私立 七瀬川高校。
生徒の自主性を重んじ、責任感と道徳のある人間を育成する・・・がモットーの自由さがウリの学校だ。
自由だなんだと言っても、そこはそれなりに有名な進学校で勉強も運動も一応、それなりのレベルが必要とされていて、授業は結構厳しいらしい、なんて噂も聞く。
「くっそ・・・やっぱりキツイなぁ・・・このサラシってやつは・・・!」
私は・・・いや、今日から”俺”って言わないといけないんだっけ。まあ、心の中の自分称は、私でいいだろう。
とにかく、私は・・・七瀬川高校の・・・男子生徒として、この学校に”潜入する”事になった。
なんで普通の女子高生として入学出来ないんだ、と心の中で無駄な事を嘆いてる内に、入学式は始まってしまうだろう。
「何をグズグズしているのよ?」
私を”男子高校生”にした女がそう言って、私のサラシをグッと引っ張った。
「・・・っ!?」
・・・苦しい。
なんでこんな事に・・・。と改めて思う。
「・・・・・・貴女、本当にヤル気あるの?」
私を男子高校生にしたその女こと、天ノ川 麗香(あまのがわ れいか)が、後ろから私のサラシをぎゅっと締めた。
長いストレートの茶色の髪をかき上げて、鏡に映る私を睨みつけた。
見た目は美人な方だし、一見おっとりしていそうなのに、言葉使いと態度が真逆だ。
「あるよ。ただ・・・こんな事、他人にやらすなんて、低俗だと思わないのかよ?」
私は、天ノ川を鏡の中で睨みつける。
「・・・うん、良いじゃない。そうやって、不機嫌そうにしていた方が、ぐっと男っぽいわ。」
いちいち、癇に障る言い方だ。やっぱり、金持ちは気に入らないわ、と思う。
「・・・本当に、こんなんで、家の借金・・・チャラになるんでしょうね?」
私は鏡の中から、私はキッと麗香を睨みつける。
「そうよ。アナタは今日から、3年間、男子高校生として七瀬川高校に潜入し、”天ノ川 愛美(あまのがわ えみ)”を警護するの。
愛美に近付こうとする男子学生がいたら、即刻、アナタが対処して頂戴。・・・愛美には、何人たりとも近づけてはダメよ。
方法は自由。とにかく嫁入り前の愛美を・・・男の毒牙から守るのよ。
・・・それが果たされれば、アナタの家の借金約1億円は、チャラにしてあげるわ。・・・お父様と私からの命令よ。」
「・・・・・・・・・。」
私の親父もこんな家から借金なんて真似しなければ、私がこんな事に巻き込まれる羽目にならずに済んだのに。
・・・まあ、借金押し付けて蒸発したクソ親父なんかに、今更ここで何をどうこう言っても無駄だけど。
病院に入院している母さんの為にもやるしかない。
・・・この借金の問題をどうにか出来るのは、もはや私しか、いないんだから。
母さんの治療費も天ノ川家が出してくれるらしい。だけど、3年間会う事は許されない。
・・・というか、私自身、母さんに会わせる顔がない。
黒く長い髪の毛が綺麗で自慢だわ、と言っていた母さんに無断でバッサリと髪を切り、男の格好してる今の私なんて、見せたくない。
ただでさえ、入院してるのに、これ以上、体の具合が悪くなってもらっちゃ困るからだ。
私は、学校の近くのアパートの部屋を用意されて、そこで一人過ごす事になった。
本当に、金持ちのやる事は理解出来ない。女一人守る為だけに、そこまでするかね?普通。
「ったく・・・ワケわかんない家族持ってて、心底同情するわよ・・・その愛美って奴に。」
私はそう吐き捨てた。
だけど、麗香は余裕で鏡の中の私を笑っていた。
「なんとでもおっしゃい。愛美は、私の・・・いえ、天ノ川家の”宝”なんだから。」
娘想い・妹想いもここまでくると、変態だね。一般家庭・・・極貧家庭育ちの私は、そう思う。
「・・・さあ、行きなさい。今日から、アナタは”東條 紘美(とうじょう ひろみ)”ではなく、”東條 紘(とうじょう ひろ)”として、愛美を守るのよ!
それから、言葉使いももっと男っぽくしなさい!万が一、アナタが女だってバレた場合も、借金チャラの件は無しよ!」
「へいへい・・・。(美を抜いただけじゃないか・・・工夫のない偽名だな・・・。)」
「なんか言った?」
「いえ別に。・・・行って来ます。」
・・・という訳で、私は今日から”女子高校生としての青春”をクソ親父の借金の為にブン投げて・・・男子高校生として、過ごす事になった。
・・・くそ、今に覚えていろよ・・・この腐った変態思考の金持ち共め・・・!
