あ』しか出なかった。
震える手で私は携帯を手にした。J●ROでもB●Oでも●岡弘、でもなんでもいい、とにかく電話をしなければ、という意識で私は携帯を開いた。
携帯の画面を見て、私はそこでようやく火鳥から着信があった事を知る。
※注 水島さんの携帯は悲しい程に滅多に鳴らない為、本人もちゃんとチェックしていない。
慌てて、私は残されたメッセージを再生した。
『もしもし、アタシ。昼間…随分電話くれたみたいだけど、忙しかったのよ。…どっかの馬鹿家族のせいでね!』
・・・ああ、それは・・・もしかして、妹(非公認)と袋を被った私のお袋さんの事でしょうか?…でしょうね!!(セルフ質疑応答)
『だから、アンタの用件は分かってるわ。それより…気を付けなさいよ?
アンタ…岬マリアと一緒にいるでしょ?そいつ……な、なによ!?電話してんだから!もう!その袋取りなさいよッ!さっきからガサガサうるっさ』
”ブツッ!”
『メッセージは以上です。』
留守番電話サービスの録音時間は、もう少し長くすべきだ。
大事な話の起承転結は秒単位で収まるものじゃない。
私は、つくづくそう思う。
あ・・・これ、二度目の台詞だ・・・。
「あ、やばい!!」
火鳥に電話をしようと思ったが、電車の時刻が迫っている。とにかく会社に行こう。
「あーッ!今日は資源ゴミの日だーッ!!」
慌てて、ゴミ箱からゴミ袋を取り出し、口を縛って脇に抱え、バッグを持ちながらドアを開け、階段を駆け下りる。
すると、3,4人の人間が私の前を塞いだ。
避けようとすると、ささっと彼らは私を囲んだ。
「・・・?」
知らない人達に囲まれる理由などわからない私は、何も言わずに”なんですか?”という表情を作って見せた。
すると、スーツ姿の女性は、ニコニコ笑顔で私に話しかけてきた。
「あの、岬マリアさんと一緒に走ってらっしゃった方ですよね?」
「は!?」
そう言うや否や、彼らはICレコーダーをささっと私に向けた。
「岬マリアさんのお話を伺わせてください。まず、貴女と岬さんは、どういったご関係なんですか?」
「どういったって…な、なんなんですか!?イキナリ!」
彼等の後ろに、ヌッとTVカメラも現れた。私は察した。
―――マスコミだ!、と。
報道の自由という名の下に、個人の生活を破綻に追い込む…これが、ジャーナリズムかッ!!
素人にも容赦なしか!畜生!!
「岬マリアさんと婚約者の婚約破棄の原因をご存知ですか?」
「ちょ、ちょっと!撮ってるんですか!?やめて下さい!私、岬マリアさんの事は知りません!」
私は顔を隠しながらグイグイと前進するが、マスコミはおしくらまんじゅうのように私を押し返す。
カメラのフラッシュがたかれ、集音マイクらしきモノが頭上に見え、ついでに私を照らすライトがカッと点灯した。
「週刊妄旬をご覧になりました?」
「見てませんッ!ちょっと!そこのライト!近づけないでッ熱いッ!」
「ジャスミン選手と高知邦彦氏が交際しているという事を、岬マリアさんからお聞きしませんでしたか!?」
「そんな事は一切お聞きしてませんッ!マイクで頭を小突くのやめてもらっていいですかッ!?」
一問答えると、マスコミは延々と質問を浴びせかけた。
質問の内容は答えようによっては、紙面を賑わせるキーワードを彼等に与える危険があった。
だから、私はつまらない単語で短く否定し、関係の無い台詞を叫んだ。
「噂では、岬マリアさんは貴女を”大切な方”とおっしゃっていましたが、交際していると判断して宜しいのでしょうか?」
「判断しないで下さいッ!私は無関係で、岬さんとはなんでもありませんッ!」
遠くに資源ゴミの収集車が見えた。
このままでは資源ゴミが、出せなくなってしまう!!
「うああああああああ!!」
私は、ゴミ袋を振り回し、収集車のおじさんに向かっていった。
「すみませえええええええん!!」
収集車のおじさんは私を見て、一瞬ぎょっとした顔をしたが、両手をキャッチャーのように差し出して見せた。
私はやや上をめがけゴミ袋を投げた。ゴミ袋は弧を描くように空中を舞い、缶の重さでおじさんの腕の中にガチャガチャと騒がしい音を立てながら収まった。
おじさんは軍手をはめた右手で親指を立てニヤリと笑うと、収集車に掴まり去っていった。
(・・・いい人だ・・・!)
不幸中の幸いを感じているのも束の間、私はマスコミを振り切る為に走り出した。
完全に出鼻を挫かれた挙句、電車に間に合うかどうかギリギリの時間になってしまった。
(ええい!マスコミめ…ッ!お茶の間の住人である私にカメラを向けた事…!許さんぞ…ッ!絶対に許さんぞ―ッ!!)
心の中でマスコミを●ジータのように罵倒しながら、私はバタバタと駅まで走った。
情報がマスコミの領域ならば、逃亡は私の領域だ!!
しかし、一体どうなっているのだ?
岬マリアの婚約破棄に加え、私と岬マリアが親密な仲だとか…一体どこから湧いて出たんだ!?
これで、岬マリアの対戦相手が私の妹(非公認)である事、あの袋を被っている”ゴッドマザー”が私の母である事がバレたら・・・
想像したら、背筋がゾッとして思わず足が止まった。
狭く薄暗い路地で立ち止まったまま、私はこの後起こるであろう、最悪の出来事を思い浮かべる。
その数・・・無数!!
そこまで到達した時、私は地面に膝をついた。
路地の向こう側には、駅の改札口が見えた。
そこには無数の人に混じり、先程私を囲んだマスコミの人達がキョロキョロしていた。
(あれじゃ乗れない…!)
ああ、平凡で良い…。
人と程よく距離を置き、目立たず、少々の山と谷をゆったりと歩く・・・そんな、穏やかな人生を私は望んでいたのに。
この路地を抜けたら、平凡は・・・もう無い。
「なんで・・・いっつも、こうなるのよ・・・っ!!」
私が何もしなくても、トラブルはあちらからヘラヘラと不快な笑みを浮かべて近付いてくる。
岬マリアの婚約破棄報道が出たのは、妹(非公認)と母のせいだけか?
もしかしたら呪われた女難の女である、私のせいかもしれない。
”もしかしたら”なんて言葉のクッションを入れなくても、やっぱり”私のせい”に決まっている。
岬マリアと母と妹(非公認)が最悪のタイミングで私の前に現れたのだ。
これは、女難トラブルに間違いない…。
「…ちっくしょう…ッ!」
苛立ちで地面に拳を叩きつける。
「こんな事だと思ったわ。」
その声に顔を上げると、そこには私を見下ろす火鳥が立っていた。
「火鳥…!」
「車に乗りなさい。アンタの会社まで送ってあげるから、その間、アタシの話を聞きなさい。」
言われるがままに私は火鳥の車に乗った。
実は火鳥は、今朝私の家の前まで迎えに来ていたらしいが、私のアパートの前のマスコミの群集を見て、一旦退却し、駅前に現れたのだそうだ。
「一体…何がどうなっているんですか!?アレ…アレは、私の…ッ!」
「ええ、知ってるわ。あの外国人は見覚えがあるし、あの袋を被ったオバサンは”水島です”って名乗ったから、まさかと思ったら
やっぱり、アンタの母親だってわかった…。」
火鳥は心底うざったそうな顔でハンドルを握りながら、話した。
「も、申し訳ない…。」
私は、まず身内が世話になった事に侘びを入れた。
「別に。アンタの身内が岬マリアと試合して、その結果の勝ち負けなんか知ったことじゃないわ。
アタシは自分の仕事、つまりはアンタの身内のプロモーションをするだけ。
だから…今回の企画や演出に関しては、こっちの言う事を聞いてくれさえすれば、問題は無かったのよ。」
火鳥曰く、自分は妹(非公認)側の宣伝を担当していただけで、今回の騒動、私の母の暴走には一切ノータッチであると言うのだ。
「…あの二人がそっちで何をしたんですか?ていうか、大体、何で岬マリアと戦う事に?」
そう、そもそもソレだ。
妹(非公認)の素性は知らない上、母親が格闘技に関わろうとする理由がわからない。
すると、火鳥は言った。
「あの外国人がアンタの母親と一緒に岬マリアと戦う事になった経緯や目的は知らない。」
・・・くそ。やはりか。知っておいてくれたら楽なのに。と内心で思いながら、私は火鳥の話を黙って聞いていた。
「ただ、アンタの身内は、勝手に岬マリアの婚約者と手を結んで”岬マリアを追い詰める演出”を始めたのよ。
・・・アタシの許可なく、勝手にね!!」
火鳥は自分の仕事を邪魔された挙句、加熱報道の火消し作業と言う余計な仕事を加えられたのが気に入らないらしい。
ん?ちょっと待て。
今、婚約者と手を結んで岬マリアを追い詰める演出を始めた、と言ったか?
