「う・・・うそ・・・」

「あ・・・!」


場所は、夕暮れの体育館倉庫。

こんな時間に、こんな不気味な場所・・・誰も来ないと思っていたのに・・・!


いきなりの・・・大ピンチ。


「東條・・・アンタ・・・!」

「藤川、あの・・・話を、とにかく、話を聞いてくれ!頼む!!」


私は、藤川に懇願した。藤川も自分が何を見たのか、まだよく理解していないようで、混乱していた。

とにかく、私は藤川の手を取り、話を聞いて欲しいと説得した。


「とりあえず・・・その・・・扉、閉めて・・・。」

「わ、わかった・・・。」


藤川がゆっくり頷き、体育館倉庫のドアを閉めた。



一体、何が起きたのか。・・・話は、その日の朝まで遡る。




[ 私のHEROは女の子 第2話 ]





今日も男子高校生として、登校した私は、いつも通り自分の席に着こうとした。


「・・・あの、おはようございます。紘君。」

「・・・え?あ、ああ、おはよう。天ノ川さん。」


私は挨拶をされたので、挨拶を返すと愛美が嬉しそうに笑った。

席についても、後ろの愛美の視線を感じる。



・・・私は愛美に、好意を持たれている。

嫌われるよりは、そりゃ好きになってくれた方がいい。

・・・だけど、恋愛感情の絡む”好き”となると話は、別だ。


男子高校生の設定で、学園生活を送っているに過ぎない女の私にとっては、愛美の好意をそう易々と受け入れる訳にはいかないのだ。


だが・・・

『愛美を傷つけずに守る為よ。貴女は、愛美の好意を受け入れ、愛美を徹底的に周囲の害虫から守るのよ!』


私を男子高校生に仕立て上げた麗香の”命令”だ。私には、逆らう術が無い。


だけど・・・


だけど・・・どうあがいても、私は女なのだ。そして、愛美も女。

これは、覆る事のない、真実だ。

愛美がこの真実を知ったら・・・絶対に傷つくに決まっている。今なら、まだ傷は、浅くて済むかもしれない。


だが・・・


『貴女が、女だってバレたら・・・どうなるか、わかっているんでしょうね?』


私が女だと周囲にバレてしまったら、借金チャラの件は泡となって消えてしまう。母さんの入院費だって無くなる。


つまり・・・八方塞なのだ。


「東條!今日、日直だよ!」


藤川透が、私に向かって声を掛けた。


「あ、ああ・・・悪い。」

私は立ち上がって、黒板にチョークで書いてあった落書きを消した。


「東條、東條・・・。」

藤川がちょんちょん、と私の肩を人差し指で叩く。


「ん?何?」

「昨日はどうだった?愛美とのお昼休みは。」


藤川は、ニタニタと笑いながら私に聞いてきた。


「・・・・・・あのな、俺は成り行きでああなっただけで、昨日の昼休みだって、成り行きなんだ。」

「またまたぁ・・・愛美は、いい子だよ〜?」


何故、藤川が愛美を熱心に売り込んでくるのかわからないが、私は素っ気無く答えた。


「・・・はいはい。」

「男子の人気、結構高いんだからね?さらわれても知らないよ?」


・・・それは、困る。そうなると、私が男装して、ここに潜入している意味が無くなってしまう。


「藤川は、天ノ川と仲が良いの?」

「まあね!気が合うっていうか、なんか正反対同士だから、相性良いのかもね。・・・だから、愛美の事なら、東條には特別に優先的に教えてやろう。」


そう言って、偉そうにフフンと藤川は笑った。


「なんか、やけに協力的だな?」


愛美を守る為には藤川のような存在は、非常にありがたいかもしれない。

すると、藤川が教壇に寄りかかりながら言った。


「そりゃまあ、先日の事があるし、東條って真面目だし、なんかそこら辺の男子と違う感じがするんだよね〜」

「え・・・!?」


思わず、ドキリとした。

いつ、私が男じゃないってバレてもおかしくない状況。もしもバレたら、全てが終わってしまう。


「・・・まあ、東條は信用出来る感じするから。」

「あ・・・ああ、そう・・・。」


内心ドキドキしながら、私は黒板消しを動かした。

それをのんびり見ながら、藤川が更にこう言った。


「私としては、愛美のようなタイプには、東條くらいの男子が傍にいてくれると良いんじゃないかって思ってるわけよ。」

「・・・どうして?成り行きだけの使い捨てボディーガードみたいなもんだろ。」


思わず、本音がポロリと出た。

麗香の命令でやっているに過ぎない、使い捨てボディーガード。表現は間違っちゃいない。


「そんな言い方しなくても・・・仲良くしよーよ。お互い、3年間しか時間ないんだからさ。男女関係なく、私は仲良くやりたいだけ。変に意識しな〜いの!」


・・・確かに、私達の学園生活には3年間という限られた時間がある。

それを楽しむ、という考えは・・・私には、あまり無かった気がする。なぜならば、楽しめる要素が最初から削り取られてしまっているからだ。

だが、藤川の言うとおり。男女関係なく、仲良く楽しく学校生活は楽しみたいものだ。本来、そうであるべきだ。

しかし、私は女であって、今は男。そして、一人の女の子を守らなくちゃならない。

これを、どう楽しんだらいいのか。わからない。


「・・・ま、努力するよ。」


私は、藤川にそう言って黒板消しクリーナーに黒板消しを乗せた。

黒板消しクリーナーの音が教室中に響く。白い煙が舞い上がる。


(学園生活を楽しむ、か・・・。)


私が守るべき愛美は、今学園生活を楽しんでいるんだろうか?