この分じゃ、愛美って奴も、さぞかし性格が歪んでいるに違いない。
・・・そんな奴の為に私は3年という時間を費やそうとしている。
ああ、なんて馬鹿馬鹿しい学生生活なんだろう・・・。
こうなりゃ自棄だ。
「愛美って女を守って守って守り抜いて・・・借金返し終わったら、即復讐してやる・・・っ!!」
「・・・心の声、思いっきり外に出ていてよ?紘。」
「・・・・・・・・・あ。」
一発殴られた。
[ 私のHEROは女の子。]
「ここが、七瀬川高校か・・・」
思ったよりデカイ高校だ。
ここにくるまでの坂道の桜が綺麗だったのが印象的だった。
校門は大きく、またよく手入れされているらしく、ピカピカで。その横に立てかけられている入学式と書かれた看板もこれまた大きく、字も達筆だ。
新一年生の胸には校門付近で先輩からリボンが付けられる。
私の胸にリボンをつけてくれたのは、女の先輩だった。
「入学おめでとう。」
「ありがとうございます。」
「慣れない内は、迷わないようにね?これ入学式の冊子。地図も書いてあるわ。ちなみに講堂は、あっちよ。」
「はい。ありがとうございます。」
優しい先輩だ。もしも、私が、女として入学できたなら・・・なんて事を考えてしまう。
『先〜輩〜!』
『あら、どうしたの?紘美』
『先輩の使ってる化粧品って、なんですか?』
『どうしてそんな事聞くの?』
『だって・・・先輩みたいになりたいですもん!』
『まあ、この子ッたら!』
『『ウフフフ・・・』』
・・・・んな展開、今時無いっての。
それに・・・解ってる。解ってるんだよ・・・。
今の私は『男』なんだから。
軽く変な理想の学生生活を想像をして、それが叶わない幻想だと気付いて、私は重い足取りで七瀬川高校の中に入った。
(本当に、広い・・・。)
冊子を片手に講堂まで歩いてみるが・・・思ったよりも広い。
下駄箱の近くの掲示板の張り紙は、私のいた中学みたいにビリビリに破れてもおらず、ガラスで守られてピシッと張られているし。
渡り廊下や体育館、室内プールなんて施設もある。それらが皆、春の光を浴びてキラキラ輝いて見える。
絵に描いたような、大きくて綺麗な学校。
自分の学力と財力じゃ、絶対入れないような学校。
・・・こんな場所に、なんで男になって潜入なんかしなくちゃいけないんだ、と改めて思う。
(とはいえ、これは東條家の為、母さんの為・・・)
そう自分に言い聞かせる。
(そういえば・・・天ノ川愛美を探さないと・・・)
私がこんな学校に、男として入学させられたのは、悲しい事にその為だけの理由なのだ。
「あ・・・桜の木・・・学校の中にもあるんだ・・・。」
冊子の地図によると”中庭”だ。花壇には春の花々が咲いていて・・・その中央には大きな桜の木が立っていた。
そして・・・中庭の奥には何故か、ビニールハウスもある。野菜でも作ってるのかな・・・。
「・・・ここで、お弁当とか、昼寝とかしたら気持ち良いだろうなぁ・・・。」
私はそう呟きながら、桜の木を撫でた。
不思議な懐かしさを感じる。というのも、東條家最後の思い出は・・・”花見”だからだ。
クソ親父がクソ親父じゃなく、普通のお父さんだった頃。母さんと父さんと3人で、花見に行った。
母さんが作ってくれた精一杯のご馳走・・・決して、豪華とは呼べなかったけれど、甘い卵焼きが、私は大好きで・・・
「・・・あの・・・」
「ん?」
か細い声に振り向くと、女の子が立っていた。
目は大きくて二重、綺麗な黒髪を肩までの長さできちっと揃え、いかにもお嬢様な印象を受けた。
背は私より低くて、こちらの様子を恐る恐る伺うような態度で、まるで小動物みたいだ。
一言で言うと、可愛い女の子という印象を受けた。
・・・って・・・あれ?この手の顔、なんか、どこかでみたような・・・。
私は、桜の木から手を離し、女の子の方へと歩いていく。
彼女の胸にも1年生のリボンがついている。・・・どうやら、同級生らしい。
「あの、1年生ですよね?入学式、もうすぐ始まりますよ?」
「・・・あ、そうだった・・・ありがとう。」
家族の思い出に浸っていて、入学式に遅刻する所だった・・・。教えてくれた親切な女の子に軽くお礼を言う。
「・・・あ。」
私は、女の子の頭に桜の花びらがついているのを見つけ、思わず手を伸ばしてしまった。
「え・・・?」
「花びら、ついてた。」
そう言って、女の子に花びらをみせる。
「あ・・・ありがとうございます・・・。」
女の子は少し顔を俯いてそう言うと、突然駆け出して中庭を出て行ってしまった。
(・・・な、なんなのよ・・・。)
とりあえず、講堂へ足を向ける私だったが、ふと大事なソレを思い出し、足を止めた。
(・・・・・・・あ!思い出した・・・!あの子・・・!)
私に声を掛けてきたあの女の子の顔・・・天ノ川麗香に写真でしつこく自慢された記憶があるから・・・多分、間違いない。
「・・・あの子が、天ノ川愛美・・・!」
私が・・・この高校で、男の毒牙とやらから守らないとならない、という女の子・・・。
『入学おめでとう。諸君は、この学び舎で共に過ごし、学んでいく仲間です。我が校は自由に学び、そして・・・。』
校長の挨拶の間、私はさっき出会った愛美の事を考えていた。
・・・男の毒牙やら、なんやらから彼女を守れ・・・とは言ったって、一体どう守っていけばいいのやら。
確かに可愛い子だけれど、私なんかに何が出来るというのか。
大体、同じ女子として、この学校に入り込んで、彼女と友達になったりした方が、遥かに守りやすいんじゃないだろうか、なんて考えた。
女の私を男として、この学校に入れて愛美を守れだなんて、本当にあの腐れ金持ちの女とその親は何を考えているんだろうか。
『青春は一度しかありません。どうか、一日一日を大事に過ごして下さい。』
母さん・・・一体私は・・・この学校で、たった一度しかないという高校生活をどんな風に過ごす事になるんでしょうか・・・。
「滝本 啓次でーす!趣味はサッカー観戦!小学校からサッカー部で、部活もサッカー部に入るつもりです!
サッカーの事ならなんでも聞いてください!ってなワケで、よろしく!」
”パチパチパチ・・・”
「次!東條!」
「あ・・・東條 紘です。よろしくお願いします。・・・あ、以上です。」
”・・・パチ・・・パチ・・・パチ・・・”
クラス内では、シンプルな自己紹介を済ませて、私はさっさと壇上から降りた。
多分、無愛想な奴だと思われただろうけど、それはそれで構わない。
男としての自己紹介なんて初めてだし、どう言ったらいいのやら解らないし。
趣味は、料理だ、お菓子作りだなんて正直に言ったら、それこそ女だってバレてしまう。
何はともかく、女だってバレたら、私の家の借金は無くならないし、母さんの入院費だって・・・
(3年間・・・長いな・・・)
私は、憂鬱な気分のまま、席に着こうとした。
その時、後ろの席の人間と目が合った。
「・・・あ。」
彼女は、私の顔を見て、少しだけ会釈をした。
「次・・・後ろの天ノ川!」
「はい・・・。」
彼女は立ち上がり、私の横を静かに通り過ぎた。
一方の私はというと、席についてからも、動揺を隠せずにいた。
(お、同じクラスだったのか・・・?)