「それって…婚約破棄とか、邦彦さんとカタラーナが親しい間柄だとか報道された件は、全部仕組まれた事だって言うんですか!?」
※注 ジャスミンの名前を未だに間違える水島さん。
「そうよ。むやみやたらに注目を集める為に、ああいう無粋なプロモーションを最初からやったら、選手や競技自体のイメージ低下や次の試合に影響するのよ。
”ブーム”を作れば、一時的に儲かるけど、ブームは必ず終わりが来る。そうなったら、長期的に採算が取れなくなる上、ブームの燃料を投下し続けなきゃいけない。
・・・それが、どれだけ大変か解る?」
これまで、日本は爆発的な●●ブームが起こっては消えた。
女性だけの格闘技もブームになれば、岬さんは喜んでくれる・・・だろうか?
あの人は・・・ブームになるよりも、いい試合がしたいって感じがする。私の主観的推測だけど。
「あんな事、勝手にして不必要に盛り上げて・・・”見世物”に変わりはないだろうけど、本来行うイベントは格闘技の試合であって、芝居じゃないのよ。」
火鳥が言いたい事は、なんとなく分かる。
競技のイメージと選手個人のイメージは、非常に密接に関わっている。
しかし、競技の内容にとっつきにくい素人の目を惹く為か単なるマスコミの趣味なのか、選手個人の意外な一面を紹介する流れが出来た。
これが”悪ノリ”に変わったのは、いつ頃からだろう?
CMで自分の名前をもじった寒い駄洒落を言わされたり、コスプレをさせられ浸透しない体操を踊らされたり、競技に関係の無い私生活紹介や人格否定までされた選手を私は何名か知っている。
これらは、彼等の本分である競技とは全く関係の無い事だ。
競技人口を増やしたり、競技の知名度、理解や親しみを得るのに、それらは本当に必要な事なのだろうか?
今回の事もそうだ。
女同士が本気で殴りあう内容に”男問題”等のスキャンダルを投入する事で、一体何がどうなるのか。
面白ければいい、というのだろうか。
素人にはとっつきにくいって思われるから、柔らかくしてみた結果が…アレなのか?
面白かった、記憶に残った・・・それ以外は、どうでもいいのか?
選手が、人が、本気で打ち込んでいる競技(モノ)を伝えるのに・・・スキャンダルは、本当に必要なのか?
他人の記憶に残したくない姿を日本中に、世界中に配信されても・・・それが世の中に顔を出すリスクとして、当然の事なのか。
「岬マリア側に、ゴッドマザーの娘がいるって世間に知られたら、また騒ぎになるわ。幸い、知られていないけれどね。」
瞬時に私の脳内に新聞の見出しの文字が浮かぶ。
『岬マリア側にゴッドマザーの娘!〜娘は何の袋を被るのか!?〜』
『M島家の秘密!姉妹は腹も国も違う!!』
『親子で格闘議界に乗り込み世間から”袋叩き”!』
『まさに、お袋さん(笑)!』
あわわ…!3秒でこんなくだらない見出しが4つも思いつくなんて、現実になったらもっと酷い見出しが付くに違いない!
袋関係に関しては3つも出たわ!!ちくしょうッ!!
「そっ!それだけは嫌ッ!嫌ですッ!!隠して下さいッ!消して下さいッ!」
「そりゃ、こっちだってゴメンよ。火消しは追いつかないし、アンタの母親の画像はコラージュされてネットで祭状態よ。」
嫌な祭だ・・・!!
「悪い事は言わないから・・・アンタはもう、岬マリアに関わるのはやめなさい。」
火鳥は溜息をつきながら、私にそう忠告した。
「え・・・!」
言われた次の瞬間、私は岬マリアと交わした言葉を思い出した。
『ねえ、水島さん・・・良かったら・・・また、一緒に走ってくれる?』
そうだ・・・”一緒に走る”って約束は、どうなる?
「え…えっと、一切ダメですか?」
顔色を伺うような私の言葉に、火鳥の表情は一気に機嫌の悪いものに変わり、聞き返してきた。
「何?岬マリアに金でも貸したの?」
「いや、違いますけど…(ていうかお金無いし。)あの、私、実は彼女と会う約束を…」
普段ならトラブル回避という名目があれば、即決で会うのを止めただろう。
しかし、昨日の彼女は…なんとなく、追い詰められた自分と重なってしまって、放っておけなかった。
「あ、そ。じゃあ諦めるのね。」
火鳥は即却下と切り捨てた。
「マスコミはアンタを完全にマークしてる。あんたらが会って、そのままトラブルに発展・・・もう、言わなくても分かるでしょ?」
これ以上のトラブルになれば、それこそ…岬さんの迷惑になる。
女である私と謂れの無い噂が囁かれたら、婚約破棄は噂ではなく現実のモノとなってしまうだろう。
「望む望まないに限らず、アタシ達はトラブルの塊。
祟り神は…アタシ達が隙を見せたら殺しに来る、もしくは、アタシ達が人間である事を放棄するのを手ぐすね引いて待ってる。
余計なトラブルは、余計な女難トラブルを呼び寄せる…それらはみんな祟り神のチャンスになるわ。」
「そう、ですよね…」
「わかってるなら、岬マリアにも身内にも関わらないようにね。」
火鳥は私に”トラブルに首を突っ込むな”と念を押した。
その後、火鳥の車は城沢グループ本社まで突っ走り、電車で出勤するよりも早く到着した。
こういう時、電車通勤が虚しく感じる。
車から降り、火鳥にお礼を言うと火鳥は窓を開けて言った。
「ああ、言い忘れてたわ。例のヤンキー娘の神社から資料が届く予定よ。アタシはそれを分析し、次に備える。
アンタの力は、いずれ必要になる。それまで、ちゃんと…五体満足で、しっかりして頂戴ね。」
私は言われるがまま、コクリと頷いた。
(火鳥って・・・味方になると本当に頼もしい・・・敵に回したくないなぁ・・・)
よくも過去、あんな女と平然と敵対していたもんだ、と数ヶ月前の私を褒めてやりたい。
(さて、今日も今日とて職務を全うしましょうかね・・・ん?)
出勤しようと会社の正面玄関の方に振り返ると・・・そこには”天敵”がいた。
わ、涌…ぃ…?あ、涌谷先輩…?そう、そうだ!涌谷先輩だ!
※注 嫌いな人の名前までも忘れかけた水島さん。
うわー…朝っぱらから嫌な人に会っちゃったなぁ…しかも火鳥の車から降りてくるのを見られた…かも……いや、絶対見られた。
私は目を合わせないように歩き、涌谷先輩の横を通過しようとした。
「…へえ…今朝はまた違う女なのねぇ…朝帰りってトコ?」
「・・・おはようございます・・・。」
(…無視無視…。)
私が心の篭っていない挨拶をしながら通過した後も、涌谷先輩は私の横にぴったりとくっついて小声で話しかけた。
「水島ァ、アンタって入社したての時もそうだった。あたしが少し注意しただけで、挨拶もロクにしなくなってさ…。」
「・・・・・・・。」
(挨拶したって、そっちだって何度も無視したじゃないか…。)
「あたしの事…そうやって避けてさァ…また馬鹿な事言ってるって見下してんでしょ?」
「・・・・・・・。」
(そんな事無いけど…そういう風に見える、のかな…。)
「そうやって黙って…嵐が過ぎるのを待ってるんでしょ?その程度にしか他人の事見てないのよね?
いくら高橋課長や門倉ちゃんを味方につけてもさ…」
(・・・この人、いつまでネチネチ喋るんだろう・・・?)
私は、ただ黙って歩いた。
「昔はそれで通用したのかもしれないけどね、学生じゃないのよ?
あたしの時だって嫌な先輩はいたわよ…でも、アンタみたいな態度はとらなかった。」
(岬さん…大丈夫かな…?母さんとも話そうと思ったけど、火鳥は止めた方がいいって言うし…。)
私は、ただ黙って歩いた。
「…ちょっと!人が話してるんだから、いい加減聞けよ!!」
突然の大声でハッとすると同時に私は、涌谷先輩に襟を掴まれた。
人と衝突する時、謝って道を譲っても、謝り方が気に入らないとか、そもそもどうして衝突したのかを説明し出す人がいる。
…でも、それって自分の気を済ませたいだけな気がする。
今、まさに涌谷先輩が、ソレな訳で。
それは、自分の信念を通したいんじゃない。
それは、ただ自分の思い通りにしたいだけ。
私は、いつもトラブルを回避する為、他人の思い通りを読んで、なるべく従ってきた。
それは、戦争にならない為の”友好条約”って奴だろうか。お互い、我慢しあう約束をする、そんな感じ。
それに従い続けるのは、私の自己満足といえば自己満足なんだけれど、目の前の人間がしようとしている事は、友好条約じゃない。
紛れもない、私への”攻撃”だ。
「…離して下さい。」
私は、回避から抗戦に転じる。
「やっと口を利いたと思ったら…!」
涌谷先輩は、ブチ切れ寸前の表情で私を睨んだ。
会社の玄関先で先輩に殴られるなんて…本当に…素敵な朝だこと…!
私も負けずに睨み返した。
すると、私の表情を見た涌谷先輩は少し驚いたように言った。
「・・・アンタ、あたしの事・・・睨んでるの?」
・・・眼力に迫力が無いのは本人も知っている。
それとも、小心者の私が抵抗するとは思っていなかったのか?
