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 一方、私は別の場所でその”特別業務”をこなしていた。




私は…『じむ』は『じむ』でも、事務課ではなく、ジムにいた。



リングの真ん中でミットを掲げ、岬さんの強烈なキックを受け続ける・・・



”スパァンッ!!”←岬マリアのキック音。 

「ぐッ…」←水島さんの呻き声。


”スパァンッ!!”「うンッ…!」



今、私がしているのは、そんな簡単なお仕ご…”スパァンッ!!”「フヴンッ…!!」←水島さんの(以下略)


・・・キッツイ・・・!!(泣)


身体に凄い衝撃と地味に重いGが…”スパァンッ!!”「ヌヴッ…!!」←水島(以下略)



私が今、行っている特別業務、とは…岬マリアの最終調整に付き合う事、である。



二日前、広報の人から電話が来て、明日から広報課の人間として岬マリアのジムに行って下さい、と伝えられた。

全く訳が解らないので何度も”私でいいのか”と確認した。


広報の人によると、城沢グループとしては岬マリアのスポンサーとして何としてでも万全な状態で”勝ってほしい”との事で。


最近のスキャンダル報道でガタガタになったイメージを払拭するには、まず岬さんが試合に勝って

”負けた選手は、こんなに弱いものだから汚い手を使って岬さんを追い詰めようとしたのだ”と世間に思わせる・・・のだそうな。


つまり、岬マリアに勝ってもらい、勝者(岬マリア)の言っている事こそ正しい!と知らしめなければならない、と・・・。


いやいや・・・広報よ、冷静に考えて欲しい。


そんな、アメリカみたいに”戦争に勝利した方が正義だ!勝てば良いのだ!”みたいな戦略でいいのか?

そんな、ふわ〜っとした抽象的な作戦で落ちたイメージは回復するのだろうか?本当にそれで良いのだろうか?…とツッコミたかったのだが、止めた。


あちらも広報のプロだからだ。

事務課風情がこれ以上、口を出す事は出来ない。



だが…対戦相手側の広報である火鳥は言っていた。


『無粋なプロモーションを最初からやったら、選手や競技自体のイメージ低下や次の試合に影響する』と。


殆どの人間が試合の事よりも、試合が始まる前の選手のイメージ、終わった後の選手のイメージ作りに必死だ。

試合の中身を良くして観客に楽しんでもらおう、とは考えないのだろうか。


それとも、試合の中身を良くするのは・・・岬さん達”選手”に丸投げなのだろうか?

だったら、ますます間違ったイメージ作りなんか必要ないではないか…と素人の私は考えてしまうが、プロモーションとはそういうものなのだろう。


とにかく、岬さんが勝つ為、最終調整をしっかりしなくちゃならないので…私が手伝う、と。


だ〜か〜ら〜!どうして、そこで私が出てくるのだ!?と、私は広報に若干キレ気味に尋ねた。


しかし”それは、岬マリアさんからのご指名だからだ”とごく簡単な返答をされた。


確かに…一昨日、あの”失敗名所”で岬さんにも、そんな感じの事は言われたが…出来る訳が無い!


私は、すぐにその場で断った。


なぜなら、私はゴッドマザー水島(恥)の娘だからだ!!


私と岬マリアが一緒にいる所をマスコミに知られたら、きっと私の素性など暴かれまくるに決まっている。

探られたくも無い腹を探られ、腸という腸を引きずり出されるに決まっている!


私は、再度強く断った。


だが!そこは流石、人と人とを繋ぐ破天荒企業・城沢グループの広報課である。


『 週刊誌に載った君と岬マリアの写真…この件で生まれた損失を全て君の責任にしてもいいの?他にもあったんだよ、写真が…。 』 


横暴極まる広報課の脅迫めいた言葉に、事務課の私は”わかりました。”と答えるしかなかった。


しかし、出会って数日の素人がプロの最終調整に関わるなどあっていいのだろうか…!?


始めはそんな事を考えていた私だが…


”スパァンッ!!”「ヴぁッ…!!」←水(以下略)


岬マリアの状態は万全…絶好調だった。


だが・・・不安が無い訳ではなかった。



「おうおう、やってるね!」


ジムに掠れた声が響き、私と岬さんは動きを止め、頭を下げた。


「あ、操さん!おはようございます!」

「…お、おはよう…ございますッ!」


2mはあるんじゃないかと思う、筋肉でゴリゴリの身体に、ピチピチの赤いジャージを着た色黒の人がやってくる。


このゴツイ人は、岬さんの専属トレーナー。

オッサンかオバサンか解らない人こと…”城ノ内 操”さんである。(名前もまた男女どっちか解りにくい!)

胸筋なのか巨乳なのか・・・わからない。


「休憩しなさい。ご飯持って来たわよ。」


操さんが持ってきた風呂敷包みを見て岬さんはパッと笑顔になり、シャワーを浴びてくると練習場を出て行った。


「・・・どんな調子?」

掠れた声は真剣に私に岬さんの状態を尋ねた。


「あ、素人ですからなんとなく、ですけど…マリアさんの体の調子は良いです。でも…なんか…時々…上の空っていうか…。」


時々、だが…岬さんの反応が鈍い時がある。ぼうっとしている、というか。

ハッとすると、いつものように笑ってくれるのだが…。


私の話を聞き終わったザンギエフ…いや、操さんは、溜息をついた。


「やっぱりね…マリアの悪い所。不安に包まれると動きが止まる。今までは、邦彦がいたからいいけれど…」


今、その邦彦さんがいない。


「あの、婚約者の方は…どうかしちゃったんですか…?」

「・・・・・・・。」


私は出来るだけ、さり気無く聞こうとするのだが操さんに婚約者の事を聞くと、いつも不機嫌そうな顔をされる。


「あ〜の…?」


私は鈍いフリをして、婚約者の事を再度聞いた。

恐らく操さんは、邦彦さんの事を良く思ってはいないようだ。


操さんは不機嫌そうに答えた。


「連絡が取れない。喧嘩した、とはマリアから聞いたけど…コッチは知らない。」


例の報道のせいか。


邦彦さんは来られないのか、それとも、来ないのか…。

まさか、邦彦さんは私の妹(非公認)と一緒にいるのではないか…。


「いない奴の話をしても仕方が無いわ。とにかく今は、マリアの調整よ。」


彼?彼女?は、私に小声で言った。


『彼女の調整で一番大事なのは、身体ではない。”メンタル”なのよ。』・・・と。


読者の皆様もお気づきだとは思うが、操さんは…時々、女言葉になったりするので…本当に女か男か分からない…!

見た目が…バッファローマンみたいなのに…


「マリア!今日はお弁当作ってきたのよ!食べなさい。」


操さんが広げた5段お重からは、和・洋・中のオカズが出てくる。

綺麗な上、なかなかに美味しい。しかも、カロリー計算も完璧にされている。

・・・で、操さんは・・・男女、どっちなんだろう・・・?


岬さんはニコニコしながら蓋を開けていく。


「わあ!操さん、コレ可愛い!一番下はジバ●ャンのキャラ弁ねー!」


なんと・・・操さんは、キャラ弁まで作る器用さを持っている・・・。


「よーし!たくさん食べてね!!」


…この人も妖怪…?いや、操さんが男か女かわからないのは、妖怪の仕業じゃあ……!?