落ち着け。
・・・守りやすいと言ったら・・・守りやすい条件がこれで整ったんだ、と私は思った。
一方。
私が守らなくちゃいけない天ノ川愛美は、笑顔で自己紹介を始めた。
見た目が見た目だから当然だろうとは思ったが、早速、クラスの男子の視線をこれでもか、と浴びている。
「天ノ川愛美と申します。・・・えと・・・すみません、何も考えてませんでした・・・。」
彼女はそう言って、困った顔で笑った。クラスがどっと笑いに包まれた。
「えーと・・・あの、これから3年間、宜しくお願いいたします。すみません、以上です。」
柔らかい物の言い方。おしとやかな身のこなし。すらっと細くて白い手足。
”パチパチパチパチ・・・”
(・・・同じ女でも、遺伝子の違いで、こうも違いますかね・・・)
うん、可愛い。可愛いよ、アンタ。
・・・借金相手の娘じゃなかったら、もっと好感持ってやれたかもしれないけど。
(生憎、私は・・・アンタの護衛だから。ヨロシクも何もないんだよな・・・)
そう思ったものの、席に着こうとこちらにやって来た彼女と再び目が合い、微笑まれると、私の心境は複雑なものに変わっていった。
・・・そうだ。
憎むべきは、借金した親父と借金をチャラにする条件として、私に青春を棒に振るような行為をやらせている頭の回路がイッちゃってる金持ち女だ。
「はあ・・・。」
休み時間、溜息もつきたくなる。
サラシの締め付けに、まだ体が慣れないらしく息苦しい。
だけど、気を抜くわけにはいかない。・・・気を抜いたら、女の部分が出てしまうかもしれないからだ。
なるべく足を広げて座る。・・・これは、慣れたら楽かもしれない。
クラスメイトのみんなは、もうめぼしい友人を見つけて談笑している。
私は男の格好をした”女”だ。それに、天ノ川愛美を守れと言われて入学しているボディーガードだ。
(はあ・・・これから、どうしよう・・・)
教室を見渡し、まともな友人関係は築くのは諦めた方が良さそうだ、と思う。
休み時間、女子はみんな愛美の所に集まって談笑している。
内容はなんでもない事なのだが・・・。
「でね、そこのアイスすっごく美味いのー!で、トッピングはナッツ!これハズレ無し!」
一番騒がしいのは、藤川 遥(ふじかわ とおる)という女の子だ。制服カスタムし過ぎて、もはや校則無視もいい所だが、明るくて好感の持てる女の子だ。
友人にこの手のタイプがいれば、楽しいに違いない。
愛美は藤川の話に興味津々といった感じで、笑っていた。
・・・正直、混ざりたい。話に混ざって、もう普通の女子に戻ってしまいたい・・・。
だけど、今この格好で女子に戻って話に混ざったら、ただのオネエキャラの男になってしまう・・・。
私は頭を振って、席を立ち、トイレへと向かった。
(・・・あ・・・私、女子トイレ入れないんだ・・・!)
向かったはいいが、今の私は”男”!!
窓ガラスに映るのは、どこから見ても男子高校生の私の姿だ。
涙を飲んで・・・私は横目で女子トイレの入り口を見ながら、男子トイレに入った。
(・・・うわ・・・!)
男性用便器の前に立って用を足している男子生徒が目に入り、私は咄嗟に目を瞑った。
(見ちゃった・・・!ちょっと!見ちゃった・・・ッ!!)
素早く個室に入り、鍵を閉める。
とにかく落ち着くんだ・・・。初めての男子トイレで、何でこんなに動揺してるんだ・・・!
頭を抱えながら、私は用を済ませた。
これから、3年間・・・私は、この男子トイレを利用するしかないのだ。
嫌でも慣れろ。慣れれば・・・どうにかなるんだ・・・。
そう自分に言い聞かせる。
私のやるべき事は、一つだけ。
天ノ川愛美を守る事。・・・特に男から。
この先の事を考えて、私はなるべく愛美の傍にいるべきだ。
それからクラスメート・・・特に愛美と仲の良い女子を味方につける事も考えておこう。
藤川あたりが調子を合わせてくれそうだが、協力してくれるかはわからない。
だが、出来る限り打てる手は打っていこう。
・・・なんて打算的な学校生活なんだろう・・・。
私の青春は、一体どこへ向かっていくんだろう・・・。
だけど、仕方ない事なのだ。
全ては、借金返済・・・家族の為だ。
やると決めて、こんな格好までしたからには、最後までやりきってやろうじゃないか。
「それにしても、可愛かったよな?あの子!天ノ川!」
(え・・・?)
トイレに入ってきた男子生徒2名の話し声が聞こえてきた。
話題は、まさかの愛美の話だ。
「フッ・・・まあね。」
「細井、何ニヤニヤしてるんだよ?・・・!!・・・まさか・・・お前・・・!」
私も内心”まさか・・・”と嫌な予感を感じていた。
「いい。いいよ・・・彼女、天ノ川愛美は・・・俺の彼女にする。」
「マジかよ〜・・・でも、細井なら出来るかもなー。」
ダメだ!出来ちゃ困るんだよ・・・!
(嘘だろー!?本当に、あの子・・・男の毒牙ホイホイじゃないのよ・・・!!)