「・・・・・・。」
私は、黙って睨み続けた。
「…によ…何よッ!今更…ッ!」
涌谷先輩の右腕が挙がった。ああ、その振りかぶり方はビンタかな、と私は判断し、もうどうにでもなれ、と目を閉じた。
――― すると。
「ちょっと、やめなさいよ…!」
パチンッという、肌を叩くような音と、第3者の声が聞こえた。
「い、いたたた!?」
「…あれ?水島さん!?」
第3者の声が私の名を呼ぶので目を開けると、野球帽を深く被りサングラスをかけた女性が、涌谷先輩の腕をギリギリと締め上げていた。
しかし、いくら変装しようとも、その隠していない鼻と唇でわかる。
「あッ!!」
私は、確信した。
今、目の前にいるのは・・・岬マリア、だと。
「え?あれ?」
動揺する私。
「・・・・!」
口をパクパクさせる岬さん。
どうして、ここにいるの?・・・と聞きたいけれど、私が彼女の名前を呼ぶと騒ぎになる。
「い、痛い痛い痛い!何よッ!警備員呼ぶわよ!?」
痛みを叫ぶ涌谷先輩と変装している岬マリアを交互に見るばかりで、私は何も言葉が出ない。
――― どうする?
会えたら話をしよう、とは思ってはいたが、ココは人目が多すぎる。
サングラスの奥にある瞳が私をジッと見つめる。多分、私と同じ事を考えているに違いない。
しかし岬さんは、すぐに私の腕を掴んだ。
「……ちょっと…とりあえず、こっちにッ!」
「あ、はっはい!!」
私は言われるがままに、彼女に連れ去られた。
昨日の夜、走った時より早かったかもしれない。
力強く握る手、だが妙に優しく温かくも感じる。
なんだろう…女難じゃない、ただの彼氏持ちの女性に、こんな感情を持つのは初めてだ。
近くのコーヒーショップの奥の席につくと、岬マリアは開口一番、謝った。
「・・・ごめんなさい・・・。」
「いえ、こちらこそ朝っぱらから助けてもらって…」
「そ、そうじゃなくて…!記事の事…ッ!マスコミも貴女の家に行ったって…!」
「ああ…まあ、確かに来ましたけど…知らぬ存ぜぬで通しましたし。」
岬さんは、サングラスを外し涙目になって、私に再度頭を下げた。
「ごめんなさいッ!一般の方を巻き込んじゃいけないのに…ッ!」
「い、いや…そんな…頭を上げてください!私より有名人の岬さんの方が大変でしょうに…。」
「こんな事になって…まず、私謝らなきゃって…!でも、貴女の連絡先知らないし…!」
一素人の心配でそんな風になるなんて思っても見なかった私だが、目の前の女性は真剣に私への謝罪の言葉を並べた。
私は何度も首を横に振って、気にしなくてもいいのサインを送った。
「どうしようって思ったけど・・・でもッ!偶然でも・・・こうやって・・・会えたね・・・?」
涙目のまま、岬さんは笑った。
「ええ、偶然でも良かった。」
私はそう答えた。
私に謝れてホッとして嬉しかったのか、私に会えたのが嬉しかったのか、岬さんは心底ホッとしたように笑ってくれた。
「そう、貴女を見つけたのは良かったんだけど…あの女性(ヒト)…大丈夫かしら?
貴女とあの人との空気、凄く嫌な感じして近付いていったら・・・あの人、いきなり貴女に掴みかかるから・・・つい。」
偶然かつナイスタイミングだった。
「ああ・・・お恥ずかしい所を・・・。」
私は、見られたくない所を見せてしまったな、とそんな事を口にしたが、すぐに岬さんは否定した。
「ううん。そんな事ない。女の世界って色々あるもの。恥じる事なんか無いわ。
むしろ、恥ずかしいと思って戦うべき時に動けない方が、私は問題あると思ってるし。」
「・・・・・。」
岬さんの言葉に不覚ながら、私はぐっときた。
強い女の言葉とは、こんなにも小心者の弱いOLを奮い立たせるものなのだろうか。
そうだ。この人は強い。
スキャンダルの渦中で、本当なら不安でたまらないのは、私よりも岬さんの筈。
なのに、この人は私に謝る為にわざわざ街に出てきた。
「とにかく、会えて本当に良かった。」
偶然にしても、あんな報道が流れてしまった今、連絡先も交換していない私達がちゃんと会えた事は、本当に奇跡に近い。
(あ、そういえば…)
「あ、あの…岬さん…?」
どうして、彼女は城沢グループ本社に来たんだろう?
岬マリアのスポンサーだって話は前々から聞いているけど、それでも今、出歩くのは得策ではない。
何故ココに来たのか、と質問しかけたが、私はハッと思い出した。
『わかってるなら、岬マリアにも身内にも関わらないようにね。』
今朝の火鳥の言葉を思い出し、私は言いかけた言葉を飲み込み、別の言葉を口にした。
岬さんへの質問は、最小限にしなければならない。何せ、今こんな事になっているのは、私の身内のせいでもあるのだ。
うっかり、ゴッドマザー水島の事でも口にしようものなら、私は岬さんにどんな目で見られるかわからない。
藪を突いて蛇を出す事なんかしてたまるか。
「あの…岬さん…こうなってしまった以上、一緒に走るのは難しそうですね…。」
そう言うと、岬さんは”ごめんなさい”と小さな声で言った。
「いや、そんな…謝ってくださらなくて結構ですから…それに、もう……わざわざ、こんな風に私に会いに来たりしないでも結構です、から…」
そこまで言うと、岬さんは少し傷ついたような顔をして、俯いた。
ああ、まるで謝っている相手に向かって、”侘びは要らんから、もう会いに来るな”って言ってるみたいだ。
心の中で、もうちょっとマシな言い方があったんじゃないか、と私は思った。
・・・でも、ここまで問題が肥大化してしまった以上、オブラートに包みすぎても余計に彼女を傷つけるだけだ。
「あの…だから、もう…私のフォローよりも、自分の事に集中してください。」
もっと他に応援の言葉があるだろう、と思ったが言ってしまった後ではもう遅い。
「うん…そうだね…ごめんなさい…。」
無理矢理な笑顔で岬さんは、また謝った。
(ああ、もう・・・どうして、私はこうなんだ・・・!)
私は、もう岬さんの顔を見られなかった。
「……月並みな言葉ですが…試合、頑張って下さい…。」
「うん…ありがとう…あ、そうだ…コレ。」
岬さんは、テーブルにチケットを置いた。
数日後に開催される、岬さんと妹(非公認)の試合のチケットだ。
「良かったら、見に来て?最高の試合をして、くだらない噂なんか一蹴してやるんだから!」
「あ・・・はい・・・。」
返事はしたが、私はチケットに手を出せずにいた。
岬さんの他に、確実に妹(非公認)と袋を被った母親が、その会場にいるからだ。
行くか行かないかと問われたら、行かない。行きたくはない。
「あ・・・そう、だよね・・・。見に行ったら、またマスコミに囲まれちゃうかもしれないもんね・・・ごめんごめん!これは、見なかった事に・・・。」
岬さんはチケットを引っ込めようと手を出したので、私は咄嗟にそれを止めた。
「あ・・・いや・・・待って!」
チケットの上で手が重なった。
「「あ…!」」
ぱっとお互いに気まずい顔をして手を引っ込めた。
岬さんは、謝る為に私を探してくれた。それは、とても危険な事だし、大切な試合の前にする事じゃないのだ。
本当なら、あの袋を被った母親と妹(非公認)が勝手なプロモーションをやってるせいもあるんだ、と吐き出したかった。
でも…今回の騒動には、岬さんの婚約者の邦彦さんが関わっているかもしれないのだ。
ガセでも本当でも岬さんが知ったら、きっとショックを受けるだろう。
仮に邦彦さんが色々やっているのを知っているなら、素人に謝りに探したりなんかせず、もっと落ち着いている筈だ。
岬さんの婚約者は、最早、味方かどうかも危うい…。
「・・・あれ、岬マリアじゃね?」
「あ、本当だ!」
遠くでそんな小声が聞こえ、彼らは即座にスマートフォンを構えた。・・・まさか、ヤツラは勝手に写真を撮る気なのか?
モラルが無い奴に限って、最新技術を活用したがるんだから…ッ!
