鬼、と呼ばれし者
〜7〜
「…めぐれ、天の声、
響け、地の声、
―彼の者を封ぜよ―」
…静かな寺社の前で、轟音が轟き、そして、あかねの手に一枚の札が現れた。
札を手にしながら、あかねはひとつため息をつく。
「どうしたんだよ、あかね。 せっかく封印まで成功したのに、浮かない顔して」
先ほどまで共に戦っていた天真は、心配げにあかねを覗き込んでいた。
鬼に捕らえられ、そして八葉によって救出され、
あれから、随分と時が流れた。
四神も、のこすところあと一人となり、呪詛の払いも終わり、藤姫の占いの日までまだ日がある頃、
いつものように、京の怨霊を払いに、あかねと天真は出向いていた。
「…お前、何か変だぞ、…頼久のヤツは、結構元気になってきたみたいだけどさ」
頼久の名に、あかねはぴくりと反応した。
そういえば、あれからほとんど、口も聞いていない。
でも、不思議とそれは、さほど気にはかからなかった。
それよりも気になるのは、
アクラム…あの鬼の首領。
そして、他の鬼たち。
四神を差し向けられ、鬼の一族とは何度か出会った。
そして、四神を封印するごとに、手酷く切り捨てられる鬼達を、目の前にしてきた。
どうすればいいのかは、分からない。
でも、
アクラムを、このままにしてはおけない気がする。
仲間すら、道具のように扱う、あの冷徹な態度を目前にして尚、
忘れられない。
あの、彼の蒼く澄んだ、瞳が。
彼は人なのだと、確かに感じた、あの気持ちが。
そしてふと、よぎった。
彼にその身を組み敷かれ、その唇が重なった瞬間が。
背筋が、少しだけ寒い。
でも、それと同時に、何か不思議な感覚が生まれる。
「……あかね?」
黙り込んでいたあかねに、天真は心配げに呟いてきた。
「あ、ごめん…、何でも無いの」
あかねは力なく微笑み受け流す。
そしてまた、俯いた。
とにかく、既に時は残されていない。
一体、どうすればいいのか…。
あかねの胸のうちに、救えなかった鬼達の姿がよぎった。
…せめて、彼だけでも…、
あかねは細めた目で空を見上げていた。
「……どうした? セフル…」
人気の無い、あぜ道で、イクティダールが不意に足を止め、セフルに声をかけた。
表情を失った虚ろな顔で、彼は空を見上げていた。
「……神子…?」
ぽつりと、蚊の鳴くような声で、セフルは呟いた。
イクティダールはその声を聞き取り、
そして、共に空を見上げた。
気のせいだろうか、
神子の声が、聞こえた気がした。
ふとセフルを見ると、
いつのまにか閉じた瞳からは、一滴の涙がこぼれていた。
そして、声も出せず、セフルはそのままうずくまる。
生まれて初めて涙をこぼしたその時、
セフルの胸に浮かんでいたのは、神子の暖かな微笑みだけだった。
「………ん?」
あてもなく、街道を歩いていた足を止め、
シリンはふと空を見上げる。
…空耳、だったのだろうか。
シリンはつまらなそうに顔を下げた。
神子の声が聞こえた気がした。
「……その先にあるもの…か」
シリンは、ぽつりと、どこへとも無く呟いていた。
「お前には、あるんだろうね、それが」
空に向かって言い捨て、そして再び歩みを進める。
歩きながら、シリンは気づかぬうちに頬が湿って行くのを感じていた。
歯を噛み締め、必死で涙を止め、頬をぬぐい、シリンは歩みを進めつづける。
鬼と呼ばれる一族に生まれついて、
一度たりとも、こんなモノを流したことはなかった。
それなのに何故だろう。
神子の顔を思い出すだけで、こんなにも心がもろくなる。
シリンはしばらく歩いた後、ふと足を止めた、
そして、そのままうずくまり、
ひとしきり、
大声で、泣いた。
泣くだけ泣いて、そして、夜が明けたら、
また、歩き出そう。
人知れぬ道端で、
二つの泣き声が静かに響いていた。
「ラン、ランはおらぬか?」
アクラムは、唯一残った部下の名を必死に呼んでいた。