まさか、こんなに早く私が役目を果たさなければいけない時が来るとは・・・。
細井の”愛美を狙います”宣言を聞いてしまった以上、私は働かなくちゃならなくなった・・・。
「でも、細井・・・中学の時の彼女どうすんだよ?」
「あ?・・・ああ、あんなのお前にやるよ。飽きてきたトコだったし。正直、彼女面して最近ウゼーんだよ。」
(・・・・・・・・・・・・。)
・・・・・・女を物みたいに・・・簡単にやるだのウゼーだの、好き勝手言いやがって・・・。
見た目は男装してるだけで、心は女だから、私は細井の発言にものすごく腹が立った。
例え、愛美が誰かと付き合うとしても、細井みたいな男に引っかかってしまうのは愛美が、いや・・・あいつに関わる女の子全員が、かわいそうだ。
「で、どうやって落とすんですか?細井先生〜」
半笑いで男子生徒が細井に質問をする。すると、細井は鼻で笑って言った。
「まあ、見てろって・・・女なんてな、金と優しさと・・・ちょっとした事故さえあれば、簡単にモノに出来るんだよ。」
(・・・事故?)
細井と男子生徒は笑いながら、トイレを出て行った。
私は続いて、静かに個室を出てから手を洗った。
(細井とかいう男・・・なんか、ヤバそう。ていうか、自分自身に酔ってるみたいで、気持ち悪いヤツ・・・)
しかも”ちょっとした事故”って単語が、妙に気にかかる。
愛美を守れ、と言われている私にとって、愛美がなんらかのトラブルに巻き込まれたら・・・雇い主が怒り狂うのは目に見えていた。
トイレには、もう誰もいなかったので、私は携帯を取り出し、雇い主・天ノ川 麗香に連絡を取った。
『なんですって?早速、愛美に近づこうとする男がいるって?』
「そうみたい。」
麗香の事だから、てっきり”キイ〜〜!!”とか奇声を発するかと思ったら、麗香は意外と冷静だった。
『そう・・・やっぱり貴女を男として入学させておいて正解だったわ。』
「・・・どういう事?」
『女には女のネットワークがある。男にも男のネットワークがある。
貴女には、あえて男のネットワークに入ってもらって、愛美に近づく男を徹底的に排除してもらうってわけ。
現に貴女は、男子トイレに入れた事で、一匹の排除すべき”虫”を見つけられたじゃないの。』
細井も細井だけど、男を虫と呼ぶ、この女もどうなんだろうか。
「排除って・・・あのね、私は普通の人間なんだよ?どっかの番長みたいに喧嘩が強いって訳でもないし・・・
細井ってヤツは何かしようとしてるし・・・これから、私たった一人でどうしろっていうの?」
『どうするも何も、体がバラバラになっても愛美をその虫の魔の手から守りきりなさい!
それが、貴女のやるべき使命・・・もとい借金チャラの方法なのよ!』
そんな・・・無茶苦茶だ!!
「・・・ひ、ひとでなしー!!」
『なんとでも言いなさい!自分の頭を使うのよ!とにかく、守りきれなかった時は・・・分かってるわね?じゃ。』
脅し文句と共に電話は切れた。
残された私は、一人でこれからどうするかを考えた。
細井の行動をしばらく様子見しながら、私は愛美の傍にいるようにしよう。
細井の”ちょっとした事故”が愛美に降りかかる前に、私がなんとかしなくちゃ・・・。
細井という男も気に入らないし・・・なんだか、嫌な予感がする。
考え事をしながら、私は席に着いた。
すると、肩をとんとんと指で叩かれた。
「東條君。」
「・・・ん?」
振り返ると、藤川と愛美がこちらを見ていた。
「東條君ってさ、普段何やってんの?」
藤川が人懐っこい笑顔で私に向かって質問をしてきた。
「え?」
「だって、さっきの自己紹介素っ気無さ過ぎなんだもん。趣味とか、好みの女の子とかいないのー?」
「いや・・・わ、俺は・・・別に・・・」
と言いかけたが、藤川と愛美はかなり親しくなっているようだし、ここで藤川を友達として味方につけるのも良いかも知れない。
・・・本音を言えば、普通に友達になりたかった。こんな打算的な考えを挟み込まずに、普通の友達として、藤川や愛美とも知り合いたかった。
「ね、教えて!東條君!」
藤川が肩を気軽にぽんぽん叩きながら答えをせかす。
「・・・わ、俺の趣味は・・・料理、とか・・・。」
「え!?」
「え!?意外!!」
・・・しまった・・・普通に自分の本当の趣味を答えてしまった・・・!
もっと男っぽい趣味を答えたら良かった!東條紘美だった頃の事は、学校では忘れなければ・・・!
こんな事なら、東條紘用のプロフィールを自作してくるんだった・・・!!
「料理が趣味ね〜いいんじゃない?見た目清潔っぽいし、言われてみたら合ってるかも。ねえ?愛美。」
藤川はそう言って意味有り気に笑いながら、愛美に話を振った。
どうやら、趣味が料理でもそんなに変とは思われていないようだ。
本当は女だって事を知られちゃいけないって、警戒心が私を不安にさせるんだろうな、と思う。
愛美は私の答えに感心したように言った。
「すごいですね・・・私、あまりお料理した事無いんです。東條君は何が得意なんですか?」
さすが、天ノ川のお嬢様だな。と思いながら私は質問に答えた。
「あ・・・えと、和食関係。筑前煮とかだし巻き卵とか・・・あ、パスタも好きかな。」
全部、お母さんから直伝だけど、母さんほど美味くは無いかも。
「じゃあ、調理実習の時は東條君を頼りにしちゃおうかな♪ね?愛美!」
「・・・え、ええ・・・その時は・・・同じ班になれたら良いですね。」
ニコニコ笑顔で接してくれる二人の女生徒を目の前にして、私は心の底から”この二人と普通に出会いたかった”と思った。
「何の話?」
3人で話していると、急に低い声が入ってきた。
・・・・・・細井だ・・・!