私はすぐに、岬さんの被っている帽子のつばをぐっと下げ、顔を隠した。
「水島、さん?」
「あの…誤解はきっと解けます。例え、解けなくても……解る人には、ちゃんと解りますから!だから…ッ」
私は、そう言うとチケットを取った。
「せめて…私にも最後まで応援、させて下さい…!」
やっと、応援らしい応援の言葉を言えた気がした。
こんな事で、彼女には負けて欲しくなかった。
マスコミにあらぬ噂を流され、世間からは好奇の視線で見られ、それらと戦いながら
本当の戦いへ向けて頑張る彼女の姿が、ほんの少しだけだが、私と似ているような気がしたのだ。
負けて欲しくはない。
結果はどうなるかわからないが、試合はフェアに行われるべきだ。
ここまで辿り着き、最高の試合を見せようとした彼女の努力こそ、報われるべきなのだ。
「岬さん、頑張って下さい!」
「・・・ありがとう・・・!水島さん!」
岬さんはいつものように笑ってくれた。
やはり、邦彦さんとの事は言い出せなかった。
芋づる式で、母の事を知られるのが怖かったからだ。
赤外線でメールアドレスと電話番号を交換し、私と岬さんは別れた。
その後、私は出勤時間ギリギリになんとか出社した。
相変わらず、涌谷先輩は私を睨みつけているが、私は負けるつもりは無い。
ここでいう、私の負けとは…涌谷先輩と再び同レベルまで落ちて戦う事だ。
岬さんのファイティングスピリッツが伝染してくれたのかもしれないな、と私は思った。
仕事を始めて2時間。
もうすぐ昼休み、と言う頃、電話が鳴った。
「水島くぅん、外線2番から電話だよ〜。」
近藤係長に言われ、私は電話を取り、外線2番を押す。
さては火鳥か?と私は思いつつも、真面目な業務用の口調と声で電話に出た。
「・・・もしもし、お電話代わりました。水島です。」
『・・・あぁ〜元気かい?テレビ見た?』
受話器の向こう側から聞こえたのは、妙に聞き慣れた声だった。
「・・・か・・・!」
言いかけて、私は口を閉じる。その人物をその名称で呼ぶ訳にはいかない。
私は、受話器を囲むように背中を曲げた。
『突然電話してゴメンねぇ…でも、今朝の新聞を見たもんだからさぁ…刻み海苔ついてたけど、私はすぐに解ったよ。』
それは、今・・・一番、話してはいけない人物・・・。
「・・・・・・何の用なの!?・・・”母さん”・・・!」
私の母は、電話の向こう側で笑っていた。
・・・凄くイラッとした。
ああ・・・そういえば。
小さい頃、母は『出かけるわよ』と一言言って、突然私を連れ出す事が時々あった。
近くのスーパーか商店街に行くような、サンダルにエプロン姿で電車やバスに乗る。
自分の住んでいる街がどんどん遠ざかり、目に入った建物に入って、お昼やおやつを食べる。
どこに行くの?と聞いても、母は決まってこう答えた。
『さあ?着いてのお楽しみ。着いたら、わかるわ。』・・・と。
・・・しかし、いつも行く場所は、母にとってはまるで”到着した”という感じは無く。
今日も辿り着けなかった感じで、母は4時30分になると”帰ろうか”と言うだけ。
母は、何を求めてこんな事をするのだろう?と私は考えたものだったが、成長し大人になると、ストレスが生まれるという事を学ぶ。
そして・・・多分、この小旅行は母なりの息抜きか、ストレス解消の為の何か、なのだろう・・・。
成長した私は、そう勝手に結論付けた。
『ねえ、結局…お母さんは、どこに行きたかったの?』
帰りの電車の中で、私が半分閉じかけた瞼をこすりながら、そう聞いた。
すると母は、何も答えず私の頭を優しく撫でた。その手の温かさに負けて、私はあっという間に寝てしまい、答えはまだ聞けていない。
母が離婚を決断し、父を置いて家を出た、と聞いて信じられなかった私だが思い返してみれば、あの時から母はちょくちょく家出を繰り返していたのも同じ事。
・・・とすると、今回の家出も納得が・・・
いく訳ねえだろッ!!そんなエピソードは…どおおおおおでも良いんじゃいッ!!
ていうか、外国人連れて何してんだよッ!!
その外国人と一緒になって、何をしようとしてたんだよ!!
どういうつもりだ!今、何をしているんだ!
・・・そう大声で怒鳴りたかったが、職場でやる訳にもいかず、ぐっと堪える。
何よりも、これ以上…岬さんに迷惑をかけるワケにはいかない。
身内を焚きつける事無く説得しリングを降りてもらいたい…!それが無理なら、せめて!せめて!!ゴッドマザーだけは封印したい…ッ!!
「…あの、どういったご用件でしょうか?」
『何よ〜、敬語を使って心理的距離感を出してるのよ〜!怒ってるのー?』
緊張感の無い、晴れ晴れとした母の声がますます、私のイライラを増幅させる…!
「・・・(わかってるんなら、もうやめてよッ!)・・・で、何?」
『心配かけたわね…母さんは、もう大丈夫よ。』
「全然”大丈夫”に見えませんでしたけど?何をもって大丈夫って言い切れるの?
親のあんな姿を予告なく見た私の気持ちになってよ!何故、岬さんと戦う事になってんの?
知ってるのよ?岬さんの婚約者と一緒になって岬さんを追い詰める工作してるんだって?
何故、あんな記事やら噂流して、追い詰める卑怯なマネしてんのよ!?(小声)」
説得も何もあったもんじゃない。
口を開けば、もはや抗議と質問しか出なかった。
しかし、母はそんな私の様々な思いをぶっ飛ばして、たった一言だけ放った。
『あのね、用件はね、悪い事は言わないから、”岬マリア”…あの女とは手を切りなさい。』
私は思った。 ・・・
「・・・他に言う事はないの?」
母が、私と岬さんが一緒にいる事をどこでどのように誰から聞いたのかまでは、知らない。
しかし、私だって母がどうして妹(非公認)と知り合い、岬さんと試合する事になって、婚約者の邦彦さんと一緒に写った写真が出ちゃったのかも知らない。
(ふざけんなよ・・・!)
他に・・・他にも言うべき事は沢山あるはずだ。
『ね?…事情は、後で話すから、とにかくもう岬マリアとは…』
お互い知らない事があり、問題が山積みなのにも関わらず事情は後だ、と説明もせず、いきなり私の勤め先に電話をかけてきて、手を結んだ覚えもないのに、”手を切れ”と言う。
”後で”。
後で?
後でって、いつ!?
5分後?CMの後すぐ?CM明けても予告だけで、結局次週に回されるパターン!?
”続きはWEBで”とか田舎のおじいちゃんおばあちゃんには出来ないからね!
PCの電源入れて検索させるだけの価値ある”続き”なんか私、出会った事無いわよッ!!
・・・って、何の話だッ!!
※注 只今、水島さんは怒りのあまり支離滅裂な言動になっております。ご了承下さい。
私の怒りは、もう振り切れる寸前だった。
「・・・そんな事言う為に、わざわざ袋被って電話してくれたの?わー嬉しい(棒読み)」
皮肉を口にしながらも受話器を持つ手が震える。
会いたくて、殴りたくて…震える!素敵!どこかの歌みたい!クソッ!
※注 只今、水島さんは怒りのあまり支離滅裂な言動になっております。ご了承下さい。
『お母さんの話をちゃんと聞きなさい。私達はね、今…大事な戦いが控えているの。絶対に負けられないの。だから、アンタは…』
「あっそう!結局、私の事云々より、自分の話を優先したいって事よね?
あーあー結局みんな、そうよ!…結局…身内のお母さんだって、私の話聞いてくれた事ないじゃない…!みんな、そうよ!」
他人のせいで、私の人生設計が狂ったとまでは言わない。
だけど・・・少しは、自分の行動で人へ与える影響を考えて発言してもらいたい。
娘の私への迷惑が半端無い事に対して、まず『ごめんなさい』の一言があってもいいじゃないか。
自分の問題だから。
好きでやってる事だから。
それで、私がどれだけの迷惑を感じて、苦しんでいるのか、それをまず気にかけるべきだろう!
他人なら、いざ知らず・・・身内が一体何をやってるんだ!
娘が、女難とスキャンダルでこんなにも苦労しているのに!!
『結果的にお母さんは、アンタより自分の事を優先した。それは認める。
でも、それはアンタが立派な大人になったからよ。今、アンタは一人の・・・』
その一言で、ぷっちんと私は切れた。
「だからって…突然、離婚届を父さんに突きつけて、素性の知れない外国人と全国渡り歩いてるって、大人になった娘が知ったら、どう思うかわからないの?
胃に穴が空くかと思うほど心配したわよ!父さんは錯乱状態になるし!外国人は私を勝手に姉と呼ぶし!
他人も母さんも一緒よ!何も言わないのを良い事に調子づいて好き放題!どんどん図に乗って迷惑かけても”大丈夫?”の確認作業で労わった気になってるのよ!」
『・・・アンタ・・・少し落ち着きなさい・・・。』
「皆、そうよ!誰も私の話を聞かないで、勝手に自分の道を決めて、勝手にあっちこっち行ったクセに、私に文句言ったり、私を振り回すのよッ!
挙句の果てに、自分の事を棚に上げて、お前のこういう所が悪いって”アドバイス”をしてくるのよ!その方が私の為に良いってさぁ!
それは、お前が私と接する時に都合が良いだけでしょうがッ!私の話を聞いてないから、結局自分の都合しか押し付けられないのよッ!!最ッ低ッ!!」
気が付けば、私は電話越しの母に向かって大声を浴びせていた。
『…みんなって…アンタ、何を言ってるの…?何か、あったの?』
「今更、そんなの聞いたって、母さんが解決出来るような事じゃないわよッ!」
『いや、アンタが聞いて欲しいって言うから、お母さん、ちゃんと力に・・・』
「言ってない!話したって解ってもらえるとは思えない!」
『じゃあ・・・岬マリアなら、わかってくれるっていうの?』
何故、そこで岬さんが出てくるのか解らなかった。
しかし、完全に頭に血が上った私には、その一言で爆発するには十分だった。
「・・・そうよ・・・!」
岬さんの試合の邪魔をし、私の人生を狂わせつつある、母に対する怒りの目盛りは、そこで振り切れた。
「少なくとも今の母さんやみんなよりは、岬さんの方がずっと理解してくれるわよッ!!