 ※注 なんでもかんでも妖怪の仕業の筈ありませんよ、水島さん。


朝食をとってから、岬さんは少しだけ休憩をとった後、すぐに練習を始めた。

私と妖怪バッファロー…じゃなくて操さんは見守るだけ。




「水島ちゃん、ちょっといい?」


やがて、私は操さんに呼ばれて、トレーニングルームの外に出た。


トレーニングルームを出てすぐ傍の窓の下には、一斗缶で作られた灰皿がある。

私と操さんは喫煙者なので、そこでタバコを吸いながら、よく話をする。


幸い、操さんは素人の私の事を歓迎してくれているようで、効果的なトレーニングや岬さんの話、早く走れるようになる方法を聞かせてくれた。

※注 ドサクサに紛れて、もっと逃走力を高めようとする水島さん。


殆どは仕事(岬さんの体調管理)の話であるが、今日の話題は違った。


「今朝のニュースは見た?水島ちゃん。」

「あ、いえ…今日はずっとロードワークと筋トレ、今はスパーリングをしてましたから。」



「そう…見なくて正解よ。…酷いもんだ。」


操さんは不安定な口調で、スポーツ紙を私に見せようとしたが、私は首を横に振った。


「…そうだね、余計な先入観は邪魔なだけだね。」


「ええ、試合に集中しましょう…」

と私はカッコつけて言ったものの・・・実を言うと、紙面に”袋を被った女の写真”が見えたから、見たくなかっただけだ。


「…なんで、こんな苦労までマリアがしなきゃならないんだか…あの子がここまで来るのにどれだけ苦労したか…!」


操さんは悔しそうにタバコを吸った。

一気に灰の部分がジワジワ増えていく。


「や、やっぱり岬さんクラスの凄い方でも、努力してきたんですね…!」

私がそう言うと、操さんは語り始めた。


「そう…マリアはね…元々、小さい頃から虐められっ子だったらしいの。

無視されたり、やってもいない事で学校中に噂を撒かれたり…一時は人間不信にもなった。

で、彼女は人より強くなりたい一心で、格闘技を始めた。それが岬マリアの始まり。

元々才能はあったから、すぐに海外へ連れ出して、あらゆる場所で戦い、勝ってきた。」


「へえ・・・(やっぱり凄い人なんだ、岬さんって。)」

私は二本目のタバコに火を付けた。


「今もね、女同士が殴りあうなんて色眼鏡で見られるのよ。マリアの事を快く思わない人間がいるのも事実。

それらを跳ね返す為に、マリアは厳しい練習と揺るがない勝利を求めて戦い続けてきたの。

それが沢山の人をひきつけてきたし、何よりあの子はこの格闘技が好きなのよ。


だから、スタッフは、マリアに対するマイナスな言葉やバッシングも彼女の原動力になると思ってた…

でも、それは大きな間違いだった…。

放置すれば、あらぬ噂はどんどん大きくなっていったわ…それでも…。

マリアは…試合を見てくれたら、きっと解ってくれるって言った。


マリアは真面目すぎるのよ。他人からの心無い言葉や敵意むき出しの言葉を流せないで、受け止めてしまうの。」


操さんの話を聞いている内に、私は不特定多数の人間に無性に腹が立ってきた。


タバコの煙で目つきが悪いまま、私は口を開いた。


「よく…他人の戯言なんか気にするなとか、その程度の事は流せとか、スルーしろとか、大人の対応をとれとか言いますけど…必要ですかね?そんなもん。」


感情を抑えて言ったつもりだが、声に出せば、それには怒りが含まれていた。


「水島ちゃん…。」


「私は、そういう…出来て当たり前って言う前に…他人の事をよく知りもしないで、深く考えもしないで、アレコレ中傷する行為は恥ずべき行為だって思います。

傷つけられて当たり前、なんて…そんなの私は認められないですよ。

他人の中傷見ているだけでも、関係の無い私はすごく不愉快なのに…当事者の岬さんはもっと傷ついてるんじゃないかって…思うんです。

それが有名になる事なんだとか、その位の事をスルー出来ないなら目立つな、なんて・・・よくも言えたもんですよ!」


そう言ったものの、冷静なままのもう一人の私が思う。


そういう自分(私)だって、不特定多数の人間の事をよく知りもしないで、今、中傷してるじゃないか、と。

大体、自分は有名人でもなんでもないクセに。

それに私が誰も傷つけていない立場にいられるのは、自分の言葉を誰にも聞いてもらっていないだけ、だからだ。

真正面から人のアレコレを批評する勇気が無いだけ、とも言える。



「そうね…昔は…そういう事を口に出す場所が限られていたわ…TVやラジオ。文字として目にする機会だって、新聞・雑誌くらいだった。

ちゃんと誰かしらのチェックを通してから、不特定多数に届けられていたし。

そういう情報の発信者は”責任が付き纏う仕事”として情報を扱ってる人も…数は限られていたけれど、いたにはいたしね。

でも、今は情報の発信に費用は要らない、責任も要らない。好きな事を自由に発信できる手軽さが魅力なんだけどね…。」


操さんはそう言うが・・・昔は昔、だ。良し悪しはあっただろう。

我々が知らないだけで、誰かに対する中傷の類は、昔からあった筈だし、今よりもっと酷かったかもしれない。

私は、それでも操さんの言う事も少しだけ納得できる部分はあった。


操さんはタバコを一斗缶の中に放り込み、言った。


「愚痴や文句も容易く、誰もが見やすい場所に掲げられるから、同じような思想の人間や暇を持て余した好奇心の塊が集まりやすい。

そんな呼び込み行為をして、似たようなヤツラが集まっただけなのに、自分の仲間が出来たような錯覚を覚え、自分の考え方が支持されてるって勘違いしちゃうの。

”俺がこの流れを作ったんだ”…”私に賛同してくれる人がいた”…ってね。

そんなもの、近所で井戸端会議してるオバサンやマージャン打ってるオッサンの愚痴と変わんないのよ。」




そう…不特定多数の人の中には、普段なら言わないような言葉をたまたま、そこで自分の外に吐き出しただけ、の人がいるかもしれない。

マスコミは、ただ注目を浴びて盛り上げる為に、無責任な言葉を並べては”後はご自分でご判断下さい”と放り投げる。

情報の取捨選択の権利は、確かに私達にある。


だが、その情報の中に個人を傷つける内容があったとして…それに対しての責任はどこに行くのだ?

外に出てしまった情報を消す事など出来はしないのに。

知らない奴らとの言葉のやり取りなのだから、言葉を多少選ばなきゃモメるのは当たり前だ…。

悪意たっぷりのデコレーションをつけた言葉は、誰か一人を生贄にその他の人間を楽しませる…その程度の効力しかない。


なのに…たった一人の叫び(あんな無責任な騒音)が…人を深く傷つけるって事を知らない人が多すぎる。

あくまで個人の意見です、一般的な意見を言っただけだ、と言う人もいるだろうが…その程度の言葉でも岬さん一人を傷つけるには十分だ。


私にとっては、涌谷先輩からされた事がまさにソレだった。


先輩はいつも事務課の中心にいて、私のある事ない事を大声で触れ回り、私は常識の無い女として扱われた。

注目も何も欲してないのに、勝手にレッテルを貼られて、陰口を叩かれる毎日を私は嫌と言うほど知っている。


扱われ方には慣れたけれど、された事、言われた事を忘れていないのは・・・心底、ムカついたからだ。


だからこそ・・・今回の一連の騒動は、凄くムカつくのだ・・・!


いや、冷静になるんだ私。


・・・少し岬さんに肩入れ、し過ぎだ・・・。



「水島ちゃん…VENUS WARがメジャーになるかどうかは、明後日の試合にかかってる。

マリアが万全のまま、最高の試合をする為には!マリアのメンタルを支える存在が必要なの!」

「はい。」


メンタルを支える存在…つまり、婚約者の邦彦さんだ。

最近の報道ですっかり岬さんは邦彦さんに頼りきってしまい、疲れた邦彦さんはスキャンダルだけを置いて、行方が知れない。


探しに行くべき、だろうか…


「でも、そうは言っても邦彦さんがいないんじゃあ…」


私がそう言うと、オッサンかオバサンかわからない人に両肩を掴まれた。




「何を言ってるんだ…貴女が、支えるのよ!」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





「・・・ん?いや、えーと・・・あの、邦彦さんという婚約者が・・・」


私は、このまま岬マリア専属の付き人にさせられそうな気がして、とにかく抵抗を試みる。


「いいえッ!あんなカス男なんか要らないッ!貴女がマリアを支えるのよッ!!貴女しかいないッ!!」


「い、いや…人の婚約者にそんな暴言…!で、ですから、邦彦さんを探しに…!」


「いやいやいや〜誰ですかァ?それはァ?ねぇ?支えましょうよ〜水島ちゃ〜ん!!」


「”誰ですかァ?”じゃねーよ!岬さんのメンタルの軸だろうがっ!!!」



岬さんの人間関係は、私が思っているよりも複雑だったようだ。



私の、いや…私達にも知らない所で、彼女は確かに痛みに苦しんでいた。



私は練習が終わった後、シャワー室から泣き声を聞いた。

怪我をしたんじゃないか、と声を掛けようとしたら…涙声で”ごめんなさい”という言葉が聞こえた。


怪我による痛みではない。

多分、心の痛みだ。


…不安、心配、後悔、悲しみに押し潰されそうな岬さんに、私はその場で声を掛ける事は出来なかった。

今、彼女を励ますべきなのは、私じゃないからだ。



そっとタオルを置いて、私はリングの周りを掃除をした。



(あんなに強くて明るく笑える人も…あんな風に泣く事があるんだ…。)



マスコミが絶対知る事も報道する事も無い…岬マリアの真実を私は知った…。



ああ…人を知るって、なんて難しくて…悲しい事なんだろう…………あ、でっかい綿埃と柿ピー落ちてる…ここで酒飲んだ奴いたんだな。

 ※注 シリアスが持続しない主人公・水島。








・・・結局、邦彦さんは・・・岬さんのいるジムに姿を現さなかった。



ジムの周りにいるマスコミは、操さんが蹴散らした。

私が岬さんが変装しているように見せかけ逃亡している内に、本物の岬さんがこっそりと滞在先のホテルに戻る・・・そういう毎日を過ごした。




そして、試合前日、岬さんは心配になるくらい落ち着いてた。

試合が終わってしまったような穏やかな顔だった。

操さんは筋肉をブルブル震わせて心配していたが、軽い練習を終えると、岬さんはいつものように帰る前のシャワーを浴びに行ってしまった。


掃除を終えた私と操さんは、タバコでも吸って待っていようか、とトレーニングルームを出た。





が。





ジムの入り口に、このタイミングで会わせるには微妙過ぎる人物が立っていた。

男性のようだ。


(あ、あれって…く)



「く…クソ彦おおおおおお!?テンメええええええええええ!!」




まず、操さんが叫んだ。あと”邦彦”ね…。



「操さん、誤解させてしまったのは悪かったけれど、僕には僕の考えがあって行動していたんですよ。」


邦彦さんは、笑いながら軽いお詫びの言葉を口にしながら、そのままこちらに向かって来ようとした。

その瞬間、操さんが目にも止まらぬ速さで邦彦さんの胸倉を掴んだ。


「うるせえ!クソ彦!マリアが、今までどんな気持ちで練習してたと思ってんだゴラァ!!」



ギリギリと歯軋りしながら、操さんが邦彦さんを怒鳴る。

…男か?やっぱり男なのか?


「あ、あわわわ・・・!」


操さんの性別は置いておいて、これは止めるべきだろうか…!

いや、ダメだ!今の操さんはバッファローマン状態!私はアデランスの中野さんに近い戦闘力しか持ってない!…素人では無理だッ!


「操さん…あなたは勘違いしている。それもこれも日本じゃマイナーなVENUS WARの興行を成功させる為でしょう?」

「そのやり方が…アレか!?あ゛ァん!?クソ彦っていうかクズ彦か?あ゛ァん!?」



岬さんのトレーナーとして、操さんも抑えているモノがあったのかも知れないが、怒り方がとにかく尋常ではない。


「お叱りはごもっともでしょうけどね、僕はマリアに用があるんです。」

「はい、そうですかって通すと思ってんの?クズ彦ぉ…!」


睨み合う両者を見守っていた私だったが、背後から足音が聞こえてきた。


やがて足音はぴたりと私の真後ろで止まった。


「…邦、彦?」


岬さんだった…。

操さんは岬さんの姿を見ると、あっさりと邦彦さんを離した。

邦彦さんは何事も無かったように岬さんの傍まで歩み寄って、手を握った。


「マリア、今日までこんな騒動の中でのトレーニングになってしまって・・・・・・・・・・・本当にすまなかったと思っているッ!!」


随分間を溜めやがって・・・一昔前のジャック・バウアーのモノマネかッ!!


「・・・・・・。」


岬さんは何も答えなかった。


「マリア、コレを見て欲しい。」

邦彦さんは書類を岬さんに差し出した。


「VENUS WAR ”第一章”…?コレ、シナリオ…?」


私は、隣から横目で書類を覗き込んだ。


試合当日、選手がどの入り口から入場するのかを記しただけの簡単な台本・・・ならば、どんなに良かっただろう。


邦彦さんが持ってきた書類の内容は…これまで新聞やニュースで伝えられてきた出来事(スキャンダル)が記されていたものだった。

岬さんのスケジュール、その隣は…対戦相手ジャスミンとゴッドマザー水島のスケジュール。

両選手、どこで何をするか、どんなトラブルを起こし、どこを撮影させるのかを細かく記載されていた。


ジャスミン側には、記者会見時にどんな態度で何を話すのかまで書いてあった。

台本の中には”Kがジャスミンと●●前で週刊誌に撮影される”とも書いてあった。


(これは台本だ…完全に台本だ…!)


・・・『マリア、ロードワーク中、素人と絡む。※好感度UPしそうなら撮影する。 〜地味なので、代役いれば投入予定〜』・・・。


・・・・・・あれ?・・・地味って・・・私の・・・事・・・かなァ?

投入予定って・・・ゲーセンの商品入荷じゃないんだから・・・!


いや、そんな事よりも!これまでの出来事って・・・やっぱり・・・!!


「邦彦…今までの記事や報道は…全部、貴方が”故意に仕組んでた”っていう事…?」


「仕組んでいたんじゃない。これは演出さ。世間からの注目はバッチリだ。

婚約中の僕等の関係を活用して、多少ドロドロっとした展開にした方が、主婦層も食いつきそうだろ?

どうせ事実じゃないんだから、君は胸を張っていれば良いんだ!」


(・・・いや、それでも限度というものがあるだろうに…。)と私は思った。


「そういう問題じゃないわ…私が、今までどれだけ振り回されたか…!」


マリアさんは険しい顔でそう言ったが、邦彦さんは全く落ち着いた表情を崩さない。


「初戦なのに少々加熱し過ぎたのは謝るよ。でもね、マリア。有名人にはツキモノなんだ!

小さい事に心を痛めてしまうのは、君がまだまだ弱いからなんだ!

むしろ、今この程度の事を乗り越えられないなら、この世界やっていけないだろ?」


「…そう…そうね…弱かったのは認める。一つ言わせてくれる?私だけならまだいいわ…!でも、彼女は…!」


岬さんはそう言いかけて、私を見た。

しかし、邦彦さんは、楽しそうに話を続ける。もはや、謝る気なんか最初からなかったかのようにも見える。

彼は、自分の仕掛けた通りに世間が反応し、熱狂している事に酔いしれているようだった。


「ああ〜そうそう!そうだ!ネットの方は見たかい?今、ゴッドマザーも人気なんだよ!