「あ、今ね〜東條君が料理が趣味だって話を聞いてたの!顔からして、なんか美味しそうなの作りそうじゃない?」
藤川が楽しげに細井に話す。
細井は私をチラリと見ると、一瞬だが睨んだ。
「へえ〜・・・料理なら俺も得意だよ。ちなみに、天ノ川さんは何が好きなの?」
「・・・え?私、ですか?」
細井が仕掛けてきたな、と私は思った。
今は様子を見ている事にして、黙っていた。
すると。
「もし良かったら、俺、天ノ川さんにお弁当でも作って来ようかな?いいかな?」
「え・・・あの・・・」
愛美が困ったような顔をして、私の方をちらりと見た。
ん?・・・なんだ?
「じゃ、決まり。明日のお昼休み、中庭で待っててよ。じゃあね。」
ほぼ強引に細井は約束を取り付け、断る隙も与えずに去って行った。
「・・・なーんか、アイツ強引だね・・・人の話聞かないし。」
細井にほぼ無視されていた藤川は、細井が向こうに行ってしまった途端に不機嫌そうな顔でそう言った。
「・・・愛美、行くの?」
「え・・・ええと・・・。」
愛美は困ったような表情で、悩んでいる。
「細井って、同じ中学だったから知ってるんだけど・・・アイツ、モテるんだけど、あんまり良い噂聞かないんだよね。
愛美、断っちゃった方が良いんじゃない?」
「うん・・・でも、もう約束しちゃったし・・・ハッキリ断れなかった私が悪いんだし・・・。」
断る気だったらしいが、明らかに浮かない表情の愛美を見て私は言った。
「・・・じゃ、藤川とわ・・・いや、俺と4人で弁当を食べよう。それなら問題ないだろ?」
そう言うと、愛美の顔がぱっと明るくなった。
「・・・ほ、本当ですか?」
嬉しそうな愛美に私は頷いた。
「ああ。・・・藤川の方は?明日の昼休み、用事あるか?」
「あ、ううん。全然OK。・・・ていうか、東條君なかなか気が利くじゃん。」
藤川が白い歯見せて笑った。
「・・・まあね。」
でも、それもこれも・・・私には”愛美を守る為”という役目があるからに過ぎない。
単に友人達と弁当を楽しむ為の昼休みじゃないのだ。
嬉しそうに明日のお弁当の話を始める二人を見ながら・・・少しだけ、罪悪感のようなものが私の心を掠める。
・・・私は・・・単に・・・言われた事をするだけ・・・。
次の日。
麗香の言っていた”男のネットワーク”とやらは、確かに存在していた。
トイレの個室に入っていると、細井の声がしてきた。
「そう・・・だから、俺が携帯鳴らしたら、それが合図だ。落とせ。」
隣の個室に細井が入った。
(・・・なんだ?)
「そう、合図の後、お前が花瓶を誤って落としちまって、天ノ川に当たる前に、俺が間一髪助けるってシナリオだよ。」
・・・・・・細井の言っていた、ちょっとした事故って・・・まさか・・・!!
「・・・誰も傷つかない完璧な計画だろ?俺は天ノ川の恩人になって、キッカケも作れる。
アイツ落としたら・・・金も手に入るだろうし、良い事づくしじゃねえか。」
そう言って、細井の笑い声がトイレに響いた。
(・・・・・・・・・・。)
・・・そうか・・・細井・・・愛美の事が特別好きって訳じゃないんだな・・・。
それどころか、最低だよ・・・お前のやろうとしてる事は・・・。
私は、決意した。
細井の計画を邪魔してやろう、と。
麗香の言う事を聞くかどうかは、この際別として・・・細井と愛美をこれ以上関わらせない方が良い。
私は、行動を開始した。
そして、昼休みがやってきた。
私は指定された時刻より遅れて中庭にやってきた。
愛美と藤川はやっと来たと言った顔をして、細井は私を邪魔者と言いたげに睨んでいた。
「もう!東條君、遅かったじゃない!」
「・・・ごめん。待たせた。」
そう言って、私は藤川の隣に座った。
「じゃ、いただきまーす!」
お弁当を広げると、愛美と藤川が私のお弁当を覗き込んだ。
「わ、本当に和風だ!しかも美味しそう!」
「本当に東條君が作ったんですか?凄いです。」
「・・・良かったら、つまんでもいいよ。」
私がお弁当を差し出すと、愛美と藤川は顔を見合わせて嬉しそうに笑った。
内容はシンプルに。わかめご飯のおにぎりに肉巻き牛蒡、出し巻き卵、ぶりの照り焼きに温野菜で彩りを加えた。
「俺のも見てよ。自信作なんだ。」
細井の弁当は、洋風だった。海老ピラフにコロッケ、エビフライにウィンナー、ポテトサラダにミニトマトには可愛い串が刺さっていた。
「あ、可愛い!」
「本当!」
愛美と藤川が、私と細井の弁当を見てはしゃいでいる横で、細井はポケットの中で何かごそごそし始めた。
そして、ニッと笑ってから急に真剣な顔つきになり・・・
「・・・あッ、危ない!!」と叫びながら天ノ川に向かって飛び掛っていった。
・・・そうはいくか。と私は思い切り細井の腹に蹴りを入れた。
「お前が危ないんだよッ!!」
「!?」
細井は、そのまま横にゴロゴロと転げた。
「え?ちょ、ちょっと・・・二人共何してるの!?」
藤川が訳が分からないといった顔で私と細井を交互に見た。
「な、なにするんだよ!?東條!天ノ川さんが危ないってのに!俺はそれを助けるために・・・!!」
細井の言葉に、首を傾げる愛美。
「私を・・・助ける?」
私は溜息をつきながら、細井に言ってやった。
「・・・花瓶なら、落ちて来ねえよ。細井。」
私がそう言うと、細井は明らかに動揺し、言葉を失った。
「な・・・ッ!?」
「花瓶?東條君、どういう事!?」
藤川が聞くので、私は簡単に答えた。
「コイツは、わざと天ノ川に向かって花瓶を落として、自分で助けて恩を売ろうとしてたんだよ。」
「な、何を言ってるんだ!?しょ、証拠があるのか?」
細井は起き上がって、抗議の声を上げた。
だが、藤川が鋭く言った。
「・・・じゃあ、なんで何も落ちて来ないのに、愛美をかばおうとしたの?」
「いや・・・それは・・・そんな予感がしたんだ・・・!」
なんとも情けない言い訳だ。
「ふうん・・・。で、東條君は、なんでこの事知ってたの?」
藤川が私に向かって、そう聞いてきたので、私は割と小さい花瓶を地面に置いて言った。
「屋上にいた細井の仲間から、この花瓶を取りあげてきたから。」
細井の仲間を見つけたは良いが、私は喧嘩は得意では無い。
後ろから近づいて蹴りを入れて、その隙に花瓶を奪ってくるので精一杯だった。
「あ、それで遅れて来たんだ・・・」
「・・・まあ、そういう事だ。細井、天ノ川と藤川に謝れ。」
「は?なんで謝らなくちゃいけないんだよ!」
「馬鹿か、お前は。花瓶落として、お前は天ノ川だけ助ける気でいたんだろうが、確実に助けられるとは言い切れないだろ?