とにかく、あんな馬鹿な真似は即刻やめてッ!父さんも私も大恥をかくわ!
それに、私は…岬さんの味方だからねッ!!」
『ちょ、ちょっと待ちなさ・・・ッ』
”ガチャン!”と受話器を叩きつけるように置いて、私は深い深い溜息をついた。
後ろの方で「今、”岬さんの味方”って言ったよね…?」という声がしたが、もう私はどうでも良くなっていた。
昼休み、化粧室の鏡を見た私は、自分の人相が指名手配犯並に悪くなっている事に気付く。
――― 最悪だ。
不運に見舞われ続け、借金と夜勤で追い詰められ疲れ果て、今にも自暴自棄になってコンビニか牛丼屋にでも焼き鳥の串で強盗に行きそうな顔だ。
自分の顔なのに、見ていられなくなってトイレの個室に篭り、頭を抱えた。
すると化粧室に、事務課の3人組がやってきた。
名前は覚えていないが、とにかくよく喋る。
昼下がりのガ●トのドリンクバーで5時間は喋ってるオバサン、のイメージだ。
「ねえねえ〜さっきさぁ、電話で水島ブチ切れてたよねぇ〜。」
・・・はいはい、私の陰口ですね。
「どうせ涌谷でしょ?自分が上だってアピール必死すぎだから。事実、水島の方が仕事出来るじゃん。うちらはさ、仕事さえしてくれればいいのよ。」
・・・ん?
「涌谷ってさ、ちょっと勘違いしてるよね〜。今の時代、空気読むよりさぁ、ちゃんと出社して一人前に仕事してくれるのが一番だっつーの。
水島には仕事何件も片付けてもらってるしさ。あいつ、何も言わないでやってくれるじゃん?だから、私も何も言わない事にしてんの。」
・・・そういう思想の人、事務課にいたんだ・・・。
「あ〜三木っち、絶対水島の話の時黙ってるの、そのせいなんだ?」
・・・そう、なの?
「そりゃそうでしょ。水島は25歳でこれからなんだし、老い先短くて仕事が遅い涌谷達だけで盛り上がられて、水島に辞められたら困るって。」
・・・やっぱり打算的に考えてるんだなぁ・・・まあ、そんなもんだろうけどさ。
「前、水島の秘書課異動の話出た時、正直うちら焦ったよね?阪野詩織のご指名来たって。」
そんな話、本人聞いてませんけど?
「あれ?企画課異動じゃなかったっけ?花崎課長が是非欲しいって。」
その話も本人聞いてないですけど!?
「いやいや、どっちも話来てたらしいよ〜。城沢のトップ女子社員と水島って仲良いらしいしさ。」
いやいやいや!どっちも聞いたこと無いよ!?ドコから出て、ドコに消えたんだ!その話!
「どっちの課も城沢じゃ花形だもんねぇ〜。涌谷が嫉妬するのも分かるといえば分かるけどね〜正直ウンザリよね。」
嫉妬も何も・・・。
「あ、思い出した。ねえねえ、例のコピー機事件!アレさぁ、涌谷、相〜当〜話盛ってたよね?」
3人は、実に楽しそうに他人のトラブル話で盛り上がり出す。
「うんうん、あたし、門倉ちゃんの顔見て『あ、涌谷の話は半分以上嘘だな』って思ったもん。誰が信じるの?あんなヒステリックな女の話。」
黙ってこちらの話を聞いているから味方だと思ったら、大間違い。
「ていうか、コピー機で雑誌コピーして壊しかけたの、松本らしいよ〜。松本、白々しく涌谷の話に参加してたけどさ。」
・・・あー、まあそうだろうなぁ・・・松なんとかさん、よく雑誌とか色々コピーしてたし。
薄々わかってはいたけれど、現行犯じゃなければ名前出すだけ無駄だったからなぁ・・・。
「松本って涌谷の同期で一番仲良い奴じゃん。うわ、そういう事かよ〜ヤダねぇ〜29歳コンビは。」
涌谷先輩は、松本先輩が私的利用でコピー機を壊しかけたって知ってた上で、私の事を怒ったのか否か・・・今となってはどうでもいい。
恐らく、涌谷先輩が一番気に入らなかったのは、私が涌谷先輩に反抗した事だろう。
「水島もホント災難だったよねぇ…コピー機、折角直したのにさぁ。機械系ちゃんと扱えるのって水島と仙人課長くらいじゃん。」
・・・確かに、そうだ。
思い返せば、コピー機、パソコン、コーヒーメーカーのメンテナンス(部品分解して洗う等)は…高橋課長と私くらいしかしていない。
「涌谷もね〜他人にちょっかい出さなきゃ害は無いのにねぇ〜…更年期迎えてるみたいに、すぐ沸騰するんだもん。」
「アイツ、水島と相性が悪いのにワザワザ突っかかっていくでしょ?もういいじゃんって思うよ〜。余計空気悪くなるっつーの。」
(…同じような事思ってる人、いたんだ。)
私は、自分が事務課において全くのイレギュラーではない事を知った。
「でもさ〜…涌谷の水島嫌いってさ、ちょっと異常だよね?」
「そう?異常?」
「異常だよ。ホラ、子供の時いなかった?好きな子にちょっかいかけて泣かしたり、凄い酷い事ばっかり言って、結果、クラス中の人間から嫌われてる奴。」
「…涌谷がツンデレ系だっていうの?ありえないわぁ!」
そうだ、ありえない。私と涌谷先輩は、水と油だ。
あの人は、ずっと私と他の人と区別するように態度をコロコロと変えていた。
他の人とは違う視線と態度をされるので、私は入社したての頃は何が悪いのかを必死に考えたものだった。
直接聞く・・・事はしなかった。ただ、じっと耐えた。
そんな彼女がただの”ツンデレ”だとは思えない。
大体、デレなんか何時あったのだ?
海お嬢様のような、テンションの上がり下がりのわかりやすさも無かった涌谷先輩がツンデレだなんて認められない!
デレたとしても・・・ちっとも嬉しくないッ!!
もし、仮に好意があるならば、女難信号が出ている筈だ。…出てたとしても、門倉さんがいるからわからないけれど!!
「ありえないのは、水島の人間関係でしょ?城沢の有名人と友達になった挙句…最近、あの岬マリアにも近付いてるって噂よ?さっき広報の子から聞いちゃった。」
―――― 広報・・・口、軽ッ!!
「嘘!?マジで!?岬マリアに!?」
「やっぱり、水島って・・・アッチ系なの?」
違う!
「さあ?本人見てると、そういう感じしないんだけどなぁ〜。むしろ、水島の隣にいる女の方ががソッチ系に見えてくる、みたいな?」
・・・・・・あながち、それは間違ってない、かな・・・。
「さあ?ゲイにモテる男がいるのと同じように、水島も女にモテる何かがあるんじゃないの?」
「もしくは……呪われてんじゃない?」
・・・それは・・・大当たり・・・。
「さ、行こうか。」
私は、そのまま洋式便器に座ったまま、10分くらいぼうっと考えた。
事務課の人間と仕事以外であまり話した事はない。
何か話した所で、どうなる訳でもない。自分の事などおちおち話せない。
こうやって女子便トークのテーマに使われ、大体は散々な扱いをされて終わるからだ。
(・・・でも・・・)
私は、てっきり事務課全員が涌谷先輩と同じような目線で私を見ているものだと思っていた。
だが、ほんの少しだが・・・それは違った。
(いや、何を安心してんだ、私・・・)
矛先が自分に向いていない事と実はその矛先が自分が良く思っていない人物に向いている事を知り、私はホッとしていた。
たかがそれだけの事で。されど、それほどの事に。
私は、今、とても情けない事に…味方とはとても呼べないのに、自分の側に一時的に立ち、自分を攻撃する人物を悪く言う人を確認できて、ホッとしている。
いつも孤独を愛している、この私が、だ…。
属してもいない集団に好意的な評価をされたくらいで、安心している。
こんな事だって、いつもならば気にもしないし、私は一人で乗り切ってきたんだ。
(ええい!)
ドアを開ければ、いつもの陰気で孤独な人嫌いの私だ!
私は、個室のドアを開けた。
すると、隣のドアも同時にギイイとゆっくり開いた。
隣の個室から出てきたのは・・・
「「・・・ッ!!」」
よりにもよって、涌谷先輩だった。
(まさか・・・さっきの女子便トーク全部・・・聞いてた・・・!?)
それを裏付けるかのように、涌谷先輩は目が真っ赤になっていた。
泣いてたのは・・・間違いない。
これは・・・フォローしようにも言葉がない。
先輩は、私だと認識するとぐっと睨んできた。
私は平静を装い、黙って手を洗った。
「いい気味だと・・・思ってんでしょ・・・?」
涙声を震わせて、涌谷先輩が言った。
何故、そうやって歪んだ私を作り出すのだろう。こんなにも気を遣っているのに。
「そうやって、いつもいつも…!アンタには何も無いのに…!!
