鬼、と呼ばれし者
〜3〜
「神子殿!」
静まり帰った深夜の屋敷内に、叫び声がかすかに響き渡った。
自らの声に息を切らせながら、頼久は布団から起き上がった。
無意識に触れた額からは、次ぎから次ぎへと汗が滲み出す。
…あれから、一体何度、同じ夢を見、同じように目を覚ましただろう。
繰り返される悪夢。
しかし、それは、決して夢の中だけの話ではない。
今頃、彼女は、一体どんな目に会っているというのか…。
「…っく…」
歯をきしませ、頼久は呻き声をもらす。
「おい、頼久、大丈夫か?」
ふいに聞こえた声に、頼久ははっとなり、部屋の入り口へ視線を移した。
「…天真…」
少し安堵したような声で、頼久はその名を呼んだ。
「そのへん見まわってたら、いきなりお前の声がしたんで、驚いたぜ…」
言いながら、天真はスタスタと頼久の隣りまで寄って来た。
「…そうか、今日の夜衛はお前だったな」
頼久はぽつりと呟く。
神子が攫われてからというもの。
鬼の一族は、前にも益して奇襲をかけてくるようになった。
理由は、おそらく八葉、ならびに、敵対勢力の抹殺だろう。
それは同時に、囚われの神子への心的ダメージにもつながる。
鬼の目論見は、大体分かってはいた。
神子を欠き、八葉は皆、常人と違わぬ力しかもたない身となり、とうてい鬼には太刀打ち出来ない。
ましてや、奇襲など受けたら、ひとたまりもない。
そこで、藤姫の提案もあり、今、八葉は全員、藤姫始め、祈祷師、陰陽師などが張った結界のもと、この屋敷に寝泊りをしている。
とはいえ、ここも万全ではなく、相次ぐ奇襲により傷ついた者もいて、毎晩交代で見張りを立てるのが日課となっていた。
…いつまで続くとも知れぬこの生活に、皆の疲れが見え隠れしながらも、成す術もなく、同じ日々が続く。
全ての積は自分にある。
頼久はそう自らを責めつづけ、毎夜の如く、うなされては目覚める。
それは、ここに居る八葉、全ての知るところであった。
「…頼久……、その、なんつーか…。 あんまり、気にすんなよ…、きっとお前でなくても、誰がその場にいたって、どうにもならなかったはずだぜ…」
隣りに腰を下ろしながら、天真は寂しげな口調で言った。
頼久はそんな天真の心遣いに、心なし表情を緩める。
「…すまないな、天真…、お前にまで気を使わせてしまったか…」
ため息混じりに呟く頼久は、いつもの猛々しさなど微塵もなく、ただ儚げな笑みをたたえていた。
「しかし、やはりあれは私の責任なのだ。 私さえ居なければ、あの日、あの場に神子殿が行くこともなく、鬼に不意を付かれるようなこともなかった。」
口調を荒げ、頼久は言葉を続けた。
自分さえ、彼女に近づかなければ、と。 何度も繰り返しながら。
淡々としたその言葉に、天真は少し痺れを切らす。
「…でもよ、あいつは…、あかねはそんなこと、これっぽっちも責めてねーと思うけど」
少々いらだった様子で、天真は言う。
「あいつ、お前と居る時、ホントに楽しそうだった。 こっちに来てから、あいつのあんな笑顔、他の時に見たことないもんな」
「…………」
言葉を失った頼久に、天真は得意げに笑みを浮かべた。
「あいつは、絶対お前を責めたりなんかしてないぜ、長い付き合いの俺が言うんだ、間違いない。 …いや、どっちかってーと逆だな。 丁度今頃、お前とおんなじように、自分のこと責めてんだぜ、……そーゆーヤツだから、さ」