面白いだろ!?オバサンに袋被せただけなのに!

ゴッドマザー → マザー → お袋さん → 袋を被ったお母さん…ってね!下手な洒落だけど、知名度は抜群だよッ!

ジャスミンの付き添いだったのを僕がリメイクしたんだ!見ただろ?あのインパクト!」



私の事を巻き込んだのは、迷惑には違いなかったが、この際、大した事ではない。

問題なのは…





 ・・・てめえのせいか・・・!あの母の改悪・ビフォーアフターは・・・!!





母を巻き込み、あんな恥ずかしい事になった原因を作った奴は、今、目の前にいる…!


私は、たまらず口を挟んだ。


「ねえ、ビチグソさん?それを一般的に仕組むって言うんじゃないでしょうかね・・・?(怒)」

「びち!?く、邦彦だよッ!一文字も合ってないだろッ!?」


しかし、邦彦さんは私を見て”ああ、君か”と笑った。


「なんだ、君か…君にはすっかり世話になったね…マリアの調整ありがとう。」

「それだけ・・・ですか?」


私は、今回の仕掛け人を睨みつけた。


「…普通のOLなら君に頼んだりしなかったよ。マリアは君を気に入っていたしね。

ああ、そうか…君も後ろめたい事があったんだっけ?」


そう言って、邦彦さんはニヤッと笑った。



――― コイツ…ゴッドマザー水島が私の母である事、その他もろもろを知っているのか…!?



「君の評判は聞いているよ。女性関係が派手なんだってね?マリアにも隙あらば、手を出そうと思ったんだろ?」

「・・・は?」


え?後ろめたい事って…そっち?


「女性の趣味は良いとして…僕とマリアが婚約しているのは本当だし。悪いけど、そういうスキャンダルは盛り上がらないから、要らないんだよ。」


いや、そっちなら別にいいや…。と私は思い、黙る事にした。


「やめて・・・」


「マリア、明日は何があっても勝ってくれ。僕が最高のサプライズを…」


「邦彦!もうやめてッ!!」


岬さんが悲鳴に似たような声で、邦彦さんの話を切った。


「帰ってッ!シナリオなんか要らないッ!!」


岬さんは邦彦さんに台本をたたきつけた。


「…マリア、君は快く思わないだろうが…すべてはVENUS WARを盛り上げる為、君の為に、必要な事だったんだ…!」


邦彦さんは、台本を拾う事無く、背中を向けた。


「マリア…僕は君の力になりたくて、メディアへのアプローチを学んだんだ。君の夢は・・・僕の夢だから・・・!」


そう言って、邦彦さんは帰っていった。


・・・前の会話が無かったら、いい台詞だったのになァ・・・と私は思った。


嵐は去った・・・のは良いが・・・。

私と操さんは、チラリと目を合わせた。多分同じ事を考え、悩んでいる。


只でさえ、最近のスキャンダルで豆腐メンタル化していた岬マリアのメンタルは・・・

今や、ゼラチン入れたての固まってもいないゼリーだ・・・ッ!

 ※注 要するに、ただの液体です。


岬さんは、泣きながらトイレに走って行ってしまった。


「…最悪だわ…試合どころじゃない…ッ!!」


バッファローマンが角を折られたように、操さんが膝から崩れ落ちた…。





――― こうして、岬マリア陣営は、明日の試合を最悪な状態で迎える事になった。








 ― 試合当日 ―




『日本の皆様、こんばんは!!

この放送は、VENUS WAR…日本での正真正銘・第一戦目である”岬マリア 対 ジャスミン=ホロウ”の試合の模様を生中継でお届けいたします!

実況は私、熊本 典久です。

解説は 元・全世界女子無差別級格闘技日本代表 大蛇森 満智子(おろちもり まちこ)さんです。よろしくお願いします。』


『宜しくお願いいたします。』




『さあ、早速ですが・・・座間味 路世(ざまみ みちよ)アナが選手の控え室をリポートしてくれる予定です。座間味さーん?』



『はい、座間味です。私は、今…ジャスミン選手の控え室の前にいます。 中からは…なにやら音楽が聞こえます…ロックでしょうか?…えーと…』


 
♪ ピギャー!関西だしの方が塩分あるぅ〜!薄味ってなんだっけえええええええ!? ♪


『……あ…はい、実況席!情報が入ってきました!どうやら…この地域で活動中の歌手さん…のようです。

ジャスミン選手は現在、精神統一中だそうで、関係者以外一切立ち入り禁止となっております。

このまま、岬選手の控え室に向かいます!』


『はい、ありがとうございます…えー…大蛇森さんは、試合前に何かされてましたか?』

『私も精神統一はします。落ち着く音楽を聴くのは誰でもやった事あるんじゃないでしょうか。私はDSの太鼓の達人やってました。』

『あァ、意外と地味な精神統一ですね…』


『実況席実況席ー!座間味です。今、岬選手の控え室の前にいます!』

『あ、はい!岬選手の状態はどうですか?』


『岬選手の控え室の前に、えー…女性ファン、でしょうか?一般の女性同士が取っ組み合いの喧嘩をしています…何があったんでしょうか…?

あッ!!一人が廊下の向こうに走って逃げて行きました!凄い早いですッ!・・・み、見失いましたァー!!!…はい!以上です!!』



『……えー…はい、座間味さんありがとうございました。…後で、始末書書いてくださいね。

 ここまでどうですか?解説の大蛇森さん。』


『はい、試合前のちょっとした百合トラブルは、よくある事ですね。

 私もアメリカで、ジェシカとハンナの三人でプレイ中にアイダホポテトが抜けなくなって…あ、コーンだったかしら?』


『知らんわ!!いよいよ開戦ですッ!・・・誰だ!この女呼んだ奴ッ!!!』






実況デスクで全く無駄なやり取りが行われている頃。



「ふう・・・」


私は、女子トイレからコッソリと出てきた。


(まさか、こんな時まで女難が来るとは…油断していたわ。ちゃんと紐は切ったし…これでOK。因果なものだわ…。)


女難をサックリと片付けた私は、廊下を歩いていた。


(やっぱり、今日の岬さんの表情は暗いまま。目も虚ろだったなァ・・・。)


操さん曰く、どうやら岬さんは邦彦さんが置いていった台本を全て読んだらしい。

私も少しだけ読ませてもらったが、昼ドラのような展開で、途中で嫌になってそっと閉じた。

なんなんだ、あの昼ドラシナリオは・・・!最後には、リングの上で今日の般若のお面でも紹介すればいい訳?ふざけんなよ。



岬さんがあんな状態で、ちゃんとした試合が出来る訳が無い!!!



折角、調整したのに、肝心のメンタルはフルボッコでズタボロだ。



(やっぱり、このままにしておけない!)



私は、妹(非公認)側の控え室に向かっていた。

説得とまでいかないが、余計な演出をこれ以上しないように促し、母をリングには近づけさせない為だ。

その途中。


「試合を中止しろ?ちょっと、何言ってるんです?ジャスミンをサポートしたいって言うから、こっちは出したんですよ?貴女にそんな権限はない。」

「いくら私がジャスミンのサポートをしても、この試合の結末は…最初から決まっているんでしょ?(ガサガサ)」


「・・・当たり前じゃないですか。日本というホームで日本人が勝たなきゃ、意味が無いんですよ!」



邦彦さんと…母(袋付き)の声だ…!



「ジャスミンは…確かに外国人よ…!でもそれがどうしたのよ!!(ガサガサ)」


どうしたのは、お母さんの方!袋とってッ!!


「ジャスミンは、ずっと一人で生きてきたの!(ガサガサ)生きる為に、やりたくないのに自分の気持ちをごまかして、力を犯罪にしか使えなかった。(ガサガサ)

でも、彼女は生まれ変わる決意をして(ガサガサ)、持っている才能を生かせるVENUS WARを知った!(ガサガサ)

そして、自分と対等に戦える相手(女)を渇望してきたの…そして、日本にやって来た!(ガサガサ)

私と拳を交えて、語り合って…やっとあの子は自分の中の闇を追い払えたのよ!どうして、こんな事をするのよ!!」


(あの外国人、そういう設定だったのか…ていうか、ツッコミたい事が沢山ありすぎて、面倒臭い!!)

 ※注 設定言うな。


「やっと…ジャスミンは、ちゃんと戦えるのよッ!(ガサガサ)せめて、変な演出は無しで自由に戦わせて頂戴ッ!(ガサガサ)

ジャスミンはちゃんと戦えたら(ガサガサ)それで満足なの!こんな台本なんか必要ないッ!(ガサガサ)

あの子にこれ以上、偽の自分を演じさせないでッ!(ガサガサ)ここが、ジャスミンと私の夢の目的地なの!

だからッ!(ガサガサ)本当のあの子のままで、岬さんと本気でぶつからないと意味が無いのよッ!!(ガサガサ)」



(・・・母さんが、そんな事を考えていたなんて・・・全然知らなかった・・・。)


途中からだし詳しくは、ちゃんと一から話を聞かなくちゃわからないけれど…

母は、一回り以上も違う女の子と一緒に夢を追っかけていた…そりゃ、娘にも言えないか…。


きっと、ジャスミンと母は…似ていたのかもしれない。

私と岬マリアのように、何となく応援してしまいたくなるような…もう一人の自分を見ているようで。


母さんの気持ちも、今の私ならほんの少しだけど、解るよ…。


(もっと早く、ちゃんと話しておけば良かったね、母さん・・・あと、被ってる袋、いい加減取れよ・・・すごくうるさいから・・・。)




「ふうん…マリアとおんなじ事言うんだね…まあ、そんなに言うならガチバトルでもすればいいさ。ただし技を3つ以上は出してくれ。盛り上がりに欠けるから。」


興味なさ気にクズ彦が答えた。

昨日、操さんにボコボコにしてもらえば良かった…。


「試合の勝者にプロポーズっていう項目も無くして頂戴!ジャスミンは、まだ嫁ぐつもりは無いから!」



・・・・・・何!?そんなイベントも組んでたのか!?



「あーそいつはダメだ。次の試合に繋がらないだろ?形だけでもやるよ。」

「…次は、何をする気?(ガサガサ)リングの上で挙式?(ガサガサ)ハネムーン!?(ガサガサ)いい加減にして!!」


頑張れ、母さん言ってる事は割と正論だ!でも、いい加減にするのは、被ってる袋の方だッ!



「ふふふ…僕としては、マリアに愛着があるから、勝ってもらいたいんだけどね。ただ、アイツ…メンタルが弱いからなァ…何連勝出来るか…。」


「マリアさんに、この話をしたの?(ガサガサ)あんなに止めたのにッ!!」



話をした、と言うより・・・多分、岬さんは台本を読んだから・・・知ってしまったんだ・・・。


今時、リングの上でプロポーズされる事じゃない。


邦彦さんと自分が、完全に演出の延長線上でしか、繋がっていないって事に・・・!

プロポーズも自分だけのサプライズじゃなく…ただの見世物にされるって事に、彼女は深く傷ついたんだ…!!


大体、打ち合わせの段階でプロポーズあるって言ったら、サプライズではないじゃないか!!


「…打ち合わせしないと、もしもマリアが負けたらマズイだろ?プロポーズされるってわかったら、やる気が出ると思ったんだよ。

これで、メンタルが崩れるようなら、選手としては使い物にならないよ。」




クソ彦は・・・岬さんが一番、認めて欲しい、支えて、愛して欲しい・・・”ダメな岬マリア”をまるで無視している・・・!




