その夢の続き
〜4〜
「おはようございます、頼久さん」
にっこりと会釈するあかねに、頼久はおずおずと会釈を返した。
最近、毎朝の風景になっていることである。
頼久は訝しげに俯いた。
数日前、とても落ち込んだ顔で、自らを見つめていた少女。
それからすぐ、
何故か彼女は、自分に対し、頼久と呼びかけるようになり、
とても嬉しそうに語りかけてくるのだ。
何がどうなっているのかは、まるで分からない。
ただ。
悪い気は、しなかった。
いや、それよりも、
何かこう、
くすぐったいような、
やるせないような。
よくは分からない。
ただ、
いつか何処かで、感じたことのあるような感覚。
不思議な胸のうずきに戸惑いながら、頼久は次々と登校してくる生徒達に、おはようと声を掛けていた。
「……で、あれから変わりはねーのかよ、頼久のヤローは」
やっと、あの事件のほとぼりも冷め、久しぶりに学校に出てきた天真は、面倒くさそうに呟いた。
「うん、…でもあたし、…それでもいいかなって」
にっこりと言うあかねに、天真はフンと顔をそむける。
…お前は良くても、俺は良くない。
心の中で、天真はそっと呟いていた。
「君は確か…? 森村君…だったか?」
昼休みに人気の無い中庭にて、ふららとしている天真を見つけ声をかけた頼久の言葉づかいに、天真は思わずよろけそうになった。
「………頼むから、君とか、森村君ってのはやめてくれっ!」
天真の心からの叫びに、頼久はきょとんとしたままでいた。
「お前確か…、理由を知りたいって、言ってたよな。 俺がお前をぶん殴った、理由をさ…」
口の端に不適な笑みを浮かべつつ呟く天真に、頼久は怪訝そうな目をした。
「……ああ。 どうしても、あの時の言葉が理解できないのでな」
真剣に言う頼久に、天真はふっと息を吐く。
「……そうか…」
少しだけ、何故だか寂しそうに言うと、天真は頼久を真っ向から見据えた。
「………お前、あいつのことどう思ってる?」
「……あいつ……?」
「…あかねだよ…」
戸惑う頼久に、面倒くさそうに天真は言った。
「……どうと言われても……」
咄嗟に頼久は戸惑っていた。
一人の女子生徒。
彼女に対する認識は、それだけだったはずだ。
だけれど、最近は………。
「……じゃあ……」
頼久が思考を巡らせている途中、天真はおもむろに言った。
「…じゃあ、俺があいつを奪っちまっても、かまわねーってことだな」
頼久は思わず目をパチクリとする。
奪うとは、どういうことだ?
考えるより先に、不機嫌そうにその場を去っていく天真を引き止めようとした声は、虚しく風にかき消されていた。
ただまんじりとした気持ちだけを抱え、頼久はそこに立ちすくむことしか出来なかった。
「あ、天真先輩にあかねちゃん、…今帰り?」
下校途中に会った満面の笑みの詩紋に、あかねはにっこりと答えた。
3人で歩くのは、なんだか久しぶりのことだった。
「…頼久さん、結局まだ思い出さないんでしょ」
心配げに問いかけてくる詩紋に、あかねはにっこりと「でも、大丈夫だよ」と呟いた。
あかねちゃんは強いなぁ、と詩紋はにっこりと返す。
それから、
ちょうど詩紋と下校ルートが別れる道端で、にっこりと手を振り合う二人と、段々と離れて行く詩紋を見つめながら、
天真は静かに拳を握り締めた。
並んで歩きながら、天真はふと意を決したように立ち止まった。
あかねは、きょとんとして振りかえる。
「………なぁ…」
天真の洩らした呟きに、あかねもまた足を止めた。
「…そんなに、…あいつがいいのか?」
ふいに言われた言葉をすぐには理解できず、あかねは訝しげな顔をした。
「…お前を守るとかいいながら、さっさと何もかも忘れちまいやがって…」
続けられた言葉に、あかねはやっとその対象が頼久であることを解した。
「……なぁ、…なんでだ? なんでお前そこまで……」
言いながら、天真は思わずあかねの肩に手をかけた。
―なんで俺じゃいけない?
その言葉が出るより早く、目前に広がる満面の笑みに、天真は言葉を失った。
全てを洗い流すような、曇り無い、真っ直ぐな瞳。
一切の感情を忘れさせるような、透き通った微笑み。
天真は俯き、そのままあかねから離れる。
そんな天真に、あかねは一瞬だけ、表情を動かした。
「…頼久さんは、今、多分幸せなんだと思うの」
ふいに紡がれた言葉に、天真は顔を上げた。
「…ホントなら、こんな異世界に来て、きっとものすごく戸惑ったり、困ったりしたはず。 でもね、そんなことなかった、なくてすんだ。 だから、これで良いのかな……って」
にっこりと言うあかねに、天真は呆然としていた。
それで良いと。
自らの意が叶わずとも。
ただ、その人が、幸せでさえあれば。
…そうか。 と、天真は拳を握り締めていた。
今から少し前、
あの京という異世界で、自分も思ったこと。
あかねの笑顔が好きだから。
あかねが悲しむところは、見たくないから。
それだけ、だった。
頼久とあかねを見つめながら、天真はずっと思っていた。
それで良いのだ、と。
そう
…あの時、すでに心の決着はついていたはず。
「っったく」
顔を反らして、天真はぽつりと呟いた。
「…お前、どこまで人がいいんだよ…」
頭をクシャリと掻きつつ、はにかんだ顔で呟く天真に、あかねはクスリと微笑んだ。
微笑むあかねを見つめた後、天真はふと空を見上げた。
ひょんなことから、いつしか目を覚ましていたこの気持ちは、
また、前のように、
心の奥底にしまっておこう。
だれにも気付かれないように。
いつか、今あるこの気持ち以上に想える誰かに、出会えるその日まで。
天真はふと、目を細めていた。
そして、
……早く、思い出せよ…、…バカヤロ……。
心で呟きながら、天真はふと、腕に残る宝玉に手を当てていた。