「……ああ、そうだな」
天真の言葉に、頼久は目を細めながら頷いた。
そんな頼久に、天真は少し安堵し、そしてにやりと笑みを浮かべると、唐突に首に手をかけ締め上げるようにひっぱる。
「…惚れてんだろ、お前」
「…な…」
「ったく、正直なヤツ」
「…………」
真っ赤になった頼久を、からかうように天真は笑う。
「だったら、惚れた女の前で、んなシケた面見せんじゃねーぞ。 …言っとっけど、あいつ泣かせたら、俺が許さねーからな」
そう言うと、手を離し天真はそのまま立ちあがり、部屋の入り口の襖へと向かって歩き出した。
頼久は、そんな天真の姿を見ながら、心から笑みをもらした。
「すまない、天真」
「…気にすんなよ、お前が死にそうな面してると、俺も調子でないしな」
ケラケラと言いながら、天真は襖に手をかけ、そしてふと立ち止まり、振り返り
「…そのうち、絶対。 笑顔であいつを迎えてやろうな…」
静かな口調で言うと、そのまま部屋を駆け出て言った。
一人になった部屋で、頼久は、いつのまにかあけ始めた空を見上げながらため息を付く。
「…ああ、そうだな…」
一言もらし、そしてまた天を仰ぐ。
後悔に暮れていては何も始まらない。
いつか、そう教えてくれたのは、彼女だった。
「………ん?」
あかねは相変わらずけだるそうに瞳をあけ、ゆくりと半身を起こした。
いつもとまるで変わらぬ部屋。
今が朝なのか夜なのか、それさえも、もう分からなくなってきていた。
「お目覚めか、神子」
部屋に響いた声に、とっさに視線が行く。
ここへ来てから、嫌と言うほど聞いたその声。
鬼の首領、そしてこの部屋の主。
自分をこんな目にあわせている張本人が、そこにはいる。
当初は、彼と同室に監禁されたことで、色々な勘ぐりをして、嫌な予感に打ち震えていたりもした。
だが、
監視、というよりは、鑑賞するかのように、毎日薄ら笑いを浮かべながら、こちらを見る。
ただそれだけ。
何をされるでもなく、ただただ生殺しのような日々。
そこにかかる、あかねへの精神的苦痛は、今やかなりなものになっていた。
あかねは、いつものように聞こえるアクラムの声に、無意識に顔を向けると、
一瞬、呆然と目を見張った。
違和感がある。
その正体は、瞬時にして見て取れた。
サラリと、
流れ落ちるように、澄み、輝く金糸の髪。
普段は、被り物によって隠されていたそれを、はっきりと目にしたのは初めてだった。
「……綺麗………」
思わず、あかねの口から言葉が漏れる。
自分で発した言葉が、まるで自分のものでは無いようだった。
このところ、彼を恨まぬ日など無かった。
そんな相手に向かって湧いた今の感情が、自分でも信じられなかったのだ。
長い、長い金の髪を無造作に掻き上げながら、アクラムは刹那行動を止める。
あかねの戸惑いと共に、微かに動いた彼の仮面の下の表情に、その時のあかねは気付くはずも無かった。
「…今日は、出かけてないのね…」
あかねは、思わずアクラムの顔から目をそらし、、ぽつりと言った。
「神子殿のご希望とあらば、いつでも奇襲に出向いてかまわないが?」
アクラムは、ニヤリと口の端をまげ呟く。
その言葉に、あかねははっとなる。
…やはり、今までの留守は、皆、……奇襲を…。
あかねの胸の内に、忘れかけていた嫌な予感が蘇る。
同時に、懐かしい、懐かしい声が思い出される。
…みんなは、無事なのだろうか?