勘違いしてるのは私じゃない!アンタの周りのヤツラ全員よ…ッ!
仕事がいくら出来ても、アンタみたいな社会人の常識も無いような、はみ出し者なんか私は絶対認めないッ!!」
一体、何の話だろうか。
私には何も無いのは認めるが…。
またしても、一方的に怒鳴られ続けるのはゴメンなので、私は口を開いた。
「私は、自分の衣食住を保つ為、自分に出来る仕事がココにあるから、働かせてもらっているんです。
貴女に認められる為だけに仕事をしている訳ではありません。」
二人きりなら、面子が潰れたとか言われる心配もあるまい。
ジェットタオルに濡れた手を突っ込み、私は手を乾かした。
「・・・認められたいって思わせるような価値が私に無いって・・・言いたいの・・・!?」
涌谷先輩の声は聞こえていたが、私は答えず、ジェットタオルから手を抜いた。
「みんな、アンタみたいな奴の事を認めたり、好きになってやってるのに・・・アンタは、いつもいつもどうして何もしないのッ!?」
先輩は、押し殺したような声で私にそう聞いた。
多少なりとも評価されていたらしいのは先程、実感した。
先程の会話で、少しだけだが私を哀れむような発言が含まれていた事に加え、涌谷先輩はボコボコに叩かれていた。
私は、事務課の全員が何をやっても気に入らない程、私の事を嫌っていると思っていたから、そんなに嫌われていないのかと錯覚してしまう程、安心した。
その一握りの安心感が、いつもの私に余計な後押しの力を与えたのかもしれない。
私は、先輩の目を見て言った。
「私は、他人の認可も好意も一切望んでいないからです。失礼します。」
私は、そう言って女子トイレを出て、事務課へと戻ろうと廊下を歩いていた。
・・・ふと、自分がひどく落ち着いている事に気付く。
先輩の噴火や説教、明日何をされるかに怯える私は、いない。
でも…少し私は嘘をついた。
”一切”望んでいない、とは嘘だ。
今までは、そう言い切っても嘘ではなかっただろう。
他人からのアレコレを望んでいないとか求めていないと言いきってしまえば…期待した時、貰えなかった時、楽な気がしたからだ。
見栄を張っている意味もあったのかな、と自分でも思う。
だから、あの頃の私は色々な意味で無知だったと思う。
他人に自分を知ってもらう事を期待するのも、私から他人を知る事も諦めて、所詮、私の周囲の人間なんて”こんなもんだ”と勝手に線を引いて、殻に引きこもった。
(もしも、呪われてなかったら…。)
そうだ、女難の女になってから・・・私の閉じられた世界は、異世界と繋がって広がってしまったのだ。
こんな私にだって、人に認められたら嬉しい時がある、と気付いたのだ。
私よりずっと美人で能力も何もかも上の人達と知り合う事で、私は嫌でも自分と他人の差を感じた。
しかし、そんな彼女達は私の何かを必ず見つけて、認めてくれた。
付き合ったらややこしい一癖も二癖もある女性達だけれど、世間的には天の道を歩いているような人達に認められる事は嬉しくない訳が無かった。
好意は・・・さすがに受け取れないけれど、嫌悪感よりは少しはマシだって最近は思えてきた。
母との電話で乱れた精神が大分平静を取り戻してきた。
喫煙スペースでタバコを一本吸うと、私は完全に冷静さを取り戻した。
(…うん、落ち着いた…。)
喫煙スペースを出て、私は事務課に戻り、いつも通り仕事を始めた。
もう、事務課内の雑音など気にならない。
パニックを起こしてまとまらなかった思考がまとまり始める。
(やっぱり…このままにはしておけない。)
仕事が終わったら火鳥と連絡を取り、母を止めよう。
妹(非公認)はともかく、母だけは試合に関わるのを止めさせよう。
ドン●の袋をちゃんとしたマスクにしてもらおう!・・・いや、そっちは今はいいッ!!
正直、格闘技は海外の試合しか見たこと無いし、よくわからない世界だけど
公園の中を犬みたいに楽しそうに走る岬マリアの姿を思い出す。
コーヒーショップの中で涙目で私にごめんなさい、と必死に謝る岬マリアの姿を思い出す。
彼女にとって、今度の試合は…ふざけたモノになんかしちゃいけない。
このSSが、とんでもなくふざけていて下ネタに塗れている内容でも、岬さんの試合だけは…ッ!!
・・・・・・・・。
あ、なんか…こういう言い方すると、妙なフラグ立ちそうだから止めた方がいいかな…。
と、とにかく!!岬さんに迷惑がかからないようにしなきゃ!
会社を出てから、すぐに火鳥に電話をかける・・・が、繋がらない。
(…決意空しく出鼻挫かれたな…)
会社の裏口から勢いよく飛び出した私だが、歩行速度はだんだん落ちてきた。
母を止める方法を、せめて…岬さんの試合が滅茶苦茶にならない方法を考える。
(しかし、情報が圧倒的に足りないんだよなぁ…!)
婚約者の邦彦さんは何をしてんだろう…?
まず、噂の真偽も確かめないといけない。
こんな時、岬さんがあんな状態なのに、ちゃんと婚約者らしく岬さんのフォローしてるのだろうか…?
大体…今回の騒動に、母と邦彦さんは一枚噛んでいる、”らしい”し…そこの関係性も火鳥に確認したかったのになぁ…。
最終的に、試合に余計な者を除外し、清い試合を成功させなければならない。
それが、身内が迷惑をかけた者の責任の取り方だろう。
(火鳥、早く情報くれないかなぁ…)
でも、火鳥のことだ。
『そんな事より、呪いを解く方法が先でしょ!わかってんの?・・・馬〜〜〜鹿ッ!』
とか言いそうだ。
私は、空を見上げた。
(まだ、雪降りそうな空だなぁ・・・)
まだまだ寒い。
もうすぐ春ですよ、と言ったかと思えば、冬に逆戻りのようです、とかニュースで言っていた。
色々な事がいっぺんにありすぎて一瞬でも忘れていた、大事な事。
(ああ・・・そうだよ・・・私、もっと他にすべき事あるじゃないか・・・。)
会社でのイザコザ、母さんの事、岬さんの事…。
それよりも、一刻も早く片付けなくちゃいけない、自分の大問題があるのだ。
呪いを解いて、女難の女に関わる女性達を解放しなくちゃ。
「――水島さんッ!!」
私を呼ぶ、女性の声が聞こえた。
切羽詰ったような声に振り向くと、そこには……
「岬、さん…?」
今朝会った時と格好が違う。上下ジャージで、マスクしかしていない。
一応、変装しているつもり?の岬さんがこっちに駆け寄ってくるが…
「岬さぁーん!」「一言お願いしまーーーーす!!」
ついでに・・・マスコミの皆さんも一緒だぁ・・・(棒読み)
今朝あんなに涙目になって謝った人が、こうなる事を予想出来ずに私にヘラヘラ会いに来たとは思えない。
何か岬さんにあったのだ、と私は思った。
岬さんが、あと5歩で私の隣に着く距離まで来た瞬間、私は走り出した。
・・・言いたい事は山ほどあれど、それは後にして、とにかく逃げるのが先だ。
逃げのプロである私の実力をお見せしよう、と私は意気込んで足を上げた。
「ちゃんと、ついて来て下さいね!」
「ええ、大丈夫!」
私の質問に岬さんは力強く答え、使い捨てのマスクを外し投げた。
それでは、お見せしよう…!
〜 水島さん流 逃走法 〜
大人数を撒くにあたって…まずは軽く振るいにかける…!
@ 人一人が通れる位のビルの隙間を走り抜け、縦一列にならないと進めない状況に持って行く!
水島ポイント! 勿論、先回りを考えるヤツもいるだろうから、あまり大きなビルの隙間は使わない事!
『いた!撮れッ!』
先回りしようと走ってくる取材陣の声を聞き、私は次のルートに進む。
「み、水島さんッ!」
「大丈夫!次のルートがありますッ!」
A 人が多い場所を普段から把握しておこう!
水島ポイント! 人ごみに入ったら徐々に背を低くして忍者走りに切り替え、人の影に隠れるように蛇行しよう!
『追えーッ!』『あれ!?見えないぞーッ!』『岬さーん!岬マリアさーん!』
有名人の名前を叫び、周囲の人間に声を上げさせて見つける作戦か…!
なるほど、さすがマスコミ…不特定多数の人間へ情報を流し操作する事にかけては天下一品のお手並みね!…何言ってんのかしら、私!!
(そっちがそのつもりなら…よし…!)
「…こっちです!」
「あ、はいッ!」
私は後ろを走っている岬さんの手を掴んで、とあるコンビニに入った。
「っしゃーあせー(いらっしゃいませ)」
B 出入り口が二つあるコンビニなどの建物を利用しよう!
水島ポイント! 中でやり過ごしてもいいし、違う出口から出れば道を曲がる所を見られずに済むぞ!
「あーぁとあーしゃぁ〜(ありがとうございました)」
(・・・よし!気付かれていない!)