「貴方(ガサガサ)・・・一生懸命、夢を追いかけている(ガサガサ)選手を何だと思ってんの!!!(ガサガサ)」



いい加減、いい台詞の時くらい、袋とってくれよッ!!(泣




「あーあー素人はわかってないな!試合はなァ、エンターテイメントなんだよ!!観客がいる以上、楽しませる演出を仕込むのは当然だ!

選手は”社員”なんだ!観客を楽しませる努力をするのは当然だろッ!プライベートも何も観客に見せるんだ!!

甘っちょろい事ばっかり言ってる暇があったら、少しでも興行収入を増やすアイデアを出してみろッ!これは、ビジネスなんだよッ!!」




「この試合は、貴方一人の為のエンターテイメントじゃないッ!(ガサガサ)あの子の…あの子達の夢を壊さないでッ!!(ガサガサ)」



「ふっ・・・言ってろよ、袋オバサン。壊れるのはねぇ、アンタらの夢が”弱い”からだ。」








 母の悲痛な訴えをビチグソが鼻で笑った瞬間・・・私の中の何かがブチ切れた。








「袋被ったオバサンなんかの言う事を誰が信じる?

アンタの子供が見ているかもしれないTVカメラの前で袋を取って、『本当です!信じて下さい』って土下座出来る?

・・・早くジャスミンを連れて来い。ショーが始まるぞ。」






私は、岬さんの控え室に戻ってきた。

控え室の前でやたら周囲をキョロキョロ見回しているゴーレム…いや、操さんの姿が見える。



「あ!水島ちゃん!どこに行ってたのだ!?マリアが…ッ!」



控え室の隅には、まだ衣装にも着替えていないジャージ姿の岬さんが小さくなって座っていた。



「岬さん…」


どう見ても岬さんからは戦う気など見られず、目は虚ろで集中力なんかまるでなかった。

瞳の奥に常にあった、私には無かった明るい光も、今は・・・。


「試合したくないんですか?」


私の問いに岬さんは小さな声で答えた。


「どうせ…どうせ勝っても負けても、次のシナリオがあるわ…試合をしてもしなくても、関係ないのよ…」



 『あーあー素人はわかってないな!試合はなァ、エンターテイメントなんだよ!!』


邦彦さんが、元々クズ彦だったのかどうか、それはよく解らない。

岬さんの為に、あえてああやって興行収入の事を考え、露骨に言うのかも…よく解らない。



「岬さん、お客さんは…シナリオを見に来ているんじゃありませんよ。」


「…でも!お客さんは、皆…ッ!私を人を殴るしかとりえが無くて!試合直前、対戦相手に婚約者を取られて…夜な夜な女の胸で慰めてもらってる哀れな女だって…思ってるわッ!」


「それは、そういうシナリオで事実なんかじゃ………ぁ…!」


私は即座に、頭の中でこれまでの出来事を思い浮かべた。

これでは、邦彦さんと同じではないか。

事実ではない些細な事だと、片付けてしまうなんて…!


「次はどうなるの!?試合と関係の無いスキャンダルの結末を見ようとお客さんは期待して来る!試合の内容よりも…そっちを見たがっているッ!

私は…”美人ファイター”なんかじゃないッ!”寝取られファイター”でもないッ!そもそも…”ヤラセ試合”なんて、あってはならない…ッ!!」


「ヤラセ・・・?」

私は床にくしゃくしゃになって落ちているスポーツ新聞を広げた。


見出しには 〜VENUS WARここまでやるか!次々起こるスキャンダルは全てヤラセ!!〜 と書かれていた。

間違ってはいない。確かに、全ては演出という名の下に作られたドラマなのだから。



しかし、記事の中には


”都合よくスキャンダルが次々と上がるVENUS WAR。関係者は全ては演出という名のヤラセだと語った。

そもそも、VENUS WARの認知度の低さがチケットの売り上げにも響いている為、上層部が今回の騒動を作り出した、と推測出来る。

ここまで演出という名のヤラセばかりであれば、試合の中身や勝敗もヤラセと疑られても仕方がない。

事実、K氏が対戦相手サイドに何度も交渉する現場も目撃されている上、多額の金が動いている事は明確である。

これでは、日本人が好む、正々堂々としたスタイルの試合が見られる事は無く、邪道なドラマでコテコテに張りぼてされた、単なるキャットファイトになるだろう。

格闘技ファンの男性の中には、負けた選手がフルヌードって試合が開催されたら見に行くよと語っている人もおり…”


その他、ヤラセを強調するような文章が続き、最後にこう記されていた。


”二つ、スキャンダルの中心人物である岬マリアに質問したい。

こんな事をしてまで、岬マリアは殴りあいをして、勝つドラマを演じたいのか?

こんな事をするなら、女優になった方が良いのではないのか?と問いたい。”


(・・・なんだ、これ・・・!)


一言も岬マリアが口にしていない事、望んでもいない事ばかりが記事に載せられ、何も知らない人間がこれを読んだら、まず良い印象は抱かないだろう。



「私…もう、人の前に立ちたくない…ッ!」



確かに…全ては事実じゃない。みんな、本心じゃない。

演技だ、演出だ。だから、堂々としていればいい。


これは、全部”嘘”なんだ。


こんな記事を信じるような人間は、岬マリアの事を何も知らない。だから好き勝手言うのだ。

そんな事に心を痛め、気にする必要は全く無い。


でも…!


その嘘で、傷ついた痛みは”本物”だという事を私は知っている。



「…岬さん、今回の騒動で貴女と同じ立場に立っている人がいます。

その子は…貴女と同じで、あのリングの上で本気で戦いたいだけ、です。」


「水島さんも、対戦相手の子と話をしたの?負けてくれって?」


「そんな事、言う訳が無いじゃないですか…私が言いたいのは…」


誤解を解こうと私は口を開くが、岬さんはすぐに大声を出した。


「こんな事くらいで部屋の隅っこで震えてるなんて、弱い奴のする事だって思ってるんでしょ?わかってるんだから!

私は…強くなんか、ない!!それが、本当の私よ!ダメな私よ!もう放っておいてッ!!」




『観客がいる以上、楽しませる演出を仕込むのは当然だ!選手は”社員”なんだ!

 観客を楽しませる努力をするのは当然だろッ!プライベートも何も観客に見せるんだ!!』



その結果が、コレだよ…。


ああ、岬さん…そうしていると、まるで…私のようだ。

でも岬さんは、私じゃない。


私はしゃがみこんで、岬さんの傍で思った事を口に出した。


「確かに一人じゃ弱いですよ。大人数から心無い言葉を投げつけられたら、私だって部屋の隅で震えますよ。

やってもいない事に尾ひれ背びれ付けられて、外も歩けないって泣きますよ。


でも・・・でもね・・・それでも!貴女は立ち上がって戦える人です!

勝ち負けなんか素人の私にはどうだっていいッ!貴女の噂も弱さも私は、そんな事を問題になんかしてない!どうだっていいッ!



それでも、自分の決めた事から、出来るのに放棄して逃げ出す事は、しちゃいけないッ!!


立ち上がって、戦って、変な噂も何もかもぶっ飛ばすんでしょ!?」


「・・・放っておいて・・・。」


涙声の返答が聞こえ、これ以上何も言う事は無いな、と思い私は立ち上がった。



「あーあのッ!準備お願いします!時間、押してますッ!」

控え室のドアがガンガン叩かれ、外から選手を急かす言葉が聞こえた。


「…水島ちゃん…」


操さんが首を横に振った。もうダメだ、というサインだ。


私は、目に力を入れる。

岬さんの小指の紐はいつの間にか、真っ黒に染まっていた。多分、この紐は…邦彦さんとの繋がり。

人様の関係に口、もとい手を加えるのは、私の中ではご法度だけど…。



(もう、見ていられない。)



私の目の前で、散歩出かける前の犬みたいにはしゃいで、キラキラ輝いていた人とは思えない、この暗闇を背負った人を見続けるのは辛い。



「……わかりました…。」

そう言って、私は右手を振りながら、立ち上がった。


「ありがとう…水島ちゃん…こんな結果になって本当に…」


操さんが私の肩にぽんと手を置いて、ねぎらいの言葉をかけようとするので、私は即座に振り向いて言った。



「ええ、ここまで好き勝手に振り回されて…一応、こちらも広報の仕事で来ているんですよね…」


私の言葉に、操さんが更に申し訳ないと声を出す。


「城沢グループには、日を改めて謝罪を…」


謝罪をするべきなのは、この人ではない。



「だから、この試合…クソシナリオごと、ブチ壊ししましょう。」


「・・・は?」



幸い、地味で人より輝けない分・・・私には”負のエネルギー”が有り余っている。

地味な女が、なりふり構わず派手に活動した時の恐ろしさ…味わうといい…!

※注 ”地味”だとシナリオに書かれた事をまだ根に持っている。








「選手…入〜〜〜場〜〜〜〜!!!」






遠くの方で、リングアナが選手を呼び込む声が聞こえる。



『リングの上では、既にジャスミン選手が岬選手の登場を今か今かと待っています。待ちすぎて、だらけています。

まるで、田舎のコンビニにたむろするエセヤンキーのようです!実況は引き続き、私、熊本 典久です。

そして、解説は 元・全世界女子無差別級格闘技日本代表 大蛇森 満智子(おろちもり まちこ)さんです。

大蛇森さん…どうやら、岬選手の登場が遅れている、との事ですが…これは棄権の可能性もあるんでしょうか?』


『この試合が行われるまでに、色々余計な事がありましたからね…これも演出の一環なのでは?』

『ああ、つい最近までスキャンダル報道が絶えませんでしたからね〜』


『我々は拳一つでやっていくぞ、という覚悟があります。スキャンダルで観客を集めたはいいとして、何を見せてくれるのか、と私は期待半分、不安半分という所ですね。』

『大蛇森さんも、厳しいコメントですね?』


『新聞雑誌ネットがどう言おうが、私は彼女の拳を見て判断します。まあね、当人のプレッシャーも半端じゃないと思いますよ。』

『とにもかくにも、会場はお客さんで満員御礼です!あとは・・・岬マリアの登場を・・・おっと!電気が消えた!岬マリアの登場か…!?』


『…なんですか?あれは?』


『ん?アレは…青い袋、のようですね…?後ろからはトレーナーらしきベヒーモスが歩いています。』

『…あれ?アニメイトの袋じゃないですか?』


『あー、いや大蛇森さん、あの青さは…そうだ!城沢アミューズメントの袋ですよッ!ぬいぐるみとか景品入れる袋ですッ!』

『岬マリアのスポンサーですか?袋被ってくるって、あっちのゴッドマザーへのあてつけですかね?』


『しかし、スポンサーの袋を被ってくるだけ良心的とも言えます!

ゴッドマザーは黄色い袋の企業から抗議を受けて、今は白い袋になってしまいましたからね!』

『あれ?清掃員の服ですね?アレ、岬マリアじゃないですね・・・違いますね、アレ。』



『え!?じゃあ・・・あれは・・・あの清掃員は誰なんですか―ッ!?』




ざわつく会場。

殆どが嘲笑を含むものだった。

そりゃそうだ。


青い袋を被った、清掃員の服を着た女がバケツ持って、リングに上がったのだから。


リングに上がった”城沢アミューズメントの清掃員の女”はレフェリーからマイクを受け取った。


「…あー…あの…(ガサガサ)う゛う゛ん゛!!(ガサガサ)」



ああ、緊張する…。

こんなリングの上に上がって戦うなんて、考えただけで心臓がきゅっと締まりそうだ。


『あぁ、何か喋ろうとしてますね…。佇まいが地味で華が無いですねぇ…』


いざとなったら、操さんが蹴散らしてくれる。

私は、私のやる事をするだけ!