愛美は自分の学園生活の下で、私がこんな思いをしているなんて、気付きもしないだろうけど。



・・・少しだけ・・・ほんの少しだけ、愛美が憎らしく思えてきた。

私が学校生活を普通に楽しめないのは、愛美を守るという事情がある為だ。



・・・愛美さえ、いなければ・・・。



だけど、今そんな事を考えてもしょうがない、と考え、止める。


黒板を消し終えて、再び席につこうとすると、今度は私の目の前に細井が立ちはだかり、肩をぶつけてきた。


「痛ッ・・・。」

「この程度で”痛い”か?フン・・・お前さ、調子に乗ってんじゃねえぞ。」


低く小さい声で脅し文句を口にする細井を私は黙って睨んだ。


「・・・・・・・。」


元はといえば、あんな方法で愛美をどうこうしようとする方が、どうかしている。

コイツに、これ以上関わりたくは無いが、細井の方はどうやら許してはくれないらしい。


すると。


「はいはーい。失〜礼。」


藤川が、私と細井の間をずずいと無理矢理通り、険悪な空気を壊した。


「・・・マジ、やめてよね。朝っぱらから、そういうの。」

藤川が細井にそう言って、軽く押しのけた。途端に険しい顔をした細井だったが、気が削がれたのか、舌打ちをして自分の席に戻って行った。


「あ・・・藤川、ありがとう。」

「だから言ったでしょ?私達、クラスメイトなんだし。仲良くやろって。」


そう言って藤川が笑って、自分の席に戻る。

私も自分の席に座って、授業の準備をしようとした時。



後ろから手が伸びてきて、肩をさっさと払らわれた。


「・・・え?」

「紘君、粉がついてますわ。」


そう言って、愛美は熱心に私の肩についたチョークの粉を払ってくれた。


「あ・・・ありがとう・・・。」

「いえ、気になさらないで下さい。好きで勝手にやらせてもらっているんですから。」


愛美の指は白くて、すらっと長かった。

振り向き、目が合うと愛美はニコリと笑った。


何も知らない、お嬢様。

だけど、優しい、お嬢様。



(・・・私・・・さっきまで、最低な事を考えていたのかもしれない・・・。)


愛美さえいなければいい、だなんて。

それは、私にとって都合が良いだけなのだ。


愛美は何も知らない。悪くないんだ。

私は、なんだか申し訳なくなって顔を伏せた。


「・・・綺麗になりました、紘君。」

弾んだ愛美の声が後ろから聞こえて、私は振り向けないまま「・・・ありがとう。」とだけ答えた。


その途端・・・嫌な視線を感じた。

視線の方向には、細井がいた。


私を睨んで、目が合うと、そっぽを向いてしまった。


・・・なんとなく、私は嫌な予感がした。

一時限目の授業が終わった。


「東條。」

名前を呼ばれて顔を上げると、クラスメイトの中の男子の中でも割と身長が高く、端正な顔立ちの西岡 正樹がいた。

彼は短髪で、何かスポーツでもやっていたのか、腕の筋肉が発達しているのが制服の袖を捲り上げた所から見えていて、いかにも身体中から男らしさが溢れる男、という印象を与える人物だった。

いわゆる、イケメン、というべき存在の彼だが、無口でほとんど素性はわからないし、仲の良い友達も見かけない。

そんな彼が、私に何の用があるというのだろう?


「何?」

「・・・ちょっと、話があるんだが、いいか?」

「あ、うん。」


意外な誘いだった。

しかし、学校の中で私はあくまで”男”だ。

ここで、男友達の一人くらい作っておかなければ、例えば体育の授業の時、二人一組で何かやれと言われた時、誰もいなくて・・・気まずい思いをする事にもなりかねない。

西岡の歩幅は広く、どんどん先に進んでいく。私は彼の大きな後ろ姿をやや小走りで追った。


「・・・ここなら、誰も来ないな。」


西岡はボソッと小声でそう言った。

(・・・え?)


連れてこられたのは、音楽室だった。

確かに、人気はなく、静かだが・・・

西岡は私の顔をじっと見つめたまま、黙り込んだ。

私を下から上へと観察するように、じっくりと見た。


・・・あれ?何?この人・・・


・・・私は、また嫌な予感がした。


「な、何?」


私が少し腰を引いて聞くと、西岡はハッとしたように「ああ、悪い。」と言って、咳払いをした。

そして、西岡の目はより真剣で鋭いものに変わった。


「・・・単刀直入に言う。」


人気の無い音楽室で、身体の大きな男が、私に一歩近づく。


「・・・俺は・・・お前の事を・・・」

「・・・え!?」


私は、西岡の言葉の途中で素っ頓狂な声を出した。

人気の無い音楽室で、男が意を決したような眼差しで・・・女の私に・・・いや、今の私は男だから・・・

ええ!?頭がこんがらがってきたぞ!?

西岡は、何を言う気なんだ!?”男”として、ここにいる私に向かって、一体何を・・・!?


ま、まさか・・・!?いや、そんな馬鹿な・・・。

私は余計な考えを振り切るように口を開いた。


「ちょ、ちょっと待て・・・!西岡君!俺は・・・そのっ・・・君の事、よく知らないし・・・あのさ・・・」

「そんな事はどうでもいい。とにかく、俺の話を聞いてくれ、東條!」


そう言うと、西岡が私の両腕を強引にがっしりと力強く掴んだ。


「い・・・っ!?」


西岡は、真っ直ぐな瞳で、やはり私を観察するように見て、黙り込む。


「俺は・・・お前の事を・・・」

「あ・・・!」


まさか・・・西岡は・・・まさか・・・!


いくら、イケメンが目の前にいても・・・この状況、素直に喜べるはずが無い・・・!

目の前にいる西岡は男で・・・今の私も・・・(男装しているとはいえ)男だ・・・ッ!!


私がいよいよ耐え切れなくなり、大声を出そうかと思った、その時。

”ガラリ”と音楽室の扉を開ける音が聞こえた。


「・・・あら、何してるの?あなたたち・・・喧嘩?」


声の主は、音楽の赤城先生だ。

彼女を見るなり、西岡はぱっと私から手を離し、「・・・なんでもないっす。」と短く言って、さっさと音楽室を出て行ってしまった。

残された私は、ぽかんと口を開けたまま、しばらくの間、放心していた。

「・・・えーと・・・次の授業の準備があるんだけど・・・。」

赤木先生がそう言って、困ったような笑みを浮かべた。

「・・・あ、はい!す、すいませんでした!」


私はそそくさと音楽室を出た。

西岡・・・アイツは、何を考えているんだ!?