今まで、いくら問いても得られなかった答え。
今、一番欲しい言葉。
きっと、今目の前にいる人物は、その答えを知っている。
だが、決して口にはださない。
仮面に隠した顔が、微かに歪む。
ただそれだけ。
一体、今まで、何度その笑みに絶望を感じてきただろう。
「お館様!」
ふいに、甲高い声が部屋に響いた。
「ラン、どうした?」
言いながら、アクラムは立ちあがる。
そして入り口付近で二人はしばし話す。
その会話は、いつものように、一向に聞き取れない。
その後、やはりいつものようにアクラムは部屋を去って、見張りに残されたランが、あかねの正面に座った。
「…何があったの?」
「……………」
「ねぇ…」
「………」
何度となく繰り返される言葉。
結果は決まっている。
それでも、あかねはいつも問い続ける。
だが、それでも、
やはり結果は変わらない。
だが。
「…神子」
「……え!?」
唐突に発せられた声に、当のあかねは思わずキョトンとなった。
「お前は、何故なのだ?」
「………は?」
いきなりなランの不可解な問いに、あかねは思わず間抜けな声を出す。
「前に言っていた。 お前のその先にあるものが知りたい」
ランは表情を変えぬまま、
「お前が、そうまであきらめることをしない、それは何故なのだ?」
抑揚の無い、
でも、いつもとは違う、
意志のある言葉に、あかねの表情が少しだけ輝く。
「ラン、あなたあの時のこと覚えてたんだ…、ありがとう」
「何故、礼を言う?」
「え…、別に、なんとなく…」
「……そうか」
「どうかしたの?」
「…どうもしない。 …ただ、言われたことが無かったから」
ランは、少ししどろもどろになりながら言った。
あかねは、そんなランの姿に、ふとしばらく前に見たセフルの表情を思いだした。
あの時もセフルも、丁度、今のランのような表情をしていた。
あかねはくすっと笑い、まだ少しだるそうに姿勢を改めてランの方に向けた。
「…そうだな。 …信じてるから…かなぁ」
「信じてる?」
「そう」
あかねの言葉に、ランは興味深そうに耳を傾ける。
「皆を信じてるから、せめて、信じた皆に恥じないように、そうしたいって、思ったの」
まっすぐな瞳。
意志の強い眼差し。
ランはいつのまにか、あかねから目が離せなくなっていた。
「ラン」
突然かけられた声に、ランとあかねの会話は中断された。
「セフル君」
あかねは思わずその名を呼ぶ。
セフルは、何故かバツが悪そうに目をそらす。
「ラン、お館様が呼んでいる。 神子の見張りは交代するから、早く行け」
セフルの言葉に、ランは迷うことなくすばやく部屋を出て行った。
そして、部屋にはセフルとあかねのふたりとなり、何故か気まずげな沈黙が漂っていた。
「セフル、そこにいたのか」
「イクティダールさん?」
唐突に入ってきた人物に、あかねはその名を呟く。
イクティダールは、そんなあかねに、鎮痛な面持ちで目を合わせることも無く、セフルの方を向いた。
「なんだ」
セフルは面倒くさそうに呟いた。
「…いや、少し話があっただけだ。 別に後でも構わん」
ぽつりと言って、イクティダールはちらりとあかねの方に目をやった。
克明に見て取れる、疲労の滲んだ表情。
以前会った時とは、明らかに違う、痛々しいほどにやつれたその姿に、イクティダールはたまらず目をそらす。
「…すまない、神子」
押し殺した声で、一言呟く。
今の彼に出来ること、それが全てだった。
「イクティダールさん…」
そんな彼の様子に、あかねはいたたまれず声をかける。
「そんな顔しないでよ、…イクティダールさんのせいじゃないもの…」
「…神子……」
あかねの顔に浮かぶ、晴れがましいほどの笑みに、イクティダールは目を見張る。
隣りに居るセフルもまた、同じ表情をしていた。
分からない。
なぜ、この少女は…。
「…ったく、一体何してるんだいこんな所で」
二人の思考を、唐突にさえぎったのは、見知った甲高い声だった。
「シリン?」
イクティダールはぽつりとその名を言った。
「おやおや、お館様だけでは飽き足らず、今度は別の男をたらしこもうってのかい? 龍神の神子」
あかねを見るなり、シリンは今まで以上に食ってかかってきた。
だが、その顔には、何故か焦りのよなものが見て取れる。
イクティダールとセフルもまた、シリンのいつもとは少し違った雰囲気に察し、微かに驚きを隠せなかった。
「お前、どうしたんだ? 何かあったのか」
