その夢の続き
〜3〜
「…おい、聞いたか? …森村のヤツが…」
「ああ聞いた聞いた。 守衛の源さんをいきなり殴り倒したんだろ」
「3ヶ月ぶりの登校でいきなりだぜ、アイツもこりねーよな〜」
朝登校すると、すでに学校中はそんな噂でもちきりだった。
具合が悪そうに思いつめているランの肩を叩きながら、あかねは沈んだ顔で廊下を進んでいた。
ふと前方を見ると、
「あ、天真くん」
思わず呼びとめる声に、辺りの空気が張り詰めるのが分かる。
天真は慌てたように掛けよると、
「…バカッ、いちいち俺なんかに声かけてんじゃねーよ…。 ヘタするとお前まで何言われるか分かんねーぞ」
いらつきながら言う天真に、あかねはすっと目線を合わせると、
「…だって、…暴力は確かに良くなかったけど…、天真くんは悪くないじゃない」
さも当然の如く言うあかねに、天真は思わずため息を洩らした。
…そうだった。
「自分が悪くないって思ったことなら、何も卑屈になることなんてないよ、全然」
平然と言うあかねを横目に見て、天真はやれやれと息を吐く。
このところ思いつめることが多かったからか、彼女のこういう性格を、すっかり忘れていた気がする。
そういえば、そうだった。
彼女は、こういう少女なのだった。
思えば、京に行くより以前、
彼女のこんなところに、天真は惹かれたのだ。
適当な噂話にヤケを起こし、誰にも相手にされなかった、昔の自分がよぎる。
「…進歩ねーのかな…、俺って…」
ぽつりと、誰にも聞こえないような声で、天真は呟いていた。
と、その時。
「あ……」
あかねの声に、天真ははたと我に返った。
辺りを見ると、廊下の向こうから、昨日と同じ守衛服に身を包む、その姿。
「…お、おはようございます…」
近づいて来たその姿に、あかねは思わず俯き、搾り出すような声で呟いた。
すると、
待っていても、返事が来ない。
気配は、目前で止まったままだ。
不思議に思い、ゆっくりと顔を上げると、
あかねの目の前には、不思議そうな顔で佇む頼久の姿があった。
何かを考え込んでいるような、憂いに満ちた顔。
こちらを一心に見つめる、懐かしい瞳。
あかねは、ともすれば泣き出しそうになりながら、震える足で、必死に立ちすくんでいた。
…もしかして…。
そんな思いが、おのずと浮かび上がる。
彼と過ごした、懐かしい日々がよぎる。
あの瞳奥には、あの日々が写っているのだろうか…?
あかねにまじまじと見つめられていることに気付き、頼久は慌てたような顔をすると、すぐに目を反らした。
「…あ、すまない…」
一言言って、俯きそしてそそくさとその場を離れようとする。
ふ…と、あかねはため息を付いた。
確かに、そんなに何の苦労も無しに、いきなり思い出しているわけもないか、と。
あかねは少しだけ、苦笑いをしていた。
「…元宮…さん…だったか?」
ふと足を止め、唐突に発した頼久の言葉に、あかねは思わず振りかえる。
「は、はい。 元宮…、元宮あかねです」
無意識に早口で言うと、頼久は満足げに微笑をたたえ、
「…そうか、…ありがとう、それじゃ…元宮さん」
ぽつっと言うと、頼久はそのまま去っていく。
去り際に、頼久はふと横に居た天真の存在に気付き、立ち止まった。
「…なんだよ」
思わず毒づく天真に、頼久は少しうろたえる。
「……いや、別に。 …森村といったか? 君の噂は良く聞いている」
唐突に発せられた、慣れぬ「君」という呼びかけに、天真は思わずずっこけそうになりつつ、なんとか踏みとどまっていた。
「……だからなんだよ…」
「…昨日のことは、別に私は大して気にしていない。 ただ、…訳を聞かせてもらいたい」
真面目に問いてくるその眼差しに、懐かしいものを感じ、天真は思わず目を反らした。
「…言っても分かんねーよ。 今のお前じゃ」
一言いうと、天真はさっさとその場を去って行った。
天真の去った後をしばらく見つめた後、頼久は訝しげな顔をしたまま、その場を立ち去った。
事の成り行きを、あかねとランは何も言えず見つめているだけだった。
…結局のところ、どうすればいいのだろう。
昼休みに入り、ふと足の向いた人気の無い中庭にて、手早く食事を済ませた後、ぼんやりと空を見上げながら、あかねは考えていた。
つまるところ、いつも思考の行き付く先は、それなのだ。
どうすれば、頼久は記憶を取り戻すのか。
いや、もしかしたら、その方法は、存在していないのか。
考えれば考えるほど、訳がわからなくなってくる。
そもそも、どうして、彼は記憶を失ったのだろう。
龍神は言っていた。 本当に望むことを叶える、と。
なら、自分は、こんなことを望んだ憶えは無い。
ずっと、ずっと一緒にいたいと、
共に生きていきたいと、
そう思っただけのはず。
そこでふと、あかねは顔を上げた。
ずっと一緒に…、共に…生きていく…。
あかねの思考が、少しずつまとまっていくのが、自分でもわかっていた。
確かに、記憶は失われたけれど、
でも、考えてみれば、
あのまま、ただ単に頼久がこの世界に来てしまっただけであれば、一体、どんなことになっていただろう。
少し考えただけで、問題は山のようにある。
だが、
今、頼久は…。
住む場所も、居るべき場所もある。
一般常識などの知識も、まず問題は無いだろう。
れっきとした、この世界の住人として、彼はここにる。
ひょっとしたら、
それだけで、とても凄いことなのではないか?
あかねははたと気付いたように空を見つめた。
普通に暮らしていては、交わることも無い世界。
そんな二つの世界に別々に存在していたはずの、二人の存在。
それが、今、
こうして、同じ空の下にいる。
龍神は、確かに望みを聞いてくれた。
そんな気がする。
記憶が戻る戻らないよりも、
毎日、毎日、
帰ってきた後も、彼と会うことが出来ている。
それはとても素晴らしいこと。
改めて、あかねはそう思えていた。
空に向かってにっこりと微笑むと、
あかねは小走りで教室へと戻って行った。
涙に暮れるのは、もうやめにしよう。
今を、今ある幸せを、胸いっぱいに感じていよう。
晴れやかな顔で戻ってきたあかねに、天真は不思議そうな顔をして近づいて来ていた。
「…どうしたんだよ、やけに機嫌が良いな」
茶化すように言う天真に、満面の笑みが返されると、
天真も、うっすらと感じ取った。
心の奥で、天真はこっそりと思っていた。
やっぱり、かなわない、と。
いつもそうだ。
どうにかしてやりたい。 助けてやりたい。
そう思うのに。
こっちがどうにかするより先に、彼女は自分の力で立ち直る。
…少しばかりやるせない気持ちがよぎる。
だが、そんな気持ちも押しこめたまま、
天真は、あかねに、思いっきり笑い返しながら、あかねの頭をクシャッと撫でていた。