あまり、考えたくはない。考えたくは無いが・・・あの真剣な目とあの台詞・・・。

まさか、西岡は・・・男が、好き・・・なのか・・・?


そして、私は・・・男として、彼に・・・?


(は・・・初めて、イケメンに告白されたと思ったら・・・こんなの・・・)


ショックすぎる。私は、大いに凹んだ。

人生、初めての春かもしれなかったのに、悲しい事に、今の私は”男”。相手は・・・男好きの男。


・・・一体、このやり場のない悲しみと怒りを、どこにぶつけたら良いんだ!!!!!


麗香だ!!あの女が、全て悪いんだ!!

妹の為だけに、人の人生の時間を弄びやがって・・・!!!


私は、ドスドスと足音を立てて廊下を歩き、教室に戻った。


それから・・・後ろから妙な視線を二つ感じるようになった。


一つは、天ノ川愛美(女)。

もう一つは・・・西岡正樹(男)。


私(男装した女)は、自分の学園生活は波乱に満ちている、とひしひしと感じた・・・。



次の授業は体育になった。

確か、女子はハードルで、男子はバスケットボールをやるとか体育教師が言ってた気がする。

私は見た目は男だが、中身は女なのだ・・・運動は得意な方だが、それは女子の中でだけ。

体育でも下手をすれば、怪しまれるだろう。

(・・・バスケか・・・とにかく、身長の分、動きでカバーするしかないな。)

女子なら大きい方、男子なら小柄と呼ばれる中途半端な身長の私。体格差を埋めるなら、動くしかない。


私は、男子トイレの個室で着替えを済ませた。

扉を開けると、そこには・・・


「・・・着替え、ここでしたのか。」

西岡正樹が腕組みをして立っていた。

「に、西岡君・・・!」

まさか・・・待ちかまえていたのか!?

私は「まあね」とごまかし笑いを浮かべながら、そそくさと西岡の傍を通過して男子トイレを出た。

西岡の視線が背中に突き刺さるようで、私はとにかく急いで体育館へと走った。


授業が始まった。

軽いウォーミングアップの後、二人一組になれ、と言われた。

(・・・まずいな・・・。)

男友達をまだ作っていない私には、組む相手なんかいない。

そんな考え事をしていた時。


「東條!右!」


そんな声が聞こえ、右を向くと目の前にボールが・・・!!

声を出す間もなく、咄嗟に手を出し、ボールから顔を守る。

なんとか掌にバシンっとバスケットボールが当たり、手の甲が頬に当たった。

ものすごい力で、投げつけられたのが解る。

「いって・・・!」

ジワジワと痛みが掌に伝わり、バスケットボールが床に落ちる。


「悪〜い悪い。大丈夫かぁ?」

意地悪く笑いながら、こちらへやって来たのは細井だった。

「・・・細井・・・。」

私にボールを投げつけたのは、細井に違いない。

「いや〜手が滑っちまってよぉ。悪気はなかったんだ、まあ、許してくれよ。な?東條。」


全然、許しを請う態度ではない。

ムカつく・・・!

「なんだよ、その目は。謝ってるだろぉ?東條ちゃん。」

「てめ・・・!」

私がカッとなって前に出そうになった時、目の前に、ずいっと大きな影が立ちはだかった。


「・・・・・・・。」

西岡だった。

「な、なんだよ・・・西岡・・・!」

西岡は黙って、細井を睨むように見つめ続けた。

「・・・な、何か喋れよ!」

細井はきゃんきゃんと吠えるのに対し、西岡はただ黙って細井を見つめ続けた。

「・・・ちっ・・・気持ち悪いヤツ・・・!」

やがて根負けした細井は向こうへ行ってしまった。

そういえば、私にボールが当たりそうになるのを教えてくれた声の主はひょっとして・・・


「西岡君、さっき、俺にボールがくるのを教えてくれた?」

「ああ・・・ちょうど、見えたんでな。顔に当たると危ない。」


やっぱり。

無口だけど、西岡君はいい人なのだろう。


「・・・ありがとう。」


私は素直にお礼を言った。

すると、西岡は私に向かって言った。


「東條、俺と組まないか?」


助けられた以上、断りにくい。というか、断ろうにも他に相手がいない。

私は、西岡と組む事になった。


「・・・あのさ・・・なんで、俺なの?」


私は笑顔を作って、ボールを手にして西岡にパスをしながら聞いてみた。

すると。


「・・・な、なんとなく。」

そう言って、ボールを持って目を逸らしたまま、西岡は黙り込んだ。


・・・私の中の西岡への警戒心が更に上がった。






体育の授業は、西岡のお陰でスムーズに終わった。

というか、西岡とのコンビネーションが練習していく内に、どのペアよりも良くなっていったのだ。

練習試合でも、西岡が私にパスを出し、私がボールをまわし、西岡が決める、といった具合に、点を決めた。

現役バスケ部の男子よりは、特別活躍した訳ではなかったが、授業が終わってから、西岡も私もバスケ部の男子に入部しないかと誘われた。

西岡は相変わらず黙ったままだったが、私は笑ってごまかしながら断った。

・・・あくまで私の役目は、愛美を守る事だからだ。


(あ・・・女子も終わってる・・・。)


