その夢の続き
〜2〜
「あ、頼久さん、おはようございまーす」
校門の前で微動だにせず立っている、警備員姿の頼久に、女生徒が笑いながら声をかけて行く。
頼久は少し戸惑いつつも会釈をして、また表情を戻す。
それはまるで、いつもの朝の光景となっているかのようだった。
「…あ、あの…。 おはようございます」
ぎこちなく言うあかねに、少し不思議そうな顔をしつつ、
「ああ、おはよう…」
ぽつりと返事を返す頼久に、あかねは思わず顔をそらしてしまった。
昨日の、今日である。
つい昨日まで、彼は常に自分のすぐ側に居て、
いつも、こちらだけを見てくれていた。
ふいに、
あの物忌みの日、抱きしめられた時の、力強い感触がよぎる。
そして、目の前の人物を見上げると、
やはり、不思議そうな顔をしている。
…正直、どう接すれば良いのか、あかねにはまるで分からなかった。
「よぉ」
ブランクと悩み事によりまるで頭に入らない授業が終わった後、
ぼんやりと廊下を歩いているあかねに、天真は声をかけた。
「…ったく、頼久のヤロー、本気で俺達の事忘れやがって…、朝のアイツの顔、見たか?」
気さくに話しかけてくる天真に、あかねは少し切なげに顔を傾けた。
天真は、そんなあかねに思い表情を浮かべながら、思わず拳を握り締める。
「あ、…家は…どうだったんだ? 何も無かったか?」
顔を反らしたまま早口で言う天真に、あかねは顔を上げる。
務めて話題を変えようとしているのが見え見えで、何だかおかしかった。
「大丈夫だよ。 何か、家でもやっぱり、あたし海外留学してたことになってたけど」
微笑を浮かべながら、あかねは言った。
「そっか…。 いや、俺ン家は、両親帰宅したらいきなり蘭がいるもんだから、しばらくはパニックでさ」
「あそっか、ランは元々行方不明だったもんね」
「そうそう、俺は勝手に事故って怪我したんだろうって、ちっとも相手にされねーの」
ケラケラと言う天真に、あかねは思わず笑っていた。
天真は、なんだか、久しぶりに見たような気がしていた。
あかねの、こんな笑顔を。
この笑顔が見たくて、これまで必死だった。
無事に帰れば、いつでも見られると思っていた。
それなのに。
天真は笑いながら、
しかしその拳は、強く握られたままだった。
「…遅くなっちゃったな…」
あかねは呟きながら、小走りに廊下を走っていた。
もう窓の外は茜色から藍色へと変わり始めていた。
外を見て、ますます足を早めつつ進んでいると、
ふと、あかねは足を止めた。
離れた場所でも、一目で分かる。
その姿。
頼久の後姿に、あかねは思わず見入ると、
ふと、気付いた。
その傍らに居る、人影に。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい…。 大分楽になりましたから…」
言葉を交わしながら、保健室から出てくる少女。
「また倒れでもしたら大変だ。 そこまで送ろう」
「…あ、ありがとうございます…」
頼久は、真面目に職務を。
しかし、少女は、
具合の悪そうに足を抱えつつ、瞳は一心に頼久を追っている。
その顔は、明らかに少し紅潮していて…、
あかねは、思わず目を反らした。
「…あのルックスと体格でしょ。 結構ファンも多いんだけどさー」
昨日、クラスメイトに聞いた言葉がよぎる。
…信じている。 信じたいと、思っている。
でもそれは、京で生まれ育った、源頼久という名の武士である彼。
初めて、感じた。
彼が、こんなにも遠いと。
いつも、
いつでも、
彼はそばに居て、
それがあたりまえだと。
だけど。
もしも、
もしもこのまま記憶が戻らなかったら…。
今の自分は、神子でもなんでもなくて、
彼は、武士でもなければ、八葉でもない。
それでも、
彼は、前のように、
自分を愛してくれるのだろうか…?