「あー…(ガサガサ)この試合は…(ガサガサ)ヴぅん!!

この試合は、やる価値が無い!(ガサガサ)皆さんもお金払って来てるんでしょうけどね!(ガサガサ)見る価値なんか無いですよッ!(出来る限りの大声)」


『おーっと!自己紹介もなくいきなり出てきて、試合を全否定だ!!』

『あ、コレは演出じゃないですね、ジャスミン側の動揺してますし、警備員がすごい出てきてます!』


・・・警備員は、操さんがなんとかしてくれるって私は信じている。(棒読み)


「何ですか?私、試合したい!邪魔しないでッ!」


ジャスミンは、待ちくたびれた偽ヤンキーのような顔で、ズンズンとこちらに向かってきた。


『ジャスミン選手が怒って向かっていく―ッ!』



しかし、ジャスミンの動きを白い買い物袋が止めた。



「青い袋のお姉さん…(ガサガサ)価値がないって理由、聞かせてもらおうじゃないのさ!(ガサガサ)

話によっては(ガサガサ)うちのジャスミンを侮辱したって事で(ガサガサ)速攻リング下に沈めるよ!?」


『ゴッドマザーが出てきました!なんと、まさかの袋対決か!?』



「マイナーな大会を盛り上げようと(ガサガサ)そちらも相当頑張ったそうじゃないですか…(ガサガサ)頑張る方向が少し違ったみたいですけど?」

「一体、何の話をしてるんだい?(ガサガサ)さっさと言いなッ!」



私は、手にしていたバケツの中からシナリオ本を取り出した。

その本の表紙を見ただけで、母は全てを悟ったようだった。


私はマイクをリングにブン投げて、母に詰め寄った。


「選手の傍にいて…選手の事を誰よりも想ってるはずの母さんが(ガサガサ)こんな事をして…その子が良い試合できると思ってんの!?

他人と一緒に夢見るのは勝手よ(ガサガサ)だけどねッ!(ガサガサ)大事なのは、夢を叶える事だけじゃないでしょ!?(ガサガサ)

その子と一緒に叶えるって事でしょ?(ガサガサ)そもそも、どうしてその子の気持ちを聞いてやらないのッ!?(ガサガサ)」


「あ、アンタ・・・!(ガサガサ)」


「母さん…(ガサガサ)この試合、ちゃんとやらせてやろう!!」



「おゥらぁ!逃げるなぁ!邦彦ぉ!!」

『おっと!リングの脇では、ベヒーモスが、岬選手の婚約者の邦彦氏を捕獲ゥー!邦彦氏リングに強制的に乗せられましたー!!』


リングの上に転がされた邦彦は私達の方にツカツカと寄って、小声で言った。


「お前ら、ど、どういうつもりだ!?マリアは出てこないし!こんなの…認められんぞ!シナリオに無い事は…!」


『あ、シナリオって言いましたね…』

『お、大蛇森さん!?リング上の言葉聞こえるんですか!?』


『いえ、唇の動きを読みました。どうやら、今までの事には脚本があったようですね。』

『ジャスミン選手、辛そうに唇を噛んで天を仰ぎました…!これは試合開始前にとんでもない暴露が始まりました!!』


「ホレ。」


母が私にマイクを渡したので、私は大声で言った。


「クソ彦さぁ〜ん?(ガサガサ)シナリオに書いてた”勝った方にプロポーズ”なんて浮かれイベントなんかさせねえぞ〜?(ガサガサ)

結局どっちでも良いって事だもんねぇ?(ガサガサ)」



『おおっと!!青い袋が台本の続きをバラしたーッ!!』

『ひゃあぁあああ二股じゃないですかあああ!非リア充の皆さああああん?こんなの、演出でも許していいんですかぁ!?』


「「「「「ダメだー!爆発しろー!」」」」」

「「「「「死ねええぇ!!」」」」」

「「「「そもそも百合SSだぞー!!」」」」」


『そうだああああああ!女の世界に男がしゃしゃるなああああああ!!!』


『お、大蛇森さん!観客煽るのやめてー!!』




途端に会場はブーイングで一つになった。



( 計 画 通 り・・・! )



負のエネルギーの流れ方を知っている私は…どうすれば、人が怒るのかを知っている。



「お、お前ら…!」


リングの上で、邦彦さんは全方向から飛んでくる野次に怯え始めた。


「それから・・・こんなもん・・・こうじゃああああああああああああ!!」

『あー!!ゴッドマザーがシナリオを破りましたああああ!』



「「「「「わあああああああああああああ!!!」」」」



「選手の拳以外(ガサガサ)この試合にまったく必要は(ガサガサ)無いッ!!」



『青い袋が、いい事言いました。』



「「「「「わあああああああああああああ!!!」」」」



「お前等・・・大会を無茶苦茶にしやがって!・・・マリアもこれじゃ・・・!!」



私は、袋の中で笑った。


「試合は、エンターテイメント。観客がいる以上、楽しませる演出を仕込むのは当然。

選手は”社員”。観客を楽しませる努力をするのは当然。プライベートも何も観客に見せる。

甘っちょろい事ばっかり言ってる暇があったら、少しでも興行収入を増やすアイデアを出せ・・・


だから、出しましたよ?この通り・・・大盛況です。」



すると、長く喋りすぎたのか、邦彦さんが青い袋の女が私だという事に気付いた。


「お前…ッ!あの、地味な女だな…!?マリアが困る事を…どうして!!」


私は邦彦さんの右手で両頬を掴み、ぐっと引き上げた。


「そっちこそ(ガサガサ)他人の母親に(ガサガサ)よくも下手な駄洒落で袋かぶせて(ガサガサ)世の中に出してくれたわね…!

ネットで母親のコラ画像で遊ばれている娘の気分を味あわせてやろうか…!?」



「お前…あの…!?は…ははは…コイツはいいや!ゴッドマザーの娘がリングの傍にいるとはッ!

 皆さん!聞いて下さいッ!これは、ゴッドマザーの娘です!」



『いや、袋被ってますし、マイクから音声届いてますから、そういう設定だろうな、とは予想してましたが…今更だあああああ!!』


『ゴッドマザーの娘ですから…ゴッドドーターですかね。』

『大蛇森さんナイス命名です!さあ!ゴッド親子によりVENUS WARの試合時間が押しております!どうする!どうなる!?』




「「「「「「「わああああああああああ!!!」」」」」」」」」



一段と大きな歓声が上がる。


マリアさんが入場ゲートから、こっちに向かってやってくる。



『み・・・岬マリアだあああああああああああ!!このタイミングで岬マリア登場だああああああああああ!!!』



スタッフの動揺と遅れまくるスポットライトで、疑っていた観客も徐々に”これはシナリオにない事だ”と実感してきたようだ。


岬マリアの姿を見たジャスミンは、ぱあっと瞳を輝かせ、ロープから手を伸ばした。


「…私、貴女と戦う為にココまで来たの!」とジャスミン。

「私も、貴女と戦いたいから、来ちゃった!」と岬さんが真っ赤な目で笑った。


それは、連日婚約者を取り合っている、と記事に書かれているような関係には見えない程だった。


「・・・・。」


リングの上の私と母に向かって、岬さんは深くお辞儀をした。

そして、笑いながら私をぎゅっと抱きしめた。


「来ましたね。(ガサガサ)」


内心、私はホッとしている。


「ええ…。水…いえ、ゴッドドーター…貴女に宣言する。」


「え?(ガサガサ)」


「私は確かに一人じゃ弱いわ。大人数から心無い言葉を投げつけられたら、あっさり膝をつく。

やってもいない事に尾ひれ背びれ付けられて、外も歩けないって凹んで泣いた事だって何度もある。

それでも・・・岬マリアでいる事で、何度も沢山傷つけられても…私は…”岬マリア”をやめない!」


吹っ切れたような笑顔で、マリアさんはそう言った。


「(ガサガサ)…!」


「私は、ダメな私を…見捨てない。

応援してくれる人がいる限り…貴女が一緒にいてくれる限り…何度だって立ち上がって、勝ってみせる!

VENUS WARも貴女も・・・大好きだから・・・!!」


真っ赤になっている目に淀みは一切無かった。

警備員さんを振り払っていた関羽…じゃなかった、操さんは目薬をマリアさんに差し出した。

なんと用意周到なのだろうか…!


とにかく。


戻ってきた・・・!岬マリアが、戻ってきた・・・!!



「良い試合をしましょう!ドロドロとか一切無し!」とジャスミンも爽やかな笑顔で言った。

「ええ!」


マリアさんがそう言って、ジャスミンと握手を交わした。


「「・・・(ガサガサ)」」


リングの上では選手達が和解しあい、袋二人がそれを見守る、というなんとも珍妙な光景が広がっていた。


『しっかりと握手です!会場からは惜しみない拍手が送られてます!しかし、袋かぶった二人組が感動に水を差します!』

『百合からの試合・・・関係悪化から戦うよりも、仲直りしてからの戦いの方が萌えます!!』

『…大蛇森さんは、解説する気あるんですか?』



しかし、まとまりかけた空気を壊す人物がいた。



「そ、そうだ!良い事を考えたぞ!」


(もう喋らなきゃいいのに〜…)


「タッグマッチだ!タッグマッチをやろう!な?マリアとお前がタッグを組むんだ!

素人でも、その身のこなしなら、リングにすぐ上がれる!盛り上がるぞ!

マリアとお前で、邪悪なゴッドマザーを倒す図式だ!ジャスミンみたいな外人はヒールキャラにして、な!?

いける!盛り上がるぞーー!どうだああああああああああああ!?」






 しー・・・・・・ん・・・。







この人は喋れば喋るほど、自分の地位を落とす事がまだわかっていないらしい。

会場は、静まり返った。


ここは、代表して私が行くしかあるまい。

大体・・・母をゴッドマザーにされた恨みは、全然晴れていないのだから!



「(ガサガサ)・・・そんなもん・・・やる訳ねえだろ!!!」




私は、気が付くと邦彦に水平チョップを食らわしていた。



『あーっと!貧弱かつ地味なチョップ!!』

『貧弱地味・・・略して”ひじき”ですね。栄養はいっぱいなんですけどねぇー地味でいけませんわぁ。』


誰がひじきだ!