もし、失敗したら?割れた花瓶の破片で二人が怪我するかもしれないんだぞ。その可能性を考えなかったのか?」
私の言葉に、細井は悔しそうに言葉を詰まらせていた。
「・・・う・・・!」
「偽のヒーローなんかいらねえんだよ。・・・二度とこんな真似するんじゃない。」
「くっ・・・!」
私がそう言うと、細井はそそくさと弁当を片付けて、逃げるように立ち去った。
「へえ〜やるじゃん!東條君!・・・ね?愛美?・・・・・・・愛美?」
「・・・・・え?あ・・・うん。」
ぼうっと私の顔を見る愛美に、藤川が手を振る。
「悪い。昼休み台無しにしちゃって・・・。」
私は素直に謝った。細井の魔の手から愛美を守る為とはいえ、申し訳ない。
「いいよ。悪いのは細井なんだし。ね?愛美・・・・・・・・・・愛〜美〜?」
「え?あ・・・うん・・・。」
愛美は、心ここにあらずのような返事をした。
「じゃあ、気分取り直して食べようか?」
私がそう言うと、藤川は笑って同意してくれた。
「うんうん。嫌な事忘れちゃって食べよ!」
「あ・・・あの、東條君・・・。」
「・・・ん?」
箸を止めて、私は愛美を見た。
「あ、ありがとう・・・東條君。」
可愛い笑顔でそう言われると、同性と言えどもなんだか照れくさい。
「べ、別に・・・。」
素っ気無くそう言って、私は弁当に箸をつけた。
すると、なかなか箸をとらなかった愛美がモジモジしながら、言った。
「あの、東條君・・・あの、私・・・お礼に、明日お弁当作ってきますから・・・良かったら、食べて・・・くれますか?」
「それ・・・お礼のつもり?」
「・・・ダメ、でしょうか・・・?」
少しだけ不安そうな顔をする愛美。
「・・・・・・・・・・・・・・別に、構わないけど。」
「はいっ!」
何気なく適当に返事したが、私は、この時の・・・愛美の気持ちを全く考えていなかったのだった。
「まずは・・・そうね、褒めてあげる。よくやったわ。」
私のアパートに来るなり、椅子に腰掛け足を組み、天ノ川麗香は傲慢な態度で、そう言い放った。
定例報告を兼ねて、この女は私の部屋にやってくる。
だけど、この女の前で私は”女”に戻れるのだから、皮肉だけれどホッとしている。
勿論、一番ホッと出来るのは一人の時だけど。
「・・・そりゃ、どうも。」
あぐらをかいて、私は床に座る。
「今回の事で分かったでしょう?私の愛美は、狙われやすいって事が!!」
本当に、妹を可愛いがっているのは嫌と言うほどわかったから、テンションを少しは下げて欲しい。
「・・・まあ・・・自衛心に欠けるなって感じはしたかな。」
私は、私なりの意見を口にする。
彼女が嫌なら嫌と口にすれば、今回の騒動起きなかったかもしれないのに。
「そこを貴女がカバーするのよ!今回のように、さりげなく虫を始末するの。・・・ああいう虫は性質が悪いわ・・・しつこいの。」
「・・・はあ・・・。」
どっちが愛美にとっての虫やら毒なのか、私にはわからない。
とにかく、私は・・・借金をチャラに出来れば良いのだ。
家族の為にやってるだけ。
「貴女は、引き続き愛美を守りなさい。・・・ただし。」
「・・・なに?」
急に麗香のテンションが下がった。
そして、顔をぐっと私に近づけ、睨み・・・低い声で言った。
「その上で、愛美を傷つけたら・・・分かってるんでしょうね?」
「・・・わ、わかってるよ・・・。」
全く・・・借金の事さえ無かったら・・・私、こんな人と関わらずに済んだのに・・・!
恨むわよ・・・父さん・・・!!
次の日、学校に行くと、自分のクラスがやけに賑やかだった。
「へえ!東條君がね〜・・・」
「そうなの!マジびっくりしたから!」
・・・今、私の名前が聞こえたような気が・・・!
・・・・・・・まさか!?女だってバレたか!?やっぱり、この護衛方法無理があったんだ・・・!
私は慌てて、教室に入った。
すると、私の机の上に座って、はしゃぎながら話す女がいた。
「でね!東條って、すっごい無愛想だけど、よくよく見るとイケメンなんだよね!中性的な顔っていうの?