周囲を見回し、私達を探している人間がいない事を確認すると私は再び走り出した。
後は、安全な場所までひたすら進むのみである。
C 人気の無い近場を最終目的地にする事なかれ!
水島ポイント! まだ遠くに行ってない、と執念深く探している人間を警戒し、より遠くに逃げよう!
D 道路から見えにくい所を移動しよう!
水島ポイント! 車からも見られている事が多いので、なるべく車道沿いの道を走るのはやめよう!
私は岬さんを誘導しながら、どんどん逃走ルートを進んだ。
「ちょ、ちょっと待っ…待ってッ!」
私は岬さんに呼ばれ、民家と民家の間で止まった。
振り返ると岬さんの肩は大きく揺れており、彼女は明らかに疲れきっていた。
「ごめ…ちょっと、さすがに…限界で…!」
見つからないように緊張感を保ったまま、全力疾走で障害物だらけのルートを通ってきたのだ、そりゃ疲れるに決まっている。
マラソンとは違うのだ。
「もうすぐです!少し息を整えたら、出ますよ!」
「ねえ…どこに向かってるの!?」
「安全な場所です!」
「こ、ここでも…」
いや、ダメだ。今いる場所は、マスコミを撒いた場所からまだ十分に離れていない上、民家に加え、大学生や専門学校生がいるアパートが多い。
岬さんをマスコミ以外の目にだって晒す訳にはいかない。
「ダメです!走ってッ!」
「あ…はいッ!」
酷な事を言っているのは解っている。
障害物がありすぎて、もしも岬に怪我をさせてしまったら、と考えると怖い。
私なりに怪我をしにくい障害物が少ないルートを選んだつもりだ。
さすがに平山さん家の壁から梯子を登って、吉本さん家のベランダを伝って、原田さんの屋根に着地し、下水道を通るルートは避けた。
※注 その前に大迷惑行為ですよ!水島さん!
声が裏返っている岬さんをなんとか落ち着かせ、私達は再び走り出した。
その後20分ほど走り続け、私はこの街の失敗名所へ到着した。
「ここです…お疲れ様でした。」
「ここって・・・!」
到着地は『乙女たちの観測所』という名前の、映画のタイトルにも使われる事もないだろう、”ただの駐車場”である。
所謂”失敗名所”である。
失敗名所、というのは…町興しをしようとして作ったはいいが、全く流行る事が無く、忘れ去られた残念な場所となってしまった場所の事だ。
どうして失敗になってしまったのか。
当初の計画では…ここに車でやって来て、この駐車場に車を停め、街の夜景を見下ろしつつ、星を見られる・・・そんなコンセプトだったらしい。
星の観測が出来るロマンチックな場所になる予定・・・だったのだが。
ここにあった古い建物を潰し、大掛かりな開発したのに
駐車場と同時に設置した売店で食中毒事件が起きたのを皮切りに
公衆トイレは幾度も破損し、汚水が逆流するわ、痴漢・痴女は出るわ(噂によるとAVのゲリラ撮影をしていたらしいが)幽霊も出る噂もたった。
挙句、カラスの棲み処が近い為か、客がカラスに頭を突かれまくる上、ここに来ると車が故障しやすいなど、散々な評判で全く流行らなくなった。
「心霊スポットじゃなかった?」
「いえ、心霊スポットはアッチのトイレです。」
私は出入り口に板が打ち付けられているトイレを指差し、言った。
あまりのトラブルの連続で、呪われているとまで言われる始末。
ここは評判が悪く、交通の便も悪い。だから、人の気配も早々無い場所である。
「確かに…ここは、マスコミも来ないわね…。」
岬さんは、まだ息を整えながらも興味深そうにキョロキョロと見回しながら、柵に手をかけた。
「・・・なるほど、確かに見晴らしは良いけれど・・・すぐ下がラブホテルだもんねぇ。」
そう、建設する前、下見の段階で業者や企画者は気が付かなかったのか、それとも”どうにかなる”と思っていたのかは知らないが
夜景を見下ろそうとすると、すぐ近くのラブホテルのピンク色のネオンが『帰りに寄っていけや!ゲヘヘ!』と言わんばかりにギラギラと”空室アリ”を表示しているのだ。
しかもラブホテルの名前が『太ちぢれMEN』である。(意味を深く考えたら負けな気がする。)
ラーメン屋かと勘違いしそうになるわ、下ネタか何なのかが、よくわからないのに加え、そのインパクトたるや強烈の一言である。
・・・これではムードもへったくれも無い。
「…まあ、穴場ですね…。」
もしもの時、連絡がつかない時、火鳥と私はここで落ち合う事にしよう、と話し合った事があった。
あまり深夜になると不良のたまり場になるらしいので、休んだらまたすぐに移動しなければならないだろう。
「…貴女、本当に凄いわ。私と走ってる時とは比べ物にならないわ。
瞬発力も反応も申し分ないし…本当に……貴女の身のこなしは、私の理想そのものだわ。」
格闘技の選手から最上級の褒め言葉をもらい、私は思わず下を向き、『太ちぢれMEN』の文字を見つめた。
「い、言い過ぎですよ…それは。」
TVでトレーナーをフッ飛ばす程の蹴りを放っていた岬さんが言う台詞ではない。
大体、彼女の身のこなしは『攻め』。私の身のこなしは『逃げ』な訳だし。
しかし、彼女は遠くを見つめながら少し寂しそうに笑って言った。
「・・・ううん。私、ちっとも今の自分に満足していないの。もっと言ってしまえば…自信が無いの。」
私は思わず自分の耳を疑った。
自信が無い、だと?岬さん程の人が?
そ〜〜〜〜〜んな訳なぁ〜〜〜〜〜〜いでしょ〜〜〜〜〜〜〜〜? と思ったけれど、岬さんの表情はシリアスなものに変わっていた。
「本当の私は、こんなんじゃないって・・・否定して生きてる。
トレーニングだって”鍛えてる”というよりも…”本当の自分探し”って方が合ってるわ。」
岬さんほどのよく出来た人が、それ以上の良い自分を探す必要ありますか?、と喉まで出かかった言葉を私はかろうじて飲み込んだ。
正直、なんて贅沢な悩みだ、と思った。
「自信が無いから必死にトレーニングに打ち込んで本番に備えるの。そうしていないと、不安で嫌な事ばっかり考えちゃって…
本番まで私、ネガティブな事しか頭に浮かんでこないの。
何度も何度もネガティブな事を邦彦にも話してしまって…最近じゃ”お前と話したくない”って言われちゃうの。
そりゃそうよね…何度も何度もネガティブな話を聞いてもらって励ましてくれて勇気付けてくれてるのに、次の日には元通りのネガティブ思考なんだもの。
いい加減にしろって言いたくもなるわよね…。
ホント・・・自分でも・・・自分が嫌になる・・・!」
そこまで言うと、岬さんは倒れこむように木の柵に上半身をだらりと預けた。
(・・・あ・・・!)
私は、その一言でハッとした。
こんなにもタイプが違うのに、岬さんにこんなにも親近感が生まれるのは、このせいだったのか、と。
…このネガティブ思考…!!
「普段は、周囲に胸を張って明るく振舞っているのに恋人の前だと、ただの根暗女なんだもの。
でも・・・頼りになる誰かが傍にいると、吐き出してしまいたくなるの・・・!
今度も受け止めてくれるんじゃないか、今度の不安を口にしたらどんな言葉をくれるんだろうって期待してしまうの・・・!」
それは・・・私とちょっと違うけど・・・なんとなく解るような気もする。
私は頼りになる人は沢山知っているけれど、そんなに頼ろうとは思えない。
だけど…他人に期待して、それが叶わなかった時や他人に拒否される事を考えると、期待しないでおこうとか普段から甘えないようにしようとか考えてしまうのだ。
「・・・私、最初に会った時から、ずっと水島さんが羨ましかった・・・」
「へぁッ?」
「貴女は凄く強い。…気付いてないでしょ?」
「い、いや…いやいやいや!私は小心者ですし、強くなんかは無いです。多分、岬さんと戦ったらすぐに」
「それは、あくまで格闘技で戦ったら、でしょ?
そうじゃないわ。私は力も欲しいけれど、もっと欲しい強さは、そういうものじゃないの。
さっき、マスコミから逃げる時…貴女の眼は、前に進む為の道に真っ直ぐ向いていた。」
前見ないと危ないですもの、と言いかけたが、こんなシリアスな場面でそんな茶化すような事は言えない。
「どんな障害物があるのか、マスコミや好奇心塗れの人が現れるかもしれないって状況なのに、貴女はちっとも恐れてなかった。」
恐れてたからこそ全力で逃げたんですよ、と言いかけたが、こんなシリアスな場面でそんな茶化すような事は言えない。
「マスコミに私との仲を面白おかしく報道されても、貴女…私と一緒に逃げてくれた。」
追われてるんだから逃げるでしょう、と言いかけたが、こんなシリアスな場面でそんな茶化すような事は言えない。
「応援してくれるって言ってくれた…それが、どんなに嬉しかったか……!」
そりゃあ…応援したいからするんですよ、と言いかけたが、なんだかクサイ台詞になりそうだったので止めた。
私は彼女の隣に立ち、まじまじと彼女の顔を見た。
どうやら本気で言っているようだ。そんな大した事でもないのに、過大評価もいいところだ。
「貴女は、きっと、こうでありたい本当の自分を知っているのね。
私は・・・もやもやしていて・・・わからない。どこに向かっていくのか、勝つのか負けるのか…不安でたまらない。」
本当の自分を知っている、そう言い切られて、私は疑問に思った。
・・・そうだろうか?