気が済まない私(ひじき)は続いて、ロープを使ってコーナーポストに登った。

胸を押さえてヨロヨロしている邦彦めがけて、私は思い切り飛んだ。


『おっと!ひじきが・・・飛んだー!!ひじきのキックが…婚約者のイケメンに命中!!これは大ダメージだあああああああ!!』

『ひじきがハジキ(※拳銃の事)になりましたね。』




「「「「「おおおおおおおおおおお!!」」」」」




『大蛇森さん、上手い!ひじきからのハジキです!観客、総立ちーッ!』


「「「やれー!!」」」」

「「「いけー!袋おおお!!」」」




『凄い前座試合です!何故でしょう?心なしかスッキリします!!』


覆面とは不思議だ。顔を隠すだけなのに、別人になれたような気がする。

※注 覆面ではなく、袋です。


「ああ…イケメンって本当に得ですね…(ガサガサ)どんな酷い事をしてもイケメンなら(ガサガサ)物語として完成し、許されてしまう。」

「ぐほっ!?や、やめて・・・マジ、ホント・・・ま、まりああああああああ!!」


『婚約者の必死のヘルプ!・・・しかし〜・・・岬マリアは全くリングの上を見ようとしません!!ジャスミン選手と腹筋の見せ合いっこをしています!』

『ポイント高いですね〜!腹筋はあの位のラインが丁度いい!』


「ま、まりああああああああ!!」


『呼び声も届かず―ッ!!』



「あぁ…ホラ、やっぱりイケメンだぁ〜!(ガサガサ)そういう叫び…少年ジャンプのキャラクターみたい!(ガサガサ)さっきより、イケメンだわぁ!」

「ぐぐ…ッ!お、お前…性格が変わってるぞ…!?」


「ほゥら!もっとイケメンになぁれッ!(ガサガサ)」

「ぐわあぁッ!?」


「「「「イッケメン!イッケメン!イッッッケメン!」」」」



『ひじきから放たれたイケメンコールに呼応するように場内からイケメンコールが・・・』


『いえ、これは意味合いが違いますね…!』


『え?あ!本当だ!これは…違う!?これは…イケメンではなく…”逝け!メン!”です!”逝けメンコール”です!!

 場内がイケメンに、逝ってしまえと言っているッ!!!』


会場の熱気が力に変わる気がした。

応援の力なんて、どうせ、と思っていたのに。

リングの上に立ち、たくさんの観客の声をこの身に受けて、私は一瞬だが、私の中には無い力を出せた気がした。


不特定多数の人の声を否定的な考えしか無かった私だったが、この時、この瞬間だけは・・・

この会場にいる邦彦さん以外の他人全てに向けて、技を出そうと思った。


マット上に邦彦を寝かせ、私は再びロープの上に登った。


『トップロープからハジキは何をする気だ・・・?あッ!ま、まさか…ッ!大技の予感ですッ!!』



「逝ィケェメぇぇぇンッ!!」



トップロープからジャンプし、マットに寝ている邦彦さんに自分の背中を叩きつける!!

勢いついた私の背中からの衝撃が、容赦なくイケメンの魂を揺らす。


『これは!”セントーン”!!プロレス技ですッ!!』

『青い袋が見せた悪夢ー!セントーン決めました―ッ!やはり、女性の敵は今も昔も色男だった―ッ!イケメンも人道外せば、只の豚だァッッ!』


”カンカンカンカン!!”



ゴングが鳴り響き、レフェリーが両手を振った。



「「「「「「わあああああああああああああああ!!!」」」」




大歓声の中、操さんが泣きながら私を起こしてくれた。


そして、リングの中央でゴッドマザーが、これまでの騒動への謝罪の言葉、VENUS WARへの理解を求める言葉をマイクで短く語った。

思い返せば…私の思い出の中で、母がちゃんと真剣に何かをしている所を見た事が無かった。


変な横槍(袋)が入ってしまったが…袋の穴越しに見る、真摯に説明をする母の姿は・・・




やっぱり変だよ!その袋!!(泣)




「まあ、そんな訳で…(ガサガサ)私達の役目は終わったわ!(ガサガサ)VENUS WARは…こんなモンじゃないわ!!」



「「「「「「わあああああああああああああああ!!!」」」」」



母は私の腕を掴み、上に挙げた。

歓声が一際大きくなり、私達、袋親子は深くお辞儀をした。


操さんが邦彦さんを担ぎ、母は先にリングを降りた。私もそれに続き降りた。


『ゴッドマザーとゴッドドーターが、イケメンを始末して退場していきます…!

まるで自分達の仕事は、これで終わったかと言うように…!!』


「待って!」

岬さんの声に私は振り向いた。

すると、岬さんが真上から降ってきた。ボディプレスにも似たソレを私は必死に受け止めようとした。


が、スローモーションで見えた。


岬さんの唇が”ありがとう”と形作り、それが…袋越しに私の唇に触れたのを。

袋に空けた空気穴から岬さんの匂いが流れ込んでくる…!


「今度は、袋・・・ナシね?」


確かに、その言葉は聞こえた。


(・・・ああ、岬さん・・・や〜〜〜っぱりですかーーーー!?)


私は、控え室で、黒くなった岬さんと邦彦さんの縁の紐を切った。

その・・・影響、というか・・・代償というか・・・!

新しく、私との縁が出来てしまった・・・みたいな?・・・ふざけんな・・・!





 岬マリアさん・・・水島女難チーム加入決定!!





しかも、縁が結ばれて間もない筈なのに・・・太いッ!?!?!?

き、切れないだろ!コレェ!!!

何コレ…犬の足くらいの太さあるんですけど―ッ!?



『おーっと!?ハプニングか!?』

『岬選手のスタミナは、十分ですね!動きも実にスムーズです!期待できそうです!』


私はサッと起き上がり、走って退場した。


『ゴッド親子、退場していきます…!ドーターの方はやや弱っていますが…神々しい後姿はさながら、嵐を収めた女神のようです…ッ!!』


『リングの上に残された女神達の顔も変わってきましたね…!』


『さあ!いよいよ、ゴングが鳴ります!!』





その後、私達親子二人は一緒にジャスミンの控え室に戻った。


控え室にて、やっと久々に親子で話せると思い、椅子に座った。




「・・・母さん。(ガサガサ)」

「母さん、まだまだだったわね。(ガサガサ)リングの上で、まさか自分の娘に(ガサガサ)気付かされるだなんて…

岬マリア側にいるってわかった時から(ガサガサ)シナリオに巻き込まないようにしようと(ガサガサ)したんだけどさ…」


そう言いながら、袋を被ったまま母さんはジャスミンが脱ぎ散らかしたジャージを畳んだ。

なるほど、岬マリアに関わるなって言ったのは、そのためか。


「私は、ただ…母さんが家を出て(ガサガサ)各方面に迷惑かけてまでやろうとした事を(ガサガサ)ちゃんと完遂して欲しかっただけよ(ガサガサ)」

「・・・アンタ、なんか変わったね?(ガサガサ)」


「ん?(ガサガサ)何よ?」

「会社でもそんな調子だろうから、ガサガサ)イジメられて、余計自分の殻に閉じこもってるんじゃないかな(ガサガサ)とかねぇ。お母さん心配してたのよ?」


「・・・・(ガサガサ)」

当たっているだけに、何も言えない私。




「だから、あんな風に人様の為にマイク持って喋って(ガサガサ)セントーンまでかまして…(ガサガサ)ひょっとしていい友達でも出来たのかしらって…。」


マイク持って喋るのはわかるけど、セントーンで良い友達なんか出来るか!


「アンタって結構(ガサガサ)無愛想で意固地な所があるからね(ガサガサ)とっつきにくいって思われちゃうんじゃないかなって…。

だから、まともな友達の一人でも(ガサガサ)出来たらいいなってお母さん思ってたんだけどさ(ガサガサ)」


言われっぱなしは嫌だったので、私も応戦する。


「…そうね、袋被ってTV出ちゃう母親持ってるから(ガサガサ)マトモな友達出来ないんじゃないかな。」

「ホ〜ラ、そうやってすぐ…(ガサガサ)でも、まあ…いいわ。(ガサガサ)それも含めて、あんたはあんたなんだから(ガサガサ)」


散らかった部屋は、みるみる片付いていく。

私は、思いきって聞いてみた。



「…これから…どうするの?」


母は、実家に帰ってくれるだろうか…。


「うん、お母さん帰る。(ガサガサ)”本当の自分”なんか、ドコにもいなかったし!(ガサガサ)」


「は・・・?」


「お母さんね、アンタが小さい頃から(ガサガサ)今の自分とは違う(ガサガサ)本当の自分を探してた。」


やっぱり、母はあの頃から家出のような旅で探していたんだ。


「何か(ガサガサ)心を揺すぶるようなモノを見たら(ガサガサ)きっと何か変わるんじゃないかって探した。

あの時の自分やアンタや父さんに不満があった訳じゃないのよ?(ガサガサ)でも・・・他に何か、あるんじゃないかなって思って探したの。」


母のぼんやりとしたソレは、私が生まれてからずっと、母の中にあったもので。

そんなに何十年もあったなら…そりゃあ…いい加減ケリはつけたいだろうな、と思ってしまった。



「でもね…(ガサガサ)こんな母さんは偽物だって思ってたのも(ガサガサ)本当の母さんだって思ってたのも、全部…違った。

娘の言葉で(ガサガサ)気付いたの。気付いたら(ガサガサ)視野がぱあっと開けてね。

私は最初からココにいた!その証拠が、立派に育ったアンタよ!アーッ!スッキリ!!」


私は顔を伏せた。

母に褒められている、と思うと恥ずかしさで一杯になり、何も言えなくなった。


「母さん(ガサガサ)ここでジャスミンの試合見ていくけど(ガサガサ)どうする?」

「あ、いや…(ガサガサ)私は、着替えて帰る(ガサガサ)。」



岬さんが、女難になってしまった以上…私は帰宅せねばなるまいッ!!!



「・・・もしもし?火鳥さん、先程はありがとうございました。」


私は袋を取って、着替えを済ませると協力者・火鳥に電話をした。


『試合、なかなか良かったわよ。広報としては、予定外のハプニングは突っ込みたくなかったけれど…クズ彦潰しは見物だったわぁ!』


電話の向こうの火鳥は、嬉々とした感じで感想を述べてくれた。

シナリオがあるという事実を掴んだ時点で、私はすぐにあちらの広報の火鳥に事情を話した。

そんなシナリオの存在を聞かされていなかった火鳥は、当然…激怒。

どうにか邦彦さんの面子を潰す機会を伺っていたらしい。


当初、私が袋を被ってゴッド一族になる予定は全く無かったのだが

岬さんのメンタルも崩されてしまい、試合自体中止になりそうだったので、急遽こうなってしまった。


「あの…この格闘技、次は大丈夫ですかね?」

『そもそも、こういうモノは物好きが盛り上げていくものよ、妙な先入観を与えない方法でね。

ま、今回みたいな手を使わずに、アタシ一人に任せてもらえば、もっと盛り上げてやるわよ。』


相変わらず、どこからくるんだ?その自信は…。


「・・・勝ったらフルヌードとかナシでお願いします。」

『フッ…当たり前でしょ?ああ、この後大丈夫よね?例の神社から資料が来たわよ。』


火鳥は、相変わらず私を暇人と決め付けている。しかし、朗報だ。


「本当ですか?縁の紐の使い方とか書いてました?」

『いや、届いたばかりで全然目を通せてないの…今、蒼と君江さんがうるさくって…』


どうやら電話の向こう側で「やれやれー」と言っているのは、蒼ちゃんと家政婦さんらしい。

火鳥にも家族らしい人がいるのだから、微笑ましい事だ。


「・・・良い家族サービスですね。(プッ)」


思わず、笑ってしまうほど。


『うるっさい!!・・・でも、紐の使い方なんて、切ったり結んだりってその位でしょ?他にある?』

「いや、岬マリアと繋がってしまってるみたいなんですよ…結んで間もない筈なのに、既に犬の足くらいあって…だから、何かないかな、と。」


『そうね…そんなに太くて丈夫そうな紐の使い道なんて、あとせいぜい・・・誰かの足を引っ掛けるくらいかしら?』

「そんな誰も見えてない紐に引っ掛かる人間なんかいないでしょうに・・・。」


全ての人間に紐が認識されて、触れられるなら、きっと今頃道路は大混乱である。



『何よ?…あーもう見てる見てる!凄い凄い!…あぁ、ゴメン。とにかく、詳しい話は後でゆっくり。』

「…解りました。後で。」


家族サービスも大変だなぁ(他人事)



私は、控え室から会場の入り口まで移動しようと歩いた。

試合中のせいか、関係者以外立ち入り禁止のせいか、廊下はやけに薄暗く、静かだった。


・・・やがて、おかしい、と気付く。


いつまで経っても、廊下の突き当りが見えてこないのだ。

いくら広い会場といえども、こんなに広いはずはないし…。


それに、歓声が…まったく聞こえなくなった。



おかしい…!ここから離れなくちゃ…!