体育館の扉を開けると、グラウンドで女子2名がハードルを片付けている。

その中の一人は、愛美だった。

あんなに、たくさんあるハードルをたった二人で片付けるなんて・・・

見ていられなくなった私は、着替えるより先にグラウンドへ走っていった。


愛美は明らかに、持って歩くには多すぎる数のハードルを持とうとしていた。

「・・・あ、紘君・・・!」

私を見るなり、嬉しそうな笑みを浮かべる愛美。

その頬はわずかに赤く・・・見えるような気がするけど、私は即座に眼を逸らし、愛美の手にしているハードルに目を向ける。

「俺も手伝うから。」

そう言って、愛美からハードルを強引に奪い取る。


「え・・・でも・・・」

「いいから。天ノ川さんは、3つくらいでいいから。」


そう言って、私はハードルを持ち、歩き始めた。


「ありがとう・・・ございます・・・。」


小さいお礼が聞こえて、私もなんだか恥ずかしくなってきた。

愛美は私の後ろから、ついてくるように歩いていた。


「さっすが、東條!男前〜!」

遠くから笑いながら冷やかしたのは、藤川だった。


「いや〜助かるわ〜。男子は、バスケだったんでしょ?」


そう言って、ポニーテールを揺らしながら、藤川がハードルを体育館倉庫の奥に置いた。


「ん?そうだよ。ハードル、ここでいいの?」

「あ、そこに置いてー!」


言われたとおりに倉庫の奥にハードルを置く。

せっせと3人でハードルを運び、やがて私が最後のハードルを運び終えた。


「ありがとう!東條!私達、先行ってるね!」

「あの・・・紘君、ありがとうございました!」


愛美が丁寧に頭を下げ、藤川が「次の授業遅れちゃってるよ!」と急かす。

私は一人、体育館倉庫の中で小さく伸びをした。


「やれやれ・・・。」


自分から言い出した事とはいえ、予想より時間がかかってしまった。

もう次の授業は始まっているに違いない。


すると・・・



”バンッ!!”という音と共に、倉庫内が一気に暗くなった。


「え・・・!?」


振り返ると、倉庫の鉄の扉が閉まっていた。ガチャリという音がした。

嫌な予感がして、即座に扉に手をかけるが、扉はびくともしない。


「・・・無駄だよ、馬〜鹿。一晩そこで惨めに過ごせ。ははははは!」


その笑い声には聞き覚えがあった。


「細井!お前、やる事がいちいち小さい上に、汚いぞ!小物か!」


私がそう叫ぶと、細井は扉の向こう側で動揺していた。


「う、うるせえ!お前は・・・その・・・とにかく、気に入らねえんだよ!」

「なんだ、そりゃ!とにかく開けろ!」


私は扉を叩きながら、そう言ったが、細井は再び意地の悪い笑い声を私に聞かせながら言った。


「開けろって言われて素直に開けるか、馬鹿!ざ〜まあ〜ぁ!」


そう言って、笑い声は遠ざかっていった。


あんなヤツに・・・閉じ込められた・・・。


今の私には、携帯電話の類も何も無い。

人を呼ぼうにも・・・ここは、人が滅多に通らない体育館倉庫だ。


(今日は、厄日か・・・。)


私は跳び箱に寄りかかり、とりあえず、深い溜息をついた。

どのくらい、そうしていただろう。


運動の後だからか、静かだからか・・・なんだか、眠い。

私は目を閉じた。





そこから、ぷっつりと記憶が途切れる。





なんだか、苦しい・・・。

苦しさで目を薄く開ける。倉庫の小さな窓からは夕焼けのオレンジ色が見えていた。


(・・・ああ、もう夕方か・・・。)と思いながら、私は溜息をついた。


やっぱり、誰も助けになんて来なかった。

見つかるまで私はこのまま、放置されるのだろう・・・。


(苦しい・・・。)


そして、この苦しさは、胸に巻いたサラシのせいだろうな、と思う。


・・・どうせ、今日はこのまま誰も来ないのだ。

私は、自分の体育着をたくしあげ、サラシを少しだけ緩めた。



”カチャリ・・・ガラッ!”



「・・・東條!いる!?」


私は体育着をたくし上げたまま、その音の方向を見た。

そこには藤川が息を切らし、立っていた。


「う・・・うそ・・・」

「あ・・・!」


場所は、夕暮れの体育館倉庫。

こんな時間に、こんな不気味な場所・・・誰も来ないと思っていたのに・・・!


いきなりの・・・大ピンチ。



女である所を・・・見られた・・・!!



「東條・・・アンタ・・・!」

「藤川、あの・・・話を、とにかく、話を聞いてくれ!頼む!!」


私は、藤川に懇願した。藤川も自分が何を見たのか、まだよく理解していないようで、混乱していた。

とにかく、私は藤川の手を取り、話を聞いて欲しいと説得した。


「とりあえず・・・その・・・扉、閉めて・・・。」

「わ、わかった・・・。」




藤川がゆっくり頷き、体育館倉庫のドアを閉めた。




「あの・・・東條?・・・あの・・・えと・・・とにかく!えと・・・どういう事!?」

「とにかく、ゆっくり事情は話すから・・・落ち着いて。」

混乱している様子の藤川を私は落ち着かせる。

「わ、わかった・・・すー・・・はー・・・。」


藤川は深呼吸をする。

その間、私は必死にどう説明をしようか迷っていた。

まず、麗香と交わした条件の一つ・・・自分が本当は女である事を誰にも知られてはいけない、これに完全に違反している。

今更どうごまかしても、私が女である事はバレてしまった事に変わりは無い。

一応確認をしてみる。

「藤川。」

「な、なに?」


わずかな可能性・・・『実は暗くてあんまりよく見えてなかったんだ』的な展開を私は期待した。


「・・・今、何を見た?」

「東條の・・・胸・・・。」


(あちゃー・・・。)