こうでありたい自分・・・理想の自分 = 本当の自分?
私の”理想の自分”って言うと・・・
花崎課長みたいに仕事が出来て、阪野さんみたいに綺麗な身のこなしが出来て、海お嬢様みたいなファッションセンス持っていて
伊達さんみたいに明るくマイペースを崩さずに、忍さんみたいな笑顔と知的な会話が出来て、火鳥みたいに怒る時は徹底的ビシッと怒れるような・・・
・・・なんだか、私の理想って・・・今の私(水島)の要素が一切無いな・・・。
それは、もう私じゃなくて・・・別人だ。
それが・・・私の理想?本当の私?
・・・違う、気がする。
「あの、私は…別にそんな大層な者では…。」
謙遜の言葉を口にしながらも私は考えていた。
他人を見ていて、憧れる要素は沢山ある。だけど、いざソレを自分の中に繁栄させても…なんか…。
ああ、そうだ…アレだ。
動物の強い部分だけを繋ぎ合わせて作ったモンスターみたいな。
鵺とかキマイラ、ああいう…3匹までなら、なんとか”強そう!”って感じになるんだけど…
それ以上繋ぎ合わせると、ごちゃごちゃして余計、格好悪いって言うか…。
人間の性格や容姿、その他もろもろ・・・サプリメントじゃあるまいし。
なんというか…他人の素敵要素、自分の望む要素を取り入れるにしても、自分のモノに出来るモノは恐らく一つか二つくらい…だと思う。
それに…私は、本気で他人の素敵要素を自分に取り込みたいなんて思えない。
私は、今の私を好きではないし、じゃあ今の自分は理想通りなのか?と問われたらそうでもない。
だからって、欲しい要素をありったけ突っ込んで新しい自分を作り出したり、
今の自分は本当の姿ではないと否定し”本当の自分”を外に探しに出かけたり…
そんな事は・・・したいとも思わない。
だって、そんな事をしたら・・・”今までの私ってなんだったの?”・・・って話になるんじゃないだろうか。
自分の欠点を直したいと思っているなら、直すべきだ。
本当に今の自分に必要だと思うなら、必死にモノにすべきだ。
しかし・・・。
「岬さん。」
「ん?」
「これは、私の個人的な考えです。ご気分を害するかもしれませんけど、言って良いですか?」
私の言葉に岬さんは一瞬、何故そんな事を?と不思議そうな顔をしたが、少しだけ笑って頷いた。
「・・・どうぞ。」
許可が下りたので、私は口を開いた。
「私…”本当の自分”って…作ったり、探したりするもんじゃないと思うんです。」
「・・・・・・。」
「さっき、私が本当の自分を知っているっておっしゃいましたけど…私には”自分が思う理想の自分”は…もう私じゃない気がするんです。
それだけ、理想と現実(いま)の私に差があるせい、なんでしょうけど…でも…。
”理想の自分”と”本当の自分”って違う気がしません?
本当の自分って、岬さんにとっては、そもそもなんですか?」
「それは…今の私とは違う…自分…。」
「でも、それじゃ…ここに存在しているダメな岬マリアは…置いていくんですか?」
「…え…?」
「ダメな自分自身(岬マリア)の事を、貴女はまだ知らないんじゃないですか?」
「し、知ってますよ…嫌と言うほど…ダメなんです…弱くて…誰かに迷惑かけてばっかりで…」
「それが、どうしたんです?」
「ど、どうしたって・・・!!」
「仮に、私や邦彦さんが自分の嫌な所を嘆いていたとします…貴女はそれを知ったら、離れます?」
「そんなの内容によるわ…」
「例えば?」
「例えばって・・・そうなってみないと、わからないわ・・・。」
「そうでしょう?そうなってみないとわからない。知ってみないと、わからない。
だから、まだ全然知らないって事じゃないですか。
貴女は、嫌な自分の事をまだちゃんと知らない。自分の嫌な部分がどうして出来たのか、本当に嫌なのは何なのか。」
「・・・・・。」
「だから、自分の外ばかりに答えを見つけようとするんです。
ちゃんと、自分の中にある自分も見てあげないで…。
他人を見ていたら視野は確かに広がるとは思いますよ。
でも…他人と自分を比べてしまって、自分のダメな部分が余計ダメに思えるだけなんじゃないですか?」
「あ・・・!」
「まずは・・・嫌いな自分を認めてあげる事なんだと思うんです。」
しかし、直す前のダメな自分も、必要なモノを持っていない魅力ゼロの自分も…自分である事に間違いはない。
それが本当だとか偽りだとか…決めなくってもいい。
「貴女は、もっと自分を好きになって良いんですよ。それは、決して自惚れじゃないから。
貴女が、普段他の人にしている事と同じ位の愛情でいいから、自分にも向けて、認めてやって下さい。
ダメな自分も本当の自分の一部だって。
じゃないと・・・いつまでも偽の自分のままで、かわいそうです。」
私は・・・岬マリアと自分自身にそう言った。
もしも、私が同じ悩みを持っていたら・・・私は・・・こういう言葉が欲しいなって思っていた。
説教臭くもなく、ダラダラ経験談なんか語る事無く。
ただ、少しだけ…軌道修正を促す程度の言葉を。
「なんか、でも、やっぱり偉そうな事言ってすみま・・・あッ!」
岬マリアは泣いていた。
大粒の涙を瞳からボロボロと零し、それでも私の事を真っ直ぐ見つめていた。
「…ぁ…あれ?私…なんで…?」
そう言いながら、岬マリアは必死に涙を拭った。
まさか泣くとは思わなかった私は、慌ててバッグの中を探った。
「あ、ああ…は、ハンカチハンカチ!あ、ティッシュも…ッ!!」
有名人を泣かせてしまった!謝って許してもらえるだろうか?キック一発でなんとか許し…ああ、やっぱり嫌だ…ッ!
ハンカチをあてがうと、岬さんはハンカチごと私の手をぎゅっと握った。
「・・・ありがとう、水島さん。やっぱり貴女は・・・強いわ。」
真っ直ぐでピュア過ぎる瞳に射抜かれ、私は気恥ずかしくなった。
「え?いや…私は…!」
「謙遜しないで…その優しさが貴女の強さなのよ。」
「……ど、ども…。」
・・・私は照れながらも、”どういう意味です?”なんて聞き返す事も出来ずにいた。
やがて、岬さんはオロオロする私を見て笑い出したので、ひとまず良かったと安心した。
「…ねえ、水島さん…」
「は…」
返事をしかけて、私は止まった。
岬さんが、がっしりと抱きしめてきたからだ。
私も岬さんも汗をかいているのに、岬さんからは花の香りしかしない。
岬さんは、黙って私を抱きしめ続けた。
それはもう、外国人のハグではなくなっていた。
(・・・まさか・・・彼女も女難に・・・?)
私の危機感をよそに、岬さんは、より強く自分の身体に私を押し込まんとばかりに抱きしめ続ける。
「あ、あの・・・ん!?」
私が喋ろうとすると、岬さんはスッと僅かに離れ、私の唇に人差し指を押し当てた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
…何?この『キスはお預けよ?』みたいなポーズは!!
それとも『おしゃべりはやめときな、お嬢ちゃん』?
な、なんなんだ?この状況は!!
場所は心霊スポットだのなんだの言われる、ただの駐車場。
ピンク色の『太ちぢれMEN』のネオンが、私の視界の左下でチラチラと光っている。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・いつまで、このままなんだよ!!!!
困惑する私をよそに、岬さんはしっかりと私の両目を見て言った。
「………私、勝つわ…水島さん!」
それ言う為に、どんだけ間を溜めたんだッ!!おかげで、よからぬ想像したわよッ!!…とは言わずに、私はこう言った。
「……あ、はい…頑張って下さい。」
私は目を逸らしながら、素直に応援メッセージを口にした。
「だから、水島さんにお願いがあるの…!」
「・・・はい?」
その後、岬マリアからの意外な申し出に、自分のすべき事などすっかり失念してしまった。
― 3日後。 ―
事務課で、高橋課長が事務課の社員全員を集めて通達した。
「えー…昨日から水島君は…広報の”特別業務”を手伝う為、事務課での業務をしばらくお休みしています。」
「課長。」
「ん?何かな?涌谷君。」
「特別業務って一体何ですか?何故、水島さんじゃないといけないんでしょうか?」
「僕も詳しい業務内容は把握していません。…しかし、それは彼女にしか出来ない仕事だそうです。以上です。今日も一日頑張りましょう。」
高橋課長の静かな業務開始の声に、事務課全員が渋々といった感じで仕事を始めた。
- 水島さんは苦悩中。 中編 END -
→ 後編へ進む。
今回も色々まとまりが悪かったので、前編に中編を寄せ、中編に後編を寄せました。
…書けば書くほど、バランスが悪くなる…