私は、すぐに元来た道を戻り始めたが・・・遅かった・・・!!


ゾクリとする背中。何かいる気配。

振り向いてはいけない。


だが・・・前に進むよりも私は振り向く方を選んだ・・・!



そこには、誰もいなかった。

しかし、先程進んでいた廊下と違い、真っ暗な闇が広がっていて、今にも吸い込まれそうだった。


その闇の向こうから、ヒタヒタと裸足で歩くような音がする。


『み…ま…』


声が聞こえる。

逃げなければ、と思うが足が動かない。



この闇の中からやってくるのは、私よりずっとずっと力を持った・・・




『…水島ぁ…』


やはり、縁の祟り神だった。

私に呪いを掛けた張本人…!


いつもは話しかけてくるのに…今日のは…


『…いーつまで…そうやってェ…人間続けてるんだい…?』

「・・・っ!」


私は服の中に隠し持っているお守りを取り出す。

だが、ポケットから出した瞬間―――!


手の中で石が砕けるような音がして、握ると石の感触などまるで無かった。


『・・・その程度で・・・よくも!私に逆らったなあああああ!?』


見た目が人に見えるはずの祟り神の口がパックリと裂け、赤い口の中が見えた瞬間、私は悲鳴をあげた。


「わ、わあああああああああ!!!」


私は叫びながら走った。

どうして、突然襲ってきたんだ!?疑問を解消する術は無い!


今は逃げなければ、殺される!


視界に入ってきたドアを開けては閉め、走って奥に奥に逃げ込んだ。

この扉の先が行き止まりかもしれない、などと考えている余裕は無い。


逃げなければ、命を奪われる・・・!


しかし、走っても走っても…ちっとも進んでいる気がしない。

格闘技会場なのに、人の声が聞こえない。聞こえるのは、私の呼吸音だけ。


怖い。


怖い!


さっきまで、母と話していた時間が遠い昔のような気さえする…!!




『…ばたふらい 今日は今までの どんな時より 素晴らしい…』


(え・・・?)


か、カエラ!?カエラ歌いながら、迫ってくるッ!?なんでカエラ?今、カエラ必要!?

なんか、カエラの結婚式の定番曲引っさげて、迫ってくる・・・ッ!!!


※注 木●カエラファンの皆様、大変申し訳ありません。



『赤い糸でむすばれてく 光の輪のなかへ』


(…結ばれてねえよッ!!)


必死にドアを開けて逃げてはいるが、出口が分からない。

ドアと廊下の繰り返し。

もう、ここは…さっきまでの会場じゃないのだ!


今、目の前のドアを開けて走った先に、次のドアが無かったら逃げ場は無い。



祟り神をかわし、別のルート・・・今来た道を戻り、上へ上がる為の階段を見つけ、外に出るしかない。


このまま部屋に閉じこもってしまっては、きっとホラーの鉄則”後ろ振り向いたら何も無くて、安心して前を見たらドーン!!”で死ぬ!


どうしよう・・・!


お守りの石が無い上に、火鳥もいない!もう対抗手段が無い・・・ッ!

腕力なんか通用しない!力なんて、縁の力くらいだ・・・!




「いや、岬マリアと繋がってしまってるみたいなんですよ…結んで間もない筈なのに、既に犬の足くらいあって…だから、何かないかな、と。」


『そうね…そんなに太くて丈夫そうな紐の使い道なんて、あとせいぜい・・・誰かの足を引っ掛けるくらいかしら?』


「そんな誰も見えてない紐に引っ掛かる人間なんかいないでしょうに・・・。」




私の頭に瞬時にとある仮説が生まれる。


―― 人間は無理でも・・・祟り神なら?


もし紐に引っ掛ける事が出来たなら・・・紐で縛る事も出来るのでは?

どうする?逃げていても外に出る為には…後ろから来る奴をどうにかしなければならない…!


失敗したら、勿論死ぬ!逃げていても、化け物は確実に私を殺しに来るのだ。


―――― やるしかない!


今、私の指についている紐を使って・・・私は後ろを振り向いて、右手で左手の紐を取った。


ドアを開けて、次の廊下を進み、途中で止まり振りかえる。

ドアのノブがガチャリと回った所で、私はふと疑問を思い浮かべた。


(・・・待てよ?・・・この紐を使うってコトは・・・)


私と繋がっている人物にも何かしらの影響が出るのではないだろうか?


・・・もし、紐が切れたら?



 ”ギイイ…”


ドアがゆっくり開き、祟り神の手がドアをがっしりと掴み、押し開こうとする。


『ばァたふらァい 今日は今までの どんな君より 美しいィ…』



隙間から漏れ聞こえるそれは、もうバタフライって言うより、気色の悪い蛾の歌だ。

 ※注 木●カエラファンの皆様、重ね重ね大変申し訳ありません。



考えても、奴は殺しに来る。


大体、こんなに強固な縁の紐がそう易々と簡単に切れる訳が無い。

忍さんとの縁が切れても、火鳥は結んで繋げてくれたじゃないか…!



「・・・よし!!」



私は、適当な紐3本を手に取り、構えた。

縁の紐を掴むと、私の力を吸い込むように紐はぐんぐん赤くなり始め、うねうねと動き始めた。

カラカラの口の中の僅かな唾液と空気を飲み込むと、ドアは開き、縁の祟り神が紫色の目で私を見た。

ゾクリとしたが私は、祟り神が私の領域に踏み入れるまでグッと堪えた。


『白い羽ではばたいてく ”不幸”と共に』


「勝手な替え歌作ってんじゃないわよ…ッ!私は…何があっても諦めないわよッ!!」




『…あ…え…に……モン…だ…
……水島アアアアアァ!!!!』


ボソボソと呟いたかと思うと、祟り神はいきなり飛び掛ってきた。


「よし!いッけえええええッ!!」




私の意志で、赤い縁の紐は動いた。

赤い紐が祟り神の首、体、足に絡みついた。その瞬間、祟り神の飛び掛ってきた勢いで紐はピンと張った。


(…掛かった!!)



やった!紐で、祟り神の動きが止まった。




「ぅっしゃあああああああああああ!!!」



私は右腕で3本の紐ごと、祟り神を右側の壁に叩きつけた。



鈍い音と人の体に衝撃を加えた、嫌な感触が手に伝わった。祟り神は壁から床に落ちた。

床と骨がぶつかるような音。



「はあッはあッ…!」



すぐにそこから去るべきだったのだろうが、情けない事に上手く足が動かない。

床に横たわった祟り神は、信じられないという顔で私をジッと見ていた。



『…紐を、こんな風に利用した人間は、初めてだ…。』



やっと左足が動いた。ここから一歩でも遠くに行かなければ…次に見えるドアが小さく見える…。なんと遠いコトか…!

恐怖でガクガクと震えて、右足も上がってくれない…!



自分がしたコトは、人間のやるコトじゃない。

だが、目の前のコレは、化け物だ。



『ははは…』


小さい笑い声が床を這って、私に届く。


「はあッはあッ…!」


怖い。

早く、逃げなければ。






その焦りが頂点に達したのと同時に。





『あはははっはははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははは

はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

はははははははははははははははははははははぁははははははははははははははははははははははは


ははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははは

ははははははははははははははははあはははははははははははははははははははははははははははは

ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
は』




化け物は床に体をつけたまま、紫色の目で笑った。

振り乱れた髪の毛の間からは、真っ赤な口が見える。


「―――ッ!!」



このままコイツを見ていたら引き込まれて捕まる、と思った私は拳で太ももを思い切り殴り、右足を上げた。


後ろを振り向かずに走った。


『ははははははははははははははははははははははははははははははははははは』



恐怖のせいか、足に鉛がついているように重い。

次のドアまで、もう少しで手が届くッ!



手でドアノブを掴み、”がちゃり”と回した所で、声が聞こえた。



『・・・今日の所は見逃してやろう。』


祟り神の言葉が聞こえ、私は思わず止まりそうになった。


・・・が。


”耳元”で祟り神の声が。



『―――とでも言うと思ったかい?』



「うあああああああああああああ!!!!!」





悲鳴と共に私は、右手をブンブンと恐怖に任せて振った。

祟り神に巻きついたままの数本の紐を思い切り、引っ張っては離し、振り回した。


もう無茶苦茶だ…!

ダメだ、ここで殺される…!



『ぐッ・・・フフフ・・・お前は、本当に面白い人間だ・・・だが、少し・・・忘れっぽいようだね・・・?


 固い絆を武器にするのは結構だが・・・人と人との絆ってのは・・・』


(殺されてたまるか…こんな所で…ッ!)



恐怖の底にある、生きたいという意志だけで、私は右手に力を込めた。


「うるッッさああああああいッッッ!!」



私は紐にありったけの力を込め、祟り神の手足を紐でを持ち上げ、思い切り廊下の向こう側に飛ばした。



どちゃり、という嫌な音を聞いて…それから…必死に、必死に逃げた。


『逃げても追いかけるよ!今ので確信した!お前はこっち側だ!あはははははははははははは!!』


あの笑い声が、なかなか遠くならない。


それから、どのくらい走ったのかはわからない。

走った先に階段を見つけ、駆け上がり、そのまま外に出た。






(人だ・・・!)



人の姿を見て、私はそのまま芝生の上に倒れこんだ。




「いやー面白かったな試合!」「最初はイロモノだったけどなー!」

「全然血とか出なかったし、楽しかったね〜」「キックとか凄く綺麗だったよね!やっぱ脱毛してるのかしら?」




極度の恐怖と緊張状態から解放された事と縁の力の使いすぎが影響したのだと思う。

もう一歩も動けない。


私は、いつの間にか会場の外に出たようだった。

どこをどう走ってきたのかは、わからない…。


でも、良かった。あの嫌な笑い声は段々遠ざかっていき、会場の人達の声でかき消されていく。




ひとまず、誰かに声を掛けてもらうなり、救急車を呼んでもらうなり・・・。


「・・・・・・・。」


ひとまず、誰かに声を掛けてもらうなり、100歩譲って不審者が倒れてるって事で警察に保護してもらうなり・・・。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


ひとまず、誰か声を掛けてくれ…そして、救急車、警察…いや、とにかく人が倒れている、という事を受け止めて行動してもらえないだろうか・・・!


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


わかりました!もういいです!女難来いッ!いや、来て下さい!今なら、さらわれてやってもいいわよ!!さあ来いやッッ!!







「・・・・・・・・・・・・・。」






・・・しかし・・・都会というモノは本当に冷たい場所である。




(やだァ寝てるわ、あの人。)(女なのに、道で寝るとかあり得ないなァ)

(なんか薬とか脱法ナントカやってるんじゃねーの?)(チョーヤバいんですけどー!)