思わず尋ねたのはセフルだった。
「何か、だって? …ハン…お前みたいな坊やに心配されるほど、落ちぶれちゃあいないよ…」
いつものような憎まれ口、だが、やはり違う。
いつものような、余裕が、全く感じられない。
「…気に入らないんだよ…」
呟きながら、シリンは一心に一方に視線を向ける。
その視線の先に、イクティダールとセフルは少しだけ状況を察した。
シリンは、迷いも無く一心に、あかねを睨み付けている。
その表情は、今までの恨みがましいものではなく、戸惑いのようにも見て取れた。
自ら、このような状況に追いやられ、尚、
笑みを浮かべ、慈悲を持つ、小さな少女。
シリンもまた、戸惑っているのだ。
そんな彼女に。
「みんな、大好きなんだよね…」
あかねの、ぽつりと漏らした言葉に、3人は一瞬呆然とした。
「……なんのことだ」
始めに言葉を発せられたのは、セフルだ。
「アクラムのことが、…ここにいるみんなは、本当に大好きなんだ…それだけ、なんだよね」
あかねは、かまわず言葉を続けた。
「…ずっと、色々考えてた。 だって、鬼の人達って、アクラム以外は悪い人には全然思えないんだもん。 …それで、なんとなく分かった」
あかねの微笑に、シリンは心なし俯いていた。
そんなシリンに、あかねはちらりと視線を移す。
「…あたしにもね、好きな人がいるの。 …だから…」
悲しいほどに、愛しい気持ち。
切ないほどに、やるせない、想い。
あかねはそれを、ここにいて、痛いほどに感じた。
彼の何が、人をこここまで惹き付けるのかは分からない。
でも、
これだけは分かる。
ここに居る人は皆。
彼を慕い、彼の間違いを知った上で、尚、彼に付いて行こうとしている。
しばらく、沈黙は続いた。
その後。
前触れも無く、シリンは無言でその場を去った。
そして、追うようにイクティダールも。
見張りに残ったセフルは、何故か必死に、あかねから目をそらしていた。
「セフル、ご苦労だった」
「………いえ…」
戻ってきたアクラムに、一言言うと、セフルはそのまま足早に去っていく。
そんな姿に、アクラムは今までにない、違和感を感じる。
以前にも、それは感じていた。
何かが、いつもとは変わり始めている。
ふいに、足元に視線を移すと、
結界の中、横たわった少女は、静かな寝息を立てていた。
しばし、その姿を見ながら、ふと今朝のことが思い出される。
丹念に、まとめあげた髪に、無意識に触れ、彼はため息を付く。
幼い頃から、何度この髪を呪ってきただろう。
京の者とは、明らかに違う色をした、この髪を。
この髪のせいで、一体何度、苦汁をなめたか。
ハラリ…、と音を立て、アクラムは結い紐をとく。
流れ落ちるように、暗がりの中小さな蝋燭の明かりを、その髪は見事なまでたたえ、キラリと瞬いた。
自ら、恨めしいと思いつづけたこの輝きを、
目の前に横たわるこの娘は、美しいと称したのだ。
考えたことも無かった。
この輝きが、美しいなど、一度たりとも。
再び、アクラムは眠るあかねの姿を見つめた。
この、小さな少女がいる。
それだけで、まるで陽だまりのように、あたりの空気が緩やかになるのは、何故なのだろう。
思わず、仮面を取り外し、その澄んだ蒼い瞳が、緩やかに微笑む。
その瞬間、
アクラムはすっと、あかねの横に腰を下ろした。
カラン……、
アクラムの手より滑り落ちた仮面が、静まり帰った部屋に、無機質な音を立てた、丁度その時。
静かに寝入るあかねの唇に、アクラムの唇が落とされていた。
…と、いうわけで、予告どうり予告を破り(?)やっと続きです(爆)
……なんとゆーか、この話のあかねちゃん、かなり聖女様入ってますね(汗)
ゲームプレイ時から、どうも私のイメージは、こういう感じでした彼女。
天然で、本人意識しないまま、気がつくとまわりの人間の心の中に入りこんでいる、というか…。
はかなく、優しいあかねは、かなりマイドリームだったりします(^^;
そして、そのムードで、鬼を翻弄させたい〜、とこのシリーズを始めたわけですね(笑)
しかし、今回……。
終わり方、かなりあかねちゃん、貞操のピンチ(爆)
…いや、そういう展開にはならないつもりですが…(←つもりって……)
前回の予告のとうり、やはりこの話は、そこそこの長編になりそうです。
どうぞ、これからもよろしくしてやってくださると嬉しいです。
ではでは、…次回は多分11月には…(汗)
でも、その前にまた短編とか書きたいですね、遥か…。