それはもう、あっさりと私の期待は砕け散った。


「ねえ!東條って・・・お、女の子・・・なの?」


まだ戸惑っている様子の藤川の質問に対し、私は、仕方ないと覚悟を決めた。


「・・・そうだよ。・・・でも、最後まで話を聞いて欲しい。これには、訳があるんだ。」

「う、うん・・・」

藤川はマットの上に座り、私の話を聞く体勢を取ってくれた。

私は、これまでの事を静かに語った。






「と、いう訳で・・・俺・・・いや、私は愛美の護衛役の男として、この学校に来たんだ。」


私は全てを藤川に話した。


借金の事、母の入院費の事、借金をチャラにする為に、男装して愛美を監視している事・・・全部だ。


「そ、そんな・・・馬鹿な事って・・・!」


藤川はそう言うと、また困ったような表情になり、唸り始めた。


「・・・現にその馬鹿な事をやらされてるんだよ。こんな事までして。」


私は体操着を捲くり上げ、サラシが緩み膨らんだ胸を見せつける。

私の胸をじっとみていた藤川は、私の胸を指差し、言った。


「さ、触っていい・・・?か、確認の為よ!?」

「・・・うん。」


藤川がそっと腫れ物にでも触るかのように、私の胸に触れる。


「本物・・・だね・・・。」

「うん。」


「でも、東條・・・いくら、借金の為とはいえ、こんなの・・・こんなの、東條も・・・愛美もかわいそうだよ!!」

「・・・・・・。」


私は黙ってサラシを巻き直して、体操服を下ろした。

藤川は私に詰め寄って言った。


「愛美は、東條の事・・・本気で好きなんだよ・・・?」

「・・・わかってる。」


私がそう言うと、藤川は声を荒げて言った。


「わかってない!全然、わかってない!!」

「!!」


「東條、わかってないよ!これって、愛美の為でもなんでもないじゃない!むしろ・・・あの子がかわいそうだよ!」

わかっている。

そんなの、わかっている。

だけど。

「そんな正論が、あの麗香に通じたら私はこんな事してない。

・・・第一、借金を返して、母さんの入院費をどうにかするにはコレしかなかったんだ!他にどうしろっていうの!?」


私が語気を強めてそう言うと、藤川はハッとしたような顔して、俯いた。


「ご・・・ごめん・・・でも・・・愛美は・・・東條の事知らないんだよ?このままでいて、良い事なんかある訳ないよ!」


そう、肝心の愛美は私の事を何も知らない。

知らないまま、好意を寄せられているのを私は知っている。


「それでも・・・私はこうするしかなかったんだ。こんなの間違っているのは、私もわかってはいるんだ。だけど、どうしようもないんだよ・・・!」

私が搾り出すような声でそう言うと、藤川は”あ・・・”と呟き、そして、黙ってしまった。

このままで良い筈はない。だけど、今の私にはしなければならない事がある。


私は、藤川に頭を下げた。土下座だ。


「と、東條!?い、いきなり何!?」

「藤川・・・お願いだ、私が女だって事は黙っていて欲しい。お願いだから!」


私がしなければいけない事・・・この秘密を守る事。

そうしなければ、借金も何もかも全部パアになってしまう。


「東條・・・!や、やめてよ・・・そんなの、私・・・困るって・・・」

「わかってる・・・だけど、やりきるしかないんだ。協力して欲しい!お願いします!」


困惑する藤川に向かって、私は頭を下げ続けた。

土下座し続ける事、数分。

藤川は、重い口を開いた。


「・・・・・・・・・わかった。あんまり、気は進まないけれど・・・この事は、黙っとく。東條も苦労してるんだしね。」

「・・・ありがとう。藤川、ありがとう・・・!」


私は藤川の手を握ってお礼を言った。

だが、藤川の表情は冴えないままだ。


「だけど・・・問題は愛美よ・・・私、友達は裏切れない。愛美の事、応援出来なくなっちゃった・・・。」

「・・・・・・。」

藤川が困ったように笑い、私はそれに対し何も言えなかった。

「まあ、とにかく・・・私のモットーは、楽しい青春時代を謳歌せよ!だからさ。・・・東條の事、出来る限り、フォローさせてもらう。

東條も何か困った事あったら、相談してよ。友達として協力するわ。」

藤川は何か吹っ切れたような顔で、立ち上がった。性格がここまでさっぱりしているなんて、なんだか心強い協力者を得た気分になった。

そういえば・・・困った事、一つあるんだよな、と私は思い出した。


「藤川、実は困った事・・・・・・もうひとつ、あるんだけど。」

「何?」


私は思い切って相談してみる事にした。


「西岡正樹・・・どんな奴か知ってる?」

「西岡・・・西岡・・・ああ、あの孤立してる身体の大きいヤツ?なんか無愛想で、人との距離取り過ぎてる感じするよね。・・・奴がどうかしたの?」


「・・・アイツ、私の事、男だと思ってて・・・。」

「うん、それで問題ない訳じゃない?」


「いや・・・それが、私を男と思っている上で、その・・・私は、西岡に好かれている、みたいなんだ・・・。」


私の言葉に藤川は首を傾げた。


「ん?・・・どゆこと?・・・え?・・・え?・・・」


そして、数秒の間の後、やっと理解したらしく。


「・・・えええ!?あ、あいつ・・・そ、そっち系!?」


藤川は口に手を当てて、きゃーきゃーと騒いだ。

私は落ち着くように言ってから、藤川に頼み事をした。


「か、確証は無いんだけど、なんか危険な感じなんだ。悪いけど・・・藤川・・・一応、西岡の事、調べてもらっていいかな?」

「わ、わかった・・・ていうか、東條・・・本当に色々苦労して、大へ・・・」


”ガラッ”

藤川の台詞の途中で、体育館倉庫の扉が開いた。



「東條!無事か!?」


その声の主は、肩で息を切らしていた・・・西岡正樹だった・・・!


「に、西岡君・・・どうしてここに?」


私は引きつった顔で、そう質問すると、西岡は息を切らしながら言った。


「体育の・・・授業の・・・後から・・・お前が・・・いないし・・・天ノ川も、藤川も、何か慌ててたし・・・お前に・・・何か・・・あったのかと・・・!」


真剣な西岡の表情に、さっきまで西岡の話をしていた私と藤川はすっかり萎縮してしまっていた。


「え?あ・・・う、うん・・・私と愛美も、東條の事、見かけないからもしかして、と思って探しに来て・・・今、丁度見つけた所・・・」


藤川がごまかし笑いをしながら、事情を説明する。

すると、西岡が息を整えないまま怒鳴った。


「だったら、扉を閉めるな!誰かに鍵を掛けられたらどうするつもりだったんだ!?」


扉を閉めるように言ったのは私だ。

ただ、無口な西岡が怒るだなんて、私も藤川も予想してなかったので、驚いた。私も藤川も素直に謝った。


「ご、ごめん。」

「ご、ごめん。」


「あ・・・悪い、大声出して・・・とにかく行くぞ、二人共。他の場所を探してる天ノ川にも声を掛けよう。」


そう言って、西岡は慌てるように先に行ってしまった。

残された私に向かって藤川はポツリと言った。


「東條・・・私、確証は無いとは聞いてたけど・・・あながち、間違ってないかもよ・・・アレ・・・。」


それに対し、私は力なく答えた。


「やめてくれ・・・今は、もう・・・何も考えたくない・・・。」


私は、秘密を共有する協力者を得る事が出来た。

それと同時に、警戒すべき人間が出てきてしまった事を再確認させられた。

私と藤川は二人で教室へと戻った。


藤川と教室に戻ろうとすると、愛美と細井が教室の窓から見えた。


「でさ、そこって、めちゃくちゃ面白いんだよ!女の子も楽しめるし、どうかな?今度、俺と一緒に行ってみない?」


私を体育館倉庫に閉じ込めておいて、その間に、愛美をナンパか・・・!