壁にもたれかかるように背を当て、そのままずるずるとこ腰を下ろしながら、あかねは分けも分からぬまま、流れ出る涙を、両手で必死に抑えていた。
「あれ? あかねちゃん?」
「え?」
ふいに、廊下から聞きなれた二つの声がした。
天真と詩紋は慌ててあかねに駆け寄ってくる。
「おい、どうしたんだよ!」
しゃがみこみ、涙を浮かべる姿に、天真は血相を変えて肩を掴んできた。
そして、天真はそのままふと辺りを見る。
一人の、負傷した女子生徒に肩を貸す頼久。
瞬間的に、天真は理解した。
有無を言わさず、天真はその場から駆け出していった。
「おい!」
言いながら、乱暴に頼久の肩を掴み、天真は硬く歯を鳴らす。
「……お前…、何やってるんだよっ!!」
俯いたまま叫ぶ声が、廊下…いや、学校中に響き渡った。
「…お前が守るのは、あいつだけのはずだろう!? …それを…」
歯ぎしみしながら言う天真に、頼久はさも不思議そうに瞳を向けた。
隣で、頼久に支えられた少女は訝しげに天真を覗きこんでいた。
「……一体、何を言ってるんだ?」
思わず呟いた頼久に、天真の中で何かがはじけとんだ。
バシッ と鈍い音があたりに響き渡る。
「……お前が、…お前があいつを守るって言うから…、あいつが、お前を選んだから…。 だから…だから俺は…」
ふいの衝撃によろける頼久をもう片方の手で支えながら、天真は呟き続けていた。
「き…、キャァァァーッ!!」
傍らに居た少女が、思わず金切り声を上げた。
「天真くん!」
気がつくと、天真はあかねと詩紋にしがみつかれていた。
「…天真くん…、もういいよ、…もういいから! …あたし、大丈夫だから…!」
泣きじゃくりながら耳元で叫ばれ、天真は俯いたまま、また歯をきしませた。
駆け足でその場を逃げて行く少女を目で追いながら、頼久はふと後ろを振り返る。
よたよたと、先程の少年を連れながら、少女と少年は歩いている。
頼久は、ふと不思議な感覚を受けていた。
あの、少女。
いや、あの少女の、涙。
なんだろう、胸のうちで、何かがざわつく。
…たしか…、元宮…とか言ったな…
頼久は一心に、先程の、少女の顔を頭に思い浮かべていた。
「………すまねぇ…ついカッとなって…」
道を歩きながら、天真はぽつりと呟いた。
「いいよ…、別に天真くんに悪気があったわけじゃないし…」
「でもさ、やっぱり、暴力は良くないと思うんだ」
あかねと詩紋は交互に答えた。
3人の足取りは、何だかとても重かった。
「なんか…ね。 あたし、本当に頼久さんにふさわしいのかなって…、ちょっと、不安になっちゃった」
ふと、あかねは空を見ながら言った。
「…だって、結局、頼久さんは、龍神の神子であるあたしを選んでくれたわけでしょ。 …ただの女子高生、元宮あかねじゃ、釣り合わないのかな…って…」
苦笑を浮かべ、切ない瞳で言うあかねに、天真と詩紋の二人はやりきれない表情を浮かべた。
「…そんなことないよ」
始めに声を出したのは、詩紋だった。
「あかねちゃんはあかねちゃんだよ。 神子だろうがなんだろうが、何も変わらない。 あかねちゃんだから、八葉の皆も僕も、頑張って来れたんだと思う」
意志の強い、真っ直ぐな瞳。
射貫かれそうなその瞳に当てられ、あかねはしばらく言葉を失っていた。
そして、
「ありがとう」
一拍の後、あかねは少しばかり照れながら、一言呟いていてた。
天真はその横で、まだやりきれない表情を浮かべていた。
すっかり暮れた空を見上げながら、あかねはため息を洩らした。
龍神の神子。
そう呼ばれていた日々が、まるで遠い昔のことのようだ。
いや、昔と言うか。
あれは、本当に自分の身に起こった事なのか、最近それが時々分からなくなってくる。
あれは全て夢だったんじゃ…、
その思いをせき止めてくれるのは、天真や詩紋の存在。
彼等が居てくれて本当に良かったと、心から思える。
だけど。
ふいに、自信が無くなる。
何が本当か、分からなくなってくる。
そんな時は決まって、その声が聞きたくなるのだ。
神子殿…と。
いつも聞いていた、あの声で。
あの時は、一向に名前で呼んでくれない彼がもどかしかったけれど、
今、こうして、他人行儀に、元宮、などと呼ばれたりしてみると、
たまらなく、恋しくなる。
あの声が、あの呼びかけが。
……頼久さん……。
心の中で空に向けた呼びかけは、虚しく溶けいるだけだった。