洞窟の中に響きわたった声には、何の返事もこない。
「……くっ、あの娘…術が弱っているのか…?」
アクラムは呟きながら壁を叩いた。
残された時間は少ない。
自分には、部下すら居なくなった。
残っているのは、術で操る少女のみ。
何故だろう、胸がざわつく。
部下を、彼らを捨てたのは、自分なのに。
一人になってからは、嫌に夜が長く感じる。
使えぬものを切り捨てる、
当然の事をしたはず。
それなのに。
心が、何をしても落ち着かない。
ふいに、最後に見た、彼らの顔を思い出す。
虚ろな、絶望に満ちた顔を。
胸が少しだけ、苦しかった。
初めて、だった。
こんな気持ち。
どうして、こんなことを感じるのか…。
『……あなたは、人間だよ……』
神子の声が、ふいによぎる。
そして、アクラムは必死にそれを拭い去ろうとする。
こんな感情は、知らない。
知りたくも無い。
「…私は、……鬼だ……」
自分に言い聞かせるように、アクラムは呟いていた。
「………ふぅ……」
差し込む朝日を見て、眩しそうに目をしかめながら、あかねはため息を付いていた。
「神子殿…、失礼いたします」
ここ数日、…呪詛の祓いが済んで以来、聞いていなかった声が聞こえた。
そうか、とあかねは肩を付く。
今日が、その日だった。
なんて答えたら良いのか、良く分からなかった。
彼と語らった、あの晩が思い出される。
ふいに、自らの肩を抑えながら、あかねはそのまま黙っていた。
そんなあかねを一瞬見て、頼久はすぐ目をそらし、そして一礼する。
「…共に、青龍をお救いください、神子殿」
一言いうと、頼久は立ち上がり、そのままきびすを返した。
「外で、お待ちしております」
ぽつりと言い残し、頼久は立ち去って行った。
あかねは、そのまま、動けずに固まっていた。
何も、言えなかった。
言いたいことは、たくさんあったはず。
彼と過ごした、幾多の思いでが、胸に蘇ってくる。
彼に恋をした、それはかけがえの無い真実。
でも、今は…。
何故だろう。
分からない。
今だに、こんなに怖いのに、
同じくらい、こんなに胸が痛む。
忘れられないのは、あの、蒼い瞳。
「おい何やってるんだ? 藤姫が心配して……、あかね?」
ふいに部屋に入ってきた天真は、片隅でうずくまるあかねに、驚き近づいてきた。
「どうしたんだよ、これから青龍と戦うんだろ」
心配げに、天真はあかねの肩をゆすった。
「……あ、ご、ごめん…」
「ごめんじゃねーよ、大丈夫か? お前…」
力無く答えるあかねに、天真は益々心配げに語り掛けた。
「…うん…」
天真のその瞳に、あかねは微笑みながら答えた。
……悩んでる暇なんて、ない。
私は、龍神の神子なんだから…。
あかねは大きく深呼吸をして、立ち上がった。
…最後の戦いまで、あとわずか。
泣いても笑っても、
時は、来るのだから。
それからしばし後、
神子は、
青龍の名を持つ八葉二人と共に、
最後の四神の待つ、その場所へと向かっていた。
歩みを進めながら、あかねは思っていた。
この戦いが終わったら、
その時こそ、
本当の、最後の戦いが始まる、と。
……なんとかかんとかまとめに入りつつある、鬼シリーズ第七話でした…。
いきなり、時を大幅に経過させたわけですが…、
やはり、どうしても、鬼のエピソードとして、本編のストーリがあるので、
アクラム以外の鬼は、どうしようかと、ずっと思っていたのですが…(つまり、当初アクラム以外の結末は考えてなかった(汗))
…ま、あんなところ止まりにしか出来ませんでした。
初めて触れた優しさを胸に、少しでも心が癒されれば、とか思ったわけです。
今後、他の鬼を登場させるかは、まだ未定なのですが……どうしようかな…。
とりあえず、あと2.3話で最終回には持って行けそうではあります。(^^;
ま、そんなわけで、
あと少し、このお話にお付き合いいただければ幸いです。