(あの野郎・・・!本当に汚いヤツ・・・!)


私が飛び出そうした時、愛美は申し訳なさそうな顔をしていたが、突然表情を引き締め、口を開いた。


「・・・あの、私、今・・・大事な人を探してるんです!だから・・・ごめんなさい!」


(・・・あの愛美が、ハッキリ断った・・・。)


他人の勢いに流されそうな、弱々しい態度と言葉だけだった愛美。

だけど、今の言葉にも、いや、愛美の表情にもハッキリと愛美の拒否の意思が入っていた。



『ただ、自分が嫌ならちゃんと自分で嫌だと言いなさ・・・いや、言えよな。

自分で自分を守る事も少しは覚えてちょ・・・いや、覚えろよな。』



(あの言葉を覚えていてくれたのかな・・・。)


もしも、そうなのだとしたら・・・少し嬉しい。

自分の一言で、誰かが少しでも前へ、一歩でも前に進めたのならば、それは喜ばしい事なのだ。


細井は愛美の言葉と態度に少し動揺したが、すぐに鼻で笑って言った。


「そ、それって・・・もうダメなんじゃないかな?」

「・・・え?」



「ああ、いや、帰っちゃったかもって、意味だよ。もう日も暮れちゃうしさ、俺と帰らない?天ノ川さ・・・」



「・・・誰が”帰った”って?」


私は教室の扉を開けながら、低い声でそう言い放ち、細井を睨みつけた。



「と、東條!?ど、どうして・・・!?」


完璧に動揺する細井に向けて、藤川が言った。


「その”どうして”かの経緯を愛美の前で披露しちゃったら、細井君的にマズイんじゃないのぉ?」


「・・・う・・・!」


「え・・・透、どういう事?」


愛美が怪訝な顔をして藤川にそう尋ねると、細井はみるみる顔色が変わっていった。


「あ、あー!!そういえば、俺、塾があるんだった!帰るわ!」

そう言って、鞄を素早く取り、そそくさと教室を出ようとする細井に私は早足で向かっていった。


(逃がすか・・・!)


”バンッ!”

恨みの集大成をぶつけるように、私は壁に思い切り手を叩きつけるようにして、細井の前に立ちはだかった。


「・・・待てよ。」

「な、なんだよ!?東條・・・俺は急いでるんだ!」


「文句があるなら、男も女も関係ねえ。正々堂々、ちゃんと言えよ。・・・受けて立つ。」

「は・・・ははッ。な、なんの事言ってんだか・・・お前、笑えない冗談言ってんじゃねえよ、バカじゃねえの?」


細井はヘラヘラ笑ってごまかそうとしていた。


「ッ!お前・・・!」


ここまでシラをきられてしまえば、私だっていよいよ頭が沸騰してくる。


・・・が。


”バンッ!!!”

一際、大きな音がした。私の後ろから、細井の進行方向を塞ぐ人物が現れた。


「ひっ!?」

「西岡・・・君!?」


振り向くと、西岡が私と同じ姿勢で立っていた。

そして、低い小声で西岡は言った。


「・・・俺も東條に同意見だ。・・・今度、東條に卑怯な真似をしたら、俺にも喧嘩を売ったと思え。わかったら頷いて、とっとと失せろ。」

「・・・・・・。」

西岡のあまりの迫力に、細井は完全に戦意を喪失し、ヘラヘラ笑顔を凍りつかせながら、すぐにコクコクと首を縦に振った。

「よし、行け。」


犬のように細井は教室から逃げるように走り去って行った。


「あ、西岡君、ありがとう。」


私は素直にお礼を言った。西岡の脅し効果は抜群だったと思う。これで、細井も滅多に手を出してこないだろう。


「・・・いや。じゃ、俺帰るわ。」


そう素っ気無く言って、西岡君はチラリと愛美を見てから、さっさと鞄を取って帰ってしまった。


・・・それにしても。

この西岡正樹という人物は、どうしてここまで私に親切、というか・・・助けに入ってくれるんだろうか・・・。

それは、やっぱり・・・私を男として好きでいてくれてるから・・・?

私が本当は”女”だと西岡が知ったら、どうなるんだろう?