昨日だって、愛美を助けた時なんか、すっごくカッコ良かったんだから!」
「・・・・・・騒ぎの根源は、お前か・・・藤川・・・!!」
どうやら、私が女だって事はバレていないようだ。
しかし、いかんせん・・・クラス内で目立ってしまうのは・・・マズい。
「何よぉ、東條の武勇伝広めてやってるんじゃないのよ。愛美を立派に守ったボディーガードなんだから!胸張っていいのよ?」
そう言って、女子が褒めてくれるのだが・・・全然嬉しくない。
男として褒められているのだから、当然だ。
「余計な事しないでくれよ。・・・頼むから・・・。」
力なく私はそう言うと、藤川はニッと笑い、傍にいた愛美を私の隣にぐいっと押し付けた。
「よし!・・・愛美の事は、任せた!東條!」
「だ、だから!任せられても困るんだよ!わた、いや、俺は別に・・・」
もう既に、その任務は請け負っているなんて言えない。
「・・・・・・・・・。」
愛美がこちらをジッと見ている。
それは”ご迷惑でしょうか?”とでもいいたげな目で。
愛美という人間は、感情が目に出てしまう・・・素直な人間のようだ。嘘とか絶対下手そう。
それに対し、私は・・・
『愛美を傷つけたら・・・わかってるでしょうね・・・?』
麗香の脅し文句が頭の中をチラつく。
だからって、この場合、純粋丸出しの愛美に、どう傷つけずに返事したらいいの?
「・・・別に・・・何よ?東條。」
藤川に答えを急かされ、私は慌ててその場を繕う。
「いや、べ、別に・・・そういうつもりじゃなくて、あれは、単なる成り行きで・・・」
「あーもう!成り行きで、あそこまでやるから、アンタがカッコイイって言ってんじゃないのよ!照れるな照れるな!」
藤川が嬉しそうに私の背中をバシバシと叩く。地味に痛い。
・・・藤川が私を高評価してくれているのは、よくわかった。
「・・・あー・・・・・・・ああ、もう・・・いいよ、好きに解釈してくれ・・・!」
私がそう言って、席に着くと、他の女子まで私を囲みからかい始めた。
「・・・あー!東條君、照れてるぅー!」
「可愛いー!ツンデレだー!」
はしゃぐ女子にウンザリした顔で私は小さな声で答えるしかなかった。
「・・・う、うるさい・・・。」
「東條君・・・」
愛美が、まだ不安そうな顔をしている。
私はこれからの事を考え、思った事を口にした。
「別に、わた・・・いや、俺は昨日の事を別に何とも思ってないんだ。
ただ、自分が嫌ならちゃんと自分で嫌だと言いなさ・・・いや、言えよな。
自分で自分を守る事も少しは覚えてちょ・・・いや、覚えろよな。」
「は、はい、そうします。・・・家の者以外の人から、そんな風に言われたの初めてです。」
「・・・無理も無いかも。」
思わず、ぽろりと言ってしまった。
「え?」
「い、いや、なんでもない。」
なんとかその場をごまかした私だが、ふと、細井と目が合った。
なんともまあ、わかりやすく憎々しげにこっちを見ている。・・・なんというか、情けないヤツ。
こちらも負けずに睨み返す。細井が私に何を仕掛けてきても、負けるもんか。
そして、担任の先生が来て、HRが始まった。
授業を受けるのは、楽しかった。
憧れていた学校生活とは程遠いけれど、私は私なりに・・・ここで何かを得られる・・・そんな気がする。
あっという間に昼休みになった。
(窓の外から差し込む暖かい日の光が気持ちいい・・・。)
こういう日は外でお弁当を食べるに限る。
あ、そうだ、入学式の時のあの木の下とかどうだろうか・・・。
・・・いや、一人で行ってもな・・・と思う。
今朝の藤川の噂で女子の好感度は上がっても、お昼を共にするような友達はいない。
・・・大体、今の私は、本当の私じゃないし。
「ほらっ!愛美!」
不思議に思って後ろを振り返ると、愛美が藤川に背中を押されている所だった。
あの二人、本当に仲良くなったんだな、と思う間もなく・・・。
「東條君とお昼行っておいで!」
「は、はいっ!」
「・・・え・・・え!?」
「昨日、お約束した通り・・・あの、作って・・・来ました・・・お弁当・・・。」
・・・・・・・ハッ!?そ、そうだった!!すっかり忘れていた!!
周囲の視線が少し痛いが・・・
『愛美を傷つけたら・・・わかってるでしょうね・・・?』
麗香のアレがある・・・。答えは一択しかあるまい・・・。
それに、こんな良い天気のお昼休みを一人で過ごさなくて済むのだ。それでいいじゃないか、と自分を納得させてみる。
私は、軽く頷いて愛美をあの桜の木の下へと誘った。
中庭に二人で出た。花壇にはまだ春の花々が咲いていて・・・その中央には大きな桜の木が立っている。
桜はさすがに散ってしまっていて、地面には花びらがまだ残っていた。
「ここにしよう。」
と私が言うと、愛美はやけに嬉しそうに頷いた。
「・・・はい。」
二人で座って、愛美は弁当を広げ始めた。
こう言ってはなんだが、愛美は料理しなさそうなイメージがある。
金持ちだし、なんでもやってもらってそうだし。
「あの、私・・・料理とか初めてだったんですけど・・・」
そう言って、恥ずかしそうに笑う愛美。
あー・・・やっぱり・・・と思う私。
でも、まあ・・・初めての料理でも、そんなに絵に描いたような黒こげになるとかいう、失敗なんかしないだろう。
・・・いや、生焼けだったら絶対お腹壊すよね・・・。うーん・・・いずれにしても覚悟を決めるか・・・!
「・・・お。」
愛美が、弁当の蓋を開いた。
見た目はすごく普通。というか、盛り付けは完璧。
私は「美味しそう。」と普通の感想を漏らす。
愛美は照れくさそうに笑った。
「あの・・・どうぞ。」
勧められるまま、まずは、卵焼きからいってみるかと箸をつける。
「・・・あの、お口に合いますか・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・マっ・・・!?・・・んぐぐ。」
小声で思わず出かけた言葉を慌てて封印する。
なんなんだ!?口の中に広がる、このしょっぱさと苦味・・・そして・・・なんか固い!!
「え?どうか、しました?」
愛美が不安そうな顔で聞き返す。
―――ハッ!!