(写真とって、ツイッターに投稿してみよっかな〜へへへ。)




女が一人、道で倒れているのに誰も声を掛けないのだから。




冷たいよ・・・この街は・・・この国は冷たいよ・・・ッ!



「…大丈夫?」


薄目を開けると、呆れ顔の火鳥が見えた。


「水島?」


「あ…ぁああ…!」


私は、もはや言葉も出なかった。


「日本大会は大盛況。クライアントは大満足。んで、ミス・ひじきだかゴッドドーターだかを探せって言われたけど、どうする?」

「…うー…」


「…何?」

「…私、ひじきじゃない…(泣)」


「うん、知ってるー(棒読み)………あ、気絶した…君江さーん?このひじき運んでー。」



私は、火鳥に回収された。

その日の内に祟り神に襲われた事も話したのだが、火鳥は神社の資料を読みながら聞いていたので、あまりの適当で少ない相槌の連続で、私は眠ってしまった。



翌日、私は火鳥の家から会社に出勤した。

ニュースでは、丁度生活便利グッズコーナーで、女子アナがはしゃぐ時間だったようで、岬さんとジャスミンの試合は…まだ報道されていなかった。



今日から事務課に戻る日だ。

久々の事務課だったが、同僚の皆さんはチラリと見ただけで終了。


(まあ、興味はありませんよね〜。)



今日もいつも通りの事務仕事が待っている、という訳だ。

昨日の試合の疲れが残っているのか、それとも祟り神の一件のせいか、体が重だるい。


私がいない間に、涌谷先輩の機嫌が良くなっていたら良いけれど・・・なんて考えていた私が甘かった。


「水島さん、ちょっと。」


早速、というかなんというか、PCのキーボードを叩く前に涌谷先輩に呼ばれた。

渋々といった感じで私は先輩の後についていった。


(何を言われるんだろう、嫌だなァ…)


ふと、母の言葉を思い出す。


『会社でもそんな調子だろうから、ガサガサ)イジメられて、余計自分の殻に閉じこもってるんじゃないかな(ガサガサ)とかねぇ。』


会社では、ずっとこんな調子なんだし、勤め先で友達なんて出来る訳ないじゃないか。

働きに来てるんだし、働けたらそれで良いんだよ、私は。


『アンタって結構(ガサガサ)無愛想で意固地な所があるからね(ガサガサ)とっつきにくいって思われちゃうんじゃないかなって…。』


・・・しょうがないじゃない!それが、私なんだから・・・!

愛想良くしたって、キモイって言われるだけだもの。

笑っていれば好印象だって言われたって、昨日は試合で疲れてて、今笑えるような状況でもないし!



「ねえ…岬マリアとアンタってどんな関係?」

「は?」


何を聞いてるんだ?先輩、結構ミーハーなのかな?人数分、岬さんのサイン貰ってくれば良かったのかな?


「記事、出てたじゃん。」


怒ったように先輩が私に記事を突きつけた。


「ん?・・・えーと・・・岬マリアVSジャスミン・2時間の死闘!岬マリア勝利。」


(ああ、良かった…勝ったんだ、岬さん。)

写真には、嬉しそうに顔がボッコボコの二人が写っていた。


「私は、広報の仕事でトレーナーのアシスタントしただけです。」と私は正直に答えた。


だが、先輩の表情は信じられない、という顔のままだった。


「ここに書いてあるじゃない!岬マリアのコメント!”親身になって支えてくれた女性のお陰です”って!これ、アンタでしょ?

それに・・・広報の子が言ってたの。岬マリアから直々に、水島の指名があったんだって…次回の試合の際も是非って…」


だから、広報はどうして口が軽いんだよ…!ツイッターやらすなよ!絶対炎上するよ!


「あ・・・そうでしたか。でも、今度は事務課の仕事もありますし、断るつもりですから…」

恐らく先輩は、事務課の仕事をほっぽり出して、広報の仕事をした私が気に入らないんだろう、と思った・・・が。


「そんな事、問題じゃないの!!」


違ったようだ。

じゃあ、何で怒ってんだよ。


私は、もう直球で聞く事にした。

「あの・・・何が、おっしゃりたいんですか?」


これ以上は、ただの言いがかりだ。いくら私でも、今日は体調が思わしくないし、もうそろそろ頭に来るぞ、と。

すると、涌谷先輩は、短く息を吸い込み言った。


「今、事務課で…私が一番嫌われてるのよ…!あんたのせいで!」

「はい?」


「アンタは気付いてないし、何も考えてないからわかんないだろうけどね!

水島の事を注意してんのは、私だけ!皆、アンタにいつも自分の仕事やってもらってるからって…誰も何も言わないのよ!

アンタの仕事や態度に対して、ダメなものはダメ、間違ってるものは間違ってるって口を出す私の方が、間違ってるんだって…!

よ、良かったわね!味方が多くて!!」


で・・・何が、言いたいんだろ?この人・・・。


私だって、ミスはする。しかし、ミスをしたら、パソコンが教えてくれるか、データが戻ってくる仕組みになっている筈だ。

人の手は煩わせないようにはしている。

それに、入社したての頃、仕事を教えてくれた、というか、仕事以外でも何かとケチつけてきたのは、確かに涌谷先輩が多かったが…。



だから、なんなの?って話になる。



今、涌谷先輩が事務課で孤立してるって事を、私のせいにしたいのか?



「・・・ねえ、水島さァ・・・なんで、もっと嫌な奴になってくんないの?」


十分、嫌な人間ですよ?私は。と言いたいのだが、煽るだけなので止めて「はい、すみません」ととりあえず謝って終わらせようとした。


「門倉と仲良くなってさ、他のヤツラにも表面的には仲良くないフリしてても、しっかり点数稼いでさ!

高橋課長にも『事務課の人間は、君一人だけじゃないんだから、定時で上がれ』って庇ってもらってさ!

・・・私なんか・・・私なんか・・・!!」


被害妄想過ぎる言葉に、私は正直どう答えていいのかわからなくなっていた。

大体、高橋課長の言葉を私は別の意味で解釈していたし。


「いや、そんな事・・・言われても・・・」

「・・・アンタだって、私の事嫌いでしょ?」


はい。(即答)

いや、この場合、嘘でも好きだとか・・・言えないよなァ・・・!



「そんな事は無いですよ…。」


よし、否定するだけ!好きとも嫌いとも言ってないぞ!


「嫌いって言いなさいよ!」


ええ〜!?何言わせたいの〜この人!?(困惑)




「…嫌ってよ…お願いだからッ!」


遂に泣き始めた涌谷先輩に、私は首をかしげるしか出来ない。


「えーっと…」


じゃあ嫌いですって言えば、終わるのだろうか?

だったら言ってやるしかないか、と私が言おうとした瞬間。


「・・・じゃないと、私・・・自分の気持ちを止められない・・・!」


「・・・・・・・・・・・・・は?」


マズイ。


いや、コレ・・・マズイよね?

いやいや、前中編で妙に出番あるし、ちょっとフラグっぽいの感じてたんだけど、岬マリアってヒロインがメインの話だし

正直、同僚関係ヒロインは門倉さんで十分なんだよね…いや、どのみち惹かれもしないんだけど・・・


これ、アレだよね?


嫌ってるフリして、辛くあたってたけど、好き!ってパターン?

要〜〜〜〜〜ら〜〜〜な〜〜い〜〜よ〜〜〜〜!その女難のパターン!!!

被ってんだも〜〜〜〜ん!!!

ツンデレ?って時点で、被ってるヒロインいるも〜〜〜〜〜ん!!

じゃあ、先輩ヒロインって事?今更〜〜ァ!?無い!ありえない!後輩一人で女難十分!!

読者から『年上っていうかBBA多くないですか?www』とか言われたばっかりなんだよ!

もう20歳越えたらBBAって言われちゃうロリな世の中の流れにまた逆らうのか!?このシリーズは!!


ていうか、好きなら、もっと前からちゃんと優しくしてくれない!?

もう、ホント嫌われてると思ってたから、こっちもドンドンそっちを嫌いになったからね!!

完全に嫌いすぎて、ヒロインに加わると思ってもなかったわ!!


 ※注 只今、主人公は疲労と怒りでツッコミが雑な女子高校生風になっております。ご了承下さい。


あ、そうだ!

縁の紐!あるなら、紐なんぞ切ってしまえ!切って・・・・・・あれっ!?硬い・・・!?嘘!?何故!?

この位なら、切れそうなのに…ッ!?

ち、力が足りないから!?昨日使い切ってしまったから!?

そういえば、いつもの頭痛も無かった・・・!力使い果たしてしまったから!?


もー最〜〜悪〜〜〜ゥ!


縁の紐はどうやっても切れなかった。


「ああ、あの・・・えっと・・・」


どうにか、人の力で切り抜けるしかないようだ・・・。

先輩は何かを諦めたかのように、もはや感情を隠す事もしないで顔を真っ赤にしながら話し始めた。


「私が、水島の好みの女じゃないのは知ってる・・・」


私が、女性を好まないという事も知っていて欲しかった!!!


「でも…私…止められないの…もう…岬マリアみたいなスキャンダルまみれの女に奪われるって、思ったら…もう…!」


「いや、先輩…私…そもそも誰ともお付き合いする気が無いんです。」


「・・・・・・いいよ、遊びでも。」


良くねえよおおおおおおおお!そっちの意味でもねえんだよおおおおおおおおお!!!

先輩故に、ハッキリ言えない…ッ!

ここが、リングの上ならば…袋を被っていれば…言えたかもしれないのに…ッ!!!




勇気が・・・勇気と縁切りの力が足りないのッ!!



「水島…遊びでもいい。自分の思いにケリをつけたいの…だから、今夜…」


(貴女のケリとか全くどうでもいいのッ!!)


どうしよう…一回関係結んだら、ズルズル引きずったり…これ見よがしに会社辞めたりしそう…!

ああ、嫌だァ・・・そういうの〜〜〜!!!




その時、私の視界に廊下に設置されているゴミ箱が目に入った。



ここが、リングの上ならば…袋を被っていれば…被って…




「…そ……そいやああああああああああああああああ!!!!」




 ”ガコーン!!!”




「み、水島ァ!?」




私はゴミ箱に頭を突っ込んだ。

最早、袋でもなんでもなかったが、とにかく何かを被って自分の身を守りたかった・・・のかもしれないし、何かを被りたい衝動に駆られただけだったのかもしれない。



それが、間違いだったって気づいたのは、2分後だ。




 ― 40分後 ―




「レスキューです。ゴミ箱に頭突っ込んで抜けなくなった女性は・・・?」

「ええ・・・あっちです。」



「あー…完全にハマってますね…それにしても、どうしてこんな事を…?」


レスキュー隊のお兄さんの質問に、私はゴミ箱の中からたどたどしく答えた。





『あ、はい…あの…ちょっと…本当の自分探しに…。』



 今の自分には無い、”本当の私”。

 見えていないのは、自分だけだったりする。





  ― 水島さんは苦悩中。 END ―


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あとがき


出来上がってから、思わず、『そんなに苦悩してないじゃないか!』って、ツッコんでしまいました。

今回のヒロイン・岬さんより…涌谷先輩の方が気になるって方もいらっしゃったみたいですが…。

今回は岬さんオンリーではなく、W女難でした。しかし、裏をかいたつもりが…やはり、バレバレだったようですね!!はっはっは!!

お母さんの件も片付きましたので、次回の問題作、大修正を余儀なくされたSSの作業にとりかかります(苦笑)