いや、いっそ私が女だという事を知っていただいて、その好意は受け取れませんし、どうしようもない、と本人に知らせるべきなんじゃないだろうか。

・・・いやいや、早まるな。藤川にバレてしまったし、これ以上の秘密の漏洩は避けたいところだ。



「東條君、あの・・・大丈夫、ですか?倉庫に閉じ込められてしまったとか・・・私が、あのままちゃんと最後までやっていれば・・・」


私は藤川をチラリと見た。藤川は「大体の説明はしたから」と言った。


「あ・・・気にしないで。今まで、俺を探してくれてたんだってね?こんな遅くまで、心配かけてゴメン。

それから・・・本当にありがとう、天ノ川。」


私が素直に思った事を言うと、愛美の顔は耳まで、みるみる真っ赤になっていった。


「あ、あの・・・えと・・・ちょっと、失礼します・・・っ!」


そう言って、愛美は走って教室を出て行ってしまった。


「・・・東條・・・アンタ、天然ジゴロだよ。」

藤川が呆れたように言った。


「ど、どこが!?普通にお礼言っただけじゃないか!」

私は慌てて藤川を見た。

藤川は机の上に座って、ビシッと私に向かって言った。


「今の愛美にとってはね、その普通の一言一言が嬉しいの。好きな人にありがとうって笑顔で言われたら、嬉しいに決まってるじゃない。わかるでしょ?」

最後に藤川は小さな声で私の心をチクリと刺すように「・・・同じ女なんだから。」と呟いた。


「あ・・・。」


そうだ。

愛美は、私の事を好き、なんだ・・・。

何も、知らないで・・・。


「だから、アンタの今やらされてる事って、ものすごく愛美を傷つける事にもなる訳よ。アンタは愛美の気持ち知っていて、こんな茶番を続けなきゃいけないんだから。」

「・・・・・・うん・・・。」


藤川の言葉に私は、うなだれて椅子に座った。


「でも、東條にも東條の事情があるんだから、悪いのは・・・そのお姉さんだよね。」

「うん・・・だけど・・・」

「ん?」


私は窓から見える夕暮れを見ながら言った。



「・・・私も、同罪だ。」


いや、もしかしたら・・・私は、麗香よりも、ずっと悪者になるのかもしれない。

愛美の気持ちを知っていても、知らぬ振りをして、ただ金の為に優しく接して、愛美を守る役を演じる。

それらを隠し、女である事も隠し、嘘ばかりつき続けて、愛美を守るだなんて・・・。


いや・・・何が”守る”だ。おこがましい。


私は、私の為にしか動いていないじゃないか。

そう思うと、胸が締め付けられるような思いがした。


多分・・・罪悪感、というヤツだろう。



「東條!」

「ん?」

”パンパン”と手を叩いて、藤川は言った。


「辛気臭い顔しなさんな!申し訳ない、と思ってるなら・・・愛美と私にクレープを奢りなさい!」

「なんで、そうなる?」


私は藤川の突拍子も無い提案に思わず苦笑して答えた。


「東條にだって、学生生活楽しむ権利あるんだから!楽しい下校時間を満喫しようよ!余計な事は、もう無し!楽しもう!」

「・・・そうだね。」


そう言って、私は体操着から制服に着替えに男子トイレに向かった。

教室に戻ると、愛美と藤川が笑顔で待っていてくれた。

嬉しそうに無邪気に笑いかける愛美の表情につられて、こちらも笑顔になる。


「よしよし、じゃ、行きますかー!」

「東條君、行きましょう?」

「ああ。」


私達は、笑顔で教室を出た。

藤川の先導の下、私は寄り道をする事になった。

やがて商店街の中に入って行く。惣菜の美味しそうな匂いが、食欲をそそる。


「私、こういう所、初めてです。」


愛美は、珍しそうに辺りを楽しそうに見回している。


「ははっ。やっぱり愛美は、そうだと思った。今日は、私が庶民のグルメってヤツを教えてしんぜよう。」


藤川は、商店街の真ん中をどんどん歩いていく。


「ありがとう!透!すごく楽しみ!!」


愛美は藤川の隣で無邪気に、楽しそうに笑っていた。


「私、基本的に寄り道とか、飲食の類は家でしなさいって厳しく言われてて・・・。でも、こういうの、ずっとしたかったの。」


・・確かに。大体、愛美が、こういう場所に行くのをあの麗香が許す訳がないだろう。


「あ、ちなみに今日は、東條が全部おごってくれるらしいから。じゃんじゃんリクエストしなさい。」


スラッと藤川は私を財布係に任命した。


「なにっ!?クレープだけじゃないのか!?」


私が直ちに抗議をしようとすると、藤川はニヤリと笑って言った。


「東條〜・・・女の子の前では気前良く。それが”男”ってもんよ。あ、ここのコロッケ美味しいよ!!」

「・・・藤川・・・お前・・・!」


・・・確かに、今の私は男だ。

それに、今日は二人共私の心配をして探してくれた上に、藤川には本当は女だという事を黙ってもらう”借り”もある。


「・・・紘君、あの・・・」


愛美がコロッケを注文する藤川と私を交互に見て、申し訳なさそうに私を見る。

私は笑って、大丈夫と愛美に言った。


「いや、いいよ。二人には心配かけたし、なんでも来い!」


・・・で、いいのかな?と藤川に確認するように視線を送ると、藤川はニッコリと笑った。








3人で並んで立ったまま、コロッケを口に運ぶ。


「美味いっ!」

「でしょう?ここは、揚げたてをくれるのよ。」


愛美は立って食べる事にも慣れていないらしく、しきりに人目を気にしていたが、私達が堂々と立ってコロッケを食べているのを見て、やっとコロッケを食べた。


「・・・美味しい!衣はサクサクしていて、中のじゃがいもは、甘みが出てて、すごく美味しい!」

「なんか美食家みたいなコメント言ったわね。愛美。」


私も藤川と同じ事を思い、つい笑ってしまった。


「だって、このコロッケ、本当に美味しいよ!透!」

「だから言ったでしょ?庶民の味、侮るなかれ。」


藤川は胸を張って、得意げに言う。

愛美の家では、一体コロッケはどんな風に作られているのだろうか。・・・いや、そもそもコロッケすら出ないんじゃないだろうか?

熱々のコロッケを完食した私達は、藤川が言っていた当初の目的地であるクレープ屋に連れて行かれた。

そのクレープ屋は商店街の端っこに、しかも移動販売車で店を構えていた。

車の前にはベンチが2つ置いてあり、既に1つのベンチでは他の女子高生がクレープを食べていた。


「いらっしゃい!お、透ちゃん、今日もお客連れて来てくれたね!」


店の小窓から、バンダナを着けた快活そうなお姉さんが顔を出した。


「そりゃ味もよければ、ここのクレープは女子に優しいからね!」


(・・・ん?どういう事だ?)


小窓の隣にある、メニュー表の更に横にこんな張り紙が貼ってあった。


『水曜レディース割100円引き!』


藤川が今日寄り道に誘ったのは、この為か。しかし、100円引きは嬉しいな。


「おや、今日は可愛い女の子に・・・あ、男の子もいるんだー!・・・うん、なんというか、男の子にしては、かわいいわね!」

「・・・は、はあ・・・。」


褒められても、男の子として、だもんな。素直に喜べない。


「透、どれを選んだらいいの?」

「そうね〜、私のおススメは、チョコバナナ生クリームか、キャラメルプリンか、ストロベリーチーズケーキかな。」


メニュー表には、色々なクレープの名前があり、どれも美味しくない訳が無い組み合わせのものばかりだった。

だけど、一番惹かれるのは・・・。


「・・・あの、紘君は?」


愛美に聞かれ、私は迷わず答えた。


「俺は、ストロベリーチーズケーキにしようかな、と。」


すると、店のお姉さんが笑って言った。


「女の子人気ナンバー1をチョイスするとは、なかなかのスイーツ男子だね!」


私はその瞬間、心の中で”ヤバイ!”とドキドキしつつも『スイーツ男子』で片付けられてしまったので、私はひたすら落ち着く事に専念した。

ありがとう。スイーツ男子という単語を作ってくれた人・・・!