『愛美を傷つけたら・・・わかってるでしょうね・・・?』
「あ、いや・・・ま、”まず”、卵焼きは・・・わた、いや、俺・・・”甘い”のが好みってだけの話・・・。うん、気に、しないで・・・。」
「あ、そうなんですか?・・・はい!覚えておきます!」
「あ・・・わた、俺の弁当食っていいよ。これ、俺が食べる。」
「え・・・よろしいんですか?」
「うん、頼む!」
そう言って、私は愛美に自分の弁当を押し付けた。
そうしなければ、愛美が自分の弁当を食べて落ち込んでしまうのは目に見えている。
コロッケのじゃがいもは、しゃりしゃりという音がするし。
煮物はしょうゆの原液を食べているような味がする。
炊き込みご飯は、変に柔らかい所と生米に近い所があって・・・。
だが、私は口を必死に動かした。
(・・・こ、コイツ・・・破滅的に食材の良さを殺す名人だ・・・!!)
そんな事を思いながら、必死に無言で箸を動かす。
愛美には、私の弁当を美味しそうに、時々「こんな味付け初めてです」と楽しそうに食べていた。
「東條君は、本当にお料理お上手なんですね!」
「あ・・・ありがと。」
愛美の屈託のない笑顔を見て・・・ふと、思う。
こんなにも笑って自分の作ったものを味わってくれる人がいるって・・・なんか、いいなって。
「・・・・・・ご、ごちそうさま・・・(なんとか喰いきった・・・なんとか・・・)」
「はい、お粗末さまでした・・・。」
「・・・・・・はあ・・・。」
もう、入らない・・・咀嚼出来ない。
愛美は、嬉しそうに空の弁当を見て笑った。
「・・・あの・・・東條君?」
「・・・ん?(まさか、デザートとか出ないよね・・・?)」
少し、モジモジしながら愛美がポツリと言った。
「紘君・・・って呼んでいいですか?」
「・・・んーまあ、いいんじゃない?」
私は何気なくそう答えた。
「あの・・・私、初めてお料理したんです・・・」
「うん、さっき聞いた。」
「あの・・・私・・・好きな人に自分の手料理を食べてもらうのが、夢で・・・」
「へえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「あ、あの・・・私・・・」
「ひ、紘の事が・・・好きになりました・・・・あの、好きです!・・・大、好きです!」
「・・・・・・・・・・・・!!!(嘘おおおおおおおおおおお!?)」
「あの・・・こんな事、初めて・・・で・・・私も、正直戸惑っています・・・!」
「・・・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!(なんで、よりにもよって、私なのおおおおおおおお!?)」
『愛美を傷つけたら・・・わかってるでしょうね・・・?』
「・・・あの・・・(そうだ、私が女だって知れば諦めてくれるかも・・・!)」
『万が一、アナタが女だってバレた場合も、借金チャラの件は無しよ!』
「・・・わ、悪いけど・・・(ダメだわ!私が女だってバレても借金が・・・!やっぱりここは断るしか・・・!)」
「・・・ダメ、ですか・・・?」
「・・・あ・・・いや・・・」
『愛美を傷つけたら・・・わかってるでしょうね・・・?』
「・・・・悪いけど・・・・・・・・考える、時間を、設けないか・・・?お互いに・・・その、前向きに・・・。」
私は、そう言うので、精一杯だった。
傷つけずにこの事を避けるには・・・とにかく、一旦、保留だ。何より、私が動揺しているのだ、一旦、落ち着きたい。
「はいっ!よろしくお願いしますっ!では・・・失礼します・・・っ!」
愛美は、嬉しそうに弁当箱を片付けるとそれを抱えて、走り去ってしまった。
残された私は、桜の木の下で、呆けていた。
(・・・母さん・・・私、どうしよう・・・?)
私は、すぐに携帯電話を取り出し、麗香に報告をした。なぜならば、非常事態だからだ!
『・・・なんですって?』
驚きのあまり、麗香は声も出せないようだった。小声でポツリと呟くと、そのまま押し黙ったので、私は更に、こう言った。
「だから・・・愛美本人が、私を好きだって言い出したのよ!どうしたら良いのよ!?」
『そ、そんな・・・私の愛美が・・・アナタに・・・!?』
「だから言ったじゃないのよ!元々、無理だったんだよ!こんなの!私は知らないわよッ!?」
守るべき対象に好意を持たれてしまっても、私は愛美と同じ女だ。
受け入れられる訳がない。
ところが。
『・・・・・・つ・・・付き合いなさい!愛美の好意を受け入れて、付き合うのよ!紘!』
「はあぁーッ!?」
麗香の言葉に私は、素っ頓狂な声を出した。
『そう、そうよ・・・アナタが交際相手ならば、愛美が傷つかない、男の毒牙にもかからない・・・これぞ、一石二鳥!』
「ば、馬鹿じゃないの!?私は女よっ!?付き合える訳ないでしょうがッ!!」
『何を言うの!?アナタは今、東條 紘!男よ!こうなったら、男になりきって、付き合いなさい!愛美を守るなら、その方が都合がいいわ!!』
「嫌よッ!大体、私は女なのよ!?私の気持ちはどうなるのよ!?」
私の抗議の声に、麗香は冷たく言い放った。
『借金・・・お母さんの入院費・・・どうなっても、いいの?』
「・・・・・うッ・・・・・・ひ、卑怯者―ッ!!!」
『なぁんとでも言うがいいわ!妹の為ならば、私は喜んで、左右!裏表!全方位汚れましょうともッ!!!』
電話の中からは悪魔のような笑い声が聞こえ、私は思わず叫ばずには、いられなかった。
「この馬鹿姉がぁあああああああああああああああああ!!!!」
負け犬の遠吠えにも近い私の叫びなど、麗香にとって何のダメージにもならない。
私は麗香の言うとおりにするしか、ないのだ。
・・・こうして、私は・・・強制的に前向きな方向で、愛美の好意を受け入れる事になった・・・。
(・・・母さん・・・本当に、私どうなるんだろう・・・!?)
第一話 ・・・END。
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