「じゃあ、私は・・・その隣のキャラメルプリンにします。」

「おし!お姉さん!ストロベリーチーズケーキとキャラメルプリン、それからチョコレートケーキ生クリーム大盛りお願いします。あ、会計はコイツです。」


藤川に言われるまま、私は財布を取り出した。

ちゃんと料金を払って・・・

「・・・あ、100円足りないね。」

お姉さんにそう言われ、私は首をかしげた。

あれ?合ってるハズ・・・今日は100円引きだし、3人分ちょうど出し・・・



「あ。」



そうだった・・・今の私は・・・男だった!

レディース割引きが適応されないなんて!悲しい・・・!!


「す、すいません!計算間違えちゃいました。」


私は慌てて、100円を支払い、クレープが出来上がるのを待つ。


やがてクレープが出来上がり、私は二人にクレープを渡した。

その瞬間、また愛美がぱあっと笑顔になった。


「美味しそう!みんな、学校の帰りに、こういうのを食べてるのね!」

「お小遣いとダイエットを蹴散らす余裕があればねー」


そう言って藤川が苦笑いする。


「紘君のも綺麗で、美味しそうですね!」

「あ、食べる?」


何気なく私が発した一言に、愛美が固まる。


「え、あ・・・あの・・・」

「一口どうぞ。」

せっかくの機会だし、愛美にとことんクレープの味を知ってもらおうじゃないか、と私は自分のクレープを勧めた。


「・・・あ、はい・・・。」


恥ずかしそうに愛美は口を開け、そっとクレープに口を付けた。


「美味しい?」

私がそう聞くと、愛美はすっかり真っ赤になった顔で、小さく”はい”と頷いた。


「じ、じゃ、食べようか!」


藤川がそう言って、私達はクレープを食べた。

喋っては食べ、喋っては食べを繰り返しながら、藤川は場を盛り上げてくれていた。

美味しいクレープに、楽しい友人。

・・・これで、私が女のままだったら、もっと楽しかったのだろうか。

笑いは絶えなかったが、愛美が少しぼうっと私の口元を見ている時があった。


(なんか・・・口についてるのかな?)

と思って指で拭おうとすると、愛美はすかさずハンカチを出し、私の口元にそっと添えるように優しく押し当てた。


「・・・あの・・・お口の右端の方に、クリームがついてました。」

「あ・・・なんか、ゴメン。」


愛美は気が利くいい子なんだな、と私は思っていた。

ふと、私達を藤川がなんだか複雑そうな顔で見ていた。


クレープを食べ終わり、私はゴミを捨てにゴミ箱に向かった。

すると、その隣に藤川がやってきて小声で言った。


「さっきのアレ、何?」

「何って・・・何の事?」


「クレープ食べさせて、間接キスするわ、愛美に口拭いてもらうとか・・・あんたらカップルか!」

「あ・・・!」


藤川に指摘されるまで気が付かなかった。

普通の女同士ならやってもおかしくはない事を、”男”である私はやってしまったのだ。


「あのね・・・応援したいのはやまやまなんだけど、女同士でしょ?アンタにだって、その気はないんだから!

しっかり、ちゃんとライン引いて”いい友達”でいなさいよ!」

「ご、ごめん・・・。」


何故、藤川に謝らなくちゃいけないんだろう、と心の中で思いつつ。

ふと愛美を見ると、クレープの包み紙を愛おしそうに見つめているのが見えた。


・・・余程、気に入ったのか・・・楽しかったのか・・・。


ふと目が合うと、愛美はニコリと微笑んだ。その後、恥ずかしそうに俯いてしまった。


愛美は、無邪気で、何も知らない。

そして、私の事を真剣に想っている。


・・・罪悪感が、また顔を出す。





このまま、愛美の好意を知りながら、彼女を騙し続ける事が本当に、ベストな選択なのだろうか、と。








「決まっているわ。正しい事を貴女はしてるのよ。」




麗香は私の部屋に来て、そう言い放った。

とりあえず、今日の事を報告すると、麗香は鼻で笑って言った。


「その細井とかいうヤツを踏み台にして、愛美の興味をうまく自分に引き付けたわね。よくやったわ。

そして、愛美に庶民と触れ合ったという思い出が出来たわ。愛美のあんなに嬉しそうな顔は久々に見られたわ。

ふっ・・・これで、いいのよ。間違ってなどいなかった!」


(・・・褒められている気がしないし、やっぱり間違ってる気がする。)


むしろ、細井なんかに目をつけられなければ、もっと良かったのに。いい迷惑だ。

勿論・・・今日、藤川に女だという事がバレたのは、秘密にした。


「今後も、何が何でも、愛美を他の男に掻っ攫われるような事がないようにね。その時は、貴女は終わりよ。」


麗香はそれだけ言うと、帰って行った。


私は部屋の真ん中で大の字になって寝転がった。

なんだか、今日は精神的に疲れた。

自分の本当の姿がバレたり、体育館倉庫に閉じ込められたり・・・


『・・・あの、私、今・・・大事な人を探してるんです!だから・・・ごめんなさい!』


愛美に心配されたり。


『紘君のも綺麗で、美味しそうですね!』


愛美と藤川と仲良くクレープなんか食べたりして・・・


(・・・すごく楽しそうだったな・・・愛美・・・。)


愛美から向けられる視線に気付いていない訳じゃない。


(でも、愛美が見ている私は、本当の姿じゃない・・・。)



解かれたサラシを掴んで、私は・・・


「・・・ごめん。」


と、届くはずの無い謝罪の言葉を口にしていた。




第2話・・・END

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